第17話 いきなりウルトラ難易度地名読み取りクイズ
文字数 6,637文字
「裁判長、そんなに千葉をこよなく愛するなら------」
ありすは液晶パネルを取り外して、カチャカチャ操作し始めた。
<廿五里>
全てのタッチパネルに地名が表示されている。
「何よこれ?」
サリーは怪訝な顔で画面を覗き込む。
「千葉の難読地名を読み取って、寿司を注文してから判決を言い渡しな」
「なっ何ですって------」
サリーが幾ら叩いても、手元のタッチパネルが反応しなくなっている。レーン上には、いつの間にか寿司が一個も回っていない。
「嘘でしょ。これじゃ……これじゃ判決の前に寿司を注文できないじゃないッ。証人も思い通り回せなくなってしまう。裁判が円滑に進まない! ギャアアア、よくも、よくもよくもこんな真似を。チクショーッ」
サリーは、その手にタッチパネルを持ってわめいている。
「フン、じゃとっとと千葉の地名を読み取りなさいよ。でなきゃ注文画面に進めない」
「て、てめぇ何しやがった……」
「別に!? あんたが地上からかっぱらってきたこの端末が、タブレット・パソコンだったから、あちこち触ってたら、地図が出てきただけ。それと注文システムのアプリが音声認識で連動するように科術プログラムで作り変えてやった」
ありすは不敵な笑みを浮かべた。
「ウグッ」
難読地名アプリがありすに発見されたことを、サリーは悟ったようだった。
「千葉県民にあらざる者人にあらず……ってあんたさっき言ってたわよね? これくらい、千葉県民なら読めて当然でしょ?」
「言ってないわそんな事! 私が言ったのは千葉県民による千葉県民のための-----」
「それよ、県民度を測るテストよ。提案するわ。読めなければ千葉県民ではない。裁判長としてそれはどうなの? 県民でなければこの裁判に負けたのも同然。門外漢は即刻退廷よ」
「ぐぬぬぬぬ……ぎにににに……」
「ありす、なんだか屁理屈が『不思議の国のアリス』寄りになってるぞ。だんだん」
時夫は両者の話がかみ合わず、次第に論点がずれていることに気付いた。まさに不思議の国の住人そのものみたいに。
「これでいいのよ、金時君。科術師と魔学者の戦いってこんなもん。意味論ってのは先に乗っ取ったモン勝ちなのよ、金時君」
ありすはささやいた。意味論を前提として、プロ科術師は「意味」を自在に操作する。ときに相手の意味論に乗ったように見せて、いつの間にか乗っ取る。
「マサカ、魔学使いサリーちゃん。読めないと? 千葉県民ではないと?」
「生粋の千葉県民の女王様相手によく言ったものね! 舐めないで! 古城ありすッ、やってやるわ!」
サリーはありすの仕掛けた意味論に乗ってきた。
「いきなりウルトラ難易度地名読み取りクイズ~、始まり始まり~~!!」
パフパフパフパフパフ!!
ありすは袖からパフパフラッパを取り出して鳴らした。
サリーはタブレットをバキンと叩いた。
ポーン!
軽快な電子音が鳴り響く。
「ウルトラクイズかよ!」
時夫はずっこけた。動画のみで観たことがあるバブル期のクイズ番組にそっくりだ。
「つ、-----つつつ、つーつー、ついへーいじッ!」
サリーがしどろもどろで音声入力すると、中トロの注文画面に進んだ。正解だったらしく、流れてきた中トロを口に運んだ。サリーは眼をつぶり、舌なめずりをする。
「ははは、あぁー旨い! さぁ、次はあんたの番!」
今度はサリーが端末から、難読地名を呼び出した。判決を読み上げる前に、サリーはなんとしても邪魔者のありすを退廷させたがっていた。
<神々廻>
「簡単簡単。ししば!」
ありすは即答し、注文したイカを口に放り込んだ。
「ちょっと待てありす、何故食うんだ? -----元人質たちだぞ!」
「いいじゃん別に。硬いこと言うなよ。あっこのイカやわらか~い」
「時夫さんも、お寿司をどうぞ」
<丁子>
「ちょ、勘弁してくれ。オ……俺はシティボーイだ! 千葉のことなんか」
冗談ではない。元人質の寿司なんか、食える訳ないだろ。それに、「月極」も読めないのに、こんなの読める訳がない!
「まさか読めないとおっしゃるの? あの聡明な時夫さんが!」
時夫はサリーの熱い視線を感じた。しかし、都民代表として、千葉ローカル限定の戦いに出場する気など最初からなかった。
ていうか、どうして裁判が難読地名ウルトラクイズになってんだ! 判決はどうした? 問題はそこだろ。
「任せなさい金時君!」
結局時夫は寿司を食べないので、すっ飛ばされてありすが答えた。
「ようろご!」
よく読めるよな、こんなの-----。感心するしかない。
<生子宿>
「これは、……えーと。はだかじゅく!」
サリーは白眼をむいて答えた。知識を総動員し、ギリギリで思い出したという感じだ。
「せーかーい」
千葉県……一体なんなんだ、この地名群は? 千葉における最大の謎だ。
<表裏>
「おもてうら」? この世に、そんな地名があったとは。
「こいつは、えーと。……とりいかわ」
何ィ?
ピンポーン。
「よっしゃああああ--------」
両者の頂上対決は果てしなく続けられた。
二人とも実力伯仲だった。時夫は奇怪な地名に驚くばかりだった。千葉というどこか他の惑星に漂着した宇宙飛行士にでもなった気分。
サリーもありすも、正解を当て続け、相当量の寿司を口にしていた。
ありすは当初、あんなに食べる事を拒んでいたはずなのに。両者のデスマッチは、一体どこまで続くのか、時夫は黙って見守るしかなかった。
しかし、両者の均衡が、遂に崩れる瞬間が訪れた。
<面白>
ありすが地名を呼び出した。
「おもしろ?」
サリーが読み上げる。
「ブーッ、違う! 惜しかったわね。正解は『おもじろ』よ」
ありすが勝ち誇ってアワビを口に放り込む。
「いいじゃんそれくらい」
「なら、もう一度チャンスを上げましょう」
ありす側には、ずいぶんと余裕が感じられた。
<生板鍋子新田>
「せいいた……分かるかーい!!」
サリーはぶちきれて、皿をフリスビーのように壁に向かって叩きつけた。粉々に砕け散った破片を、蜂人が箒とちりとりで器用に片付けている。
「まないたなべこしんでん。そんなんじゃ新しい寿司を注文できないわよ。ンじゃ、これはどう?」
<百目木>
「はぁーッ? ひゃくめ……もく?」
「どうめき」
「嘘よ、嘘! あんたがたった今作ったんでしょう!! イカサマよ! これはイカサマだわ! さっきから、デタラメばっかり。そんな地名千葉にある訳ないじゃん!」
「今の発言、すでに千葉県を冒涜しているわね。百目木の住民相手に謝罪会見を開くレベルよ。まぁいいわ。なら、これはどう?」
<雪降里>
「ゆ、ゆきふるさと……」
「はははははっ、バッカみたい。ゆきふるさとって? アホアホ~。ぶどうじよ! これで決まりよ。あんたは県民にあらず! 県民にあらざるもの法廷に立つべからず! さぁサリー、今すぐ退廷しなさいッ!」
ルールが絶対の裁判。敵の意味論を逆手に取ったありすの作戦勝ちだった。
「馬鹿な、イカサマだ、絶対イカサマしてる! 勝手に捏造難読地名を並べやがって」
時夫もサリーに同意したくなった。本当に実在する地名とは思えない。
「しょせんは千葉のもぐりと判明したようね。フン、やっぱ地下の引きこもり確定じゃん!」
ありすは完全に女王の裁判を翻弄した。その代わり、これまでの戦いで元人質の寿司をたらふく食っている。
「古城ありす、イカサマは断固許しませんわ。判決を言い渡しますッ!」
突然、目の前で回り続けるレーンの速度が高まった。
「こ、今度は何をした!? 馬鹿な、これじゃ私の寿司が……取れない!」
「別に、私は何もしてないんだけど……」
高速回転すぎて、寿司が吹っ飛び、回転寿司のレーンが壊れ始めた。
「クッ、これは……! あまりに難読地名過ぎるテストのせいで、タブレットが熱暴走を起こしたんだ!」
時夫は頭を抱えて叫んだ。
「熱暴走?」
ありすの目の前で、レーンはますます速度を上げていった。
「バカーッ、第十二条、裁判所の回転寿司は秒速一キロ以内にすべし!」
バキッ、ドカーン。
吹っ飛ぶ、吹っ飛ぶ、吹っ飛ぶ------。
寿司だけではなく、断頭台や食器類も一つ残らず吹っ飛んでいった。
「静粛に!」
カン!
サリーは木槌で日本酒のたる酒を祝った。
壊れた回転寿司レーンを眺めながら、枡酒を一気に飲み干して、
「フゥ~」
腰に手をやるサリーの目つきが座っている。
レーンはすでに死んでいたりいなかったり-----。時々ギシギシ音を立てている。
「一日の終わりか! ってまだ判決読み上げてないじゃん。裁判長、早くあたしの勝利を認めなさいよ」
「判決を言い渡します! ありすっ、お前は侵入罪でA級戦犯とする。わが地下帝国へ迷い込んで来たからには、二度と私に歯向かえないように、電柱にしてやる! いいえ、この際だから送電鉄塔になってもらおうかしら!?」
「何だソレ……」
ありすは呆れた。
「決めたわ。お前は送電鉄塔になるがいい! 高いところはさぞや寒いだろうけど、お前の黒ゴスドレスを、鉄塔の天辺に引っ掛けておいてやるから安心しな!」
ありす、君が鉄塔になったら、俺はチラシを貼らせないように見張ってやる……いや、鉄塔だからチラシ貼れないか? ならパンチラが真下から見えないように見張って……いや、パンツなんか履く必要ないか?
「お前たち、とっととありすを貼り付けに!」
蜂人に捕らえられたありすは、なぜか蜂人になされるがまま、貼り付けにされた。どうやらありすは、蜂人たちとは争わない主義らしい。貴重な生物だからと言うが、自分たちの命だって貴重じゃないか。
「なんだってそんなに電柱が好きなんだよ!」
時夫が訊いた。
「電柱が美しいからに決まっているわ!」
「町の景観が美しくないじゃないか!」
「よく見なさい。電柱には顔がある。二つとして同じ電柱はない。私は一本でも多くの電柱人を地上に打ち立てたい! ただそれだけ!」
「金時君の言う通りよ。地下の女王のせいで、恋文町の電線地中化がなかなか進んでいかない。地下にいる奴が立て直しているんじゃ進む訳がない」
ありすが追求する。
「いいえ、電柱は美しいわ」
そういうとサリーは遠くを見るような顔をして、唄うように言った。
初めて私が地上へ出たとき、真夏の夜だった------。
空から大きな音がして、私は東南の方角へ眼をやった。
地平線に小さな花火が上がっていた。
私は歩道橋へ上がって、住宅街の屋根屋根の向こうの
小さな花火をずっと観ていた。
私は、手前の電柱を観た------。
林立する電柱ごしに観えた小さな花火は、
二つとない、とてもとても美しいものだった------。
「だから電線の地中化なんて絶対認めない!」
うっとりしたサリーの瞳には、夜の町に林立する電柱が見えているようだった。
「私が取った方法はめちゃくちゃだったかもしれない。けどそのためには、江戸川乱歩といわれようが『ソイレント・グリーン』といわれようが、コズミックホラーと言われようが全然構わない!」
「全部自分で言ってんじゃん」
ありすと時夫の会話は、ずっとサリーに筒抜けだったことが判明した。おそらく集合意識でつながっている蜂人に監視されていたのだろう。
「ともかく、世知辛いご時勢、日本の住宅街の電柱のある景観は私が守る! 町中を私の作った電柱人で埋め尽くすっっ。まだ鉄塔は建てたコトないから、ありすを鉄塔にして私はそれを下から見上げる! これまでで最高傑作の鉄塔を! あああああーもう今から楽しで仕方ない!」
サリーが大口を開けるたび、牙がゾロッと見えた。
「鉄塔なんて邪魔なだけでしょ! 周囲に電磁波まき散らしてるし。いい迷惑」
ありすは怒鳴った。
「いいえ、鉄塔は優美だわ。初めて私が鉄塔を観たとき、満月の夜だった------。満月の光が鉄塔に反射して、輝いていた。それは二つとない、とてもとても幻想的な光景だった」
サリーがまた自分の世界に入っている。
「はいはいワロスワロス」
「時夫さんは、こうして地下へ降りて来てくださったので免罪とします。ただし、この城で私と夫婦(めおと)になってもらいます。安心してください。ここにはなんでも用意していますし、あんなクソ狭いアパートに閉じ込められるより、ずっと文化的で素敵な生活が待っていますから。それに、いずれ共に地上に出て行くことを保障します」
「安心できるかッ」
「そうだそうだ、阿部公房の『砂の女』じゃないんだよ!」
唐突に、謎の女のキンキン声が法廷に響いた。
「だっ誰……今の発言誰?」
サリーはキョロキョロ見回した。
蜂人が離れた途端、ありすはゴスロリ・ドレスを揺らし、袖から粉末状の薬草をばら撒いた。食堂ホール内はもうもうとした香りに包まれた。
城が急に騒々しくなった。
城中のアンティーク人間たちが集まってきた。椅子に食器に、数々の本たち……。彼らは、ケータイをいじっていた。
『オ! 凄い椅子だ! インスタ映え!』
さっきと同じキョウ声を合図に、スマフォやガラケーのフラッシュが、サリーの五重椅子に向かってバシバシ輝ていく。
「ヤメロ! そこ、ケータイ禁止! ただ写真撮るだけの目的で回転寿司に近づく事を許さない! 壁に書いてあるでしょ。読めない奴は即刻退廷を命ずる!」
サリーは怒り狂った。
「ありすが骨董レジスタンス達を薬草でおびき寄せたんだな」
時夫は感動を覚えた。
「女王、もう容赦はしませんわ。私は貴女(あなた)を、醤油ダルに漬け込んで、醤油漬たくあんにするまで絶対に許しません。直ちにこの城の仲間たちを解放しなさ~い!! 」
おぺんぺんはふわふわ飛び回りながら、鼻水の空爆を行った。巨大鼻水は、ニトログリセリンの爆発のように、テーブル上の寿司を弾き、美味しく作り変えた後、はじけさせた。
はじけた寿司はゼリー状と化し、そこから徐々に人の形が再生されていく。
「ったく何て日なの? また骨董レジスタンスが沸いたのね!? ここがどこだか分かってんの? 神聖な裁判所の中よ。電柱でござる電柱でござる~、あーどいつもこいつも、電柱でござーるッッ!! 全員退廷、一人残らず退廷を命じる!」
サリーは怒鳴り散らし、両手からメチャクチャに稲光を発した。
「電柱、Want柱(you)! Get柱(you)!」
幾つかはアンティーク人にぶつかり、彼らを電柱に変えていった。
それを合図に、蜂人たちは反撃を開始した。
「……蛾蝶が蛾ァ蛾ァ、蝶々発止!」
紐を解いたありすは、光る蝶を飛ばした。黒ゴスロリ少女の必殺の科術。蜂人たちは無数の蛾や蝶を追い掛け回し始めた。ホールは大混乱に陥った。
「ぐあっ、がっ、あ、あたしの城でそんなモノ飛ばさないでェ! 害虫に蜂蜜が!! 巣を食われる!! ギャアアア巣が……巣が穢れる!! 地下が穢れるッ!!」
サリーは目を覆って、必死に箸を振り回し、五重塔状態の椅子から転げ落ちた。普段蟲に囲まれているくせに、蛾と蝶が苦手ですと? ならもっとやってやれ!!
「蛾蝶が蛾ァ蛾ァ、蝶々発止!」
「静粛にーっ、つっとろーがッ!」
ブチギレたサリーは立ち上がり、木槌を振り回して、ありすに直接襲いかかった。
ありすはたたんだパイプ椅子をガッと持ち上げて反撃した。
「どっちがルール違反してんのよッ!」
「う・る・さ・いッ! 場外乱闘なら受けて立つワ!」
飛び回った蜂人たちがホールで渦を巻き、時夫は大理石の床に伏せるしかなくなった。
「このままじゃ埒が明かない------」
サリーの小槌がありすのパイプ椅子に絡んで、ギシギシいっている。
「ウ……ん?」
騒々しいホールの中で、雪絵がもぞもぞしていた。
「オヤオヤ、そろそろお目覚めのようね! 擬人なのか人間なのか、さらわれた張本人の証拠物件に話を聞いて決着をつけましょ」
サリーは小槌を下ろした。
「いいわよ、裁判長」
ありすは液晶パネルを取り外して、カチャカチャ操作し始めた。
<廿五里>
全てのタッチパネルに地名が表示されている。
「何よこれ?」
サリーは怪訝な顔で画面を覗き込む。
「千葉の難読地名を読み取って、寿司を注文してから判決を言い渡しな」
「なっ何ですって------」
サリーが幾ら叩いても、手元のタッチパネルが反応しなくなっている。レーン上には、いつの間にか寿司が一個も回っていない。
「嘘でしょ。これじゃ……これじゃ判決の前に寿司を注文できないじゃないッ。証人も思い通り回せなくなってしまう。裁判が円滑に進まない! ギャアアア、よくも、よくもよくもこんな真似を。チクショーッ」
サリーは、その手にタッチパネルを持ってわめいている。
「フン、じゃとっとと千葉の地名を読み取りなさいよ。でなきゃ注文画面に進めない」
「て、てめぇ何しやがった……」
「別に!? あんたが地上からかっぱらってきたこの端末が、タブレット・パソコンだったから、あちこち触ってたら、地図が出てきただけ。それと注文システムのアプリが音声認識で連動するように科術プログラムで作り変えてやった」
ありすは不敵な笑みを浮かべた。
「ウグッ」
難読地名アプリがありすに発見されたことを、サリーは悟ったようだった。
「千葉県民にあらざる者人にあらず……ってあんたさっき言ってたわよね? これくらい、千葉県民なら読めて当然でしょ?」
「言ってないわそんな事! 私が言ったのは千葉県民による千葉県民のための-----」
「それよ、県民度を測るテストよ。提案するわ。読めなければ千葉県民ではない。裁判長としてそれはどうなの? 県民でなければこの裁判に負けたのも同然。門外漢は即刻退廷よ」
「ぐぬぬぬぬ……ぎにににに……」
「ありす、なんだか屁理屈が『不思議の国のアリス』寄りになってるぞ。だんだん」
時夫は両者の話がかみ合わず、次第に論点がずれていることに気付いた。まさに不思議の国の住人そのものみたいに。
「これでいいのよ、金時君。科術師と魔学者の戦いってこんなもん。意味論ってのは先に乗っ取ったモン勝ちなのよ、金時君」
ありすはささやいた。意味論を前提として、プロ科術師は「意味」を自在に操作する。ときに相手の意味論に乗ったように見せて、いつの間にか乗っ取る。
「マサカ、魔学使いサリーちゃん。読めないと? 千葉県民ではないと?」
「生粋の千葉県民の女王様相手によく言ったものね! 舐めないで! 古城ありすッ、やってやるわ!」
サリーはありすの仕掛けた意味論に乗ってきた。
「いきなりウルトラ難易度地名読み取りクイズ~、始まり始まり~~!!」
パフパフパフパフパフ!!
ありすは袖からパフパフラッパを取り出して鳴らした。
サリーはタブレットをバキンと叩いた。
ポーン!
軽快な電子音が鳴り響く。
「ウルトラクイズかよ!」
時夫はずっこけた。動画のみで観たことがあるバブル期のクイズ番組にそっくりだ。
「つ、-----つつつ、つーつー、ついへーいじッ!」
サリーがしどろもどろで音声入力すると、中トロの注文画面に進んだ。正解だったらしく、流れてきた中トロを口に運んだ。サリーは眼をつぶり、舌なめずりをする。
「ははは、あぁー旨い! さぁ、次はあんたの番!」
今度はサリーが端末から、難読地名を呼び出した。判決を読み上げる前に、サリーはなんとしても邪魔者のありすを退廷させたがっていた。
<神々廻>
「簡単簡単。ししば!」
ありすは即答し、注文したイカを口に放り込んだ。
「ちょっと待てありす、何故食うんだ? -----元人質たちだぞ!」
「いいじゃん別に。硬いこと言うなよ。あっこのイカやわらか~い」
「時夫さんも、お寿司をどうぞ」
<丁子>
「ちょ、勘弁してくれ。オ……俺はシティボーイだ! 千葉のことなんか」
冗談ではない。元人質の寿司なんか、食える訳ないだろ。それに、「月極」も読めないのに、こんなの読める訳がない!
「まさか読めないとおっしゃるの? あの聡明な時夫さんが!」
時夫はサリーの熱い視線を感じた。しかし、都民代表として、千葉ローカル限定の戦いに出場する気など最初からなかった。
ていうか、どうして裁判が難読地名ウルトラクイズになってんだ! 判決はどうした? 問題はそこだろ。
「任せなさい金時君!」
結局時夫は寿司を食べないので、すっ飛ばされてありすが答えた。
「ようろご!」
よく読めるよな、こんなの-----。感心するしかない。
<生子宿>
「これは、……えーと。はだかじゅく!」
サリーは白眼をむいて答えた。知識を総動員し、ギリギリで思い出したという感じだ。
「せーかーい」
千葉県……一体なんなんだ、この地名群は? 千葉における最大の謎だ。
<表裏>
「おもてうら」? この世に、そんな地名があったとは。
「こいつは、えーと。……とりいかわ」
何ィ?
ピンポーン。
「よっしゃああああ--------」
両者の頂上対決は果てしなく続けられた。
二人とも実力伯仲だった。時夫は奇怪な地名に驚くばかりだった。千葉というどこか他の惑星に漂着した宇宙飛行士にでもなった気分。
サリーもありすも、正解を当て続け、相当量の寿司を口にしていた。
ありすは当初、あんなに食べる事を拒んでいたはずなのに。両者のデスマッチは、一体どこまで続くのか、時夫は黙って見守るしかなかった。
しかし、両者の均衡が、遂に崩れる瞬間が訪れた。
<面白>
ありすが地名を呼び出した。
「おもしろ?」
サリーが読み上げる。
「ブーッ、違う! 惜しかったわね。正解は『おもじろ』よ」
ありすが勝ち誇ってアワビを口に放り込む。
「いいじゃんそれくらい」
「なら、もう一度チャンスを上げましょう」
ありす側には、ずいぶんと余裕が感じられた。
<生板鍋子新田>
「せいいた……分かるかーい!!」
サリーはぶちきれて、皿をフリスビーのように壁に向かって叩きつけた。粉々に砕け散った破片を、蜂人が箒とちりとりで器用に片付けている。
「まないたなべこしんでん。そんなんじゃ新しい寿司を注文できないわよ。ンじゃ、これはどう?」
<百目木>
「はぁーッ? ひゃくめ……もく?」
「どうめき」
「嘘よ、嘘! あんたがたった今作ったんでしょう!! イカサマよ! これはイカサマだわ! さっきから、デタラメばっかり。そんな地名千葉にある訳ないじゃん!」
「今の発言、すでに千葉県を冒涜しているわね。百目木の住民相手に謝罪会見を開くレベルよ。まぁいいわ。なら、これはどう?」
<雪降里>
「ゆ、ゆきふるさと……」
「はははははっ、バッカみたい。ゆきふるさとって? アホアホ~。ぶどうじよ! これで決まりよ。あんたは県民にあらず! 県民にあらざるもの法廷に立つべからず! さぁサリー、今すぐ退廷しなさいッ!」
ルールが絶対の裁判。敵の意味論を逆手に取ったありすの作戦勝ちだった。
「馬鹿な、イカサマだ、絶対イカサマしてる! 勝手に捏造難読地名を並べやがって」
時夫もサリーに同意したくなった。本当に実在する地名とは思えない。
「しょせんは千葉のもぐりと判明したようね。フン、やっぱ地下の引きこもり確定じゃん!」
ありすは完全に女王の裁判を翻弄した。その代わり、これまでの戦いで元人質の寿司をたらふく食っている。
「古城ありす、イカサマは断固許しませんわ。判決を言い渡しますッ!」
突然、目の前で回り続けるレーンの速度が高まった。
「こ、今度は何をした!? 馬鹿な、これじゃ私の寿司が……取れない!」
「別に、私は何もしてないんだけど……」
高速回転すぎて、寿司が吹っ飛び、回転寿司のレーンが壊れ始めた。
「クッ、これは……! あまりに難読地名過ぎるテストのせいで、タブレットが熱暴走を起こしたんだ!」
時夫は頭を抱えて叫んだ。
「熱暴走?」
ありすの目の前で、レーンはますます速度を上げていった。
「バカーッ、第十二条、裁判所の回転寿司は秒速一キロ以内にすべし!」
バキッ、ドカーン。
吹っ飛ぶ、吹っ飛ぶ、吹っ飛ぶ------。
寿司だけではなく、断頭台や食器類も一つ残らず吹っ飛んでいった。
「静粛に!」
カン!
サリーは木槌で日本酒のたる酒を祝った。
壊れた回転寿司レーンを眺めながら、枡酒を一気に飲み干して、
「フゥ~」
腰に手をやるサリーの目つきが座っている。
レーンはすでに死んでいたりいなかったり-----。時々ギシギシ音を立てている。
「一日の終わりか! ってまだ判決読み上げてないじゃん。裁判長、早くあたしの勝利を認めなさいよ」
「判決を言い渡します! ありすっ、お前は侵入罪でA級戦犯とする。わが地下帝国へ迷い込んで来たからには、二度と私に歯向かえないように、電柱にしてやる! いいえ、この際だから送電鉄塔になってもらおうかしら!?」
「何だソレ……」
ありすは呆れた。
「決めたわ。お前は送電鉄塔になるがいい! 高いところはさぞや寒いだろうけど、お前の黒ゴスドレスを、鉄塔の天辺に引っ掛けておいてやるから安心しな!」
ありす、君が鉄塔になったら、俺はチラシを貼らせないように見張ってやる……いや、鉄塔だからチラシ貼れないか? ならパンチラが真下から見えないように見張って……いや、パンツなんか履く必要ないか?
「お前たち、とっととありすを貼り付けに!」
蜂人に捕らえられたありすは、なぜか蜂人になされるがまま、貼り付けにされた。どうやらありすは、蜂人たちとは争わない主義らしい。貴重な生物だからと言うが、自分たちの命だって貴重じゃないか。
「なんだってそんなに電柱が好きなんだよ!」
時夫が訊いた。
「電柱が美しいからに決まっているわ!」
「町の景観が美しくないじゃないか!」
「よく見なさい。電柱には顔がある。二つとして同じ電柱はない。私は一本でも多くの電柱人を地上に打ち立てたい! ただそれだけ!」
「金時君の言う通りよ。地下の女王のせいで、恋文町の電線地中化がなかなか進んでいかない。地下にいる奴が立て直しているんじゃ進む訳がない」
ありすが追求する。
「いいえ、電柱は美しいわ」
そういうとサリーは遠くを見るような顔をして、唄うように言った。
初めて私が地上へ出たとき、真夏の夜だった------。
空から大きな音がして、私は東南の方角へ眼をやった。
地平線に小さな花火が上がっていた。
私は歩道橋へ上がって、住宅街の屋根屋根の向こうの
小さな花火をずっと観ていた。
私は、手前の電柱を観た------。
林立する電柱ごしに観えた小さな花火は、
二つとない、とてもとても美しいものだった------。
「だから電線の地中化なんて絶対認めない!」
うっとりしたサリーの瞳には、夜の町に林立する電柱が見えているようだった。
「私が取った方法はめちゃくちゃだったかもしれない。けどそのためには、江戸川乱歩といわれようが『ソイレント・グリーン』といわれようが、コズミックホラーと言われようが全然構わない!」
「全部自分で言ってんじゃん」
ありすと時夫の会話は、ずっとサリーに筒抜けだったことが判明した。おそらく集合意識でつながっている蜂人に監視されていたのだろう。
「ともかく、世知辛いご時勢、日本の住宅街の電柱のある景観は私が守る! 町中を私の作った電柱人で埋め尽くすっっ。まだ鉄塔は建てたコトないから、ありすを鉄塔にして私はそれを下から見上げる! これまでで最高傑作の鉄塔を! あああああーもう今から楽しで仕方ない!」
サリーが大口を開けるたび、牙がゾロッと見えた。
「鉄塔なんて邪魔なだけでしょ! 周囲に電磁波まき散らしてるし。いい迷惑」
ありすは怒鳴った。
「いいえ、鉄塔は優美だわ。初めて私が鉄塔を観たとき、満月の夜だった------。満月の光が鉄塔に反射して、輝いていた。それは二つとない、とてもとても幻想的な光景だった」
サリーがまた自分の世界に入っている。
「はいはいワロスワロス」
「時夫さんは、こうして地下へ降りて来てくださったので免罪とします。ただし、この城で私と夫婦(めおと)になってもらいます。安心してください。ここにはなんでも用意していますし、あんなクソ狭いアパートに閉じ込められるより、ずっと文化的で素敵な生活が待っていますから。それに、いずれ共に地上に出て行くことを保障します」
「安心できるかッ」
「そうだそうだ、阿部公房の『砂の女』じゃないんだよ!」
唐突に、謎の女のキンキン声が法廷に響いた。
「だっ誰……今の発言誰?」
サリーはキョロキョロ見回した。
蜂人が離れた途端、ありすはゴスロリ・ドレスを揺らし、袖から粉末状の薬草をばら撒いた。食堂ホール内はもうもうとした香りに包まれた。
城が急に騒々しくなった。
城中のアンティーク人間たちが集まってきた。椅子に食器に、数々の本たち……。彼らは、ケータイをいじっていた。
『オ! 凄い椅子だ! インスタ映え!』
さっきと同じキョウ声を合図に、スマフォやガラケーのフラッシュが、サリーの五重椅子に向かってバシバシ輝ていく。
「ヤメロ! そこ、ケータイ禁止! ただ写真撮るだけの目的で回転寿司に近づく事を許さない! 壁に書いてあるでしょ。読めない奴は即刻退廷を命ずる!」
サリーは怒り狂った。
「ありすが骨董レジスタンス達を薬草でおびき寄せたんだな」
時夫は感動を覚えた。
「女王、もう容赦はしませんわ。私は貴女(あなた)を、醤油ダルに漬け込んで、醤油漬たくあんにするまで絶対に許しません。直ちにこの城の仲間たちを解放しなさ~い!! 」
おぺんぺんはふわふわ飛び回りながら、鼻水の空爆を行った。巨大鼻水は、ニトログリセリンの爆発のように、テーブル上の寿司を弾き、美味しく作り変えた後、はじけさせた。
はじけた寿司はゼリー状と化し、そこから徐々に人の形が再生されていく。
「ったく何て日なの? また骨董レジスタンスが沸いたのね!? ここがどこだか分かってんの? 神聖な裁判所の中よ。電柱でござる電柱でござる~、あーどいつもこいつも、電柱でござーるッッ!! 全員退廷、一人残らず退廷を命じる!」
サリーは怒鳴り散らし、両手からメチャクチャに稲光を発した。
「電柱、Want柱(you)! Get柱(you)!」
幾つかはアンティーク人にぶつかり、彼らを電柱に変えていった。
それを合図に、蜂人たちは反撃を開始した。
「……蛾蝶が蛾ァ蛾ァ、蝶々発止!」
紐を解いたありすは、光る蝶を飛ばした。黒ゴスロリ少女の必殺の科術。蜂人たちは無数の蛾や蝶を追い掛け回し始めた。ホールは大混乱に陥った。
「ぐあっ、がっ、あ、あたしの城でそんなモノ飛ばさないでェ! 害虫に蜂蜜が!! 巣を食われる!! ギャアアア巣が……巣が穢れる!! 地下が穢れるッ!!」
サリーは目を覆って、必死に箸を振り回し、五重塔状態の椅子から転げ落ちた。普段蟲に囲まれているくせに、蛾と蝶が苦手ですと? ならもっとやってやれ!!
「蛾蝶が蛾ァ蛾ァ、蝶々発止!」
「静粛にーっ、つっとろーがッ!」
ブチギレたサリーは立ち上がり、木槌を振り回して、ありすに直接襲いかかった。
ありすはたたんだパイプ椅子をガッと持ち上げて反撃した。
「どっちがルール違反してんのよッ!」
「う・る・さ・いッ! 場外乱闘なら受けて立つワ!」
飛び回った蜂人たちがホールで渦を巻き、時夫は大理石の床に伏せるしかなくなった。
「このままじゃ埒が明かない------」
サリーの小槌がありすのパイプ椅子に絡んで、ギシギシいっている。
「ウ……ん?」
騒々しいホールの中で、雪絵がもぞもぞしていた。
「オヤオヤ、そろそろお目覚めのようね! 擬人なのか人間なのか、さらわれた張本人の証拠物件に話を聞いて決着をつけましょ」
サリーは小槌を下ろした。
「いいわよ、裁判長」