第87話 ご冗談でしょう、店長さん 光速回転G3(ジースリー/ジーさん)

文字数 9,384文字

 パヒュ----------ン……。

 ガラガラガラ……という音と共に、赤、青、黄色の立方体が三方向から集まってきた。一直線に積み上がると、高速回転を始めた。
 ネオン光で輝く三連立方体は、上から順にドスン、ドスンと下の像と重なって、たった一個だけになった。
 その像も回転しながら次第にぼやけて、消えた。一人の初老の男が立っていた。
「……ん? Gさんじゃないか。久しぶり。でも何でここに」
 時夫は唖然として見つめている。
 時夫は、あの変な物体と会話した時、何となく聞いたことがある声だと思っていた。気づいていたのかもしれない。自分の祖父である可能性について。
「……師匠! ようやく元の姿に。え!?」
 ありすは声をかけようとして、時夫が変なことを言ったことに気づいた。
「じいさんって誰よ」
「いや、俺のGさんだよ」
「金時君、何言って、あの人は半蝶半町の店長の、金沢……あ!!」
 ありすは何かに気づいたらしく、驚いた顔で時夫の顔を見つめている。
「金時君って、ひょっとして金沢姓だったっけ?」
「ひょっとしてじゃなくて、ソーだよ。何を今更、俺を本気で金時だと思ってたのか」
「店長の名前、金沢達夫っていうんだけど」
「えぇ? ……Gさんと同じ名前だ」
「じゃあ、半町半街の店長って」
「エ~、時夫のおじいさん?」
 ウーも驚いていた。
「確かにこうしてみると、二人ってよく似てるわねぇ」
 その時、ありすと時夫は思い当たることがあった。
「あっ、二人とも作ったラーメンがうまい……」
 半町半街の店長と、時夫の祖父には、「美味いラーメンを作る」という共通点があったのである。
「そうか、------つまり『半町半街』は、Gさんの店だったのか!」
「どーいうこと?」
「恋文町にお店があるとは聴いていたけれど、すっかり忘れていた」
「何でよ?」
「俺がここに引っ越した理由がそれだった。-----震災で、伊都川みさえが亡くなったと聞いて、とにかく東京を離れたかった。ずっとそう思ってたんだ。けど、それだけじゃなかった。ここには、Gさんが住んでいた。いつか、Gさんのうまいラーメンを食べようと思って、恋文町を選んだんだ。今の今まで、店を探そうという気さえ起こさなかった。何でだろ? ラーメン屋だとばかり思っていたんだ」
「何で『Gさん』って言うのよ?」
「いや、あだ名なんだ」
「J隊みたいな? 文字にしないと意味分からないじゃない……あ、店長って科術師協会のG7なんだけど、そのうちの、G3だ!」
「何ィ!?」
「お互い、ずっと関連性に気づいていなかったなんて……」
 なんてバカな話だろう? うかつにもほどがある。
「あたしも、ずっと金時君が店長となんらかの関係者じゃないかって思ってたけど、それがどういう意味か分からなかった。なら金時君って、サラブレッドじゃん!」
「はぁぁ、そういうことになるわねェ」
 ウーもありすに同調し、二人で時夫を見つめている。
「さっきの立方体は、一体何だったんだ?」
「千葉石、というものだ」
 金沢達夫は口を開いた。
「何それ? 聞いたことない」
「二〇一一年、南房総市の荒川で発見された、新種の鉱石のことだ。メタンハイドレードを含む地層に生成する。千葉の県石でもある。本来は直径二ミリの結晶にしかならないが、その千葉石の力を利用して、この領域に入り込むことに成功した。ここが千葉だから、千葉で最強の石の意味論を利用した」
「師匠、今までどこ行ってたんです?」
 ありすの可憐な唇が震えている。
「アミューズメント・センターがある階まで侵入することができたが、それから地下の反乱が起こったので白井雪絵と合流し、ケルベロスの認証鍵をコピーしてもらって、ようやくチャペルまで階段を昇ってきた。移動中は阿頼耶識装置に察知されないように、三つに分散したので、時間が掛かってしまった」
 その結果として三連立方体・店長が復活したらしい。
「そうじゃなくて、九ヶ月前、急に私の元をいなくなった理由を教えてください! 本当のことを、全部私に教えてくれればよかったじゃないですか」
 半町半街の老師は九ヶ月前、中国の山奥の桃源郷へ秘密の漢方を探しに行くといったきり、ありすに店を任せ、戻って来なかった。しかしそれを、ありすは本当のことだとは思っていなかった。ずっと連絡もない。
「事件の謎を解くために、世界中を旅していたんだよ。そして私は、答えを見つけた」
「まずい……」
 サリーは店長を見て、一歩ずつ後ずさりしている。
「待て! 真灯蛾サリー、お前の持っているそのオパール。それを発揮する方法を、まだ見つけていないようだな!? だからお前は、古城ありすには勝てなかった。石をいくら集めても、力を発揮することができなかったのだ。……これから私が話すことは、お前にも関係する話だ。よーく聞いておけ!」
 金沢達夫はサリーを指差し、制した。
「サリー、お前を救うのは、私しかいない!」
 真灯蛾サリーは、ファイヤーストーンとムーンストーンの二つを持っていたにも関わらず、古城ありすとのプロレスもどきの意味論料理対決で負けた。だから、幻想寺でその秘密を手に入れたがった訳である。
「これを見ろ」
 達夫は、「戀文<ラブ・クラフト>」をかざした。
「悪いが、ここへ来る時にもらったぞ。サリー。お前が時夫との結婚式なんぞにかまけている間にな!」
「あぁ!? 泥棒!」
 サリーは、幻想寺で盗んだ文書が時夫に渡って、自身の正体がばれることを恐れていた。もはや、逃れられない。
「この町の秘密を解く四つの書物がある。まず一つ目は、『恋文全史』。恋文図書館が編集し、開架で所蔵されている本だ」
 重々しい口調で、店長は話し始めた。
「俺も読んだよ。でも、近代以後のことしか書かれていない。全史というには不完全な内容だった」
 時夫がサリーをちらりと見ると、サリーは時夫から目をそらしている。
「そう。我々に関係するような事件については、残念ながら一切記されていない。しかし『恋文全史』には巻末に、ある書名が記されている。それが二つ目の『火蜜恋文』だ。私が書いた、江戸時代から終戦までを書いた本だ。これも恋文図書館にあるが、秘密書庫に閉架で所蔵されている」
「Gさんが? -----でも、巻末にその書名を見つけたとき、著者名にGさんの名はなかったと思うけど」
「著者は『恋文史研究会編』と記されている。それが私のことだ。主に」
「そうか! それでキンキラ金の装丁だったのか。でも、肝心の江戸時代のページが二十ページほど破られていたんだ。それに、戦時中のページも。ありすは店長が破ったと言っていた。……つまりGさんが」
「破ったのは江戸時代の綺羅宮と愛の部分と、大戦中の奇譚部分だ。私が本の中で一番力を注いで執筆した章だよ。そこに私がサリーを地下へ封じ込めたいきさつが、全て記されていた。地下に堕ちて、己のことを忘却したサリーが地上へ這い出してきて、自身のことを思い出させないために、書庫の禁書にした。もしも思い出せば、地上で完全に復活し、災厄をもたらすからな。ありすさえも、読んだことがない禁書だった」
「荒唐無刑文化罪って……」
「わしの科術だ」
「……そうだったのか」
「だがサリーは、何段階も力を弱体化させて図書館に出入りするようになった。そこで私は、旅に出る前、本の該当ページを破って持ち去った」
 サリーは忘却していることで、力を制限され、かえって安全な部分もあった訳だが-----。
 サリーは地下で、魔学者としての能力を高め、九ヶ月前に、分身の姿で地上へ出てきた。そして自らのアイデンティティを求めて、図書館で調べまわるようになった。
 恋文町に這い寄る混沌、真灯蛾サリー!
 本を隠した犯人は金沢達夫だった。
 サリーの暗躍に気づいた金沢達夫店長は、館内閲覧の資料にするよう働きかけ、さらにその後、該当ページを破ってこの町から姿を消した。
 サリーの覚醒と地上進出を阻止するためだった。しかし自分で書いた本で、図書館に所蔵し、書いた当時はもうそれで全てが終わったと思っていた。
 だがまさか、地下で強大な魔学者となったサリーの自己探求に利用されることになるとは------。
 もしサリーがかつての自分の記憶を取り戻すと、後の白井雪絵のような混乱が引き起こることが予想されていた。
 しかも達夫のことを思い出し、復讐して地上で暴れるかもしれない。だがそれも避けられないほどに、真灯蛾サリーの自己探求熱は燃え上がっていた。
 サリーは、時夫と会った時に、彼のおじいさんである金沢達夫と勘違いした。それだけ、時夫は若い頃の達夫にそっくりだった。もっとも、名前までは思い出せなかったらしい。
「普通に、本を盗めばよかったんじゃ?」
 と、時夫は念のために訊く。
「立体機動集密書庫は、勝手に本を持ち出せば、セキュリティーが働いて書棚につぶされる。世界一の自動防御システムだ。システムを解除する暇がなかった。だからページを破るしか方法がなかったんだ。しかしまさかお前達が、立体機動集密書庫の謎を解いて、『火蜜恋文』を盗み出すとは思わなかったよ、時夫」
 茸相手に負ける達夫ではない。だが、時夫がサリーと共闘した一方で、達夫はサリーと戦っていた。
「……」
「実は、わしが見た『恋文全史』には注釈があったんだ。とはいえ、あまり意味のない注釈が多いことに疑問を感じていた。ところが、図書館に所蔵されていたのは、注釈ページのない乱丁本だった。実はそれが、共同著作者の科術師によって、念のためにと仕込んだ立体機動集密書庫の謎解きの仕掛けだった。わしさえも知らなかった事実だ。そしてお前達はそれを、鮮やかに解き明かした」
 サリーにそそのかされたとはいえ、あの時時夫は必死だった。
 町の謎を解明しなければならない、という使命感に駆られて、無我夢中だった。時夫たちが立体機動集密書庫に殺されなかったのは、運がよかったからとしか言いようがない。
「サリー女王は、地下でずっと自身を忘却したまま、あたし達を追いかけていた」
 ありすの言葉に、サリーはそっぽを向いた。しかし記憶を失っていたのは、ありすも同じである。
「そして三つ目が『恋文奇譚』、サブタイトルが『火水鏡』。これも恋文図書館の書庫の中にあった。ありすが持ち去り、今も持っているな?」
「……えぇ」
「科術師の祖・綺羅宮神太郎が書いた原典であり、予言書だ。その本の中で綺羅宮は、百年後に、またこの町で同じことが起こると予言している。関係者がそっくり転生することもな。彼が遭遇した百姓一揆は、ありす、お前が今年の春に関わったブルーベリー街の蜂起となった。あの時に予言は成就した」
「恋文町の黙示録よね」
「そう。そして今日の最大の危機と、ダークネス・ウィンドウズ天、アップグレードも予言されている。綺羅宮は聖書からの引用で、『羊と山羊が別れるとき』とも語っている。今やその予言は成就されつつある」
 二度目の立体機動集密書庫への侵入では、「薔薇の名前はウンベルトA子」が居たお陰で、無事本を盗み出すことが出来た。
「さて最後の一冊は、幻想寺に保管されていた『戀文<ラブ・クラフト>』文集。これだ。私の家内、旧姓・去田円香が著した自費出版だ。妻が私が死んだと思って、一度籍を抜き、戦時中の書簡や、我々夫婦の思い出をまとめたものだ。その後、私も加筆した。しかし幻想寺があるのは、もともとこの中空界! つまり現世には存在を立脚しない」
「だからですね。あたしが小さい頃から、寺の存在を知らなかったのは」
 幻想寺の「戀文<ラブ・クラフト>」は、古城ありすも読むことを禁じられていた。
 その後、幽界である中空界に来て、幻想寺の存在に気づいてから幾ら内部を中を捜索しても、結界に阻まれ、ありすは文献を発見することが出来なかった。
「秘密にしておく必要があったんでね。アップグレードの準備が整い、時が満ちるまでは。ただし、私と幾人かは出入りできた。この『戀文<ラブ・クラフト>』に、事件の真相が書かれている」
 そういうと達夫は一同を見回した。
「この本に書かれているのはな……。真灯蛾サリー、お前は、家内の思い残しがオパールに宿ったものだったと、そぉいうことだ。オパールはな、家内のパワーストーンだったんだよ」
 去田円香。それは、時夫の母方のお祖母さんの名だ。
 去田円香、サルタ・マドカ。ひっくり返すと、マドカ・サルタ、マトウガ・サリー……真灯蛾サリー。
「うわっ。お祖母さんの若い頃の写真、サリーにそっくりだ!」
 時夫はうわごとのようにつぶやいた。サリーに最初に会った時、時夫は奇妙な懐かしさを覚えた。それは、自分の祖母に似ていたことに、潜在的に気づいていた証拠かもしれなかった。
「これ! 一緒に立ってるの、金時君じゃない? ……何で?」
 ウーも、まじまじと写真を見つめる。
「本当だ……。軍服を着た金時君だ」
 ありすはただただ驚いている。
「でもこれは俺じゃない」
「写真は、わしの若い頃だよ。孫だから似てるのは当然だろう。私は戦時中、特攻隊として出撃命令を受け、そのまま軍艦へ突っ込んで果てるつもりだった。だが死ぬことができずに、南の島のパラオで科術師の男に助けられた。当時、恋文町で待っていたおばあさんとは、結局、戦後になって再会できた。ところが戦時中に家内が強烈に願った思いがサリーになってしまった……」
 それにしても目の前の達夫は若すぎる。
 終戦時に成人していたとすれば、現在、かなり高齢の老人のはずだ。だがありすの師匠でもある達夫店長は、六十代の初老の老人にしか見えなかった。
 終戦後に帰国すると、妻の思いが実体化し、恋文町に徘徊していた。それが今もなお、全自動で活動しているのだ。
「思い残しだ! つまりサリーは時夫の祖母の思い残し。それを私は解消するべく、今日というときを待っていた」
「クッ……!」
 サリーはまた一歩引き下がった。
 本物のおばあさんなら東京にいる。みさえ=雪絵、ありす=黒水晶と同じように。ここにいるサリーは偽者なのだ。
「私はサリーを地下へ封印し、その時にありす、お前を地下から連れ出した」
「師匠が、私を……? そうだったんだ」
 ありすは、綺羅宮の原典を読んだが、店長夫妻が執筆した文献はまだ読んでいない。
「当時は、九頭竜愛という名前だった」
「えぇ……それは思い出しました。でも、どうやって地上に出てきたのか、覚えていないんです」
「私がサリーを地下に封じたとき、そこに、まだ文献で読んだ吉原の愛が生きていたことに気づいた。地下から引っ張り出したとき、お前は蜂人の初代女王だった」
 さっきのダンスで蜂の女王として覚醒。蜂人は、全部ありすの側に付いていた。
「Gさん、ありすは、何で地下で蜂人の女王だったんだ?」
「ありす自身は、もともと蜂ではない。だが、幕末当時のこの村の一揆の際、蜂の精の力を借りたせいで、この地下に広がる蜂人たちの国に取り込まれてしまった。蜂人の力を借りた愛は、一揆の際に天変地異を起こした。そして、綺羅宮神太郎によって井戸から地下の世界へと封印された」
「ありすちゃ~~ん!」
 ウーは大げさに嘆いてありすに抱きついた。
「ちょうど私が、サリーを地下へ封じ込めたことと同じだった。歴史は繰り返された。文献で読んでいた私は、愛に対して、何らかの責任を感じたんだ」
「……」
 ありすは唇をかんで黙っている。
「Gさん、そもそもこの日本に、あんな地下都市があったなんて未だに信じられない。蜂人って一体何なんだ? ショゴスの仲間か?」
 時夫は世界を冒険したいと願っていたが、その憧れの中には、チベットの地下帝国シャンバラの伝説も含まれていた。
 図らずも恋文町の地下に『帝国』が広がっていたわけだが、もしかすると世界中の地下には、人間の知らない種が他にもいるのではないか、と想像する。
「いいや、H.P.ラブクラフトの云う旧支配者たちとは何の関係もない。その当時の愛が語ったところによると------」
「ぜんぜん覚えてない……」
「世界中で、この町の地下にしか棲んでいない、石炭紀の巨大昆虫が滅びずに進化した知的生命だ。まぁ、地底版のガラパゴス諸島というところか? 地下には、巨大植物が群生していただろう。超太古の地球と同様、酸素濃度の高い地下でしか生きられない。一瞬だけなら、地上に出てくることもまれにある。少しばかし周波数の違う時空に棲んでいるが、周波数の合う人には見える。それで愛は科術の力で、寝た子を起こしてしまい、彼らと結託した」
「蜂人は、絶滅寸前なのよ」
 ありすはぽつりと言った。
 蜂人は、地下で女王を頂点とする、普通の蜂と同じ社会を形成している。
 餌は主に蜜で、地下には巨大植物が群生し、年中花を咲かせている。その特殊な環境でないと、彼らは生きることが出来ないのだ。
 だが、長年の閉じた社会は、DNAの近親交配を起こし、自分達の中から女王を育てることができず、このままでは種を残すことができなくなっていた。
 そんなとき、愛は蜂人の持つ「精霊の力」を頼りにした。愛と結託した蜂人は、その後地下に堕ちてきた九頭竜愛を救い、受け入れた。
 愛は蜂人から特殊なロイヤルゼリーを与えられ、新女王として育てられた。
 それは蜂人が、生きながらえるための新しい道のりだった。蜂人にとっては種の保存がかかっていたのだ。
 愛は地下に、文明開化をもたらした。自身も洋装のドレスを着て、蜂人を使って城を築いたり、バレエを習わせた。女王となった者は、蜂人の命運に対して責任を感じるようになるらしい。
 バレエを舞ったお陰で、地下での出来事を思い出しつつあったありすは、師匠の話で少しずつ記憶を取り戻したようだ。
「私は自宅のある東京から恋文町に通い、ここで科術師として薬局を開く決意をした。愛は、かつて綺羅宮に語って聴かされた『不思議の国のアリス』が好きだった。その話を聴くたび、人間性を取り戻した。私は愛に、古城ありすと名付けることにした」
「古城という名は?」
「愛が自分で地下に作った宮殿に、やたらと執着したんでな。しかし最初は、『胡蝶』にしようと思ったんだ。だがサリーに悟られそうになったんで、古城にした」
 胡蝶ありす? それも悪くないじゃないか。
「フゥン……」
「お前は、しばらくの間は話をすることができたんだが、地上に出た影響のせいか、次第に記憶を忘却していった。地上の酸素濃度の薄さに、適応できなかったせいかもしれない。地下へ落とされたときから、ずっと若い姿のままだった。ロイヤルゼリーの影響かもしれないな。私はお前を救うべく、店で研究を続けた」
 ありすは黙って達夫店長の話を聴いている。
 幕末当時、『不思議の国のアリス』に熱中した愛は、名実ともにありす化した訳だ。これまた、奇妙な因縁だった。
 金沢達夫が、記憶を無くした古城ありすを育てながら、「半町半街」を営んでいたとき、東京で妻と一緒に住む自宅と恋文町を一人で行き来していた。
 自分の妻を、恋文町から引き離したかったからだ。その後、生まれた娘の子が金沢時夫である。
「地下で女王として永い間不老となっていたありすは、非人間化していた。その表情は、大きく目を見開き、まるで昆虫のように無表情だった。私は、その眼に一揆時代から引きずる闇の力を感じた」
 ありすはハッとした顔をする。
「もしや、サリーのような災難が繰り返されるのでは……そう思った私はお前を一度眠らせることにした。私の漢方薬で眠り続け、目覚めたのは七十年代後半だった」
 それでありすは、当時のカルチャーに詳しかったのか。
「気がついたら、金髪になっていた。わしの漢方薬の影響だ。ありすの髪は染めたものではない------」
「なるほど。ゴールド・コンビニ・ヘヴン……Gさんの石は金だよな? それで本の装飾が金ぴかだったんだ」
「正解、その意味論だ」
「じゃウーのピンク髪は?」
 時夫は横でニヘラニヘラしている石川ウーを指差した。
「こいつは染めてるだけよ」
 ありすが代わりに答えた。
「こいつはギャルだけど、あたしは別にギャルじゃないわよ」
「大分お前は人間性を回復していた。それから記憶喪失のまま、数年は店番をしてくれてたんだが、何故かまた眠ってしまった。今度は、眠らせる漢方薬は投与していない。お前は眠ったまま年齢が退行していった。そうして二千年代に入ってようやく目覚めたんだが、その時ありすの年齢は幼稚園児にまで戻っていた。ウサエルの転生、つまり石川うさぎに会ったとき、体まで小さくなってしまった。うさぎもちょうど幼稚園に通っていたので、二人は幼馴染になったという訳だ。それから私はありすを科術師として一から育て直すことにした」
 薬の副作用か、正常な作用なのか。時夫は、祖父の達夫の漢方薬がなんだか恐ろしいものに感じた。
(大変だったんだな)
 ありすが目覚めたのはごく最近の出来事だったらしい。だから、ありすは石川ウーの幼馴染なのだ。ありすの地下での記憶は、非常にぼんやりとしたものしか残っていない。
 店でずっと寝ていた最中のかすかな記憶なのか、達夫が好んだ七十年代・八十年代カルチャーに詳しい少女に育った。
 地上に出た時に、達夫の科術で生まれ変わったともいえるが、愛=ありすは生き通しなのだ。
「私はね、お前達二人を救わねばならないのだ!」
 達夫は言った。真灯蛾サリーと、古城ありすを。
「恋文町。……ここはいろいろな人の思い残しワールドだ。この町は、女王サリーのエゴによって全ての住人が囚われている。町の人間全員が、中空界へと連れ去られた。そんなことは、決して許されん。我々の使命は、すべての魂の解放にある。それは絶命寸前の蜂人をも救うだろう。長い長い、恋文町の問題解決の最終ゴール、『西遊記』における天竺はもう近い。囚われた恋文住人の魂の救済する、ダークネス・ウィンドウズ天の最終承認の瞬間が。-------夜明けはもう近い」
「で、師匠、この九ヶ月間どこへ?」
「春先、関東地方で大地震が起こった。震度6弱。特に東京の被害が大きかった」
「もしかして、それも市の合併と何か関係が?」
 時夫は訊いた。
「あぁ……、その通り。ブルーベリー街の蜂起のときに戦わされた、科術と魔学のホットな戦争が原因だ。『7』のシステムに加えて、町が『不思議の国のアリス』現象に見舞われたのも、そこを期に、次第に現世との乖離を始めたからといえる」
 時夫がこれまでの事件で遭遇した、まるで夢の中をさまよっているような体験は、九ヶ月前、恋文町が中空界に片足突っ込んだような状態から始まっていた。
「その後、私はお前達の前から姿をくらました。時間がなかった……」
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