第88話 アリス・シンドローム 半蝶半蛾

文字数 7,259文字

 九ヶ月前、市の合併にまつわる大騒動のとき、関東地方を大地震が襲った。それは古城ありすが、最初に白彩本陣との全面戦争を起こした際の影響だという。
 百五十年前にも、蜂人の精霊の力を借りた九頭竜愛が、天変地異を起こして幕軍を壊滅させた。ありすは、愛としての能力を蘇らせていた。
 東京に帰っていた達夫は、時夫の同級生・伊都川みさえを救った。達夫は自身のパワーストーン・コレクションのムーンストーンを与えて、みさえの命を救ったのだった。みさえは確かに窮地に立たされていた。
 しかしその情報は、なぜかみさえの同級生で、孫の時夫には正しく伝わらなかった。時夫は失意のまま恋文町に越して、高校に通い始めた。
 東京でのみさえの、時夫に対する想いは、彼女が身につけているムーンストーンに篭った。
 みさえの祈りは、白彩工場の中で白井雪絵となって結実した。本人の意図するところではなかったが、ムーンストーンが擬態化したのである。
 九ヵ月後に退院したみさえは、時夫にメールを送った。
 十二月に入って、再び地震が起こった。時夫たちが町を脱出しようとしたときのこと。震源地は恋文町。
 この地震は、町が完全に二つの世界へと分かれたために起こった。
 黒水晶が乗っ取っていたダークネス・ウィンドウズ7のシステムダウンが原因で、地震が起こって再起動したのである。だからこそ、幻想寺としては7から10へのアップグレードが必要だった訳だ。
 時夫達は体感として、それほど大きな地震とは感じなかった。しかし現世にある恋文町では、未曾有の被害をこうむっていた。
 町は破壊され、住民たちは姿を消した。遺体は発見されず、全員が行方不明者の扱いになった。町が丸々、一つ消えた-------。
 それは、「恋文町の神隠し」と呼ばれる大事件だった。
 その間、時夫達は住人とともに中空界の恋文町へと連れ去られ、サリーや、黒水晶の放った刺客との戦いを繰り広げていた。
 みさえは住人の消えた恋文町に向かおうとしたが、達夫に止められた。思いの強いみさえが行けば、巻き込まれてしまうからだ。救助に行って、忽然と姿を消してしまった自衛隊のように。
 彼らは中空界で「J隊」と名乗り、黒水晶の作った幻の敵である「ダークスター国」と戦っていた。
 みさえは仕方なく、ムーンストーンを使って、中空界の恋文町に神隠しされた時夫と連絡を試みた。そのチャネリングが、メールの形で時夫の携帯に届いた。
 後はみさえの石、ムーンストーンの化身・白井雪絵に、彼女の思いは任された。
 この町の住人は、誰も自分が死んだとは思っていない。
 なぜ自分たちがここに居るのか、いつから居るのか、どうして出られないのか、それを知らないでいる。この町が中空界であることを知っているのは、ありすやサリー達だけだった。
 そして、伊都川みさえの「祈り」の具現化である白井雪絵は、ずっと時夫の傍にいた。

「白井雪絵まで、みさえのパワーストーンだったなんて----? じゃあ、みさえが生きているなら、一体雪絵はどうなるんだ?」
 時夫は不安にかられた。
「いいか、誰もが固有の石を持っているんだ。それぞれの人の個性に合った石をな----。誰かが特別な訳じゃない。私は彼女に適したムーンストーンを与えただけだ。それはもともと、みさえさんの個性だった」
「雪絵や黒水晶は、擬人じゃなかったのか?」
「時夫、茸やサボテン……つまりショゴスたちとは明らかに違うでしょ? 硬い意思(いし)を持っている。石(いし)だけに」
 ウーが代わりに答えた。茶化そうとしたのかどうか分からない。
「そーいうイミロンか……」
「だって、鰹節って化石だし」
 ウーは鰹節にこだわりすぎだ。
 店長は吹っ飛んだケーキの破片の中から、青く光る石を取り出すと、時夫に渡した。ケーキの中に仕込まれていた石は、トルマリンだった。
「これは、お前が持っておけ」
「これは……? 恋文はわいで、シロワニに喰われたインジゴライト……」
「金時君……それ、あなたの。金時君のパワーストーンだよ。全員が固有の石を持っているんだから、あなたも。私、あの時君の石だっていう予感がしたの」
 ありすは指差した。
「恋文はわいで温泉に浸かったとき、湯船の壁面に埋め込まれたパワーストーンの中で、トルマリンが反応し、その瞬間君のエネルギーが篭ったみたい。その後の騒動で、トルマリンは転がって、床下のジョーズが食べてしまった。だけどその床ジョーズを、新屋敷として改装した後に真灯蛾サリーが刺身にして食べて、サリーの手元に入ったという訳」
「偶然じゃないよ。運命! デスティニーですってにー♪」
 ウーはにかっと笑う。
「お、俺のパワーストーン? ……い、いとしいしと」
 時夫はトロピカル風呂に入ったとき、水が帯電していることに気づいた。微弱なので痛くはなく、むしろそれが気持ちよかった。
「時夫、雪絵さんを想って、ハーグワンのエネルギーを誘導棒の中に流し込んでごらん」
 バシュー!!
 たちまち青い光が誘導棒を包み込んだ。長さも完全なライトセーバーになった。最初に北で使用したときも、ハーグワンによるものだ。
「そう……それだ。トルマリン、電気石として有名だろう。結晶を加熱すると、結晶の一端がプラスに、そして反対側がマイナスに帯電する。だからお前達に、ハーグワンが起こったんだ」
 達夫は、孫の成長を満足げに見つめていた。
「電気石は、他に加圧でも帯電する。それをピエゾ効果という。キューリー兄弟によって発見された。ライトセーバーの科術は、その原理を使っている」
 さて床ジョーズから時夫が触れたトルマリンを回収した後、サリーはそれを使って、魔学でウェディングケーキを作ったらしい。サリー自身が時夫とハーグワンするために。
「これであんたも科術師ね」
 ようやくジェダイになれた自覚を持った一般男性・金沢時夫(15歳)。
「大丈夫なの? 『僕と契約して科術師になってよ』とか言い出すぬいぐるみとか出てこない?」
「……」
「いや黙るなよ、そこで」
「……フッ、フフフ。そんなのあるわけないでしょ。金時、アニメの観すぎ~」
 これは……、一体何を意味するのか。
「人間は、ダークネス・ウィンドウズ天へのアップグレードで、炭素系生物から珪素系生物へとアップグレードする」
「……みんな?」
「そうだ。我々は原石(エーデルシュタイン)だ。珪素系生物はな、劣化しないんだ。そうして人間は、何百年と生きる生物へと進化する。ありすやサリーのように」
 確かレート・ハリーハウゼンの店の元の名が、「エーデルシュタイン」だ。だんだん気が遠くなってきたぜ。
「もともと土くれになれば、時夫だって化石になるはずでしょ」
 ウー、何年掛かると思ってるんだ?
「師匠、私、黒水晶を取り戻したの。それなのに、まだ自分の中では……」
 九ヶ月前の白彩との戦争で黒水晶を取られ、ありすはずっと、科術師としての力を半減させていた。
「ありすを元の人間に戻すには、黒水晶を取り返すだけではダメだ。私は長年捜し求めた漢方を手に入れ、ようやく戻ってこれた」
 金沢店長はキラエル(綺羅宮)の協力を得て、二つの世界に分かれた恋文町へ戻ってこれたと言った。
 キラエルも、ファイヤー・クリスタルをサリーに奪われるという失態を負っていた。
 誰もが幻想寺のハッキングによる、ダークネス・ウィンドウズ天のアップグレード再開を待っていた。待つしかなかった。
「ありす……お前を救いたかったんだ。ずっと……。これをな」
 店長は、懐から小さなケースを取り出した。
 四角いケースには、蝶が入っていた。
 左右で模様が異なる。左は宝石のように青く輝くモルフォ蝶、右は翡翠色の美しい蛾、オオミズアオの羽だ。
「それ……」
「半蝶半蛾だ」
「幻の漢方薬。まさか、見つかったんですか!」
「確か、左右で模様が違う蝶といえば、イングランドで半分がメスで半分がオスというのが見つかったって、ネットで見たけど」
 時夫が知識を披露する。
「いや、それは『雌雄モザイク』という。発生率は一万分の一だ。だが、半蝶半蛾ははるかに発生率が低い。それは蝶と蛾、異なる二つの種が融合した個体だから。一種のキメラというべきだろう」
「半町半街の店名の元に?」
「その通り、時夫。店名『半町半街』の元になった。ありすを救うには、これを見つけなければならなかった。店名の由来は、お前を救う、という意味論だ。字は変えた。サリーの仲間たちに悟られないためにな」
 白彩のことである。
「……」
「それで、師匠は桃源郷に?」
 ありすの大きな瞳が、師匠を見据えた。
「私は中国の桃源郷へ半蝶半蛾を探しに行ったが、そこには居なかった。ヒマラヤの奥地にも行ったのだが、現地の人に、『日本人は想像力が豊かだな、そんなのいる訳ない』と笑われた。桃源郷や、ヒマラヤ山奥に住んでる奴らに言われたくない気分だったが、私は崖から夕日を見つめて、途方にくれて叫んだ。『カム着火インフェルノォオウウ!』と」
「………………」
「アマゾンにはなかったんですか?」
「南米に行く暇はなかったな」
「……いや。そっちのアマゾンじゃなくて、ネット通販大手のAmazonに売ってないかなーと思って」
 あるわけないだろうと、一同がウーを睨んでいる。
「あれば旅行はしてないよ。そこで私はハッと気づいたんだ。私は根底から間違っていた」
「何をです?」
「私はかつて、お前に自分のことを知らしめるために、電柱の蛾を見せたことがあったな」
「はい」
 ありすは小さな声でうなずいた。
「『蝶は日中に、蛾は夜に飛ぶ』という言葉を言ったはずだ。その意味論は、二つが一つになる夕刻に、それが現れるということ。つまり、半蝶半蛾は、黄昏時に現れる」
「そんなものが本当に?」
「永遠の黄昏邑。ずっと黄昏が続く土地にそれは居た」
「というと、------白夜?」
「正解だ。緯度が高い処に棲む、高山蝶の一種なんだ。それで、インスタグラムを眺めて、次の場所を決めた。それが、この写真だ」
 達夫店長のスマフォの画面には、ピースサインと共に、見慣れたうさぎの耳をつけた女の子がニコニコと写っている。その背景には、日が沈む頃の川沿いが見えていた。
「ウーじゃん!!」
「あ、ホントだぁ」
 ウーはニヤニヤしっぱなしだった。
「ホントだじゃないよ! あんた……時々その羽で空飛んでたでしょ」
 ありすがシラけた視線を送る。
「バレた?」
 なぜならこのうさぎ、あまりに神出鬼没すぎるのだ。
「その羽、昨日今日生えたものじゃない。ぐるぐる公園から恋文はわいの煙突に出てきたときも、どうやって降りたか不思議だったし、西のときも人質のフリして、あっちこっち行ってたけど、瞬間移動できるビー玉だけで移動してた訳じゃなかったわよね」
「で、これは一体どこなんだ?」
「白夜のカムチャッカ半島だ」
「白夜のカムチャッカへ! 何とっ……!」
 と、ウーが合いの手を入れた。お前の仕業だろ。相変わらず正体が訳ワカメ。
 まさかの「カム着火インフェルノォオウウ!」の意味論なのだろうか?
「到着した私は、さっそく温泉に浸かった。------だって寒いしな」
(だってじゃないし!)
「いい湯だった」
「……………………」
「半蝶半蛾は、カムチャッカのヴィストラヤ川沿いに棲んでいた」
 達夫は川沿いを散策し続け、蝶の群生地を発見した。他は全て普通の蝶だったが、その中にたった一匹だけ混ざっていたという。
「そしてこれがあれば、お前は女王の人質になった元人間たちを、すっかり元の人間に戻すことができるだろう。異形の者たちを元の人間へと戻す、究極の漢方だからな」
 半分蝶で半分蛾の虫。捕まえてから大分時間が経ち、すでに乾燥している。
 達夫店長はそれをゴリゴリとすり潰し、煎じてありすに呑ませた。
「う”ぇ……ひどい味ですね」
「辛抱しろ。これで、黒水晶の本来の力を、お前はようやく取り戻せるんだから。そして人間に戻れる。ただし変容には時間が掛かるよ」
「気になることがあるんだ。Gさん、俺がこの町に来ることを、事前に知っていたんじゃないのか? 恋文銀座のショーウィンドウに、四つのマネキンがあったんだ。ありす、ウー、雪絵、サリーにそれぞれとてもよく似ていた」
「何、それ。私、知らない」
 ありすは怪訝な顔で時夫を見た。
「……みさえさんを助けたときに、わしは予感を持った。あれはお前が誰を選ぶかで、この町の未来が変わることを暗示していた。占い人形の科術だ。私の孫であるお前ならきっと、ありすを助けるだろうと分かっていたがな」
「俺が、この事件の重要な登場人物となることも、分かっていたんだな。……でも俺は科術師じゃなかった。よく託す気になったもんだ」
「時夫、お前に科術の力はなかった。だが、意味論は誰にでも働く。お前の場合は、この町でとある強力な意味論が働いていた。それはな、わしらの名前、金沢姓の意味論だ」
「-----苗字が?」
「金沢市を知ってるな? お菓子の消費が全国一位の市だ。菓子全般、和菓子、ケーキ、プリン、スナック菓子、アイス、全てのジャンルにおいて消費量堂々一位! 金沢市民は、日本一お菓子を消費している。それは、金沢姓であるお前が、このお菓子な国現象に見舞われた恋文町において、極めて強い耐性を持ち、強運を働かせることを意味していた……」
 意味論、恐るべし-----。
「そういう事か……で、黄金のコンビニ・チェーン店はいつから?」
「七十年代初頭だ。コンビニエンスストア・ヘヴンは、千葉県北東部に展開している私のチェーン店だが、サイドビジネスとして始めて、むしろそっちの方が成功した。特に、西部の店舗はエネルギー・チャージする場所として置いてある。いわば、一昔前のゲームのセーブポイントみたいなものかな」
「あ、西部(せいぶ)ポイント?」
「正解。たとえ町が西部が魔学に支配されても、西部の意味論の影響を一切受けない、特別な科術の結界を張ってある」
「へぇ、それは?」
「それは、一種のモスキート音だよ」
「なるほど……、あの音で、茸人やヒトモドキは近寄れなかったのか……」
「音って何? 私聞こえなかったけど。あなた達には聞こえたの? てかそんな便利なものがあるなら、なんであたしに教えてくれなかったんです?」
「まぁ、お前には聞こえないだろうな。わしも」
 達夫は申し訳なさそうに言った。
「……年寄りだから?」
 ウーが無神経に言った。
 若い年齢層の人間が聞くと、不快感を覚える高音のことを、「蚊の鳴くような声」、モスキート音と呼ぶ。加齢とともに、モスキート音は聞こえなくなっていく。
(そういうことか……)
 ありすは反論せず、黙っている。地下に長く居たというありすは、一体今、何歳なのだろうか。明治維新以前からということなら、最低でも百五十歳以上だ。
「しかし茸人は誕生が若い。よって、モスキート音が聴こえるという訳だ。一方で、半町半街には、別の特殊な結界を使っている」
 玄関に置かれた、「招かざる猫」のことだ。
 店長はサリーに迫った。
「さぁ、お前は私と一緒に幻想寺へ来い」
「わ、私に何をしようっていうの? ……近寄らないで。私はあんたのようなじじぃなんか好きじゃない」
「そりゃそうだ、ははは、私は人間だ。年を取るからな」
 とはいえ、科術師としての力が、年齢の割の達夫の若さを維持しているのだ。
「私が好きなのは、あんたなんかじゃない。時夫さん!!」
「まだそんな妄言を吐いているのか。早く目を覚ませ!」
「たとえフリでもモドキでも、意味がある。私にとっての真実は、時夫さんなんだ!」
 サリーがかすれ声で言ったこと、それは強情ではなく、彼女の本心だった。偽りの現実であったとしても、過ごしてきた日々は、サリーの“真実”として意味論を持ちつつあった。
「お前には……これをくれてやる。チベットの養蜂家から分けてもらった、希少なロイヤルゼリーだ。さぁ喰らえ!」
「ヤメローッて! セクハラで訴えるゾ!」
 サリーは廊下へ走り出ていった。
「往生際が悪いぞ! くらえーッ」
「冗談じゃない。私にはまだ、魔学の力が残っているんだから……!」
「追うぞ!」
 店長の掛け声と共に、時夫やありすは一斉に走り始めた。
 トムとジェリー。今度はサリーがジェリーの立場に。
「コラーッ、スミス! 起きろー!!」
 サリーは、唯一の頼りであるゴールド・スミスにすがろうとして、阿頼耶識装置へと向かった。
「あ~もう、邪魔よ、どきなさい!」
 真灯蛾サリーはマシン室に入ると、阿頼耶識装置にたかる蜂人たちをグイグイと押しのけ、右手を頭上にかざした。
「ハッキングなんて、一発で治してやる」
「あんたバカァ? やれるもんならやってみな!」
 ありすがあきれつつ、後ろから声をかけた。
「アッチョー!」

 バァ--------ン!

 サリーのチョップが振り下ろされた。ものすごい金属音が辺りに鳴り響いた。
「ブラウン管のテレビじゃないんだから。サリー、空手チョップで、幻想寺のハッキングを防げるとでも思っているの?」
 ありすは笑った。

 ドキュウウウゥーンン。

 阿頼耶識装置がうなり声を上げて振動した。
 サリーが振り向いてにやりとする。
「ホーラ、完了した」
 見ると、サリーの「スタンド」のように、傍らにゴールドスミスが立っていた。その像は明瞭で、完全な実体を伴っているといっても申し分なかった。
 空手チョップの意味論、恐るべし!!

 次回、蝶展開。震えて待て!
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