第5話 恋文セントラルパーク

文字数 5,223文字

 セントラルパークの存在は前から知っていたものの、この公園もこれまで来たことはない。噴水の存在だけは入り口から見えるので知っていた。だが、昨晩もその横を通り過ぎただけで、入らなかった。公園の傍らには鉄塔がある。
 公園入り口の案内図によると予想以上に広くて、ジョギングコースや池もあるらしい。周囲を林で囲み、真ん中に芝生の緑地があり、その中央に大きな池があるのだ。緑が生い茂って、周りの住宅街が見えないほどだった。まさしく住宅街のオアシス感が出ている。
 この茂みのどこかに、昨日の雉が隠れているのかもしれないなどと思うと、落ち着かない気分になる。いや、そわそわしているのは雪絵を待ってるからだった。
 時夫は、約束した噴水前のベンチで彼女を待った。この噴水にしても、看板で存在を知っていただけで、実際に見るのは初めてだった。目の前で見ると予想以上に立派な噴水で、ここはパリかと錯覚する(と、いうのは冗談!)。
 勢いよく吹き上がった水に青空が映える。いい天気だった。
「お待たせいたしました」
 エプロン姿の雪絵が、サンダルで小走りしてきた。ちょこちょことした走り方がかわいらしい。やっぱり、伊都川みさえのようなスポーツ少女とは全く違う走り方だ。
「ありがとう」
 時夫は、箱を開けるとひとつ取り出し、ホカホカの肉まんを口にした。それを見た雪絵は、少し驚いた顔をする。
「待ち合わせの相手、遅れてるみたいなんだ」
 信じられないくらいウマイ! こんな肉まんはこれまで食べたことがない。
 雪絵は辺りをキョロキョロと見渡し、まるで、初めて公園に来たというような表情をしていた。雪絵は、しばらくにこにこしながら時夫の様子を伺っていた。
「そうだ、お代……」
 お金を渡すタイミングで、言うしかない。
「あの……ちょっと気になることがあって、聞きたいことがあるんだけど」
 時夫は訊いた。
「はい、何でしょう?」
 小首をかしげ、雪絵は明るい声で訊いた。
「白彩って、ショーウインドウに菓子細工を飾ってるよね。たとえば、雉とか?」
「あ、はい……」
 雉という単語が出た瞬間、雪絵の両肩がびくっと動いた。
「今日は雉、飾ってなかったみたいだね」
「あぁ。あの、ほ、本日はちょっと下げてありました」
「そうなんだ。実は昨日の夜のことなんだけどさ、コンビニに行ったとき、路上を凄いスピードで雉が走ってたのを見たんだ。この辺、雉が出るのかなぁ。あるいは……。それで気になって今日、白彩に来たんだけど、昨日あったはずの雉の菓子細工がなくなっていたんだ。いや変な事を聞くようだけど、もしかして、菓子細工に命が宿って逃げ出したんじゃないかなとか思ってね。まさか、そんなことはないよね。ははは」
「ははは、ねぇ? うふふふふ」
 白井雪絵は口許に手を当て、おかしそうに笑った。
「冗談だよ。……ご、ごめんね。あのショーケースの中、あまりにも生きてるように見えるくらいに精巧だったから、もしかしてと思ってね。それくらあの菓子細工。本当に店長さんの技術って本当に凄いよね。さすがー、TVオリンピックのチャンピオンだよね」
「はい……本当にそうですね」
「全く本物みたい、だね。本物の生き物みたいに?」
 時夫は、伊都川みさえの生き写しの白井雪絵をじっと見た。
「……そうですね」
「でもさ、あの店長ってずいぶん厳しい人なんだね? テレビでもそうだったけど、ちょっと驚いたよ」
 雪絵はそのままうなだれ、蝋人形のように固まってしまったように見えた。
「お店でさっき、厨房が見えてしまったんだけど、その時、まな板の上に卵みたいな奴がポンと乗ってて、それでそこに……蛇が動いてた。俺の、目の錯覚だったのかな」
「……」
「ごめん、何でもない」
「ご覧に、なったんですか-----」
 蝋人形化していた雪絵が口を開いた。その深刻な反応に、時夫は始めて雪絵に、はっきりとした何かの異変を感じた。雪絵だけじゃない。何か重大な事が、あの店で起こっている。
「もしかしてあのお店、何か秘密があるとか?」
「お客様。私、もう、お店へ戻らないと」
「あ、ちょっと待った。最後に、もう一つだけ訊いていいかな。変な事を訊くようだけど、君は、何かあの店で辛い思いをしてるんじゃないか? あの店長さ、なんか君に対して辛らつだったし」
 その問いに対して、雪絵は長いこと逡巡しているようだった。このまま黙って店へ戻ろうか、それとも「何か」を時夫に打ち明けようか。考え続け、黙り続けてその場に立っていた。
 時夫がここで人と会う約束をしているというのも、雪絵を呼び出すための作り話であることにも、半ば気づいているようだった。やがて、雪絵は静かに時夫の隣に座った。
 ……よぅし。扉が少しだけ開いたぞ。
「お話しをする前に、お願いがございます。全て、ここだけの話にしてくれませんか? もしもお友達に話されたり、ネットなどで書かれると困るんです」
「……もちろんだよ。約束する」
 一体どんな秘密があるのだろう。時夫は雪絵の次の言葉を待った。
「昨晩、逃げ出した雉は、確かに店長が作った雉です」
「……えっ」
 直接その言葉を、雪絵から聞くと、時夫に衝動が走った。混乱していたイメージが、それそのものだと、今、彼女自身が語ったのである。そこには一体、どのようなトリックが隠されているのだろう? 見当もつかない。
「じゃあ、最初から生き物を、燻製みたいに仮死状態にしていたって事?」
 燻製どころか、生きていた。それを、お菓子のフリしてケースに並べておく。
「いいえ。最初は皆、お菓子だったんです。それがたまに、本当に生命を宿してしまうことがあるんです」
 な、なるほど……。雉は、「生地」だったというのか!? 時夫はますます分からなくなってきた。
「昨日。満月でしたよね。それが原因です。月の光には、糖分を熟成させる特別な力があるんです」
 そのタイミングで、たまに工場の中でも直接生命を宿すと雪絵は言った。それはもちろん、売られているうずらの卵を温めていたら、雛がかえったなどいう話とは種類が違う。
「-----しかし」
 彼女の言葉を、疑う訳ではなかったが、あまりに常識からかけ離れすぎている。どう考えても考えても、理解不能な雪絵の言葉。
 これは、スイーツ(笑)系って奴なのか?
 時夫はしばらく、肉まんの入った箱をじいっと見つめて考えた。
「安心してください。店頭で販売している和菓子は別です。でも、あの菓子細工は特別な砂糖で作られているんです。それで店長は、TVオリンピックでも優勝したんです。それを、和四盆といいます」
「和四盆?」
 和三盆なら時夫も、もちろん聞いたことがある。しかし、和四盆なんて聞いたこともない。
「その砂糖は手に入れるのがとても難しく、一般には流通していません。……非合法なんです」
 なにやら、雪絵の話は大分キナくさくなってきた。ひょっとすると和四盆とかいうのは、怪しい薬の一種ではあるまいか。怪しい、非合法な薬。
 雪絵は確かに、店頭の菓子には入っていないといった。だが実は、その「薬」が昨日買った菓子の中にも入っていて、時夫は昨晩幻覚を見たのかもしれないのだ。
「君は、それを知ってて、どうしてあの店で働いているの?」
「私は脅されて、店長の手伝いをさせられています。店長の秘密を知っているのは私だけです」
 どうりで、雪絵はずっと冴えない表情で仕事をしていた訳だ。
「ずいぶん厳しい態度だったね」
「月の光に浴びせて熟成させる時間割がホントに細かくて、でもそうすると砂糖がカピカピに乾いてしまって-----あの人ちょっとおかしいんです。マニュアル通り過ぎるというか。本当は、気温や湿度で毎日変わるものなのに」
「ブラック企業なんじゃないか」
 ブラック云々よりもはや、完全に非合法な店。
「……ええ。そうなんです」
 時夫は沈黙した。どうすればいいのかが分からなかった。一介の高校生に過ぎない金沢時夫に、出来ることなんて限られている。
 公園には家族連れの子供がはしゃぐ声が響いていた。ベンチの足元に、ハトが二羽、うろついている。そう簡単には逃げない。ふてぶてしい。時夫の持つ菓子の箱の中身が再び空けられる瞬間を、待っているのだろう。
 何もかも、日常のありふれた光景だ。だが、雪絵と時夫の周辺だけ、非日常の空気が取り巻いている。
 時夫は何とか、彼女を助けたかった。
「力になれないかな。もし非合法な事をしているのなら、早く警察に行った方がいいよ」
 さっきまで食べていた、この箱の中身が恐ろしい。
 冗談ではなく、魔法のような旨さの影に潜む危険。けど、警察沙汰に自分自身が巻き込まれる不安もあった。
 平凡に生きてきたこれまでの時夫の人生。だが、もうそれどころではなくなるのかもしれない。そう思うと、途端に恐怖を覚える。けどもし、目の前の白井雪絵を救えるのなら------。
「……はい、行きました。警察は取り合ってくれませんでした。今のお客様の反応と同じです。あまりに突拍子もない話だからです。私は止めたかったんです。店長は恐ろしい事をしているんです。でも生きたお菓子を作るために、その材料の和四盆というのは、……あっ、あぁなんて、なんて事。店長はなんて恐ろしい事をッ!」
 時夫は、さらに雪絵の次の言葉を待った。そして雪絵の言葉は、時夫の予想のはるか上を行ったのであった。
「店長は、毎晩のように、人を浚っては殺し、……和四盆の原料にしているんです」
 雪絵が薄茶色の瞳で、時夫をじっと見ている。その目に偽りは宿っていない。
 時夫は悟った。彼女が本当の事を語っていることを。そしてこの時夫を、世界で唯一頼りにしているのだと。
「え? は? あ、いや……」
「あのお店の煙突。あんな大きなものがどうしてあるのか、ご存知でしょうか。色々と理由がありますが、ひとつには、人間の身体を償却するためです。そして、人攫いをしている場所は、このセントラルパークです……」
「えっ」
 時夫は、落ち着かなくあたりをぐるりと見渡した。
 キャッチボールをする人々、サックスの練習をしている少女、老人、そして広い公園のジョギングコースは、おそらく夜になってもランナーが絶えないだろう。
 その人々が、イカれマッド和菓子屋によってさらわれて、その真相はどうあれ、殺されている。急に雪絵の言葉が全くリアリティを持って感じられた。「不思議の国のアリス」で、イカれ帽子屋とかいうキャラクターが出てくるが、現実の恋文町では、和菓子屋がイカれている。
 雪絵はおどされ、その手伝いをさせられているのだ。しかも今まで、警察は取り合ってくれず、頼りにならないというのだ。
「助けて欲しいんです。-----怖くて、誰にも言えなかった。店長がおかしな事をしているのは事実です。お菓子屋だから、ですかねぇ? いいえ、犯罪を犯しているんです。この町の人を浚って殺しているのは店長です。お客様。私、どうすればいいのでしょう? 人に話したのは、これが初めてです。……お客様、助けて、いただけないでしょうか」
「あ、あぁ……」
 確かに本当のことは分からない。あまりに信じがたい話だからだ。だが、どう返事すればいいのか分からなかった。
 店長が雪絵に辛く当たっていたのは事実だし、あの厨房で卵から這い出た蛇を見たとき、何か絶対的にヤバいものを目撃したという直観があった。
 今日、ここへ雪絵を呼び出した時から、彼女にとって一世一代のチャンスが訪れたのかもしれない。
 しかし、どうすればいいのか-----。この町で、確実に恐ろしい事が起こっている。繰り返し繰り返し時夫は考える。
 高校生である自分に、何が出来るのか。伊都川みさえにそっくりな白井雪絵。助けたい。そうだ、今度こそ……助け……俺が助けなければッ!
「俺は、高一に過ぎない。何の変哲もない、平凡な学生に過ぎない」
「そう、ですよね……」
 明らかに落胆の表情が、雪絵の顔に浮かんでいる。
「でも君をここへ呼んだのは、お店で変な感じがしたからなのは確かだっただからだ。それで、なんとかしなくちゃと思って……」
 自分でも、無計画な考えだと今気づいた。
「お願いします」
「分かった。協力する」
 金沢時夫は、このみさえ似の雪絵を、なんとかあの異常な店から救い出し、彼女が心から笑える日が来る事を願った。
 だが、なんとなく気に掛かる。
 こんな恐ろしい事件が起こっているセントラルパークに、雪絵は最初、始めて来たような顔で現れた。そして辺りを興味深そうにキョロキョロしていた。それなのに店長の手伝いをしている、と彼女は言うのだが-----。
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