第64話 私の、サイコな友達

文字数 6,286文字

 宇宙を構成している質量のうち、我々が知っているのはたったの4%だ。
 見えている物質宇宙が4%。
 残りの96%のうち、23%がダークマター、
 73%がダークエネルギーである。
 ダークマターはまだ解明されていない素粒子。
 ダークエネルギーについては何一つ分かっていない。
 要するに我々は何も知らないのと同義なのだ。
 だが、96%もの未知の世界が宇宙という存在をあらしめ、
 動かし、今この瞬間も宇宙を膨張させ、進化させ続けている……
 おそらくそれは確かなことである。
 しかし、我々はひょっとするとそれを別の形で
 ずっと前から「知っていた」のかもしれない。
 人間はそれを昔から、「あの世」と呼んだ。
 あるいは、「霊界」と呼んでいた……。
 そしてそっちの世界に行ってしまうことを、「神隠し」といった。
 そしてこの恋文町の住民もまた、一人残らず神隠しに遭ってしまったのだ。

 ………………

「食べちゃいたいくらいだ」
「食べていいですよ」
「……え?」
「だから私、おかしだもん。食べていいですよ」

 ………………

「ん? どうしたんですか? そんな顔で観て」
 隣にいる妻が訊いた。目が覚めるとベッドの上だ。朝日が差し込んでいる。
「……あれ? いや」
 ……夢だった。
 そうか。恋文町であんなことがあったのは高校一年の頃だ。
 俺はハタチで結婚した。結婚して五年が経つ。
 ……あれから、もう十年か。

 ハッと目が覚め、時夫は上体を起こした。全身に汗をかいている。
 必死に、今がいつなのか考える。思い出した。
 ここは恋文ビルヂング102号室。俺の部屋だ。俺は結婚などしていないし、まだ高校一年に過ぎない。またしても、夢だったのか!
 ……夢の中で、俺は誰かと結婚していた。真横に、「妻」の顔があった。だがそれが誰なのか、俺には全く印象が残っていない。……あれは、一体誰だったんだ?

 昨晩10時過ぎのこと。
 アパートの上の階に、J隊の小林店長が戻っているかもしれないから、カツ丼でも作ってもらおうか、と石川ウーが言った。
 あー、またわずらわしいことに巻き込まれたくないと、珍しく古城ありすが答えた。
 今夜はもう遅い。かといってほっこり弁当でさえ、今から外へ買いに出るのが心理的にわずらわしかった。もう外に出たくない。
 ならいつもポストに入っているチラシの「美味(おい)システム」で、出前を取ろうと金沢時夫は提案した。
 出前はすぐに来た。
 ありすはサンラータンが好き、雪絵はたんめんが好物だ。そしてウーは淡々麺、時夫は普通のしょうゆラーメンを選んだ。
 あぁ美味しい。
 食べてる最中、皆疲れてほとんど無言だった。
 食べ終わると、その日は一階の、それぞれの部屋へと別れて爆睡した。
 何せ大家の謎の計らいで、一階の部屋全てが時夫の部屋なのである。だから、気兼ねなく四人で四部屋を占領できたのはありがたかった。
 そして夜が明けた。
 時夫は自室の102号室でまどろみ続けていた。夢の衝撃がまだ続いている。
 朝日がカーテンの隙間から差し込む中、石川ウーの叫び声で四人はほぼ同時に起きた。やれやれ、恋文町に戻ってきてもうこれか。
 平穏な日々はいつ戻ってくる? そういや……この町が次元の異なる霊界であることをありすがほのめかしていたことを思い出し、時夫は瞬く間に嫌な気分を呼び覚まされた。
 昨日俺達は、恋文町から出られなかったのだ。もう、鎌倉で鳩サブレーは一生食えないのか。
 ……ともかく、ウーの様子を見に行かなくてはならない。
 ウーは確か104号室、隣の隣部屋に寝ていたはずだった。
 三人が104号室に集まると、ウーが部屋の壁を観て驚いている。
 その壁に、ウサメンからの手紙が貼り付けられていた。
 ウサメン、それは石川ウーの元カレだ。ウーはわなわなと震えながら手紙を手に取った。

『愛する僕の石川卯。君たちが西へ西へと旅立った直後のこと。僕はようやく地上へ戻ってこれた。だけどもう出ないといけない。そうでなきゃ、恋文町が取り返しのつかないことになる。僕は何度も何度も失敗しているが、今度こそは成し遂げる。……すまない。いつかきっと全てを話す』

「マズルの字だわ」
 佐藤マズルと記名されていた。確かに生きている!
「どっから出てきたんだ?」
 時夫が訊いた。
 前に街中で、その名前「佐藤マズル」と記された電柱があるのを皆で確認した。真灯蛾サリーに逆らい、電柱処刑を施されたのだ。
「たぶん地下からね。どうにかして電柱から元の姿に戻り、一旦は地下へ行って、それから出てきたんでしょうね」
 ありすがウーの代わりに答える。
「なんで直接言ってくれないのよモウ!」
「昨日は? 壁にあったの」
 ありすは、とりあえず状況を整理しようとする。
「わかんない。……めちゃくちゃ眠くて壁なんか見なかった」
 きっとこれは、昨日戻ってきたときから貼ってあったのだろう。
 と、すると四人が西部から帰宅する前に、ここへ来たことになる。手紙に書かれていたことは正しいのだろう。

 午前九時。
 ウーはウサメンことマズルに対してぶつくさ言いながらも、鍋を作った。
 鍋の内容は、あるだけの具材を放り込んだラーメン・牛肉・納豆・肉まん・歌舞伎揚げ・チーズ・パイナップルetcと、「明るいのに闇鍋」レベル。いいや、闇鍋ならまだ分かる。
 でも、断りもなしに昼間に作るのだから疑問符が残る。だからそれをありすは「ウーのサイコスープ」と呼んだ。
「おい、大丈夫なんだろうな?」
 時夫は警戒心バリバリでのぞき込む。
「この目が信じられないの?」
 そんな三日月みたいな目で。信じられるかっ!
 「普段忘れている部屋」に始めて入った時とは違い、ウーはどうもメンドくさくなるとこうなるらしい。だが、実食すると芳醇な味が出ているのは何故だろう。
 「最高スープ」の間違いだというウー作成の鍋を食べながら、話題は必然的にこの世界についてのことになった。
 そもそも金沢時夫は、なぜ恋文町を出られなくなったのか。
 不思議探偵・古城ありすが口火を切った。
「これまでの状況を整理しよう。君が近所の散歩をしたのがこの世界に入ったきっかけだった。君が、普段のようにコンビニとレンタル屋とドラッグ・ストアを行き来するだけの生活だったら、決して『不思議の国』には入り込まなかった。それでも、あたしと会った時点では、まだ元の生活に戻って来れた。だから、初めて会った時に暗に警告したでしょ」
「最初はまさか、こんなことになるなんて予想もつかなかった。ウーと出会って、風邪薬を求めて『半町半街』を教えられたけど、一見して何の変哲もない古い家屋みたいだったし。そしたら風邪引いたありすが、『ニン!』とか言いながら障子引いて出てくるしさ」
「『ニン!』とか言ってません、あたし」
 ウーがケラケラ笑っている。
「でも、金時君は雪絵さんと行動を共にしてしまったことで、不思議の国現象に掴まった」
「……ごめんなさい」
 雪絵はうな垂れる。
「いや、君が謝らなくていい。俺が勝手に白彩に行っただけだし」
 雪絵に時夫を巻き込もうという悪気はない。そして雪絵にとっては、時夫との出会いこそが光明の始まりだったのだ。
「そう。雪絵さんは悪くない。ともかく、金時君はこの世界から出られず、かつ雪絵さんを助けたことで女王に狙われ、もう二度と抜け出せなくなっていた。あたしとウーは、外から不思議現象の中に入ってきた君の世話を焼き、助けなければならなかった」
 もっともウーは、破天荒すぎる行動によって、ありすと時夫の手を焼くことになった訳だが。その結果二人は地下へ降りることになり、女王とひと悶着あった末、地上へ戻ってきたときには、恋文町はすっかり魔学の箱庭と化していた。
 四人は地下の陽動に引っかかった訳だが、その後、一箇所一箇所敵基地に攻撃を仕掛け、最終的に「ぷらんで~と恋武」のタイムドームレストランの破壊に成功した。
 恋文町の箱庭化を仕掛けていた黒水晶の魔学は解除され、時夫は今度こそ町を脱出できるはずだった。
 だが、東西南北の脱出を試みて、四人が恋文町の外で見たものは、これまでの不思議現象を吹っ飛ばすような気候変動、地形の変化、そして時空の混乱だった。
「恋文町の外の異変の原因は何だったんだ? いくら不思議現象っていったって物理法則に逆らいすぎだろう」
 あれは、どう考えても意味論の度を越えている。
「昨日説明したでしょ」
「神隠しか? 俺達がもう死んでるって件?」
「そう。それしか考えられない。世間から見ると、町ひとつが消えてしまっている。だからあたし達は出られなかった。もうここは地上界じゃない。四方の脱出を試みて、いろいろやって現世ではないことに私は気づいた」
 最初に時夫が脱出しようとし、失敗した時とは状況が明らかに違っているのだ。
「実際には大地震があって、あたし達は死んだのか神隠しに遭ったのか、霊界に閉じ込められてしまった」
「で、戻ってきたはいいけどさ-----。まだ何の真相も分かってないぜ。この街の謎だって完全に解明していない」
 時夫はふと、町中にある謎の貨物線の存在を思い出した。
 あれは最初に迷子になった時、深夜に偶然発見したものだ。あの時以来見ていない。その正体は未だ掴めていなかった。
「いいや、君のアパートが一番謎だよ」
 ありすの真顔が正面にあった。
「え? ……オレの?」
 恋文ビルヂングの二階が、ダークスター国との軍事境界線になっていたのは確かだが、ありすはそれ以外のことを言っているらしい。
「一階よ。102号室の右の戸」
 話題は、時夫の隣部屋101号室に集約された。
「あぁ、開かずの部屋のことか。そういやぁ、大家さんに聞きそびれたな。もしかすると、倉庫かもな」
「いいえ、地下世界への入口よ」
「へぁ? このアパートに? そんな馬鹿な」
「ウーの彼氏、マズルはそこから出てきたのよ」
「なな、何ですって?」
 ウーがびっくりして箸を止める。
 「何の変哲もない」はずの恋文ビルヂングには、一階に普段時夫が忘れている部屋が存在した。それらの部屋は全部、時夫の部屋だった。
 二階はJ隊とダークスター国の軍事境界線だった。でもそれだけで終わらなかった。
 結局のところ、この恋文町で最後に解かねばならなかった「謎」とは、恋文ビルヂングに他ならない。俺ん家(オレンチ)・コード」を解かねばならないのだ! そういうことなのだろうか……。もはや逃げることは許されない。
「お水もらえる? ……いや、水でいい」
 ありすは、手元のペットボトルが空になったので水道水を汲んだ。
「千葉の水道水も美味しくなったわよねー」
「あぁ……昔は手賀沼の水質がワースト1だったんだよな」
「よく知ってるね。その通り。今は大分改善してるけど……。この辺の水源は利根川だと思うけど、カルキで消毒しすぎても、それ自体毒だし、臭くて美味しくない。水質が良くなって、以前よりはカルキ臭も減ってる」
 ありすはカルキを抜くために、ペットボトルの中にビタミンC入りの飴を入れた。
「茸も煮えたわよ」
 ウーが菜ばしで、一つまみした茶色の茸はよくしなっている。
「何の茸?」
 時夫は取り分けられた茸を見下ろしてウーに訊いた。
「精力のつく茸だよ。どんなストレスも跳ね返す」
 ……答えになってないような気がする。
「ウヒヒヒヒ……」
 唐突にありすが笑った。ぎょっとして見ている隣の雪絵が、
「アハハハハハ」
 と笑い出した。
「な、何がおかしい? フッ……フフフフ、ヘヘヘヘヘ……」
 しまった呑み込んでしまった、と時夫は思ったが時すでに遅し。
「ゴメン、間違えた。ワライタケだった。ハハハ、ハハハハハハー!」
「アッハッハッハッハッハ! アーッハッハッハッハァ……」
 ありすは、一度回路が繋がると笑いが止まらなくなる笑い上戸だ。
「ウヒヒ、ウヒヒヒヒ」
「ゲラゲラゲラ」
「ギャッハッハッハッハッハ!」
 この鍋がウーの「サイコスープ」であるという事実に、改めて直面した四人だった(ウー自身も含む←善い子は真似しないでね)。
 「不思議の国のアリス」にも、ベニテングダケという毒きのこが登場するが、それをアリスが食べると、身体が大きくなったり小さくなったりするのだ。
「あんたそれ違法じゃないのよアッハッハッハ!」
「そーだね。エッヘッヘッヘ」
「ちょっと見せなさいよウッフッフッフ……」
 ありすは茸を一本手にした。
「あれ? 普通のしいたけだ……ハッハッハッハ!」
「どーいうことだよ? ヘッヘッヘッヘッ!」
 時夫は笑いながらいぶかしがる。
 ありすは笑いで定まらない手で、懐から「女王連プロポリス解毒湯」を取り出すとスープに投げ込んだ。皆に飲むように促すと、笑いは収まった。
「闇鍋で意味論の化学変化が起こったんだ。あやうく恋文交番に踏み込まれるところよ」
 いつも通りのありすの意味論解説によると、闇鍋の中で、いろいろな意味論が混ざり合って、ワライタケではないのに偶然笑う意味論を持つ茸になったらしい。鍋くらい安心して食わせろよ。(この後、安全になった鍋は全員で美味しく頂きました)
「よいしょっと! 冗談はこの辺にして、さっそく右の隣部屋を見てみましょ」
 四人は食事を片付けると、101号室の戸の前に立った。食後の板チョコを齧る古城ありすが率先して、玄関のドアノブを捻った。
「……開かないわね。案の定か」
「で、なぜここが地下への入り口だと?」
 時夫は腕を組んで戸を睨む。
「いい? 偶然はないのよ。あなたが、この町へ来たのもきっと必然だから。いや、蓋然よ。そしてこの奇妙なアパート、恋文ビルヂングを選んだ。一階の部屋が全部君のものだってのも変だし、二階はもっと変よ。で、最後に残った101号室は何なのかっていうと?」
 つまり、時夫は冬休みにたまたま不思議の国に入り込んだ訳ではなく、そもそもの日常生活が危ういバランスの上に成り立っていたということである。
「小林店長は何か知ってるんだろうか? というか、大家に訊けば」
「どーかしら。上行って訊いてみる?」
 念のため二階に上がると、上の階は丸々J隊の本部と化していた。
 小林店長は「北部の雪解け作戦」で北に出入りし、忙しいらしいが現在は居なかった。フードトラックは北の奥地でエイティーズ洋楽を掛けて、せっせと雪と氷を溶かしているらしい。そこに家主の姿はなかった。
 隊員によると、白井雪絵の件で店長に首にされたということだが、どこへ行ったのかは分からないという。
 どっちにしても霊界に囚われているのは彼らも同じだ。全然自覚してないだろうが。
 結局、現在のJ隊で101号室について知っている者は居なさそうだった。
「プンプン匂うわよ、101号室は。ともかく、意味論の支配する世界では、『たまたま』はない。もうこのアパートは、不思議現象の中枢なのよ」
「中枢……」
 ありがたくない話だ。
 ウサメンが手紙を残した部屋にウーが寝ていたのも、奇妙である。
「ね、もう一度確認するけど、101号室が開いたところを見たことは? あるいは開いた気配とか」
 ありす、顔が近いぞ。かわいいけど。
「ない」
 中を確認するにしても、鍵がないと開かない。大家もいない。
 ありすの推理が正しければ、マズルはそこから出てきて鍵を閉めた。つまり、鍵を持っていることになる。なぜなら、鍵を閉めた人間が必ず居るはずだからだ。
 全く。このアパートから、地下へいけるだと……。
 ところで、石川ウー。本当にお前は何も知らないんだろうな?

「エヘ……」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み