第20話 恋文町のホットな戦争

文字数 4,718文字

 住宅街の四つ角にある自動販売機の前に、千鳥足で通りかかった鼻歌交じりのサラリーマンが立ち止まった。
「チョパチュパカブラ~チュパカブラ~~♪ チュパチュパしようよチュパカブラ~♪」
 商社勤務の三十五歳の彼は、フラフラしながら百円を投入し、ホット缶コーヒーのボタンを押した。

 ピピピピピピピピピ・ピ……ピ・ピ・ピ…ピ。

 ルーレットの数字が、7が四つ並んでいる。
「お……やった♪」
 もう一本缶コーヒーを選ぼうと身構えた瞬間、ガシャーンという音がして、自動販売機の扉が眩い光と共に開いた。
 中から、四人の少年少女たちが転げ出てきた。
「イテテテ……!」
 四人の頭上に固い金属製の物体がゴンゴン落ちてくる。しかも熱い。全てホット缶コーヒーだ。銘柄は、千葉・茨城のご当地コーヒー、「マッドマックスコーヒー」。

       *

「ここは?」
 古城ありす、石川ウー、金沢時夫、白井雪絵。
 四人が出てきたのが自販機の扉だったことに、時夫はそこで気づいた。路上に泥酔したサラリーマンが腰を抜かしている。
「でででで、出た~~チュパカブラァぁぁ~~~!!」
 やがてよろよろと立ち上がり、路地の闇に走り去った。
「誰がチュパカブラだ、失礼ね!」
「エレベータ、ここに繋がってたの?」
「出口専用機だよ」
 ウーは頭をさすりながら、閉まる扉を見やった。
「あぁ……、う…………ん……」
 そのとき、ありすの胸が輝いた。
 少女のハートから、光の玉となって黄昏時の空へ飛んでいった。
 寿司の形をした光が、次第に人の形へと変わった。それらは、ゆらゆらと揺れながら各方面へ散らばっていった。
 その後を追いかけるように、自販機の扉から無数の光が飛び出していった。

 ホーホホホ……、古城ありすさん、ありがとう~~……。
 いつでもお店にいらしてくださいね~。今から一週間、たくあん醤油漬け一袋を十パーセントオフにしてお待ちいたします~。
 お店に帰ったら醤油パン♪ 醤油パンたら♪ 醤油パン♪

「相変わらず美声だな」
 夜空にかすかに響くおぺんぺん女将の声が、時夫の耳に届いた。それほど割引してくれない。最後まで商魂たくましい。
「ほんの少しだけ……救えた」
 ありす達は、ウーの案内で、食虫植物の森の先にあるエレベータから地上へ脱出した。蜂人たちは途中で追跡を諦めたらしい。
 地下でしか生きられない蜂人たちは、地上には当然出て来れないのだ。
 ありすを追うように、囚われていたアンティーク人のレジスタンスたちが、続々地上へと脱出した。ありすが食べた寿司も、地上に出てから人間の姿を取り戻した。
 さっきのサラリーマンの方向へ飛んでいったから、今ごろさぞや腰を抜かしていることだろう。
「やれやれ、やっと地上へ出れたぞ。これで『不思議の国』の現象ともお別れだな」
 時夫はありふれた住宅街の町並みを眺めて言った。
「いいや……違う。そうじゃない」
「えぇ? だって、『不思議の国のアリス』のラストは、地上へ出たらおしまいだったはずじゃないか! ならその意味論からも開放される」
 時夫は焦って、古城ありすを問い詰めた。
「原作ではね。でも、私達は『不思議の国』から戻ってきたんじゃない、地下から戻ってきただけ。付木有栖市恋文町は、もう普段とは違う」
 夕闇迫る恋文町に、ありすは何か異変を感じたようだった。特に、地平線に浮かび上がったばかりの巨大な満月を凝視している。
「……あの月よ」
「月がどうかした?」
 時夫が訊いた。
「金時君、前に言ったでしょ。月だけが本当の外界だって。でも、そうじゃなくなっている。私、簡単に地下へ行けたのが不思議だった。ウーが地下へ降りた後、本来なら地下帝国はうさぎ穴を埋めていたはず。私を地下に行かせたのは陽動だったんだ! どぉりで、蜂人が本気で追っかけて来なかった訳だよ。ウーは操られていただけだけど、サリー、あいつには自信があった。この町に、もう完全な包囲網を敷いてるって」
 あれでも蜂人は本気ではなかったっていうのか?
 ありすは地下で、その場その場の意味論の戦いに勝利した。だが、勝負に勝つことで安心し、全体的には戦略的に負けていたという。
「どういうことだよ。確かに月は大きいけど、今がそういう季節だからだろ。スーパームーンていうんだよ」
「スーパームーンにしては大きすぎる」
 ありすの言う通りだ。巨大な「お月様」が、今度は本当に時夫たちをあざ笑っているように思えた。
「私が留守の間に、女王の手下と化してる冬人夏茸、キノコ人間たちが暗躍してたらしい。つまり、白彩店長のような奴らがね。いや、ひょっとすると鉱石人の、あいつがか……? 町を動かす機械時計が完成している。もう、この町の日常は日常じゃない。不思議が日常になり、日常が不思議になる」
「どーいうこと?」
 ウーがぽかんとしている。
「もう安全な日常なんてどこにもない。地下だけじゃない。恋文町の全てが『不思議の国のアリス』の世界になってしまう。これまでのわたしと白彩の冷戦は終わった。ホットな戦争が始まる!」
 ありすは、ひどく狼狽している様子だった。「鉱石人」とは、一体何のことだろうか。
「そんな……」
「地下での戦いは前哨戦に過ぎなかった。地上のこの町こそが、本当の不思議の国になる。これから本格的に不思議現象が起こる。町のあちこちで誘拐現場が稼動し始め、ますますおおっぴらに加速する。恋文町で徐々に奇妙な冒険が始まる……!」
 ありすは、拾い上げた缶のホットコーヒーをぐいぐい飲んだ。
「君ね、色々な素材が混在しているよ」
 荒木飛呂彦のマンガ、「JOJOの奇妙な冒険」。その第四部は、それ以前の第三部までの世界を股にかけた冒険とは異なっている。「日常に潜む奇妙な冒険」がテーマだ。
 「JOJO」第四部の舞台となった杜王町(もりおうちょう)は、無国籍風の町で、奇妙な出来事が起こっても何ら不思議ではない。
 作者の荒木飛呂彦は日本の街を描くのがあまり得意ではないのか、杜王町はぜんぜん日本らしくないのだ。
 その点、恋文町はどっからどう見ても平均的な日本の住宅街だ。それにも関わらず不思議現象に見舞われている。恋文銀座が、「JOJO恋文」に改名するのも時間の問題かもしれない。
 これから時夫は、これまでにも増して、この町で不思議現象に見舞われるのかもしれないのだッ!
 だから、もはや言うことはただひとつ。
 ……だが、断るッ!
「サリー。あいつ……あいつめ。あぁ! 悔しいぃ!!」
 飲み干した缶コーヒーを、ありすは握りつぶした。
「もういいじゃないか。雪絵も取り戻せたし、うさぎだって戻ってきてくれた。君は良くやったよ」
「そんな呑気なこと言ってられなくなる。金時君、あなたにもいずれ分かる」
「金時だってさ、あっはははは」
 ピンク髪のウーは、時夫を指差して笑っている。
「訳ワカメ。誰か、どういう状況か説明してくれよ! 今までだって、全然日常じゃあなかったぞ。この恋文町は……」
 ありすはスーパームーンを観て一体何を驚いているのだ。今さら、何だというんだ。
「だからさ、ありすが地下に行って恋文町が留守になったでしょ? その間に地下一派が女王の魔学で、ありすが恋文町に貼ってた科術結界を破ったってコト」
 人事みたいにコメントした石川ウーの顔が、電柱を見た途端、凍りついた。
「て、ててて店長……!?」
 ウーは突然に電柱にしがみついて泣き出した。
「どうかした?」
「薔薇喫茶の店長が!」
 両目から大量の涙が溢れ出している。
「店長居なくなっちゃったのよ。私、地下に行ったのは薔薇喫茶の店長を探してたからでもあったんだ。店長たちは地下の食材を求めて蜂の国と協力するような、危ない取引をしていた。とうとう捕まって、中で反乱を起こしたみたい。だからダメだって言ったのにぃ!」
 それで、薔薇喫茶に地下への入口があったという訳だ。
「じゃあ」
「名前が佐藤さんだったの。こっちは奥さんよ」
 この電柱は、地下に連れ去られた人々の成れの果てだ。
「あああ……」
 さらにその次の電柱を見て、うさぎはへたり込んだ。

「佐藤マズル」

「うさ男(メン)……。やっぱダメだったみたい」
 ウーはガックリ肩を落とし、涙を流しながら微笑んでありすを見た。
「女王のスパイをしてたうさ男(メン)も、裏切って反乱起こしたのかなぁ? 電信柱にさせられちゃった。これ、みんな女王が、電信柱にしたんだよ」
「ウー、これは電柱よ。電柱と電信柱は違う」
「えーっ、そうなの?」
「電気を通すのが電柱。電信柱は電電公社なんかの通信用。処刑されるのは、今のところは電柱だけよ」
「でん、でん……?」
 時夫は聞いたことのない単語に引っかかった。
「NTTのコトじゃないの?」
 泣きはらした顔のウーには分かったらしい。
「あっそうそう」
 ありすは取り繕った顔をした。
「電電公社って、昭和の呼び名じゃん。途中からNTTに名前が変わった」
 ま、そんなことは今はどうでもいい。
 時夫は町を見渡した。何の変哲もない電柱から伸びた電線が、風でヒューヒューと鳴っている。その音の中に、「オ~、オ~」という悲鳴めいた「声」が混じっているのを確かに聞いた。
「田中……。こっちの電柱には『田中清』って書いてある」
「田中は、『でんちゅう』とも読めるからだな」
 サリーの城で目撃した電柱処刑の犠牲者は、確か田中和夫と言ったか。
「田中さんは、最初から電柱にする目的で浚っているようね。これらの電柱が送る電気が、女王の魔学が恋文町で暗躍する一役を担っているのかもしれない」
 日本の町といえば電柱。あまりにありふれたその景色は今、地獄の人柱のように恋文町に建っている。時夫はそれを呆然と見上げた。
 サリーは電柱には顔があると言った。
 変圧器が人の「頭」に相当するのか、天辺で横に伸びているアームが、人の「腕」に相当するのか------。
 く、区別が着かねー。
 時夫にはもう、住宅街の景色が日常と一変して見えて仕方がなかった。
 この立ち並ぶ電柱が、地上侵略の証! 恐怖の地下の圧制の証なのだ!
 電線の音は、次第にメロディを形成していった。その曲は、時夫にも聞き覚えがある。
 ベートーヴェンのピアノソナタ「♪月光」だ。
「彼らのうめき声が、音楽を生み出している。これは、電線五線譜の意味論というべき現象ね」
 ありすは、風の強い日、たまに電柱人の「歌」を聞くと言った。
 電線に風が当たると、その下にカルマン渦ができて音が鳴る。その電線が、五線譜の役割を果たしてメロディを生み出すのだという。彼らの苦しみが、なぜこんなにも美しい哀愁のメロディを生み出すのだろう。
「彼らは、まだ生きてるんだろ?」
「うん。自分がどうされたかも、かすかに記憶が残っていると思う」
「こんな状態でも自我を保ってるなんて、-------女王は残酷だな」

「お前ら全員、電柱にしてやる!」

 そう言った女王サリーの言葉が、時夫の耳から離れない。
「今にあふれ出してくる。地下の奴らが。きっとまた雪絵を取り返しに来る。それに、地下のスパイをしている連中がもっと活躍しやすくなる。露骨な誘拐が始まるわね」
 古城ありすは地面に転がった二缶目の缶コーヒーを拾って、飲み始めた。
「味が違う……」
 ありすの眉間にしわが寄った。

 これって泥棒だよね?
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