第41話 薔薇の名前はウンベルトA子

文字数 13,354文字

ザ・グレート・エスケープ

「ちょっと待った! 大事なことを忘れてるぞ。うるかを店に置きっぱなしだ」
 ちょうど四人が車を停めている「一度踏み入れると二度と戻れない横丁」までたどり着いたときに、金沢時夫は言った。
 佐藤うるかのことを思い出したありすらは、一度店に戻り、うるかを家に帰したほうがよいという判断で、帰すことにした。
 今狙われているのは古城ありすたちで、当面彼女らは、狩り場たる場異様破邪道へ近づけさせなければ問題ない。うるかには恋文町の場異様破邪道に関する情報を伝え、注意を促した。
「ま、とても信じられないだろうが、この町で起こってる不思議の国のアリス現象の先輩として……」
 そう得意げにいう時夫に、ありすとウーはくすくす笑った。
「もぐりのクセして」
「本当に、ありがとうございました。これ、お兄さんに差し上げます」
 うるかは帰宅時、カバンから一冊の文庫を取り出して渡した。
 O.ヘンリー「最後の一葉」。菓子井基次郎の「檸檬」の一件が頭をよぎる。
 また君は……意味論の支配するこの町でこんなものを。
 そう時夫が思って顔を上げると、もう佐藤うるかの姿はなかった。もしかして、こんな本を渡したのは、少女は全てを知っててやってるのか?
 全く、電柱にならなきゃいいが。ありすはというと、玄関に掛かっていた回覧板を見たりしている。
「しっかし、スゴい骨董品だらけだな。この店」
「ウン、恋文町のヴンダーカマーだからネ。カマ~ン♪」
 指先カモンという感じのありすだが、時夫はヴンダーカマーが何だか知らない。ウーによれば博物陳列室のことで、「不思議の部屋」とも呼ばれるらしい。
 そんな時だ。床が明らかに揺れていた。
 ……地震だ。飛び立つ烏の鳴き声が響き渡った。ありすは骨董品の前に立って大きなつぼを中心に、か細い両腕で支えた。床が大きく横揺れし、戸がガタガタと音を立てている。
「キャアッ」
 時夫とウーと雪絵はとっさにテーブルの下に屈んだ。
 棚に置かれた高級な皿が続々と落ちてきた。
「藤原の塊!」
 ありすは物体が転がらない科術の呪文を唱えて、それらを落ちないようにした。
 ずいぶん長いこと揺れている気がした。しかし実際には、揺れは一分後には収まった。
「……震度、5以上はあったわね。お店の中、大丈夫かな」
 古城ありすは、店内を歩き回って『半町半街』の損害を確認した。特に漢方用に育てている球根類を気にしている。
 黒い多肉植物の黒法師と、同じく多肉植物の一種、ふっくら娘も無事だった。
 科術の呪文で防御したとはいえ、相手は自然現象、限界はある。幸いにして、大事には至らなかったらしい。
「あっ、薔薇喫茶も!」
「オ、オレの部屋も」
 一瞬浮き足立った三人を、当のありすが制した。
「このタイミングで地震が起こるなんて不自然だわ。もう行きましょ」
「まさか。地下の連中が地震を起こしたっていうのか?」
「そこまでの力はないんじゃない?」
 ウーも時夫と同じ意見だった。
「分からない。でも、この地震がなんだろうと、恋文町を脱出するのは今しかない」
「ふぅ。ま、ありすがそこまでいうなら、仕方ない」
 あわててウーはカバンに色々かきこんでいる。なぜかフライパンまで一緒に入れているのを時夫は目撃した。
 ありす達は車庫におかれた頼りの車に戻った。またサーキットをセットして、スーパーカー消しゴムをはじかないといけない。車は問題なく発進するものの、ややスピードが遅いのが難点だ。
「金時君が雪絵さんと一緒に町を脱出しようとした際、この町の防衛システムである迷宮化に絡め取られたわよね。要するに、君達は恋文町七丁目を超えることができなかった。でもそのときは、町はまだ箱庭化していなかった。箱庭だったら、絶対抜けられなかった。つまり、迷宮を解けば、ちゃんと出られるのよ。今も、箱庭化は解除されている」
 ハンドルを握ったありすは、「児童運転科術」でエンジンが掛かるのを待つ。
 後部座席の時夫と雪絵はありすの言葉に半信半疑だったが、時夫がボードを持ち、雪絵がスーカーパー消しゴムをはじいて、後部座席で二人で車を操作するのは結構楽しい。車は動き出した。

 なるほど、改めて町を走ると、あちこちで工事が行われているのをよく見かけた。明らかにおかしい。年末とはいえ、こんなに工事中というのは不自然すぎる。この車をじっと見ている太った警備員は、殺気を帯びて赤く光る誘導棒を握っていた。……やはり、茸人なのだろうか?
「もし、工事現場を突破したらどうなる?」
「交通ルールを守らないと、『恋文はわい』みたいに何が起こるかわからない。だから、交通ルールは破れない」
「また、鮫が出てくるっていうのか?」
「いや、そうじゃないけど。不測の事態が起こるってことよ」
 マンションなどのやや高いビルを見るたび、ありすは警戒した。
 その入り口に設置されている送水口こそが、この迷宮をコントロールしている張本人だとありすは言った。鮫といえば、例の浮遊する監視者、電光鮫もヴヴヴという音を立てて泳ぎ回っているのも時折見かけた。
「なぁ言いたくないんだけどさ、さっきからこの車、鈴鹿サーキットみたいにおんなじトコグルグル回ってるみたいだゼ」
「別のルートを通るたびに、工事の連中が移動して、あたしたちを待ち伏せしているようね」
「それじゃ脱出できないじゃないか!」
 やっぱりそうだったのか。迷宮とはいえ、そんなに広い町であるはずがなかった。迷宮をあらしめいているのは、いちいち移動して道を塞ぎ、妨害している何組かの工事の連中だ。
 信号待ちをしていたら、人間のおっさんにそっくりな顔をした犬がこっちを見て、「ウハハハ、ウハハハハ」と笑っていた。よく見ると黒い眉毛がゴルゴ13にそっくりだ。
「何あの犬? むかつく」
 助手席のウーが睨んでいった。迷宮の中のありす一行をあざ笑ってるようで、本当に忌々しい。
「人面犬くらいじゃもう驚かない」
 と、時夫はボードに視線を戻した。
「君も言うじゃん。観たことあるの?」
 ありすは運転しながら感心している。
「いや、人面人くらいしか」
「おもしろーい。ってそれ、ヒトモドキのことじゃん」
「あ、そうか」
「人に見えるが人でない。人面をつけた人間。茸人、通称ヒトモドキ」
 どこもかしこも延々と同じような住宅街。他に目に付くものといっても駐車場とか……

「月極」

「げつごく……」
「つきぎめよ」
 ありすに正解を教えられて、時夫は人生で始めてその読み方を知った。「月単位で契約する」駐車場のことだった。
「ちょっとやってみましょうか」
 同じところを三周したとき、ありすは突如ハンドルを切って、通行止めしている警備員に突っ込んでいった。
 工事現場を突破しようというのだ。
 警備員さえいなければ、車一台通過できる余地はあった。その前面に立った警備員のたすきに、「恋文セキュリティ」と書かれているのがはっきりと見えた。その恋文セキュリティは、赤く輝く誘導棒を振りかざした。
「何か、やばいっ」
 そういうが早いか、ありすは半開きにした車窓からペットボトルを投げつけた。水のペットボトルは、セキュリティの眼前に来て真っ二つに裂けた。警備員の手に握られた赤い光の帯が切り裂いたのである。
「ラ、ライトセーバー……あれ誘導棒じゃない」
 ありすの車はドリフトして強引なUターンをし、元来た道を引き返した。
 ヴーンと鈍い電光音を唸らせるライトセーバーを持った彼らは、全員ジェダイだというのかッ!
「え? ジェダイが警備員? 警備員がジェダイに進化?」
 時夫は、雪絵がボールペンではじくサーキットを両手で持ちながら、流れ去る赤い光を見送った。
「いやおそらく、意味論よ。あの赤い誘導棒が、ライトセーバーとしての意味を持ったことで、ヒトモドキ警備員達は結果的にジェダイと同じになってしまった」
「危険すぎじゃないか!」
 もはや鮫より危ないかもしれない。
「……突破は無理ね」
 ありすは唇をかんだ。

        *

 恋文町の真下に存在している広大な地下空間は、巨大な発光植物によってぼんやりと明るく輝く世界である。
 その一角に、巨大食虫植物群が勝手に群生していた。
 そのため、そのエリアに迷った蜂人たちが時々餌食になっていた。
 彼らは日々増殖しつつある食虫植物群生地に戦々恐々としていた。実は勝手に群生しているといったが、こんなものが地下にあるのも、女王真灯蛾サリーの悪趣味のなせる業だった。つまり、あえてそのままにしているのである。女王は蜂人を保護しているようで、ところどころ、それほど大事にしていないのかもしれない。
 さてその地下の中心に建っている古城の大食堂は、謁見の間の代わりも果たしていた。テーブルの端っこの主席に、白い足を組んで座る真灯蛾サリーは、目の前にかしずいている黒ゴスロリ少女・古城ありすにそっくりな少女を見下ろして言った。
「ご苦労、黒水晶。ようやく会えたわね。ふ~ん。どっからどう見ても、あいつにそっくりね」
 黒水晶は、もともとモリオンという鉱石で、九ヶ月前まで古城ありすの重要なパワーストーンだった。
 ありすは常に黒水晶を携帯し、科術の力の源泉としていた。だが、地下帝国の地上への第一橋頭堡である「菓匠白彩」に戦車で殴り込みをかけた九ヶ月前の大戦(おおいくさ)の際に、黒水晶を白彩側に奪われた。
 以来、白彩は黒水晶を使って恋文町における勢力の拡大を図ると共に、黒水晶の人格化を進めた。つまり地上の魔学のパワーの大本のところに、黒水晶の科術の力が関わっていた。
 さて人格を宿した黒水晶は、白彩地下にある研究室で、この町に対する様々な「実験」を行ってきた。
 各地で起こる誘拐事件は、黒水晶の実験のなせる業だった。その黒水晶が女王に謁見したのは、今日が始めてだった。
 サリーの目の前にいる黒水晶は、どっからどう見ても、元の主人たる古城ありすに瓜二つだった。ただし、ありすが金髪なのに対し、黒水晶の髪はつややかな漆黒色だ。
「来たばっかで申し訳ないけど、最初の仕事を与えるわ。ありす達、この恋文町を脱出しようとしてるって、上の送水口から情報が入った。何としても奴等を捕まえて! そしてここへ白井雪絵を連れて来なさい。それと、時夫さんも忘れずにね」
「かしこまりました、女王陛下」
 ありすにそっくりな外見を持った黒水晶の言葉に、サリーは満足げに笑った。笑うと八重歯なのか牙なのか分からない犬歯がにゅっと飛び出た。まるでありすを自分の部下にしたようで気分が好かった。
「女王陛下、とっておきの土産モノがございます。この私(わたくし)めにお任せください」
「何? 幻想寺の場所でも分かったの?」
 「幻想寺」には、サリーの求める古文書が隠されているはずだ。
「いえ、違います」
「……ふ~ん。それって、白彩土産?」
「さようでございます。早速、追撃に投入いたします」
 まだ使用していない数々の実験の成果が、黒水晶の手にはあった。
 黒水晶がすっくと立ち上がると、その背後からカツンカツンと革靴の音を響かせて、赤マントを羽織った派手派手な「人物」が登場した。サリーはその面構えを見て、おやっという顔をした。人物とはいったが、その頭はそっくり金ピカの送水口そのものだった。
「おや、コイツは?」
「赤い彗星の総帥公ヘッドです。地上のインフラ同盟を率います。古城ありす一味追跡の指揮を取ってもらいます」
「ほほう、なるほどな。つまりこれは送水口人間って訳か」
 双口自立型送水口。地下勢力の擬人化は、遂に行くとこまで行ったのである。
「ありすを監視していた者に、追撃を任せます」
「完璧ね」
「じゃあ総帥公ヘッド、例の奴を頼むわ!」
 黒水晶はにっと笑うと、金ピカ頭の百八十センチほどもある送水口仮面を見上げた。それは赤マントをバッと翻して壁に向くと、白手袋を嵌めた右手をかざして叫んだ。
「わーたーしの記憶が確かならば、……九十年代初頭の日本はバブル絶頂期。若い女性達は太い眉に肩パッド、ワンレン・ボディコンという格好で、アカぬけないテクノの大音響で夜明け前まで踊り明かしていた時代であり、日本中が浮かれていた恥ずかしさと共に、人々は今もなお、まだその記憶を、夢を忘れられないでいる……。バブル景気よもう一度! 蘇るがいい、アイアンハンター! 南の鉄人、ウンベルトA子!」
 間接照明が照らす壁面の床から、お立ち台が浮かび上がる。ドーン! という音と共にそこに赤いボディコンを着て、ゴールドネックレスをジャラッジャラと着けた、腰まで長いワンレングス黒髪の美女が、黒光する扇子を持って立っていた。
 ド派手な九十年代初頭風テクノが流れ、8の字でスモークを振り払う扇子の動きと共に、クネクネと踊り出した。
「薔薇の名前はぁー、ウンベルトA子!」
 と叫んだA子は扇子をパンッとたたんで腰のベルトに差すと、あっけに取られた女王を尻目に、そのまま高速のバック転で立ち去った。
「……中国雑技団?」
 サリーはぽかんとして見送る。
「本末転倒委員会のウンベルトA子。存分に戦うがいい! 女王陛下、ここでじっくりとご覧ください」
 そういうと、続けて送水口ヘッドも一礼して立ち去った。A子と共に追撃するようだ。
 なんというか、この黒水晶の演出自体がバブルを引きずっているという気がしなくもない。
 にしても「本末転倒」? そこには、どんな意味論が仕掛けられているというのか。
 黒水晶が指をパチンと鳴らすと、今度は大きな4K・TVが床から登場した。地上の様子をここでモニターするらしい。これらの設備は元から城内にあったものだが、黒水晶は設備をほぼ掌握していたらしい。

        *

「打つ手はないのか、打つ手は……」
 同じところを通るたび、ありすの車はこっちを見ているおっさん犬にワハハと笑われていた。
 だいたい、闇雲に走っているだけでは前回、時夫が試みた脱出と大して変わらないではないか。と言おうにも、運転手の古城ありすが真剣なので時夫は何も言えなかった。助手席のウーはといえば、爪に何か塗ってるし。本当にやる気があるのは、交代しながらスーパーカーをはじいている時夫と雪絵だけなのではないか。
 さておき、ありすは工事のパターンが見えてきたので、今度こそ出し抜けると言った。確かにそうかもしれなかった。
 なぜなら、ずっと同じところにいたはずのおっさん犬が見当たらない。
 つまり工事の連中にも移動時間というものがあり、一旦引き返すフリをして元に戻ったり、迷宮の監視者の電光鮫の通らない道を見極めたりすることで、工事を欺くという作戦が功を奏していた。
 地道にやれば、迷宮を脱出できる可能性があった。「このままいけるかも」と思ったその瞬間、
「なんだアレは!」
 バックミラーに映った奇妙なものに時夫が気づいた。四人が振り向くと、高速でバック転するワンレン・ボディコンの、いわゆるバブリーな女が追ってきている。
 時夫は一瞬お化けかと勘違いするほどぎょっといた。
 長い黒髪を激しく振り乱しながら、太眉の女が笑っていた。こっちは自転車くらいの速度しか出ていない。いや、それにしてもだ。
「敵臭、追手よ!」
 とうとう、敵は実力行使に出てきたらしい。
 バック転しながら追撃しつつ、その真っ赤な唇はくちゃくちゃとガムを噛んでいた。口から巨大な風船を膨らます。風船ガムだった。風船ガムは見る見る大きくなり、宙に浮かんで車に接近した。
「シムラウシロ!」
 ありすが運転席から振り向いて、「シムラウシロ」衝撃波が女に向かっていく。
「バブルー……ッ崩壊ッッ!」
 ありすの放った科術の呪文は、風船ガムにぶつかって派手に爆発した。再び女はバック転で追撃を続ける。
「これ爆弾だ!」
 ウーが叫んだ。
「なんだって、さながら檸檬ならぬ風船ガムの?」
 さすがはバブル女の面目躍如ってところか! 「バブル」の意味論は「崩壊」とセットになっているらしい。しばらく、シムラウシロと風船ガムの攻防が続いた。
「くそっ」
 ありすは科術の呪文を中断する。
「古城ありすッ! ホーッホッホ、策に掛かったわね。バブル崩壊爆弾だよ! ホーッホッ、ホーッホッホッホ!! 私は本末転倒委員会会長、薔薇の名前はぁー、ウンベルトA子ッ」
 バブル女の風船に続々とぶつかり、車の近くで派手に爆発した。
「やばい、もうちょっと近いと車を壊される」
 遂に高速バック転で追いついたバブル女は、ガムの風船を巨大化させると、その上に飛び乗って浮かんだ。
 まるで気球に乗ったお化けだったが、何処でもかしこでも「お立ち台」にできるパワー(意味論)を秘めているのかもしれない。
 ニヤニヤしながらガムを噛んでいる。
 車に横付けすると飛び乗り、お立ち台状態で、車の屋根をバインバインとハイヒールで蹴ってきた。さらに車窓にその手をにゅっと突っ込むと、白井雪絵の腕を掴み、引っ張り上げようとした。
「こいつ……」
 血相を変えた時夫と女との間で、雪絵の引っ張り合いになった。
「単なる茸人じゃない。格段にパワーアップしてるぞ」
 茸人といえば、押しただけで地面に倒れて死んでしまうほど脆弱だ。ところがこの敵は物凄いパワーで、そう簡単には倒せない。
「ちょ、ちょっと時夫、消しゴム飛ばし止めないで!」
「そんなこと言ったって、こここの野郎~……ッ! 離せ」
 女でも「野郎」だ。車はたちまちスピードが低下していく。
「うさぎビーム!」
 箱乗りした石川ウーの必殺科術がピンクの輝きを放った。足を滑らせたA子が転げ落ちていった。
 しかし長い爪ですぐさま髪をかき上げると、立ち上がった。「ターミネーター2」のT1000並に頑丈なようだ。そうして再びバック転で迫ってきた。
「時夫さん、このボールペン、もう一本のバネを合わせたらどうでしょうか!?」
 雪絵がポケットから別のボールペンを取り出した。どうやら、半町半街でもう一本ボクシーを見つけたらしい。
「なるほど、やってみるか!」
 時夫は雪絵のいうとおり、二つのボクシーボールペンを分解すると、バネを取り出して一本のペンの中にまとめる。ペンのお尻をはじくと、バキッという音と共に、スーパーカー消しゴムは勢いよくサーキットの中を回転した。
「やったっ! スピードが通常の車と同じ速さになった。これであのバック転女は着いて来れないぞ。幾らなんでも体力が続くわけがない」
 あっという間に後方の追跡者の姿が見えなくなった。
「やったぜ! 雪絵」

 カーンカーン、カーンカーン、カーンカーン。

 消防車のサイレンが後方から聞こえてきた。
 この近くに火事がある訳ではなさそうだ。いや、この音は消防車による見回り、警鐘を鳴らしながらの火の用心らしい。道を曲がるたび確実にこちらへと音が近づいてくる。一行は直感的に、何か嫌な予感がした。
 音が次第に大きくなった。後ろから、長距離トラックみたいな長大な消防車が追ってきた。いわゆる消防支援車といわれているタイプに似ているが、もっと縦長い。
「見て、あいつだ」
 ウーが叫んだ。消防車の上にあのウンベルトA子が載っていた!
「問題なーい、あたしにはアッシーが着いているんだからねー」
 という声が後ろから響いてきた。
 A子はマイクを握っていた。ラウドスピーカーで町内に放送しながら追跡している。
 だが、消防車がアッシー君だと? そりゃ一体どういうことなんだ。地下勢力は遂に、恋文町の公的機関である消防団まで、手に入れたということなのか?
 ありすが目視で三人に合図した。
 消防車の運転席に、マント姿の妙な男が乗っていた。「男」といったが、一見人形かとも思えたその面は、金ピカの送水口そのものだった。
「どうやらアイツのことのようよ。遂に出てきた」
 ありすはバックミラー越しに、後ろの運転手の姿を確認しつつ言った。消防車を、送水口が運転しているなんて!
「なんだあれ」
 時夫はもはや、自分の眼で見ているものを何一つ認めたくない気分だった。
「送水口、露出Y型!」
「仮面つけているの? 送水口の」
「いや。構造的に無理じゃネ? ……あれはどうやら、送水口が人間化したものみたいよ。デンセンマンのように」
 要するに、送水口仮面、いや送水口人間の御登場。
 送水口がもともと地下勢力に通じていたために、消防団の車をも使用できるように進化した。にしても敵の仕掛けがデカすぎる。遂にそこまできたか、恋文町の「不思議の国のアリス」現象。
「歳末特別警戒中、ありす一匹蛾の用心!」

 カーンカーン、カーンカーン、カーンカーン。

「失礼な、誰が“蛾”だッ」
 ウンベルトA子は、光と音を撒き散らす消防車をお立ち台にして踊りながら迫ってきた。
「なんだあの音、うるさいな」
 警鐘と共に、九十年代初頭のジュリアナ・テクノが流れ出した。
 Lisaの「Sex Dance」。
 攻撃的でトゲトゲしいテクノだ。警鐘が火事のサイレンでないところがお慰みか。
「バブル、あの頃はみんな輝いていたぁーーッ、みんな、バブルの輝きをもう一度取り戻そうぜぇ-------ッ!!」
 薔薇を一本口に咥えたA子はクネクネ踊り出す。ハイヒールで踊れるのは尊敬するが。

 クネクネ……クネクネクネクネクネ……!

「うっわぁー初めて見た! 生ジュリアナ」
 ウー、感心してる場合ではない。
「撃て撃てーッ! ありすちゃん」
 しかし運転しながら後ろを向いて「蝶声投入」はできないので、
「シムラウシロ! シムラウシロ!」
 やっぱりありすは、振り向き専用の科術の呪文をぶっ飛ばした。
 消防車に向かって衝撃波が飛んでいく。科術の呪文がA子に集中するも、猛レツに踊るA子の扇子に全て跳ね返されていった。
「シムラウシロをジュリ扇で交わされた!? そ、そんな馬鹿な」
 ありすはある事実に気づいてハッとする。
「そうか、シムラウシロはバブル以前からある科術だって、師匠から聞いたことがある。もしかすると、この戦いでは、古い文化は新しい文化に勝てない!?」
「なら私の出番ね。うさぎビーム!」
 だが、石川ウーの科術も同様に扇子に跳ね返されていく。
 物凄い高速回転する黒い扇子、そしてキレッキレのダンスに、所々キメポーズを挟み込んでいた。これは、あのジュリアナ時代のダンスをも超越する京劇の一シーンといっても過言ではない。……てか、中国雑技団!
「あの扇子は?」
「……まさか。あいつの持っている扇子、羽がついてない」
「だから?」
「ジュリ扇じゃない! 黒光りしてるんでマサカとは思ったんデスけど、鉄扇だよ!」
 ありすが後ろを振り向きながら叫んだ。
 ありすによれば、アダマンタイト製ではないかという。しかし、誰もそんな単語は知らない。ともあれ、その鉄扇そのものがハンパではないってことだ。そして跳ね返しているのは鉄扇だけではない。撃ちもらしを、A子のボディコンの肩パッドが跳ね返していた。
 A子は風船を次々と撃ち放った。風船が車に近づいたところで薔薇を一本ずつ投げつけ、とがらせた枝の先端で爆破させた。
「あぁー、車が壊れる!」
 だが、敵の攻撃はそれだけで終わらなかった。
「好景気よもう一度! 発射オーライ!」
 ホースを取り出したA子は、三倍のパワーの放水をありすの車に向けて発射した。消防車の後ろは巨大な貯水タンクだ。
「ハイハイハイハイ、ルービーで乾杯!」
 突然、呪文めいた反転語を叫んだA子。
 科術の衝撃波を相殺するらしい。
「どんだけ景気がいいんだよッ」
 ありすたちの科術の光弾が水の勢いで跳ね返され、さらに、そのまま車の後部座席に降り注いだ。
「こいつぁリアルガチやばいぜ!」
「何語!?」
 後部座席の時夫は、水の勢いをストレートに感じた。
 その間も、揺れる車内で時夫と雪絵は、必死でスーパーカー消しゴムを飛ばしている。徐々に、後方の消防車との距離は再び縮まりつつあった。
「停まりなさい、前の車、停まりなさーい」
 消防車で叫んでいるのは送水口その者だ。
「ヴハハハ、総帥公専用だ、三倍の性能だ! 私は恋文町見回り追撃部隊・赤い彗星の総帥公ヘッドである! 女王陛下に逆らう愚か者共め。おとなしくお縄を頂戴し、白井雪絵をこっちへ引き渡せ」
 ゴォーッと轟音を立てて迫る車は、消防車にしては大型トラックのように長かった。「バトルトラック」と命名する。そして消防車であるから、全ての交通ルールに優先され追撃に特化されていた。追跡者として、これほど恐ろしいものはないだろう。
「お断りね!」
 それにくわえて、「ワハ、ワハハハハ!」という、下卑た笑い声が放送から一緒に聞こえてきた。
「見ろ、助手席にいるの、おっさん犬だ」
 おっさん犬はなぜか、少し古めのサングラスをしていた。どうやら、チクったのはあのおっさん犬らしい。
「あいつめ~! やっぱりスパイだったのよ。チキチキマシンのケンケンみたいだ」
「チキチキマシンて何?」
 ウーはありすの言葉を聞き返したが、ありすは運転に夢中で返事をしない。
「タカ、ユージ! 行っくっぜッ!」
 上に立っているA子も放送で叫んだ。誰がタカで、誰がユージなのか分からないが。どこにもそんな奴ぁー居ない。
「どーせギロッポンで、ぼよよん剤でもやってオカシクなったんでしょ」
「偏見ね! それこそ」
 ありすの独り言が大きくて、なぜかウンベルトA子に聞こえていた。
「うっさいわね~! 大体町内迷惑なのよウンベルトA子!」
 ウーは箱乗りで怒鳴り返した。
「ちげーわよ、A子のAは温子のAに決まってんでしょーが! 温子よ、浅野温子よ! おい新人類! どーいう髪の色してんだよ恋文町の指名手配のチャンネー共!」
「知らねーし! お前みたいな奴は九十年代後半には貞子って言われる定めだし!」
「不景気な話はヤメロ!」
「定めだし! 貞子だし! 定めだし! 貞子だし! 定めだし! 貞子だし!」
 ま、確かにウーはピンク髪、ありすは金髪だ。黒髪しか居なかったバブル期には存在しない種族だろう。
「そういやぁ、思い出した。ありすちゃんも、小学生の頃机の上に乗って下敷き振り回してたジャーン?」
「……」 
 ウーの指摘に、ありす顔真っ赤。何それ恥ずかしい。
「宿題の工作で、輪ゴム使ってカップラーメンギターを……」
「うるさいなぁ!!」
 ありすにも黒歴史あり。
「我が機は、貴君の三倍の性能だぁー!」
 なにやら消防車から響いてくる二名の文化がかみ合っていない。送水口は、シャー・アズナブルのつもりらしい。
 再びウンベルトA子の風船ガムが放たれていった。音と光の魔学で空中に固定された後に、A子が「バブル崩壊!」と叫んだ瞬間に爆発する。うるさい・冷たい・まぶしい。水、光、音の三重攻撃とはこのことか。
「マジヌッコロス」
 激おこプンプン丸のありすだったが、打つ手はない。
「またバブル爆弾が近づいてきたら……今度こそ車を破壊される」
「ダカラその前に……うさぎビーム! うさぎビームぅ!」
 しかしうさぎのビームもまた、鉄扇とバブル、放水に全て跳ね返されていた。
 それにしてもと、時夫はふと疑問に思う。迷路はどうなった?
 全ての交通ルール、インチキな「工事中」も、後方の消防車の優先によって解除されている。時夫は今、どこを走っているのかも見当もつかない。恋文町を出たのか出ないのか。もはやそれすらも不明だ。
「あーもうこんな時間じゃん、フーセンガムだけじゃ腹減ったわね~。早く終わらせてギロッポンまで突っ走ってシーメーってとこよね」
 ウンベルトA子め、転倒語で調子こきやがって。
 わざわざ六本木まで行くって、どんだけバブルを貫くのか。灰皿にテキーラ注いで飲ますぞ。ていうかあの消防車なら東京へ脱出できるのだろうか?
 ともあれ、お立ち台とアッシーのお陰で三倍のパワーってやつか! 困ったな。これだじゃこっちが体力尽きちまう。「ランボル握り」もない。古城ありすが無限たこ焼きが撃てさえすれば。これが、本末転倒委員会だというのか? などと時夫が心中ぶつくさ考えていると、A子は助手席の車窓に屈んで、おっさん犬に向かって言った。
「ユージ!? ティラミス一杯ちょうだい」
「いつの時代だよ!」
 遂に時夫の堪忍袋の緒が切れた。
「言ってやって。あそうだ! あいつがバブルなら、こっちはもっと新しい時代の科術で対抗しよう」
 ありすが新しい技を思いついたらしい。
「というと?」
「ギルガ~メッシュッ!」
 ありすは指ピストルしながら振り向いた。……片目を瞑って何やってやがる。
「ありすちゃん、それヤバい奴だから。それも古いじゃん。ちょっとしか新しくないじゃん」
 ウーは元ネタが深夜番組だとなぜか知っていたようだが、時夫と雪絵には何のことか分からない。
「じゃあ、あんたなら何かいいアイデアがあるの?」
 頬を赤らめたありすが隣のウーに訊いた。
「ウン、任せて。時夫、雪絵さん。車、一定の速度を保ってよね」
 どうやらありすの無茶振りは、石川ウーに効果があったようだ。
「大切なことは、全部山田から教わった!」
「誰それ。山田って?」
「あたしの愛読書」
 そんな本この世にあるのか。
 うさぎはバッグの中からなぜかフライパンを取り出すと、再び箱乗りで車から身を乗り出して、それだけでなく屋根に乗った。……だから山田って誰なんだよ。
「な、何してんのウー」
 ありすにさえ、その親友の行動は予想がつかないようだ。ウーは、敵のお立ち台に対抗しようというらしい。
「だっちゅ~~のッッ……!」
 ウーがウィンクして前かがみ姿勢で胸を寄せる。ピンクの光が胸元から眩く発光した。不意打ちを食らったA子のアダマンタイト鉄扇を吹っ飛ばす。ウーの科術、胸と共に目下成長中だ、とか!?
「オヤジギャル! いやオバタリアン! お立ち台で『クエッ、クエッ、クエッ』なんて、もう古いんだよ!」
 さらに、地震のときに同じくバッグにかき込んだらしい冷凍食品チャーハンの袋を開けると、フライパンにぶちまけ、ウーは無表情でパラパラを踊りながら作り出した。そこで何で小室サウンドじゃないんだ?

 パラパラ、パラパラパラパラパラ……!

「言ってないワそんなこと! パラパラだって古いじゃん」

 クネクネ……クネクネクネクネクネ……!

「ウルッせーッ、テメェのせいでバブル崩壊後日本経済は不景気爆走なんだぁ」
 それはいくらなんでも言いがかりというものだと思うんですが石川ウーさん。
「盆踊りの時代から、パラパラは歴史と伝統と最先端なんだヨッ」
 だからなんで宇多田ヒカルの「Automatic(オートマティック)」じゃないんだ? いや、それは別にいいか。ちなみに時夫がそれをウーに訊くと、ギャルの教祖といえば、ウタダではなく浜崎あゆみと安室奈美恵だと後で訂正された。
 すると、何ということでしょう。
 みるみる科術のパワーで熱せられていくフライパン。うさぎビームの応用なのか。ジュージュー音を立てている。
 そこまでは分かるが(?)、どっかから九十年代後半のポップなパラパラ系トランスまで響いてきた。
 「NIGHT OF FIRE♪」が流れ出す。この曲は、走り屋アニメ『頭文字D』で使用された名曲ではないか。
 ややや、やるな石川ウー! 二つの音と光が交差しぶつかり合って、路地はもはや移動するクラブ状態、新旧九十年代パリピ同士の馬鹿騒ぎの爆心地と化している。

 パラパラ、パラパラパラパラパラ……!

 クネクネ……クネクネクネクネクネ……!

 パラパラ、パラパラパラパラパラ……!

 クネクネ……クネクネクネクネクネ……!

「やめてー! バブル崩壊後の不景気な踊りはやめてェー」
 バブルA子が完全に追い詰められている。
「バブル(フーセンガム)なんか食べたって栄養になんないよ。バブルガムよりもね、パラパラチャーハンなのよ!」
「そ、それのどこかトレンデーなのよ。きっとズイマーなんじゃないの!」
 とか言いながらA子は、踊りながら空腹のせいかチャーハンを凝視していた。これは……イケる。ウーはにやりとして、さらにフライパンを振っていく。
「それ! 米粒一粒一粒までパラパラよ、味はモチロンチョベリグー!」
 空飛ぶチャーハン、あっけに取られたA子の口に、黄金のチャーハンが続々と吸い込まれていった。米粒の動きに、科術による誘導が加わっているらしい。パラパラチャーハンはうさぎビームの変化球だ。
「マーイウー!」
 二千年代まで残った希少な転倒語を残し、ウンベルトA子の放ったバブルは全て当てはずれな場所で弾け、その衝撃でA子(浅野温子?)は消防車から転げ落ちていった。
「馬鹿の名前はウンベルトA子ね!」
 ウーも微妙に古いが、A子は風船と共に風前の灯となって爆発したのだった。
「やったぜイェイ! 今日からあたしのことバブルクラッシャーって呼んで」
「お見事ねウー、バブルに不景気文化で対抗するとか。これで奴らも形無しね」
「まさにバブル崩壊、泡沫転倒って奴か!」
 三人が時夫をじっと見る。結局その後、山田が誰だったのか誰もウーに確認しなかったので、不明のままだ。
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