第66話 アリスとテレスと幻想寺

文字数 6,825文字

どきどき羊羹

 常春の恋文町地下世界。
 その古城のレストランホールにて、黒水晶は「黒ゴマ餡の羊羹」を口に入れた。そのまま美味しそうに飲み込む。微笑んだ黒水晶は、「正解」を引き当てたようだ。
「次は、陛下の順番でございます」
 黒水晶は、小型の日本刀の形をした羊羹用ピックナイフをサリー女王に渡した。
 サリーは、そろりそろりとナイフを羊羹へ下ろしていく。
「のわっ」
 切れた羊羹は突然炎に変化し、あっという間に燃え尽きた。
「あっつ、危ないじゃないのよ!」
 危うく自慢のぱっつん前髪を燃やすところだった。
「はははは、今度はナイフのスピードが遅かったようですね」
 これは黒水晶が作ったアミューズメント和菓子、「どきどき羊羹」というもの。
 切った羊羹が、色々なものに変容する。
 さっきは、ヤモリになってテーブルの上を走り回った。
 つまりロシアンルーレットの和菓子版、こしあんルーレット(最中の中にわさび他が入っているもの)みたいなものだが、切り方によってまともな羊羹になったり、時にはトンでもない代物になる。切るスピード、角度、それに厚さによって変化が異なる。
「口ん中入れて火傷したらどーすんのよ」
 さすがに、悪食のサリー女王でも炎は食べられない。
「コツがあるんですよぅ」
 そもそも、サリー女王がなぜ羊羹を日課にして食べていのるかといえば、ここが「洋館」だからに他ならない。
 地下の洋館の意味論に囚われた、自分自身を見つめ続けてきた。あの人と一緒に食べられたらと、いつも想っている。あの人、つまり金沢時夫と……。
「そぅれっ」
 黒水晶はナイフの入れ方に緩急をつけ、サリーは「ヒッ」と言って両手を盆踊りのように挙げたまま身構えた。
 切れた羊羹は横にパタッと倒れ、そのままの姿で黒光りしている。それ以上の変化はなかった。黒水晶は口の中へパクッと放り込んだ。
「パーフェクツ!」
「変わんないジャン」
「珈琲ゼリーです」
「ムムム……もしや、インチキしてるんじゃないでしょーね!? インチキは電柱処刑よ」
「とんでもございません、勝負は勝負です。いくら陛下相手でも、手加減はいたしません、ただそれだけのことですヨ」
「分かったわよ。あたしの番ね」
 サリーは黒水晶を大きな目でひと睨みすると、ナイフを羊羹に据えた。
「これがありすの首だったらッ!」
 エイッ! サリーは羊羹を「断頭」する。
 一瞬、生首に変わったのかと思ったが、羊羹は半透明の魚のグミになって転がった。
「そんな殺伐として食べたら毒ですよ。羊羹はよう噛んで食べませう」
「……ンフフフッ。洋館だけに?」
切り身のロイヤルゼリー羊羹を、楊枝でひょいと口に放り込み、熱いお茶で流し込んだ。
「いつか、地上に出られるといいですわね」
「うるさいっ、さっさと幻想寺を見つけなさい!」

 カツーン、カツーン。
 長身の男がブーツ音を鳴らして入ってきた。西部の荒野から命からがら唯一戻ってきた男、キラーミン・ガンディーノ。
「------生きてたの?」
 サリーは黒水晶を見た。
 ややホッとした顔をしている。その顔つきからすると、どうやらキラーミンが戻ってくるのは、五分五分という感じだったらしい。
「ハッ」
 二メートル近いキラーミンは女王の前にかしずいた。
 白井雪絵のアルティメット・ラケットによって、キラーミンは爆発したはずだったが、かろうじて海の中へ飛び込んだらしい。それから泳いで、ありすらの追及を逃れると岸へ上がり、バイクで西部から戻ってきたのだという。
「何か土産でもあるの?」
「ございません……しかし、わたくし自身が何よりの土産。陛下、わたくし自身をお使い下さい」
「なるほど……キラーミン、お前、ファイヤークリスタルそのモノか?」
「ハハッ」
 古城ありすが黒水晶を持っていたように、キラーミン自身がファイヤークリスタルなのだ。しかし、一体誰の所有物だったのか、サリーにも分からない。
「今度こそ最終兵器?」
「ハハハッ」
「絶対に?」
「ハハハハッ」
「負けないわよね? 私」
「ハハハハハハハハハッッッッ……!!!」
「笑ってんじゃないわよ!!」
「笑ってません。返事です。間もなく幻想寺が恋文町に姿を表します」
「えっ、ありすに訊いたの?」
 キラーミンはなぜかニヤニヤしたまま答えなかった。
「明日は三十一日の大晦日。木曜日か……。惜しいわね」
「何がです?」
「いや三十一日が金曜なら、十三金みたいでちょっと面白いなって」
 大して惜しくはない。暇人の考えることだ。
「大丈夫です。木曜なんか金曜に変えてみせます。カレンダーの操作など、ファイヤークリスタルでは造作もないことですから」
 三人は城を出て、白彩地下工場の黒水晶研究室まで移動した。
「どうやって使うの?」
「こうです!」
 キラーミンは、胸元からファイヤークリスタルを取り出した。
 左手にタバスコを持っている。フタをキュッと開け、ドバッとファイヤークリスタルにかけると、火石は右手の中でボウッと輝き、燃え始めた。
「タバスコ・バスクル・バスコナイ・バスコダガマノアブラヲチョントツケ・一枚ガ二枚・二枚ガ四枚・四枚ガ八枚・八枚ガ十六枚・十六枚ガ三十ト二枚……」
 ブランコが漂流町で唱えていた呪文だった。
 甘いものにワンポイントで辛味を足す。スイカに塩・アイスにしょうゆのように、魔学のタバスコでさらに甘みが増すってことだ。
 熱くないのだろうか、キラーミンの右手の中でオレンジ色に輝く炎に、今度は黒水晶が魔学の呪文を唱え始めた。

 可笑しなお菓子で いとをかし
 さがしものを ひた隠し
 お菓子を 岡持ち をかしけれ
 ありすを逃がして ほろ苦し
 お菓子な国で かくあれかし

 何か、黒水晶の悔しさが滲んだような呪文だが、黒水晶は白井雪絵をゲットできない代わりに、地上を全てお菓子に変えてしまう魔学を行使しようとしていた。
 そうして恋文町の環境が変われば、たとえ雪絵のロイヤルゼリーがなくても、女王が地上に出てくる準備が整うのだ。
「エエエェ……キラーミン、あんた燃えてる!」
 サリー女王は、目の前の光景にのけぞった。
 炎は笑顔のキラーミンの右手から全身に燃え移り、火柱を形成していた。
 その煙は地上の白彩工場の煙突へ吸い上げられていった。笑っているキラーミン・ガンディーノは消滅した。ファイヤークリスタルだけが床に残された。

幻想寺

 図書館から町を一望できる坂を下り、ありす達は駅前の恋文銀座を目指して近道しようと、住宅街の路地の中へ入った。
 だが、かれこれ三十分近くも、行ったり来たりしていた。
「おっかしいナァ。七丁目でもないのに。金時君じゃあるまいし、まさか私が勝手知ったるこんな近所で、迷子になる訳ないのに!」
 古城ありすでも御せない町に様変わりした……という気配もないようなので、本気で迷ってしまっただけなのかもしれない。方向としてこの住宅街は、駅前からそんなに離れている訳でもないはずだ。
「こんな時こそ推理よ。アリストテレス以来、論理学は数々の難問を解き明かしてきた」
 ぶつぶつ言いながら、ありすは板チョコを齧っている。
「このお寺、何かの目印になるんじゃないでしょうか?」
 雪絵が足を止めたのは、さほど大きい訳でもない町中の寺院の前だ。
 雪絵は時夫と同じく、恋文町についてそれほど知らない。
「幻想寺? これが!……曹洞宗、禅宗か」
 ありすは、眼を細めていぶかしがっている。寺の門には、寝転がった姿の、ファニーな表情の猿像が掘り込まれていた。
「ウー、こんなお寺あったっけ?」
「さぁ、記憶にないけど」
「おかしいな。子どものころから知ってるこの恋文町で、あたしが知らないお寺なんてあるはずないんだけどナ」
 幻想寺は、真新しい寺という訳ではなく、立て札の説明によれば、少なくとも江戸時代からここにあったらしい。
 けどありすとウー、二人とも記憶がないようだ。
「伊東一糖斉が探していた寺。キラーミンは知っていたようだけど」
 まさか突然出現したとか?
 いや、ここは入り組んだ住宅街なので、本当に気づかなかった可能性もある。あるいは、バミューダ横丁のたぐいに嵌ってしまったのか。もしそうなら、どうやって脱出するべきか分からない。
「お寺の住職に、駅がどっちの方向か訊いてみましょう」
「いきなり入るの? 大丈夫? 『猛人注意』と書いてない? アッハッハッハ……」
 などとウーが言うとおり、時夫も「猛茸注意」と書かれてないか警戒したが、門にもどこにも地下帝国の橋頭堡を示す、「六角形に蜂の頭」のマークが見たらないようなので、少なくとも敵基地ではなさそうだ。
 寺紋は……謎の笑顔マーク。
「これ、ちょっと待って。パン屋のレートさんが胸につけてる缶バッジと同じだよ」
 ウーの指摘に、ありすも驚いている。
「何これ?」
 時夫がいぶかしがって訊いた。
「ぽげムたマーク」
「ゆるい笑顔だなぁ」
「正式にはBAー90。写植記号よ。昔はマンガなんかでよく見かけた……」
「江戸時代から?」
「いや……そんなはずは」
「レートさんと何か関係があるの?」
 ウーもかなり気になっている様子だ。
「分からない。けど、私の直感だと、地下の勢力とは全く別のグループの存在を示唆している」
「オイオイこれ以上、この町にややこしい勢力の存在は不要だぜ」
「また時夫のリアクション芸が楽しみね~」
 ウーはニヤニヤ時夫の顔を見た。
「芸じゃないってば! 俺の反応は」
「でも最近はボヤいてばかりでなんかニヒルなヤツに見えるのよね」
「だから」
「その歳でやさぐれないで時夫! 最初の頃のウブだった君を思い出すんだ!」
「モーいいから早く行くよ」
 しばらくありすは謎の笑顔マークを見上げていたが、意を決したように中に入る。
 見事な日本庭園が四人を迎え入れた。
 みかんの木に、実がたくさん生っている。ただ、池の横に立っている大きな庭石に、

 ドドドドドドド……

 とカタカナ文字が彫り込まれ、無駄に不穏な雰囲気をかもし出していた。
「こっちの石には『ゴゴゴゴゴ……』って書いてあるぞ!」
 よく見れば、「ズズズズズ……」石もあった。
 さるすべりで猿……もとい、うさぎがケツを木肌に押し付けて滑ろうとしている。
 整然と整えられた境内の庭に、人の気配はなかった。
 町寺では、よほど大きな寺院でもない限り、僧侶に遭遇すること自体珍しい。
 ありすはさしあたって、メキシコペソ金貨を賽銭箱に入れて参拝すると、ガラッと寺院の扉を開けた。って金貨かよ……。
「誰も居ないわね」
 中は思ったより広い畳部屋で、釈迦如来が本尊の中央の黄金に彩られた須弥壇があるオーソドックスな作りだった。
 上を見上げると、天井に墨絵の立派な龍がとぐろを巻いて、ギョロ目でこちらを睨んでいる。
「どっから見ても、睨んでいる……って奴か」
 ウーが「あたしを見るんじゃない~」と言いながら、見上げて畳の上を歩き回っている。
 特別に奇妙な点は見当たらなかった。
 ただひときわ目立つのが、座布団の上に鎮座したピカピカにつやの出た木魚だった。一体幾らするのか、けっこうでかい。
 ありすは床に置かれた棓(ばい)をガシッと掴むと、おもむろに木魚をポクポク叩き始めた。
「ちょ、やめろよ!」
 時夫は、周囲をキョロキョロしながらありすを制そうとする。呼び鈴じゃないんだから。
「だって、誰も居ないじゃん」
 気がつくと、部屋の右端に若いお坊さんが立っていた。
 四人はギョッとした。いつからそこに居たのか、誰も足音を聞いていなかった。もっともありすが木魚をポクポク快調に叩いていたせいで、気づかなかっただけかもしれない。
「こんにちは」
 背が高く、スマートだが、ピクリとも動かない。
「あらやだカッコいい」
 と、ウーが囁いた。
「あぁっ、良かった。こんにちは。あたし達、駅前に行きたいんだけど、この辺がどこだが分からないのよ。お坊さん、教えてくれない?」
「なるほど、そうでしたか。この辺りは路地が入り組んでいます。しかし、角々に生えているハコヤナギを目印に曲がってゆけば、ほどなく駅の方へたどり着くでしょう」
 ハコヤナギは、真っ直ぐな幹に、比較的根の方から枝が生えている樹木である。ここに来るまで、何度か見かけたような気がした。
 住職の年齢は、声からして若そうだったが、暗くてちょうど翳ってて顔が見えない。イケ坊主かどうかは不明だ。立ってる位置から、ウーだけ見えたようだ。
「……そう、どうもありがと。やれやれ、これまで失敗だらけだったから、ここでまた道を迷ったらと思うとネ。だからホント助かった!」
 といいながら、ありすは住職をよく見ようとして目を凝らしている。
「お気をつけ下さい。過ぎ去った時間は返ってきません。過去の出来事を悔いても、我々はそこにはすでに生きていないのです。人間には『今』しかありません。二度と来ない今に集中して生きることです。そうすればあなた方も、迷いを吹っ切れるでしょう」
「そうなんですか?」
「禅宗では、これを而今(にこん)と言っています」
「ニコン? 高いんじゃないのそれ」
 とウーが呟いている。カメラか何かと勘違いしてるようだ。
「私、漢方薬局の『半町半街』の店長代理を務める、古城ありすという者だけど」
 ありすは畳をにじり寄った。思いっきし畳の縁を踏んでいる。
「お坊さん、道に迷ったのはあたしの心が迷っているからだってことよね?」
「そうです」
「この本ね、たった今、図書館で借りてきたの」
 訂正。ありすがかざした「恋文奇譚・火水鏡」は、図書館から盗んできたものだ。
「もしかして、お坊さんこの本知ってるんじゃないかなと思って」
「いえ? 存じませんが」
 若い住職は顔をかしげた。
 そりゃそうだ、ありすがやたら変なこと言ってるだけだ。
「うちの店長ね、今年の春に突然失踪しちゃったのよね。で……、」
 ありすがさらに近づこうとすると、住職はゆっくりと後ずさりを始めた。
「今、どこかで迷っちゃってるんじゃないかなと思ってるのよ。店長も、心が迷ってるのかな。結構、近くに居るんじゃないかと思うんだけど。年配の漢方師が、この辺に立ち寄った形跡はないかしら?」
「……」
「おいありす、ちょっと待て。この寺のどこにそんな根拠があるんだよ」
 時夫は慌てていさめた。
「ここ、科術の匂いがプンプンするのよ」
 ありすの言うとおり、伽藍に入るまでに、色々な謎の物体を見た気がする。
「まじ? ねぇお坊さん、ウサメン、佐藤マズル、マズルって人ここ来てない!?」
 ウーも身を乗り出す。
「もしかして……お坊さんってお名前」
 ありすはにじり寄っていく。-----おいおい、誰だというんだ?
「綺羅宮神太郎じゃない?」
「えぇっ」
 な、なんだってー。
 ガラッ。
 僧侶は奥へ続く暗い戸を開けて中へと入り、パタンと締めた。
「待て、待って! 待ってください!!」
 ありすがドタドタ後を追って戸を開けると、そこには誰も居ない。
「……消えた」
 すでに気配もない。
 綺羅宮神太郎といえば、百五十年前の人物ではないか。一体どういうことだ。
 あの若い僧侶が? この突拍子もない結論が、ありすの言うアリストテレス以来の論理学が導き出した答えだというのか?
 荒唐無稽なのはお前だ、ありす。
 されど「幻想寺」。時空の異なる恋文町では、いついかなる事態が起こっても不思議ではない。
 さっきの住職の正体が誰であれ、ここに長居するのは危険だ、とありす達は判断した。
「いずれ調べる必要がある。迷ったのは怪我の功名ね。雪絵さん、ありがとう」

 ハコヤナギを目印に無事駅前へと出ると、とりあえず電柱に「佐藤マズル」の名がないことを確認した。
「脱出したのは確定ね。彼はこの町のどこかにいる」
 ありすは電柱を人差し指でなぞった。
「あーん、もうどこに居るのよぅ。電話くらいよこせよな~ッ!!」
 ウーは空に向かって叫んでいる。ウーの携帯はしばらく「テケリ・リ!」と鳴っていない。
 白彩を外から恐る恐る覗くと、本体の店長が復活していた。
 彼は、ショーウィンドウから店内を眺める雪絵のことに気づかず、わき目もふらずに仕事している。しかし、あれは本体だと雪絵は確信した。
 ありすらは、結界のせいで中へ入れない白彩工場の煙突を見上げた。
「始まるわね……」
 白い煙がモクモクと上がっている。
 白井雪絵の眼が険しい。
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