第10話 不思議の国の水先案内人・石川ウー

文字数 4,313文字

 一体全体、この恋文町で何が起こっているのだろう。
 頭がこんがらがる。問題を整理しよう。
 本当に「不思議アリス市」の奇妙な現象なのか。連続誘拐・殺人事件は、果たして存在するのだろうか。
 イカれ和菓子屋店長は警官が言ったとおり、キノコ人間なのだろうか。そんなもの本当にこの世に存在するのだろうか。いいや、それだけではない。
 問題は目の前に居る白井雪絵。彼女だ。本当に砂糖で出来た和菓子なのだろうか。
 気になるといえば、恋文銀座のショーウィンドウで見かけたマネキン達。時夫が出会った、古城ありすと石川うさぎと白井雪絵にそっくりだった。あまりに奇妙だ。とすると、あと一人の長い黒髪の女性は誰だろう。彼女にも会うことになるのかもしれない。
 もう手がなかった。
 しょせん、高校生に出来ることなんてこんなものだ。いや時夫はベストは尽くしたはずだ。だが、法律も世の中の常識も、全てを覆してしまうこの恋文町の異常な事件に、これ以上、時夫に出来ることなど何一つなかった。
 雪絵の言ったとおり、確かに警察も役に立たなかった。ここまで来ると、この町の怪異に、一体誰の助けを借りればいいのだろうか。
 玄関に、「薔薇喫茶」で借りた傘がそのまま置きっぱなしになっている。そうだ、返しに行かないといけない。ついでにランチの時間か。
 人間か、それとも人間化した砂糖なのか分からない雪絵は、さっきから仕事探しにネット検索に熱中していた。脱出できないなら、この町にしばらく居座る覚悟で、別の仕事を探すのだという。前向きで結構だが-----。
 彼女はネットサーフィンに没頭するつもりらしく、昼食は自分で買うといった。雪絵がそれでいいなら仕方ない。喫茶店のランチタイムが終わってしまう。
 雪絵は時折、テレビでたまたまやっていたミュージカルを観ていた。歌を真似たりして、気に入ったらしい。うぶでかわいい。まるで外の世界を知らないみたいだ。
 雪絵を一人にして大丈夫かと心配だったが、一人で行くとするか……。
 そういやデザートに買ったあずきバー、まだ食べてなかったな。冬なのに、何を思って俺はアイスなんか買ったんだろ……。
 もはや何を考えても答えは出なかった。思い切り非日常系の、バニーガールでも観にいけば、気分転換になるかもしれない。この町に、他に知り合いなど誰も居ない事だし。

「じゃあ、その子は今もアパートに?」
「うん」
 石川うさぎは、今日もバニーガールの格好で店に出ていた。
 昼休憩中なのか、一人でマンガを読みながら、生ハムメロンを食べていた。日常に潜むちょっとシュールな食べ物の代表格といった料理。
 改めて見るとこの店は、今は見かけなくなった「純喫茶」という奴らしい。ところが店長や調理人など、その他の人間が今日は見当たらない。相変わらず、客も居ない。
 うさぎが読んでいるのは、『あぶにゃいデカ』というマンガだという。
 サングラスをしたイケニャンであるところの「クロネコブラック」という猫の刑事が、「もふもふの悪魔」と呼ばれる猫の犯人と追っかけっこをする。
 猫なので猫パンチしたり、追跡中に蝶々を追いかけたり、電柱で爪を研いだりと、ゆるい笑いが売りの四コマ・ギャグ漫画だ。問題は猫が人間語を話す代わりに、登場する人間たちがみんな「ニャー」としか言わないという事だが……。
 店内で流れているクラシックは、うさぎによるとチャコシデノムスキーの名曲「ぎょうざ」だそうだ。聞いたことがない。壁にかけられた静物画は、サゾンヌ作。……セザンヌじゃないのか? 何かが全てズレている店。
「ねェねェ、これ開けてくんない? 硬くてさ」
 うさぎは、手に大きな瓶を持ってきて時夫に渡した。時夫は散々ピクルスの瓶と格闘した上、ふたを開けた。なぜ店長が開けないのだろうか?
 時夫は石川うさぎに、伊都川みさえに似た白井雪絵を匿っていることを、せきを切ったように説明した。みさえを、自分が死なせてしまったのかもしれない、そんな自責の念が時夫を嘖みながら。この間からの信じられないような出来事を、あらいざらい。
「なるほどね。スイーツドールという訳か。彼女は」
 ウーことうさぎは赤いマニキュアを塗った人差し指を唇に沿え、窓のステンドグラスを見やっている。
「おせっかいを働いて、君は不思議の国の世界線に来ちゃったんだネ」
 窓の向こうの可憐な薔薇が風で揺れていた。まだ顔を見ていないフレンチのコックが店主で奥さんが薔薇を育てているらしい。
「ありすから聞いた話だけど、キノコはやがて再生して元の白彩店主に戻る。ただし、完全に再生するには、相当な時間が掛かるだろうけどね。いずれは何くわぬ顔で店で働く。それまで働いてる店長は子株よ。今の記憶を失ったおかしな和菓子店主は子株だから、その時消えてなくなる」
 これには驚いた。石川うさぎも、セントラルパークの茸について知っていた。いいや、友人である古城ありすもらしい。なにやら町の現象に詳しそうだった。子株の店主は、いわば本体が居ないときの分身なのだ。
 時夫達が埋めた店主の身体は、回復のために地中深くへともぐり、その代わりに、地中の分身の一つが地上へ出てきて身代わりとなる。だから穴が開いていたというわけだ。その分身は、本体が活動すると消えてしまう。よって店主が複数存在するということはないらしい。
 それでは店主が殺害した、夜な夜な公園で勝手にジョギングしているキノコは何者なのかというと、自我を持ってしまった幾つかの自分の分身らしかった。本体が分身を「殺害」し、元の地面に埋め戻していたという訳である。
 キノコがキノコを栽培し、適度に人間化したキノコを砂糖「和四盆」の原料にしてきた、というのが白彩の秘密だという訳だ。
 つまり店主は何回も死んで蘇っていて、その事を警察は知っている。警察はその都度何度も捜査したが、どうにもできず、超常現象にうんざりしていた。
 彼らは超常現象は管轄外だとして、ほとんど白彩の話は禁忌(タブー)となっていたのだ。だから、駅前交番の警官達は、二人の話に全く取り合わなかった訳である。
 うさぎは時夫にサービスでモチーズを作ってくれた。焼いたもちの上にチーズが乗っていて、たちまち時夫は身体が温まってきた。
 流暢なピアノで「雨音はショパンの調べ♪」を演奏する。
「あたしも、ここ最近奇妙な事が何度かあったんだ」
 うさぎの素性は何だろう。どう見ても、時夫と同じ高校生にしか見えない。
「他にも誘拐事件が起こってるんだよね。聞いたことある?」
「いや……」
「何でも、佐藤さんていう名前の人ばかりが連れ去られているみたいなんだ。それも地下へ」
 頬杖着いたうさぎの視線は、厨房に向けられている。そんな話は初耳だった。
「戦時中に作られた防空壕が、恋文町にもあるんだって」
「防空壕……アニメ『この世界の片隅に』に出てきたアレか」
「けど、それを誰かが拡張したらしいのよ。そんな噂聞いたことがある。地下鉄も通ってないこんな地方都市の下に、巨大な地下都市があるなんて。ロマンよね」
 ちょっとデーモニッシュな顔つきで、うさぎは微笑んだ。
「他にも、人間ドックに行った人が犬になって戻ってきたりとか-----」
 「ドック」と「ドッグ」ではスペルが違うと思うんだが?
「君も、他にも何か奇妙なこと体験してない?」
「-----あぁ」
「何?」
「バニーの格好をした店員のいる喫茶店とか」
「え? あたし?」
「その服、どこで売ってんの」
「ドンキとかに普通に売ってるよ。名前が悪いのかな。何しろ不思議有栖市だもんね!」
 と、うさぎは笑った。またそれか。
「恋文町も変だけど、千葉ってさ、変な地名多いもんね。コレなんて読むか知ってる?」
 うさぎは紙ナプキンに、ボクシーのボールペンでさらさら書いた。
「我孫子」・「飯山満」
「……あびこ。えーと、いいやまみつる」
「人の名前かッ。『はさま』だよ。君、やっぱ千葉のモグリだな?」
 うさぎは、小皿に茶色い食べ物をよそって持ってきた。
「ほら、ご飯のお供。これ何だ?」
「えぇー何これ?」
「ピーナッツ味噌。千葉県民なら知らない人はいないよ」
 味噌はともかく、ピーナッツをご飯と共に食べるなんて……と思ったが、うさぎに促されるまま食べてみると、甘辛くていける。
「生まれは東京なんだ」
「生粋のシティ・ボーイか。これは?」
 「酒々井」を指差す。
「さかさかい?」
「しすい。『国府台』で『こうのだい』、他にも『行々林』と書いて……」
「ぎょぎょばやし」
「おどろばやし」
 小食土町(やさしどちょう) 、犢橋(こてはし)、海土有木(あまありき)、さらには、安食卜杭新田(あじきぼっくいしんでん)……。
「……どうしてこうなった」
 もはや、奇名の伏木有栖市も珍しくない。奇名だらけ。難読地名しかないといっていい千葉県自体が、不思議の国といってもいいのかもしれなかった。
 うさぎは、恋文交番の太った警官と同様に伏木市と有栖市が合併してから、この町で奇妙な事が起こっているのだと結論した。
 九ヶ月前の春に、伏木市と有栖市が市名を巡って、すったもんだ争ったあげく合併した。合併した事で、伏木有栖市には世にもアメージングな現象が次々と起こっている……。
 時夫は天井に黒い物体を見つけた。前には無かったものだ。
「あっ、また入ってきたッ!」
 よく見るとコウモリだった。
 うさぎは、箒で外へ追っ払った。近所の森から来たのだろうという。
「もう一度、ありすの店に行ってみたら? 転ばぬ先のありすだよ」
 この町にあるあの漢方薬局なら、君の質問に答えてくれるだろう、という。
 そのありすは前に言った。時夫は余計なことに首を突っ込むタイプだと。そして余計なことに首を突っ込むと、大変なことが起こると------。確かにそれは当たっていた。
「いや、不思議の国でまたありすに会ったら、もう自分が引き返せない気がして。もう少し自分自身で、この町を調べてみようと思う」
 まあ、やけくそだけど。
「そう? ウフフフ」
 ウーは箒の柄を時夫にビシッと向けて、宣言した。
「よろしいーッ! ご近所をゆく冒険者の君ッ! 世界ばかりが冒険の舞台じゃあない!的な? もはや世界中の謎は知り尽くされたッ! 異世界も、近頃は探求されつくされているッ! 冒険者諸君、旅立ちがしたくば、鮭の切り身が食べたい時の、インスタントの鮭茶漬けと同じ、ラスト・フロンティアはKINJO(近所)! あるいはSONOHEN(その辺)!」
「お、おう……」
「けど、あんまりムリしないでね」
 うさぎは笑って、生ハムとメロンの一切れをぱくりとくわえた。
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