第9話 近所で迷子 KINJO DE MAIGO

文字数 2,626文字

 東京へ帰ろう。
 こんな千葉の片田舎を離れて、一刻も早く都会の喧騒に紛れ込みたい。
 もともと、冬休みに実家に帰る予定だった。それが冬休みの初日から異常な事件の連続で、すっかり忘れていたのだ。
 出たい。この町を。この町の全てが怖い。何の変哲もない住宅街が怖い。電柱が怖い。音楽室のベートーヴェン像並に怖い。不思議な現象なんてもうたくさんだ。
 時夫はともかく一刻も早く伏木有栖市恋文町を離れたかった。時夫はアパートで荷物をまとめると、雪絵を連れてT字路を左に曲がり、まっすぐに恋文駅へと向かった。
 普段静かな駅前商店街がざわついていた。一体何が起こっているのか。不安がよぎる。
 見たくもない白彩の横を通り過ぎ、駅に近づいてみると、路線の全面ストで電車が動いていない。労使の激しい抗争で、駅前は騒然としていた。
 終始怒号が飛び交う中、二人は、線路伝いに建設中の大きな建物まで歩いてみた。恋文交番も警官達も、駅の方へ出払っているらしく、留守だった。
「電車、動いてないみたいですね」
 バスはどうだろう。電車の系列会社のため、バスも一緒にストに参加しているようだった。タクシーは、駅前に一台もいない。
 大通りを睨みつけ、タクシーが通るのをじっと待つ。その間、時夫は白彩から茸店長が出てくるのではないかと気になってイライラとした。雪絵も不安げだった。
 五分後、タクシーが一台通りかかったが、必死すぎるサラリーマン達の剣幕に負けた。どうやら人待ちしているらしい人々は、全員タクシーを待っている人々だったらしい。
 数十人くらいの人間たちが、誰も並んでなどおらず、雑然と道路沿いに立待ちをし、殺気立っていた。携帯電話の向こうの相手に向かって、九十度おじぎをするサラリーマンもいた。彼らに勝つ自信はなかった。
 これじゃ、タクシーが駅前に戻って来ても、いつイカれ和菓子屋店長に襲撃されるか知れたものじゃない。駅前で棒立ちして、タクシーを待つのは安全ではないと結論した。
 二人は走って一旦アパートへと戻ると、自転車に二人乗りし、ただひたすら走る作戦に切り替えた。無論、車なんか持っていないからチャリンコしかない。
 前に近所で迷子になったときは、夜だったから迷っただけだろう。
 ともかく、異常なことが起こっているのは、この恋文町の中に限定される。いや、この付木有栖市から出てしまえば、こっちのものだ。何も問題はないはず-------。

 二十分後。
 二人は元の中央通りの公園前に戻っていた。
 前に夜中に近所で迷子になった時と状況はまるで同じだった。どこまでも続く住宅街の迷宮は、さらに恐ろしい結果をもたらしたのだ。
 ------出られねェ!
「う、嘘だろ」
 走っている内に、同じ送水口のある場所を通っている事に気がついた。色々な場所で、やけに送水口が目に入った。いや、その視線を感じたのだ。送水口の二つの「口」が、大きな目玉のように時夫を見つめてきた。
 かれこれ脱出を三度チャレンジした時夫は、遂に立ち止まった。恋文町という名の迷宮に囚われている。しかし、問題はそれだけではなかったのだ。
 最初は気にならなかった。
 路地にドラ猫が三匹座っていて、とんでもない眼力で睨みつけてきた。時夫はとても近づけなくて、回避することにした。
 二度目のとき、狭い路地をぎりぎりで走行する巨大トラックのせいで引き返さざるをえなかった。三度目に、同じパターンで巨大ローラーに追いかけられたとき、あまりに不自然すぎる工事の多さに気がついた。
 行く手を阻むカラーコーンや「通行止め」・「通り抜け禁止」の表示が、同じ場所を走るたびに、増えている。もしも無理して突破すれば、作業員に文句を言われるに決まっている。
 町全体が、自分たちを外に出さないように妨害してきているとしか思えない。
 町が妨害しているだって? 平凡な町に過ぎなかったはずの、この恋文町が? 一体、この町の不可解な構造はどうなっている?
 時夫には、この町にあるもの何もかもが、この世で一番の恐怖に感じられた。地図も持たずに闇雲に走っている自分が、単に愚かなだけかもしれない。
 時夫は思い出したように、スマフォを取り出した。
 ……通信速度が遅すぎて地図機能が使えない。いつからこのスマフォは、こんなに使えなくなったんだろう。不気味な符号だった。
「こんな事って、ホントにあるんでしょうか」
 雪絵も異変を感じているようだった。
「思い出した。確か、もう一つ線路があったはずだ。そんなに離れていなかった」
 その目論見は、失敗に終わった。
 結局、焦っているせいもあるだろうが、幾ら走ってもどこにあるのか検討もつかなかった。
「本当に、脱出できないぞ……」
 住宅街には、目だってマークになりそうなものは何もなかった。
 駐車場が目に入る。そこには……、

「月極」

 ……読めねぇ。
 ま、それはともかくとして、結局、恋文ビルヂングに戻ってきてしまった時夫は、自転車から降りてふと空を見上げた。
 違和感を感じた。
 違和感というのは、目の前の電線の事だ。いや、電線なんかありふれたものでしかない。だが数本が束になって横切るそれは、五線譜のようだと感じられた。
 特に今、それを感じてしまうのは、そこにスズメが音符のように沢山乗っかっているからだった。まるで、音楽でも奏でているみたいに……そう思って凝視した瞬間、時夫はぞっとした。いいや、違う。それは音符じゃない。

「オ・バ・カ・サ・ン」

 雀たちが、カタカナでそう読める配置に、並んでいた!
「消えろ!」
 時夫が石を投げつけると、雀は一斉に飛び立っていった。脱出できない時夫と雪絵を、あざ笑っているようだった。
「アホーッ、アホーッ」
 烏が飛び去った。
 クッ……鳥まで自分をバカにしやがる。
 今日は部屋でおとなしくしていよう。
 時夫はニュースを見ようと、無言でテレビを着けた。
 「森田」という名のグラサン司会者が、黒バックに浮かび上がったニタリ顔で、二人に向かって語りかけてきた。
『あなたの知らない隣の世界……。今夜のテーマは、近所で迷子。こんな経験はありませんか? よく知っているはずの自分の住む町で、道に迷ってしまう------』
 時夫はテレビを消した。

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