第21話 真灯蛾サリーの連続佐藤さん誘拐事件

文字数 5,046文字

 ワォオオオーーーーン……。

 群青色の冬の夜空、白く輝く満月がひときわ大きく見えていた。
 今宵はエクストラ・スーパームーン。
 飼い犬の遠吠えが響く閑静な住宅街が続く恋文町の三丁目を、帰宅途中のOL・佐藤良子(二十八歳)が一人歩いていた。
 駅前オフィスに職場があるため、ストで電車が停まっていても出勤できたのだが、就業中、労働争議の騒音と格闘するはめになっている。駅前コンビニで一個七十円のおでんセールで五個、それにおにぎりを二個買うと、後数分で自宅マンションへ到着する道を歩いている。
 見上げた満月に異変が起こった。
 まるでフタのように満月がカパッと開くと、中から長い黒髪を垂らした若い女性の上半身がにょっきりと現れたのだ。
 恋文町の夜空が、張りぼてで出来たドームの天井だと錯覚するような光景に、OLは自分の眼を疑った。今日は、会社でモニターを凝視しすぎただろうか。
 それもつかの間だった。女の両手に握られた釣竿から垂らされた針が、OLのベルトを引っ掛けた。
「キャアアアアーッ!」
 地下の女王・真灯蛾サリーはリールでOLを吊り上げると、バターンと満月の扉を閉めた。

      *

「なんだっ、今の叫び声は」
 金沢時夫がにょっきり立ち上がった。
「今、外に出ないほうがいいよ」
 古城ありすが静止する。もう安全な場所はこのありすの店「半町半街」しかない。ありすが普段寝起きしている和室に、四人で潜んでいる。
「きっと誰かがサリーに誘拐されたのよ」
「えっ」
「正にその『最中』と書いてもなか。今、恋文町は何が起こってもおかしくない非常識な時空になっている。まさに闇鍋状態。今作戦考えてるから、それまで出ちゃダメ」
 ありすは「もなか」ではなく、板チョコを食べながらちゃぶ台に両肘を着いて、ずっと碇ゲンドウポーズを取っている。
「しかし」
 時夫は外が気になって仕方なく、部屋の中をうろうろする。
「やめなって。ありすの言うとおりだよ。あなたこの町の素人なんだから」
 石川うさぎことウーもありすに同調した。
「疲れてまぶたがぴくぴくする……」
 時夫は十五分ほど前から、右目の下まぶたが時々動いて仕方がない。
「それ、痙攣ね。亜鉛を取るといいわよ」
 そういってありすは、ポシェットから漢方薬を取り出した。
「マカよ」
 精力剤?
 落ち着かない時夫と、眠たそうなウーのために、ありすは栗まんじゅうを出した。むろんあの恐ろしい白彩製ではない。コンビニ・ヘヴンで買ったらしい。
「栗まんじゅうか……無限に増殖したらどーしよう」
 確か「ドラえもん」に、「バイバイン」という薬で栗まんじゅうが増えるネタがあった。
「増殖しないから安心しな、ウー」
 当のありすは依然として、可憐な唇から板チョコを離さない。
「私が知ってるうさぎ穴は、ウーのお店だけだった。他はすでに埋まっていた。薔薇喫茶の入り口専用うさぎ穴は、もう女王が埋めてしまっている。図書館のも埋まってるし。とにかく早急にこの町のうさぎ穴を調べないと」
 店に戻るまで、ありすはすべてのうさぎ穴を確認した。
「うさぎ穴って言わないで」
 ウーが抗議する。
 その後も十分、二十分間隔で叫び声が続いた。時夫は気が気じゃなかった。今夜もまた、佐藤さん狩りが行われているのだ。それも、女王自らがど派手に誘拐しているらしかった。サリーは、自分と雪絵を狙っている。
「白彩が敵陣だって分かってんだから、直接攻めればいいだけだろ」
 時夫は思いつくまま適当に言ってみる。
「女王の仕掛けた特殊な魔学のせいで、あたし、前から白彩にいけないの」
「え、どうしてだ?」
「あそこには私の科術の力を消すものが存在している。幸い、この町であそこだけだけど。だから、そんな簡単にいけない」
 つまり周囲から攻めるしかないのだそうだ。
「ねえ、ここの店長さんも地下に誘拐されたんじゃないかな」
 ウーが元気なく言った。
「それはない。うちの師匠、佐藤姓じゃないし。……田中でもない。断言できる。とにかくこれ以上の佐藤さん誘拐事件を阻止しないといけない」
 時夫は天井の電灯を見上げた。
「蛍光灯って、明るかったんだねー…」
 地下の薄緑色のルミネッセンスの灯りに比べると、白い蛍光灯の潔いまでの明るさに時夫は感動を覚える。
「ハ? ああ……」
 西洋では一般的に間接照明が主流らしいが、瞳の色が薄い白人種には、蛍光灯の光は眩しすぎるからだ。サングラスを着用するのもそのためだ。
「この灯りも、電柱人が送電しくれてるのか……」
「やめなさいよ」
「女王はやたら『電柱』、『電柱』って連呼してたけど……、なぜ誘拐した人たちを人柱……つまり、この街の電柱にしたがるんだろ?」
「アンティーク人間や本人間の類の究極たる擬人が、電柱人だからということでしょ」
「だから、なぜそこで電柱」
「真灯蛾サリーは、地上へ出たいという野心を持っている。それで、地上のインフラを整備し直して、静かな侵略を進めている。あれが、その証拠なのよ。あたしたちにとっては目障りで無機質な構造物でしかないけど、アイツにとっては地上の文明の象徴であり、代表的な現代芸術作品に見えるらしいわね」
「アンノウン秀明監督みたいだ……」
 サッポロポテトバーベQ味を主食とするヱヴァの監督は、電柱に取り憑かれたマニアとして知られる。
「アンノウン監督の場合は、人間嫌いの人恋しさの典型ね。生身の人間が怖いから電柱に仮託する。しゃべらない、動かない電柱なら安心して愛せる。でも本当は人間を愛したい。ヱヴァ観てりゃよく分かるワ」
 ありすは 身も蓋もない心理分析を行った。てことはサリーは……。
「そういえば、地下には電柱が一本もなかったな」
「地上のこのありふれた住宅街こそ、サリーにとっては魅力的らしいんだよ。はじめて地上で見たものが電柱だったからかな」
「いわば、動物の刷り込み効果だな」
 時夫はサリーの夢見る瞳を思い出した。
「そこに自分の電柱を建てたがっている。人柱よ。きっと、地下空間には相応しくないと思ってるんじゃない」
 渋ッ。昨今、電柱は町の景観を損なうモノとされ、伏木有栖市でも地中化を進めているが、当の地中に棲んでるヤツが、地中化が進んだ区域から電柱を建てなおしていた。なんて皮肉な話だ。
「この何の変哲の無い住宅街も、たとえば二千年前の古代人がタイムトリップしてきたら、何もかもが驚きの連続のはずでしょ。いわばそれが真灯蛾サリーなのよ」
 電柱一つ、車一つとっても、「へぇ~」「へぇ~」の連続で、「これは何だ?」ってなる事は必定。だから日本の住宅街といえど、眼光紙背に徹すれば不思議が現れるのかもしれない。
「あいつは引きこもりだから、地上の情報が恐ろしく偏っているのよね」
「情弱か」
「ええ……」
「地下にあった発電所のひとつは、電気茸の森だな……」
「そう。あいつは、蜂人の卵を育てるために、栽培所で一人でエネルギーを送り込んでいた。あれは電力と同時に、自分の魔学の力を流し込んでいるの。あいつがインフラ整備に興味があるのは、そこなのよ。地上にサリー女王の電柱が増えることは、そこを通して、電気と一緒に魔学の作用が恋文町に送り込まれることでもある」
 これほどまでに着々とした侵略が、過去存在しただろうか。派手さがない分、よくよく考えると恐ろしい。
「セントラルパークの茸たちと何か関係が?」
「昔から落雷で茸が爆増することが知られていて、農家は嵐の襲来を、むしろ歓迎していた。瞬間的に電気を浴びた茸は生長が活発になり、収穫が二倍になる。茸にとって、突然の電気は自分達を滅ぼす脅威であり、身を守るために急激に増加する『意思』を持つ。つまり地下から送電した先に公園の鉄塔があって、電気と魔学があの土地の磁場と関係があって茸がよく育つという事」
「何ィィー!!」
 地下発電所~電柱人~鉄塔~セントラルパークの茸畑。
 死と再生。それが茸と稲妻(電気)の関係性である。
「この雲の写真は?」
 時夫は壁に貼られたポスターを指差した。入道雲が映っている。
「あたしが撮ったの」
 ありすは引き出しから、写真帳を取り出して見せた。
「雲の写真を撮るのが好きなの。でも住宅街からだといつも電柱と電線が邪魔で」
「ま、そりゃそうだよな」
「こんな猥雑な景観を抜け出して、いつか、空飛んでみたいと思ってね」
 ありすは軽く微笑んだ。
 電柱が好きで好きで仕方ない奴と、嫌いな奴------。
「ある意味では見せしめよ。地上の恋文町の住人たちに対するね」
 これから部屋の灯りを点けるたび、彼らのことを思い出してしまう。
「彼らは、一生あのままか?」
「……いいえ。女王の魔学の力が解ければ、誘拐された人たちを救い出せる。呪いを解くには、サリーを倒すしかないのよ」
 真灯蛾サリー女王は日に日に力を増していた。 しかし、こちらは劣勢のままだ。四人のうち、一人は人間ではない。それは、サリー女王にとって必要不可欠なスィーツドールである。
「じゃ暗殺者でも雇う? -----」
 ウーが眉間にしわ寄せて何か読んでる。
「ん?」
 顔を上げると同時に本の表紙が見えた。
 なんだ、「ゴルゴ13」を読んでいたのか。女王の漫画喫茶から盗った本らしい。
 ウーはさらに、眼を細めた。
「ゴルゴのまねはやめろ!」
 時夫は眠っている雪絵の横で、スマフォを操作した。
 あれきり、みさえからのメールは途絶えていた。もしかすると恋文町は電波の届かない圏外になっているのかもしれなかった。何せ町のインフラが乗っ取られつつあるのだ。メールを送信しても返信はない。
 繋がっているのか繋がっていないのか、不確かだ。こちらからメール送信するのも無駄な努力という気がする。
 本棚にCDがずらりと並んでいた。
(ほう……オジン・乙骨(オツボーン)なんか聴くのか。往年のロッカーだ)
「あの、ちょっと聞いていいか。前に言ってた、『意味論』って何なんだ? そもそも」
 時夫は、疑問に思っていたことをありすに訊いた。
「それはね、世の中の物事は全て記号であると定義したときに、それらの記号には全て意味があるとする。その意味とは、共通のルールみたいなもの。ところが『意味』、つまりその共通のルールが物理的な力を持っていたとしたらどうなるか。伏木市と有栖市が合併した途端、この町が『不思議の国のアリス』の世界になってしまうということよ」
「全然わけが分からん」
「う~ん。象徴とでもいったらいいかな。古神道の言霊とか、真言宗の真言とか。昔から、不吉なことは『言挙げするな』って言われているでしょ。夜中に、口笛吹くなとかさ」
 ありすによれば、アーシュラ・K・ル=グウィンのファンタジー「ゲド戦記」は、意味論について書かれた聖典の一つらしい。
「高校の数学の先生が名前を付けると人間は安心すると言ってた。闇に『闇』と名付けるとか」
「鋭いわねー、その先生」
「その力って、そもそも一体誰の力なんだ。君か? それともサリーか」
 時夫には、意味論の力の源泉が理解できなかった。
「違う。誰のものでもない。人間社会の背後にある、もっと根源的なもの。カール・G・ユングの心理学の集合的無意識とか、大乗仏教の唯識で阿頼耶識とか呼ばれているもの。そういった言葉で呼ばれる、あたしたちの社会の根底にあるものなの。あたしの科術の力はその影響下にある」
「それでもさ、意味論なんて聞いたこともない」
「その内、金時君も大学の一般教養とかで勉強するかもね。『不思議の国のアリス』ももともとは意味論について書いた本だったし。作者のルイス・C・キャロルは、オックスフォード大学の数学者でありながら、哲学や倫理学、言語学まで精通していた。ま、君ももう一度、アリスを読み返すべきよね」
「本当かよ。ところで君はなんでこんなことに首突っ込んでんだ? 君だってまだ高校生だろ」
 時夫はそんな深いものとして、「不思議の国のアリス」など読んだことはなかった。確か幼い頃に、ディズニーのアニメを観て、その他には絵本を読んだ程度の読書暦だった。しっかりと精読はしていない。だが、原作を読んだところで、何が分かるのか。
 きっとありすのいう「意味論」とは、大学で勉強するような哲学上の「意味論」とは違うに決まっている。それくらい、高校一年生の時夫でも予想がついた。
 腑に落ちないことはいくらもある。
 しかしこれだけは確かだ。
 古城ありすは、意味論という世界を支配する法則を縦横無尽に操る少女だった。
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