第90話 チョキチョキバンバン

文字数 27,959文字

一富士、二鷹、三なすび

「自立学習型なら、勝手に進化してくれると思ってたんだけど。シンギュラリティなんて、所詮見掛け倒しの鳥頭(とりあたま)じゃないのよ! どいつもこいつも! 夢見すぎなんだよ! 何だよAIが人類を滅ぼすだの支配するだの、マンガやSF読みすぎなんだyo!」
 城内の秘密通路から、さながらオペラ座の怪人のように一部始終を見届けた真灯蛾サリーは、シンギュラリティ・スミスの敗北を悟ると、隠し部屋に入って「戀文<ラブ・クラフト>」をパラパラとめくった。
「何か、打つ手は?」
 状況を打開するヒントはこの本の中にしかない。
 「自分のトリセツ」だ。
 この本が自分に渡ることを金沢達夫は恐れていたのだ。そもそも、ショゴスである茸人に頼ろうとしたのが間違いだった。サリーは「戀文」を必死に読み解いていった。
「人間は、宇宙の分身なんだ。機械なんかには人間は超えられない。-----えっ、今わたし何を!?」
 ……宇宙の分身って口走ったか?
 人間が宇宙の分身なら、人間は無限の潜在パワーを引き出せる。でも機械にはその真似事は出来ても、その行為自体は決してできない。
 だが、サリーは「人間」ではなかった。
 かつて、去田円香のパワーストーンから誕生した真灯蛾サリー。
 その力は日に日に強大になり、金沢達夫はその力と対決すべく、科術の粋を尽くした、そのように本には記されている。
 達夫は結局その力を消し去ることはできず、サリーを地下へと封じ込めるしかなかった。結果、地下へ墜ちたサリーは蜂人の世界で忘却の女王となった。
「あいつは一体、私の何を恐れていたんだ?」
 隠し部屋にはパイプオルガンが設置されている。
 主に黒水晶が地下で使用していたものを持ってきたものだった。
 鍵盤楽器は、地下でマスターした趣味の一つだった。楽譜台に本を置き、まだ使ったことがなかった鍵盤を、サリーは弾きながら考え続けた。
「調べなきゃ……、なんとしても挽回しなきゃ」
 サリーはある一文に釘付けになった。

「達夫が帰国すると、円香のドッペルゲンガーが公園でうろついていた」

 これが、自分のことを記した最初のシーンだ。

「達夫はその意図を察した。サリーは自身が獲得した魔学の能力によって、本体である円香と入れ替わろうとした」

 達夫の筆致は、その時の恐怖を物語っていた。
 サリー、つまり私はその時、去田円香の分身という「意味」をひっくり返そうとした。
 もしもその魔学が成功していれば……結果、去田円香は私の分身となり、私が本体となった。
 私は去田円香という「存在」を吸収し、私だけが世界で唯一の彼のフィアンセという存在になったはずだ。その意図を達夫は恐れたんだ。私の封印された力は、全ての意味をひっくり返す魔学だ!
「……思い出したぞ。フフ、フフフフフフ」
 やっぱり、この本がヒントだったのだ。

 ジャジャジャーン!

 パイプオルガンの音色は絶頂に達した。城内に響き渡っている……訳でもない。
 完成途上の城は、まだ工事中で回線が繋がっていないので、演奏を含めて自己満足でしかなかった。
 真灯蛾サリーはオルガンを奏でるほどに、自分の身体に力がみなぎっていくのを感じた。力を蘇らせるのに石は不要だった。ただ本を読んで、記憶を取り戻せばそれで十分だったのだ。
「よし、いいぞ。力が沸いてくる。あの時の力を使えば、ダークネス・ウィンドウズ天だってその意味を覆せるはずだッ!」

 パヒュ----------ン……。

 チャペルに、ありす達が戻ってきた。
 窓から見える空は晴れていたが、相変わらずのオレンジ色だった。ところが-----、
「あれは?」
 地平線に山が見えている。
「富士山」
 いいや、よく見ればそれは富士ではない。
「……じゃなくてあれは本物のプリンだ。こっからあれくらいに見えるということは、相当に大きな、山サイズのプリンだな」
 千葉から見える富士は、もともとちょうどプッチン・プリンくらいの大きさだ。
「えっカラメルが白いってこと?」
 と、ウーが眼を凝らすと、たちまち雪の部分が茶色のカラメル色に変わった。
「白彩の仕業にしては……」
「大規模すぎる。違うわよ」
 しかしそれが、地平線で揺らいでいた。
 蜃気楼かとも思ったが、ありすが凝視するとどうもそうではないらしい。時夫が言った通り、明らかにそれはプリンだった。巨大プリンが地平線に存在していた。
「形が変わっていく?」
 ゆっくりとプルンプルンと揺れ始め、次の瞬間に崩れ始めた。
「違う。溶けてるんだ」
 地平線に見える富士プリンは、見る見る内に溶け出していった。
 時夫はここが元「恋文はわい」であることを思い出した。トロピカル風呂に入ったとき、壁に描かれていた富士の絵のトルマリンを一つ外してしまったのだが、その瞬間、絵が崩れたのである。まさに今それを時夫は目撃していた。
「この日差しじゃなぁ」
「黄色いプリンの範囲が広がっていくよ。こっちに迫ってきてない?」
 崩れた富士から、流れたプリンが洪水化している。
「東京壊滅か?」
「いいえ、あれはもっと手前にあります」
 マズルはあくまで冷静を装っている。
「富士以外に、こっちの方角に高い山あるの?」
 丹沢山地も同じ方向だが、富士のような形状ではない。
「なんもないじゃない。関東平野は平らの将門だから」
「オモシローイ……」
 ウーがすっとぼけた顔でいい、ありすがシラけた返事をする。いつもの会話の流れだけれど、今はそんな呑気なシチュエーションではない。
「本物の富士じゃありません。綺羅宮神太郎が西で仕掛けた、ビッグサンダー・マウンテン……ではなくて、デビルズタワーが変形したものです!」
 現在、町の各地に散らばっているレートことムニエル大天使によれば、綺羅宮の分身であるキラーミンは、西でダークネス・ウィンドウズ天の起動スイッチを押したという話だが、西部には色々な仕掛けが残されていたようだ。
「あれを見て!」
 ウーが、東側の窓を指差した。
 東に見えている満月が、今まさにバターのようにトローッと溶け出しているのが見えている。
「うっそーっ、まるで世界の終わりみたいジャン」
 ウーは天使軍団の関係者のクセに、人事のような口ぶりだ。
 東の空の月からも、ドーッと音を立てて、洪水のように液体が滴り落ちた。地面に達すると、それは黄色い洪水となって溢れ出した。
 西を見返せば、富士山のプリンの洪水が襲ってくる。
 東西から、恋文町に向かって黄色い洪水が押し寄せてきていた。
「みたいじゃなくて、ホントに世界の終わりだよ! ホラ見ろ、誰も私の話を聞かないから、本当に洪水が起こっているんだぞッ!」
 ぼやけた像のシンギュラリティ・スミスが立ち上がって、必死に叫んでいる。それでゴールド・スミスの存在を全員が思い出した。
「全くどいつもこいつも。これで恋文町はオシマイだな! フン!」
 一人で激オコプンプン丸のスミスに、金沢達夫は向き直って、冷静に受け答えした。
「そうじゃない。あれは、魔学の世界お菓子化を浄化する為の、ダークネス・ウィンドウズ天のアップグレードのシークエンスなのだよ」
「何ィ?」
 スミスのサングラスに着いた瞳サイズの時計の針が、グルグル回っている。
「アップグレードの前に、浄化がある。最初に雪絵の雪で固まらせ、それを洪水が押し流しているんだ」
 店長によれば、洪水はダークネス・ウィンドウズ天のアップグレードが進んだ証拠らしい。こうしてダークネス・ウィンドウズ天が、どんどん世界を更新していくというのだ。
「てことは、あの月も、本当は白彩のお菓子化によるものじゃないってこと?」
 関係者のクセに、まるでよく分かってないウーが達夫に質問する。
「さよう。むろん、本当の月などではないが、もともとダークネス・ウィンドウズ7のシステムにあったアプリなんだ」
「大変だ……」
 ここへ流れ込んだら、とても無事ではいられない。
「心配いらん。あの洪水は、水ではなく、単にそう見えているだけでアップグレードの衝撃波なんだから」
 などと、達夫店長はこともなげに言うが……誰もが冷静では居られなかった。
「そんな事言ったって店長」
 溶ける。溶ける。さらに溶ける。
 プリン富士と月の洪水がここへ到達すれば、お菓子化された町の雪を溶かしていくだろう。それで、お菓子化の魔学は完全に押し流される。だがこのままでは、町が壊滅する。
「また、図形が変わったぞ!」
 時夫がチャペルの床の十芒星を指差した。
「これは、五芒星が二つ合わさった形、複合星型正多角形です。魔法陣が最終形態になりました!」
 佐藤マズルはそういって、天を見上げた。
 オレンジ色の上空に、至高魔学性ゼッフル粒子の影響で開いた青い穴が開いているのが見える。
 穴はちょうど、新屋敷の真上にぽっかりと開いている。
 穴の向こうが「天」だと、マズルは言った。そして、チャペルの魔法陣と全く同じものが天空に描かれていたのだ。その中心に、羊と山羊のマークが光っている。
 光のラインで描かれた空の魔法陣から、チャペルの床までエンジェルラダーの光線が達した。二つの十芒星が光で繋がった。
「あれが、綺羅宮のいう『羊と山羊の分かれる時』……!?」
「まさか本当に、空に羊マークが現れるとは」
 綺羅宮神太郎が文献の中で引用した新約聖書・黙示録の一文。それは綺羅宮が、自分の予言を恋文町のシステムに組み込んだ証だった。
 世界の破滅か、それとも天への上昇か-----。
 二つに一つのこの状況。まさに羊と山羊に分けられるのだ。
「そう。あれが、ダークネス・ウィンドウズ天の承認ボタンだ。イエスが羊、ノーが山羊を示している。山羊を選べば、町と共に滅亡する。誰も山羊になりたくはないはずだ。今こそ救済のとき来たれり。さぁエンジェルラダーを上ってゆけ。あの空の認証ボタンを押すんだ!」
 達夫店長は叫んだ。
「店長、あたしが行くわ!」
 石川ウーは、翼を羽ばたかせて飛び上がった。さすがうさぎは、飛び職専門。ぴょんと飛び跳ね、羊マークを押した。
 しかし、天空魔法陣は……反応がなかった。
 しばらくして、困り顔のウーがチャペルに戻ってきた。
「話を最後まで聞きなさい。ただ羊マークを押せばいいとは言っていないぞ。一人でやってもダメなんだ」
「何でェ?」
「上空の十芒星の魔法陣の各ポイントが、十箇所あっただろう」
「あ……うん」
「一つ一つが、承認ボタンとなっているんだ。先に言ったとおり、ダークネス・ウインドウズ天へのアップグレードは、人類が炭素生物から珪素生物へと進化することを意味しておる。その人類の変容に先駆けて、一人ひとりの石が、認証のキーストーンとして必要となるんだ。ここにいる全員だ。時夫、お前もだぞ」
「------ダンスの次は空を飛べ? ちょっと待ってくれ。冗談きついぜ」
 みんなが真顔で時夫を見つめてきた。それがますます時夫を追い詰める。
 特に達夫店長は勝手に、時夫のことを自分の後継者にしようとしているに違いなかった。
「いや……みんな、笑えないぞ」
「金時君。白彩にあたしが行こうとしたとき、『恋文町のリーサル・ウェポン』だとか、『俺も連れて行け』とか言ったの誰?」
 ありすが腕を組んで言った。
「へぇ~、時夫、そんなハズいことを?」
 ウーが笑った。
「洪水の到達までおよそ六時間です! このままここに居ても、洪水に飲み込まれるだけです」
「最上階だぜ?」
「下の送水公ヘッドが、サイフォン原理を利用して水を屋上まで運ぶからです。他の高い建物も全部同じです。すべて、この町のお菓子化を浄化するために必要なのです」
 マズルが時夫に、この町の現実を突きつける。
 一定の高さ以上の建築物は、法令で送水口の設置が義務付けられている以上、どんなにビルが高かろうが洪水の被害は免れない。そして「天」の認証に成功しなければ、お菓子化を押し流す洪水に滅ぼされるだろう。送水公ヘッドめ……。
 こうしている間も、綺羅宮軍団は町に残った人々を救おうと活動しているはずだった。その努力を無駄にする訳にはいかない。だが……。
「……」
 時夫は眼をつぶった。
「あたしが教えてあげるから!」
 飛び職のウーが、飛ぶ練習をレクチャーしようと張り切っている。
「俺は飛べん」
「ホタテだって泳ぐんだから。あんたも飛んで!」
 その譬え……いったい何?
「飛ばない時夫は、ただの豚だ! ただの豚だぁ! 任せて。こんなときは音楽の力を借りるのよ! 『音の出る神』って呼んで。さ」
 ウーの掛け声と共に、DJラッピング・モリイことマズルはアップテンポにアレンジした沢田研二の「TOKIO♪」をチャペルに流した。

 ト~キ~オ~♪
 時夫が空を飛ぶ~♪

「さあ時夫、魔法陣の上で、ちょっと飛び跳ねてみよーか!」
「こ、……こうか?」
 時夫はウーに習って床の上でジャンプした。
 程なく着地、-----そりゃそうだ!
「そう。いいわよ。今度は、前に向かって飛び跳ねるの。で、その時に、落ちない様に意識しながら飛んでみる」
 落ちないようにって……。と思いつつ、周囲の熱い視線を浴びて時夫はやむをえず助走をつけてジャンプを試みた。
 落ちないように、落ちないように----。
「いや無理でしょ!」
「勝手にしやがれ!」
 ジュリーか!
「もうちょっとやさしくしてくれよ」
「しょーがないなぁ。じゃこの風船ガムで空を飛ぶっていう科術はどう?」
 ウーは一見して普通の風船ガムを取り出した。
「そんなのあるの?」
「ガムを膨らましながら飛距離を伸ばしてみて。風船の力で浮いていると自分を信じ込ませる。そうすると、メロンフロートに乗ったアイスのように君の身体が浮かぶのよ」
 だから、どーいう比喩だよ。
「ガム嫌いじゃなかったっけ?」
「むしろ好き」
 この無節操さ、安定のウー。
「ガムってそんなに膨らまないと思うけど」
「何か叫びながら膨らませばいいのよ。たとえば……」
 ウーが「バカー!」と叫びながらガムを膨らますと、風船はビーチボールくらい巨大化した。
 時夫は「飛ベー!」と叫びガムを大きく膨らませた。そのまま走って、少しずつ飛距離を伸ばしていく。
「おぉ!?」
 時夫の身体は、チャペルの中をツーッと超低空飛行で飛んでいた。
 飛ぶというより、浮かんでいた。そう考えていると、風船ガムがバチンとはじけた。
 時夫はまだ浮いたままだった。魔法陣の周りをぐるりんと周回し、スミスの像を二、三度とすり抜ける毎に、ヴン、と音がした。
「やったじゃん! 時夫、その調子よ」
「な、なぜ飛べる? 俺には羽もなけりゃプロペラもないのに-----」
「石の力よ」
 ありすは時夫に言った。
「風船ガムの科術が、石に感応したようね」
「飛行石か!」
「次はグーンと上に身体が盛り上がるよーに、意識を空へ空へと持っていって」
 ウーは時夫の前でフワリと飛び上がり、半蝶半蛾の羽を生やしたありすも、飛び立った。
 羽のあるなしに関わらず、意識の作用で浮遊するらしい。ありすの羽は誰よりも力強く、そして速かった。なぜありすに羽が生えたのか? その意味論の答えがおそらくこれだ。
「ほらっ、いつまで助走してんの? 時夫、跳んで跳んで!」
 空からウーが手を差し伸べた。
「跳んで跳んで跳んで跳んで跳んで-----------」
 時夫は羽がないままに、彼らを追って飛んでいた。それを全員が追って飛び上がった。なんだか、こんな夢を見たことがあるような気がする。
 富士を眺めた後に、鷹のように空高く飛ぶ。これって、正月の初夢に出てくる縁起のいい代物じゃないか。一富士、二鷹と来れば、三は茄子?
 空飛ぶ練習を踏まえた時夫を含めて、羽の生えたありすを先頭に、一同は穴の開いた天井から差し込むエンジェル・ラダーを伝って、とうとう上空の魔法陣へと上昇した。

 パヒュ----------ン……。

 無人となったチャペルに、真灯蛾サリーが戻ってきた。そこには、ぼやけたゴールド・スミスの残像だけが突っ立っていた。
「そこで死んギュラリってる奴!」
「奴はとんでもないものを盗んでいきました。あなたのキノコです!」
 蝋人形顔のスミスを、サリーはキッと睨みつけた。
「うるさいっ! この役立たずが……」
「面目次第もございません」
「黙れ無能!」
「申し訳……」
「黙れ外道!」
「申し……」
「黙れ朴念仁!」
「申……」
「追いかけるわ」
「乗せられてはなりません、陛下。奴らの思う壺です。奴らは陛下を使って、何かを企んでいる」
「もう、お前の力は借りない。私は全ての記憶を取り戻したんだから。あんたよりはるかに進化したわ。私はね、自分一人の力で全部の問題を解決できるのよ!」
 女王の背には、黒い巨大な翼が生えていた。サリーは、チャペルの魔法陣から飛び上がった。
「アッハッハッハ……待ってなさいありす!!」
 スミスはツルッツルの怪訝な顔で、
「古城ありすがパワーアップすると、なぜかサリー女王もパワーアップした。彼女等の進化は、もはや私のシンギュラリティをも超えている。私には計測できない。一体あの二人に何が起こっているんだ?」
 そうつぶやくとスミスは次第に薄くなり、かき消えた。

       *

 ロビーに鎮座した巨大な黄金色の招き猫が、その輝きを増していった。頭上に掲げた肉球が、サムズアップしている。幻想寺のハッキングが、金色の招き猫を中継として、シンギュラリティ・スミスの力を全て吸い取った結果だった。

       *

「十個の石が魔法陣に並ぶ-----。それで、魔法陣のエネルギー・ラインが繋がるはずです。その時、DJ.キムリィ&ラッピング・モリィがスマフォに音楽を流しますから、皆でフォーメーションダンスをしてください!」
 佐藤マズルは張り切って言った。
 ……またダンス。しかも空中で、だと?
 飛ぶことに意識を集中しているのに、そこでダンスなんかしたら落下してしまう。
 時夫はますます追い詰められた。できれば、このまま誰も話しかけないで欲しい。
 努めて下を見ないようにしているが、自分が新屋敷よりはるかに高い空に浮いている事実を思い出す度、せめて落下しないようにと意識することで精一杯だ。
 空に描かれた魔法陣の各ポイントが、チカチカと光っていた。
「一個一個に、それぞれが行けばいいんだな」
 時夫はあえて冷静に発言することで、気持ちを保った。早く済ませたい気分だった。
「らしいですね」
 隣のマズルが応じた。
「ははぁ、まるで『南総里見八犬伝』ね!」
「エート、この魔法陣のどこに、各メンバーが配置すればいいんだろ?」
 ウサエルことウーにも分かっていないらしかった。
「下を見て。町があちこちが光っているわよ。これは……?」
 ありすの声で、一斉に町を見下ろす。
 時夫も下界を見ない訳にはいかなかった。陽の下でも、町の各ポイントが青白く輝いているのがはっきりと分かる。
「もしかして、空中魔法陣と対応している?」
 ウーがつぶやいた。
「そうだわ。チャペルの魔法陣だけじゃない。町全体が魔法陣。……これは黒水晶の箱庭魔学と同じ原理なのよ。いいえ、黒水晶は綺羅宮が構築したアップグレードの仕組みを拝借したに過ぎなかったんだ。新屋敷も、光っている。半町半街も光ってるわね。恋文町の各ポイントが地図になっているようね。……その通りに並んでいけばいい」
 脚下の新屋敷を見下ろすと、案の定城全体が青白く光っていた。この輝きがポイントであることを示しているのだ。新屋敷は今や幻想寺の支配下にあり、アップグレードの一躍を担うということだった。
「これ、誰がどこに対応してるんだろう。ポイント……ポイントカードを使うところ?」
 ウーの憶測を、ありすが覆す。
「金時君のアパートの方向も輝いてるわよ」
「あぁ……そこが俺ってことか?」
「そう。それで大体の検討は着くわよね。それぞれが、一番自分に因縁がありそうなところに行けばいいってことよ!」
 科術師・ありすの声量が大きくなる。鼻が利いたらしい。
「そうですよね? 師匠」
「うん、上出来だ。全員の認証が終わり、魔法陣でユニゾンで舞踏すれば、羊のマークが輝いてアップグレードが完了するじゃろう」
 達夫も、羽などなくても問題なく浮かんでいる。やはり、石(意思)の力で浮いているのだ。時夫はそれを見て、孫として心強く思った。
 しかし、話を聞いてて思ったが……ダークネス・ウインドウズ天のアップグレードって、恐ろしく手間取るな。

一石 金 金沢達夫 ゴールドコンビニ本店

 地平線にある、金色の輝きが灯台の灯のように一段と激しく光り始めた。
 時夫が最初に迷い込んだコンビニの方角だ。やがてそこから天空へ向けて、光の塔のような黄金色のビームが発射された。
「ゴールドコンビニ本店だ! つまり……」
 同時に、上空の魔法陣のポイントの一つが、激しく金色に点滅し始めていることに全員が気づいた。
 空の変化はそれだけではなかった。
 オレンジがかった空が、急激に色を変えていく。空の色が明るく眩い黄色に、黄金色に変色していったのだ。
「魔法陣と町、空全体が対応しているのか……」
 アップグレードは、かなり大掛かりなシステムのようだった。
「どうやら、先陣を切るのは私のようだな! 私の石は金、地上のゴールドコンビニ本店に対応しているからな!」
 達夫店長は意外なことを言った。
「えっ店長って、『半町半街』じゃなかったの?」
 ウーが驚きの声を上げた。
「じゃあ……」
 半町半街をシンボルとするのは------、
「ありすか」
 と、時夫は気が付いた。
 その店名は、「半蝶半蛾」から来ていると達夫店長は言った。これでもう一つのポイントが明らかになった。
 最初の認証は……恋文町で起こった一連の事件の首謀者、金沢達夫だ。
 または「不思議の国のアリス」現象の張本人というべき人物にして、時夫の祖父である。半町半街の店長だが、ゴールドコンビニ・グループの店長もしている。
「ゴールド・コンビニは幻想寺の機械曼荼羅を通して、シンギュラリティに達したゴールド・スミスの力を全て吸い取った。それで私が、最初の認証を行えるのだ!」
「ゴールドつながりか」
 天空の十芒星の金色に輝くポイントを、全員が見上げた。
 そこへ、達夫が飛んでいってボタンを押せばよいのだ。ゴールド・スミスまで、アップグレードの認証に利用されている。どこまでが仕組まれたことなのか分からない。
 風が強かった。町を見ると、あちこちで何かが浮遊している。ムニエルの天使軍団かもと思ったが、時夫は気づいた。
「正月だし、凧揚げしてるね」
「こんな上空まで?」
 ありすに、そういわれてみるとおかしな話だった。
「あっ!」
 凧の群れが勝手に動いているように見えた。
 群れは、こちらに集まってきた。
 近づいてくると予想以上に巨大な凧……血走る眼をギョロギョロと動かした三角形の形状、ゲイラカイトである。大きさは四畳半以上もあった。色は主に黒、赤、それに青もあった。
「襲ってくるぞ!」
 達夫はホバリングして様子を伺った。
「昔なつかしのゲイラか……正月の意味論ね。一体誰が!?」
 ありすはいぶかしがる。
「それより店長、早く認証を!」
 ウーが叫んだ。
「待ちなさぁーい!」
 各色のゲイラカイト編隊の中に、黒い翼を生やしたサリー女王の姿が見えた。
「あいつが!」
 真灯蛾サリーの爪は黒く伸び、長い髪をバッサバサなびかせ、まがまがしいことこの上ない。
「フフフ……まだ勝負は終わってないわ! お前達の科術の意味論を、私の魔学で全てひっくり返してやる! そうして、みんなあたしの石にしてやるわ」
 サリーは、魔法陣へと上昇する店長の認証を邪魔しようと、その後を追い、翼で舞い上がった。
「サリーだ。どうやら奴は、記憶を取り戻したらしいぞ!」
 達夫はいったん上昇を諦め、全員を散開させた。
「師匠の邪魔はさせないッ! あんたの相手は私なのよッ」
 ありすとサリーは再度、恋文町上空で衝突した。これが宿敵同士というものなのだろうかと、ウーも時夫も、他のメンバー達も痛感せざるをえなかった。
「ははははは! あんたとの勝負はお預けよ。私の凧で遊んでな! ありす」
 サリーは不気味な笑みを残すと、積乱雲の中へと消えた。ありすとの正面衝突を避けているようだ。
 だが、サリーのゲイラカイトはおよそ百機を越えていた。
「本人は逃げたけど、まだあんな力が残っていたなんて。こいつらは私たちが食い止めるから、師匠、お願いです、早く認証を。みんな、師匠に続いて順に認証していって」
 ゲイラカイトは、血走った巨大な眼を輝かせて急接近してきた。両眼から、レーザーが飛び出す。
「ぐわっ、わわわ危ねェ!」
 時夫は遂に、己の限界を感じた。避けているうちに集中が途切れ、落下を始めた。その腕を、白井雪絵が取って、何とかキープしている始末……やむをえない。
「ありがとう」
 カイトの動きは敏捷で、海中のマンタの群れを髣髴とさせた。それ自体、生き物として自立の生命力を宿しているらしい。
 こんな魔獣を、茸を使って短時間にあっさりと生み出すサリー女王の力は、まだまだ衰えていないといって間違いない。
 さて金沢達夫は、後期高齢者とも思えない華麗なバック転で、ギョロ眼の魔獣の猛攻撃を交わして、一気にエンジェルラダーを駆け上がった。
 年齢の割りに外見はそこまでの年寄りには見えない達夫は、古城ありすと同じように、石の力と科術の力で若さをキープしているらしい。
 達夫の石は金、つまり店長は黄金の意思を持っているといえ、それが若さの秘密だった。
「気をつけて!」
 背後に回った赤いゲイラのギョロ眼から、真紅のレーザーが発せられ、ありすは叫んだ。群れを成し、巨大な流れを形成したゲイラカイトは、その先頭から一斉にレーザーを浴びせた。ありす達は再度散開した。
 達夫はやむなく、一旦魔法陣への飛翔を諦めざるをえなかった。雨あられと降りかかるカイト群のレーザーからの逃避を余儀なくされ、一度降下する。
 ありすとウーは、無限たこやきと最大出力うさぎビームをぶっ放した。十数枚のゲイラカイトがまとめて焔に包まれ、下の町へと落下していった。だが、カイトたちは達夫をめがけて襲撃を続け、ありすやウーから次第に離れていった。達夫は孤立した。
「Gさん!」
 時夫はありすを見た。相変わらず飛行を維持するので精一杯な時夫には、何も出来ることはない。
「……金時君、大丈夫。店長の力を信じて!」
 ありすはそれだけを言って、ホバリングしながら様子を伺っている。
 時夫が見ると、達夫の両手が何かのポーズを形成している。
「あの形は……」
「店長の必殺技よ。眼をやられないように気をつけて、というか、見ない方がいい」
「何だって」
 達夫は左手でどんぶりを持ち、右手で箸を上げ下げして「何か」を口に運ぶジェスチャーを繰り返した。

「無限ッ、ウルトラーメンッッ!!」

 達夫の両手が激しく輝いた。眩いストロボ光の中から、宙に描かれたどんぶりが出現した。その光の形は、次第に大きくなって押し出された。
 どんぶりの中の麺とスープがスカッと持ち上がり、どんぶりの上で半透明のウルトラマンの顔を形成した。ウルトラマンの顔は左右に小刻みに揺れ、その口から麺とスープが流れ出した。
 麺が口から流れ落ちると同時に、上から次第にスープがなくなっていった。ウルトラマンの顔が削れていき、ついに全てがどんぶりの中へとストンと落ちた。
 達夫に迫ったゲイラカイトの群れの先頭が爆発し、燃えながら落ちていった。
「な、なんだありゃ」
「無限ッ、ウルトラーメンッッ!!」
 ストロボが延々と繰り返され、麺とスープが持ち上がってウルトラマンの面を形成し、口から麺とスープが流れて落ちていく。しかも、それが無限に続くのであった!
「無限ッ、ウルトラーメンッッ!!」
「やめてくれ……(笑)」
 時夫は笑いが止まらなくなった。
「だから言ったのに。飛行に集中しないと落ちるわよ!」
 見るとウーも笑い転げて地上へ落下しそうになり、慌てて上昇してまた笑い、再度落下しそうになっている。ありすの無限たこ焼きといい、全く、師匠が師匠なら弟子も弟子だ。
「そしてェーッ、つゆ! too you!」
 ゲイラたちの羽を突き破るほどの勢いを持った、黄金の汁(つゆ)が放射されていく。達夫は、黄金色に染まった大気のエネルギーを、自身の持つ金石に込めて撃っていた。十分に力が溜まったところで、反撃したらしい。
 全てのゲイラカイトを退治した達夫は、十芒星の金色のポイントへと飛び上がり、右手でボタンを押した。羊の顔マークが光り、一つ目の認証を知らせた。

二石 モッカイト レート・ハリーハウゼン 千代子とレート

 地上の恋文町を見下ろすと、今度は恋文銀座の一角が輝いていた。
 沈んだ黄色の光の塔……いや、黄色にしては暗すぎる。これは茶色か? 見上げると天空の魔法陣のポイントの一つもまた、同系色の茶色に輝いていた。
「千代子とレート。次は私、ムニエル、レート・ハリーハウゼンです!」
 ドイツパン職人にして、綺羅宮軍団の天使長ムニエルは、その手にいつの間にか長いドイツパンを持っていた。
 エクスカリカリバー・ブロート。今まで、翼の中に隠し持っていたらしい。
「レートさん、あなたのパワーストーンは?」
「モッカイトです。チョコレート色のパワーストーンです」
「ははぁ。なるほど!」
 黄金色の空が一気に暗くなり、チョコレート一色に変わった。
 地平線は明るく、赤みを帯びたグラデーションを作っているが、他は上空の青白く輝く魔法陣以外、赤茶色に沈んで、黙示録の空を連想させた。
 雲間から、黒い翼のサリーが飛び出してきた。ありすらは臨戦態勢を取った。
 サリーは手に長モノを握り締め、レートに一気に斬りかかった。サリーの剣を、エクスカリカリバー・ブルートが受け止め、鋭い金属音がチョコレート色の空に鳴り響た。
「一糖流、伊東一糖斎の秘剣、油麩剣か! 相手にとって不足梨(なし)の礫!」
 かつての宿敵が持った武器を前に、レートことムニエルは俄然張り切っている。毛むくじゃらの豪腕に任せてブロートを振り回す。パン剣の風圧が、五十メートル以上離れた距離まで伝わってくることに、時夫は驚くしかない。
 真灯蛾サリーはレートと何度か刃を交えると、あっさりと離脱し、弧を描きながら飛翔し、油麩剣で宙を引き裂いた。サリーはありすに目頭ピースを送ると、また積乱雲の中へと消えた。……ギャルか!
 破れたシーツの向こう側のような暗黒の空間から、巨大な「口」が飛び出してきた。四メートルはある「口」、それは、上下に別れたバンズだった。
「人食いバーガー、ロケットバーガーですと!?」
 ありすは真っ先に気づいた。
「だがよ、ずいぶんとデカくないか?」
 前見た時よりも巨大化している。
 時夫が叫んだ直後、空飛ぶ人食いバーガーは、裂けた亜空間から続々と飛び出してきた。飛び回る巨大な口!
 はじけるポップコーンみたいに空中を飛び回るバーガーを避けるうち、時夫は上下の感覚を一瞬で失った。反撃? いやいや相変わらず、墜落しないようにするので精一杯だ。っていうか、今落ちてた! 慌てて体勢を取り直す。
 他のメンバーたちがどうなっているのかよく見えないが、時夫は今、自分のことで忙しく、全員の無事を祈るしかない。雪絵の姿も見えないものの、ロイヤル・ハーグワンのエネルギーを感じることができた。
「食に関する魔学はこの私が許さないッ!」
 レートことムニエルの怒号で、時夫はようやくその雄姿を確認できた。
 右手にエクスカリカリバー・ブロート、左手にマジパン製の銃・ピースメーカーを持ったチャンバラとドンパチの二重奏。銃は、一発で四メートルのフライング・人食いバーガーを爆破、瞬殺する破壊力。
「レートさん! ナァーイススティックゥー!」
「この銃にまだ弾が残っているかどうか……考えているな? 実は私も、つい撃つのに夢中で、数えるのを忘れた。が……、この銃の威力は一発で楽に天国に帰れるぜ。試してみるか?」
 レートのピースメーカーの銃弾は、クリント・イーストウッド菌で焼いてあると、前に時夫は本人の口から聞いた。
「ダーティ・ハリーみた~い」
 ウーがクルクルと舞いながら、拍手していた。-----見てないで戦え。
 一同はうすうす感づいている。この認証、ポイントが光った当事者が、降りかかる問題を解決しないと、先に進めない仕組みなのだ。その障害物を出す役割を、サリーが担っているような気がしてならないのだが。
「アウトォォー!! バァァーン!」
 ドイツのメジャーインフラ的な科術の呪文を、レートことムニエルは撃つたび繰り返した。空中戦闘は銃撃と剣撃のみ。
 彼の呪文は、イーストウッド式ビックマウスで、大口バンズをことごとく撃ち落とす意味論だったらしい。
 レートの猛攻を機に、達夫店長やありす達は、無限ラーメンや無限たこ焼きで掃討作戦を開始した。時夫は結局自分の身を守ることで忙しく、最後に雪絵の姿を確認してホッとした。
「お前はもう、認証されている!」
 実はアニメ好きのレートは空中魔法陣へ行って無事認証完了させると、ありすにエクスカリカリバー・ブロートを渡した。

三石 ウルフェナイト 佐藤うるか~ウルエル~ 月夜見亭

「あの方角は……月丁目ですね!」
 雪絵が指差した。次の光の柱の輝きは、明るいオレンジ色だった。
「月夜見亭か、とすると……?」
 時夫はメンバーを見回して、お下げの少女に目を留めた。
「はい、私、佐藤うるかの出番です!」
 空は暗いチョコレート色から急激に明るく変化し、オレンジ一色になっていく。
「これは私の石、ウルフェナイトの色です」
 なるほど、いろんな石の認証のタイミングが来ると、空の色が変わっていく仕組みらしい。
 明るくなった雲間から、再び禍々しいサリーが現れた。
「ほーほほほ……なかなかやるわね」
「サリー、往生際が悪いわよ! あたしたち全員の力を合わせれば、幾らあなたが邪魔したところで無駄な努力でしかない」
 ありすはレートから受け取ったブロートをかざした。
「は~あ、もっともだぁー、もっともだ!」
 ウーが合いの手を入れる。
「認証は順調に進んでいるのに……。なぜあんな余裕ぶっこいた笑顔なんだ? 女王め……また何か企んでるぞ」
 これまで散々サリーと対峙して来た時夫は、不審に思った。基本的には不利な状況にも関わらず、サリーの態度には今まで以上のゆとりが感じられるのだ。
 その疑問も解消されないうちに、サリーの油麩剣が、空間を引き裂いた。
「あの剣、空間をチョキチョキすると、色々な魔獣が出てきやがる。やっかいだな……」
「お嬢ちゃん、熱帯魚に遊んでもらうがいい! おほほほほ……」
 女王は捨て台詞を吐くと積乱雲の中に姿を消し、オレンジ色に染まった空は、あっという間に十メートルを下らないサイズの極彩色の熱帯魚たちに支配された。
 熱帯魚たちは、飛び散った人食いバーガーの破片をもの凄い吸引力で飲み込んでいった。
 巨大なネオンテトラ群は、尾びれをゆらゆらと揺らしながらメンバーに迫ってきた。
 時夫達は、金魚鉢に落とされた餌になったような感覚に陥りながら、空中で魚たちに追いかけられていた。
「フッ……ぷらんで~と恋武の熱帯魚ね。うるか、心配しないで認証してきて。私の無限たこ焼きのカモにしてやるわよ!」
 今度は初回から、ありす達の科術光線が炸裂した。
 だが、亜空間からの侵略は、それだけでは収まらなかったのだ。
 続いて出現したのは、他とは異なる魚影だ。敏捷な動きのブルーギル、凶暴な面構えのブラックバス……。
 その貪欲な肉食の外来魚は、ありす達のみならず、熱帯魚をも追いかけ始めた。
「何事ッ!?」
 凶暴な外来魚の出現のせいで、敵味方居入り乱れた空中戦が始まった。
 空は人食いバーガーの時よりも混雑している。
 時夫は渋谷の交差点を延々と行ったり来たりしている感覚に陥り、前後不覚で宙を漂っている。
 案の定、佐藤うるかも翻弄されて、天空魔法陣まで行くことができずにいた。
「あぁ、食い合いなんて、どっか他でやってくんないかなぁ? 勝手に殺し合ってりゃいいじゃないのよ!」
 ウーの文句は、魚達の尾びれが巻き起こす突風にかき消された。
 魚の乱舞は、天空魔法陣への上昇を塞いだ。やはり、意図的なものを感じる。
 十数分後、熱帯魚たちは外来魚に攻撃され、ほとんどが食われた。うるかはその瞬間、亜空間の裂け目がまだ開いていることに気づいた。
「……皆さん!」
 赤い優雅な尾ひれを持った新たな魚影が出現した。それは、ネオンテトラとは異なった新種の熱帯魚だった。五~六匹を排出した後、裂け目は閉じた。
 赤い熱帯魚は、自分よりも大きさが勝る外来魚たちに襲い掛かった。意外なことに猛タックルを食らった外来魚たちは、逆に逃げ回っている。
「なんだ!? あの戦闘力は。他の奴に比べて大きくないのに」
 あんな魚が居るなどとは、あいにくと時夫のデータベースにはない。
「あれは闘魚(とうぎょ)ベタ、……ランブルフィッシュです!!」
 ウルエルこと、うるかが叫んだ。
「ベ、ベタ?」
「ベタ・スプレンデンス。ランブルとは“喧嘩”を意味します。一見すると、美しい優雅な魚ですが、ランブルフィッシュは相手が死ぬまで攻撃を止めない、闘争本能の塊なんです。度を越したアドレナリンの塊です。それで、外国では闘鶏みたいに戦わせる競技に使用されています。普通は同種以外に、敵愾心を示さないものなんですが……こいつらは喧嘩の意味論に取り付かれてるみたいだ……」
 ランブルフィッシュの動きはスピードが非常に速く、赤い光の帯のように泳いだ軌道が空に残った。
 ありす達の科術光線を優雅に避け続けた。その激しい闘争本能は、恋文町の空に漂う全ての存在に向けられている。
「あんなにかわいいのにね」
 ウーがぼやいた。小さければ薔薇喫茶の金魚鉢で、フツーに飼いたい魚だ、とはいうものの……、
「デカいとあんまかわいくないぜ」
 時夫のボヤきに、近くに居る者全員が同意した。
「名前も悪すぎる……」
 もはやありすも、餌にされないように逃げるので精一杯らしい。恋文町の制空権は、完全にランブルフィッシュに奪われていた。
 当の佐藤うるかはさっきから、西の空に浮かぶ満月をじっと見ている。ドロドロとした洪水の落下は止まっていたが、これは、確か偽物の月だったはずだ。
「ガルルルル……」
 うるかが突然うなり声を上げた。
「うるかちゃ……」
 ウーが怪訝な声を出したとたん、
「ウォオーーーーーン!!」
 大きな声で吠えた。満月を見つめる少女の目はオレンジ色に変色し、鼻が犬のように伸びていった。唾液をたらし、口が裂け、体毛が濃く、尻尾まで生えている。いや、これは犬ではない。……狼だ。
「キャアァ、うるかちゃんが狼少女に変身しちゃったぁ!」
 驚いたウーは逃げまわる。
 空を駆ける少女の姿は完全なる狼、それも、十メートル以上はある体躯を持った天狼に様変わりしている。すでに、小柄なうるかの名残はどこにもない。
 天狼は、空をグルグルと周回しながら、ランブルフィッシュに襲い掛かった。まさしくドッグファイトの始まりだった。
 獰猛な牙は、猪突猛進ばかりのランブルフィッシュの攻撃力を上回った。そして前足の鍵爪が、赤い魚体を引き裂いていく。
「うるかの石は、ウルフェナイト。だから、満月を見つめてウルフに変身した……」
 古城ありすは察した。
 空のランブルフィッシュを食い尽くした天狼は、再び元の小柄な少女の姿に戻った。
「魚は肴ですから! 次の満月に、月夜見亭でベラを料理にしてもらいます!」
 うるかによると、彼女の故郷の瀬戸内海で、海水魚の方のベラはよく食べられているらしい。
 結局、うるかは書籍科術で倒すことこそできなかったが、無事認証を済ませることが出来た。
「女王め、雲の中でまた何か仕込んでやがるな……」
 いつまたサリーが出現するかと時夫は身構えている。
 これまで出現した魔獣達は、メンバー一人ひとりの認証を阻止するためのゲートキーパーと化していたからだ。
「魔獣だけじゃない。奴の目的は一体何なの……? お師匠ッ!?」
 ありすは達夫の方へ、身体をくるりと向けた。
「おそらくサリーは、終戦直後、あの時獲得した魔学を使おうとしている!」
「それは……一体何なんです?」
「お前の認証の出番が来た時に……おそらく認証も終わりの方だろう。その時、サリーはお前との直接対決を望むはずだ。それまではこうして、魔獣達を出して自分は雲隠れするに違いない。だがその時は、もはや私の出る幕じゃない。直接対決しなければならないのはお前だ、ありす」
 師匠・金沢達夫にも手に負えないほどの魔学との対決------。
「……」
 まぁ、そうくるだろうと予想していたが、ありすは師匠さえもかつて地下へ封印する他なかったサリーの魔学を、自分の科術で打倒せねばならないのだ。

四石 ラピスラズリ 佐藤マズル~マジエル~ ぐるぐる公園

「今度は渦丁目が青色に光ってるぞ。ぐるぐる公園の方角だ!」
 逃げ専の時夫が、鋭く観察して発見した。
 空が深い青色に変化していく。ラピスラズリの空は、明るい宇宙空間を髣髴とさせた。まさにガンダムの「宇宙世紀」の戦場の中に浮いているようだと、時夫は妄想する。
「では、僕の番ですね」
 マズルの申告に、時夫はおやっと思った。
「僕の石は、ラピスラズリです。ぐるぐる公園は、長らく地下帝国の基地になっていましたが、もともとはアップグレード用のシステムの一部でした。今は幻想寺が恋文町のシステムを正常化させているので、僕が担当できる訳です」
 おそらくマズルが、フィギュアスケーターあることも関係しているに違いない。佐藤マズルのスピンと、ぐるぐる公園が「渦」の意味論で繋がっているのだ。
 これまで一石一石ずつ、認証のタイミングが来ると空が変化してきた。しかし、各色の石の順番についてはよく分かっていない。
 今度は、真灯蛾サリーの姿が見えないうち、いつの間にか亜空間が引き裂かれていた。
 この暗さのせいで見逃したのか、などとまごついていると、亜空間の裂け目から、案の定というべきか、超巨大な蛸の腕が出現した。
 ぐるぐる公園に鎮座する、黒光したタコスライダーが八本の腕を順に出し、ヌッと全容を現した。おそらく、公園にあるものの何十倍のサイズに成長している。
「マズル~ッ、ホントに恋文町のシステムを取り返したの!?」
 ウーは文句を言った。
「そのはずだけど……」
 マジエルこと、佐藤マズルの返事は小さい。
「またタコスライダーか……今度こそたこ焼きにしてやるわ!」
 ありすはたこピックのポーズを取った。
 科術師たちの光弾が一斉に火を噴いた。
 タコスライダーは蛸墨を吐くと、自らの墨で作り出した黒雲の中へと消えた。
 蛸は軟体動物の中で、最も知性が高い。距離を置いて戦うアウトレンジ戦法の魔獣らしい。雲間から、ぬうっと腕が伸びて石川ウーに襲い掛かった。

 キュィイイーーン!

 マズルの額に閃光が走った。(ニュータイプのアレである。)
「させるかぁー!」
 マズルがマシンガンを放つと、タコスライダーの腕は雲の中に引っ込んだ。
「逃げ上手だな。これまでの相手とは違う。何かを狙っている」
 マズルはタコの腕を観察しながら、それが本気の襲撃ではないと悟っていた。
 レートこと大天使ムニエルが叫んだ。
「ありすさん、エクスカリカリバーブロートを振ってください!! ……タコを殺るならウツボオフ、と唱えて!!」
 タコの天敵はウツボだ。レートのむちゃぶりに、ありすは西部での大怪獣三すくみ問題が再燃しそうな気配を感じつつ、サリーがやったように、エクスカリカリバー・ブロートで空を引き裂いた。

 タコを殺るなら♪ ウツボオフ♪

 超巨大なウツボが、ドヌオーッと亜空間から出現した。
 レートのちりめん・モンスター科術だ。これだけでかいと、まるでドラゴンだ。いやはや、不気味不気味。化け物過ぎておなか一杯。
「シャアッ!!」
 ……アズナブルだけに?
 タコスライダーはウツボの出現に、よりいっそう逃げ足が速くなっている。ウツボも追跡も早い。これは時間の問題なのか?
「あの腕……」
 ありすが指差した。
 八本の腕の一つが、何かを抱え込むように丸くなり始め、そこだけスパークを始めている。

 キュィイイ----ン!

 ありすの額に閃光が走った。またしてもニュータイプのひらめき音。
「ぐるぐる公園のタコスライダーと同じだわ!! ブラックホールが出現する!! 吸い込まれる。皆、離れて」
 ありすでも、認証メンバーを退避させることしか考えつかない。
 あらゆる光を吸い込むブラックホールは、ダメ押しに放った科術の光弾さえも吸い込んでいく。巨大ウツボは、あっという間にブラックホールの中に吸い込まれていった。
「事象の地平線の内側に入ったら、二度と出て来れなくなるわ! 気をつけて」
 見ると達夫店長とレート・ハリーハウゼン、それにうるかの姿が消えている。すでに、ブラックホールに吸い込まれた後だった。遅かった。
 ありすの目の前で、ウーが錐揉み状になって腕に吸い込まれそうになっていた。だが、ありすはそれを見送ってしまった。かろうじて、その腕を光速のマズルが掴んだ。
「どうする!?」
 ウーにも、光をも吸い込むブラックホールの前に、光速のマズルさえ引きずり込まれる運命であることが分かっていた。
「DJ.キムリィ&ラッピング・モリィの力を発揮するんだ。……これから僕は、君と一緒に回転する。負担をかけるが、僕に着いてきてくれ!」
 マズルは、回転の科術で対抗するつもりらしい。
「えっ、うん……」
 ウーは一瞬不安そうな顔をした。マズルのスピードに着いていくのは大変すぎる。ウー自身、バラバラになるのではないかと恐れているようだ。
 フィギュアスケートの貴公子・マズルは、躊躇するウーの両手を握って、高速で回転し始めた。
「今度は一体何だ?」
 二人が輝き始めたので、近くに居た時夫はありすとぶつかりながら、雪絵のところまで飛んで退避した。
「ホワイトホールです、時夫さん!」
 雪絵が叫んだ。
「えぇ?」
「二人の回転が、ホワイトホールを作ろうとしています」
「何てことだ。ウーは、ホントに大丈夫なんだろうか」
 二人の姿は、白い光の渦で見えなくなった。
 もう、ウーの様子を確認することはできない。グルグル・バットでも余裕でぶっ倒れるくせに、耐えられるわけがない。
 おそらくウーは溶けて、バターか、あるいはバカーになってしまっているに違いない。マズルは無神経な彼氏だ!
「……」
 佐藤マズルは、ぐるぐる公園のシステムは回復したと言ったが、本当かどうか分からない。
 時夫達はどうすることもできないまま、二つの渦を見守る他になかった。いつもながら何の役にも立っていない自分が情けない。
 だが、時夫は飛んでること自体が奇跡的なのだから、それ以上を期待されても困る。
 観察していると、ホワイトホールの光の中から、佐藤うるかが出てきた。続けてレート・ハリーハウゼン、さらに達夫店長の順で飛び出してきた。
 その次に巨大なウツボが出現して、タコスライダーの頭部にくらいついた。ウツボは、首だけを残して巨大な体をブラックホールに飲み込まれながらも、タコの頭を飲み込んだ。
「タコとウツボが、お互いを飲み込んで消えた……?」
 ホワイトホールの回転が止まった。
 ウーをお姫様抱っこしたマズルが浮かんでいた。ウーは気絶している。
 マズルも体力を消耗し、何も言葉が出ないまま、無言でウーをありすに託した。それから、糸の切れた風船のように浮かび上がり、空中魔法陣まで飛び上がると認証ボタンを押した。

次回、進撃のバカ×ウー○

五石 ローズクォーツ 石川ウー~ウサエル~ 薔薇喫茶

 恋文町の一角が、ピンク色の光の灯台を生み出している。
 あれは、時夫の家の方角……いや、薔薇喫茶だ。空はみるみるピンク色に変化していった。
「ウー、ウー。しっかりしなさい!」
 ありすの声がけに、腕の中のウーは反応しないで眠っている。
「あんたの出番よ」
 世界がピンクに染まったと同時に、ウーは目を開けた。いや、同タイミングだったというべきだろう。
「あぁ……あれ? ローズクォーツ……この空。あたしの石じゃん!」
「そうだよ。あぁよかった」
 ありすはやつれた笑顔でウーを見た。
「なるほど、そういうことか」
 時夫が、確信に満ちた顔でありすに言った。
「マズルの次はウー。なぁありす、こいつは偶然じゃないぞ。……陽の次は陰ってことなんじゃないか」
「は?」
「男、女と交互に認証が進んでいる。つまり、陰の次はまた陽になるんだ! 魔法陣のポイントはそういう順番なんだよ」
「じゃ、ウーの次はあんたか?」
 言ってから時夫はありすに指摘され、重大な事実に気づいた。残った男性メンバーは、自分しかいない。つまり次は、恋文ビルヂング……自分である可能性が高い。で、その次はまた「陰」。イコール白井雪絵だ。
「時夫、よく分かったな。さすがはわしの孫だ。科術師としてのDNAが覚醒している」
 達夫のお墨付きによって、次は自分であることを証明してしまった時夫は、早くも自分の出番の件で頭がいっぱいになった。
 もしその次が雪絵と仮定したところで、無事自分が引き継げるのどうかも分からない。いうなればこれは、駅伝で自分が走る番が次に迫ってきたときの戦慄と、一刻も早くそこから逃げ出したいという感覚に極めて近い。
 時夫が熱弁を振るっているうちに、女王がこっそりと亜空間を引き裂いたらしかった。また見逃した。空の中に、すでに女王の姿はなかった。
 出現したのは、またしても巨大な魚影である。だが……。
「な……? これは?」
 ありすも仰け反るその姿。
「で、でかいぞ。いや、でかいなんてモンじゃない」
 時夫はどんどん後方へと下がった。

 ドドドド、ドドドド、ドドドド……。

「三百メートルはありますよ! お兄さん」
 うるかが叫んだ。
 戦艦大和のような巨大さの、イトウだった。
 時夫の家の近所の森の底なし沼で、ウーが不用意に言い放った「幻のイトウさん」の言葉の意味論の通りに出現した森の番人。アイヌの伝説では、その死骸が川をせき止め、湖を作ったという怪物・イトウ。
 それが、眼前に戦艦イトウとなって出現したのである!
「こ……こんな奴マジ無理ィイイイ!」
 回転の酔いも覚めやらぬウーは、頭を抱えた。
「あんたがあの時、余計なことを言わなきゃ、こうはならなかったんだけど」
 今更そんなことを言っても仕方がないが、本当に意味論的な因果関係があるのかどうかは分からない。
 イトウが大口を開けている。吸い込もうとしているのであれば、ブラックホールほどの吸引力はないはずだ。しかし、そうではなかった。
「逃げて!!」
 ありすの掛け声と共に、メンバーは一斉に散らばった。
 イトウの大口から光線が発射された。
 ……波動砲。さらに、魚体にピカピカ光るうろこが無数のレーザーを発射して、メンバーを容易に近づけさせない。
「皆さん、下へ逃げると地上が壊滅します! 横か上へ逃げてください」
 マズルが怒鳴った。真上もまた、天空魔法陣に悪影響が出るのでダメだ。
「女王め、こんな最終兵器みたいな奴をいとも簡単に生み出すとは……あいつを早く止めないと」
 悪態をついても、本人が雲に隠れて出てこないのだ。これが、覚醒した女王の力なのであろうか!?
「ウーさん、これ、よければ読んでください!」
 うるかが分厚い単行本をウーに投げた。
「何これ?」
「メルヴィルの『白鯨』です! 私の書籍科術で倒せます」
「サンキュー……って、こんな分厚いの読んでる暇ないの!」
 「白鯨」といえば、文章が難解なことで有名な大長編小説だ。今すぐ読めといわれて、どれくらいの人口の人間がちゃんと読めるだろう。
「また、本を持ち歩いてたのかよ?」
 時夫が目を丸くする。
「ええ」
「内容、口で説明してくんない?」
 ウーはパラパラとめくるも、全く頭に入っていない様子で訊いた。
「……あいつは、白鯨みたいなものじゃないですか? 白鯨は、『吐く芸』、つまり波動砲ですよ。通称、モービィ・ディックは海の白い悪魔として、鯨獲りの船乗りたちに恐れられていました。しかしその白鯨を倒すことを生涯の目的としたエイハブ船長は、恐れる船員たちを巻き込んで、死の航海を続けました。ついには、たった一本槍で闘うんです。ウーさんもぜひ同じように!」
「……それで、エイハブ船長は勝ったの?」
「最期、モービィ・ディックによって、海の藻屑と消えました」
「ダメじゃん!」
 戦艦イトウが、巨大な魚影をウーへと向けた。
「……ですね」
「おい!」
「あ、ちょっと待ってください! エイハブ船長の腹心、スターバックはずっと船長に反対しながらも、最期は船長と共に戦ったんです」
「じゃあ、スターバックが敵討ちを?」
「いいえ、一緒に海の藻屑になりました」
「バカじゃん!」
「腹心だけに腹の中です」
 誰がうまいこと言えと。この状況で洒落にならない意味論の大自爆。
「ちょっと待って。……今スターバックって言った? スターバックス?」
 ありすが二人の会話をさえぎった。
「ハイありすさん正解です! さっすが一流の科術師です、センパイ! コーヒー店のスターバックスは、『白鯨』の登場人物・スターバックから来ています。彼は、コーヒーが大好きなキャラクターなんです」
「それがこの状況と何の関係があるのよ!」
 ウーは波動胞の猛威を避けるので必死だった。次の攻撃まで、若干の間がある。おそらく、エネルギーを充填する波動砲の特徴だろう。
「豆知識です」
「あぁコーヒー豆だけにね。……っておい!」
「俺も発言していいか? コーヒーといえば、ウー。君は薔薇喫茶の店員だろ。スターバックスといえば、世界に広がったコーヒーショップだよな。コーヒーで世界を席巻したといってもいい。その意味じゃ、今や大本の『白鯨』の本より有名かもしれない。つまり別の意味で勝利したんだよ。広い意味で、コーヒー屋の君になら、あいつを倒せる……のかもしれない」
 時夫が思いつくままに口にした。意味論とはそういうものだ。
「お兄さん、いい線行ってます。人間合格です!」
 「人間失格」に引っ掛けたのか? 今まで失格だったのか? クッ、この文学少女、調子に乗ってんなぁ。
「そんな……強引だよ」
 作中のスターバックは死んでいるというのに、と、ウー自身は乗り気でない。
「なるほど、時夫君の言う通りかもしれません。イトウの波動砲が何だというんだ? 君のうさぎビームが最強だってことを思い出すんだ!」
 マズルまで乗っかってくる。
「わ……分かったわよ。そこまで言うなら」
 イトウの口がまた輝き始めた。波動砲の充填が完了したらしかった。
「くそっくそっくそっ……コーヒー屋を舐めるなぁ!! スターバックの敵は取ってやるわよ。オラァァアアアアアー……ハーモニー・ハート・シャイニング!!」
 ビカビカ!!
 通称うさぎビーム。

 うさぎビーム ハートを溶かすハイビーム
 うさぎビーム 胸から溢れる愛のパワー
 うさぎビーム 君のこころが
 うさぎビーム 紡ぎ出すビィーム!!

 うさぎビーム ミルク星から来たヒーロー
 うさぎビーム ミラクル・ラブ・アターック!!

 イトウの波動砲と、うさぎビームが真正面から激突した。
 真昼の太陽のような白い輝きが、恋文町の空を埋め尽くしていく。
 やがて……うさぎビームは波動砲を圧倒した。戦艦イトウはぶっ飛んでいった。
「勝った……やったぁ、勝ったぁーーー!!!」
 ウーは飛び跳ねて全身で喜びを爆発させている。ぴょんぴょんと八方飛びしながら、空中魔法陣の認証ボタンを押した。
「ワルキュ~レ~は~、イイ~キュ~レ~♪」
 降りてきたウーとありすはハイタッチする。
 巨大なイトウの死骸がゆらゆらと揺れながら、宙を漂っていた。

六石 トルマリン(電気石) 金沢時夫 恋文ビルヂング

 薔薇喫茶のピンクの輝きが消えると、そのすぐ近くから明るい青色のビームが上がった。恋文ビルヂングだ。
「やはりな……。次は……時夫、お前だ!」
 達夫は孫を見た。
 空がまた青く変化していく。さっきのような沈んだ宇宙色の青ではなく、真っ青な青空だった。これまでと違い、空気中が静電気を帯びていた。
「俺の石、トルマリンは、電気石だ……だからピリピリするんだな」
 隣の雪絵を見ると、ロイヤル・ハーグワンエネルギーが二人の間で視覚化していた。
「つまり……俺か」
 時夫の顔も青くなっている。
「時夫さん、頑張ってください。応援しています」
 雪絵が隣で微笑んでいた。
「あぁ……」
 時夫は、とりあえず腰のライトセーバー誘導棒のスイッチを押した。青白い光線剣が延びていった。
 周りは時夫に、一人前の科術師としての活躍を期待している。しかし時夫自身は、それどころではなかった。これまでのどんな戦いよりも緊張していた。リレーを次のメンバーたる雪絵に渡さなければならない、という責任もあった。散々、無理だと言ってるのに。
 雲間から、またしても何かの影が出現した。向こう側の空が透けて見え、その形は茫洋としてはっきりとしない。女王は、雲の中で亜空間を引き裂いたらしい。
「こいつは……またサンダーバードが?」
 もしも、そのぼんやりとした輪郭が、それそのものの形を示すのだとしたら、あまりにも巨大すぎる。
 今までにも何度か出現したサンダーバードは、推測するに全長一キロメートルに達しそうだった。よりによって、これまでで最大の大きさの敵だった。
「何あれ……中国の伝説の鵬(ほう)くらいサイズがあるじゃん!」
 ウーは呆れて、半笑いになっている。
 サンダーバードは、またぞろ覚醒した女王の軍門に下ったらしかった。体長三百メートルの戦艦イトウの亡骸を、前回と同じように簡単に丸呑みした。事象が繰り返されている……。

 ンガァアアアアアッッーオォォンン……

 サンダーバードの雄たけびを合図に、空は暗くなり、風が強くなり、大雨が降ってきた。これぞ青天の霹靂。地平線のあちこちで竜巻が発生した。
 視界に入るだけでも、十本は確認できる。奴は、またまた爆弾低気圧を召還したらしい。
「くっ……俺の石が電気石だからサンダーバードが?」
 時夫は軽い違和感を覚えた。
 認証ボタンを押す人間が、倒さねばならない魔獣を必ずサリーは召還させている。しかし、本人は雲隠れしたままだし、あまりに段取り過ぎる。まるで、それもアップグレードの一部だという風に。
 女王は自分達が気づかぬ間に、空中魔法陣に「何か」を仕掛けたに違いないのだ。だとしたら全員が無事認証を終えた瞬間……本当にアップグレードは成功するのだろうか。
「そうです! でも時夫さん、トルマリンならサンダーバードを制することができるはず。なぜなら、サンダーバードは基本的に中立的な存在だからです」
 近くを飛んでいるマズルが言った。
「なるほど……」
 クソーッ、俺のどこがいっぱしの科術師だというんだ!? 確かにトルマリンの力で無事落ちずに飛んではいるが。
「科術師といっても、真似事くらいしかできんが……」
 ありすが心配そうに見守って言った。
「真似事でいいのよ、それが意味論なんだから! なんちゃって科術師って言ったの、訂正するわ。なんちゃってでいいのよ! 学ぶという言葉は、真似ぶから来ている。誰だって、赤ちゃんのときは周りの大人の真似をして成長していくでしょう。おままごとやヒーローごっこだってそう。それが、世の中の仕組みってヤツなのよ」
「ありすさんのおっしゃる通りですよ。その仕組みを、能の世阿弥は『守・破・離』と言っています。まず基本を忠実に模倣し、次に、自分の色を加えていく。やがて基本から離れ、全く新しいものを作り出していく。これが守・破・離です。つまり成長とは、止揚です」
 マズルがありすの言葉を継いだ。
 止揚……アウフヘーベン。正・反・合の「合」のことだ。
 学ぶという言葉は、真似ぶから来ている、か。
 ……なんだか、どこかで聞いたことがあるセリフだ。どこで聞いたか時夫は思い出せなかったが、それはたいしたことじゃない。
 ありすの言うとおり、人は赤ん坊の頃から大人を真似て成長していく。
 生まれた時から歩けるワケもなく、話せるワケもない。学校の勉強も、文字の書き取りや、丸暗記から始まる。それを繰り返すうちに、やがて自分なりのアレンジをつけていく。
 そうして次第に、「自分」というものを形成していくのであって、誰も最初からオリジナルな個性を発揮する訳ではない。半人前は半人前なりに、「真似」の中から自分自身のパワーを見つけていけばいいのだ。
 つまり真似こそが、世の中の仕組みなのだ、意味論なのだ!
「もう一つ言っておくわ。君のアパートの普段忘れている部屋、あれは金時君の隠された力、潜在能力を示しているのよ! あれだけの『広さ』があるのに、君は普段狭いところを行ったり来たりしていた。自分の能力はこれが限界だって。今こそ解き放つのよ!!」
 ありすが念押しした。
「時夫さん、忘れないでください! 電気石は、私とのハーグワンを生み出しました! あの力はあなたのトルマリンです。どうか自分の力を信じて。一緒に闘いましょう!」
「雪絵。君は今や、一流の科術師だ。だが、だが俺は」
「私の力が強まれば、時夫さんだって……時夫さんだって、きっと!」
 古城ありすたち意味論をマスターした科術師たちが、こんなにも時夫に太鼓判を押してくれる。大肯定してくれる。なんだか時夫は、力が沸いてくるような気がした。
「ロイヤル・ハーグワンの力を、ライトセーバーに込めてください! どうぞ!!」
 雪絵が最後の一押しをした。
 ライトセーバーは、無限に伸びていった。
 大雨が降り続ければ、迫る洪水の被害をますます加速させるだろう。今は、目前の敵を倒すことに集中しなければならない。
 遂に科術師として覚醒のときを迎えたこの俺、金沢時夫、十六歳。
「しゃあっ!! やってやる---------、じっちゃんの名にかけて!!」
「……言うと思った」
 ウーがニヤニヤしている顔を横目に飛ぶ。

 かけがえのないあなた
 かけがえのないわたし

 雪絵の心の中の言葉が、時夫のハートに流れ込んできた。
 時夫の戦いに、雪絵の協力は不可欠だった。最強の科術師・白井雪絵の力が加われば、時夫の不安は勇気に変わった(恥ずかしい言葉……)。
 二人が握ったライトセーバー誘導棒から伸びた稲光は、サンダーバードの全身を捕らえた。
 稲光は、魚釣りのようにサンダーバードを誘導し始めた。右へ振れば右へ、左に振れば左にと。
 稲光は網状に広がった。
 怪物はしばらく、稲光の網の中でもがいていた。二人はハーグワン・エネルギーを強めた。爆発的な閃光と共に、サンダーバードの姿は空の中から消え去った。
「やった……」
「やりましたね、時夫さん!」
 雪絵の満面の笑顔が、真横で輝いている。
「さすがですね、時夫クン」
 マズルがさわやかな笑顔で賞賛した。
「お主天才じゃったか」
 達夫店長も感心している。
 疲労困憊でめまいを起こしながら、時夫はフラフラと空中魔法陣の認証を済ませた。
「ミ、ミッション・コンプリート……」
「この流れで行くと、次の認証は雪絵さんですね」
 マズルが、まだ光り輝いている雪絵を見て言った。

七石 ムーンストーン 白井雪絵 恋文セントラルパーク

 恋文セントラルパークが白く輝く。今度は空が乳白色に変わった。本当に世界が連動して動いているのだ。
「セントラルパークは、雪絵が月光欲をする場所だね」
 雪絵は時夫の言葉に、黙ってうなずいた。
「それは?」
 雪絵は懐からアイスバーを取り出した。
「時夫さんが最初に買ってきてくださったあずきバーです。私、これを武器に戦います!」
「まさか、ずっと持ってたの?」
「はい」
 まぁ、雪の女王雪絵なら、アイスを溶かさないで持っていられるだろうが……。
 雪絵は時夫が買ったあずきバーを、懐に入れて持ち歩いていたらしかった。
 あずきバーに雪絵がハーグワンのエネルギーを注入すると、すらりと伸びた。紫光を帯びた「あずきセーバー」が完成した。
 あめ色に輝く紫の剣身は、高貴さをも漂わせていた。握りの部分も、ちゃんと剣の一部に作り直されていることに時夫は驚いた。
 同時に、空が猛烈な雪吹雪に変わった。雪の女王が何をもたらすのか、時夫はたった今思い出した。
「寒くて敵わん! 雪絵、急いでくれないか」
 高齢者の達夫だけでなく、誰もが早く認証を終わらせてほしい心境だった。
 ありすやウーらは自身の光弾で暖を取り、時夫はかろうじてハーグワン・エネルギーで常温を維持していたが、それにも限度があった。
 吹雪の中から、大きな爬虫類……おそらくは、伝説の龍の首と思しき物体が出てきた。翼を生やした全長百メートルサイズの、全身真っ白な龍。
 雪絵はその顔つきに見覚えがあるらしい。
「これは……白彩が作ったジャバウォックこと大糖獣カシラですね。成長して、ドラゴン化してます……。いわば菓子龍、とでもいいましょうか」
「カシリュウ? てことは------」
 龍の口がグワッと開き、白銀の光線が吐き出された。
「世界お菓子化光線です! みなさん、避けて下さい」
 光線が照射された先の雲が固体化している。綿菓子になっていた。
「なんてこった、また始まるのかっ」
 科術師たちの光弾が、一斉に菓子龍に向かって放たれた。だが菓子龍は消え、反対方向に出現した。カシラ同様の、瞬間移動だった。
「バハムートってヤツに似ているわッ!」
 ありすがそう言って、勝手に名称を「カシムート」に変更した。
「行きますッ。あずき無双、疾風雷光斬りィーーッ」
 たこ焼きやうさぎビームよりも、はるかにカッコイイ必殺技っぽいセリフと共に、雪絵のあずきセーバーがカウンターでカシムートを切り裂いた。
 その硬度において、あずきセーバーはカシムートを超えているらしかった。雪の女王・白井雪絵恐るべし!
「…………」
 誰もがやったかと思った直後、真っ二つに裂けたカシムートの中から、紐についた剣玉のような仕掛けが展開した。
 剣玉は雪絵に襲い掛かった。虚を突かれた雪絵は、パックマンのように裂けた剣玉の中に閉じ込められた。
「雪絵!?」
 カシムートは、プラナリアのような生命力だ。元は菓子細工で、成分表示は和四盆(ショゴロース)百パーセントと記される、変幻自在生命体ショゴスである。
 これまでの魔獣たちと異なり、たとえ切り裂いたところで、物体Xのように変化して生き延びてしまうのだ。
 閉じ込められた雪絵は、あずきセーバーで切り裂いて脱出した。 カシムートの砕け散った破片が、再びもやもやと集合しようとしていた。
「どうする?」
「あいつは、私と同じです。一度生まれた以上、もう元のショゴスには戻れません。菓子龍として、カシムートとして生き続けようとします」
 雪絵のあずきセーバーは、マシンガンの形状に変化した。
「私も……ショゴロースで作られたヒトモドキでしかない……だから、あいつの悲しみが伝わってくる。でも、意味論の世界ではモドキが本物の恋をしても、いい……!」

 嘘だって、続ければいつか本当になる!! そんなの常識!!
 嘘から出た実(マコト)、そんなの常識!!
 嘘も方便、そんなの常識!!
 瓢箪からコマ! そんなの常識!!
 嘘も誠も話の手管、そんなの常識!!
 嘘も追従も世渡り、そんなの常識!!
 嘘は世の宝、そんなの常識!!
 好きならその恋は本物なの、好きだから、頑張れるの。そんなの常識ーッッ!!

(その通りだ、雪絵-----)
 時夫は雪絵の一途な想いを聞きながら、涙ぐんでいだ。
 雪絵の中に、「真実」しかなかったからだ。
 放たれた常識の光弾で、カシムートは木っ端微塵に粉砕された。単に砕けるだけではない。
 常識の意味論によって、不可逆的に普通の砂糖成分に変化し、カシムートが復活することは二度となかった。同時にお菓子化の空間も、正常化していった。
 そこへサリーが、油麩剣を持って現れた。焦りを感じているのかもしれない。
「上空へは行かせない。白井雪絵……あんたが私の食料にならないのなら、とっとと死になさい!」
 サリーは油麩剣で雪絵を斬りつけた。
「そうですか……あなたも私のアイスがそんなに食べたい……と! あずきセイバー絶対0度斬り!!」
 油麩剣はあずきセーバーに触れた瞬間、砕け散り、サリーは吹っ飛ばされていった。
「あずきバー硬すぎワロタ」
 つい時夫は噴き出した。
「こんな時、どんな顔すればいいのか分からない」
「笑えばいいと思うよ」
 雪絵は笑顔で無事に認証を済ませた。
「あの様子では、エクスカリカリバーブロートよりも硬い物質かもしれません。……私もぜひ、今度試食してみましょう」
 ドイツパン職人レート・ハリーハウゼンことムニエルは、興味深げに古城ありすに言った。だが、それは雪の女王・雪絵が持たないと最硬の物質にはならない。

次回、自戒。
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