第67話 木曜日を金曜日に変える魔法

文字数 4,776文字

 佐藤マズルの行方のヒントは、やはり金沢時夫のアパート「恋文ビルヂング」にあるに違いない。
 そう結論した四人は、結局、時夫の部屋102号室に戻ってきたのだが、時夫はドアポストに入っていたチラシに見入った。その顔は怪訝に怪訝を重ねたように曇った。
「……何だ?」

「恋文ビルヂング102号室・佐藤マズル様

『昼の訪問時にお話をいただいていた件ですが、用意が整いましたので、また伺いました。ご不在でしたのでまた今度伺います』
                         伏木有栖市市役所 明日から本気出す課」

「あぁ!?」
 三人が一斉に覗き込む。
「えっ、これマズル宛じゃん!」
「どういうことだ、102号室って----」
「金時君が住んでいる部屋じゃないの」
 ここは俺、金沢時夫が住んでいる筈だが、他のアパートと勘違いしている訳でもなさそうだ。はっきりと「恋文ビルヂング」と書かれている。
「ウサメンが中に入り込んでたってこと? しかも、ここの住人に成りすまして」
 ありすも訳分からんという顔をする。
「しかも、マズルが居る間に市役所の役人がここに訪ねて来たってーの?」
 何より一番驚いているのが石川ウーだった。
「明日から本気出す課だってさ」
「しょうがないわね。マツモトキヨシで有名な松戸出身の松本清市長は、『すぐやる課』を設立したことで有名だけど、伏木有栖市はやる気が無いことこの上ない」
 明日は永遠に来ない……。
「とにかく中へ」
 時夫は真っ先に中に入ると、部屋の隅々まで確認して廻った。
「……おかしいな。何も変わってない。ゴミ箱の位置とか、テーブルの上に散らかっている鍋や皿、出たときと何一つ変わってないぞ」
「ホントだ。でもマズルは、あたし達が西部から戻ってくる直前に、ここを出たってことなんじゃない?」
 ありすも奇妙な状況に頭を悩ませているらしい。
「……そうも思ったんだけど、昨夜戻ってきた時のことを思い返しても何も変わってなかったんだ。自分の部屋だから、ちょっとの変化でも分かるはず」
「でも、この文面をよく読みますと、お役所は今日の昼にここに来たことになってます。私たちが図書館に居たころ、マズルさんは、ここに居たということです」
 雪絵が指摘した事実に、三人は凍りついた。
「時間差で、金時君とウサメンがこの部屋で生活している?」
「それはありえないよ。いくらすれ違いで生活っていっても、この部屋には俺のものしか置いてないし、それに、何にもモノが動かされてないんだ!」
 そう。キッチンの塵一つ、汚れ一つ見覚えがある。
 時夫は檻の中の熊のように、いつもこの狭い空間をウロウロ歩き回っているのだ。実際問題、何も変わってない。……いよいよ来たか。来てしまったのか。
 「不思議の国のアリス」現象が、自分のアパートで起こり始めて以来、時夫はこれまで体験した受け入れがたいその事実の一つ一つを、片目を瞑りながら何とか受け入れてきた。
 いいや、実情はそうせざるを得なかったからだが、「普段忘れている部屋」、「二階の軍事境界線」、「101号室が地下への出入り口」……などとといった不思議現象に加えて、遂に102号室、つまり自分の部屋にまで不思議現象が押し寄せてきたのだ!
 ンなこたぁない、とタモリよろしく否定の呪文を必死で唱えても、不思議が容赦なく襲い掛かる。
 もうこの部屋は安全ではない。このアパートに安全な場所など何処にもない。にしても、なんでマズルは普段空いてる103号室とか、104号室に「住」まないんだろう?
「さすがだね!」
 ウーが半笑いで、唐突に時夫に向かって言う。
「何が?」
「ヨ、事件を呼ぶ男!」
「……」
 う、うれしくねー。
「アリストテレスは言っている。『同じ場所に、実体性を持った対象が二つ以上重なって存在することはない』。それは確かにそうなんだけど、量子力学における多世界解釈で考えると、実は平行宇宙というものの存在が仮定できるんだよ」
 ありすがまたテキトーな説明を思いついたようだった。
「何だソレ、分かりにくいぞ」
「今回の場合、金時君とウサメンは同じ102号室に住んでいるはずなんだけど、両者が出会うことは決してない。しかも、仮に時間差で住んでいるとしても、お互いの生活の形跡も全く見られない。だから同じ部屋に居るはずなのに、お互いの存在に気づくこともない。つまり、二人が住んでいる部屋は、全く別の平行宇宙ってことなのよ」
「えぇ~!」
 ウーがありすの説明に声を鳴らした。それは驚嘆ではなく不満である。
「この恋文町は、もう他の町とは時空が異なっている。だから、平行世界があたし達の前に出現したとしても驚くことはない」
 驚くなって言われても……。
「じゃあ逢えないってこと? マ~ズ~ルゥ~!!」
「慌てないで、ウー。あんたの寝てた部屋の壁に、カレの手紙が貼ってあったでしょ。それにこの役所の置き手紙。これは確実に、隣同士の平行宇宙が接触しているって印」
「なら、どーやって逢えばいいのよッ!?」
「時夫さんのお部屋って、すごいですね……」
 雪絵がポカンとした顔で、なにやら感動すら覚えているようだが、やめてくれ……。
 俺も今その凄さを味わっている。この部屋に、なんだかよー分からんが誰かが住んでたとか、正直薄気味悪い。
「金時君」
 ありすが時夫の右肩をがっしり捕まえて睨んでいる。
「今や君は、不思議の国現象の中枢的存在といってもいいの。君自身が。雪絵さんももちろんそうだけど、この町における君の重要度が増している。もう逃げることは絶対出来ない。立ち向かうのよ。あたし達は、全力でサポートするから。頑張ってね」
 このアパートが中枢なんじゃなくて、「俺」がか。最後は、他人事のような言い方で逃げられたような気がする。
「……」
 俺は、科術師でも何でもない。途中から科術師として目覚めた雪絵とも違う。
 なぜか、ライトセーバー誘導棒だけは使用できるが、それ以外は未だに平凡な高校生に過ぎない。
 十日前の十二月二十日。あの、冬休みの初日までは。
「時夫、今日もここに居ていい? ひょっとするとマズルに逢えるかもしれないし」
「……あぁ、別にいいけど」
 ウーの願いは、時夫にとっても願ったり叶ったりだった。
 今ほど、一人になることを心細く感じた瞬間はなかった。この町で信じられるのは、これまで戦ってきた同士、古城ありす、石川ウー、そして白井雪絵だけだった。
 この十日間、四人でよくここまで乗り切ったものだ。
 ウサメンこと「佐藤マズル」が何者なのか、何をしているのか知らないが、そいつのお陰で皆がここに居てくれるのならありがたい。
「今日、世間じゃ大晦日なのね。ま、後は来年ね。明日のことは明日考えましょ。明日から本気出す。来年になれば、きっと状況は好転するはず」
 明日に向かって寝ろ!
「そうだ、来年こそは本気出す。ら、来年こそは東京に帰るぞ!」
「オーッ!」
 日が暮れ、夜が更けていった。四人は102号室に固まり、紅白歌合戦を観ながらウーの食事で飲んで食べてグダグダした。
「疲れた。ちょっと横になっていい」
 ありすはぐったりと両足を投げ出した。
「いいよ。横でも縦でも斜めでも」
「……横でいい」
 世間と時空の異なるはずの恋文町で、普通に紅白が観れている。ありすは、古文書『恋文奇譚・火水鏡』を読んでいた。ウーが唄ったり踊ったり、騒いでいる内に、いつの間にか四人はその場で雑魚寝で爆睡した。

 来年になれば、きっと……。

 チュン、チュンチュン。
 カーテンから朝日が差している。時夫が目を覚ますと、ありすが柱の前に立っていた。柱に備え付けたカレンダーを見ているらしい。
「オハヨ……何、どうかしたの?」
 時夫は声をかけたがありすの返事はない。
 まだ眠かったが、仕方なく時夫は身体を起こすと、ありすの横に立った。他の二人はまだ寝ていた。
「32日?」
 カレンダーは12月32日になっていた。
 ……12月32日?
「31・32・33……こりゃ、いつまで経っても来年が来ない」
 カレンダーに異変が起こった。一向に来年にならない?
「魔学でカレンダーに異変が生じてる」
 ありすは呟いた。
「曜日の表記もおかしいぜ」
 有曜日・炎曜日・氷曜日・本曜日・針曜日・圧曜日・旧曜日!
「もうダメね……」
 ありすは非力を感じていた。恋文町は、空間だけでなく時間さえもおかしくなってしまったのだ。
「もうすぐ町の人々が、スペシャルな砂糖、ショゴロースを浴びて、全員スィーツドールになってしまう」
 全てがお菓子に変わってしまうという、「おかしな国現象」が始まるのだ。
「昨日は何も対策を打てなかった。あたしが、何もできなかったばっかりに」
「オハヨー。時夫、寝癖がサリーちゃんのパパみたいになってるーッ。あははは」
 ウーが起きてきて、二人の異常な態度にすぐ状況を把握した。サリーのパパって、やだな。
「明日も? 明後日も? 明明後日(しあさって)も?」
「そうみたい」
「弥明後日(やのあさって)も? 後明後日(ごあさって)も? ずーっとずっと、今年のままなの?」
「うん、そうだよ」
 雪絵も起きてきて、四人で脱力したように部屋の中で無言で立ち尽くした。誰もが、夢から醒めた夢を観ている気分に浸った。
「東京脱出は?」
 時夫は独り言のようにありすに訊いた。
「……東京? 何それ美味しいの?」
 こうしてありす達が住む伏木有栖市恋文町に、来年が来ることはなかったのだ。

 セントラルパークの花時計は、9:50(くじごじゅっぷん)を差している。
「またもう花(女)は枯れるのか。またもう秋か。『来年』に備えて休まねばならないのか。明日に備えて、今日は休もう」
 満開に咲き誇っていた花時計の薔薇達は、みんな大きな水滴を花弁からこぼした。それはまるで、目からこぼれ落ちた涙のようだった。いいや「まるで」ではなく、まさに花の中に目があった。
 日が高くなる昼前、薔薇たちは急激に萎れていった。

 それは始まった。
 白彩本陣の砂糖工場の巨大煙突から、流れる白い煙が雲となった。雲は、綿菓子になった。
 白彩店主が、店の巨大煙突からもうもうと出したショゴロースの煙は、ファイヤー・クリスタルの力で増幅した魔学の煙だった。
 綿菓子雲が集まって暗くなり、雨となった。雨は、ベトベトとした雨で、ほどなく飴になった。 
「飴か……じゃ大丈夫」
 時夫は外に出て右手をかざした。
「飴だって危ないよ。飴をなめんなよ!」
 ありすも一緒に出てきて空を眺める。
「分かりました、舐めません」
(……)

『ピンポンパンポ~~~ン……。本日、十時四十分に、伏木有栖市恋文町に……糖化学スモッグ注意報が……、発令されました』

「糖化学スモッグだって」
 ウーが笑った。
「町内放送だ。伏木有栖市が仕事してるわね、一応」

『発令中は……屋外での作業には……十分注意し、飴に濡れることは……できるだけ避けて下さい。ポンパンピンプ~~~ン……。プーッ』

 酸性雨ならぬ雨のような飴が降ってきた。
 水飴の雨は、サラサラしてて少しベッタリとしていた。その「飴」で、地上の恋文町のものが濡れていった。それが、町を変化させていった。
 街路樹が飴細工になった。カタツムリがコンクリートをかじっていた。いいや、そのカタツムリは、飴玉だった。
 町中からあま~い香りが漂ってくる。
「町が、恋文町全体が、お菓子な国になってしまう……」

 村はもう、大騒ぎだ!
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