第7話 雪絵は僕の腕の中?

文字数 6,241文字

 コン、コンコン……。

 白井雪絵が戸口に立っていた。
 繊細で透き通るほど肌が白くて、美しい。人間とは思えないリヤドロの陶器のような肌。キラキラと光ってさえ見える。やはり、銘菓「乙女の恥じらい」を髣髴とさせる。
 無事だったんだ! その夜、定刻どおり仕事を終えた雪絵は時夫が書いた地図を頼りに、アパートにたどり着き、戸を叩いた。素晴らしい。こんな瞬間が自分の人生で訪れるなんて、信じがたかった。
「一人暮らしなんて凄いですね」
 雪絵は部屋の中をキョロキョロ見回している。
「実家は東京だよ。訳あって、この市の高校に通ってるんだ」
「へぇ……」
「この町が特別好きな訳じゃない。本当は、東京が好きなんだ。時夫だけにTOKIO(トキオ)ってね。ははは。ちょっと部屋の中で待ってて。食べ物買ってくる」
 アパートから走り出した時夫の足は軽かった。彼女の、雪絵のために役に立っていると思うと、うれしくて仕方ない。もはや、俺はリア充なんてモンじゃない。それ以上だ。これが、一つ屋根の下って奴か!
 万が一店長に見つからないように、速やかに買い物を済ませる。
 戻ってくると、雪絵は本棚をじっと眺めていた。
「……時夫さんのお部屋って、ご本がたくさんあるんですねェ」
 無邪気な笑顔だった。ちょっとラノベが多いのが恥ずかしいが、SFやミステリーの一般書も棚の半分を占めている。
「まぁね。ホラ、デザートも買ってきた。あずきバー」
「えっ。あずきのアイスがあるんですか!?」
 雪絵は目を丸くして驚いている。
「知らない?」
「私、初めてです! ぜひ、食べてみたいです!」
「世界一硬いアイスとして有名だよ。デザートにおけるあずきの地位復活を志して、あえてアイスにしたら大ヒットしたんだって。しかも、年々硬くなってるらしい」
「へぇ~凄いですね。ホントだ、硬~い。凄~い硬~い。武器になりそう」
「冷蔵庫に入れとくから、後で食べよう」
 ほっこり弁当を二つ買った時夫は、雪絵にお茶を差し出した。
「昨日さ、セントラルパークで君を見たよ。噴水の前だった。たまに、夜にも公園に来てるの?」
「……」
「昨日、何をしてたの? あそこで。……あ、ごめん。詮索しちゃって」
「それは……いえません」
「ひょっとして店長の手伝いとか?」
「いいえ。違います。店長は関係ありません」
「そう。それなら別にいいんだけど。なんか、変なこと想像しちゃってさ。ハハハ。光合成してるみたいだなーなんてね」
 時夫はおかめマークのおぺんぺん醤油差しを、から揚げに垂らした。
「ひょっとしてご覧になってたんですか!」
 凄い剣幕だった。
「……い、いや。まずかったかな」
「いえ、そういう訳じゃ、ないんですけど。おおお、お弁当、ありがとうございます。実は私、こういうものも食べるんですけど。でも、それだけじゃ栄養が足りなくて、実は、言いにくいのですが、いつも月の光を浴びてるんです」
「えっ、本当に?」
「変な人だと思いましたでしょ? ……普通思いますよね」
「い、いや。そんな事ないよ。月光浴だよね。いや、いんじゃない? あの公園緑が多くてとっても気持ちいいしさ」
 嘘。もう気持ち悪くてあの公園なんかにいけない。
「生まれつきの体質なんです。日光浴じゃダメで。私、夜の公園しか行ったことありませんでした。月の光が必要なときに、必要に迫られて。環境的に住宅街だとなんか落ち着かないんですよ。あそこは静かで、緑もあるし。でも、昼間行ったのは昨日が始めてだったんです」
 だから昼間の公園をもの珍しそうに眺めていたのか。まぁ、昼と夜とでは景色が違う。
「へぇ……」
 いや……世の中には変わった人がいるものだ。確かに、真っ白なもやしのような白井雪絵にぴったりな話だった。
「それで、あの光るキノコは一体何なの?」
 時夫は、本当は噴水が雪絵の月光の受信?で光った件について訊きたかった。あれは月光欲では片付けられない現象だった。
「あれが和四盆の原材料です。あの公園……店長によると風水みたいな話が関わっているらしいのですが。私も、よくは知らないんですけど」
 そして、地面には死体が無数に埋まっているのだ。

 ドドンドン!

 突然戸を叩く音がした。強い音だ。男かもしれない。ぎょっとして時夫と雪絵はドアの方を見る。耳を澄ますと、何も聞こえない。誰なのか分からない。こんな時間にセールスなど来ない。

 ドンドドン!

「まさか」
「どうしよう、もしも、店長だったら……」
 雪絵の端正な顔は不安でいっぱいだった。
「大丈夫だ、君はとりあえず押入れの中に。布団をかぶっててくれ」

 ドンドンドン!

 中腰姿勢のまま、時夫は雪絵に指示を出して、戸へ向かった。覚悟を決めるしかない。雪絵を守ってやれるのは、この世でただ一人自分しか居ないのだ。自分が守らなきゃいけない。
 武器……になりそうなものは、ない。料理をしないから包丁もない。
 あずきバー、……アホか。
 傘か!? 薔薇喫茶で借りた傘だ。すぐに手に取れる位置にあるのを確認する。
 ギィ……。
 時夫は静かに戸を開けた。そこに、果たして三白眼ににらみつけたあの小柄な白彩店長が無言で腕を組んで立っていた。やっぱり混同勇み足だったか……なんて。
「何か、御用でしょうか」
 今夜の店長は、両手には何も持っていなかった。
「お前セントラルパークに居た奴だろ。昨日だよ。ちょっと気になったんであの後、つけたんだ。だから今日、お前んちがどこにあるか分かったんだ。今ここにうちの店員来てんだろ。分かってんだよ。うちの店から、勝手に黙っていなくなったんだよ。お前、あいつに何を言ったんだ? 朝から、何か色々吹き込んでたの、知ってんだからな。こそこそと」
 なんてことだ。なんて目ざといんだ。やはり、時夫はイカれ店主に目を着けられていたらしい。
「そうですか。なら僕も言わせてもらいますけど、あなたのお店、ブラック企業ですよね。えーっと……あなたの店、どんなに菓子がおいしくたって、有名だってね、雪絵さんから全部話を聞いたんですよ。それに雪絵さんに、ずいぶんぶっきらぼうな態度を取っていたじゃないですか。まるで、奴隷みたいだ。そういうのパワハラっていうんですよ。僕だって知ってますよ、それくらい」
「生意気言うんじゃないよ、お前のようなガキにうちの商売の何が分かるんだよえっ」
 普段ならこんなオトナに怒鳴り込まれたら、ビビるだろう。しかし今の金沢時夫は違っていた。人生で始めて、命をかけて守るべき人ができた。
 真後ろで押入れに隠れている白井雪絵。たとえ、相手が大量殺人者であっても、俺が戦って彼女を守ってやる。
「商売って何ですか。そりゃ僕は見ての通り餓鬼です。でもね、雪絵さんを殴ったりしてる奴に、商売がどうとか言われたくないですね」
「あ”? 何言ってんだ? おいお前!」
 イカれ和菓子屋店長は時夫の胸倉を掴んだ。
 こんな騒動になっても、隣近所の住人は様子を見に来ようともしない。きっと、そんなものなのかもしれない。誰も、巻き込まれたくないのだ。
「知ってるんですよ。僕。昨日公園であなたが何をしてるのか見たんです」
「何か勘違いしてんじゃねえのか? テメェは」
 とうとうテメェ呼ばわりか。早口のべらんめえ調で、どんな頑固和菓子屋だ。
「これから警察でも何でも行くつもりですよ」
「……ちっ。しょうがねぇな。お前ちょっと表出ろ。そこ閉めろ!」
 店長は乱暴に手招きして、時夫を外へいざなった。
「嫌ですね。僕をどうするつもりなんですか」
 こうなったらとことん強気で行くしかなかった。
「何もしやしねぇよ! お前ちょっと勘違いしてんだよ。いいから早く出ろ! 中に居るんだろ。あいつ。……聞かせたくねぇから外で話しよう」
 そういわれて、時夫は覚悟を決めた。
 ドアを閉め、廊下に出る。しまった、傘を持ってくるのを忘れた。
「アレの主人は俺だ。アレをどう扱おうが俺の勝手だ。そもそも人間でもないものに人権なんかある訳ねぇだろ。そうだろ!」
「人間でないなんて……とんでもない事をいうじゃないですか、店長さん」
 コイツは人間のくずだ。
「お前、店頭に置いてある菓子細工の雉、見た事あるだろ。だが、今はない。あの雉、撤去したんじゃないんだ。おととい、勝手に居なくなったんだよ」
 なぜ今その話題だ? 時夫は沈黙していたが、店長は時夫の表情を見ながら話を進めた。
「雪絵はな、俺が作った菓子細工なんだよ。原料はな、うちの看板商品『乙女の恥じらい』と同じ、知ってるだろ。それが、命を宿して月の光を浴びて熟成させてるウチに、次第に人間らしく振る舞うようになったんだ。あいつは月の光を浴びて生きている。最初は……人間の真似をしているだけの人形のような存在だった。だけど、どうもお前に出会ってから、次第に人間化が加速しちまったようだな。本人も、本当の人間と錯覚するようになったらしい。だけどあれは、本当はショーウィンドウの菓子細工と一緒なんだよ!」
「はぁ?」
「だから人間の格好してるせいで、人間の気持ちを吸収して熟成が進んだんだ。そこは俺の計算違いだったんだがな。実験だったんだ。ま、一種のアンドロイド店員みたいなつもりで作ったんだよ。よくあるだろ、店頭に置かれた受け答えするロボットが。それが急に、血が通った人間のように感情を持った。そりゃお前の、雪絵に対する特別な思い入れのせいじゃないかと俺は睨んでるんだよ」
「……えっ、えええ?」
 時夫は何度も何度も後ろを振り返り、たった今店長が言った「それ」がいるアパートの部屋の戸を見返した。
 店主はずっと雪絵をモノ扱いしていた。それが、頭のおかしい店長にとっては、雪絵は菓子なのだから当たり前だという事なのだろうか。
「分かったな? お前に指図なんか受ける筋合いはねんだよ! 何も知らないくせに余計な事に首を突っ込むじゃねえ! 分かったか?」
「ふざけないでくださいよ。僕が子供だからって馬鹿にしてるんですか!? 僕は見たんですよ。あなた、昨日公園で人殺しましたよね。これから雪絵さんと一緒に警察に通報しに行きます。あなたが毎晩毎晩、あそこで通り魔をしてるって事を告発するためにね!」
「おいっ、このヤロウ……何言ってやがんだッ!?」
 逆上した店長は再び時夫に掴みかかってきた。
 クッ、殺される……。
 胸倉をつかまれた時夫は、押してくる店長を押し返した。小柄とはいえ凶暴な顔つきの店長を相手に……いや、違う。店長は思い切りのけぞって、時夫が手を離すとドサリと倒れた。全く力が弱い。大人とも思えないほどだ。
 大の字になって倒れているイカれ店長は、ぴくりとも動かなかった。そんな馬鹿な。時夫はほとんど力を入れてなかったのだ。大の大人相手に、押し返しただけで倒れてしまうものなのか。押し問答で、店長は大声を発していた。もしも、アパートの誰かに気づかれでもしたら。
 後ろの戸がギィと開き、雪絵が出てきた。今のところ、ドアが開いたのはこのアパートでうちだけだった。
「……なんてことだ」
 大変な事をした……。人生破滅だ。こんなことになるなんて。いいや事故だ、これは事故だ! 幸い血は流れていない。だが、店長に脈はなかった。
「死んだの?」
 がちゃりと戸を閉め、雪絵がコソコソと出てきた。
「死んでる。俺は人を……人を殺してしまった! 違うんだ。店長が胸倉を掴んできて、押してきたから僕は押し返したんだ。そ、そしたら」
 時夫は声を押し殺しながら説明した。
「他の部屋の人はまだ気づいてないみたいですよ。心配ありません。今のうちなら、二人でセントラルパークまで死体を運んで、キノコ畑に埋めてしまいましょ」
 雪絵はひそひそ話しながらにっこりした。凄いこと言う。
 今は雪絵の度胸が、時夫には信じられない。だけど、雪絵は時夫の不安を一蹴するかのように、喜び、ひたすら感謝していた。
 最初に会った頃の、青白い蝋人形のような彼女よりも、一層人間らしく。人間らしくだって? 時夫自身も、彼女の不自然さに気づいていたんじゃないのか。雪絵の覗き込むような視線が、時夫の返事を待っている。
「……しかし、どうやって運ぶんだ?」
「うちの会社の倉庫に、古いリアカーがありますから。今から急いで取って来ます。あっそうだ。それまで、あそこのビニールシートをかけて、店長を隠しておいてくださいッ!」
 雪絵は迷う事なくそう言うと、すみやかに店の方へ向かって走っていった。こんな体験雪絵も始めてだろうに、何という手際のよさだろう。
 雪絵の指示通り、時夫は店長を物陰まで引きずっていくと、ビニールシートで隠した。辺りはシンと静まり返っている。
 イカれ和菓子屋店長が言っていたこと。雪絵は、本当に命を宿した菓子細工なのだろうか? いや、そんな訳あってたまるか。
 雪絵が満面の笑顔で、リアカーを引きながら戻ってきたのは三十分後だった。なんて元気でうれしそうなんだ。店長の事故死という衝撃にも関わらず、彼女は解放された喜びを全身から感じている。手際のいいことにシャベルも持っている。これは、店長が使っていたシャベルかもしれない。
 ともあれ、時夫は無我夢中で店長をリアカーに担ぎ上げると、二人で人目を気にしながらセントラルパークまで引いていった。
 巡回パトカーが一台後ろから通り過ぎていき、時夫は血の気が引いた。
 無事、遺体をキノコ畑に埋め終えたとき、深夜二時半を回っていた。その夜は醒めた弁当を温めなおし、遅くなった夕食を二人で食べて、長い一日が終わった。
 とうとうやりきったぞ。これで、雪絵は僕のものだ。二人で横暴な暴君店長と戦い、打倒、遂に自由を勝ち取った。もう二度と彼女を苦しませない、離さない。
 だが、二人で同じ部屋に寝るのははばかれる。男女七歳にして席を同じくせず。なんでこの部屋はこんなに狭いんだ? 一人のときは何も気にならなかったのに。
 これは本格的に困ったぞ。キッチンで寝るしかないか、いや……チョット待てよ。
 時夫は押入れを空けて中を覗いた。何かを思い出そうと、じっと固まっている。
「心配しないで欲しい。今日はゆっくり眠れるよ」
 しばらくして時夫は微笑んだ。
 最初に大家に会った時、言われた事を突然思い出したのである。
 押入れから急いで契約書を取り出してページをめくり、雪絵に見せた。そこには、大家の走り書きが記されていた。
「やっぱり……」
「何がです?」
「大丈夫だよ。ここで寝てくれて。この部屋、前は隣の部屋と一緒だったみたいなんだ。それを大家が二つの部屋に改造した。つまり、この部屋は隣部屋と繋がってるんだ。隣に人が入居してなければ、そっちを使ってもいいって大家に言われてたんだよ。変わった提案なんで、すっかり忘れてたけど」
 時夫は今まで「隣部屋」を使用したことはなく、その「普段忘れている部屋」を、覗いたこともない。入居した時点で、大家の話はほぼ忘れていたのである。
 押入れの壁には確かに戸があった。いつもそれを見ていたはずだが、壁の一部としてしか認識していなかった。
 開けてみると、真っ暗ながら全く同じ作りの畳敷きの部屋がある。隣部屋だ。灯りもちゃんと点く。少し埃っぽいが、時夫は予備の毛布を持ち込んだ。
「本当だ。凄いね……」
「僕はそっちで寝るから。じゃあまた明日」
 時夫は笑顔で戸を閉めた。
「お休み」

 「この死体を埋めよう」と君が言ったから今日は死体隠滅記念日
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