第93話 バック・トゥ・ザ・イエスタデイ 80s’

文字数 6,301文字

 「半町半街」に到着すると、羽が消えた古城ありすは、玄関の引き戸を開けて店内を確認した。いつの間にか、一緒に飛んでいた達夫店長の姿が見えない。
 時夫は、実家に戻ってきたような安心感を感じる。
「食材、何か残ってる?」
 ウーは台所をあさった。が、冷蔵庫も空っぽだった。
「これだけか……」
 ウーはやむなく、恋文銀座で買った電球茄子を外して、麻婆茄子を作った。まだ不思議成分が残っていたらしく、具が光っている。
「眩しい料理だなぁ」
「これで一富士、二鷹、三茄子っと、縁起のいい初夢をコンプリートできたわね」
 ありすがきれいにまとめた。
「遅れたけど……新年明けましておめでとう!」
 魔学の影響が町から消え、カレンダーが正常化した。ようやく元旦を向え、それを皆で店内で享受している。
「爽やかだわぁ~。『アイネ・クライネ・ナハトムジーク♪』って感じがするわね」
 ウーが鼻歌を歌っている。
「お正月といえばおせちだけど、やむをえないね」
 この際文句は言えなかった。ウーの麻婆茄子はとても美味しい。ただ、量が少し足りないが。
「おせちといえばさ、意味論の宝庫よね。黒豆は真っ黒になるまでまめに働くように、で、数の子は子宝、きんとんは黄金、そしてタコは多幸なんて……」
 意味論で、一年を幸せに過ごせるようにと祈願するのだ。
「そっか……駄洒落みたいなもんだね」
 ウーは残り少ない茄子を口に運んだ。
「駄洒落にもずいぶん振り回されたぜ」
 時夫は笑った。この町では、うかつに冗談も言えない。
「日本語は、同音異義語がとても多いの。そのために、駄洒落が多く作られ、日本語は意味論が生じる条件が整いやすくなっているともいえるわね」
「みんな、食事は足りてるかな?」
 達夫が部屋にひょっこり顔を出した。
「あ、店長。おかえりなさい!」
 ありすは微笑んだ。
「白彩で福袋売ってたけど……買うか? なんかモゾモゾ動いてたが」
「買わない」
「おせちとはいかんが、薬膳科術ラーメンを作ってやろう。食材は恋文ビルヂング2階のJ隊ベースより提供してもらった」
「……」
 店長はJ隊のところへ寄ったらしい。微妙~。
「わぁーい。やったあー!」
 ウーがはしゃいでいる。
 表面を卵焼きがふたをし、のりが一枚載っている。
 卵焼きを切り分けると、黄金のスープに、浮かんだ油がキラキラと輝いている。
 時夫は感慨深くスープを飲んだ。そうだ、祖父のラーメンは絶品だった。またこれを食べたいと思って、時夫はこの町を選んだのだ。
 達夫のラーメンは、薬膳の香りも少しするけど、主に煮干で出汁を取った魚介系、いやアサリラーメンだ。大粒のアサリが抜群の味を出している。
 スープを吸った卵焼きと一緒に麺をすする……絶品だ!
「俺にもこのラーメンの匂いは、旨いって分かるぜ。ま、ありすほど鼻は効かないけどさ」
 時夫は笑った。
「匂いっていうけど、実は科術師としての、霊的なセンサーとでもいうべきものなのよ。あなたも科術師として研ぎ澄まされれば、だんだん発揮してくるはず」
 ありすは台所へと消えた。
「……ん? この匂いは?」
「それにたこ焼きはどう?」
 手にたこ焼きを持っている。科術料理だから一瞬で完成する。
「いただきます!」
 ありすは店長が調達した魚介を使って、ちゃんと具が入ったたこ焼きを振舞った。
 外はカリカリに焼かれ、中身はふわトロ。熱々だ。
「たこ&焼き♪」
「うれ&しい♪」
 タコだけでなく、銚子で獲れた野趣溢れる海産物が大きめに入っていた。考えてみればありすのたこ焼きを、時夫は初めて食べた気がする。
「タコスライダーってクトゥルフスライダーってことだったんじゃないの?」
「あたしが駅前でタコスライダーを呼べたのは、実はクトゥルー召喚の呪文を唱えたから……」
「……」
「で、結局どっちだったんだ? 真灯蛾サリーが本物のおばあさんだったのか?」
 時夫は祖父の顔をじっと見た。
「……どっちかはもう私にも分からない。あるいはサリーが言ったことは真実だったかもしれない。なぜなら私には覚えがないからだ」
「じゃあ、Gさんは嘘はついてないんだな」
「ついとらん。濡れ衣だ」
 けれど、サリーも嘘を言っているようには見えなかった。
「やれやれ、安心したよ。もしサリーの言う通りなら、俺たちはGさんとおばあさんの、壮大な夫婦喧嘩に巻き込まれていたってことになるからな。ははは!」
 巻き込まれていたのは時夫達だけではない。町全体である。
「何それ笑えない」
 ウーが皮肉っぽい顔をした。
「でも、それならあんたサリーの孫ってことになるよ」
 ありすは麺をすすった。
「……」
「ご愁傷様」
「ひとついえるのは、意味論の世界ではカーゴカルトやプラシーボ効果が、本物と同じ作用をするということだ。それは、当事者にとって本物と全く同じ役割を持つ。だからもはや、どっちがオリジナルかなんて、もうほとんど『意味』がなくなる。それがサリーの矜持だった訳だが。わしはそれについて、正直かなり悩んだ。科術師として、サリーの意味論を否定することはできんからな」
 達夫は立ち上がり、和ダンスから古いカメラを取り出した。スンスンと匂いをかいでいる。
「何してるんですか?」
 ウーが小首をかしげる。
「いいキャメラは、匂いで分かる」
 そう言って、達夫はニヤリとした。師匠も弟子と同じ事を言っている。古城ありすと全く同じだ。
「このニコンはわしの宝物だ。良いキャメラだろう?」
「キャメラ……」
 ウーは半笑いを浮かべている。
「……ニコン社は、かつてドイツのツアイス・イコン社から、名称が似ているとして、クレームを受けたことがあるんだ。しかしニコンは、以前から自社製品のレンズを『ニッコール』と呼んでいたことを説明して、最終的に両者は和解に至った」
「えっ、ニコンってイコンの……パクリだったの?」
 ウーが虚を突かれた様な顔をしている。
「ま、今となっては、本当のところは分からない。一説には、禅宗の而今(にこん)から来ているともいわれている」
「ホントに!?」
 ウーは、前に冗談で言ったことが本当だったと知って驚いていた。
「綺羅宮神太郎が何かというと『而今(にこん)』と叫んでいたのは、意味論だったのか……」
 時夫は意味論の世界の深さを、綺羅宮の言葉に知る思いだった。
「しかし現在のニコンが立派なキャメラ製造会社であることは、世界中の誰もが知っているところだ。ニコンはイコンを凌駕した。何がオリジナルかコピーかなんて、誰も気にしてない。そもそも世界中のカメラ会社は、かつてドイツのライカのコピーを作っていたんだ。ニコンも同様にな。それを研鑽して、ニコンは最高のオリジナル製品を製造するようになった。だから、世界最高峰の技術を真似するのは、必要なプロセスだといえるだろう。これが、守・破・離の一例だ」
 店長は、クレイジーキャッツの谷啓は、ダニー・ケイから芸名を取ったし、江戸川乱歩のペンネームが、エドガー・アラン・ポーから来ているのは有名な話だと言った。その名前の意味論の力で、実際に彼らは成功しているのは事実だ。
 <今となっては本当のところは分からない>、か……。真灯蛾サリーの存在と全く同じじゃないか。
 そうなると、時夫にとっての問題は白井雪絵だ。
 彼女はみさえの分身だった。当初こそは。だが時夫にとって今や、雪絵はみさえの代わりなどではない、唯一の存在といえる。
「サリーは、俺達を魔獣に釘付けにする一方で、せっせと天空魔法陣を書き換えていた。最期のドサクサで、ありすや綺羅宮たちがそれを正常に戻せたかどうか心配だったんだけど、アップグレードは成功だったんだよな?」
 時夫の問いに、部屋は一瞬シンとなった。
「我々が本物だと思い込んだ結果、アップグレードの認証のシステムは無事、『正常』に作動した。成功だよ」
 祖父がニヤリとした。それが意味論の原理なのだろう。
「町の様子は、何も変わってない気がするけど……」
「すべての人質・電柱・ショゴロースでヒトモドキになった人々が元に戻り、これからダークネス・ウィンドウズ天の世界へと昇っていく組と、貨物線に乗って現世に戻っていく組とに別れる。現世へ戻る人々は、行方不明者と、地震で意識不明の状態になっている人々だ」
「……みんな、この町での出来事は覚えているのかな?」
「恋文町で起こった『不思議の国のアリス』現象の記憶は全て無くなるだろう」
 幻想寺の綺羅宮軍団は、恋文町の人々を元居た世界へと戻す作業を行っているらしい。
「お前もこれで無事、元の生活に戻れる。一件落着だな」
「いや、恋文ビルヂングには……もう」
「不思議現象のブラックホールになってるとか? そんなバカな、ワハハハ……」
 そのトーリ!
「いや……俺はもうあのアパートの部屋には戻りたくないです。Gさんには悪いけど、俺は東京に帰る。もうこの町には戻らない」
「ホォー、千葉の水が合わなかったかの」
「いえ、そういう訳ではないんですが」
 達夫は、食材を恋文ビルヂングに取りに行った時、この町でますますJ隊の拠点と化しているアパートを見て、何とも思わなかったのだろうか。元から、あそこはJ隊の寮だった。いいや、「J隊」化する前だから、自衛隊のだ。
「分かったよ時夫。それなら荷物を整理して実家へ送ってやる。これから東京の高校への編入手続きをこっちでするから、東京で暮らしなさい」
「ありがとう。最後にせっかくだから、もう一つ聞きたいことがある。この店、『半蝶半蛾』の当て字に『半町半街』を使ったのって、何か意味あるの?」
「ないんじゃない? 金時君」
 ありすは興味なさげにお茶を飲んだ。
「……ま、厳密にいうとないとも言えんかな。『町』と『街』の違い、それは規模だ。英語で言うとタウンとストリートの違い。『街』の方が規模が小さい。この店の場合、メインストリートである恋文銀座から離れている。けど、遠すぎもしない。そんな絶妙な店の距離感をうたっているという訳さ」
「あったのかよ!!」
 一番驚いているのは古城ありすだった。
 そのお陰で、恋文銀座の菓匠・白彩本陣より一定の距離を保ちながら、その監視もできた訳だ。それ以上の意味論は、どうやらなさそうだが。
 ありすは少し間を置いてから言った。
「ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの『新宿バックストリート♪』ってか?」
「君たちゃナウいねェ」
 どこが? そして、「ナウい」? そして、君たち?
「……」
 ありすも店長も、どっちもどっちだ。「君たち」でまとめられたくない。
「さーて、事件はひとまず解決だ。一本締めといこう。皆、お手を拝借。ヨーォッ」
 達夫店長の音頭で、パンッ!と締めくくる。
 達夫は、近所に新年のあいさつ回りをするとかで出て行った。
「あれ? 雪絵さんの肌色が」
 浅黒くなっていることに、ウーが気づいた。
「ボン・ジョヴィの『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』のアルバム・カバーのお姉さんくらい焼けてんじゃん!」
 ウーもベストヒットUSO以来、なかなかに小林店長の八十年代カラーに染まっているようだった。
「本当に、みさえがここに居るみたいだ……」
 時夫は呟いた。白井雪絵と伊都川みさえの決定的な違いは肌の色だったが、その違いがなくなっている。
「みさえさんって、確かスポーツ少女だったんでしょ?」
 ありすが訊いた。
「うん……テニス部の部長だった」
「そういえば西の禁断地帯でさ、キラーミンをやっつけた時、雪絵さんテニス・ラケットを持ってなかった?」
 ウーがたこ焼きを口に放り込みながら言った。
「……はい」
「あれは確か、スカッシュのラケットだったよね」
「ラケットもマシンガンもあずきセイバーみたいに、『種』が何か一つあれば、それを氷で成長させて作ることが出来たんです。ラケットは、落ちていた木の枝みたいので作りました」
「じゃあ成分は氷だったのか。マシンガンも?」
 そして冷気で形状を維持できた。
「えぇ、そうです。でももう、たぶん出来ません。私、雪の女王の力が、感じ取れないんです」
 そう言って、雪絵は沈黙した。
「あそうだ! さっきたこ焼き器の熱が下がっちゃってさ。ウー、見てくれる?」
「今?」
「いいから来て!」
 そういって、ありすはウーを台所に連れ出した。
(たこ焼き器って……そんなの使ってないじゃん。科術で出したんでしょ? なんでそんな見え透いた嘘を)
(ここに居たらお邪魔虫になっちゃう。後は若いモンに任せて)
(ありすちゃんも若いじゃん)
(外見だけよ)
 『新宿バックストリート♪』は七十年代の曲だ。
 「八十年代が一連の事件のキーワードじゃないか」と、時夫は言った。
 それは事実だった。
 古城ありすが最初に目覚めた七十年代、そして生活した八十年代。その時代はありすのみならず、不思議現象の中でもっとも強力な意味論を発揮した。
 なぜなら、古城ありすは「不思議の国のアリス」の主役の意味論だったからである。
 ありす達は台所片付けをしながら、のれんの影から居間の二人を覗いた。時夫と雪絵は黙って座っていた。
(ん。も~だめだぞ? 時夫)
 ウーは小声でつぶやいた。
(しっかり言ってあげて)
 ……ありすも小声で。
「なぁ雪絵。俺と一緒に東京へ行ってくれないか」
 時夫は意を決したように言った。
「えっ、でも……」
 東京には伊都川みさえがいる。雪絵は、時夫はみさえに会いに帰るのだと思っているに違いない。
「俺が好きなのは、みさえじゃない。君なんだよ。白井雪絵」
「……」
 雪絵は微笑んで、こっくりうなずいた。
「また、雪絵さんの肌の色が……」
 ウーが気づいた。さっきよりもまた焼けている。雪絵さんというよりもう小麦さんだ。
「いいえ、あの人はみさえさんよ」
「え? 嘘」
「本体とドッペルゲンガーの意味論が入れ替わったんだ……いや、そうじゃないな。元から、本体のみさえさんだったことになっている。雪絵さんの情熱が、そういう風に世界を書き換えたんだ」
 サリーが雪絵を取り込んだ時、雪絵の中に女王の能力がコピーされたか、あるいは一度誰かが「意味の入れ替え」に成功すると、集合的無意識の臨界点が突破されて、他者も可能になるか、どちらかだろうとありすは言った。
 雪絵は今、完全に小麦色の肌に戻って、雪の女王としての性質は消えてしまった。時夫の前に座っているのは、もはや最強の科術師でも何でもない、一人の人間の少女だった。
 ありすは玄関に出て、町を見回している。
「ロマンがないなぁ」
 ありすはつぶやいた。
「マロンならあるよ」
 ウーが玄関から栗を持って、にっこりとした顔を出した。
「……ありがと」
 ありすは振り返って、ふと玄関に飾っている黒法師を見た。
 黒法師は、冬に生長する多肉植物だ。
 黒紫色の艶のあるこの植物が、ありすは好きだった。「女子高生」としては結構シブいけど、黒水晶をパワーストーンにするありすにとっては、唯一無二の親友みたいな存在だった。まだ、花が咲いたところを見たことはない。
 ありすは微笑んだ。開花を気長に待たないといけない植物なのだ。それなので、花言葉も待つことにちなんだ言葉である。それは……

『いい予感』。
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