第62話 渡る世間はオニオングラタン

文字数 4,870文字

 西日が差した。西日が差した、西日が差したぜGO GO GO!
 西日が眩し、西日が眩し、西日が眩しいGO GO GO!

 漂流町の西側出口には、スフィンクスがデンと鎮座していた。造りを見る限り、真新しい。
「フィンクスって確かエジプト……」
「ピラミッドつながりじゃないの? 意味論の世界だから、考えたってしゃーない」
 ありすはハンドルに手を掛けたまま、睨んでいる。
 ここに太陽ピラミッドがあるからとはいえ、スフィンクスはエジプト。無節操な設定だが、問題はそいつが口を開くという方だった。
「こっから先に通すことはできぬ」
「あっそ。なら邪魔しないでね」
 ありすが無視してジープを走らせようとすると、
「ま、待て! 果たしてなぞなぞに答えられるかな? 答えられたら通してやろう」
 スフィンクスの目が光った。おそらく自動システムらしいスフィンクス像に、ありすはこれが禁断地帯のゲートなのだと推察を二人に疲労した。
「分かったぞ。……確か、映画『ネバー・エンディング・ストーリー』でも、地の果てみたいな場所に行く時に、スフィンクスの下を通るシーンがあったはず。目からレーザーを出すんだ」
 時夫が重要な情報を思い出した。無視して通れば、焼け死んでいたかもしれない。
「柿ピーの……、柿の種とピーナッツの黄金比は?」
「六対四!」
 ウーがありすより先に答えた。
「チッ」
「答えは?」
「……正解」
 それきりスフィンクス像は沈黙した。
 ありすはジープを発進させた。正解だったらしい。
「どんななぞなぞだよ」
「キラーミンの奴、さっきの問いに答えられたのかしら? 白彩店員だった雪絵さんの知恵を借りたのかな」
「いや、雪絵は味噌ピーを知らなかった。甘いものしか多分詳しくないと思う」
「だとすると奴が自力で……? ヒトモドキとも思えないわね。やっぱあいつ人間か!」
「いよいよ東京だな」
「------飛ばしますぜェ、旦那!」
 ありすのジープは快速で千葉を越境し、遂に江戸川区へと入った。

 いつの間にか日が暮れている。
 西の地平線に、都庁を中心とした新宿副都心の摩天楼群が出現した。それは四人の前にグングンとフォーカスされ、目の前に迫ってきた。
 新宿の高層ビル街は、人っ子一人歩いていなかった。時夫の隣で、何故かウーがものめずらしげに東京の夜景を眺めていた。
「久々来たけど……夜も眠らない町なのに、何か活気がないなぁ」
 ありすのつぶやきを、二人とも黙って聞いている。疲れているせいだ。
 車は真っ暗な市街地を走っていた。スフィンクスから、体感で五分程度しか経っていなかった。
 きっとスフィンクスを通り抜け、禁断地帯の脱出に成功したせいで、時空が少し異なったのだろうと、時夫の疲れた頭は勝手な結論をはじき出した。転戦に次ぐ転戦で、何も考えたくない気分だった。
「この辺、俺の実家の近所だ」
 時間はもうすっかり深夜になっていた。
「あたしたちも泊めてもらえるかな」
 ありすが車を減速しながら時夫に尋ねる。
「あぁ。大丈夫だ。俺に任せろ」
 角に建つ、二階建ての白い家の前に、ありすは軍用ジープを停めた。
 ベルを押す前から、車の気配を察した父親が飛び出してきた。
「おい母さん、時夫が帰ってきたぞ?」
「まぁまぁまぁ、アパートの大掃除はもう済んだのかしら? あらあらあら-----時夫、そちらさんは?」
 母親は、両手を広げて父の後ろからサンダルで出てきた。
「友達だよ」
「どうもこんばんわ! 時夫がいつも恋文町でお世話になってるわね」
 喜色満面の両親はありす達を迎え入れ、食堂のテーブルに、温かい飲み物と軽食を並べていった。
 終始、興奮しているように見える両親、それに眠そうな妹に気おされながら、時夫は苦笑しつつ食べ物を摘んだ。
「すまんなぁ時夫。俺たち夕食を済ませてしまった後だったんだ。連絡をくれれば」
 家族たちはそっちの高校はどうだとか、もうガールフレンドができたのかとか、何だかんだと時夫に質問しては大笑いしていた。
「母さん、カレー作ってくんない?」
「いやー、もう遅いし。明日にしましょう」
「そっか……」
「今日は泊まってくんだろう?」
 父は笑いながら訊いた。
「うん。そのつもりだけど。……友達も一緒に泊めてもいいかな」
「あー、いいともいいとも!!」
「お父さん、悪いデスネ~~~」
 家族達のテンションに、唯一ウーだけが乗った。
 ありすはさっきから、そっぽばっかり向いていた。時夫は適当に相槌を打っている。
「あのぅ……。泊めていただくお礼に、差し出がましいですが私も、何か、お料理を手伝わせていただいてもよろしいですか?」
 終始、黙り込んでいたありすが突然顔を上げて、提案した。
「ほぉ~~関心関心! おい時夫、こんな嫁さんを貰わん手はないぞ? わははは」
「ちょっと、父さん」
「そうよね~ありすちゃんでしたっけ? どうぞどうぞキッチンを使っていただいて結構よ。時夫、連れてってあげなさい」
 母に促されるまま、時夫はキッチンへと案内した。
 ありすが作ったオニオングラタンを食べ終わると、三人はすっかり疲れ果て、すぐに寝た。

 夜半。
 ありす達が寝ている隣部屋のドアが開いた気配を感じ、時夫は目を覚ました。
 布団をかぶったまま、耳を澄ましていると、ありすは外へと出て行った。時夫は上着を羽織り、その後を追った。
「金時君……」
 ありすは振り返った。
「さっき町で大きな音がしたのよ。-------君も起きたの?」
「ウーは?」
「起きないのよ。それが」
 時夫は、大きな鼻ちょうちんを膨らませているウーの寝顔を想像してにやっとする。
「お父さん結構テンション高めね。それにお母さんも」
「う~ん、女の子がたくさん来て舞い上がってるのかもしれない」
 そんなキャラじゃないはずなんだがな、普段は。
「寒いわね。夜はさすがに」
「あっ雪絵……」
 二人の目の前に現れた雪絵は、月明かりでダンスをしていた。その手には小ぶりのラケットが握られていた。
「月光浴だ。キラーミンはいないみたいだ。……あれ? 止めたぞ」
 雪絵は両手をだらんとさせて、じっと満月を見上げていた。
 時夫は驚いた。何か周りの景色がおかしいなと感じていたが、彼らは今、新宿の摩天楼街の中心に突っ立っていた。
 実家のある住宅街から徒歩にして一、二分で、副都心ビルに着くはずがない。
 まだ、頭が寝ぼけているのだろうか? まるで、デ・キリコのシュール絵画、「街の神秘と憂愁」の中を彷徨っているようだ。
 大きな箱庭に造られた模型のような景色を見ていると、奇妙な感覚にとらわれる。
「なぁ、ありす……」
「君も気づいているんでしょう? 実は君のご家族の寝室をこっそりと覗いたんだけど……ごめんね。気になって、何か繭みたいなカプセルに包まれていた。少し手足が見えていたけど、『それ』は人間には見えなかった。きっと、茸人じゃないかと思う」
「----えぇ?!」
 時夫が大きな声を出すと、ありすは「しっ」と言って、人差し指を唇に持っていく。なるほどそういうことか。どうりで「変」だったわけだ。
 雪絵が歩き出した。
「どこにいくのかしらね。こんな夜中に」
 何処からか、大勢の人間達の声が聞こえてきた。
 声は次第に、二人の方向へと近づいてきた。街路樹に隠れて様子を伺うと、現れたのはデモ隊だった。
 夜の車道に、何百、何千という人がプラカードを手に手に、雄たけびを上げている。車は全く通らず、事実上の夜の歩行者天国と化している。
「真灯蛾サリーの独裁を、許すなぁ~~~」
「横暴な専制君主を打倒しよう~~~」
 デモ隊と合流した白井雪絵は、先頭でシュプレヒコールを上げた。
 最前線でラケットを振り上げえて、時々エア・スマッシュした。なぜ雪絵がこんなことを? なぜこんなデモ隊が東京のど真ん中に、こんな夜更けに歩いているのか? などと、頭が混乱していると、ありすが言った。
「金時君、この東京は偽物なのよ」
「何?! 偽物? じゃ」
「あたし達、スフィンクスの謎にちゃんと答えたはずだけど、ベッドの中でよくよく考えてみた。もしかして千葉北西部と北東部では、柿ピーの割合が違うんじゃないかってことを。スフィンクスが建っていた禁断地帯って、千葉の北西部でしょ?」
「あぁ、うん------」
「北西部は、千葉都民とか呼ばれる東京のベッドタウンの住人達が住んでいる」
「それで?」
「ピーナッツの割合が違うのよ! 奴らの感覚では、生粋の千葉県民とは異なっていて、ほとんど都民と変わらない。北東部のあたしたちより、ピーナッツの割合が少ないって訳! つまりそれは、郷土愛が希薄で、ピーナッツに対する思い入れもそんなにないということなのよ!」
 そんなことも……ないかもしれないが。
「じゃあ、正解の割合は?」
「七対三」

 ヴロロロ-----……。

「はぁ?」
 時夫は、後部座席に座っている自身に気がついた。
 まだ彼らは国道を走っていた。太陽が空にあった。こんなことが前にもあった。恋文町七丁目のカーチェイスのときだ。走行中、送水口ヘッドの幻術で、スネークマンション・ホテルの一室にいる夢を見たのだ。運転しながら夢を見るなんて!?
「スフィンクスめ。まんまと騙しやがったな!」
「どうやら正解だったみたいね。禁断地帯の境界を越えている」
 時夫が後ろを振り返ると、スフィンクスがかすかに地平線に見えていた。
「うちは……どんなに帰りが遅くても、カレーならすぐ作れるくらいカレー大好きなんだ。一度も断られた事なんかない。だから、カレーが出てこなかったとき、何か変だと思ったんだ。もし、あのオニオングラタンがなかったら……。ありす、君が一番に気づいたんだな?」
「うん。川越えしなきゃ千葉を出られない。千葉は、四方を水に隔てられた千葉島だから。でも、どう考えても橋を渡った記憶がなかった」
「いつの間にか東京に入っているなんて。ま、スラローム都市だからな。東京は」
 スラローム……アメーバのごとく周囲に向かって無秩序に増殖していく都市のことだ。
「そのせいで、東京と千葉の境があいまいになって、東京のフリをしてるとか言われるのよね」
「東京ネズミーランドなんかもそうだな。東京モドキか」
「言わないでその言葉。傷つくんだから。都民の君がいうと嫌味でしかない」
「すまん」
「千葉ってさ、不遇なのよ。よく言われる東京ネズミーランドだけじゃない。伊勢エビの水揚げ量全国一位なのに千葉エビじゃないし、○沼産コシヒカリは過去に千葉のコシヒカリを混ぜてる事件があったし、それも美味しいからなんだけど。柏といえば、ナンチャッテ渋谷として、茨城県人に崇拝されてるし」
「それは別にいいじゃないか」
 よく考えると、「東京モドキ」って一つの意味論だ。フリをしているうちに、次第にそのものに近づいていく。
「カレー食いたいなぁ。うちのカレーは具が大きくて絶品なんだよ。お店やレトルトって具がほとんどない。家庭の味は絶対出せない。本当に帰れたらご馳走するよ」
「ありがと」
 スフィンクスの幻術を破ったのは、ありすの科術料理だった。あれで時夫も眼を醒ました。しかし、ウーはまだ寝ぼけている。
「この先どうなる?」
「そうね。『見る』ことね」
 それが映画「遊星からの物体X」のラストシーンの有名なセリフであることを、金沢時夫は成人してから数年後に知ることになる。
 禁断地帯には、彼らをずっと恋文町に閉じ込めていた、箱庭とは全く違う「何か」が三人を待ち受けている。そこには、彼らを震駭(しんがい)させる真実が待ち構えていた。
 一体、禁断地帯とは何なのか?!

 次回、笑撃の展開! 「マンガンの湾岸のガンマン」。瞠目して待て!
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