第3話 菓匠白彩の雪絵

文字数 3,804文字

 街路樹のメタセコイアの枯れ葉が舞っていた。
 時夫は恋文銀座へと向かった。大分元気になっていた。ずんずんと、駅へと歩いていった。海外旅行もいいけれど、たまには家の近所を探検してみるのもいいものだと、再び感慨に耽る。
 年末なのに人気の少ない町だ。有り体に言って恋文町はゴーストタウンなのだろうか?
 ふと電柱に眼が留まった。普段は電柱など気に求めない。その電柱には、「佐藤孝之」と名前が書いてあった。一体何の名前かは分からない。
 隣の電柱にも、その隣の電柱にも名前が書いてあった。ひょっとすると持ち主の名前か? なぜかみんな佐藤姓だ。
 商店街はチェーン店以外、どこもシャッターが下りている。閑散とした中、いくつかの店が賑わいを見せていた。
 洋品店のショーウィンドウに、四体のマネキンが並んでいた。そのうち二体は、石川うさぎと古城ありすに似ているような気がした。
 そしてもう一体のマネキンを見て、時夫は驚いた。真っ白な美しい顔立ちの、伊都川みさえに似ていた。
 最後の一体は……もの凄く長い黒髪のマネキンだった。何か奇妙に引っかかったが、その外見に見覚えはなかった。
 めまいを覚えつつ、その感覚が何なのか考えながら、空を見上げた。
 電線が空を埋め尽くし、景観が悪いだけだ。日本は先進国の中で、電線地中化がもっとも遅れている。
 道路に沿うように、駅の方角から超低空の雲が目の前を飛び去っていった。------なんだありゃ? まるで、觔斗雲(きんとうん)だ。
 時夫は、雲が流れてきた方向へ歩いていった。
 交差点に、目立った和菓子屋がある。その名は「菓匠(かしょう)白彩本陣」。時夫が前から気になっていた店だった。
 背後に大きな工場がそびえ、工場の巨大な煙突から白い煙がもくもくと流れ出ていた。雲はこの煙突から流れ出て、奇妙な動きをして飛び去ったものらしい。
 もともとこの店とアンバランスな煙突の存在は前から知っていたが、その二つが同じ店のものだという事実には、昨日まで気づいていなかった。普段は通過するだけで足を止めたことはなかったからだ。
 最後の登校日に帰宅した際、その正体をまじまじと見上げて、これだったのか、と唖然としつつ納得した次第だ。
 和菓子屋に、どうしてこんな巨大な煙突が必要なのかは分からない。この町にはもう一つ、巨大な煙突が存在するが、そっちの正体はまだ掴めていない。
 店を眺めていて、時夫は張り紙の存在に気づいた。
 「ザ! TVオリンピック」という番組で、和菓子王選手権でよく優勝する店と記されている。「白彩」は、テレビで紹介されていた店だった。そういえば、テレビで観た記憶がある。だけど、こんな近所にあったのか。これまた、恋文町の新発見だった。
 この店は、駅から少し離れた場所にあり、恋文銀座商店街の駅と反対側の入り口付近に位置する。ショーウィンドウケースには、見事な飴細工で作られた美しい雉が飾られていた。まるで、はく製のように生々しい。これが、店主をTVオリンピックで優勝に導いた匠の技なのである。
 他にもうさぎやカエル、カブトムシや蝶々まで、不気味なほどリアルな造詣で並べられていた。ガラスケースに並べられた菓子細工は、どれもこれも生きていると錯覚を起こす水準だ。食欲が沸かないほどのリアリティ。薫製のようで、これが全て和菓子で出来ていると思うと、少々気味が悪い。
 時夫の真の驚きはそれではなかった。ショーウィンドウ越しに見えた店内。ここからでも、ショーケースに上品な京都風の和菓子が並んでいるのが分かる。その奥に、肌が透き通るように白く、ほっそりとした女性の店員が立っていた。
 そんな、馬鹿な------。
 今日出会った、第三の少女。それは、伊都川みさえだった。
 いや、みさえであるはずがない。
 みさえは、地震で死んだはずだ。
 それによく考えると伊都川みさえは、中学時代テニス部部長で、肌が小麦色をしたスポーツ健康少女だった。ちょっと違う気もする……。もっとよく見たい。
 店に入ると、目の前の女性は、みさえにそっくりな雰囲気を漂わせながらも、魔法をかけられ、永久に溶けない雪の結晶のように肌が真っ白で、全く生気がなかった。この人は、まるで日陰で育った花のようだ。
 もしかして「みさえ」があの世から彷徨い出て、この世に戻って来たのだろうか。そんな錯覚にさえ陥ってしまう。
 伊都川みさえとは同じクラスには二度なったが、中学時代、それほど話をした記憶もなかった。思い出しても、数えるほどしかない。
 その後、大震災で彼女は死んだと聞いた。
 信じられなかった。後悔先に立たず。どうしてみさえともっと親しくしなかったのだろうか。
 店員は明らかに「その人」ではなかったが、面影の残る彼女が今、時夫の目の前に立っていた。年齢もみさえが生きていれば現在十五歳程度、ほぼ同じくらいだろう。
 彼女は、冥界から戻って来たみたいに、この「白彩」に存在していた。
 近くで見ると、透き通るように白く、儚げな表情だった。名札を見ると、「白井雪絵」と書かれている。やはり、別人か。ま、当たり前だ。
 時夫は話しかけるのも不自然だと思い、黙々とショーケースの中の生菓子を眺めた。
 「めありん餡」という餡子玉のような菓子。
 「木洩れ日」、「朝露(あけ)」、「初耀(はつあかり)」、「春霞(はるがすみ)」、「夕紅」、
「秋茜」、「夕涼」、「月代」、「爽涼」、「淡雪」、「飛花」、「淑気」、「樹氷」……「金曜の鍔(つば)たち」?
 そして、「遠山胡蝶」。
 商品説明によると、荘子の「胡蝶の夢」という話から取った名前らしい。

 ある日、男が蝶になる夢を見た。眼が覚めると、自分は蝶になる夢を見たのか、それとも蝶が自分の夢を見ているのか、分からなくなった-------。

 時夫は今朝方、自分が蝶になった夢を思い出した。これも一種のシンクロニシティだろう。
 皮肉なことに、「他人の空似」というお菓子まであった。
 どれも上品かつ繊細で、説明文によれば、金沢菓子の系統らしい。
 その中でも一つ六百円もする「乙女の恥じらい」という和菓子は、数々の賞を受賞した銘菓だという。
 末広がりの衣が、女の子の顔を半分包み込むように隠している造詣で、その生地ははかなく、キラキラと光っている。繊細で透き通るほど白く、美しい。白井雪絵その人のようだった。
 もうひとつ、この店で目立ったのは、肉まん系統の充実ぶりだ。豊富な種類を誇ったそれらは、店内の一角で、大きな存在感を出していた。
 結局時夫は、銘菓・「乙女の恥じらい」と、ひし形で三段の色の違う半透明の菓子と、紫の蝶が上に載っている菓子の三つを選択した。そこで始めて彼女に注文した。
「……『乙女の恥じらい』と、『春吹雪』と『遠山胡蝶』で、ございますね? かしこまりました」
 顔、体型がそっくりなら、声もそっくりだった。彼女の声を聞いていると、本当にみさえが生きているような錯覚を覚える。
「こちらの『宝石チップス』はいかがですか? 当店でしか扱っていない新商品でございます」
 彼女にお勧めされるまま、「宝石チップス」も購入する。色々な色合いで透けている不思議なチップスだった。
 なんという一日だろう。
 今まで、この恋文町に興味を持たなくてうかつだった。うさぎ、ありすだけではなく、伊都川みさえにそっくりの少女までこの町に存在したなんて。
 すっかり体力が戻っていた時夫は、店の席に座って「乙女の恥じらい」を食べることにした。
 外側は牛耳のような食感と柔らかい部分が混ざり合い、すぐに中に隠された甘酸っぱい餡が口全体に広がり、すっと溶けていく。
 ……う、うまい! 信じられない。
 こんなうまい菓子は、時夫は洋の東西問わず食った事がない。
 「乙女の恥じらい」は、時夫のこれまでの人生で食べた菓子の中で、最高のうまさだった。あとの二つと宝石チップスは家に帰るまで大事にとっておこう。値段もそこそこだが、コンビニの和菓子とは繊細さが段違い。一体何がそんなに違うのだろうか。……砂糖か?
 むろん、それだけが時夫を魅了した訳ではなかった。食べている最中も、時夫は完全に店員に心を奪われていた。もしみさえが生きていたらという錯覚に陥ってもやむをえないほどの女性店員に。
 そこへ、厨房から白彩の店主が現れた。
 詰襟の白い服を身にまとい、オールバックに髪を撫で付け、店内を眼光鋭く見渡す。推定五十代。やはりテレビで観たことのある人物だった。
「オイッ、また砂糖寝かせるタイミングを間違えたろ。毎回毎回、お前何やってんだっ?」
 雪絵を見て、ぶっきらぼうな指示を出した。
 時夫をじろっと見たきり、無愛想なまま挨拶もしない。テレビでも、ちょっととっつきにくそうな顔の人物だったはずだ。それがテレビ向けではなく、店主の本性なのだと今日時夫は分かった。
 そう。この店主は、時夫という客がいる前で、彼女に「この、できそこないが!」と暴言を吐く暴君だったのである。
 いや、そのまましばらく観察を続けていると、店主は他の店員には優しいかった。彼は、白井雪絵にだけ、酷く当たっていたのだ。
 ……こいつは、許せない。
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