第65話 ショゴロース テ、テケリ・リなんて鳴いてなんかないんだからね!

文字数 12,489文字

「気になることがある」
 ありすはそう言って、四人で出かけることにした。雪絵を一人残すことはできず、常に団体行動しないと危なかった。
 いい天気だ。空が青い。少し肌寒いが、小春日和である。
「……で、一体何が気になるんだって?」
 外見上、いつもの平静を装っているこの恋文町という町-----。
 だが一皮めくれば、裏の顔が飛び出してくる。すなわち「不思議の国のアリス現象」が、今か今かと街角から四人の前に飛び出そうと待ち構えているのだ。
 もうこの町は外見とは裏腹に、「平凡な町」でも何でもない。すぐ近所にも、二度と近寄りたくない小さな森があった。
「ちょっとその前に」
 ありすを先頭にたどり着いたのは恋文セントラルパークだった。
 昼間の公園は、一見してやはり平静を装っていた。
 しかし何かが奇妙だ。人でごった返している。
 彼らはみな、平和の象徴・鳩のように、いや鳩そのもののように首を振って歩いていた。その眼つきは全員、洗脳でも受けたようなどんぐり眼で、まるで「知性」が、感じられない。
 彼らは、鳩にされた人間、いやそうではなくて、鳩が人間の振りをしているだけのように見える。ありすは終始彼らと眼を合わせなかった。
「この公園、六月頃になるとヤマモモがよくジョギングコースに落っこってんだよね。拾ってジャムにすると美味しいんだよ」
 ウーが作る薔薇喫茶のメニューの一部は、いつもここで調達しているらしい。
「どんぐりコロコロどんぶりこ♪ お池にはまってさぁ変態♪」
 ウーはどんぐりを拾い始めた。
「むかごゲットォオ。むかごご飯にしよう」
「お菓子になってると思うよ」
「ハイキングじゃないわよ。あ……ドクダミゲット」
 ありすまで……。
 林の中の光る茸畑へ行くと、大人一人分の縦長の大穴が開いていた。
「これ、どうやら茸の『親株』が這い出してきた跡みたいね、つまり本体が復活したみたい」
 雪絵と時夫が埋めたあの白彩店長だ。だとすると今、白彩は女王の計画実行へ向けてフル稼働だろう。
「なんでこの茸、ここでしか栽培できないんだろうな」
「『生やす』からなのよ。林っていうのは、『生やす』から来ている。林はもともと人間が植林して人工的に作ったもの。だから栽培には『生やす』という意味論が働く林でないとダメなの。一方、森っていうのは、木が勝手に『盛り上がる』、から来ている」
「あぁそういうことか……」
「やはり、ここは地下への入り口は埋まってる」
 ありすは中央公園の地下通路を探ろうとしていたようだ。公園の南側にある花時計広場にあるはずの入り口が塞がっているのを匂いで感じ取ったらしい。
「地下世界への出入り口は、恋文中央公園の池、薔薇喫茶の床下にあるらせん階段。恋文はわいのお風呂、時夫ん家の近所の小さな森の沼、ぐるぐる公園、あたし達が地下から出てきた自販機。恋文図書館。それと、時夫のアパートね」
「俺んちは確定か?」
 最後のは時夫にとって嫌な話だ。
「おそらくね。だって匂ったし。ま、あたしが知ってるのは大体こんなトコ」
 小さな森とぐるぐる公園は、まだ無限たこ焼きの結界で封じていない。それ以外は全部塞がっているはずだ。……そして時夫のアパート以外は。
「ねェ、マンホールってどうなの? 町中にあるけど」
 ウーが訊いた。
「……今のところ、地下の連中がマンホールを利用した形跡はない。でも、これからは分からない。おかしな国現象が始まってしまったら」
 不思議の国現象の最終形。それこそが、町全体がお菓子となる「おかしな国現象」なのだ。
「後は……白彩か」
 白井雪絵が視線を落として、何か考えことをしていた。
「そうね。……ン?」
 ありすは池の水面が揺れたことに気づいた。四人が凝視していると、にごった色の水の中から、巨大な金色の魚影が見え隠れてしていた。
「この小池、イトウみたいな奴がいるのかも! みんな下がって!」
 ありすは一歩引き下がった。
「な、マジか。じゃもしかして地下のゲートルームが、ここに復活しようとしてるんじゃないだろうな」
「一体、何がいるのよ」
 ウーが不安げに呟いた。
 ゴボゴボゴボ……。
 巨大な鯉の面構えが一瞬見えた。それは、人面魚だった。人面犬がいるくらいだから、恋文町の公園としては当然かもしれない。
「小池だからコッシーかもしれない。小さい池でも侮れないわ。小さな森の例もある。皆、引きずり込まれないように気をつけて!」
「長居は無用だぜ。この公園も、ほとんど白彩の敷地みたいなもんだ。店長が自慢していた。『林』の意味論に加えて、あの光る茸を育てている、風水か何か、計り知れない磁場みたいなもんが関係してるんだろ」
 時夫は、外の道路へと出るようにありすに促した。
「ちょっと待って」
 鳩人が群がってきた。四白眼の眼がめっちゃ怖い。首が無駄に虹色に反射してる。そして猛烈にはと胸で擦り寄ってくる。
「ななな、なんだ!?」
 首をカクカクさせ、ヘディングでつついて攻撃してきた!
「鳩にはコレよ」
 ありすはスマフォでラップのビートを奏でて、撃退した。
「早く行こうぜ」
「えぇ……そうね。あたし、図書館へ行かなくちゃ。でも、ここへ寄ったのは」
 ありすは今度は花時計の前に立った。ここも冬なのに薔薇が満開だった。ここが最終目的地ではなかったらしい。
「ウンベルトA子を図書館へ連れて行くためなのよ」
「えぇ? またあいつかよ」
 時夫にしても、A子とは距離をおきたいところなのに、なぜ何度も呼び出す必要があるんだろう。
「図書館の書庫に行かなくてはいけないのよ。そこにある本を確認したいの」
 なるほど、ありすが言っているのは「荒唐無刑文化罪」のコーナーのことだろう。それなら一度行ったことがあるからお役に立てるかも、と時夫は言いかけて黙った。今も案内できる自信はない。
「でも、警備が厳重化しているかも-----。『立体機動集密書庫』を突破しないといけない。君が前に解き明かして侵入した時とは、異なっている。秘密書庫は迷宮図書館になってるかもしれないし。茸図書館員はさておき、またスネークマンションみたいな迷宮に悩まされるのは勘弁だからね」
 そりゃそうだ。
「それでA子を?」
「そう。あいつの名前はウンベルトA子。ウンベルト・エーコといえば、『薔薇の名前』の著者」
「だから?」
「だから『薔薇の名前』は、中世の閉鎖された社会である、修道院の中で起こった事件を解くミステリーなの。しかも、科術師界の中で、『薔薇の名前』は意味論について論じた最高の聖典っていわれている。その物語の中で、登場人物が塔の中の秘密図書館へ入って探る展開があるのよ」
 「薔薇の名前」は超難解な本として知られている。
「著者のウンベルト・エーコは科術師か何か?」
「モチロンよ」
 何と、ここでA子がまた役に立つとは。
「そーいうこと。分かったかな?」
「なら、薔薇喫茶じゃダメなのか?」
「あそこの薔薇、なんか反応が悪かったから」
 薔薇喫茶の薔薇は、ここの薔薇に比べて、可憐だが小ぶりだった。
「そりゃそうよ。あたしだって、A子なんか召還するために植えてるんじゃないシ!」
 ウーが文句を言った。むしろ、星の王子様を召還したいとか何とか、ブツクサ言っている。
 花時計に咲いているのは実に見事な薔薇だった。
 やはりこの公園、雪絵が月光浴をしたり、光る茸があったりと、特殊な磁場で出来ている土地のようだ。その分、敵にも利用される危険もある訳だが。
「ウンベルトA子、出てきなさいッ。----またバブルの出番が来たわよ」
 とはいえ、古城ありすは今回セブン・ネオンすら持っていなかった。
 程なくして、四人が所在なく突っ立っているところへ、バック転でウンベルトA子が現れた。これが意味論の最高の聖典と繋がってる奴だとは。
「な~に薔薇なんかに話しかけてんのよ。古城ありす、あたしはもう薔薇の擬人化じゃない。シャッター・ガイの兄さんとオールナイトでヨロシクやってるんだからサ」
「じゃここで何してんだ?」
 時夫が突っ込む。
「無論、モノホンのジョギングですわよ」
 誰か、モノホンのジョギングというものはバック転しないとA子に教えてやって欲しい。それとやはり、ヒトモドキはこの公園に戻ってきてしまうようだった。
「-------図書館へ行くわ。書庫に行くから一緒に来て」
「書庫りたい? 別にいいわよ。あたしも閉架書庫で永年保存の逐次刊行物の中で、ホットドッグプレスを借りなきゃいけないシ」

 無駄に図書館にウンベルトA子を引き連れたありす一行は、岡の上にそびえる恋文図書館へとたどり着いた。
 ありすが事情を説明するとA子は、「薔薇の名前」の意味論を察したらしい。
「八十年代の超バブリーなお金のかかった三大史劇映画ってご存知~?」
「黒澤明の『乱』、『アマデウス』、そして、『薔薇の名前』」
 ありすが即答した。
「正解!」
 A子が大きな声を出す。なんでありすは知ってんだ。
「その中で、『薔薇の名前』は、寒々とした修道院を舞台にした歴史ミステリー。記号学者が主役の『ダ・ヴィンチ・コード』が、影響を受けたのも当然だよね。出て来る奴らみんな不気味な茸人らばかりでさ。ジェームズ・ボンド時代、ギラギラしてたショーン・コネリーがシブいGさんになってるのもポイントよ。つまりミステリーを解き明かそうってことよね?」
「だからさっきその話をしてたトコ」
 幸い、図書館は十二月三十日の今日まで開館していた。
 本当にここで、この町の何かが解決するのだろうか? それならありがたい。
 だがもし、サリー女王がまた待ち受けていたらと思うと、時夫と雪絵は気が気ではなかった。ちなみに、ありすによると図書館の穴は埋まっているらしい。
 A子は、塔の中の秘密書庫への鍵を持っていた。だが、どう見てもA子はあまり、図書館という場所が似合っていない。ま、この際そんなことはどうでもいい。
 入り口の自動ドアに、「本日は茸田信玄DAY」の文字が躍っている。
「『たけ』の字が微妙に違うのよねェ……」
「明らかに」
 館内展示の案内のようだ。一階カウンター付近で、武田信玄関係と、茸関連の本がポスターと共に並んでいた。
「まーたなんか、嫌な予感がする……」
 マッシュルーム・ヘアで統一された茸図書館員は、時夫やありすを見ても何の反応も示さなかった。やはり、生まれ変わる茸人に記憶は継承されてない。
 安心したのもつかの間、塔の立体機動集密書庫のカウンター前へ行って、一同は固まった。
 十数人居る茸図書館員達は、ものスゲー武装になっていた。全員、「武田騎馬軍団」か!というような真紅の甲冑を着ている。
 壁に高々と掲示された、「図書館風林火山」の看板。

 スキャンすること風の如し
 並ぶこと林の如し
 クレーム来ること火の如し
 動かざること山の如し

 茸田信玄フェアは、ここに端を発しているようだ。
 それぞれが「風林火山」の旗印に軍配を持っている。展示に合わせたコスプレを忠実に……してはやり過ぎだろうな、これは。
 手に持つ武器は防犯用サスマタではなかった。
 日本刀、長槍、それに火縄銃まである。それらは、例外なく稲光を発する巨大スタンガンらしい。そして全員女なのに、リーダーと思しき女は、付け髭を着けている。コイツが茸田信玄か?
「図書館でこんなモノを」
 時夫の顔こそ個別に認識できていないらしいが、前回の苦い経験が申し送りされているらしい。
「平気でエゲつねーことしてきやがる」
「突破するのは難しいわね」
 誰もインカムは持っていないので、他のカウンターへの応援要請は時間が掛かるかもしれない。だが、代わりに巨大なほら貝を持っているのを確認した。こんなものを吹かれたら、援軍が一挙に集結してくるだろう。この様子では、いくらでも増えそうだ。
「貴様ら、『火蜜恋文』を盗んだな? ただちに返却しろ。さもないと臨時閉館して貴様ら全員一冊残らず爆書する」
 「茸田信玄」が時夫に気づいた。
「人を本扱いするな」
「茸狩りを始めるわよ!」
 躊躇なくバック転で飛び込んでいったA子は、ジュリ扇を仰ぎ、嗅ぎ薬で茸図書館員を眠らせた。眠らない奴はバブル爆弾で黙らせていった。
「爆書を始める! クセ者共を速やかに業務貸し出しにしろ! 装丁し直して閉架書庫にしまい込むんだ!」
 ジュリ扇と敵将の軍配が、激しくぶつかり合った。
 火縄銃が一斉に火を噴き、バブル爆弾が宙で炸裂した。眩い閃光で、カウンター上の備品類やブックトラックに積載された書籍が吹っ飛んだ。
 ジュリアナ無双、ウンベルトA子!
 昔のジェームス・ボンド映画みたいな大味なアクションで、A子はハイヒールで茸人を蹴り飛ばし、畳んだ扇子で張り倒していく。
「響く、響くってば!」
 ありすが慌てていると、ウーが敵のほら貝をひったくった。ウーは書架を走り回り、笑顔でほら貝を吹き始めた。
「ヴォオォーッ!」
「ちょ、馬鹿!!」
 ありすが慌てて、ウーからほら貝を取り上げた。
 五人の茸人のスタンガン武器が青い稲光を躍らせながら、一気にA子に振り下ろされた。A子は腰を振り、ジュリ扇を振りながら、スタンガンを避けている。
「……さすがアダマンタイト製ジュリ扇!」
 ありすは関心している。
「超合金って呼びな。てーい!」
 最後に抵抗した五人の頭部を叩くと、あっさりと倒れて死んだ。
「どりゃ----------ッ!!」
 時夫は迫ってきた軍団に向かって、消火器を発射した。視界を奪われた敵にジュリ扇が襲い掛かった。
 瞬く間に、十数人の茸の死体の山が築かれてしまった。全くド派手で困る。
「ったく近頃の茸と来たら……」
 以前よりも警備が厳重化していたが、茸図書館員は女王直下の戦闘員であったウンベルトA子の敵ではなかった。それにしてもヒトモドキという奴は、ヒトモドキに冷酷だ。A子も薔薇ヒトモドキに他ならない。
「前は、キーワード『アドソ』で、立体機動集密書庫の自動制御を解除できたんだけど」
 時夫はそわそわしながら言った。今の騒動で、援軍が駆けつける可能性があった。
「とっくに変わってるわよ、そんなの」
 A子がキーワードを試すと、やはり変更されていた。
 ありすは、ウンベルトA子にしか開けることはできないと考えているようだ。
 おそらく、ウンベルトA子こそが白彩の手先としてこの図書館で暗躍していたからであろう。しかし今はありすの一味、白彩および図書館にとっては裏切り者だ。
 A子は、書庫には正面でない入り口があると言った。改装前の出入り口だという。そこから、設計者しか知らない秘密通路を通って内部に侵入するのだ。
「恋文図書館バックヤードツアーの始まり始まり~……!」
 A子は鉄扇でメンバーを煽る。
「二回目だけどさ、俺は」
「いよいよダンジョン攻略か」
 ウーはキョロキョロしている。
「みんな、命をささげる心の準備はいいかーい?」
「ささげねーよ!」
 足元でカサッと音が響いた。暗い通路の足元に、古い茸の破片が散らばっていた。
「書庫が自動状態のとき、間違って足を踏み入れた茸図書館員の成れの果てね」
 すでに全員が、立体機動集密書庫内に入り込んでいた。
「マニュアルになってないんじゃ、下手したら機動集密に内部でつぶされるぞ。逃げ場もない」
 時夫は足を止めた。
「それか……集配ロボットのアームに異物としてつまみ出されるかね。You Guys! ちょーっと動かないでくれる?」
 先頭を行くA子が、書庫内に突き抜けた高い天井を見上げる。
「なんつーか、ダイハードのジョン・マクレーン刑事みたい」
 とウーがブツブツ言って、一歩下がった。その瞬間、両サイドの棚が猛スピードで迫ってきた。
「しまっ……」
 A子は風船を膨らまして棚を制止すると、全員で、ギリギリ廊下へすり抜けた。
「キャアア……!」
 その直後、棚から延びた金属製の長い二本のアームが、ジタバタするウーを抱え上げた。
 アームは後方に回転して籠の中にウーを放り込んだ。集配ロボットだ。
 赤いカメラレンズが光ったロボットはグルッと向きを変え、近くに居た時夫に狙いを定めた。
「たこ焼きの中にたこ焼きがぁーッ!」
 ありすは無限たこ焼きを撃ち、ロボットはアームと中枢を破壊されて制止した。
「オイ!! フンボルト・ペンギン!」
「ペンギンじゃねーし」
「ウンコベルト!!」
 ベシッ。時夫はジュリ扇ではたかれた。
「……イッテーな」
 超合金で死んだらどうする!
「今度言ったら、床に散らばってる茸図書館員を栄養ドリンクに煎じて飲ますよ」
「どうするんだよ、もう戻れないじゃないか。このままじゃ全員死ぬだけだぜ!」
 時夫は詰め寄った。
「にぶい男だねェ! これよ」
 A子は棚に備え付けられた端末のフタを、カパッと開けた。
「来てます来てます、来まくりやがってます!」
 A子は長い爪の両手を広げて、いにしえ(※バブル期)の超魔術の真似事をしていたが、唐突に数字を入力してゆく。
「08335963」
 内部のメンテナンス用システムは、古いキーワードで変化してなかったらしい。
「お・や……すみ、ごくろーさん------。あーッそうか、バブル期のポケベル暗号ね!」
 ありすが意味を解読した。
「ホラこれで、自動制御をマニュアルに変更できたわよ」
「先に言ってくれよ……」
「んじゃ、バイナラ。セブン・ネオンがないから、あたしの拘束はここまでね! さーってと、ホットドッグプレスをゲッチュして、ラウンジではちみつレモン飲みながら久々読書に耽(ふけ)よっかなっと」
 時夫がこっそりとその後を着けると、A子はカフェの席にどっかりと腰を下ろして、積み重ねたバックナンバーを上から読み始めた。かの極彩色の時代に浸るべく、もう誌面から目を離さない。
 ……薄情な奴! その中の一冊に、「週刊ヒトモドキ」があるのを時夫は見逃さなかった。どこが発行してるのかちょっと気になる。
 A子不在で、本当に大丈夫なのか。もしも、秘密書庫の中で不測の事態に見舞われたとしたら、四人はどうなる。ていうか、何もないことを祈る。

「荒唐無刑文化罪」
 かつて、人類史上これほど荒唐無稽を著した著作はなく、著者はA級荒唐無稽文化罪により処罰、南極に流刑となり、これらの書物は、世界百九十三カ国で発禁処分となった。

「でたらめだよな、こんな説明。一体誰がこんなものを作ったんだか知らんけど」
 時夫はその軽佻浮薄な文章を一瞥して言った。
「この図書館の司書よ」
 ありすが答えた。
「基準がよく分からないんだよな。このコーナーの基準が」
「こんなコーナーに入れるのは、逆にいうとノーベル文学賞を受賞するより難易度高いんじゃない?」
 ウーのコメントはほぼ茶化しだ。
「は……はぁ」
「つまり、恋文町にとって都合の悪いものを隠している。この図書館は、かつては地下へのゲートも存在した。そこへ隠密行動を取って出てきた女王は、本来、味方であるはずの図書館員たちさえも気づかないほど、その気配が変わっていた。そのために、単純な動きしかプログラムされていないヒトモドキたちは、自動防衛システムのように動き、女王の書庫への侵入を許さなかった。ま、それを金時君が手を貸しちゃったんだけどね」
「わ、悪かったな……」
 だがそうまでして女王が地上に出ているとは、あの時までありすにも予想外だったようだ。
「俺も気になってたことがあるんだが、恋文町で、なぜラブクラフトが隠されてるんだろう? この図書館だけじゃない。駅前の本屋『明石区』にも全くなかった」
 H・P・ラブクラフト。
 彼が作った「宇宙的恐怖」(コズミック・ホラー)の世界観は、仲間たちや弟子たちにシェア・ワールドされ、やがて「クトゥルー神話」として体系化されていく。
 その弟子の分も含めて、この「荒唐無刑文化罪」コーナーにまとめて置かれていた。表向きは、存在を消されている。
「ラブクラフトが何故この町で発禁処分なのか、だけど-----。それはもちろん、白彩に都合が悪いことが書かれているからよ。ここの司書たちが店長に言われて隠した」
「でも、フィクションだぜ? どんな都合の悪いことが書いてあるんだよ」
 時夫は好きで中学時代、学校図書館や町の図書館でよく借りて読んでいた。文庫本を買い揃えたこともある。もっとも恋文町に持ってきたのは、旧支配者が萌え化したライトノベルだったが。
「往々にしてフィクションに託して、真実が隠されているものなの。作家はオブラードに包んで、文明批評やメッセージや大切なこと、そしていわくいいがたい出来事を書こうとするものよ。『不思議の国のアリス』だってそうでしょ。ラブクラフトよりもっと荒唐無稽だし。でも金時君はこの町で、『不思議の国のアリス現象』を体験した」
「……その真実って?」
「金時君、ラブクラフトの『狂気の山脈にて』は読んだ?」
「うん」
 ありすは他の二人のために、簡単に内容を説明した。
「南極大陸でかつて、宇宙から来た旧支配者たちが作った超古代都市が存在した。その時に、旧支配者は労働者としてショゴスという奴隷をテレパシーで使役した。いろいろな形に変わることができるショゴスは、肉体労働で都市の建設に使われたんだ。けど、やがて知性を獲得して、旧支配者に対して反乱を起こした」
 そういえば、「ぷらんで~と恋武」の大理石に、旧支配者とショゴスの戦いがそのまま化石になったような模様が刻まれていたが、まさか-----。
「恋武に使われた大理石は、そこの石が流通した結果、たまたま恋文町にたどり着いたものよ。もちろん、今となってはたまたまでも何でもないけどね」
「ショゴスか……テケリ・リ!の鳴き声で有名だけど、ひょっとして」
「な? 何でそんな目であたしを見るのよ。あたしの携帯の着信音のこと言ってんの?」
 ウーの着信音のテケリ・リは、天然だろう。
「まさしく、カレル・チャペックの『山椒魚戦争』の世界。映画『遊星からの物体X』、そして原作の『影が行く』は、南極で氷解したショゴスの反乱と人類の戦いを描いたSFなのよ」
「え? 実際に?」
「ま、金時君もそのうち観れば分かるかもね」
 タイトルは知っているが、時夫はまだ映画を見ていない。
「確か、北で見た『白っぽい恋人』のパッケージに書かれていた成分、ショゴロースでしたね」
 雪絵が時夫に言った。
「ショゴスのことか! ショゴスが、何か関わってるんだな? この町の秘密に」
「その通りよ、マイケル・ジャクソン風にいうとThis is it!」
 ショゴス、ショゴロース。ヒトモドキたちの正体。その辺りの謎が全て明らかになろうとしていた!
「ショゴスは中国の黄山で、冬人夏茸と化していた。およそ一万年が経過し、かつての自己の姿を忘れた。冬人夏茸、つまり茸人のことよ。そして冬人夏茸から抽出された砂糖が、ショゴロース。白彩の和四盆なのよ」
「なんだって……」
「でも、どうして中国の奥地に?」
 ウーが訊いた。
「それは、『ルルイエ異本』に謎の答えがあるはず。元のタイトルは『螺湮城本伝』。ミスカニトック大学に所蔵されてるらしいけど……」
「ミニスカ特区?」
 ウー、言うと思った。
「ミスカニトック大学ね。探しましょ。この近くにあるはずよ……」
 このコーナーは、大きな棚一つ占領するほど広かった。四人は手分けして探した。
「ありました」
 雪絵が発見した。彼女にとっては自分のアイデンティティに関わる話でもある。
「やっぱりこんな所に……。この本に全ての謎の答えがある」
 ありすは古文書を開いた。内容は漢文だった。
「夏王朝時代に、甲骨文字で書かれた『螺湮城本伝』。この本こそ、伯益の『山海経』のオリジナルよ。それをヱイモス・タトルが写本を見つけて、ヨーロッパに紹介した。最後はミスカニトック大学に所蔵された。これは、別の写本のようね。……九頭竜(クトゥルフ)と、その眷属たちについて書かれている。螺湮城(ルルイエ)は、崑崙大陸(ムー)にあったんだけど、沈没し、『深さ三百仞』の海の底に沈んでいる、ま、ぱっと見たとこ、そんなことが書かれている」
 ありすはパラパラと本をめくった。さすが漢方師、漢文が読めるのだ。ただ完全ではないらしく、本を眺めて眉をひそめている。
「つまり、元はムー大陸か?」
「ウン。ムーの磁場は、彼らにとってとても住みやすかったらしいわ。でもそのムー大陸は沈んでしまった。そこから、一部のショゴスが中国大陸に逃げて、きっと黄山の磁場が居心地が良かったんでしょうね。茸の姿で一万年も過ごしてる内に、いつか自分自身のことを忘却しちゃった」
「ふ~ん、その次は恋文町のセントラルパークの磁場が良かったと……」
 これまでずっと、時夫はラブクラフトの本を、フィクションだと思って生きてきた。いやまぁ、普通はそうなんだけど、ミスカニトック大学なんてアメリカに存在しないし、「ネクロノミコン」だの旧支配者だの、すべてフィクションの作りことであるというのが世間の常識だ。ミスカニトック大学や架空の地名や人名たちは存在しない。だが、ラブクラフトが小説を何らかの情報をヒントにして、それを元ネタにして書いたのだとしたら――。
「てことは……」
 時夫は棚を丹念に眺めた。
『根黒之魅昆(ネクロノミコン)~死霊秘法~』
「やっぱりあった! ネクロノミコンだ」
「読んじゃダメ。本を閉じて棚に戻して」
「はい」
 時夫は本をパタンと閉じた。
 この街からラブクラフト全集を抹殺していたのは、白彩店長を筆頭とするヒトモドキ図書館員たちだ。この町のショゴロースの秘密を探られないために。茸達は町中の書店や古本屋からも取り除いた。ショゴス、すなわち冬人夏茸にとって、恋文セントラルパークの磁場がいいということを、他人に悟らせないためだった。
「ショゴロースは茸(ショゴス)から抽出し、さらに、独立した生物と化すことができる。それだけじゃなく、ショゴロースを使って、浚った人間たちをショゴス同様に操ることができる。それが、彼らが電柱に変えられたり自由に姿を変えられてしまった根本の理由よ」
 ありすの言葉に、雪絵が暗く沈んでいた。
「雪絵さんは、月の光を得て人間化し、さらに金時君の愛で、唯一無二の雪絵になったの。そこまでの存在になるなんて、店長も女王も気づいていなかった。それはもう単なるショゴスなんかじゃなくて、『人間』として、進化しているの。あなたはもう、人間なのよ」
 ありすは雪絵の肩にポンと手を置いた。
「あ~『赤い鳥』だ! これ、あたしの愛読書なのよ」
 ありすが、雪絵の背後の棚に眼を移した。手に取ったのはずいぶん古い児童雑誌だった。「荒唐無刑文化罪」の向かいの棚に所蔵されている。他には……「血を吐く詩人の会」? かつて、恋文町に存在した同人誌の類らしい。
「これは?」
 時夫は、コーナーの棚に並んだ一冊の古い本を手に取った。

「愛ちゃんの夢物語」

「これ、明治期に初めて日本で翻訳された『不思議の国のアリス』だよ」
 ありすは感慨深げに本を眺めている。
「へ~」
 なかなか味わいのあるタイトルだ。
 アリスの名前まで、日本人になじむように日本風の名前、「愛」へと変更にされている。しかしなぜこれを隠す必要があるのかは不明だった。
 アリスが「荒唐無稽文化罪」に相応しい内容であることは確かだ。けど、現代の邦訳版のアリスはここに存在しない。普通に、開架の棚に置かれていたはずだった。
 古城ありすはそのタイトルをじっと見ていたが、再び、棚に視線を移した。
「それで、ありすが確認したいことって?」
「あった!! これだ、『恋文奇譚』! サブタイトルが『火水鏡』!」
 ありすが手に取ったのは、百五十年前の幕末期に書かれた古文書らしかった。
「そして著者の名は、綺羅宮神太郎(きらみやかんたろう)!」
 ありすのぱっちり目が大きく見開かれた。
「キラミヤ……ひょっとして」
 時夫が怪訝な声で訊く。
「そうよ。キラミヤ、キラーミン。……カンタロウ、ガンディーノ」
「そいつがキラーミンか!?」
「これが奴の正体。あいつが、『先生』と呼ばれる理由。伝説の科術師の名よ」
「有名なのか?」
「科術というものを最初に作ったといわれる創始者。うっかり……名前をド忘れしてた」
「おいおい……師匠に怒られるぞ」
「ま、まあね。でも、久々に聞いた名前だから関連性に気づかなかったんだ」
 そんなものだろうか。
「歴史上、それ以前から、錬金術師たちが、科学と魔術の統合を目指した-----。でも、その融合は未熟なものだった。科学と魔術の完全な統合は、科術の誕生を待たなければいけなかった。で、それを完成させたのが幕末の本草学者・綺羅宮神太郎」
「でも、百五十年前の人物じゃないか?」
「えぇ……」
「それが奴の正体ってどういうことなんだ」
「キラーミンは『昨日の時空』から来てるっていってた。だから、周回遅れで世界最速のガンマンになった、とも」
「まさか」
「けど、『昨日』というのはたとえで、実際はもっと前の過去から来てるとしたら……一体いつの過去なんだろ?」
「百五十年前か!?」
「そう。私たちにとって西部劇のガンマンって、日本で言えば侍みたいなものだけど、綺羅宮の時代はまさにその侍の時代なのよ。彼にとってガンマンは、アメリカのその当時に実在したファッションよ。……綺羅宮は別に、西部劇のコスプレをしているつもりでその格好をしている訳ではなかった。でもそれが、結果的に西部劇の意味論を利用することによって、この時空に入ってくるきっかけとなった」
 綺羅宮神太郎、すなわちキラーミン・ガンディーノ。最初にして最強の科術師が、ありす達の敵だったとは……?
「『恋文奇譚・火水鏡』。綺羅宮はこの本の中で、未来のことを予言している。同じことが繰り返される、ってね。この本は、百五十年前に恋文町で起こった出来事が記されているはずなの。でもそれがいつか繰り返されると予言している」
「百五十年前の出来事って?」
 古文書は漢文なので、これまた、ありすが精読しないと分からない。
 しかしまだ謎は残る。キラーミンは百五十年前の人物にしては、現代のネタに通じていたのだ。
 書庫に人の気配がした。近づいてくる。それも無数の足音だった。
 茸田軍団の衣装に身をまとった、茸図書館員たちが溢れるような数で迫っていた。
「もう行きましょ」
「お、おい……!」
 ありすは『恋文奇譚・火水鏡』を手に取ると秘密書庫を出た。
「ウンベルトA子、後は頼んだわヨ!」
 ありすは叫び、四人は図書館を走り去った。
「ブラジャー!」
 A子は雑誌を扇子代わりにして扇ぎ、仁王立ちした。
 窓ガラスを通して、茸図書館員たちが派手にA子のバブル攻撃に吹っ飛ばされる光景が見えた。もう、図書館が元の原形をとどめることはないかもしれない。
 丘の上の塔を振り返りながら、坂道を下っていく。
 かえって謎は深まった。

 百五十年前、この恋文町で一体何があったのだろう?
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