第78話 魔法使いサリーちゃん 女王の恋の魔法

文字数 4,872文字

新屋敷(あらやしき)

 セントラルパークの池や、恋文町中のマンホールから、蜂人たちがドーッと羽音を立てて沸いて出ていった。恋文町の路地という路地が、蜂人という蜂人で溢れ返っていく。
 地上に出てきた真灯蛾サリーは得意の釣りで、まず最初に小池のコッシーを釣り上げた。
 ぬめっとした体長二メートルになりなんとする、小池のコッシーの正体は、今は破壊されている白彩の用意したこしあんの鯉だった。ショゴロースのこしあんは、女王の好物だ。つまり、「恋」を食べるという意味論だ。
 公園の枯れ木に、大きな蜘蛛の糸。
 そこに風で、オレンジ色のもじみがどんどんくっ着いていく。やがて、赤い着物が形作られていった。そのもみじの隙間から、木漏れ日の日光がキラキラと輝いている。
 それは、赤い和服の真灯蛾サリーの新しいドレス、いいや着物だった。
 カリフォルニアの空っ風が吹く恋文町を、赤い着物を着たサリーが、蜂人をずらりと従えて歩いてゆく。
 サリーは電柱たちを眺めた。
「はぁー、素晴しいワ。住宅街に整然と立ち並ぶ立派な電柱たち! 日本の空から電線を無くそうなんて、なんで無粋な考えなの? これが完璧な美しさなのよ。私は地上の女王になって、この機能美を絶対に守る」
 電柱愛。
 誰に省みられることなく、時に疎ましがられ、でかい面して住宅街に堂々と林立する奴ら。そこにサリーは価値を見出した。
 サリーが進むと、左右の電柱たちが一斉に頭を下げた。
 白彩工場は徹底的に破壊され、他の地下基地も、ありす達によって同様に壊されているはずだった。……はずなのだが、白彩が最後に作っていた新宮殿、それが改装中の「恋文はわい」であった。
 新しい名は、「新屋敷」(あらやしき)。
 地下の古城や、白彩本陣は女王サリーにとって今や不要となった。かつて白彩が新基地としてコツコツと恋文はわい跡に増築していたものが、完成していたからである。そこは風呂好きのサリー女王が、すぐ温泉に浸かることもできる便利な立地。
 たとえ、白彩工場の集合的蒸し器をありす達に破壊されても、ここさえあれば大丈夫。それくらいに重要な大宮殿で、かつての恋文はわいの面影はほとんど残っていない。
 古城ありすらが、あくせくと地下帝国を彷徨っている間に、サリー女王は堂々と地上の新宮殿に入城していった。
 蜂人たちが左右に整列するランウェイの中を、さっそうと歩く女王は、ムーンストーンを右手にかざして、水がめの水をそこへ垂らした。
 床に置かれたたらいが水を受け、水の王冠が生じると、瞬間的に凍り付いた。それは、ムーンストーンの中に封じ込まれた、氷の女王・白井雪絵の能力によるものだった。
 その氷の王冠を、女王は自らの手で掬い上げると、自身の頭の上に載せた。これは地下の女王から、地上の女王となったことを意味する戴冠式であった。
 さっそく和風の大宴会場に入った女王は、シロワニの刺身(お頭つき)を食べた。恋文はわいの池の鮫は、この時のために飼われていたに他ならない。なお、鮫の白身は実は美味い。
「ン?」
 サリーは刺身の中から、箸で青い石を摘み上げた。それは、以前シロワニが金沢時夫たちを襲った際に食った、インジゴライトのトルマリンだった。
「フフ……」
 しかし、大食の女王の腹はそれで収まらない。鮫の刺身に、少し飽きが来たというのもあるが、次に出されたフルコースのメニューは以下の通りである。

 ガリ・お酢・トロの白飯=つまりトロ寿司。
 ルー・パン・酸性=トマトカレーのカレーパン。
 自然薯大好き=トロロかけご飯。
 美味しい皮×5・えぇモン=焼き鳥の皮(串に五つ)。
 ミネストローネ・フジッコ=たっぷりお豆のミネストローネ。
 銭型凸餡=銭の形の饅頭(デザート)。
 蔵入り酢=長年熟成された酢のビネガー・サワードリンク。

 外観が宮崎アニメ「ルパン三世・カリオストロの城」の城と、和風建築と折衷した風情を持つ、「新屋敷」を飾るに相応しいコース料理だった。
 その料理を作った人物はこの城の総支配人にして、苦みばしった和装姿の大柄な年配の男だった。その名も、カイバラストロロ湯山。
「さぁ、世界を、今一度砂糖に変えておしまい!」
 女王はムーンストーンを右手に持って、高々とかざした。左手で工藤静香の「嵐の予感」の手の仕草を、ピッピッピッとすばやく繰り返す。ウンベルトA子の影響で始めたこの技、地下で引きこもっていた頃からの予習は完璧だ。
 新屋敷の煙突から、新たな煙が出てきた。水飴の雨は瞬間冷凍され、今度は雪へと変わっている。白砂糖の粉雪。それは次第に吹雪に変化した。
 どんどんと降り積もる綿菓子の吹雪。恋文町に、綿菓子が降って来た。さらにサラサラとした白砂糖の粉雪が、その間隙を埋めた。この作業を速く推し進めないと、蜂人たちが地上の環境に適応できないままに、死んでしまうのだ。

     *

 ピピピピピピピピ……。
 ガチャ!

 地上の自販機に直結した地下エレベータから、ジュースを路上に転がしながら地上へ出てきたありす達は、一変した恋文町の様子を見てびっくりした。
 気温の低下に伴い、雪は綿菓子となっている。雲も棉飴だが、それが地上に降り積もる感じだ。
「イデッ!」
 雪の中に何かが混ざっている。水飴の雨が凝固して、金平糖が降っている。もう少し大きいのも降って来た。それは、雹の飴玉だった。
「おかしい、------白彩を破壊したはずなのに」
 あれほどの設備と煙突を持ったものが、この町にあっただろうか。カシラも居ない。
「鈴木A人の南カリフォルニア感、一体何処行った?」
 あれほどの激闘の成果が、あっという間に元通り……。
 短い間の環境の激変に、戸惑うしかない。
 さらに雪は変化して、アルファベットの形のお菓子が降ってきた。それは地面に文字で言葉を書いた。

 KU RO GO SU ALICE GO KU RO U SAN

 黒ゴスありすごくろうさん。
「女王のメッセージだ」
「しかし……陽動にかかっただけとは」
「いいのよ。最後につじつまが合ってさえいれば」
 ありすは堂々と言った。
 ……合うのかヨ? 本当に。
 時夫は辺りを見回した。
「白彩じゃないとすれば……オイ皆見ろ、恋文はわいの煙突から煙が出ているゼ!」
「あ! 恋文はわいが……物凄く豪華な神殿になってる。モーイヤ!」
 ありすは頭を抱えた。カシラは地下の最終兵器じゃなかったって訳だ。サリー女王には、まだとっておきがあったらしい。
 雪飴の中、蜂人が町を闊歩していた。……そうだ。このために彼らは再度、砂糖の雪を降らせている。
「俺たち、白彩を破壊してカシラを打倒して一安心していた。やっぱしまんまと地下勢力の陽動に引っかかっただけじゃないのか?」
「くそ、戦術的に勝っても戦略的には負けてるのよね。……いつもいつも」
 毎度毎度繰り返されている。
「くくく……くそう。サリーめッ!」
 その可能性には、地下の古城に入った際に気づいていたありすだったが、正直なところ、認めたくはなかった。
「ヤツはおそらく恋文はわいに、人質たちをごっそり移動させたわね。もう、行くしかないか! この町の人質を解放するためにも」
 今度は恋文はわいで決戦か。
 遂に恋文町に出てきた真灯蛾サリーに、この町を好きなようにさせる訳にはいかない。だが、敵とてこれまでのようではないはずだ。
 恋文はわいでは、今まで以上に強力な反撃法で待ち受けているに違いない。こうして俺達の戦いは、延々と続いていくのである……。
「雪絵……絶対に敵は取る」
 これまで時夫は、伊都川みさえ似の白井雪絵を、会えないみさえの代わりとして愛し、助けてきた。そして雪絵もまた、時夫を愛そうと努めた。だが、地震で死んだと聞いていたはずの伊都川みさえから突然、メールが来た。
 今考えれば、町に閉じ込められた時夫にとって、みさえは唯一の外部との通信手段だった。
 みさえは、時夫がいつ東京に帰ってくるのかと尋ねてきた。しかし、時夫に恋文町を脱出する手立てはなかった。
 本物のみさえの存在を知った瞬間、雪絵は自分が、菓子細工、スイーツドールであるという現実と直面し、時夫が自分を離れて、本物のみさえの元へ行ってしまうと思い、世をはかなんだ。
「自分なんか、時夫さんには要らない存在だったんだ」
 そうして雪絵は失踪し、フランスパン屋の店先で、単なる菓子細工に一生懸命戻ろうとしていた。
 時夫は雪絵を哀れに思った。
 かわいそうな雪絵は、ありすによると、時夫の存在によって人間化が進み、この恋文町にとって、そして地下帝国にとって極めて重要な存在と化していったのだ。
 白井雪絵を助け、逃げ続けた結果として、二人の愛、絆は一層進んだ。雪絵の人間化は地下帝国の予想をも超えていた。そして、一旦人間に近づいた雪絵は、もうモノには戻れない。
 だが数々の闘いを経て、白井雪絵は女王の手に入り、今やロイヤルゼリーとしてのその力を手に入れたサリー女王は、地上に存在している。時夫のこれまでの努力は無に帰し、あとは女王に対する復讐心だけに突き動かされていた。
 今度こそ、最終決戦地となるはずの「恋文はわい」。もとい、看板をよく確認すると「新屋敷」とあった。
「なるほど……これは、新しい意味論だわ。新屋敷(あらやしき)、つまり阿頼耶識(あらやしき)。仏教で、集合的無意識と同じ意味を持つ唯識の段階。そのお陰で、白彩工場にあった『集合的蒸器』に代わるこの町の意味論製造機が、この中に出来上っているって訳!」
 「新屋敷」と名を変えた恋文はわいを、蜂人の衛兵が守っていた。建物は和洋折衷建築で、高さは有に以前の三倍以上あった。
 突如恋文町に出来た摩天楼。そこに巨大な六角形に蜂の頭のマークが、堂々とネオン光を放っていた。新装開店を祝う豪華な花輪が、十以上設置されている。
「フザケンじゃねーわよ!」
 ありすはドレスからスプレー缶を取り出してカシャカシャ振ると、壁に「バカ」と大きく落書きした。
「ありす……そのスプレー、いつもドレスの中に持ち歩いてんのか?」
「……た、たまたまよ」
「先陣は俺に任せてくれないか……。よくも雪絵を。よくもよくも------」
 時夫は誘導棒ライトセーバーを抜いて、単身突入していった。
 普段は冷静というか冷笑的なのに、時夫は雪絵のことになると、後先考えない熱血漢になることを、ありすすら気づいていながら、いつも止められないでいる。
「またっ。金時君、なんて猪突猛進なヤツなの? なんちゃって科術師のクセに」
 確かにオレはなんちゃって科術師だ。でもいつか俺は、みんなの役に立つ科術師になれるのだ。そう信じてずっと、戦ってきた。今日こそ、今日こそ俺は……!
 案の定、時夫と彼を追いかけたありす達は、敷地に入った途端、大量の蜂人に取り囲まれた。果たして衛兵の蜂人の持つ槍で、時夫の「ライトセーバー」は宙を舞った。いくらライトセーバー化が叶っても、剣戟を習得した訳ではない。
 ヤラレタ……もうダメだ。俺は死ぬ。
「いつまで路上にキスしてんのよ?」
 ありすは、時夫が死んでないことを匂いで嗅ぎ取ったらしい。
「あっ」
 蜂人に取り囲まれた時夫は、瞬く間に女王に拿捕された。
「地上のあたしの城へ、ようこそ古城ありす。そして、時夫さん」
 赤い着物を着て、氷の王冠を戴いた真灯蛾サリーが笑っていた。
「もう私はリザンデラじゃない-------」
 サリーは地中の花リサンデラから、遂に地上の女王となったのだ。そのレーザーのような視線は、人を射すくめさせる。
「いよいよ決着ね」
 ありすは黒曜石の瞳でにらみつけた。
 吹雪となった綿菓子の雪が吹きすさぶ中、二人の最後の対決の瞬間が訪れようとしていた。
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