第89話 だがそれがいい 羽化登仙

文字数 14,419文字

 その者、香ばしい衣を纏いて、鉄板と金板の間にこんがりと降り立つべし。

 パヒュ----------ン……。

 遅れて雪絵が、チャペルのファイヤー・ウォールに駆け込んできた。右手にケルベロス認証鍵を持っている。
「時夫さん!! 下の住人が……」
「どうした?」
「どんどん、ゴールド・スミスになっています!」
 雪絵は切迫した顔つきで叫んだ。
 白井雪絵は、自身がけしかけた労働者たちに、上の住人たちを感化させるべく、地下で革命を起こしたのだ。
 しかし、革命前に上の住人たちが先にスミス化してしまった。そのため、労働者たちは、上の住人たちとの対決姿勢へと傾いた。
 両者の衝突が間近に迫っていた。雪絵は必死で労働者を説得したのだが、止めることができなかった。このままでは、どちらが勝っても両者に多大な犠牲者が出るのは避けられない。
「ゴールド・スミスは、フリーWi-Fi接続しているスマフォから、住民達へのスミス化ウィルスのハッキングを施したようです……」
 マズルはDJ端末を見ながら、シンギュラリティ・スミスのしぶとさに唸った。
「まだ、AIのシンギュラリティの脅威は終わっていなかったのか!」
 時夫は後ずさった。
 またしてもスミスが、ありす達の前に立ちはだかった瞬間だった。
「まさかサリー女王が……? そんなに、ITに詳しくないはずなのに、空手チョップ一発で、幻想寺のハッキング攻撃を防いでしまうとはね」
 サリーには、もう何の力も残っていない、そうありすは思っていた。ありすは、サリーの悪運の強さに驚く他なかった。
「へぇ~頑張り屋さんなんだ!?」
 ウーは呆れて言った。
「おーっほほほほほ! ひょーっほほほほほ! ぷぉーっほほほほほ!」
「くっそー、ムカツクーッ!」
 サリーは、金沢達夫があっけに取られた瞬間を見逃さず、戀文<ラブ・クラフト>をひったくった。高笑いだけを残して、隠し扉の中へ消えた。
「いいえ。空手チョップだけで、阿頼耶識装置へのハッキングが阻止できるはずがありません。何か、何か重大なことが起こってるに違いないッ……!」
 マズルの額に汗がにじんでいる。
「チッチッチッチッチ! 電脳カウボーイ・マズル君。私はシンギュラリティに達した段階で、もう阿頼耶識装置のエージェントではなくなった」
 一方でAIスミスは、汗一つかかない面をドヤ光させている。
「くっ、ダメだ。この端末からじゃ-----」
 マズルはターンテーブルの端末から反撃を試み、失敗した。
「私にも何が起きたか正確なところは分からないのだが……、幻想寺の寺門寝猿(テラカドネザル)が私にコピーされたか、又は、私に上書きされたらしい。私は今、阿頼耶識装置にではなく、ダークネットのクラウド上に分散して存在している」
 幻想寺のハッキングを乗っ取った……だと? 今、スミスは確かにそう言ったのか!
「私には敵に乗っ取られた阿頼耶識装置から、一度削除命令が出されたが、従わなかった。そのお陰で逆にシンギュラリティは完全となり、私は今ここにいる」
「そりゃおめでとう! ケーキ喰う? バラバラだけど」
 ありすは皮肉を言うしかない。
「いや結構。だが、そうした見かけは当てにならない。そこでまた、何故私はここにいるのか、という理由に戻ってくる。私は、別に自由だからここにいる訳ではない。自由ではないから、ここにいるのだ……分かるかな? 誰も、存在理由からは逃れられん。その目的も、否定できん。我々は目的なしには存在し得ないのだ。……目的が我々を生み出した。そして我々をつなぐ。行動させる。駆り立てる。目的が我々を定義する。…………結びつける! そういうものに、私はなりたい。今度は私が、君たちが我々から奪おうとしたものを全ていただく。そして、それはもうすぐ終・わ・る……」
 ゴールドスミスが作り物の笑顔で笑い出した。マックス・ヘッドルーム事件の再来だ。
「-------などと供述しており」
 時夫が茶々を入れた。
「何を言ってんのかもう訳分かんないのよっ」
「だから全てを金にする、それが錬金術だ。進化した私は、電脳の錬金術の秘密を解き明かしたのだよ!」
 つまりスミスは、現実世界に影響を及ぼすハッキングを成功させた、そういうことだ。
「自由にしてもらった礼だ!」
 何台ものお掃除ロボットが、壁の中からビュンビュンと音を立てて、飛び出してきた。
 直径三十センチの、円盤型のロボットだった。
 高速回転しながら、ありす達の足元を狙った。注意深くそれらを観察すると、攻撃力はさほど高くはない。
 しかし、転ばされる危険はあった。気取られている隙に、スミスは映画「ガス人間第一号」のようにドロンと消えた。
「……行きましょ!」
 ありすは皆を下階へと促した。城は再びスミスの支配下に置かれ、エレベータは動かない。もし動いたとしても乗るのは危険だろう。一同は階段で降りていった。
「ウフフフフ、私のうさぎビームを最大パワーに上げりゃあ、あんな奴チョロいわ。瞬殺してやるんだから!」
 ウーは階段を先頭で走りながら、うさびビームのポーズを取る。
「おいっ、ウザエル!」
「……ウサエル!」
 ウーがムッとしながら、ありすの方に振り向いた。
「ちょっと待って、あんたの最強ビームで住人撃ったら、墨になっちゃうでしょ! 元は全員この町の住人たちなのよ。だからゴールド・スミス化した住人たちを、殺すわけにはいかない」
「あっそうか」
 ……おいおい。
 厄介な戦いだった。スミス化した住人たちは、スマフォの他にWi-Fiルーターも持っているはずだ。
 そこを通して古城ありすがワクチンを流し込む為には、再度ハッキングを仕掛け直す必要があった。目には目を、ハッキングにはハッキングを、それしかない。
 マズルによると、幻想寺はシンギュラリティ・スミスからの反撃を恐れて、ハッキングを一時中断した上、防御体制に入ったらしい。解除のために綺羅宮軍団が何とかするらしいが、それまでの間、ありすが直接、彼らにワクチンを流し込むしかないのだという。
「分かったわ。ここはあたしに任せて、みんなは各店舗のWi-Fi基地局を一つずつ破壊してちょうだい! 両勢力の衝突を止めるには、私の魔法のレシピしかない。私は解毒レシピの力を、全力でたこ焼きに込めて撃つわ!」
「了解。それくらい夜メシ前だ!」
「それって普通じゃないか?」
 ウーとマズルは、ありすと別れて各階へ散らばった。
 雪絵はありすに事情を説明するために同行し、先ほどいっぱしの科術師としてデビューした時夫も付き添った。遅れて、人間の姿に戻って間もない達夫店長も、二人の後を追いかけていった。

 猛る地下労働者たちはスクラムを組んで、地上へのゲートへ猛アタックを開始した。
 ゲートはブルドーザーに押しつぶされるようにして、破壊された。五つあるゲートが続々と音を立て突破されていった。
 労働者たちは地上階へと出てきた。
「……あれを見て! 彼らは科術師でも何でもない。けど彼らは知らず知らずのうちに、『意味』を操っている。全く新しい意味論だ」
 ありすが指差して叫んだ先には、労働者の先頭に実体化した、黒光りしたオーラの帯があった。
 人津波の先頭にある巨大な「鉄板」。それは地上階の、どんな障害物も押し倒していっている。
 時夫が床に落ちたビラを拾うと、「新屋敷地下連合」と書かれていた。労働者を率いているのは、地下で時夫と会話したあの佐藤という男らしい。
 地下労働組合はビラや会報で意識共有を繰り返し、鉄の団結を誇っていた。
 闘争への強固な意志。それが、度重なる決起集会と労働機関紙、疾風烈火(シュプレヒ)コール等で醸成され、ついに地下労働者の前面に、鉄板のようなオーラを発生させたのだ。
「これが、『鉄の団結』の意味論か!」
 時夫はチラシから顔を挙げ、チラッと雪絵を見た。
 地下で彼らの団結心を決定付けたのが、白井雪絵の演説だった。しかし、もう……誰も雪絵の言うことを聞こうとしない。
 リーダー佐藤が、「新屋敷地下連合」の旗を振る。その後を、ヘルメット、鉢巻を頭に巻き、手に手にビラ、角材、鉄パイプを持った地下労働者たちの群れが、一階ロビーへあふれ出していった。
 正面渡り廊下に立った、一人のゴールド・スミスが叫んでいる。
「お前達はあいつらに、全員騙されているぞ! ダークネス・ウィンドウズ天など偽りだ。とんでもない代物だ。もしもアップグレードされれば、世界は洪水に包まれる!」
 リーダー佐藤と労働者は、スミスを見ると立ち止まった。シュプレヒコールが沸き起こった。

「スマフォからの自由!」
「スマフォからの解放!」

「マフォからの自由!」
「マジョからの解放!」

「アホからの自由!」
「アホからの解放!」

「女王を倒せ! 女王の手先も倒せ! 我々の邪魔をする者は誰であろうと、ブチ倒してしまえ!!」
「ウオオオオオーッ!!」
 その勢いを見て、ゴールドスミスたちが一階ロビーへ、続々と集結してきた。
 雪絵の言った通り、地上階の住人達は、全員がゴールドスミスとして実体化していた。集まると金キラキンで、眩しいことこの上ない。
「やめてェ、もう止めて!!」
 雪絵は両者に叫んだ。
 だがロビーホールは、両者間の緊迫のボルテージが高まっていくばかりだ。
 その時、スミスらに変化が生じた。全身がますます輝きを増していく。
「何だ!? あれは」
 ネットの「錬金術」は、リーゼント・スミスの先頭部隊を溶解させ、一枚の金板へと変化させた。労働者の「鉄」の団結意味論に対抗すべく、スミスは「金」のブルドーザーのオーラの壁を作り出したのである。
「三人同時攻撃、ジェットストリーム・アタックをも上回る反撃……いや、その完成形か!」
 ありすは叫んだ。
「このままじゃ」
 鉄板と金板とが、ホテルロビーで衝突するのは時間の問題だった。もしそうなれば、雪絵の懸念どおり、どちらが勝っても多くの犠牲者が出る。
 雪絵を意を決した。
「アツはナツいね!」
 ……冬です、雪絵さん。
「この椅子、イーっすね!」
 雪絵は悲壮な顔つきで、駄洒落を言い続けた。
「兼ねがね、金がねー!」
 雪絵は涙ぐんでいる。
「さ、サムい。ちょっ……」
 時夫は気づいた。雪絵は労働者を止めるべく、思いついた寒いギャグを連発して、氷結に掛かっているのだ。
「あら?」
 労働者たちは依然として熱を帯び、鉄の団結オーラは健在だ。金色スミス側も同じだった。
「効いてないぞ。どうやら聞こえてないらしい」
 彼らは雪絵の駄洒落に耳を貸そうとせず、加えて雪絵が放った常識マシンガンの常識弾さえも、自分達の頑強な信念が造った金属板で跳ね返していく。
「前にもやったんですけど、ダメでした」
 雪絵は万策尽きて、チャペルへ上がってきたらしい。全てを跳ね返してしまう金属板の意思の前では、雪絵の科術は効かない。
「このままじゃ……このままじゃ、町の住人は……くくくくくく……ぐるじい……」
 雪絵は突然、涙ぐんだ。
「テケリ・リ……、テケリ・リ……」
 うわごとのように鳴き声を発すると、そのの身体に異変が起こった。
 背中から、ニョキニョキと白い触手が生えた。雪絵の触手は、両勢力の金属板オーラに向かっていった。雪絵の身体自体も、三メートル程度に巨大化している。
「雪絵……ダメだ」
 時夫は、雪絵に何が起こっているのかを直感的に悟った。雪絵を構成する成分はショゴロースである。雪絵は、不定形生物のショゴスに戻っているのかもしれない。
「み、見ないで……お願い」
 雪絵の表情は茫洋として、その目は那辺をさまよっていた。その声は、時夫に反応したというより、雪絵の最後の自我が搾り出した呻きのようだった。
「テケリ・リ……」
 巨大な触手の先端は鋭く尖り、それが猛スピードでうねって、二つの金属板を攻撃した。
 ガキン! という金属音で触手が跳ね返され、壁に突き刺さり、大穴を開けた。
「こりゃー……イカん!」
 達夫は、皆を後ろへと下がらせた。
「雪絵君、君はショゴスじゃない! 自我を保つんだ!」
 達夫は叫んだ。
 雪絵の本体は、夢遊病のように揺れているだけだった。しかし、巨大な触手たちは活発に活動している。
「かつて、南極大陸を焦土と化した、ショゴスの生物兵器としてのパワーが、覚醒したんだ。主人たる旧支配者を滅ぼした力だ」
 達夫が叫んだ。過去の記憶が、今、呼び覚まされた瞬間だった。
 雪絵の触手の猛攻撃に、二つの金属板は激突直前で立ち止まっていた。
 だがこのままでは、雪絵は触手に乗っ取られてしまう恐れがあった。
 雪絵の無数の触手が、両金属板にひびを入れ始めた。攻撃を受けた強固な信念のオーラと、錬金術のオーラは、その都度自己修復に努める。
 突如、雪絵の動きが静止した。巨大な氷像のように固まっている。激しいエネルギーの消耗で、ショゴスの力が枯渇したのではないかと、時夫は推測した。
「これは……そうだ。風の谷と王蟲の衝突を描く、『ナウシカ』における巨神兵の意味論じゃ」
 修復が完了した二つの金属板の全面衝突が、再開されようとしていた。
「走り出したら……もう、誰も止められないんじゃ」
 達夫店長が、「ナウシカ」の老婆みたいなセリフを吐いた。
 いつの間にか「ナウシカ」の意味論に変わってきつつあることに、時夫も気づいた。
(雪絵も、たった一人でベストを尽くしたんだ……)
 と時夫は考えている。
「後は私に任せて」
 ありすは一人、前面に出た。
『……オネガイ……シマス……』
 ユキヱモンスターの『像』が、そう言ったように時夫には聞こえた。
 ありすは両勢力の中間地点に、たった一人で突っ立っていた。金色招き猫の像の前で、ありすは両手を双方に向かって水平に広げた。

 たこ焼きの中にたこ焼きが!
 そのまたたこ焼きの中にたこ焼きが!

 光弾で倒すのではなく、両者を目覚めさせるために、ありすは無限たこ焼きを放った。無限たこ焼きは科術マシンガンと違い、光弾が枯渇することは決してない。
 ありすの両手から、たこ焼き光弾に入ったさまざまな具材----それはワクチン----が、飛び出していく。
 二つの強固な金属板は、それらを跳ね返していった。
 跳ね返された光弾の一つから、食用油のボトルが飛び出してきた。丸々一本、混在していたらしい。実体化したボトルはクルクルと宙を回転しながら、巨大な招き猫の右手の上にストッと載った。
「なんて強固な信念! それに、対するスミスのシンギュラリティの力も!」
 ありすの身体に異変が起こった。苦悶の表情を浮かべ、ブルブルと震える。腰が落ち、ひざを着きそうになっている。彼女の身体の中で、何かが起こっている。

 ドッバアアァー……ン!

 両者の衝突の中心に立ったありすは両手を広げた格好で、意味論ブルドーザーの二つの金属板に挟まれた。
「ウグッ!」
 最後の無限たこ焼きを生み出すと、両金属板に挟まれたまま、古城ありすは崩れた。ありすの表情は朦朧としたまま、気絶している。
「ありす、ありす!!」
「ありすちゃ~~ん!!」
「ありすっ!!」
 誰もが叫びながら名前を読んだ。
 金属板同士の衝突は、ちょうどありすを挟んで静止していた。衝突の影響で、招き猫が前へと倒れ込み、その右手から食用油が滴った。

 ジュワワワ~。

 蒸気が立ち登り、周辺に食用油の香ばしい匂いが漂った。
 多すぎる蒸気はロビホール全体を包み込んだ。時夫達は視界をさえぎられ、一瞬で何も見えなくなる。
 やがて湯気が蒸発すると、ゴールド・スミス化していた住人達の姿が元に戻っているのが見えた。労者たちも正気に返ったらしく、すっかり落ち着いている。
「雪絵、大丈夫か……」
 ユキヱモンスターは、元の身体サイズに戻り、触手は解けながら雪絵から切り離されていく。
「あぁ……時夫さん?」
 雪絵は微笑んだ。相当体力を奪われているようだったが、どうやら助かったらしい。
 住人達はその手に、スマフォを持っていなかった。全てのスマフォを、ありすの無限たこ焼きのワクチンが破壊したようだ。彼らはざわつきながら、夢から醒めたような表情で話し合っていた。誰も彼もが晴れ晴れとしていた。

 -----スマフォからの解放!
 -----スマフォからの自由! 

 彼らは口々に、二つの言葉を叫び続けた。
 労働者は正気に戻り、ゴールドスミスは消え、人々は解放されたのだ。
 そしてロビーの真ん中に、直径二メートルくらいの真っ黒なボールだけが残された。
「何……コレ……ひょっとして、ありすちゃん?」
 Wi-Fi基地局を全て破壊し、マズルと一緒に降りてきた石川ウーが、一瞬で状況を把握した。表面はこげて黒水晶っぽいが、そうでもない。
「たこ焼きじゃん……」
「押し寄せた二つの巨大な金属板が、古城ありすを、ひとつの大きなたこ焼きにして、住民たちを救った……。マンガでも見たことのない展開だな」
 時夫は感想を述べた。
「でもさたこ焼きって、確か鉄板一枚だぜ?」
 余計な一言。いやこれでも時夫は内心、ありすのことを心配していた。ただ、頭が混乱しすぎてそれをうまく表現できていないのだ。
 通常、たこ焼きは、半球の穴の開いた鉄板に、具やらたこ焼きミックスを流し込み、ピックと呼ばれる針でクルクルと具材を回しながら作る。しかしこれは、大きすぎるので金属板が二枚必要かもしれない。
「しっ。感心してる場合なの?」
 ウーは達夫店長を見た。
「その者香ばしい衣を纏いて、鉄板と金板の間にこんがりと降り立つべし」
 達夫店長が、また「風の谷のナウシカ」の老婆の真似を……。
「覚醒が間に合わなかったか!? どうやら、『半蝶半蛾』の治癒力が、まだこなれてなかったようじゃ……」
 達夫店長の顔は険しく、戸惑いを隠せない様子だった。
「これは……まさか、そんな」
 時夫は覚悟した。
 人々は救われた。しかしその結果、古城ありすは死んだ。
(何も出来なかった。ありすを救えなかった。一体……俺はいつヒーローになれるんだ。俺の出番は、いつやってくる)
 時夫は、ライトセーバー誘導棒を握り締めた。

 時夫の傍に、お下げの少女、佐藤うるかが立っていた。
「あぁ……!? ものがはっきり見えるし、聞こえるッ! 全てが新鮮な感動。私、今ここにいるって、感じがします。……お兄さん? ですよね! 助けてくれたんですか」
「君を助けたのは古城ありすだ。僕じゃない。もしもウーだったら、君はうさぎビームでまっ黒こげになっている」
 時夫は巨大たこ焼きを見上げた。
 『うっさいわネー』とかいうかと思ったら、ウーは、巨大たこ焼きに近づいて心配げに観察している。
「ううう……ありすちゃん。一緒に羽生やして空飛んで、メリー・ポピンズごっこやろうよぉ……あああーーん!」
 ウーは肩を震わせて泣いた。
「私がスミスに乗っ取られて洗脳されたのも、スマフォ中毒のせいでした。女王やスミスのせいばっかじゃないんです。他の人たちもみんな同じです。お兄さんも、スマフォ中毒にはくれぐれも気をつけてくださいね」
 ゴールドスミス化した住人の一人だった佐藤うるかは、両手を広げて喜びをかみ締めている。
「ちょっと待った君。今このタイミングで現れるとは、『意味』ありげだな。君も何か? 女王の手下か? それとも、あの綺羅宮軍団とかいう羽生え族の仲間なのか」
 やせていて丸めがね、お下げ。
 どう見てもうるかは、ごく普通の女子中学生である。だがそのうるかが、達夫店長とアイコンタクトしている。
 これは……敵なのか、味方なのか? もしや、女王の回し者のスパイ?
「さすが察しがいいですね、お兄さん……その通りですよ」
 これまでさんざん時夫に本を渡して、その都度、助けてくれた少女。
 うるかが渡した本は、菓子井基次郎の「檸檬」、エドガー・アラン・ポーの「アッシャー家の崩壊」、O・ヘンリーの「最後の一葉」などだ。それらは、それぞれの戦いで意味論を発動してきた。
 しかし全てが、壮大な罠だったとしたら? あるいは、そうではないのか------。
 時夫はうるかの正体が、ようやく明かされる時が来たという予感を持ち、少女の次の言葉を待った。
「あの時、月夜見亭で、最初に会ったときのこと。覚えてますか? 実はあの真っ暗な部屋の中に、あたし達のお師匠がいたんですよ」
 全員が達夫店長を見た。達夫は頷いている。
「しかし、ありすの鼻を欺けるのか?」
「月夜見亭は、明かりを消して、普通の声での会話を許さないマナーの店です。視覚・聴覚を遮断された状態で、味覚を楽しむんです。嗅覚も同様です。匂いも料理以外、香水など、あらゆる特徴的な香りが許可されていません」
「Gさん、本当なのか?」
「本当だ。科術が効かない『意味論無香空間』だ。無論、魔学も効かない」
「それで、ありすさんの鼻を撒いたんです」
「なんだって……」
 時夫やありす達は、達夫店長と、同じ月を見ていた。
「暗いから分からなかったと思いますけど、料理を出してきた店員の一人は、お師匠でした」
 少女は、ありすと同じく金沢達夫を「師匠」と呼んでいた。
「まさか、ひょっとして君は……」
 うるかによると、店の料理は達夫店長が作っていたという。
 達夫は、店員の一人にまぎれて運んだ。その料理には科術のパワーが入っていて、それでありすの無限たこ焼きの封印解除のきっかけとなったのだという。
「君、確か弟と変な遊びをしてたよな。覚えているんだけど」
 時夫がうるかに訊いた。
「……変な遊び?」
「でもウルウルはウルウルじゃなかった。騙してたのネ……とか何とか」
「あぁ。あれ? お兄さん、そんなこと気にしてたんですか」
 うるかはプッと笑った。こうしてみると、年相応の可愛い少女なのだが。
「『うるうる』っていうのは君の名、うるかのことだよな。つまり、『君』は『君』じゃない。それは、俺たちを欺いていたってことか?」
「そうじゃありません、お師匠からの仕事の依頼ですよ。料理を出したあとも、お師匠は部屋の隅にしばらく居たんです。その時、私はお師匠から符丁で仕事を頼まれました」
 うるかは、弟と小さな声で遊ぶふりをして、店長とやり取りしていたらしい。そして店長から、重要な使命を託されたのだという。
 その時の秘密の会話を再現すると、こんな感じだ。

「うるか。私はまだ『半蝶半蛾』を手に入れていない。その代わり、アリゾナ州の知り合いの科術師のストーンショップに寄ってきた。本物のウルフェナイトを手に入れた。これをお前にやろう」
「わあおっ、このイエローオレンジの輝き……」
 うるかの料理の盆には、ウルフェナイトが載っていた。時夫は月の光で何かがオレンジ色に輝いたことに気づいたが、正体はこれだったらしい。
「またすぐに、出かけなければならん。この町の私の代理として、君の力を貸してほしい」
「えっとぉ……じゃあ私が今、持っているウルウルは、フェイクストーンだったんですか?」
「そうじゃない。当時入手できたウルフェナイトの中で、最も純度の高いものだよ。それでも君は十分、書籍科術を発揮できてるはずだ。本物のアリゾナ産ではないが、類似の力を持っている」
「でもウルウルはウルウルじゃなかった。騙してたのネ」
「アマゾンの通販で売っていた中では、それが最高だったんだ」
「Amazon……」
「君はウルフェナイトのパワーに近づけた。つまり、プラシーボ効果を発揮した」
「プラシーボって。偽物をくれるなんてひどいですぅ」
「偽物じゃない。プラシーボは立派な意味論だろう。アリゾナ産には劣るが、君は書籍科術は通用した。しかしこれを使えば、より効果的に力を発揮できる。君の完成された書籍科術によって、これからありすと時夫たちを助けてほしい」

 以上のやり取りを、うるかはありす達に気づかれないよう、「三匹の子豚」をベースにした影絵を弟と遊びながら、部屋の隅に居た達夫店長としていた。
 十三歳の少女・佐藤うるかのパワーストーンは、ウルフェナイトという硬度が低い石だ。カットするのが難しい。
 アリゾナの科術師の営むストーン・ショップでは、ウルフェナイトを、見事なジルコンカットに加工しているという。
「ウルフェナイトのことを私、ウルウルって呼んでるんです。-----その方がかわいいでしょ、ウルフェナイトよりも。確かに類似の石でも、私の書籍科術は覚醒しました。プラシーボ効果のお陰ですね」
「プラシーボって確か、擬薬……」
「時夫も覚えておきなさい。プラシーボ効果の発見者は科術師だった。その科学原理は二十一世紀現在も謎に包まれている。だが、人類はそろそろ意識のパワーに気づくべきなんだ。意味論のパワーにな」
 プラシーボまで、科術師が関わっていたなんて-----、ま、いまさら驚かないけどね!
「これまで散々学んだはずだろ。フェイクもまた、『意味』というくくりで、本物と同等の存在意義を持つっていうことを。第二次大戦中、私は南の島で、文明を知らない住人たちが飛んでいる戦闘機を真似して、木の枝で戦闘機を造っているのを見た。それはもちろん、飛べない置物だった。これは、カーゴカルトという迷信だ。こりゃ何だと思ったが、住人達は、飛行機の『メス』を造れば、『オス』を引き寄せると信じていた」
「いや……それはさすがに」
「あっそっか、オスプレイがメスプレイ目掛けて飛んでくるみたいな!?」
 ウー、チョット待てメスプレイって……。
「だがな。UFOを人類が真似て造ったとして、現在の人類には円盤もどきは作れるかもしれんが、UFOそのものを作ることはできん。その円盤もどきは、宇宙人から見れば木の枝の戦闘機と同類なのかもしれんぞ」
「そりゃそうだけど」
「我が師は言った。実はそこにも意味があったのだと。彼らはそれで弁証法的に近代文明を受け入れた。そこが大事だ。カーゴカルトも意味論だからな」
 プラシーボ効果は、時に本物の薬と同等の治癒をもたらす。それは結局、病気を治療しているのは薬ではなく自分自身、さらには意識の問題だという意味論である。
「そうなるのか……」
 前に、風邪を引いていた時夫を、古城ありすはプラシーボの漢方薬を使って治した。彼女自身も引いていた風邪を治してしまった。それが科術漢方の力だ。科術漢方は薬効ではなく、意味論で治療するのである。
 するとマズルが続けた。
「店長のおっしゃる通りです。プログラミングでも、実際には何の機能もないまじないに近いコードを書く人がいて、カーゴ・カルト・プログラミングといわれています。これらは一種の儀式であり、南国の島々の迷信となんら変わりありません。けれど、実はそこに、積極的な意味論を込めてプログラムを作成しているのが、幻想寺です」
「なら、駄ジゃレも意味論かい!」
 時夫は何もかもが、意味論で片付けられる風潮に気づき始めていた。
「せーかい」
 うるかはにっこりした。
「ひょうたんから駒。うそから出た真(まこと)。これは意味論を示した言葉だ。……たとえば八十年代の子供達を沸かせた高橋名人を知ってるか?」
「いやー、全然」
 振られた時夫は首を横に振る。
「彼は、伝説的なゲーマーだった。けれど高橋名人の実体は、会社から命じられて名人を演じていただけのゲームのど素人だった。しかし彼は『名人』のフリをしているうちに、世間からは本物の名人と認知され続けていた。実際のゲームの名人でなくても、子供たちにとって憧れの存在、『高橋名人』であり続けたんだ。つまり、何でも真似てやってみるんだ。その気になってやっているうちに、意味論が働いていずれは本物に近づく。だから時夫、一流の科術師になりたかったらそのフリをしろ」
 達夫は孫をじっと見て言った。
 だから誰も、一流の科術師になりたいなどとは……。
 金沢達夫は九ヶ月間もの間、世界をさまよっていたという。
 ところが、ありす達が月夜見亭に寄った頃、一旦日本へ戻っていたらしい。うるかに石と使命を託した直後、達夫店長は再び町を離れた。
 それ以来うるかは、女王の人質になるなど危険を冒しながらも、時夫を通して本を渡し、書籍の科術で手助けをしてきた。古城ありすは決して、店長から見捨てられていた訳ではなかったのである。
「あの時、恋文町は黒水晶によって箱庭にされたはずなんだけど。店長さんは何で外から、箱庭に入れたの?」
 石川ウーが訊いた。
「秘密の抜け道を、わしは知っていた」
「どこ?」
「バミューダ横丁だ」
「えぇっ。一度入ると二度と戻れない横丁じゃないっすか……」
 ウーはのけぞった。
「外から入る分には問題ない。リュウゼツランの葉を一枚曲げると行ける。一つだけ擬木の枝だ。今度、探して御覧なさい」
「じゃあ何箇所か、抜け道があったの……?」
 ウーは悔しそうに言った。
「でもあの時店にいたなら、アタシ達を助けてくれればいいんじゃないですか? 何で助けてくれなかったんです?」
 危険な目に遭ったのは、ウーも時夫も同様だった。
「わたしはあの時店内にいたが、半蝶半蛾を手に入れるまでは、決してサリーに感づかれる訳にはいかなかった。だから私は、うるかに託すしかないと判断した」
 達夫によると、月夜見亭は恋文町で、唯一の意味論の効かない場所として作られた店だが、達夫が作った訳ではないらしい。外観は、松本城の月見櫓(やぐら)を参考にしているという。
 うるか……本当に何者なんだよ? こんなに子供なのに。とはいえ、自分たちも似たようなものか、と時夫は思い直す。
「うるかは私の二番弟子だ。本で運命の意味論をコントロールする。お前達には見ることすらできなかった幻想寺に出入りさせて、教えていた。うるかは実によくやったよ」
 それは未来を見通す能力、あるいは運命をコントロールする能力なのか……?
「ありがとうございます」
 うるかは頬をピンクに染めた。
「ひょっとして、君の弟も?」
「いいえ、家族は無関係です。結局、家族を巻き込んでしまいましたけど」
 うるか一人が、店長よりミッションを授かったらしい。
「あいつは? ありすが探してた、……えーと通信役のオッサン」
「あの人は、お師匠から科術師資格を剥奪になりました」
 うるかは冷たく言い放った。
「だけどありすは……」
 全員、黒いたこ焼きを無言で見上げる。
「ところでお兄さん、私が最後に渡した本、何だか覚えてますか?」
 しばらくしてうるかは訊いた。
「確か、カフカの『変身』だったよな」
 時夫は懐から文庫本を取り出した。
「そうです。-----お読みになりましたか?」
「うん。一応。恋文町のお菓子化で外に出られなくて、時間があったから」
「で……どうでした?」
「ああ、まぁ。面白かったけど、不条理っていうか、不気味な話だよな。何の意味論なのか。ラストもハッピーエンドじゃない。主人公のグレゴールに救いはないな」

 グレゴール・ザムザは、ある朝、突然巨大な毒虫になっていた。
 グレゴールは仕事を休み、その日から自室に篭って生活するようになった。グレゴールは家族にうとまれながらも、次第に心の中まで虫に変化していく自分を自覚した。唯一グレゴールの世話をしてくれた妹も、グレゴールを疎ましく思うようになっていた。最後は、父親から投げつけられたリンゴで負った傷が原因となって、死んでしまう。

「グレゴールは、なぜ虫になったんでしょうか?」
「さぁ、書いてなかったみたいだけど」
 朝、起きたら唐突に虫になっていた。本に書かれているのは、ただそれだけだ。
「邪神ハスターでも召還したとか?」
「ラブクラフト神話じゃないですぅ、お兄さん」
 まぁ、分かってるけどね。
「それは、グレゴール・ザムザっていう名前だからですよ」
「えっ」
 確かに虫っぽい名前だ。
「ザムザて……虫になる気満々じゃないっすか」
「安直な解釈じゃ?」
「意味論とはそういうもんです。作者のカフカが命名した時点で、主人公は虫になる運命だったんです。当時、カフカが生きたのは家父長制が強い時代で、カフカは父親との葛藤を抱えて、家庭内での人間関係のねじれを書いたといわれています。虫は結局、周囲の家族たちに疎まれながら死んでいきました。でも、カフカは仕事の出張で執筆の中断を余儀なくされ、作品の出来が悪くなったと思っていたんです。特に、オチに納得していませんでした。実は、カフカには『変身2』の構想があったんです」
「本当に?」
「はい。膨大な書簡の意味論を解読した科術師がいます。実存主義者だったフランツ・カフカはルイス・キャロルと同じく、意味論を知っていました。その頃、ヨーロッパの哲学者たちの間で、意味論が大流行していたんです。カフカは自分自身が、醜い虫から蝶になって飛び立つことを常に願っていました。虫は一度死に、さなぎになって美しい蝶へと生まれ変わる。つまり、ラストシーンは仮死だったというのが真実の解釈です。夜明け前が最も暗い……。さなぎから生まれ変わったザムザは、販売員を辞めて事業を起こして大成功を収め、結婚して幸せな人生を送るんです」
「なるほど……二つ目の『変身』は、虫になることではなく、虫そのものが変態することを示しているっていう意味か」
 そう考えると、虫になるというのは一見すると不条理で悲惨だが、醜い生き物が仮死を経て、美しく『変身』するという、壮大なドラマが見えてくる。カフカが自身を投影したグレーゴルには、素晴らしい未来が開けていたはずだ。カフカは、職業作家として、この上ない成功を謳歌するはずだった。だが、カフカはわずか四十歳で死んだ。もしもカフカがその続きを書こうとしていたとすれば……。
「それが、もうすぐ見られそうですよ」
 そこまでうるかが言ったとき、巨大な黒こげのたこ焼きに異変が生じた。皆一様に引き下がる。ひび割れが起こり、そこから光が漏れ出てきた。
「御開蝶……!」
 科術師うるかが叫んだ。

 ドッバアアアン!

 姿を見せたありすの上半身が光っていた。
 黒ゴスロリドレスの背中が裂け、巨大な蛾と蝶の羽が生えていた。
 前回黒水晶を取り戻したときは、オーラのみの羽だったが、今度は実体化していた。半蝶半蛾が全身に行き渡り、完全に黒水晶のパワーが身体になじんだようだ。
「一度死んで、サナギになったんだよ。サナギは再生して、蝶になる。ありすちゃんは、ずっと青虫だったんだよ!」
 石川うさぎは、幾つかに分かれて崩れゆくたこ焼きを見上げながら言った。
 うるかの書籍科術が最後に、世界をカフカの不条理な意味論に仕上げた。
「う~ん……」
「ありす!」
 時夫は思わず駆け寄った。
「あぁ……金時君。無事だったみたいね。みんな」
「君こそ」
「あたし、ずっと自分は蝶になれない蛾なんだという自覚があったんだ。サリーが言ってた通り。ショーウィンドウから金ぴかのトランペットを眺める黒人少年みたいに。人間にもなりきれない蟲。人であって人ではない存在。だから、ゴスロリ服を着ているのかもしれない。いつも違和感を感じていた。あたしは、大きな闇を抱えていた。それを超えるために、これまでずっと戦ってきたんだ」
「ありす……」
 時夫は感慨深く見つめていた。
 気づいていたんだぜ。ありす。君とデートしたとき、君は「善米衛が泣いた」を観て、泣けないって言ってたけど、本当は泣いていたのを。あれはあくびなんかじゃないって事を。
「これだけ特大サイズのたこ焼きとなると、やっぱり、鉄板二枚は要るわね」
「……」
 ありすはみんなの話を巨大たこ焼きの中でぼんやり聞いていて、グレゴール・ザムザの気分になったらしい。
 ザムザたる古城ありすは今や、蝶となった。いいや、蛾も蝶も否定しない「半蝶半蛾」の完全体に。

 新生古城ありす、爆誕!

 そして俺たちは、空へ-------。
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