第8話 恋文交番 朝九時

文字数 4,598文字

 翌朝七時に、時夫は眼を醒した。昨晩自分がやった事を考えると余り眠れなかった。
 隣の部屋の雪絵をそっと見にいくと、まだ寝ていた。
 窓から差し込む朝日を浴びて、雪絵の白く透き通った肌が輝いているのを、時夫はまじまじと眺めた。どう考えても、こんな「菓子細工」はこの世に存在しない。
 菓子でなくても、どんな素材だろうと、これほどの人間らしさは作れない。どっからどう見ても、彼女は若い日本女性だった。
 立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。美しい白井雪絵。あのイカれ店長、ホントにおかしな事を------。
 美しい眼がパチッと開き、時夫を見つめた。ハッとして視線をそらし、時夫は「おはよう」と挨拶した。雪絵はにっこりと無言で微笑んでいる。
 雪絵がオレンジジュースをコップに注ぐと、コップの中で液体が見る見る凍っていく。
「これ何ですか?」
「過冷却だ!」
 雪絵は雪女なのかもしれない。
 二人でカップラーメンにお湯を注いでいると、もうすぐ朝八時だった。「白彩」が開店する時間だ。出勤した従業員や、あるいは住み込みの従業員らが、店長不在の異変に気づく。そして雪絵がいない事にも気づくだろう。
 昨晩、恋文ビルヂングで起こったドタバタ劇や、二人でリアカーをセントラルパークまで堂々と引っ張っていったこと。当然、深夜といえど何台かの車にすれ違っている。
 遅かれ早かれ、警察がここに来るのは時間の問題であるとしか、時夫には思えなかった。
「今朝思いついたんだけど。今日のことなんだけどさ、自首しようと思うんだ」
 時夫は朝、ふとんで眼が醒めた時から腹を決めていた。所詮、自分は高校一年生に過ぎない。実家に戻ってもいずれバレるし、逃亡生活など不可能だった。
「えっでも……」
 当然ながら雪絵は不安げに顔を曇らせた。イカれ店長から解放された、静かな平和がたちまち終わる。たとえこれから、無実が紆余曲折を経て証明されるとしても。
「警察なんて、本当の事を調べてくれるかしら。役に立たないんじゃ」
「これは、事故だ。それは絶対証明できる。少なくとも正当防衛だよ。ちゃんと説明すれば警察にだって分かってもらえる。それに、あいつは連続殺人犯なんだ。あのキノコ畑を掘り返せば、被害者の死体が沢山出てくるはずだから、僕らの主張は認められるはずだ。それを言わなきゃいけない。結局は警察に行かないと、話が進まない」
「そうですか。分かりました。-----時夫さんにお任せします」
 昨日の二人の苦労をまるで台無しにしてしまうような時夫の提案だったが、雪絵は頷いてくれた。助けを求めたのは雪絵の方だった。これは、時夫に唐突に訪れた人生最大のカケだった。自分がこの事をずっと黙っている方が不利になるのではないか、普通の人生を送ってきた時夫にはその時、それしか選択肢はなかったのだ。

「……で、昨日の夜。君たちは店長の死体をリアカーでセントラルパークのキノコ畑に埋めた、と?」
「はい。そうです」
 中年太りした巡査は、腕を組んで、なぜか天井を睨んでいる。
「フ~ン……そうですか」
 奥の部屋の若い警官など、ゆっくりお茶を飲みながら書類作成に熱中し、こっちを見ようとすらしない。
 ------こ、こいつら、どういうリアクションなんだ?
 駅前にある恋文交番を時夫と雪絵が訪れて、小一時間が経過していた。交番には恋文町に赴任したばかりという若い警官と、訳知り風の中年警官が居た。
 若い警官は二人が説明している途中で席を立ち、奥へ引っ込んだ。中年の巡査がしらけた顔で言った。
「でもしかしだがそしてキノコでしょう。キノコを殺しても殺人にはなりませんよ?」
「……は?」
「最近、そういう通報が本当に多いんですよ。いやお巡りさんたち、それで現場に行くでしょ? キノコ畑を掘っても何も出てこない。それで、君たちがいう殺されたっていう店長さんね。この後、どういうことが起こるか大体予想がつくね。君達がそこのお店に行くでしょう? 店長は何食わぬ顔でお店で仕事してるよ。ここんところ、そんな通報の繰り返し」
 恋文交番は、二人が呆れるような反応を示した。どこか警官は、何度もこの手の話に、嫌気がさしているという感じだった。
「そんな、馬鹿な」
 巡査は菓子折りの栗最中を食べはじめた。信じられない。そのお菓子に、雪絵は見覚えがあるらしかった。巡査はさっき、白彩に行って来たところだったらしい。
 もしそうだとすると、時間的に警官は店内で店主を見て戻ってきた可能性がある。
 時夫は怪訝な顔で菓子を眺めた。もう恐ろしくて白彩の菓子は二度と食えない。何が入っているやら得体が知れない菓子なんて。
「毎日の通報にホント悩まされてるんですよ。最近になってこの町ではよく起こる事でして。本当の事件と、そうでないのと仕分けするのが大変で。君たち信じ難いかもしれないけど、どうもね、伏木市と有栖市が合併した辺りからこっち、おかしいんだ。この町は。何しろ伏木有栖市だからね、マー名前が悪いのかな。『不思議な国のアリス』みたいな現象と、我々は呼んでいるんだ」
 お巡りさん、「不思議『の』国の」です。「な」じゃありません。
 ……なんだこの、巡査の要領を得ない反応は?
「それあなたの感想ですよね?」
「今から二人でお店に行って御覧なさい。それで、もし店長さんがお店にいなかったらまたここへ戻ってらっしゃい」
「いや、確かに僕たち二人で、キノコ畑に埋めたんですよ!」
「は、はい、そうなんです」
 雪絵も口ぞえした。
「ハイハイ」
 二人が詰め寄っても、巡査のどんぐり眼に変化はなく、奥に居る若い警官も、顔を出さない。
「だから、……信じられないかもしれないけれど、いやネお巡りさん達も、正直訳が分からない状況なんだけど、あの店長さんもね、あそこにたくさん光るキノコ生えてたでしょ。あれがねェ、『人の形』を取るんだよ」
 会話がすれ違っていく。埒が明かなかった。
「……は?」
「原因も理由も現在のところ不明なんだがね。いや実際そういう事があるのかどうかも学者に問い合わせてる最中で。それで、恋文町で通報があるたびに、警察官がセントラルパークに行って、あぁキノコだなと確認して帰ってくると。この所その繰り返しに翻弄されている」
「いや、そんな……」
 昨日、店長は雪絵が菓子細工だといった。今度は警官がその店長はキノコだという。
「いや事故死なんだけど、僕は、つまり人を殺してしまったんですよ。ある意味では」
「だから茸を殺しても、殺人にはなりませんよ」
 キノコっていうのは、切ってもまた生えてくるから。とかそういう説明をメンドクサそうにしこそすれ、警官が二人の話を正面から受け止める様子は、さらさらなかった。
「ねェそんなことよりさ、君達朝飯食べた? これからお巡りさん出前取るんだけど、茸カツ丼食べる?」
「……いえ結構です」
 恫喝かカツ丼か、それは取調べの定番だ。が、今はそれどころではない。
 時夫は会話のドッジボールにひどく疲労した。それ以上何のとがめもないまま、二人は帰された。
 巫山戯(ふざけ)た警察だ。全く、訳が分からない。まるで原作のアリスに登場する双子のトゥイードルダムとトゥイードルディーだ。
 交番から「白彩」まではわずか五分。とぼとぼと歩く二人に言葉はない。警察から開放されほっとする気持ちもある一方、不安は解消されない。
 お店のショーケースが見えてくる。
 そこに、真新しい雉が朝日の光を浴びていた。そして店内には、いつものイカれ店長がきびきびと動いていた。恋文交番の警官の言うとおりだった。
「何時だと思ってんだ? とっくに開店時間過ぎてんぞ。遅いぞ。早く着替えてカウンターに入れ」
 戻ってきた雪絵を見て、店長から声を掛けた。話はそれっきりだった。この店長は昨日の出来事を覚えていないらしい。
 こちらの顔を見ても、時夫が妙な顔して見ているので怪訝そうな顔をしただけで、さっさと店の奥に消えた。……キノコだからなのか?
 様子が変だと思いつつ、また店長が出てきたところを捕まえて、時夫は言った。
「こんにちは。ちょっと質問してもいいですか?」
 時夫は、「それ」に向かっていきなり切り出した。
「あなたは、毎晩セントラルパークで人を殺してますよね」
「何?」
「僕は、見ていたんです」
「……お客さん。ひょっとして、見たっていうのか?」
「はい。あなたが通り魔をして、キノコ畑に埋めるところまで」
「あぁ、そうなの」
 少し困ったなという顔をしたが、店長は時夫の顔を見て言った。
「人聞きの悪いこと言わないでくれる。俺は人殺しなんかしてないヨ。あの公園のキノコはちょっと変わった、特殊なキノコで、……成長しすぎると歩き回るんだよ。人間化した茸からは、特別な砂糖が採取されないんだ。俺は公園に行って、人間化して、歩き回る茸たちを捕まえて、元の場所に埋めていただけ。通り魔なんかしていない。歩き回る茸は普通に殺しても、死んだりしない。それを元の茸に戻すには、埋めちゃうしかないんだよ。完全に人間化した茸からは、特別な砂糖が採取されないので、歩き回る彼らを回収して、元の茸に戻してるんだ。人間化は途中で止めないといけない。それ以上のことは企業秘密だ。ネットやなんかに書かないでくれる?」
 茸の人間に、特別な砂糖……。全くどういう事だよ。
 店長の言うことは相変わらず人を食ったような、いや意味不明な内容だったが、問題は交番の警官まで同じことを言っている事だろう。
 いや、警官はこう言った。「店長はキノコだ」と。つまり店長自身は、キノコ人間を回収しているつもりで、実は店長自体がキノコ人間だという事に気づいてないのかもしれない。
「昨日、僕のうちに来たことは?」
「何だそれは? 知らんな。もう買わないなら早く帰ってくれる。商売の邪魔だから」
 店長は、自身が倒れて死んだことも全く覚えていないらしい。
「でも……ちょっと待ってください。和菓子の為ってそんな事がある訳が-----」
「和菓子馬鹿にしてんのかお前!? ど素人は帰っていいよ! あぁ全く、忙しいんだから、こっちは。ジャバウォックを早く作らないと……あの人に電柱にされる。ブツブツ」
 今日の店長は、ずっと独り言が多い。相変わらず悪態をつきながら、時夫などどうでもいいという感じだった。「電柱」って聞こえたような気がするが、何のことだろう?
 雪絵はイカれ和菓子屋店長の命令を無視して、黙ってエプロンをたたんでカウンターに置くと、時夫の右手を取って店を出た。店を辞めるという意思表示だった。
「お、おい!」
 しかし、店長はそれっきり追ってこなかった。不思議とそれ以上、雪絵に対する執着を捨てたらしい。昨日していた砂糖人間の話も、結局してこなかった。
「公園に行ってみよう」
 二人でセントラルパークの死体を埋めたキノコ畑に行ってみると、そこにはぽっかりと穴が開いていた。これが狐に摘まれたような気分て奴か、と金沢時夫は思った。
「雪絵、二人でここを離れて、僕と一緒に東京で新しい生活をしよう」
「はい」
 雪絵は、とても美しい笑顔で笑った。
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