第30話 床ジョーズ

文字数 6,825文字

「ちょっと待って!」
 入ろうとした時夫をありすが止めた。
「和室は敷居を踏まないものよ。それと畳も縁を踏まないように。畳の縁は結界を意味し、内と外を分けている。聖と俗の境界線。ここも意味論が支配している。気をつけて」
 「月夜見亭」のような格式高い料亭ではない、ここは単なる市街地の温泉なのに。
「了解……」
 運ばれてきた料理はハワイ料理と和食の和洋折衷だった。ここまで来てもありすは、戦闘しているのか遊んでいるのか時夫には依然分からなかった。
「始めて入ったけど、ここって立派な温泉だったんだな。恋文町にもあるんだな」
「昔、船橋ヘルスセンターっていうのが船橋にあってさ、千葉の一大観光地だった。温泉や遊園地、それにプール、スキーまで。プールなんか一度に十万人が泳げる世界最大のプールだった」
 それを女子高生の君がなんで知ってるの。
「その後、地盤沈下対策で船橋の温泉の掘削が中止になり、閉園になったんだけど、跡地に、現在ららぽーととIKEAが建っている。ちなみに近所にあった谷津遊園は、京成が土地を売却した代わりに、浦安にネズミーランドが出来たんだけどね」
 だから、詳しすぎ。
「恋文はわいって、本物のハワイじゃないけど、少しでもハワイの気分に浸ろうって人が名前につられて訪れる場所の意味論ってことよね」
 東北のスパリゾートハワイアンズみたいなものだろう。ここはハワイというより、お座敷だけど。
「なぁ、意味論ってさ。そもそも科術なのか? それとも魔学なのか」
「その二つよりもっと根本的な原理。科術も魔学も意味論の影響を受けている。科学は現象を解明するだけで、意味を解釈しない。宗教や魔術は意味を語る。けどその両方が大事だから、最初の科術師は、意味論を解明するために科学と魔術を止揚させた」
「止揚って……?」
「正・反・合の合のこと。ヘーゲル哲学でアウフヘーベンていうの。簡単に言うと真逆のものを合体させたってこと。だから科術は電気生理学と、地磁気学と、電磁気学の三学が関係してる。新時代の偉大な科学なのよ。けど、そんなこと言っても高一の君には難しすぎるわね。……で、それは何?」
 ありすは時夫がテーブルに置いた青い石に注目した。
「さっき浴槽の中で、壁面に埋まってた石が落ちたんだ。なぜか持ってきちゃった。後で戻す」
「それ、トルマリンの一種よ。電気石っていって、青いものはインジゴライトっていう」
「ふ~ん」
「勝手に持ってきちゃったの? 君に縁があったのかもね。ほら」
 ありすは時夫に渡した。
「何で?」
「何って……お守りよ。元に戻さなくていいわ。君が身に着けてて」
「トトロにどんぐり貰った気分」
「君ね、しばくわよ。-----そんなことよりさ、温泉で二人でご飯食べてるなんて、なんか変な感じね」
 ありすがそういうと会話に間が空いた。
「あ、あの掛け軸が怪しいわ。あそこをめくった先に忍者屋敷みたいに穴があるかも」
 ありすが指出す床の間の掛け軸は、墨絵で森が書かれている。うっそうとしたジャングルのようにも見える。
 突然、ハワイ音楽が掛かって廊下の襖が開いた。レイをつけた石川ウーがフラフラとフラダンスを踊りながら入ってきた。
「アロハ~お二人さん、ここに居たのね」
「ウー、畳の縁に気をつけて!」
「ごめん、もう踏んじゃった……」
 踊りに熱中し、縁を踏みまくっている。
「なんですって……ヤバいわ。ここは床ジョーズが出る」
「なんだ床ジョーズって!」
「QC-6001で策敵やっていたときに出てきたのよ。だからその床ジョ……」
 突然畳がめくれ上がった。時夫はびっくりしてのけぞり、柱に腰をぶつけた。ウーはキャーと叫んで床に転がる。水しぶきと同時に、巨大な鮫の頭が飛び出してきた。
「ななな、なんだコイツは!」
 シロワニだ。頭だけで二メートルはありそうな白い凶暴な鮫は、餌を探して頭をグリングリンさせている。時夫の手からインジゴライトが転がって、シロワニの口の中に飛び込んだ。身に着ける暇もなかった。
「入る前、外に池が見えたでしょ。池はこの建物の真下をくぐっている。水深五メートル。全て海水。恋文はわいでは、池で鮫を飼ってるのよ。ハワイは目下、サメが急増中なのよ。マナー知らずが和室の敷居と畳の縁を踏むと、センサーがコイツらを呼ぶ仕掛けになってたみたい。それが床ジョーズ。鮫は、餌の時間だと思って頭を突き上げてくる!」
「……んな馬鹿な、」
 そもそも、ここはとんでもなく危険な銭湯だったのだ。ここが「場異様破邪道」じゃなくても池に落ちたらオシマイじゃーないかッ。
 縁にセンサーが仕込んであるとは、ここの館主はどういう趣味している? やくざの釣堀かよ! 科術でも魔学でもなく、科学。純然たる科学技術だ。
 この町にあるものは月夜見亭といい、科術や魔学、「意味論」と関係なくても必ず何かがおかしいのではないか。
 いいや問題は時夫自身にあった。
 頭をグルグルさせて飛び出してくるジョーズに驚いてよろけ、危うく縁を踏みそうになる。マナー知らずだからではない。身を避けるので精一杯だからだ。鮫は一度引っ込んだ。
「まだ来るわよ」
 ドカッ。今度は後ろの畳が宙に跳ね上がった。腹をすかせた巨大なジョーズが背後から三人に襲い掛かった。
「ゴメン縁踏んでたのあたしだーッ」
 逃げ回るも何も、縁を踏まないように気をつけないといけない。三人とも床ジョーズを避けるので精一杯で、自分がいつ縁を踏んだかも分からない。もはやありすを責めることは出来ない。
「これじゃ前にも後ろにも進めないぞ。逃げられん」
 畳は半分ほど穴を開けられ、下の池が丸見えになって、照明に照らされた青い水面がギラギラと光っている。そこを時折黒い巨体が通り過ぎた。もし池に落ちたら水深五メートルだ。格好の鮫の餌食となって命はない。
「だから、駐車場から砲撃するって最初に言ったじゃん! 何も建物に砲撃するなんて言ってないんだからね。あたしはね、池の鮫に向かってアウトレンジ戦法で砲撃するつもりだったの。あの戦車は科術戦車だから、実弾じゃなくて科術の光弾が出る。今からじゃもう駐車場に戻れない」
「聞いてなかったもんよ。大事なことは先に言ってくれい」
 こうなりゃありすの秘奥義の科術に期待するしかなかった。だが当のありすは縁を踏まない心配ばかりして、照明にキラキラ青く光る池の水面を見下ろしたまま、畳上で蟹股で突っ立って固まっている。
「秘儀・無限たこやきはどうした?」
「たこやきの……た・た・た……!! キャアーッうまく言えない」
 頼りのありすは逃げるのに必死だった。
「鮫とかマジムリ。あああたし、苦手なの。金時君やってよ」
 あわてて他の科術を労する機転が利かないらしい。ありすの天敵の床ジョーズは優れた出口の番人だといえる。だから、戦車に乗っていったのか?
「できるか!」
 いつの間にか石川ウーは廊下に戻っていた。
「ウー、来ちゃダメよッ!」
 ありすは精一杯、それだけを言った。ま、ウーは来ないだろうけどさ。
「よぅし床ジョーズ! 『古事記』に曰く、因幡の白兎は、鰐をだまして対岸に渡ろうとしましたとさ」
「やめてよ。それ、失敗して鮫に噛まれてお肌ヒリヒリになったっていうオチ知らないの? ウー」
「うさぎビームゥ!」

 うさぎビーム ハートを溶かすハイビーム
 うさぎビーム 胸から溢れる愛のパワー
 うさぎビーム 君のこころが
 うさぎビーム 紡ぎ出すビィーム!!

 石川ウーの胸元から発せられたピンクの光線が飛び出した。ジョーズの頭部を包み込んでいく。ジョーズはピンク色に発光し、激しく痙攣しながら池の中へとダイブして沈んだ。ウーの光線は一種の電撃なのだろうか?
「もちろん知ってるよ。だから先人の失敗を繰り返さないように、アウトレンジで因幡の白兎の敵を取ったんジャン!」
 そもそもウーは部屋の中におらず、廊下からジョーズに攻撃した。鰐を攻撃してから再び入る算段だったらしい。
 それにしてもウーのうさぎビームは無敵だ。プカプカ浮いている鮫をつま先でちょんちょんして、確実に死んで居ることを確認すると、ウーは床の骨組みを渡って床の間へたどり着いた。ありすは、ドジッ子としか思っていなかった石川ウーの成長を見て驚いているようだった。
「ふぅ……サンキュ」
 ありす達は再び畳を整えた。シロワニは一匹と信じたかったが、念のために縁を踏まないように気をつける。
「底なし温泉に湯を供給しているポンプ室に侵入できないかと思って、館内を調べてたんだけど、簡単に入れる余地ないみたい」
 ウーは振り向いて言った。
「まだ別の穴があるわ。あんたの後ろ。床ジョーズが守っていたこの部屋の床の間の掛け軸の向こうよ」
 果たしてウーが掛け軸をめくるとそこに穴が存在した。
 掛け軸の穴がギラギラと光り始めた。掛け軸の向こう側は、地下の国からの一方通行の出口になっているようだ。侵入者がみんな畳の縁を踏まないマナーを心得ているとは到底思えないのだが。

 どたどたどた!

 足音が響いてきた。
「敵臭(てきしゅう)だ! 面倒が起きそう」
 店の関係者が騒ぎをかぎつけて集まって来たのか、と思ったら「それ」らは一メートルはある花札達だった。連中はそれぞれが小ぶりながら戦国時代の槍を持っていた。
「御用だ、御用だ!」
「な、なんだこいつら。ホントに花札が出てきたぞ!」
「花札人よ」
 時夫はありすらが、あんなゲームをやったせいではないかと思わないでもない。いや、そう思う。
 それにしても、「不思議の国のアリス」といえばトランプ兵だが、ここは日本。そして場所は温泉郷。当然? トランプも花札になるという仕組みなのだろう。
 無論、地下において女王の兵隊はトランプでも花札でもなかった。蜂人だ。だが、この連中もまた、ありすの言ったとおり、誘拐され花札に改造された人々であるに違いない。地下に居たあのアンティーク人たちのように。
「『こいこい』だからよ」
「ハッ、そうか恋文町だから『こいこい』かッてマジかよ!」
 すべては意味論に支配されている。ある程度の教養と、眼光紙背に徹すればこの町に出現する「意味」を洞察することができるだろう。
 巨大花札たちは床の間の穴への侵入を阻止しようと必死に隊列を組み、迫ってきた。
 「不思議の国のアリス」のラストシーンで、追いかけてきたトランプにありすは「あなた達はただのトランプよ」と言う。するとその瞬間、ただのトランプに変じるのだ。
 だが、この御用花札たちの勢いを目の当たりにすると、それでは済まされなさそうだ。
「くっそ、『こいこい』は苦手なのよ。二人とも早く、穴の中へ」
 確かにありすはゲームの中で「こいこい」がヘタだった。それがこんな所で響くとは。慌てて、ウー、時夫の順で穴の中に入っていくと、中は横穴の通路だった。
「暗いよ狭いよ怖いよー」
 ウーの声が穴の中で反響している。
 辛うじて明かりがあるのが幸いだが、四つんばいにならないと進めない。退路を断たれ、前に進むしかない不安が募る。
 といいながら、時夫は目の前のウーのピンクのホットパンツが気になっている。
「ギャアアァ------……ッ!」
 横に曲がった通路から、先を行くウーの叫び声だけが響いた。
「どうした!?」
「なーんちゃって♪」
 ウーがひょっこりニヤニヤした顔を出した。
「……か、構ってちゃん」
 おまけにしんがりのありすは、前を気にし、後ろを気にし、ノロノロと進んでいた。後ろから、戦国の合戦現場のような気勢が迫ってきた。
「どうした、早く科術でやってくれ」
「それが……後ろを振り向きながらだと無限たこやき撃てない」
「マジかよ。またかよ」
「心配しないで私に任せて。こんな時のために、師匠から教えてもらったとっておきの秘奥義があるから。ここは私にかまわず前に進んで!」
 一メートルまで迫った花札めがけて、ありすは振り向き様、両手をパッとかざして叫んだ。
「シムラウシロ!」
 突風のようなエネルギーが発生し、花札は、ドーンとドミノ倒しで後方へ吹っ飛ばされていった。ありすは穴の中に入った。倒された花札達はけなげにも起き上がり、追撃を再開した。
「シムラウシロ! シムラウシロ!」
 角を曲がるたび、ありすの振り向き様の科術の呪文の力で花札が吹っ飛んでいく。「だるまさんが転んだ」状態。そのパワーは叫ぶたびに増大し、遂に追手は小さな花札に戻って、ヒラヒラと通路に散乱した。
「何なんだ、それは」
「昔師匠が東村山で同じような事件に遭遇した時、シムラウシロで脱出したらしいわ」
「東村山で?」
「そう」
「お~い階段があるよぉ」
 先頭を行くウーの明るい声が聞こえた。螺旋階段を下りていくと、体育館ほどもある地下空間が出現した。
「でかすぎだな」
 巨大なポンプや走り回っているパイプ類は、時夫が見た白彩の工場を彷彿とさせた。
「ポンプ室よ。どうやらこれがゲートルームみたいね。温泉のためにこんな巨大なポンプは必要ない。おそらく、ここが白彩にエネルギーを送り込んでる動力源ね」
 ありすとウーは続々と、ポンプを閉めていった。そんなことをしたって従業員が再び開けるに決まってるだろうに、と時夫が訊くと、ありすはとどめの「無限たこやき」を唱えて、科術結界をこの空間内に張り巡らした。
 魔学で作られたものは科術で破壊することが可能らしい。それ以上は地下からの一方通行の出口でいくことはできなかったが、この穴も塞ぐことができた。
「これでしばらく恋文はわいは閉鎖だわね。一件落着。外へ出ましょ」
 駐車場へ戻ると、温泉の煙突からは煙が出ていなかった。だが、彼方に見える白彩の工場の煙突からは、相変わらず煙が出ている。
「あれ? おかしいな。あれだけ大きなポンプ室、白彩の動力源のはずなんだけどな……」
 ありすは不安げに見上げた。
「もしかするとここ、違ったんじゃないのか」
「う~ん」
 一件落着ではなかったらしい。三人はシャーマン戦車に乗り込んだ。気づくとウーの手にはバカダミアナッツの箱がしっかりと握られていた。買ってる……。
「でも誘拐現場の一つを潰したことには間違いないわ」
 ありすは開き直ったような明るい声で言った。
「で、他の誘拐現場はどうなんだ」
「恋文はわいに、何かヒントがあったはずだけど」
 というとありすは黙り込んだ。結局、ドタバタ騒ぎで、くまなく調査とはいかなかった。
「なぁ。ちょっと気になったんだが、あの掛け軸に森の墨絵が描いてあったよな。実はあの木の形に心当たりがあるんだ」
「えっ、金時君が?」
「すごぉい、どこ? それジャングル? アマゾン?」
 ウーもありすも乗り出して訊く。
「いや、うちのアパートの近所の小さな森だよ。『不思議の国現象』と関係があるかどうか、気にしたことはなかったけど、毎日学校行くとき、横を通ってて私有地だから立ち入り禁止で、ちょっと気になる場所だった」
「あれか。金時君ちの前の丁字路を左に曲がるとある、セントラルパークの林よりずっと小さい、百メートル四方の森よね。なんなんだろうねあれは」
 珍しくありすが時夫の話に乗ってきた。ようやくリードすることができた時夫は自慢げに続ける。今、ありすは「丁字路」と言ったか?
「ボールを飛び込ませた近所の子供が、中に入ろうとして親に止められてたのを見たことがある。なんでも一説には底なし沼があるとか。あれも別の場異様破邪道なんじゃないか? 狭い土地だけど、うっそうとしていて中が全く見えない」
 なぜか二人はよく知らないらしいが、時夫は近所の住人の会話でその伝説を知っていた。
「それ、調べてみる必要があるわね。市川にある『八幡の藪知らず』の禁足地に似てる。お手柄よ、金時君」


 どうも、鮫です。
 なんか、皆さんにずいぶん勘違いされちゃってる感じでそのまま話しが進んでるようなので一言言わせてもらいます。「床ジョーズ」とかいう誤解を生むような表現は心外ですし、全然上手じゃないです。それとマナーなんて人間の習慣とか知ったこっちゃないですから。
 思うんですけどこんな貌に生まれてつくずく損したなーって、イルカさんとかね、ね、ペンギンさんとか凄くうらやましいっていうか、むしろみんなから拍手貰っちゃったりして、イイなーみたいなね。
 言っときますけど、蚊のほうが全然怖いですからね。蚊のほうが。鮫は年間十人くらい人を襲って殺してますけど、蚊は死亡者年間百万人ですから、百万人!! そこんとこ是非(略)。
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