第35話 「厄災の魔法 上」

文字数 4,170文字

 鐘が鳴り、気が付けば朝日が登っていた。
 鼻孔を湿らす空気が今いる場所を教えてくれる。
 上を向けば、岩の壁や変な植物や粘液状の生き物が、興味深げにこちらを覗き込んでいた。
 そうだ、昨日は洞窟で寝たんだった。

 横になったまま、広がった自分の金髪を見つめる。
 ここに来てから、今日は何日目の朝だろう。
 同じ天井を見ていた日々が懐かしい。

 父を探すため。
 そうは言うけど、この世界は想像以上に広くて、想像以上に危険で。
 正直、思っていたよりかなり疲れる。

 でも、覚悟を決めたんだ。
 絶対に、見つけ出す。
 それで、一緒に帰るんだ。

 そうこう考えているうちに、意識が覚醒へと向かった。
 体の隅々に感覚が行き渡っていく。

 よし、今日も頑張ろう。
 精一杯、迷惑をかけないように。
 特に――。
 ……特に?

 そこまで考えて、ふと、思う。
 いま、誰を思い浮かべようとした?
 いやいや、そんな、確かに一番迷惑をかけているかも知れないけど、
 特にって、どういう特別扱いをしようとしているんだろう。

 なんだこれ。
 冷や汗が背中から吹き出る。
 ほんとになんなんだこれ。

 寝返りを打つ。
 何も考えないようにしよう。
 変に意識すると、なんだか、気まずくなってしまうような気がする。

 ……あれ?

 体を逆側に向けて、気がついた。
 隣に誰か寝ていた。
 鼻をくすぐる、最近嗅ぎ慣れた匂い。

 頭の少し上を浮かぶぼんやりとした意識で、顔を確認しようと首を動かす。
 柔らかい蜂蜜色の髪が見えた。
 これって。

 あれ。
 なんだ。
 なんだこれ。

 自分でも分かるくらい、心臓がうるさい。
 まずい、聞こえてしまう。
 治まれ、お願いだから治まって。

 そもそも、なんで彼が同じ掛け布にくるまっているんだろう。
 いやいや、おかしい。
 本当に、なんだこれ。

「う、ううん」

 そんな彼の身じろぎと共に、旅の傷跡がわかる腕に抱きしめられた。
 飛びかけた意識の中で理解できたのは、頭が真っ白になったことだけだった。
 びくりと、体が跳ねてしまったのが恥ずかしい。

 肌と肌が密着するのが分かる。
 そうだ、そういえば服を干しておいたんだった。
 つまり、今自分たちは羽織ったそれぞれの布一枚分しかないというわけで。
 そんな状況下で、彼に抱きしめられているわけで。

「お前ら、いつまでそうしてんの?」

 今度こそ心臓が止まるかと思った。
 後ろを振り向く。立て付けの悪いドアみたいな音がした。

 そこには、呆れたようにこちらを見下ろすオーハンスさんと、じっとこちらを見つめるアメリオさんがいた。
 既に着替え終わっているところを見ると、しばらく前から起きていたらしい。
 グリーゼさんは篝火をかき混ぜながらも、こちらに意識を向けているようだった。

「あ、あの、ちが、違うんです、これは……」

 そういって立ち上がろうとしたところで、もう一度地面に引き戻された。
 ナトさんだった。
 恥ずかしい悲鳴を上げてしまう。

「はぁ……もう行こうぜ。日も昇ったし」
「そうね、グリーゼは?」
「雨も上がったことですし、食料を調達してこようと思います」

 それぞれが立ち上がり、洞窟の外へと出ていってしまった。
 外は明るく、洞窟の中にまで日が差し込んできていた。
 彼女の言う通り、雨も上がったらしい。

 ちらりと、彼の方を見る。
 恥ずかしくなって、すぐに目をそらしたけど。





 少年は目を覚ますと同時に、腕の中の暖かさに気がついた。
 寄せるとビクリと震えたそれの、心地よい柔らかさが伝わる。

 薄めを開けて、それを見る。
 腕の中には、纏った布を半分はだけている、涙目の少女が居た。
 自分の腕に流れる金髪が、太陽の光を反射して輝く。

「……ヨルカ?」

 口に出して、現状を把握する。
 ああ、つまり、もしかして。

「あ、あの、ごめ――」

 言い切る前に、少女は腕の中から脱出して、干していた自分の旅装束を取ると、洞窟の外に逃げるように走っていった。
 ぽつんと、洞窟の中に一人取り残される。

「最近、こんなのばっかりだな……」

 独りごちて、少年も身を起こし、衣服を身にまとい始めた。
 そうして、支度をしているうちに、ある違和感に気がついた。

「……なんだろう」

 胸の奥が、疼く。
 目を覚ました時のヨルカの表情が頭に浮かんだ。
 あの時の感触が妙に生々しく、何かを訴えかけるように思い起こされる。

 罪悪感……も、ある。
 だけど、もっと他の、何か――。

 ……いや、きっと気の所為だろう。
 剣を腰に()いて、少年は洞窟を後にした。

 



 露が降りた橙色に光る森は、朝日を受けて輝いていた。
 苔を踏んで跳ね返った水滴を足元に浴びながら、ナトとアメリオは森の中を進む。
 目を輝かせて、慌ただしくあっちやこっちを眺めているアメリオを尻目に、ナトはゆっくりと辺りを見回した。

 よく見ると、こんなめちゃくちゃな異世界でも生態系が形作られて、それぞれが生きているということが分かる。
 樹液の中では小さな虫が宿を作って生活しているし、
 よく見ると木の上にも鳥が巣を作っていたり、何らかの(さなぎ)だったりが枝からぶら下がっていたりする。
 細かい違いはあるものの、そういうところは、この場所も外と変わりないらしい。

 「魔王」が作り出した。
 そう聞いていたが、本当だろうかと疑ってしまう。
 見慣れない景色ではあるが、これが故意に作り出せるものだろうかと、少々疑ってしまう。

「そもそも、魔王ってなんなんだろうね」
「わからないわ、会ったこと無いもの」

 そりゃそうなんだけど、とナトは心の中で思った。

 二人がこうして森の中を歩いているのは、アメリオがナトを誘ったからだった。
 「試したいことがあるのよ」と、湖で水を浴びていた彼に声をかけたのだ。

「どこまでいくの?」
「ここなんか丁度いいんじゃないかしら」

 少し開けた場所だった。
 程よく平らな地面に、薄緑色の苔の絨毯が木漏れ日に照らされて輝いている。
 辺りは並び立つ木々に囲まれて、まるで妖精の舞台のような場所だった。

「私、昨日気がついたのよ」
「何に?」

 アメリオは、開けたその場所の真ん中に立ってそう言った。
 その場を囲う木々の一つにナトは背中をつけ、その言葉に問を重ねる。

「『魔法』に変化が現れたわ」
「……どういうこと?」

 ナトが言うと、アメリオはしばらく何も言わず、やがて意を決したように、

「見てて」

 そういうと、アメリオは徐に右手を突き出した。
 小さな手のひらに何か見えないものが収束していく。
 (なび)く赤い髪がひときわ大きく舞い上がった、その時。

 ずるり、とアメリオの周りの地面が溶け出した。
 渦のように広がるその変化は、やがてアメリオから一歩半のところまで進行する。

「これは……?」
「まだこれで終わりじゃないわ」

 その渦は幾つかの突き立った泥の柱のようなものを作り出し、それは旋風が立上るように渦巻いて昇っていく。
 次第に向きを変え、吸い込まれるようにアメリオの右の掌にそれは集まっていく。

 そして、茶色の飛沫と共に爆発した。
 前方に飛び出す水鉄砲――いや、それよりも威力を伴った濁流のような泥の波。
 けたたましい音と共に走るそれは、稲妻のような音を立てて進行方向にあった樹液を纏った木々をなぎ倒した。

「……『魔法』?」

 呆気にとられたナトの口からは、その言葉しかでなかった。
 息を多少荒げるアメリオを見て、思う。

 これが、魔法?
 魔法と呼ぶのは、あまりにも的外れな表現ではないだろうか。
 これじゃあまるで、「災害」じゃないか。

「もしかして、これって昨日の――」
「そうよ。あの怪物の時の」

 あの時、蜘蛛の怪物の頭に直撃した、あの泥水。
 巨体を地の底に押し返すほどの、あの威力。

「マリー、他には誰かに言った?」
「まだよ。だからナトを呼んだんじゃない」
「……そういえば、なんで俺なんだい?」

 そう言われて、少しだけ考えて、アメリオは言った。

「一つは、これをみんなに話すかどうかの相談よ」
「うん」
「もう一つは……」

 そこまで言って、アメリオは黙り込んでしまった。
 ナトは、怪訝げに眉をひそめた。
 こんなアメリオは見たことがない。
 気弱なところなんて、見たことがなかった。

「どうしたの?」
「……ねえ、ナト」

 ぽつり、とアメリオが言った。
 そのあまりの弱々しさに、ナトにはどう反応すればいいのかわからない。

「怖い、のよ」

 ぽつり、と呟かれたその言葉。
 ナトの中には、二つの感情が錯綜していた。
 一つは、彼女がそんなことを言う驚きで、もう一つは――ありふれた言葉であるはずの「怖い」という、その単語の意味への、違和感。

「ずっと、不思議だったの。執事からは、神様から賜った運命の力って言われたわ。
 でも、人と違う力が私の中にあるって、そう考えただけで、いつも怖くて……」

 アメリオは俯き、右手を左手で握りしめる。

「ここに来てから、その気持ちは和らいだわ。だって、この力が初めて役に立ったんだもの。
 でも、わかるの。みんなのために使えば使うほど、強くなっていってる。
 その事が、何か得体の知れない物が、少しずつ迫ってきているように思えてくるの」

 わかるかもしれない、とナトはふとそう思った。
 ナト自身、この大地に踏み入れてから不自然な身体的強化が起こっている。
 彼は何故かそこに思い至ることは無かったが、その度に人間という存在から遠ざかっているんじゃないかと、そう考えれば確かに辛くもなるだろう。

「ねえ、ナト。私、怖いのよ。押し付けるようで悪いけど……あなただけにはわかってほしいわ」

 アメリオはそう言った。
 その時の彼女は、いつになく儚いもののように見えた。
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