第4話 深夜の貨物線
文字数 3,630文字
夜、アパートに戻ってからも、時夫は和菓子屋娘の事が頭から離れなかった。
不思議な「宝石チップス」を食べながら、似顔絵を描いて没頭する。
風邪が治ってよかった。風邪は漢方薬に加えて、『滝行』、とか叫びながら熱めのシャワーを浴び、マイナスイオンに包まれていると、完全に退散した。
しかしネットで調べてみると、あの漢方薬に風邪を治すような薬効があるとは思えなかった。どうなっているんだろうか。
「半町半街」の薬袋を眺めつつ、しかしありすらの事ではなく、和菓子屋で見た白く美しい顔を思い浮かべた。雪絵の事だけでなく、もう一度店に行って他の菓子も食べてみたい。あの店長、態度は最悪だが菓子職人としての腕は確かだ。そういえば、旨そうな肉まんも売っていた。買うのを忘れた。
布団に入ると、世界を旅する妄想の代わりに、一日の出来事を追いかけた。今日一日でずいぶん冒険したような気がしてくる。
毎日、あの店で白井さんはあの店主に、酷い目に合っているのだろうか。そう考えると眠れなかった。布団に入って二十分後、時夫はがばっと起き上がった。
……コンビニで、おでんでも買って食べよう。確か、七十円セール中だったはずだ。
サンダルを突っかけると、時夫は自転車に乗ってT字路を左へ曲がり、小さな森の横を通り過ぎて、駅前のコンビニへと向かった。
商店街は静かで、誰も歩いていない路上で黒いフードをかぶった占い師が姿勢よく座っていた。顔は見えないがチラチラ見ると老婆ではなく、若い女性らしい。
その横を通過すると、暗い道路を何かがシュッと横切った。猫ではない。犬でもない。烏、いや違う。
それは、確かに「雉」に見えた。
一瞬、昼間見た「白彩」のショーウィンドウの菓子細工を思い出して、時夫は首を捻った。雉は、車が通る隙間を猛スピードで走っていって、セントラルパークの方へと消えた。
時夫は自転車を飛ばして追った。しかし、雉は予想以上に早かった。バイクくらいのスピードがあるのではないかという程で、もしもガチョウが走ったら、このくらいは出るのだろうかと想像した。
結局、時夫は雉を見失った。
月に、秋刀魚のような雲が三重に掛かっていた。
夜の住宅街の景色がゆがんで見えた。
……ここはどこなんだ?
自転車で、わずか五分程度しか走っていなかった。いくら、恋文町を知らないからといって、近所で迷子とか、そんな事あるわけがない。
早く、駅前からセントラルパーク横を貫いている大通りに戻らないと。
おでんだってまだ買っていない。
いくら走っても、時夫はここがどこだか分からなかった。
家・家・家・家……そして空き地、家・家・駐車場。
電柱・電柱・自販機・ゴミ捨て場・カラスの巣窟。
抜け道利用の車が時折通る。
それ以外は真っ暗。
自分と同じく自転車多し。
そして原付が追い越していく。
眼が慣れると街灯が白々と照らし、意外と明るい。
イルミネーションの家 突然パチッとするセンサーライト。
家・家・家・家……の繰り返し。
もはや迷宮、------近所のトリップ感。
「こんな、こんな馬鹿な事があるか? いいや、-----ありえん」
無気味な月の光が、町の景色をデ・キリコの「通りの神秘と憂鬱」のようなシュールレアリスム絵画の世界に変えていた。時夫は絵の中に閉じ込められたような錯覚を覚え、焦燥感に包まれた。
巨大ヤジロベエが送電線の上を走っていった。
-------もう、自分の眼が信じられない。
カンカンカンカンカン……。
電車の踏み切りの音が聞こえてくる。遠くはない。それは、非常にゆっくりとした音で、何か分からないが普通と違っている。
時夫が音のする方向へ、自転車を転がしていくと、住宅街を横切る線路があった。
ゴトゴト、ゴトゴトゴト……。
明かりを着けていない奇怪な形状の貨物列車が、実にゆっくりと通り過ぎていった。夜に迷子になって不安を感じたから、余計そう思ったのだろう。
こんな近所に、線路なんてあった記憶はなかった。
時夫が居るのは、駅とは確実に正反対の方向で、そんなに離れていないはずだ。町に越したとき、地図くらい眼を通した。
こんな近くに、別の線路の存在にも気づかなかったなんて、そんな事ありうるだろうか。このレールが、どこへ続いているのか不明だった。
いや、今夜は詮索はこの辺にしておこう。おでんを買いたかったけれど、アパートに帰る道を探さないと-----。
闇の町に、光り輝くコンビニが見えた。ちょうどいい、行ってみるか。
店名は「コンビニ・ヘヴン」。見たこともない店だ。
店内に一歩足を踏み入れると、目がつぶれそうになった。何もかもが黄金一色に染まっていた。壁も棚も、商品も、金色のパッケージのもので統一されている。
ラッキーなことに、ここでもおでん七十円セールを開催していた。
そのタイトルは「おでんタイタニック」。クルーズ船型のケースに、どれもこれも黄金に輝くおでんが並んでいた。船の後ろのデカプリオ達をかもしている人形が、わら人形に見えなくもない。
目深に帽子を被った店員の女の子の髪も、金髪だった。
店を出て自転車を走らせつつ、後ろを振り返ると、その店は確かに実在していた。
-------なんだったんだ今の店は。
おでんが冷めてしまわないうちに、時夫はもと来た道をうろついて、何とか恋文ビルヂングへと帰宅した。
やはり、五分と走らない距離だった。おかしい。
部屋の中でふたを開けてみると、黄色や茶の具材しか入っていなかったけど、特別に金色ではなかった。あの店の中だと、すべてが金色に見えたらしい。照明のせいかもしれない。
味は途方もなくうまく、迷子などどうでもよくなった。
結局、雉や線路も、風邪の後遺症のせいにして時夫は寝た。
翌日、時夫はまた「白彩」へ行ってみる事にした。
真っ先に確認しなければならない事があった。ショーウィンドウを見て、時夫はぎょっとした。ショーウィンドウの雉は、姿を消していた。脳裏に変な想像がよぎった。
(まさかな……)
今日も、白井雪絵はカウンターに立っていた。
ほっとすると同時に、何か焦りにも似た感情が沸いてきた。早く、何とかしないと。何とかして、話しかけられないものだろうか。
改めて気づいたが、店内の壁に妙な張り紙がしてある。
「私語禁止」・「香水禁止」・「ケータイ禁止」
携帯禁止は分かるとして、それ以外は客に対して、ずいぶんと厳しい店だ。
雪絵はずっとカウンターで一人だった。
奥の厨房の戸が開き、別の年配の女性従業員が和菓子を持ってきて陳列した。その瞬間、ガラッと開いた戸の向こうに垣間見た厨房の巨大さに、時夫は目を奪われた。学校の体育館ほどもある。
その広い空間は、蒸気で満たされていた。とても、和菓子の一店舗の厨房とは思えないほど巨大なパイプや、機械類が置かれている。
手前に置かれた長くて大きなまな板の上に、巨大な卵のようなものが整然と並んでいた。大きさはがちょうの卵ほどもあった。和菓子の素材で、それらを作っているらしいことが伺える。
時夫がじっと見ていると、複数並んだ卵の一つの先端が割れ始めた。そこから蛇の頭が、うねうねと飛び出した。まるでエイリアンの卵のようだ。
ま、まさか……菓子から生きた蛇が?
時夫がショーウィンドウのケースで見た、菓子細工だと思っていたものは、実は本物の生き物だったのだろうか!?
「お決まりになりましたか?」
バシンと奥の戸が閉められ、ハッとすると目の前の雪絵が、にっこりとしていた。
「えーと、えーと肉まんは、今日は品切れですか?」
時夫が今日来たもう一つの理由は、肉まんを食べることだった。けれどケースの中には肝心の商品がない。
「はい。今作っておりますので、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「そうですか。ではあの、ひとつお願いがあるんですけど……」
「はい」
「デリバリーって出来ますか? ずうずうしいお願いなんですが、俺、人を待ってないといけないんです。スマフォを忘れてしまって。セントラルパークの噴水で待ってますから、あのぅ届けてくれませんか。今日はどうしてもその人と会わないといけないんです。それで、ここの肉まんを渡すことになっていて……」
自分でも驚くほどの勇気が出た。無論、時夫は誰も待ってはいない。
何故、そんな創作話をベラベラとしてしまったのか自分でも分からなかった。デリバリーはやっていないらしいが、白井雪絵は少し驚いた顔で沈黙した後に、
「かしこまりました。店主に確認してみます」
と静かに微笑んだ。
意外にも許可が出たらしく、時夫はまさに天にも昇るような気持ちで、店を出た。
不思議な「宝石チップス」を食べながら、似顔絵を描いて没頭する。
風邪が治ってよかった。風邪は漢方薬に加えて、『滝行』、とか叫びながら熱めのシャワーを浴び、マイナスイオンに包まれていると、完全に退散した。
しかしネットで調べてみると、あの漢方薬に風邪を治すような薬効があるとは思えなかった。どうなっているんだろうか。
「半町半街」の薬袋を眺めつつ、しかしありすらの事ではなく、和菓子屋で見た白く美しい顔を思い浮かべた。雪絵の事だけでなく、もう一度店に行って他の菓子も食べてみたい。あの店長、態度は最悪だが菓子職人としての腕は確かだ。そういえば、旨そうな肉まんも売っていた。買うのを忘れた。
布団に入ると、世界を旅する妄想の代わりに、一日の出来事を追いかけた。今日一日でずいぶん冒険したような気がしてくる。
毎日、あの店で白井さんはあの店主に、酷い目に合っているのだろうか。そう考えると眠れなかった。布団に入って二十分後、時夫はがばっと起き上がった。
……コンビニで、おでんでも買って食べよう。確か、七十円セール中だったはずだ。
サンダルを突っかけると、時夫は自転車に乗ってT字路を左へ曲がり、小さな森の横を通り過ぎて、駅前のコンビニへと向かった。
商店街は静かで、誰も歩いていない路上で黒いフードをかぶった占い師が姿勢よく座っていた。顔は見えないがチラチラ見ると老婆ではなく、若い女性らしい。
その横を通過すると、暗い道路を何かがシュッと横切った。猫ではない。犬でもない。烏、いや違う。
それは、確かに「雉」に見えた。
一瞬、昼間見た「白彩」のショーウィンドウの菓子細工を思い出して、時夫は首を捻った。雉は、車が通る隙間を猛スピードで走っていって、セントラルパークの方へと消えた。
時夫は自転車を飛ばして追った。しかし、雉は予想以上に早かった。バイクくらいのスピードがあるのではないかという程で、もしもガチョウが走ったら、このくらいは出るのだろうかと想像した。
結局、時夫は雉を見失った。
月に、秋刀魚のような雲が三重に掛かっていた。
夜の住宅街の景色がゆがんで見えた。
……ここはどこなんだ?
自転車で、わずか五分程度しか走っていなかった。いくら、恋文町を知らないからといって、近所で迷子とか、そんな事あるわけがない。
早く、駅前からセントラルパーク横を貫いている大通りに戻らないと。
おでんだってまだ買っていない。
いくら走っても、時夫はここがどこだか分からなかった。
家・家・家・家……そして空き地、家・家・駐車場。
電柱・電柱・自販機・ゴミ捨て場・カラスの巣窟。
抜け道利用の車が時折通る。
それ以外は真っ暗。
自分と同じく自転車多し。
そして原付が追い越していく。
眼が慣れると街灯が白々と照らし、意外と明るい。
イルミネーションの家 突然パチッとするセンサーライト。
家・家・家・家……の繰り返し。
もはや迷宮、------近所のトリップ感。
「こんな、こんな馬鹿な事があるか? いいや、-----ありえん」
無気味な月の光が、町の景色をデ・キリコの「通りの神秘と憂鬱」のようなシュールレアリスム絵画の世界に変えていた。時夫は絵の中に閉じ込められたような錯覚を覚え、焦燥感に包まれた。
巨大ヤジロベエが送電線の上を走っていった。
-------もう、自分の眼が信じられない。
カンカンカンカンカン……。
電車の踏み切りの音が聞こえてくる。遠くはない。それは、非常にゆっくりとした音で、何か分からないが普通と違っている。
時夫が音のする方向へ、自転車を転がしていくと、住宅街を横切る線路があった。
ゴトゴト、ゴトゴトゴト……。
明かりを着けていない奇怪な形状の貨物列車が、実にゆっくりと通り過ぎていった。夜に迷子になって不安を感じたから、余計そう思ったのだろう。
こんな近所に、線路なんてあった記憶はなかった。
時夫が居るのは、駅とは確実に正反対の方向で、そんなに離れていないはずだ。町に越したとき、地図くらい眼を通した。
こんな近くに、別の線路の存在にも気づかなかったなんて、そんな事ありうるだろうか。このレールが、どこへ続いているのか不明だった。
いや、今夜は詮索はこの辺にしておこう。おでんを買いたかったけれど、アパートに帰る道を探さないと-----。
闇の町に、光り輝くコンビニが見えた。ちょうどいい、行ってみるか。
店名は「コンビニ・ヘヴン」。見たこともない店だ。
店内に一歩足を踏み入れると、目がつぶれそうになった。何もかもが黄金一色に染まっていた。壁も棚も、商品も、金色のパッケージのもので統一されている。
ラッキーなことに、ここでもおでん七十円セールを開催していた。
そのタイトルは「おでんタイタニック」。クルーズ船型のケースに、どれもこれも黄金に輝くおでんが並んでいた。船の後ろのデカプリオ達をかもしている人形が、わら人形に見えなくもない。
目深に帽子を被った店員の女の子の髪も、金髪だった。
店を出て自転車を走らせつつ、後ろを振り返ると、その店は確かに実在していた。
-------なんだったんだ今の店は。
おでんが冷めてしまわないうちに、時夫はもと来た道をうろついて、何とか恋文ビルヂングへと帰宅した。
やはり、五分と走らない距離だった。おかしい。
部屋の中でふたを開けてみると、黄色や茶の具材しか入っていなかったけど、特別に金色ではなかった。あの店の中だと、すべてが金色に見えたらしい。照明のせいかもしれない。
味は途方もなくうまく、迷子などどうでもよくなった。
結局、雉や線路も、風邪の後遺症のせいにして時夫は寝た。
翌日、時夫はまた「白彩」へ行ってみる事にした。
真っ先に確認しなければならない事があった。ショーウィンドウを見て、時夫はぎょっとした。ショーウィンドウの雉は、姿を消していた。脳裏に変な想像がよぎった。
(まさかな……)
今日も、白井雪絵はカウンターに立っていた。
ほっとすると同時に、何か焦りにも似た感情が沸いてきた。早く、何とかしないと。何とかして、話しかけられないものだろうか。
改めて気づいたが、店内の壁に妙な張り紙がしてある。
「私語禁止」・「香水禁止」・「ケータイ禁止」
携帯禁止は分かるとして、それ以外は客に対して、ずいぶんと厳しい店だ。
雪絵はずっとカウンターで一人だった。
奥の厨房の戸が開き、別の年配の女性従業員が和菓子を持ってきて陳列した。その瞬間、ガラッと開いた戸の向こうに垣間見た厨房の巨大さに、時夫は目を奪われた。学校の体育館ほどもある。
その広い空間は、蒸気で満たされていた。とても、和菓子の一店舗の厨房とは思えないほど巨大なパイプや、機械類が置かれている。
手前に置かれた長くて大きなまな板の上に、巨大な卵のようなものが整然と並んでいた。大きさはがちょうの卵ほどもあった。和菓子の素材で、それらを作っているらしいことが伺える。
時夫がじっと見ていると、複数並んだ卵の一つの先端が割れ始めた。そこから蛇の頭が、うねうねと飛び出した。まるでエイリアンの卵のようだ。
ま、まさか……菓子から生きた蛇が?
時夫がショーウィンドウのケースで見た、菓子細工だと思っていたものは、実は本物の生き物だったのだろうか!?
「お決まりになりましたか?」
バシンと奥の戸が閉められ、ハッとすると目の前の雪絵が、にっこりとしていた。
「えーと、えーと肉まんは、今日は品切れですか?」
時夫が今日来たもう一つの理由は、肉まんを食べることだった。けれどケースの中には肝心の商品がない。
「はい。今作っておりますので、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「そうですか。ではあの、ひとつお願いがあるんですけど……」
「はい」
「デリバリーって出来ますか? ずうずうしいお願いなんですが、俺、人を待ってないといけないんです。スマフォを忘れてしまって。セントラルパークの噴水で待ってますから、あのぅ届けてくれませんか。今日はどうしてもその人と会わないといけないんです。それで、ここの肉まんを渡すことになっていて……」
自分でも驚くほどの勇気が出た。無論、時夫は誰も待ってはいない。
何故、そんな創作話をベラベラとしてしまったのか自分でも分からなかった。デリバリーはやっていないらしいが、白井雪絵は少し驚いた顔で沈黙した後に、
「かしこまりました。店主に確認してみます」
と静かに微笑んだ。
意外にも許可が出たらしく、時夫はまさに天にも昇るような気持ちで、店を出た。