第12話 アリスの国の不思議 Made in Wonder

文字数 3,940文字


「蛾蝶が蛾ァ蛾ァ、蝶々発止ッ!」
 マントをぱっと翻すと、変な言葉を発した古城ありすの身体から光る蝶がパタパタと二人に向かってきた。それも無数に、延々と湧き出してくる。
「うわっ、なんだこれ!」
 よく見るとあるものは蝶、あるものは蛾の集合体だ。時夫は一歩引いた。腕で顔を覆う。
「いつまでそうしてるのよ?」
「------え?」
 時夫が眼を開けると、目の前にありすの顔があった。代わりに後ろを見るとサリーの姿がない。
 図書館はすでに閉館時間で閉まっている。館内を見ると茸人こと図書館員たちは何事もなかったかのように、館内で閉館作業に没頭していた。
「い、今のは。一体今のは何だ? 魔法か」
「魔術じゃない。失礼ね。『科術』(scic)。魔術は相手の方。一緒にしないでよね!」
 すでにタメ口と化した古城ありすは、非常に不機嫌そうに言った。
「相手って誰だ」
「たった今君が一緒にいた女よ。真灯蛾サリー」
「魔術? なんで彼女の事を知ってるんだ。そんなの使ってなかったぞ」
 だが、サリーもありすの事を知っていた。-----恐ろしい女だと。
「あいつは『魔学』(magience)って呼んでいるみたいね。君も色香に惑わされてたじゃないの。呆けた顔して」
「こういう顔なんですけど」
「QMPにやられてんじゃないわよ」
「何それ?」
「Queen Mandibular Pheromone、女王蜂フェロモンの略。八つも仕掛けられてる。ホラ、これを飲んで」
 ありすは懐から小瓶を取り出した。
「何これ」
「スードクイーンの科術よ」
 それは養蜂用語で、「疑似女王蜂」を意味する。元はミツバチを操るときに使われる物質らしいが、ありすのフェロモンだという。
「……」
「危ないとこだったわね。のこのこついてかないで! あやうく地下に引きずり込まれるところだったわよ。こんなとこウロツいてないでさっさと行きましょ」
 時夫は訳も分からない内に、ありすに連行されている。
「き、君は恐ろしい女だって言ってたぞ。サリーが」
「やれやれ」
 ありすは向き直った。
「恋文はわい行ってバカダミアナッツ買って来い!」
(なんだよその言い草……)
「私は君を助けたのよ。あいつが恋文町の連続誘拐犯なのよ。つまりこの一連の事件の張本人」
 そう、古城ありすは立ち止まって言った。
 ありすは時夫を救出したのだという。
「えーと茸人の殺人の事?」
「それは別件。この町で起こっている怪奇事件の半分はウチのせい、半分は女王のせいなの」
 半分は責任を認めるんだな。
「女王って?」
「そう。ウーから聞いたでしょ。防空壕の話。この町の地下に巨大な蜂の国がある。その女王がさっきの真灯蛾サリー。元は防空壕だったんだけど、それを拡張して、この町の地下でサリーが国を作っている」
「そんなの信じられるか。さっきまで一緒に居たんだ。蜂じゃない。普通の人間だよ」
「じゃあ、今どこにいるの?」
 図書館への道は一本しかなく、茸人図書館員に見つかるリスクを考えると、草むらに潜んでいると考えるのも不自然な話だ。
「君が変なことしたからどっかに行ったんだろ。きっと」
 時夫はそれを、マジックか何かと思っている。
「違うわよ。確かに私が『科術』で追っ払ったのは事実だけど、彼女は地下へと戻った。地上では、『魔学』の力は失われ、ほとんど人間と変わりなくなるからね」
「そもそも何でここへ来たんだ?」
「ここで本を借りてたの。『匂い大全臭』って本。あなたから何となく匂ったのよ。事件の匂いがね。ウーから、君が図書館に向かったって聞いたから追いかけたの。あなたの事情を聞いたわ。そしたら女王と一緒にお茶飲んでいるからびっくりしたじゃないの。こんなトコでシャーロック・ホームズ気取り? 止めときなさいよ」
 見られていた。
 石川うさぎは、古城ありすの友人だった事に留意すべきだった。
「普段女王は、滅多に外に出ることはない。けど、まさか図書館に現れたとはね。きっと、いつもここで本を探していたのかもしれない。盲点だったわ。でも、よりによってあの本を、サリーに手渡すなんて。鴨がネギをしょってきたってトコね。『火蜜恋文』を隠したのはあたしじゃない。正解はうちの店長よ。店長は館内のみの閲覧で、貸し出し禁止にしてもらった」
 この図書館は、唯一、ヤツが地上に出て来れる場所なのかもしれない、というとありすは思案げに考え込んでいる。
「いや、しかし。彼女はそんな悪い人じゃない」
「何をバカな事を言ってるの? 全く、あいつの女王フェロモンに騙されて、単純なヤツ。それが魔学だっていうの! なら、今から一緒に、あなたのアパートへ行くわよ」
「なぜだ」
「もう女王の仲間によって、白井雪絵が地下へ連れ去られたからだよ」
「そんな、馬鹿な!」
 古城ありすが、サリーの言うとおり、恐ろしい女の子なのかどうかは分からない。どっちにせよ金髪に黒マントとは、いずれにしても、あやしげな女子高生だ。
 だが、雪絵の身に何かあったら。そう思うと、時夫は夢中で駆け出した。古城ありすは後ろからついてくる。
 もはやこの不思議有栖市で、『ありす』に関わることは必定かもしれない。

 恋文ビルヂングに戻ると、雪絵は居なかった。
 コンビニに買い出しに行ったとしても、とっくに戻ってくる時間のはずだ。彼女は携帯ももちろん持っていない。
「出かけたのかな?」
 一応、適当な事を言ってみる。
「そうじゃないんじゃない」
 ありすが手にしたのは、床に落ちていたカードである。
 六角形の中に蜂の顔のマークが記されていた。こんなものは、部屋になかったはずだ。それはありすによると、地下の国の印なんだという。
「ひと悶着あったみたいね。そのせいで、敵は落し物をしていった」
 ありすの手の中で、カードがくるっと回転した。
「一人で住んでるのね。まだ高校生なのに、東京が実家なんだったら、親元を離れないで地元の高校に行きゃいいのに」
 ありすは部屋の中をじっくり観察している。
「うるさいな。君には、関係ないだろ」
 伊都川みさえの死が、全てのきっかけになっていた。大体、古城ありすだって同じ年くらいじゃないか----。それなのに一人で店番をしている。
 やはりありすの言うとおり、雪絵はサリーの手下に連れ去られたのだろうか。だとすると、時夫の落ち度だ。
「ふふふ、金時だからスィーツドールなんかに入れ込んだんだネ」
「その呼び方はよせ。俺は金時じゃないぞ」
「金沢時夫で金時じゃん。ねぇ金時君。彼女に入れ込むのは危険だよ」
 ありすは真顔で忠告する。
「前にも言ったはずよ。恋文町のジモピーとして言っておくけど、この町で何が起こっても関わらない方が賢い。金時君みたいなトーシロが、首を突っ込んでいいような事件じゃない」
「君は何を知っているんだ。もし誘拐犯だとして、サリーは、雪絵をどうするつもりなんだ?」
「店主を殺したことで、店主は再生はするけど、計画が遅れるので、女王は君を敵視している。そして雪絵は砂糖の精、特別製のロイヤルゼリーなの!」
「ロイヤルゼリーって何だよ」
 雪絵はセントラルパークの池で、月の光を浴びて光合成する。それは、何かを意味するのだろうか。
「だから人間化した白井雪絵は女王にとってのロイヤルゼリー。その不老蛋白の力で、奴は若さを保っている。早くしないと地下で女王の餌になる」
「馬鹿馬鹿しい! 本当に蜂みたいな話じゃないか。さっきの彼女が? そんなの信じられるかよ」
「だからあなたの常識はもうこの町では捨てて。サリーは女王蜂なのよ。もしサリーがロイヤルゼリーを食えば、この町でもっと恐ろしいことが起こる。私はそれを心配している。雪絵だけじゃない。もはや、君だって狙われている」
「嘘だろ。そんなの。嘘に決まってる。それとも横溝正史の『女王蜂』みたいな話か?」
 「女王蜂」が比ゆなら分かる。もしそうでないなら----。
 しかし、ありすの黒い瞳は直球の真実を物語っていた。途端に、時夫は恐怖に包まれた。
「だから自分で調べるとか、余計なこと言って首を突っ込むんだから。全くなんてことしてくれたの」
「それなら最初から説明してくれって!」
「ここは危ない。敵臭(てきしゅう)がするわ。どこに敵の眼があるか分からない。うちの店に行きましょ」
「君のくれた風邪薬だけど、よく効いたよ。でもネットで調べると、風邪に効く薬効がないみたいなんだ」
「また生兵法で調べたのね。でも治ったんならいいでしょ。風邪なんて、プラシーボの漢方薬で十分よ」
「プラシーボ?」
 偽薬のことだ。……おいおい。
「プラシーボもあるけどね、対処療法じゃなくて、もっと根本的なところを直したの。それが東洋医学のやり方」
「あのさ。その服……いつも着てるの?」
 漢方薬剤師には到底見えない。これのせいでありすはゴスロリ魔術師にしか見えないのだ。腕には、最初見た時には着けてなかったゴツいG-SHOCKを着けている。女の子なのに。
「ううん。これはただの普段着」
 そういうとありすは、初めてちゃんと笑った。
 なるほど、アリスこそはゴスロリの正統派。だが、なぜ黒ゴスなのだろう。そして……本名?
「どこで売ってんの、その服」 
 時夫のような、ファッションセンスのかけらもない男には困惑するのみだ。
「思い出したぞ。君、占いもやってるって、夜の街でもやってるだろ」
「あの夜、君を監視してたの。普段はアルバイト」
 フードをかぶった占い師を見たのは、最初に生きた雉を見た夜のことだ。そんな早くから気づいていたのか。
 そういえば思い出したぞ。深夜道に迷った末に立ち寄った「コンビニ・ヘヴン」の金髪店員、帽子のつばで顔が見えなかったが、あれももしかして古城ありすなんじゃないか!
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