第14話 アリス・アリス 科術と魔学とカチコミと

文字数 4,783文字

「その雀どもは、きっと地下の女王のメッセンジャーだと思う」
 電線に止まっていた雀たちが絵文字で「オバカサン」と描いた件について、ファッションモンスターの少女漢方師は、時夫に言った。
「脱出できないのは、やっぱり女王の仕業なんだろうか?」
 再度脱出を試み、結局アパートに戻ってきた時夫は、くたくたになりながらありすの見解を聞いていた。
「この世界は閉じられている。月だけが本当の外界よ。つまり月を見りゃ、まだ女王の完全支配に至っていないっていうことが分かる。つまり希望ね」
 よく分からない話だったが、最初に迷子になった時、時夫は月を見上げて、それが自分をあざ笑っているように思えた。ありすによると、それが唯一見えた外界の姿なんだという。
「何なんだよ、それは……」
 時夫が倒れ込んでいると、何か分からないが香りの強いお茶が出された。
 躊躇していると、ただのどくだみ茶だとありすは言った。どくだみは十薬ともいい、ストレスをやわらげてくれるらしい。
「しかし、全部偶然じゃないのか?」
 あまり、そんな奇妙な現象を認めたくはなかった。
「金時君。『偶然』と『必然』と『蓋然』の違いは何なのかを、よく考えてみたらいい。『偶然』はたまたま、『必然』は必ず、ってことでしょ。その中で、『蓋然』は限りなく高確率でありながら、『必然』ではない、グレーゾーンということ。雀が文字を書くなんて、偶然ではありえない。それは科学的には必然とまではいえないけど、蓋然ではある。つまり、背後に意味論の力が働いているということがいえるのよ」
 メールがまた届いていた。みさえからだった。
 時夫はスマフォを取り出し、「町を脱出できない」と返信した。
「忙しいのカナ? どうして帰れないのー」
 みさえは不思議がっていた。行けない理由を一々書いても、彼女に話が通じる訳がなかった。ますます不審がられるだけだ。
 みさえの方は、まだ時夫への想いを持っているらしい。それは特別な想いといってよいものかもしれない。このまま会えないなら、両親に頼んで、実家から車でみさえをこっちに呼べばよかったのかもしれない。
 いいや、それはダメだ。この町は危険だ----。誰も呼んではならない。結局、時夫はスマフォを仕舞った。
 みさえに嫌われてしまったかもしれない。でも、どう返信すればいいか分からない。幸い、メールは途絶えたようだった。いや、このままではそれっきりという可能性もある。
「この町から脱出するには、町に仕掛けられた謎を解くのが一番の近道よ」
 ありすは自分でもお茶を飲み、あたりまえのように言った。どういう意味なんだかさっぱり分からん。
「でなきゃ、どうやらあなたは逃げられない。女王が逃がさない」
 もがけばもがくほど、金時君は蟻地獄に嵌るのだとありすは続けた。
「そんなの信じられるか。------出られなかったのは、一つ一つ、合理的な理由があるに決まっている!」
「あなたが、白彩で『乙女の恥じらい』だったスイーツドールを人間にしてしまったから、この町に居る女王の手下が仕掛けた警備システムが目覚めちゃったのよ。こんなことになった責任は、あなたにある」
 ……またそれか。
「さっきは君の責任だって言ってたじゃないか!」
「もちろんあたしの責任でもある。だから一緒に戦いましょ。君も私と一緒に戦うしかないのよ。立ち向かって。この町の問題と」
 くっそ不思議の国のありす。お前という奴は……。
「嫌だね」
「断ることは許さない。この私が。一緒に来なさい!」
「どこへ」
「うさぎ穴を探すわ。前に、防空壕があったセントラルパークをさっき調べたけど、何もなかった。埋まっちゃったみたいね。でもこれまでも女王が直接現れるなんて、今までにないことだった。まさか図書館を直接狙われるとは、呆れたわ。図書館も調べたんだけど、すでに出口は存在していなかった。あいつは普段、地上に出てこれないの。だから手下を使って人を誘拐していた。きっと、この町のどこかに地下への穴が色々開いているに違いない」
 何故分かる、そんなことが。
 この町の何処かにあるという地下への入口。それは女王たちには自在に空けられるが、ありす自身にはこれまで行くことができなかったようだ。だが、石川うさぎが出入りしている穴が存在するはずだ、とありすは言う。
「地下の国があるって? 君、本気でいってるのか。不思議の国じゃあるまいに」
「だから、ここが伏木有栖市だからよ!」
 ありすはほとんどブチ切れていた。
「『不思議の国のアリス』は、みんなフィクションだと思ってるけど、そうじゃない。あれはルイス・キャロスが実際に体験した実際の出来事。誇張してるところはあるけど、全部意味論に基づいて起こった事件のノンフィクションなの」
「そんな、馬鹿な」
「そして同じことが今、ここ千葉で起こっている。当然、現代の千葉流にローカライズされてるけど、起こっている出来事は『不思議の国のアリス』と同じよ」
 そして彼女の名は、古城ありす。
 彼女もまた、不思議の国の住人であることを宿命付けられ、そしてこの町で生きるしかない存在なのだ。
「何が穴だよ! そんなモンもともとないんだよ。ばかばかしい」
 時夫は必死の抵抗を試みた。全く、高橋克彦のSF小説「総門谷」でもあるまいし------。
「防空壕の話は? 房総半島は戦中、首都防衛の要、軍都だったのよ。恋文町には確かに防空壕がいくつもある。記録に残らない、知られてない防空壕もあるのよ。それが地下へ続いているんだけど、入口は、出口専用、入り口専用とあるの。それらはすべて、恋文町の町のシステムを一つ一つ稼動することで、ゲートが順に開かれていく。つまり動力や、操作部屋の存在よ。それを一つ一つ調べて行くのがあたしの仕事なの」
「サリーは地下にいるとか言うけどさ、実際には図書館に居た訳だろ? やっぱりそんなの……」
「女王は地上に地下にいるときの状態で出て来れない。図書館に出現したけど、自分が女王であることを忘却した、記憶喪失の少女という感じだったわよね。まるで自分探しをしてるみたいに----。ともかく、地下の国に連れ去られた雪絵さんを助けなきゃいけない。でないと女王が脱皮して、地上に出てきてしまう。このまま、雪絵さんをほっとくつもり? そっくりなんでしょ。あなたのお友達のみさえさんに」
「……」
 本物のみさえが生きていると分かった今、雪絵という存在は自分にとって、どうなっていくのだろうか。いや、一応「白井雪絵」という別人なのだから、どうもならないのかもしれないが、それにしても------。
「私が守ってあげるから、地下へ行って彼女を取り戻すの」
 ありすの言うことは、実につじつまが合わなかった。狙われている張本人の時夫が地下へ行って、安全なはずがない。
 だが、ありすの表情はといえば、至って迷いなく、一点の曇りもないまなざしとはこのことを言うのだろうと、この時、時夫は考えていた。
「他に味方はいないのか?」
 ありすは首を横に振った。
「もう……残ってるのはあなただけよ」
 顔近いよ。
「遠いところの身内より、近くの他人」
 思いつめたありすの瞳が全てを物語っていた。店長である師匠は疾走し、親友のウーには裏切られた。きっと、風変わり過ぎて他に友人もいないに違いない。にしても、勝手に暴走しただけのこの町に関する素人・金沢時夫が唯一の味方とは。
 まぁ時夫は忙しいかと言われたらそうでもない。できることは全部試して、万策尽きた。
 第一学生なんて、普段から膨大な暇な時間と格闘している。授業中のペン回しや、教科書の落書き、休み時間には紙将棋、指鳴らしや、指遊びを競っている始末。一部の人間はどうやら忙しそうにしているが、帰宅部で、かつ勉強にもさほど身が入らない時夫は、ありすにどうこう言える身分ではない。
「頼みがある。もう一度、僕と一緒に駅に行って貰えないか」
「懲りないわね。なぜ?」
「線路を歩くよ。最終手段だ」
 ありすの言う女王の「仕掛け」など信じられない。そして信じたくなかった。
「全く諦めの悪い人よね! あなた、必死になって何度も町の外に出ようとして、無駄なことだと分かったでしょうに。女王が、地上の手下を使って、あなたが脱出するのを防いだのは、雪絵を逃さないように、いわば、戒厳令を敷いたの」
 恋文駅の電車は案の定、ストで動いていなかった。
 閑静な住宅街の恋文町で、ここだけが騒々しいにもほどがある。ありすによると、偶然鉄道の従業員たちが全員佐藤さんだったせいで、どっちにせよみんなスイーツになっていて、人間ではないらしい。だから、この連中にまともに話しかけるだけ時間の無駄だという。
 いいや、それだけではない。ありすによると、鬼がいるらしい。それも、「ストライ鬼」という鬼が。はいはい。これもまた、「意味論」なんだというが、意味論の意味がそもそも時夫は分からない。------駄洒落じゃないのか?
 機動隊の中に、あの恋文交番の警官たちが一緒になって、ストともみ合っていた。
 ひときわ激しい罵声を浴びせている連中が、「ストライ鬼」だろうか? 外見は人間そっくりだが、確かに危険な雰囲気だった。いずれ角でも生えてくるに違いない。
 結論としてはそいつらが襲ってくるので、線路を歩くのは危険だった。
 ありすは駅前に建設中のデパート、「ぷらんで~と・恋武」をじっと見つめている。
「これ以上、駅に近づくのもやめた方がいいわ」
 時夫が未練たらたら労使の争議を見ていると、ありすは今度は電柱に注視した。
「これを見て」
 ありすは電柱の一つを指差した。
「佐藤宗雄」
「この名前、何なんだ?」
 他の電柱にも佐藤姓の名前が記されていた。前に見たときはさほど気にならなかったのだが。
「この恋文町でも、電線地中化は進められている。でもなかなか進んでない。電柱の幾つかは、地下でサリーに逆らった犠牲者よ。罰として電柱にさせられたのよ」
「-----は?」
「だから、日本の電柱地中化が進まない理由は謎だけど、その理由の一つがコレ! 地中化が進んだところから地上に立て直す女王!! 幾ら埋めても埋めても……伏木有栖市と電柱マニアのサリー女王の地下帝国による電柱再建のイタチゴッコ!」
 おいおい(笑)。
「女王は非常に短気で惨忍よ。何かというと電柱にしろと叫び、電柱処刑にする」
 さっきの電線に止まっていた雀たちの絵文字?といい、電柱といい、ありすによると恋文町の電力会社は、おそらく女王に乗っ取られたらしい。それが事実なら、確かに暴君である。
「くれぐれも、電柱に立小便なんかしないでね。この町の犠牲者たちなんだから」
 ありすは意外とお下品なことを口にする。
「するかっ!」
「覚悟を決めなさい。……さぁ、今から雪絵を取り返しに行くわよ」
「えっ、今から?」
 つまり地下へ行くのか。……心構えというものが。
「カチコミよ。また穴がふさがれないうちに。うさぎ穴へ飛び込むわ」
「どこだか分かったのか。地下への入り口」
「……いいえ。でもウーの薔薇喫茶のどこかにヒントがあるはず」
「なんで俺が。やっぱり俺は行かない方がいいんじゃないか」
「誰のせい?」
 ありすはキッと睨んだ。それっきり無言ですたすたと歩くありすを、時夫は追いかけるしかなかった。
 訓練もせずに最前線に立たされ、銃を持ってさぁ突撃しろと。科術も魔学も知らないのに。何度も天井に頭をぶつけながら安全を覚えなきゃいけない。もう少し賢いやり方があるに決まっている。ううう……頭痛いよ。
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