第26話 月夜見亭のテーブルマナー

文字数 2,137文字

 三人は旧い木造の旅館風の二階建ての建物に到着したが、館内は真っ暗で外灯すら着いていない。そしてシンとして静まり返っている。またしても、嫌な予感が。
「足元気をつけて」
 勝手に玄関から入っていいものか躊躇するのが当然な店に、普通にするすると引き戸を開け入っていくありすに、時夫とウーは着いていった。中も真っ暗。
 ギシ・ギシ……ありすは古い木製の階段を上がっているらしい。
 慎重に手すりを見つけて、二人も後を追う。どうやらありすは二階へ向かっているようだ。地下の国へ行ったり、野菜相手にコンサートしたり、あげく月から出てきたサリーと格闘した。
 この町ではもう大抵のことには驚かない体質になっている自分に驚く時夫だったが、この「月夜見亭」は一体何なんだ。
 廊下から襖を開けると、目が闇に慣れたのか、部屋の中が比較的明るく感じられる。月光が差し込んでいた。とはいっても、部屋には電気もろうそくもない。ただ、なんとなく部屋の雰囲気で彷彿とさせるのは、京都にありそうな高級料亭の室内の佇まいだ。
 障子が左右に半開きになって、ガラス戸から満月の光が煌々と直に入っている。その十畳程度の部屋には高級長テーブルが二つ、そこへ先客が座っていた。
 静かなのに、部屋は人でぎっしりだったのである。みんな真っ暗な和室の月明かりの中で、まさに月を見ながら酒や料理を静かに楽しんでいた。
 ありすはいつの間にか店の人間と話したらしい。誰とすれ違ったのかどうかも、時夫には分からない。
『相席だってさ。別にいいよね』
『うん』
 ありすがささやき声で訊き、ウーが答えた。
 ありす一行は四人家族の隣に座った。おそらく四十代くらいの夫婦と中学生の女の子、それに小学生の男の子だ。彼らもまた窓辺から見える満月を見ながら静かに箸を動かしている。座って待ってるとどうも落ち着かない。
「なぁ。ここってどういう店なんだ?」
 時夫がありすに普通のトーンで聞いた途端、一斉に部屋中の視線が時夫に集中した。
『しっ』
 口許に人差し指を持っていって睨んできたのは、隣の中学生の女の子だった。長い三つ編みに丸目がね、なぜか夜でも制服を着たままのまじめそうな外見の少女は、店のルールにとても忠実らしく、おせっかいにも一元さんの時夫に忠告してきた。
『静かに。ここは月を観るためのお店です。電気もつけちゃいけないし、カチャカチャ音を立てて食べちゃダメです。大きな声もダメです』
 家族を代表して少女がそれだけ言うと、四人はまた窓辺の方を向いて食べ出した。下の男の子まで静かにしているのが驚愕的である。ありすとウーは何やら二人でにやにやしていた。嵌めやがったなお前ら。知ってるなら先に言えよ。
『……ありありのなしなしで』
 ありすが小声で注文したが、訳ワカラン!!
 しばらくして、するすると音もなく襖が開く気配を感じた。仲居が三人前の「月見御膳」を運んでくる。所作からして、男性の仲居らしい。
 価格は千円とこの手の店にしては比較的リーズナブルらしいが、「円月割烹料理」という種類の立派な懐石で、灯りの下で観れないのが残念だ。何が「あり」で「なし」なのかは不明だ。
 特徴的なのが大きなおわんにご飯、そこに山芋が掛かった料理。さらにそこへ、瓶入りの出し入り汁(つゆ)をかけてつるりと食べるらしい。
 暗いので火傷しないように気をつけないといけない。それでも大分目が慣れてきた時夫は、次第に食事を楽しむことができるようになっていた。
 料理は絶妙な薄味で本当においしい。トロトロの茶碗蒸しを灯りの下で観れないのが残念だ。
 よく見ると件の“通”な四人家族は月を見て音もなく笑ったりしている。かつ、聞こえないほどささやき声で「会話」をしている気配さえ感じた。
 隣に座る華奢で小柄な三つ編みの少女は、丸眼鏡の向こうの切れ長の目の睫が長く美しい。
 少女は弟を相手に、音もなく変わったあやとりをしながら、影絵を作って遊び始めた。よく聞いていると、自分のことを、「ウルウル」と名乗っている。月と狼の話のようでもあったが、途切れ途切れに声が聞こえてくるだけで、「物語」は分からない。
『でもウルウルはウルウルじゃなかった。騙してたのネ』
 何のことやら、さっぱり……。
 少女の盆に載った何かが、月の光でオレンジ色にキラッと輝いた。少女はすぐにそれをポケットの中にしまった。
 つまりは暗闇の中でこうやって、楽しむのが風流なんだろう。暗黒レストランが流行っているとも聞くが、月を観て何がそんなに面白いのかは正直分からない。確かにきれいだけど。
 だが、そんな風に楽しむのがこの空間では流儀なのだ。
 しかし、気になることがある。満月から出てきた女王の人攫いを、ここの連中はずっと観ていたのだろうか? それならことさらに奇妙だ。
 ところでありすもウーも満月を観ながら、肩を震わせ、ずっと笑いをかみ殺して食事している。一体何がおかしい? 味は絶品だしありすのおごりだし、まぁいいか。
【やだこれ旨い!】
 突然ウーが和牛湯葉まきを食べて普通の音量で感嘆し、全員に睨まれた。睨んだ一人に、時夫も居たことを付け加えておこう。
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