第63話 マンガンの湾岸のガンマン 禁断地帯へ……

文字数 12,017文字

 ある朝 窓の外 キラーミン ニヤアリ
 うひゃひゃひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ~
 うひゃひゃひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ~

 ある朝 枕元 キラーミン ニヤアリ
 ゲゲゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲ~
 ゲゲゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲ~

 ブランコ一味が全滅した今、キラーミンはひたすら雪絵を連れて夕日の沈む西へ西へと、ハーレーダビットソンで走っていった。
 古城ありすはJ隊のジープでそれを追っていた。
 真のラスボスはブランコ・オンナスキーではなく、「ジャック・ニック・教職」の教職こと、殺し屋先生キラーミン・ガンディーノだったのである。
「もう禁断地帯なんか怖くない。その正体を見極めてやる!」
 ありす一行が到着したのは、湾岸道路沿いの京葉工業地帯だった。都心に近づいたはずなのに、なぜか最果て感が出まくっている。ありすはそこに、「禁断地帯」の匂いを如実に感じるといった。
「いつの間にか、千葉を横断してたんだ……」
 時夫がぼんやりと言った。それなのに、伏木有栖市を脱出した感じがしない。
 三人は無言でジープを下車した。ここが本当は一体「どこ」なのか。キラーミンの残したハーレーダビットソンに、すでに二人の気配はなかった。彼らは徒歩でどこかへ移動している。
 三人はキラーミンを追って工業地帯の中を探ることにした。
 化学系のガスと、潮の入り混じった金属製の匂いが漂っている。
 ゴーンゴーンという機械音が辺り一帯に鳴り響いている。
 だが、どこを歩いても工業地帯は無人だった。
 工業地帯は、何もかも赤茶けてさびており、無人になってからかなり時間が経過しているようだ。だのに機械だけは稼動している。
 だが、角を曲がってフェンスの穴から入ると、草ぼうぼうの工場の敷地から東京湾の海が見えた。
 三人はしばらくその光景を黙って見ていた。
「分かった! 東京に絶対行けない理由がね!」
 ようやく、口を開いたありすはわなわなと震えていた。
 湾岸道路まで来て、禁断地帯の正体が……。遂に、映画「猿の惑星」のラストを越える衝撃が!
 恐竜やキリンのように佇むガントリークレーン、いいやそうではなかった。
 工業地帯の中に、ガントリークレーンならぬ本物の首長竜が何頭もいた。もちろん今は白亜紀ではない。
 海の近くには無数の煙突から白い煙がモクモクと立ち上り、灰色の雲と混ざっている。時折日が差すが、景色は暗い。そうして手前の海から何頭もの巨大な首長竜がうねうねと首を振っている。
 白亜紀と現代の東京湾が渾然一体となった海。
 ……こんな世界はありえない。
 これまでも、グランドキャニオンと化した南、西表島と化した東の海、永久凍土と化した北、そして西の荒野、成田の恵瑠波蘇、漂流町のテオティワカン、偽東京と、ありす一行はありえない時空に遭遇した。それらはすべて偶然ではなかったのだ。
「東京湾に首長竜が居るなんて、絶対おかしいジャン!」
 ウーの呟きが全てを物語っている。こんなことはありえない。時空が壊れているのだ。
「ど、どうなってるんだコレ」
 時夫は心細かった。
「ここも……やっぱり恋文町の『外』じゃない。私たちは恋文町から一歩も出ていない。そして、恋文町は時空が完全に壊れている」
 もう、東京へ脱出することは叶わないのだろうか?
「どうやら私たちがさまよっている世界の正体が見えてきた」
「で。その正体って?」
 時夫がありすに訊いた。
「恋文町は箱庭じゃなくて、いわば、次元が異なる世界なのよ」
「次元が異なる? そりゃあ一体どーいう……」
 時夫が再び問いかけたとき、
「あっキラーミンだ! 後を追いましょ」
 ありすは工場の陰に走り去る二人を見つけた。
 三人は追跡し、彼らが入っていった敷地の看板を見ると、「京葉マンガン工業」とあった。マンガン系化学品の製造工場だ。
 六角形に蜂の頭のマーク。これが、禁断地帯のゲートルームなのか?

キラーミン・ガンディーノはかく語りき

「待ちなさいヨ、キラーミンッ!」
 ありすの呼びかけに、雪絵を連れたキラーミンは立ち止まった。そこから見える海からは、相変わらず首長竜があちこちでウネウネと首を伸ばしている。
「もう逃がさない。……雪絵さんを黙ってこっちに渡すのよ。でなきゃ無限たこ焼きを食らわす。こっちには科術師が二人も揃ってるんだからね、テンテェーーーッ!」
 ありすの両手がたこピックを持つポーズを取っている。
「言ったはずだ、早撃ちでオレの右に出る者はない。左に出るものは千人、前に出るモノは七十億人だと」
 キラーミンは真っ白い禁煙パイポをガリガリといわせ、ニヤッと笑った。
「だから意味分かんないっていうのよ! 自分の前に七十億人てことは、要するに世界一遅いガンマンてことじゃん。それとも、地球人口は正確には七十三億五〇三六万七千人だから千葉県民は七十億の中にカウントしてないとでも? 屁理屈よね。もちろん、どんなにあんたが早撃ちだったとしも、私達の科術に勝つ可能性は百パーセント無いけど。さぁ覚悟しなさいッ」
 ありすはスマフォを観て数字を並べ立てる。1ダース・ベイゴマの地球何周回った時の屁理屈を覆したように。
 しかし、一つ問題があった。
 キラーミンはありすの呼びかけに立ち止まって、こちらを振り向いている。だが、建物の陰に隠れ、正確には右腕しか見えていない。
 一緒に居るはずの雪絵が、どうなっているのかもここからは見えない。
「たーこ焼きの中にタコ焼きが、たこ焼きの中にたこ焼きがッ!」
 ありすの科術がまさに放たれた刹那、突然時夫がタックルし、ありすを地面に組み伏した。
「な?! 何すんのよ?」
 キラーミンの右腕に握られた銃が、硝煙を吐いている。いや、正確にはありすの科術よりも早かったのだ。ありすはゾッとした。
「そうか! 左に出る者は千人、前に出る者は七十億人か! 分かったわ。奴は自分の左側と前方をガードしている。そして、『右に出る者はいない』。つまり、自分の右側のみを開ける位置に自分を立たせている……その条件下において、こいつ……世界最速のガンマンだ!」
「どんなガンマンなんだよ。聞いたことネェ」
「あたしもよ。自分の弱点を知っているのかも」
 時夫はありすを起こし、三人は物陰に隠れた。
「嫌な予感がしたんだ……すまない」
 時夫は科術師ではないものの、これまでの豊富な戦闘経験によって、相手がどんな手を使うのか、何となく直観で感じることができるようになっていた。
 キラーミンの姿が半分しか見えていないという事実に、その直観が働いた。ありすを助けている、という成長ぶりに自分でも驚く。
「ううん、サンキュ。……この匂い。劇辛弾ね」
 相手は撃鉄を起こして再び構えている。
「キラーミン教諭! 卑怯よ。物陰に隠れて、これがガンマンとして正々堂々とした勝負と言えんの? 姿を現しなさい」
「そいつは止めておこうか。勘違いしてる内が華だ。真実を知ったらお前らがあまりも気の毒すぎる」
「な、何ですってぇ~!」
 ありすが怒りで我を忘れそうになった瞬間、
「観ててありすちゃん。あたしが引きずり出してやるから、うさぎビィームッ!!」
 突如、ウーがピンクの科術光線を放った。工場の壁の一部が破壊される。瓦礫が見事に吹っ飛び、キラーミンは一気に丸腰になった。ありすはその瞬間を見逃さなかった。
「たこ焼きの中にたこ焼きがッ!」
「ンあああーッ、ありすちゃんゴメン!!」
 今度はありすは石川ウーに足蹴りされ、尻もちを着いて草の上に倒れた。
「モー痛い! 今度は何なのよッ、……あっ、また?」
 ありすの科術よりも前に、キラーミンの銃口から硝煙が立ち上っている。よく見ると、長身のキラーミンを陰にして、後ろに白井雪絵が立っていた。
「だから忠告したダロ? 早撃ちでオレの右に出る者はない。左に出るものは千人、前に出るモノは七十億人だと」
 キラーミンの薄い唇が笑っていた。
「その意味が分かんないんですケド!」
「俺こそは史上最速の、『マンガンの湾岸のガンマン』ってェーことだ」
「……どういうことなのか分からない。アイツ、もう前も左側も丸腰なのに!」
 キラーミンは単に、フェイクを騙っただけなのか。
「奴に……弱点とか、何か無いの?」
 次の勝負で、勝負が決まるかもしれない。よく考えると、西部で有効なカラメルポップコーンマシンガンもジープに置いてきてしまった。ありすは正直焦っていた。
「ある訳ないだろう。ま、少なくともここがガキの遊び場でないってことは、ようやく悟ったようだな、お嬢ちゃん」
「ありすちゃん。アイツ、何か左手に持ってるヨ!」
 ウーが指摘したとおり、キラーミンは赤く光る物体を手にしていた。
「アレは……まさか。赤よりも赤いファイヤークリスタル!」
「何なの?」
「最強の魔法石の一つよ。私の黒水晶(ブラックオニキス)にも匹敵するパワーを秘めた石! だから、あいつにはあたし達の子供の遊び科術が全然効かなかったんだ。それに、アレで簡単にサボテン・ヒトモドキを大量生産することもできた。私の黒水晶と、お師匠の持つムーンストーンと共に、絶大なパワーを持っている。でもなんで、キラーミンごときが、アレを……?」
 キラーミンは、ヒトモドキにジャック・ニックなどと名づけながら、それに対して欠片も同情しなかった。
 他の地下幹部とは明らかに違う、その正体とは? しかしありす達に、謎を解明している暇はなさそうだった。
「ご明察だ。俺には『子供科術』など効かん」
「『子供科術』じゃなくて『子供の遊び科術』ッ!」
「同じことだ、オマエの科術など俺にとっては全部子供の科術。ましてお前は今黒水晶を手放し、師匠とも音信不通同然。一介のガキの操る科術なんざ、子供だましも同然だ!」
 よーくご存知で……。
「あ”~あ”~あ”~聴こえな~い。ホゲ~~~! ホゲ~~~!」
 小学生?
「オマエの技は俺には効かん。何度やっても同じことだ。子供だまし科術などはな」
「くっくくくく……悔しいーッ。バーカバーカ! アイツブッ殺してやる!」
 バーカバーカって……。
「落ち着けよありす。いつも冷静な君らしくない。辺りを見てみろ。さっきから、なんか景色がおかしくないか?」
 時夫は辺りを見回して言った。少し明るくなったような気がした。沈みゆく夕日が……昇っている? コケコッコー、何処かで鶏が鳴いた。
「ありゃ、夕日じゃない朝日だ。いつの間に朝になったんだろ?」
 まさ……か。キラーミンは、太陽を操っている?
「そうじゃない。金時君、西から朝日が昇っているんだ! こいつはファイヤークリスタルの仕業だ。『早撃ちで右に出る者はない。左に出るものは千人、前に出るモノは七十億人』か、分かったぞ。……つまり」
「つまり?」
「周回遅れだよ! たしかアイツそんなこと言ってた。陸上競技でグランドを走ってると、一番速いヤツが一番遅いヤツに追いついてしまうってことがあるでしょ。その時、見た目上、一番遅いヤツが一番早く見える」
「でも、それは錯覚だ」
「そうよ。それが奴の変な前口上の意味論……それと同じように、あたし達と『同じ時間を生きていない』奴は、世界最遅のガンマンのくせに、周回遅れで世界最速のガンマンになっている」
「同じ時間を生きてないだって?」
「だってあたし達今まさに、夕日が朝日に見えてるジャン! 日本にとっての夕日は、地球の反対側、たとえばテキサスじゃ朝日として上る。東西が違うけど、この混乱した時空では、もうそんなことは不思議でも何でもない。ファイヤークリスタルは時空を超える能力を持つ。奴が、もともと早撃ちだろうが遅撃ちだろうが関係ない。『昨日の人類』よりは遅いけど、『今日の人類』よりは早いからよ! だってキラーミンは周回遅れで、絶対に世界最速になってしまうんだから……」
「な、何だってぇー!」
 ↑時夫とウーは、「MMR(マガジンミステリー調査班)」のように叫んだ。しかしこれまで聞いたことのない、充実した屁理屈だな。
「あんたやっぱ人間でしょ。そんなモノを持ってるなんて、一体何者なのよ!」
「俺は一度も嘘をついてない。『早撃ちで俺の右に出る者はない。左に出るものは千人、前に出るモノは七十億人』と、最初から教えてやったはずだ。名も、キラーミン・ガンディーノだと」
 その視線は、ずっと遠くを見ていた。どこ見てる?
「キラーミン・ガンディーノ?」
 ありすはその名をもう一度反芻する。
「俺に一歩でも近づきたきゃ、お前らも他の人間共と一緒に幻想寺で夜明けを迎えるこったな」
「幻想寺……なんで、あんたがその寺の名を知ってんのよ」
 伊東一糖斉がありすに尋ねた謎の寺。キラーミンの正体はますます謎めいていた。
 よく観ると、背後に居たはずの白井雪絵がずっと後方に離れている。チャンスだ。
「ありすちゃん、奴のファイヤークリスタルを二人で奪えば勝てる!」
 ウーがうさぎビームを放ち、ありすの無限たこ焼きが続いた。
「くっはははははは! 俺からファイヤークリスタルを奪うだと? そりゃー無理な相談だッ。無理だ無理だ、む~り~だ~あぁぁ。わっはっはははは!」
 キラーミンは海側に走って科術の光線を避けながら、銃を撃った。時夫は今度はありすとウーを倒さねばならなかった。
 いつの間にかキラーミンの背後に戻った雪絵の手に、小ぶりなラケットが握られていた。
「伏せて!」
 雪絵は大きく振りかぶった。三人はとっさに地面に伏せた。
「スマ------ッシュッ!」
 雪絵はキラーミンに向かってスマッシュした。ラケットの中心に閃光が輝く。
 閃光は青白いプラズマ球へと成長し、振り向き様のキラーミンと、彼が放った弾丸を吹っ飛ばした。雪絵のスマッシュを食らったキラーミンは、跡形もなく消えている。
「皆さん、大丈夫ですか?」
 雪絵は三人に走り寄った。
「君こそ。どこにも怪我はないか?」
「はい。反撃の機会(チャンス)をうかがっていました」
 白井雪絵はにっこりした。
 雪絵は禁断地帯を見極め、東京へと脱出するためにあえて捕まったのだという。そう、サミュエル・M・N・ジャクソンに捕まったときと同じだ。
 雪絵はキラーミンに連れ去られている最中、小振りのラケットを拾ったらしい。それはスカッシュ用のラケットだった。
 雪絵はマシンガンを持たなかったが、何も出来ない状態ではなかったらしい。すでに一流の科術師となっていた白井雪絵は、キラーミンを打倒したのだ。科術師は二人ではない。雪絵を入れて三人だ。
「なるほど、そうか! キラーミンの後ろから撃てば、周回遅れのキラーミンよりさらに遅く撃つことになる。つまり周回遅れで最速になる。後ろから撃てばよかったのか……」
 ありすは合点した。しかし……雪絵が使ったものは科術ではないのでは? ありすはその可能性を考えていた。
 このラケットは、「アルティメット・ラケット」という「架空の産物」だ。本で読んだことがある。もしかすると、雪絵が生み出した思念の具象化かもしれない。
 結局、ファイヤークリスタルは回収できなかった。ファイヤークリスタルを持つほどの敵、キラーミン・ガンディーノが本当に消えたのかどうかも不明だ。
 海に落ちたのか、爆発したのか、それとも……。
 スカッシュ科術をマスターした雪絵は、なんとなくみさえっぽさのある女の子になったように時夫には思えた。
 時夫は一瞬、小麦色の糸川みさえがフラッシュバックした。
 ひょっとして彼女は。雪絵の正体は------。
「さぁ時夫さん、敵は居なくなりました。東京へ参りましょう!」
 雪絵は時夫の手を取って、走り出した。
 本当に東京へ……俺達は脱出できるのか? この、何もかもぶっ壊れた時空で。それでも雪絵の瞳はキラキラと輝いて、確信に満ちている。
 ありすはまっしぐらにJ隊のジープに戻ると、エンジンをかけた。三人も車に乗った。
「東京は、あっちの方角です」
 雪絵がそう言った途端。
「アレは?」
 山脈が出現した。手を伸ばせば、そこにある山に触れそうな感じがする。
「今度は山だ……」
 時夫は何が起こっているのか分からなかった。だが、確実に何かが起こっている。
「丹沢山地よ。東京の方向にある。本物じゃない。蜃気楼だよ」
 ありすの言った通りに、山はいつの間にか消えた。
 これは明らかに奇妙だった。
 まだ四人は京葉工業地帯の中で、「京葉マンガン工業」の敷地からさえ大して離れていないはずだ。幻の新宿と同じだった。
 時空の混乱で、四人の、東京へ脱出したいという願望が実体化しただけなのかもしれない。いいや、雪絵が東京を意識した途端に、東京の街が出現した。ひょっとすると、「アルティメット・ラケット」と同様に。
 ジープが進んでゆくと、やがて蜃気楼は消えた。

      *

「うーん。これがセブンネオンか……美味しいわねェ。------この、茫洋とした甘みが地上の最先端の味か!」
「は、はぁ……」
「ってか、結局、逃げられてんじゃないのよッ!!」
 サリーは引っ手繰るように、黒水晶が入手した「セブンネオン」をギリギリと牙でこそいで食っている。
 黒水晶はうな垂れ、肩を震わせていた。
「くはははは! チェックメイト。これで満願成就ですよ! パーフェクツ!」
 古城ありすと瓜二つな黒水晶はバッと顔を上げ、黒いビショップでサリー女王のクリスタル製キングを取った。
 満面の笑顔がそこに輝いていた。
「……どーいうこと?」
 サリーはチェスの勝負に敗れたことよりも、黒水晶の言葉が気になった。
「これは全て計画なのです、陛下。最期、彼らは私の仕掛けた完璧なシステムの罠にかる運命だったのです。白井雪絵も、金沢時夫も、石川ウーも、そして古城ありすも。ここでジ・エンド! 禁断地帯へ入ったが最後、彼らは全員地下帝国のモノとなりましょう。パーフェクツ! まさに、パーフェクツ!」
「ツ?」
 サリーは黒水晶の顔を唖然として見つめた。
「じゃあ、何もかも謀略と書いて『ハカリゴト』?」
「御意」
「黒水晶~お主も悪よのう……」
「いえいえ、女王陛下ほどでは……」

 ホワーッハァッハッハッハッハッハッハ……

 二人笑って話が済んだが、実際には意識高い黒水晶の作戦に、女王は全く着いていけてなかった。
「今こそ奴らが終わりを迎える秋(とき)、陛下、これより計画の最終段階に入ります。とくとご照覧あれ!」
 ゲームなんかで、よく悪役はクライマックスになるとなぜかパイプオルガンに向かって演奏したりする。黒水晶も同様だった。
 食堂ホールで長いこと埃をかぶっていたパイプオルガンを、黒水晶はいつの間にかメンテナンスしたらしい。
 その黒水晶が鍵盤に向かってバッと両手を振り下ろそうとした瞬間、4KTVの画面の向こうで、さらなる異変が起こった。
 湾岸に、夜の帳が降りてきた。日が落ちた……いいや、単に日が落ちて暗くなったのではない。
 本当に、「黒い幕」としか言いようのないカーテン状のものが空から降りてきたのだった。
「あら? アラララ……」
 黒水晶は慌ててキーボードを叩き続けた。
 「黒い幕」はそのまま降りてきて、京葉工業地帯をすっぽりと覆った。どうやらこれが黒水晶の仕掛けではないらしいことを、サリー女王は極上のデザート「セブン・ネオン」を食いながら察している。
「う、動かない。うそ、私のシステムが……」
 黒水晶を見やると、慌てている。
「一体、何がどーなってんの?」
 サリー女王は大きな切れ長の眼で再び4K画面を見張った。
「分かりません……、ん? あのマークは」
 真っ暗になった町の空に突如、「再起動中・電源を切らないで下さい」という文字が現れた。画面上にではない。
 どうやら実際に、現場上空に文字が出現したらしかった。その瞬間、黒水晶は全てを察したようだった。
「わ~馬鹿馬鹿馬鹿ぁ~。こんな追跡中にアップグレードかよ。チクショー!!」
 そう。突然に、「ダークネス・ウィンドウズ10」アップグレードテロが始まったのである!
「やれやれ! 失敗が運命だったよーね。で、一体何のシステム使ってたのよ?」
「ダークネス・ウィンドウズ7」
 サリーはもう笑うしかない。ダ、ダークネス・ウィンドウズって……。「黒い幕」を張った黒幕って、一体何なんだよ。
「キィーッ!!」
 黒水晶の仕掛けたありす包囲網は、またしても失敗に終わった。

      *

「この空。今度は何が起ころうとしているんだッ?」
 時夫は星空が全くない漆黒の空を見上げた。しかし曇っているわけではない。
 曇っていれば、地上の工業地帯の灯が白く反射して逆に明るくなるはずだ。明らかにおかしい。それに、さっきの蜃気楼とも何か様子が違う。
「分かんないけどさ、あたし達を捕まえようとしているんだよ。禁断地帯を脱出すれば逃げられるはず! 今の内に、恋文町へ戻るわよ」
 ありすはそれが、黒水晶の仕掛けた罠だと勘違いしている。
 まぁ、どっちにしても東京へ脱出出来ないのは事実だが。ひょっとして雪絵の言う通り、東京へ脱出できるのではないかという四人の淡い期待は泡と消えた。
 「黒い幕」は黒水晶の意図ではなかったが、「黒い幕」は四人の乗ったジープを足留めさせ、東京脱出を諦めさせるに十分な理由となった。
「くっそ、ゴディバが食いたいなぁ」
 ありすは珍しく親指の爪を激しく噛んでいる。
「おい、何なんだよ。禁断地帯ってのは……。あの恐竜達は?」
 恋文町へ戻る道中、結局脱出できなかった「禁断地帯」の謎について、時夫は問いただした。
「後で話す」
「時空がずれてるってどーいうことなんだよ!! 途中まで言っておきながら」
 やっぱり映画「うる星やつら・ビューティフル・ドリーマー」や、「ダークシティ」展開なのではないか。つまり、恋文町は宇宙空間に浮かんでいるとか。
「後で話すってば!!」
 ありすは恋文町への帰りの道中、ガンとして答えなかった。

「おなかすいたね」
 ウーが呟いた。
 日が沈み、プルキニエ現象で空が藍色に染まる中、ありす達のジープは東にある伏木有栖市恋文町へと着々と近づいている。
 夕闇の空は、先ほどの不自然に漆黒の空とは違い、星が見えていた。荒野に伸びる舗装された一本道を、時折電柱に取り付けられた外灯が点々と照らしている。
「うん」
 四人は東西南北を駆け巡り、大脱走の闘いにエネルギーを費やして、すっかり疲れきっていた。
「後は帰って寝るだけだぜ。やれやれ」
 時夫は眼をつぶった。
「油断しないで。家に帰るまでが遠足です。西部を出るまでは敵地よ」
「へいへい」
 四人は景色の変化に気づいた。サボテンやタンブルウィードは鳴りを潜め、荒野はセイタカアワダチソウに支配されていた。
「なんか……見慣れた空き地の景色みたいだ」
 時夫は黄色い花の草原を眺めていった。
「セイタカアワダチソウも外来種だけど」
 ウーがぎょっとする事実を思い出させてくれた。
「アレロパシー効果よ。セイタカアワダチソウって、毒を放つの。で、他の植物の成長を阻害する」
 ありすはつぶやいた。
「へぇ……」
「いずれ、自家中毒に陥って自滅するけどね。同時に、この西部の意味論も元に戻っちゃうと思う」
 しばらくして、左側に「コンビニ・ヘヴン」の灯りが見えてきた。やっぱり「ヘヴン」はあるんだな。
「休憩しましょ。戦士の館へようこそ」
「戦士の館?」
「ヴァルハラって、黄金の宮殿なのよ」
「あぁ……この茶番学園の購買部ねー」
「なにそれ」
「ウー、意味深な言い方やめろ!」
 黄金のコンビニは、ありすの基地のひとつだというのだが、その意味は未だに分からない。ありすはだだっ広い駐車場にジープを停めた。
 駐車場には数台の普通乗用車やトラック、タンクローリー、メガタンクが停まっていたが、もはやギャングの姿は影も形もない。
「なんか、うるさい音がしないか……」
 時夫がそういうと、ウーと雪絵も耳を澄まして同意した。
「……何が?」
 ありすは無視してさっさと自動ドアへ向かう。
「聞こえる」
「確かに聞こえます」
 モスキート音に似ているということで、三人の意見は一致した。
『ギャング避けのモスキート音だったりしてね』
『ありすってさ、モスキート音聞こえてないんじゃないか……』
『まさか。女子高生だよ』
「肉まんでも買いましょ」
 時夫は最初に恋文町で迷子になって時以来、久々にヘヴンへと入った。
 店内は、通常のコンビニの二倍の広さがあった。典型的な地方コンビニの特徴である。
 内装がキンキラ金で目に優しくなく、入った途端眩しさでモノが見えなくなる。まるで金閣寺か、豊臣秀吉の黄金の茶室かっていう。
「なんで君のコンビニって、金色なの?」
「最高の漢方、それは金! よく料理に金粉まぶすのあるでしょう? あれは伊達じゃない。うちのコンビニは金の意味論をふんだんに使っているの」
 内装にこんなに金をかけて、元が取れるのか疑問だ。ま、今はそんなことはどうでもいい。どこでもかしこでも「ヘヴン」がある理由は知りたいけれど。
「コロッケがいいなぁ」
 時夫はカウンターへ向かった。
「うん……」
「一個六十円だし。学校の帰りに毎日買い食いしてる」
「フライドチキン食べたい」
 と、ウーが言った。
「ないわよウチのコンビニにゃ」
「えぇ~恋文町まで我慢できないし!」
「わがまま言わないの。戻るまで我慢しなさい」
「フライドチキンですね? かしこまりました」
 レジ係が、店に入ってきた二人の会話を聞いていたらしい。
「え、あるんですか」
 ウーが観ていると、ポニーテールの若い女性店員は、卵のパックをスッと取り出した。すると店員は、それを保温機の上に置いた。
 パックの中の卵は勝手にドンドン割れていった。
 四人が見守る中、中から雛が孵って見る見る内に成長し、火に飛び込んで、あっという真にフライドチキンになった。
「わっ、ちょっと残酷……」
 ここはやっぱり、科術コンビニだ。普通のコンビニではない。(そりゃそうだ)
「大丈夫です。本物の卵じゃないんで、安心してください」
 ポニーテールの店員はにっこり笑って言った。
「全てマジパンです。本気と書いてマジパン」
「あっそう。……じゃフライドチキンじゃないじゃん!」
 そういいながら、ウーはそれをイートイン・コーナーで一口銜えて驚愕した。
「本物だ、コレ、本物だよ?!」
 ウーはレジの方をまじまじと見つめた。……店員も科術師なのだ。
「さて、何が本当なのかしらね」
 ありすはフフフと笑った。
 アイスコーナーでありすが四人分買ったチューチューアイスを車で食べながら、四人は無言だった。日が暮れてもまだ暑い。……冬の食べ物じゃねーしな。

 一行が時夫の恋文ビルヂングへ戻ったのは深夜十時過ぎだった。
 「不思議の国のアリス」は、アリスが地下の国に行って戻ってくるだけのお話なのに、自分達は東西南北あっちへ行ってこっちへ行って、ウロウロした挙句、結局脱出出来ないなんてな。とりあえず五十万ドルのペソ金貨は儲かったけれど。
「今度こそ話してくれ」
 102号室の時夫の部屋のリビングに、テーブルを囲んで四人は座っている。ウーがコンビニで買ったココアを、四人は飲んでいる。
「いいわ。……思い出して。脱出前、大きな地震があったでしょ? あたし、あの時科術で、お店の骨董品が落ちないように止めたんだけど、絶対限界があるって思ってた。お皿の何枚かは割れるんじゃないかって。でも、何一つ落ちてなかったんだ。全然ね。よく考えたら、そんなことおかしい。……ありえない。あの時、建物自体が揺れていたんではなくて、あたしたち自身が揺れていたの。物理的にではなくて、あれは、時空が揺れていたんだ」
 三人は固唾を呑んで、ありすの次の言葉を待った。
「神隠しよ」
「誰が?」
「あたし達全員」
「ぜ、全員だって?」
「そう、町全体の大規模な神隠し。町全体が、神隠しに遭ってる。あの地震を境にね!」
「……え?」
 ありすは三人を見回して言った。
「みんな死んでるってことよ」
「馬鹿な!」
 そもそも地震があったのか無かったのか? いいや、ありすによると現実にはもっと大きな地震が起こっていたらしい。
 しかし、それだけではなかった。それは恋文町の時空が完全に二つの時空へと分離する、「時空震」だったというのである。
 ありすや時夫らが現在居る恋文町と、大地震が起こって壊滅した実際の恋文町と、この町は二つに分かれているのだ。
「……箱庭のことか?」
 時夫は再度確認した。
「いいえ、箱庭じゃない。それは別件。別件バウアー。箱庭は魔学だけど、これは魔学を超えた、もっと根本的なこと」
 それぞれのココアから、四つの湯気が立ち上っている。
「マジなのか?」
「マジよ。マジの宅急便。私、あなた達を何とかこの町から出さなきゃって焦っていた。それでともかく、東西南北を目指した。『箱庭』が溶けている内にね」
 いつもと変わらない時夫の部屋。いつもと変わらない四人。だが……。
「このままじゃ、『霊界』から抜け出せなくなってしまう。でも、西の禁断地帯へいって確信した。これまでも時空は入り乱れていたけど、白亜紀と渾然一体になっているなんて絶対ありえない。もう、神隠しは確定よ」
 当初、スーパームーンに見えたものが「箱庭化」のきっかけだった。今度は地震が霊界への「神隠し」のきっかけになった。
「霊界……」
「じゃあ、あの禁断地帯について書かれた回覧板は、正しかったのか」
「えぇ……。やっぱりこの世界に黒水晶が仕掛けたものに対して、市役所の中に居る科術師が気づいて置いたみたい」
 もし、古城ありすが言うことが真実だとしたら、金沢時夫は、恋文町に置いてきたはずの自分の身体が今どうなっているのか心配になった。
 俺たちは、死んでいるのだろうか。それとも……。
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