第6話 光るキノコ畑
文字数 6,246文字
その後、みさえ、いいや雪絵は店に戻っていった。
夜になり、時夫は閉店時間の八時を待って、アパートを再び出ると、「白彩」を見張った。遠くで、数台の暴走族の音だけがかすかに響いている。
今夜は満月だ。異様に大きい月が地平線から上ってくる。
ポケットに両手を突っ込み、向かいの歩道から店を監視していると、ガラガラと音を立て、シャッターが下ろされた。店員たちが続々と出て行った。
しかし、閉店して十五分が経過しても、店長が出てこない。まだ残業で、あの広い工場の中で作業しているのかもしれない。それにしても、雪絵も出てこなかった。もしかして雪絵も残っているのか。手伝いというのは、ただのお店の手伝いという意味ではなく……。それとも、早く帰っただけだろうか。
勝手口から、白い作業着にカーキ色のジャンパーを羽織った、あのイカれ和菓子屋店長が出てきた。一人だった。少しほっとする。雪絵は、店にまだ残っているのかもしれない。店長は、駐車場に止めた軽トラックに乗り込んだ。トラックは走り出した。行き先は分かっている。
「人攫いをしている場所は、セントラルパークです……」
昼間の雪絵の言葉を思い出す。時夫は、自転車を転がして車を尾行した。短い距離なら、自転車は簡単に車に追いつく。
車を追って間もなく、セントラルパークに到着すると、すでに軽トラックは森の中に駐車し、店長の姿だけが消えていた。
広い公園内で、人影はジョギングコースに疎らなランナーの姿があるくらいだった。
近くの木陰に自転車を止めると、時夫は慎重に辺りを探った。白い上下を着た男の姿を捕捉する。居た、店長だ! そう思う間もなく、店長はたまたま出くわした三十代の男性ランナーの頭部へ向け、中華料理で使うような包丁をいきなり振り下ろした。
「おっ?」
時夫は声を出しかけ、あわてて両手で口をふさぐ。
ランナーは声もなく、その場にドッと倒れた。たった今時夫の目前で、白彩店長が殺人を犯した! いいや、正確にはまだ生きているのかもしれない。人攫いというより、これはもう完全に通り魔だ。
時夫は、容易に近づけなかった。
イカれ和菓子屋店長は倒れたランナーの両足を掴むと、ズルズルと軽トラックの荷台まで引きずっていった。荷台に遺体を積むと、軽トラックはセントラルパークの奥に向かって再び走り出す。
一切無駄のない職人のような動きだ。なんという手際のよさだろうか。ものの一分掛かったか、掛からないか程度だった。あの殺し方だって、一言も発せず、躊躇いなんて動作に微塵も感じられない。
殺人が、毎日の菓子製造、あるいはみじん切りでもするように、ルーティンワークの中に組み込まれている作業のやり方だ。時夫はこの眼で確かに見た。店長は、確実にルーティンワークとして人を殺している!
時夫はまず、自分の身を守らねばならなかった。
常識的な考えでは、警察を呼ぶべきだった。ところがこの時、時夫は自転車にまたがると、トラックを追っていた。トラックは、車が通るには狭いジョギングコースを徐行で進んでいる。
店長はまだ、この公園に用があるのだ、時夫にそんな勘がよぎっていた。
緑はますます濃く深くなり、少し小高く土が盛り上がった、正面入り口から見て公園の奥に、トラックは停まった。
トラックのヘッドライトが、荷台から引き摺り下ろした遺体を、ずるずると引きずっていく店長の姿を照らし出す。やがて店長は夜陰に紛れて姿が見えなくなった。
時夫は自転車を静かに止めると、音を立てないように近づいていった。
「これは……これは一体なんだ、ここは!?」
時夫は目の前の光景に唖然とした。
地面が青白く、うっすらと光り輝いていた。林の地面は、落ち葉がミルフィーユのように折り重なったフカフカの感触だった。「腐葉土」、というのだろうか。
そこに、青白く光る物体が無数に生えている。キノコだ。キノコは傘のある典型的な形状で、それらが青白く発光している。
この場所は、光るキノコの群生地だったのだ。それにしてもこの光の力強さ。こんなに沢山、床一面に光るキノコが生えた場所は見たことがない。しかもここは、山奥などではない。市街地の公園の中である。
茸の群生地は、少しも荒らされていなかった。
足場が悪く、ジョギングコースや小道から離れたこの場所は、普段誰も通らないのだろう。ひょっとすると、店長の秘密のキノコ畑かもしれない。これが、イカれ和菓子屋「白彩」店長の秘密なのだろうか。
ザクッ、ザクッ、ガシッッ……。
店長はスコップで手際よく人一人分が入る程度の穴を掘っていた。ここに死体を埋めるつもりのだろう。と、いうことはこのキノコの群生は、その下に、無数の遺体がある……という事になる。だとすると、茸たちは、死体の養分で育っていることになる!
目が、次第に闇に慣れていく。
キノコ群の青白い光が、目の前にあふれている。林の地面が、銀河を見上げたときのように青く輝く。驚くほど綺麗だった。おそらく、テニスコート一面ほどもあるスペース一面にキノコは広がっていた。
それだけではない。この発光キノコたちの表面をよく見れば、光の波が時夫の足元からキノコ畑を波打って動いているのが分かった。これは、一体何だろう。イルミネーション、いいやキノコが帯電しているように見えた!
(帯電、しているだって? そんな馬鹿な)
時夫は、目の前のキノコに目を奪われ、店長のことを一瞬忘れかけた。やはりそうだ。見た通りだ。このキノコの群生は、電気を帯びている。
「誰だッオマエ!?」
店長の手にある懐中電灯がまばゆく照らし、時夫の視界を奪った。しまった。茸に目を奪われた時夫は、つい身を隠すことを忘れていたらしい。
いきなり照らされた白い明かりに、闇になれた時夫の眼は順応せず、その場に立ち尽くした。
ジャリ、ジャリ、ジャリ。
腐葉土を踏み、キノコを避けながらライトをこちらに向けて、店長の黒い影が近づいてきた。イカれ和菓子屋の左手には、スコップが下がっている。あれで殴られたらオシマイだ。
時夫は全身が硬直し、身動き一つできなくなっていた。頭の中は戦慄と後悔と、その辺に、武器になりそうな枝でも落ちてないかという反撃への焦りで混乱している。
「ン? あぁ、あんた昼間のお客さんか?」
店長の方から声を掛けてきた。声は割と平静だった。
「あああ、あなた今、何をなさってるんですか!?」
しまった、何を言っているんだ俺。とっさの事で反応を間違えた。
「何をしてるってお前……見たのか?」
イカれ店長は怪訝な顔つきで首をかしげ、三白眼で睨みつけ、時夫の顔にライトを向けている。
「この一体はよ、この辺の住人も気味悪がって近寄らないんだ。だから俺が密かに栽培してんだよ」
あごで辺りを指し、ぶっきらぼうな言い方をする。だが、悪びれた様子もない。
「えっ。でも、ここ公園ですよね」
話題がキノコのことになっている。
「あぁそうだよ。ここの土じゃねえと、キノコ、……見ての通りの、光るキノコが育たないんだよ! 茸の人工栽培はとても難しいだ! この土地の土壌とか磁場とか、いろいろあるんだよ」
早口で凄くせっかちなしゃべり方だ。
「うちで使ってるスペシャルな砂糖作りに、ここのキノコが必要なんだ。しょうがねんだ。分かったな? こんな事誰にもしゃべんじゃねえぞ。ネットとかでな」
ここの光るキノコたちから、砂糖が出来るっていうのか。それが雪絵のいった「和四盆」か! そうだ。いやそうじゃない。問題はそこじゃない。聞きたいのはそれじゃあないッ。
こんなに光るキノコを育てるには、きっと「特別な」養分がいる。要するにそれが、人間の死体に違いない。それがこの時の時夫の結論だった。イカれ和菓子屋店長は人を殺してキノコを栽培している。トンでもない話だ。だが、ここでその事を追求するのはかなり危険だった。
どうやら店長は、時夫がキノコの光に誘われて、ここへ迷い込んでしまった近隣住人だと勘違いしているらしい。おそらく過去、たまにそういうことがあったのだろう。ぶっきらぼうに面倒くさそうな態度ながら、親切に説明してやった感が、店長の面から出ている。ここは、話をそらしたまま逃げた方がよさそうだ。
「おい、あんまり夜この辺に近づかないでくれるかな。分かったか?」
忠告はしたぞ。そんな風に、映画「アンタッチャブル」に出てきた殺し屋のような目つきで(いや、実際殺し屋だ!)イカれ店長は腕を組んで言った。
「わ、分かりましたよ」
時夫はくるりと後ろを向くと、振り向かずに自転車のところまで走り、猛スピードで光るキノコ畑から離れた。暫くの間、店長の放ったライトの光が時夫をしつこく追っていたが、それも見えなくなる。
こんな公園、さっさと出よう。ありすの薬で瞬時によくなったけど、風邪だってまだ治りかけだし。早く、暖かい布団にもぐりこみたかった。
森が開け、噴水まで出た。
満月がバッと眼に飛び込んでくる。その真下に、真夜中だというのに突然噴水が噴出し、月光を受けて光り輝いていた。噴水の音だけが静かに響いていた。
「なんだ、これは?」
噴水が月光で青白く輝いている。あの発光キノコの青白い輝きを、何倍にもしたような眩さを辺りに放っていた。そして……そこに一人のほっそりした女性が立っていた。よく見ると、白井雪絵だった。
時夫は立ち止まって、雪絵が一体ここで、こんな時間に何をしているのか様子を伺った。雪絵はこうして、毎晩この恋文セントラルパークに来ているのではないか。白彩店長と同じように、そして雪絵は脅され、店長の手伝いをさせられていると言っていたが……。
だが、雪絵は光る水しぶきを上げる噴水の前で、ただそこに立っていた。
時夫はいつ、後ろから店長のトラックが来るのではないかと、ひやひやしながら、雪絵の後姿にしばらく魅入られていた。
雪絵がゆっくりと、その細い両腕を広げていく。月光を掴むように。受け止めるような動き。すると、噴水の輝きが何倍も増したように光ったのである。
なぜ雪絵の動きとともに、光が増すのだろう? テレビで観たことがある、江戸時代の水芸を彷彿とさせた。あるいはイルミネーションのイリュージョン。雪絵は今、何をしたのだろう。確か、昼間雪絵は言った。
月の光には、特別な力がある……と。
白井雪絵はたっぷりと月光浴を堪能するように、月の光の中でうっとりとダンスを始めた。めいっぱい喜びの表情を浮かべながら。それが月からの青白いオーラを身にまとい、彼女は美しく輝いていた。
(きれいだ雪絵。君はやっぱり不思議だ)
時夫はその瞬間に確信した。
彼女は只者じゃない。いやおそらくだが、白井雪絵は、月の光を浴びて光合成している。なぜそんな発想が浮かんだのか自分でも分からなかった。
だが、この考えに時夫は妙な自信があった。それだけの説得力が目の前の光景にはあったからだ。
雪絵は毎晩、こうして月の光で光合成をしているのだ。なぜセントラルパークに来るのかは分からない。けど、さっき白彩店長が言ったこと。セントラルパークの磁場がどうだ……とか。その事と、何か関係があるのかもしれない。だとすると、だ。雪絵もまた、控えめに言って「変な存在」だという事になる。
車のエンジン音がどこかから響いてきた。それは、表通りの車なのかもしれない。
時夫の自転車は正面の噴水を避け、木々の小道を通り抜けながら公園を飛び出した。それから、一度も振り返らずにアパートの「恋文ビルヂング」まで戻った。
みさえ……ではなくて、雪絵のこと。
時夫は雪絵が気になって仕方がなかった。店長のあの様子なら、客として店に行く分には危険はないはずだ。日中、殺される訳もないだろう。
こうして時夫は翌朝も、「白彩」へと自転車を転がした。危険は重々承知の上だった。
雪絵はどうなったのだろう。昨日、退社するところを目撃しなかったが、いつの間にか夜半、セントラルパークの噴水の前に現れた。
光合成していたなんて思ったが、実際あそこに立って、一体何をしていたのか。脅されて殺人者店長の手伝いをさせられていると言うのだが、実際には踊っていた。
もしかしてその後、店長から脱しようとした彼女は、殺されてしまったなんて事はないか、などと嫌な想像をする。
「おいっ! 夜間は下げとけっていっただろ! こんなんじゃ和四盆が台無しだ。とても菓子が乾燥して食えたもんじゃねぇ。何度言ゃ分かるんだよ。もういい、全部下げろ」
店の外まで怒鳴り声が響いてくる。珍しくイカれ店長がすでに店先に出張っていたが、今日も怒鳴られている白井雪絵は、白い顔でうなだれている。気の毒だ。
だが、よかった。とりあえず彼女はまだ生きている。
仕事に厳しい職人気質からの言葉のようにも受け止められるが、殺し屋の店長は若い彼女に容赦がない。
雪絵は力なく、無言で和菓子を回収している。
店の外にいた時夫に気づいた店長が、睨みつけてきた。やっぱり目をつけられている。しかし店長はすぐ視線をそらすと、厨房の扉を開けて中へ引っ込んだ。
店内は、雪絵だけになった。
もう、引き下がってなんかいられない。雪絵は、何としても助けなければならない対象なのだ。自分が一介の高校生に過ぎないとかいう事も、この際どうでもよかった。いざとなったら、警察でも何処でも行ってやる。
時夫は店の中へと入った。
「あっ……?」
ぼうっとした表情で片付けをしていた雪絵は、「いらっしゃいませ」という挨拶も忘れるほど、時夫に見入っている。
「お、おはよぅ」
時夫は小声で挨拶した。
「君の言うとおりだったよ。……昨日の夜、店長をつけたんだ。店長は人を殺してキノコ畑に埋めていた」
暗い顔つきで、雪絵はこくりと頷いた。
「ここの店長頭がおかしいよ。ブラック企業なんてレベルじゃない。イカれ和菓子屋だ。何を手伝ってるのか知らないけどさ、君もさっさと辞めた方がいいと思う」
「……えぇ。でも」
「助けてくれって言ったのは君だろ。いや、今日はおとなしく働いて、明日から来なけりゃいいんだよ。そのままフェイドアウトするんだ」
「私、住み込みなんです」
なるほど、そういう事か。だから昨日、表から出てこなかった訳だ。裏の大きな工場に、住み込み従業員専用の住居スペースがあるのかもしれない。
「でも事態は緊急を要するよ。あいつは危険だ。疑っている君に、危害を加える可能性もある。さっきの店長の態度を見ていると、僕は心配なんだ。とりあえず行くところがなければ、ウチに来れば? 実は僕、一人暮らしでさ。アパート、狭いけど部屋が二つあるんだ。警察に行くまでそこに居て、今後どうするかはそこでしばらく考えればいい。田舎に帰るなり、他の仕事を探すなり」
俺はなんて事を提案してしまったんだ。
普段の時夫なら、こんな度胸はなかっただろう。しかし、今の時夫は雪絵に夢中になって、我を忘れていた。何としても彼女を助けたい。早くこんな店からは解放してやりたいと切に願った。
雪絵はうなだれ、チラと後ろの厨房の扉を見た。
そして唇を噛んで、はにかむような笑顔で頷いた。
乙女の恥じらい! 何というかわいさ。どんなに恐ろしい事が、この恋文町で起こっていても、たとえ自分がそれに巻き込まれようとも、彼女のために力を貸すことができるという喜びには替えがたい。
夜になり、時夫は閉店時間の八時を待って、アパートを再び出ると、「白彩」を見張った。遠くで、数台の暴走族の音だけがかすかに響いている。
今夜は満月だ。異様に大きい月が地平線から上ってくる。
ポケットに両手を突っ込み、向かいの歩道から店を監視していると、ガラガラと音を立て、シャッターが下ろされた。店員たちが続々と出て行った。
しかし、閉店して十五分が経過しても、店長が出てこない。まだ残業で、あの広い工場の中で作業しているのかもしれない。それにしても、雪絵も出てこなかった。もしかして雪絵も残っているのか。手伝いというのは、ただのお店の手伝いという意味ではなく……。それとも、早く帰っただけだろうか。
勝手口から、白い作業着にカーキ色のジャンパーを羽織った、あのイカれ和菓子屋店長が出てきた。一人だった。少しほっとする。雪絵は、店にまだ残っているのかもしれない。店長は、駐車場に止めた軽トラックに乗り込んだ。トラックは走り出した。行き先は分かっている。
「人攫いをしている場所は、セントラルパークです……」
昼間の雪絵の言葉を思い出す。時夫は、自転車を転がして車を尾行した。短い距離なら、自転車は簡単に車に追いつく。
車を追って間もなく、セントラルパークに到着すると、すでに軽トラックは森の中に駐車し、店長の姿だけが消えていた。
広い公園内で、人影はジョギングコースに疎らなランナーの姿があるくらいだった。
近くの木陰に自転車を止めると、時夫は慎重に辺りを探った。白い上下を着た男の姿を捕捉する。居た、店長だ! そう思う間もなく、店長はたまたま出くわした三十代の男性ランナーの頭部へ向け、中華料理で使うような包丁をいきなり振り下ろした。
「おっ?」
時夫は声を出しかけ、あわてて両手で口をふさぐ。
ランナーは声もなく、その場にドッと倒れた。たった今時夫の目前で、白彩店長が殺人を犯した! いいや、正確にはまだ生きているのかもしれない。人攫いというより、これはもう完全に通り魔だ。
時夫は、容易に近づけなかった。
イカれ和菓子屋店長は倒れたランナーの両足を掴むと、ズルズルと軽トラックの荷台まで引きずっていった。荷台に遺体を積むと、軽トラックはセントラルパークの奥に向かって再び走り出す。
一切無駄のない職人のような動きだ。なんという手際のよさだろうか。ものの一分掛かったか、掛からないか程度だった。あの殺し方だって、一言も発せず、躊躇いなんて動作に微塵も感じられない。
殺人が、毎日の菓子製造、あるいはみじん切りでもするように、ルーティンワークの中に組み込まれている作業のやり方だ。時夫はこの眼で確かに見た。店長は、確実にルーティンワークとして人を殺している!
時夫はまず、自分の身を守らねばならなかった。
常識的な考えでは、警察を呼ぶべきだった。ところがこの時、時夫は自転車にまたがると、トラックを追っていた。トラックは、車が通るには狭いジョギングコースを徐行で進んでいる。
店長はまだ、この公園に用があるのだ、時夫にそんな勘がよぎっていた。
緑はますます濃く深くなり、少し小高く土が盛り上がった、正面入り口から見て公園の奥に、トラックは停まった。
トラックのヘッドライトが、荷台から引き摺り下ろした遺体を、ずるずると引きずっていく店長の姿を照らし出す。やがて店長は夜陰に紛れて姿が見えなくなった。
時夫は自転車を静かに止めると、音を立てないように近づいていった。
「これは……これは一体なんだ、ここは!?」
時夫は目の前の光景に唖然とした。
地面が青白く、うっすらと光り輝いていた。林の地面は、落ち葉がミルフィーユのように折り重なったフカフカの感触だった。「腐葉土」、というのだろうか。
そこに、青白く光る物体が無数に生えている。キノコだ。キノコは傘のある典型的な形状で、それらが青白く発光している。
この場所は、光るキノコの群生地だったのだ。それにしてもこの光の力強さ。こんなに沢山、床一面に光るキノコが生えた場所は見たことがない。しかもここは、山奥などではない。市街地の公園の中である。
茸の群生地は、少しも荒らされていなかった。
足場が悪く、ジョギングコースや小道から離れたこの場所は、普段誰も通らないのだろう。ひょっとすると、店長の秘密のキノコ畑かもしれない。これが、イカれ和菓子屋「白彩」店長の秘密なのだろうか。
ザクッ、ザクッ、ガシッッ……。
店長はスコップで手際よく人一人分が入る程度の穴を掘っていた。ここに死体を埋めるつもりのだろう。と、いうことはこのキノコの群生は、その下に、無数の遺体がある……という事になる。だとすると、茸たちは、死体の養分で育っていることになる!
目が、次第に闇に慣れていく。
キノコ群の青白い光が、目の前にあふれている。林の地面が、銀河を見上げたときのように青く輝く。驚くほど綺麗だった。おそらく、テニスコート一面ほどもあるスペース一面にキノコは広がっていた。
それだけではない。この発光キノコたちの表面をよく見れば、光の波が時夫の足元からキノコ畑を波打って動いているのが分かった。これは、一体何だろう。イルミネーション、いいやキノコが帯電しているように見えた!
(帯電、しているだって? そんな馬鹿な)
時夫は、目の前のキノコに目を奪われ、店長のことを一瞬忘れかけた。やはりそうだ。見た通りだ。このキノコの群生は、電気を帯びている。
「誰だッオマエ!?」
店長の手にある懐中電灯がまばゆく照らし、時夫の視界を奪った。しまった。茸に目を奪われた時夫は、つい身を隠すことを忘れていたらしい。
いきなり照らされた白い明かりに、闇になれた時夫の眼は順応せず、その場に立ち尽くした。
ジャリ、ジャリ、ジャリ。
腐葉土を踏み、キノコを避けながらライトをこちらに向けて、店長の黒い影が近づいてきた。イカれ和菓子屋の左手には、スコップが下がっている。あれで殴られたらオシマイだ。
時夫は全身が硬直し、身動き一つできなくなっていた。頭の中は戦慄と後悔と、その辺に、武器になりそうな枝でも落ちてないかという反撃への焦りで混乱している。
「ン? あぁ、あんた昼間のお客さんか?」
店長の方から声を掛けてきた。声は割と平静だった。
「あああ、あなた今、何をなさってるんですか!?」
しまった、何を言っているんだ俺。とっさの事で反応を間違えた。
「何をしてるってお前……見たのか?」
イカれ店長は怪訝な顔つきで首をかしげ、三白眼で睨みつけ、時夫の顔にライトを向けている。
「この一体はよ、この辺の住人も気味悪がって近寄らないんだ。だから俺が密かに栽培してんだよ」
あごで辺りを指し、ぶっきらぼうな言い方をする。だが、悪びれた様子もない。
「えっ。でも、ここ公園ですよね」
話題がキノコのことになっている。
「あぁそうだよ。ここの土じゃねえと、キノコ、……見ての通りの、光るキノコが育たないんだよ! 茸の人工栽培はとても難しいだ! この土地の土壌とか磁場とか、いろいろあるんだよ」
早口で凄くせっかちなしゃべり方だ。
「うちで使ってるスペシャルな砂糖作りに、ここのキノコが必要なんだ。しょうがねんだ。分かったな? こんな事誰にもしゃべんじゃねえぞ。ネットとかでな」
ここの光るキノコたちから、砂糖が出来るっていうのか。それが雪絵のいった「和四盆」か! そうだ。いやそうじゃない。問題はそこじゃない。聞きたいのはそれじゃあないッ。
こんなに光るキノコを育てるには、きっと「特別な」養分がいる。要するにそれが、人間の死体に違いない。それがこの時の時夫の結論だった。イカれ和菓子屋店長は人を殺してキノコを栽培している。トンでもない話だ。だが、ここでその事を追求するのはかなり危険だった。
どうやら店長は、時夫がキノコの光に誘われて、ここへ迷い込んでしまった近隣住人だと勘違いしているらしい。おそらく過去、たまにそういうことがあったのだろう。ぶっきらぼうに面倒くさそうな態度ながら、親切に説明してやった感が、店長の面から出ている。ここは、話をそらしたまま逃げた方がよさそうだ。
「おい、あんまり夜この辺に近づかないでくれるかな。分かったか?」
忠告はしたぞ。そんな風に、映画「アンタッチャブル」に出てきた殺し屋のような目つきで(いや、実際殺し屋だ!)イカれ店長は腕を組んで言った。
「わ、分かりましたよ」
時夫はくるりと後ろを向くと、振り向かずに自転車のところまで走り、猛スピードで光るキノコ畑から離れた。暫くの間、店長の放ったライトの光が時夫をしつこく追っていたが、それも見えなくなる。
こんな公園、さっさと出よう。ありすの薬で瞬時によくなったけど、風邪だってまだ治りかけだし。早く、暖かい布団にもぐりこみたかった。
森が開け、噴水まで出た。
満月がバッと眼に飛び込んでくる。その真下に、真夜中だというのに突然噴水が噴出し、月光を受けて光り輝いていた。噴水の音だけが静かに響いていた。
「なんだ、これは?」
噴水が月光で青白く輝いている。あの発光キノコの青白い輝きを、何倍にもしたような眩さを辺りに放っていた。そして……そこに一人のほっそりした女性が立っていた。よく見ると、白井雪絵だった。
時夫は立ち止まって、雪絵が一体ここで、こんな時間に何をしているのか様子を伺った。雪絵はこうして、毎晩この恋文セントラルパークに来ているのではないか。白彩店長と同じように、そして雪絵は脅され、店長の手伝いをさせられていると言っていたが……。
だが、雪絵は光る水しぶきを上げる噴水の前で、ただそこに立っていた。
時夫はいつ、後ろから店長のトラックが来るのではないかと、ひやひやしながら、雪絵の後姿にしばらく魅入られていた。
雪絵がゆっくりと、その細い両腕を広げていく。月光を掴むように。受け止めるような動き。すると、噴水の輝きが何倍も増したように光ったのである。
なぜ雪絵の動きとともに、光が増すのだろう? テレビで観たことがある、江戸時代の水芸を彷彿とさせた。あるいはイルミネーションのイリュージョン。雪絵は今、何をしたのだろう。確か、昼間雪絵は言った。
月の光には、特別な力がある……と。
白井雪絵はたっぷりと月光浴を堪能するように、月の光の中でうっとりとダンスを始めた。めいっぱい喜びの表情を浮かべながら。それが月からの青白いオーラを身にまとい、彼女は美しく輝いていた。
(きれいだ雪絵。君はやっぱり不思議だ)
時夫はその瞬間に確信した。
彼女は只者じゃない。いやおそらくだが、白井雪絵は、月の光を浴びて光合成している。なぜそんな発想が浮かんだのか自分でも分からなかった。
だが、この考えに時夫は妙な自信があった。それだけの説得力が目の前の光景にはあったからだ。
雪絵は毎晩、こうして月の光で光合成をしているのだ。なぜセントラルパークに来るのかは分からない。けど、さっき白彩店長が言ったこと。セントラルパークの磁場がどうだ……とか。その事と、何か関係があるのかもしれない。だとすると、だ。雪絵もまた、控えめに言って「変な存在」だという事になる。
車のエンジン音がどこかから響いてきた。それは、表通りの車なのかもしれない。
時夫の自転車は正面の噴水を避け、木々の小道を通り抜けながら公園を飛び出した。それから、一度も振り返らずにアパートの「恋文ビルヂング」まで戻った。
みさえ……ではなくて、雪絵のこと。
時夫は雪絵が気になって仕方がなかった。店長のあの様子なら、客として店に行く分には危険はないはずだ。日中、殺される訳もないだろう。
こうして時夫は翌朝も、「白彩」へと自転車を転がした。危険は重々承知の上だった。
雪絵はどうなったのだろう。昨日、退社するところを目撃しなかったが、いつの間にか夜半、セントラルパークの噴水の前に現れた。
光合成していたなんて思ったが、実際あそこに立って、一体何をしていたのか。脅されて殺人者店長の手伝いをさせられていると言うのだが、実際には踊っていた。
もしかしてその後、店長から脱しようとした彼女は、殺されてしまったなんて事はないか、などと嫌な想像をする。
「おいっ! 夜間は下げとけっていっただろ! こんなんじゃ和四盆が台無しだ。とても菓子が乾燥して食えたもんじゃねぇ。何度言ゃ分かるんだよ。もういい、全部下げろ」
店の外まで怒鳴り声が響いてくる。珍しくイカれ店長がすでに店先に出張っていたが、今日も怒鳴られている白井雪絵は、白い顔でうなだれている。気の毒だ。
だが、よかった。とりあえず彼女はまだ生きている。
仕事に厳しい職人気質からの言葉のようにも受け止められるが、殺し屋の店長は若い彼女に容赦がない。
雪絵は力なく、無言で和菓子を回収している。
店の外にいた時夫に気づいた店長が、睨みつけてきた。やっぱり目をつけられている。しかし店長はすぐ視線をそらすと、厨房の扉を開けて中へ引っ込んだ。
店内は、雪絵だけになった。
もう、引き下がってなんかいられない。雪絵は、何としても助けなければならない対象なのだ。自分が一介の高校生に過ぎないとかいう事も、この際どうでもよかった。いざとなったら、警察でも何処でも行ってやる。
時夫は店の中へと入った。
「あっ……?」
ぼうっとした表情で片付けをしていた雪絵は、「いらっしゃいませ」という挨拶も忘れるほど、時夫に見入っている。
「お、おはよぅ」
時夫は小声で挨拶した。
「君の言うとおりだったよ。……昨日の夜、店長をつけたんだ。店長は人を殺してキノコ畑に埋めていた」
暗い顔つきで、雪絵はこくりと頷いた。
「ここの店長頭がおかしいよ。ブラック企業なんてレベルじゃない。イカれ和菓子屋だ。何を手伝ってるのか知らないけどさ、君もさっさと辞めた方がいいと思う」
「……えぇ。でも」
「助けてくれって言ったのは君だろ。いや、今日はおとなしく働いて、明日から来なけりゃいいんだよ。そのままフェイドアウトするんだ」
「私、住み込みなんです」
なるほど、そういう事か。だから昨日、表から出てこなかった訳だ。裏の大きな工場に、住み込み従業員専用の住居スペースがあるのかもしれない。
「でも事態は緊急を要するよ。あいつは危険だ。疑っている君に、危害を加える可能性もある。さっきの店長の態度を見ていると、僕は心配なんだ。とりあえず行くところがなければ、ウチに来れば? 実は僕、一人暮らしでさ。アパート、狭いけど部屋が二つあるんだ。警察に行くまでそこに居て、今後どうするかはそこでしばらく考えればいい。田舎に帰るなり、他の仕事を探すなり」
俺はなんて事を提案してしまったんだ。
普段の時夫なら、こんな度胸はなかっただろう。しかし、今の時夫は雪絵に夢中になって、我を忘れていた。何としても彼女を助けたい。早くこんな店からは解放してやりたいと切に願った。
雪絵はうなだれ、チラと後ろの厨房の扉を見た。
そして唇を噛んで、はにかむような笑顔で頷いた。
乙女の恥じらい! 何というかわいさ。どんなに恐ろしい事が、この恋文町で起こっていても、たとえ自分がそれに巻き込まれようとも、彼女のために力を貸すことができるという喜びには替えがたい。