第15話 「星見の宮殿」
文字数 7,863文字
ナトとグリーゼはあたりを見回しながら、ゆっくりと歩いていた。
緊張したように、足音を忍ばせて警戒を怠らない。
辺りには、何年前のものだかもわからない縮れたカーペットに、所々崩れた外壁の朽ちた石のレンガが散乱している。
薄暗い中でそれらを照らすのは、グリーゼが手に持つランプだけだった。
広い内部はランプでは照らしきれず、闇に隠れた奥側は階段や扉で隔たれており、複雑な構造をしていることしかわからない。
その時、ふとナトの頭の中に情報が浮かんできた。
「『星見の宮殿』……大昔、会議場だった場所か」
「ナトさん、覚えていますか?」
グリーゼの問いに、ナトは頷いて返した。
「『乾いた鱗』……ここ奥にいる怪物が持つ素材、ですよね」
「ええ。――何度も言いますが、あくまで必要なのは素材です。討つ必要はありません」
「はい」
ナトが肯定を示した、その時だった。
遺跡の奥――そのどこかから、複数人の悲鳴のようなものが聞こえた。
断末魔とも聞き取れるそれと共に、何度か、大きな破壊音が遺跡の中に響く。
「……何でしょう」
「他にこの遺跡に入った者が居たとは聞いていません。恐らく、村の外の人間でしょう」
構えながら様子を伺う。
何度もその騒ぎは続き、最後にひときわ大きな音がした後、辺りに静寂が戻った。
それは、何かが事を終えた後のような、静けさだった。
「……彼らの心配をしている暇はありません。できれば、助けたくもありますが……。
ここの危険性は私達でも計り知れません。先を急ぎましょう」
「何とかなるんじゃ、ないのかよ……」
衰弱しきった少女を前に、少年は項垂れていた。
ここまで一緒に来た仲間が、今までにないほど命の危機に陥っている。
「くそっ……」
何もできない自分が悔しかった。
少女のような顔を歪ませて、オーハンスは唇を噛みしめる。
そんな彼の目の前では、アメリオがヨルカの手を握って様子を伺っている。
部屋の中では、薬師や看護婦が慌ただしく駆け回っている。
ヨルカが意識を手放して、暫 く経つ。
しかし、回復の目処 は立たず、徐々に様態を悪くしていく一方だ。
その時、薬師がオーハンスの肩を叩いた。
「イ・オル、サルマ」
何事かを話しながら、紙に欠かれた絵を差し出してきた。
そこには、儚げに佇む一輪の花が書かれていた。
次に、この村の絵、そしてその矢印の向こうに、小さな花畑が書かれている。
どういう意味だろう、と思案する。
一刻を争うこの状況に焦り、糸が絡み合うように考えがまとまらない。
そんな中、アメリオが口を開いた。
「難しく考えすぎよ。採ってきてほしい、ってことじゃないかしら」
「……ああ、わかった」
オーハンスは立ち上がった。
軽く手足を伸ばして、最低限の荷物を拾う。
そして、アメリオと共に扉から出ていく間際に、ヨルカを見る。
「ナト……無茶は、するなよ」
そう言って、外へと足を踏み出した。
くくりつけた荷物をグリーゼの家に預け、馬のような生物――「マイク」に二人で跨る。
大木に建てられた木製の足場を進んで、村の外を目指す。
空が覆われていても、光る灰により辺りは明るく、遠くまで見渡すことができる。
この先にあるという花畑を探して、村の中を見渡す。
「オルフ、あの人って」
アメリオが村の入り口近くを指した。
そこには、地面に立ってキョロキョロと辺りを伺っている、
白い体に赤い目をした鳥の刺繍がされたローブの女性がいた。
「確か、ここに来る前、墓場の近くでも見たよな」
「仲間の人たちはどうしたのかしら」
「どうする?」
「迂回してもいいけど、一人だし大丈夫じゃないかしら」
警戒しながら進んでいると、その女性の視線が、二人に向いた。
黒い髪に青色の瞳を持つ、外見が青年の様であるナトと同程度の女性だ。
すると、二人に向かって軽く手を振る少女。
オーハンスは、しょうがない、と馬を進ませる。
「ユリィ・アルマーサ!」
顔を合わせる範囲まで近づくと、女性はこちらに来てから何度も聞いた言葉で何事かを話しかけてきた。
しかし二人にわかるはずもない。
「マリー、ほら、気持ちがあれば伝わるんだろ」
「聞き取れるとは言ってないわ」
アメリオが澄ました顔でそう言った。
すると、それを察したように、女性が言葉を重ねるのをやめた。
そして、
「あら。もしかして、あなた方も?」
二人にわかる言語が、女性の口から発せられた。
暗い遺構を進むナトたちを、地面や壁に生えた結晶のようなものが照らす。
それらはまるで、森の中に顔を出す低木のように、そこら中にその存在を主張している。
淡い光を放つ宝石は、遺構を進むにつれて、その数を増やしていく。
――鏡王傘 。
暗闇で育つ結晶のような茸。
見つめていると、そんな情報が頭の中に浮かんできた。
「これ、ランプの代わりにすると便利そうですね」
「残念ですが、壊すと光を失ってしまうので、携帯することはできませんよ」
まあそう上手くは行かないか、と、ナトは足を止める事無く進む。
狭く暗いその通路は、物音一つすることは無く、薄暗さの中に静まり返っている。
ところどころに部屋があるものの、基本的に一本道の廊下が続く。
「それにしても、こんな命の危険を犯してまで、どうして僕たちのことを助けてくれるんですか?」
ナトは表情を緩めないまま、グリーゼにそんなことを聞いた。
「僕たちに、返すことのできるものはありません」
「別に、見返りを求めているわけではありませんよ」
「じゃあ、どうして……」
ナトが怪訝げにそう言うと、ずっと正面を警戒していた黒い仮面が、ふと、彼の方を向いた。
見える事のないその中と、目が合ったような気がした。
その仮面の奥からは、優しげな雰囲気を感じる。
「大人が子供を助けるのは、普通のことでしょう?」
呆けるナトは、しばらくその言葉を反芻するように黙り込む。
「僕は、両親が他界してしまったので、そういうのはあまりわかりません。
それからは、ずっと他のことを考えていたので……」
「……そうですか。ですが、私も大人です。
子供が危ない場所に踏み込む必要があるのであれば、それを護るのが役目。
疑っても構いません。ですが、どうか守らせてください」
ナトは何も言わずに、前に向き直した。
それを見て、グリーゼも口を閉じた。
暗闇は、結晶たちが放つ淡い光さえ吸い込むように、そこに佇んでいる。
先の見えないその道を、一歩一歩確認するように歩んでいく。
彼は鎧と共に歩き続けた。
その表情に、恐れを孕んだ陰りは見えない。
――ナトは、気が付かなかった。
表面ではない。もっと、体の奥の方。
そこに鳴るその鼓動が、決して乱れていないことに。
感情の弦の内の一つが、一切震えることがないことに。
――そしてそれが、彼の身に起きている異常の断片であることに。
淡い水晶の海原を、恐怖に塗られた暗闇と進む。
深い海底のようなその場所で、突然ナトとグリーゼはピタリと足を止めた。
「聞こえました?」
「ええ」
コツン、コツンと、小さな音が狭い遺構の内部を反響して、警戒するナトたちの耳に届く。
光も通さぬ暗闇の中。
その先の何かは、次第にその気配を近寄らせてくる。
――淡い結晶が、その姿が照らし出す。
「はぁ、はぁ……」
消え入りそうな呼吸。
埃で汚れ、所々血の染みが残る白いマントローブ。
その背中には、白い体に赤い目を持った鳥の装飾が付けられている。
橙色の髪に隠れて見える、その鋭い目が二人を捉えた。
背の高さはナトと同じほど。
俯瞰すると、少し気の強そうに見える青年だ。
「……大丈夫ですか?」
グリーゼがその青年に問いかける。
「君たちは、誰だ」
弱々しく、振り絞るように青年はそう呟いた。
そして、間もなくその場に膝から崩れ落ちた。
「っ! しっかりしてください、何があったんですか?」
鎧が青年を支える。
補助を受けてゆっくりと壁を背に座り込んだ青年は、それでも眼力を保った瞳で二人を見つめる。
「……襲われた。この遺跡の、魔物に」
途切れ途切れにそう言うと、一度息を整えるように大きく吸うと、それを吐き出した。
そして、腰から水筒のようなものを取り出すと、栓を抜いてそれを仰いだ。
その喉仏が何度か上下した後、鼻から息を吐きだして、再び水筒に栓をする。
「私達はこの遺跡の近くにある村から来ました。ここには、あなた一人ですか?」
「村の人間? なんだ、言葉がわかる者もいるんだな。……僕の他にも、仲間はいたさ。ただ、みんなあいつにやられたんだ」
「良い奴らだったんだが」と呟いて、再び青年は立ち上がった。
「無理はしないほうが良い。怪我が酷いようなら、この近くの村に寄りなさい。
『憲兵グリーゼ』の名前を出せば快く受け入れてくれるでしょう」
「……それはできない」
青年の表情に陰りが浮かぶ。
それを見て、グリーゼが「どうしてです」と問いかけた。
「僕には、絶対に果たさなければならない目的がある。
ようやく、見つけたんだ。ここで逃がすわけには……」
そう言って、二人を見据えた。
「助けてくれてありがとう。
この先に進むなら、注意したほうがいい。――奴は、とても目が良いから」
「それじゃあ」と言って、元来た道を振り返り、再び歩き出そうとする彼を、グリーゼは肩を掴んで引き止める。
怪訝げな顔をして振り返る青年に、グリーゼは首を振ってみせる。
「私達も付いていきましょう。一人で行くなんて、死ぬ気ですか」
――その言葉に、ナトは何か自分の心に引っかかるものを覚えた。
青年は、何でもないようにその黒鎧を見上げる。
「しかし、迷惑をかける訳にはいかない」
「構いません。私達もこの先に用があるんです。
だとしたら、行動を共にしたほうが良いと思いませんか」
その言葉に思案するような素振りを見せると、次に青年は頷いてみせた。
「わかった。じゃあ、それまでは同行させてもらう」
「はい。お願いします」
鎧が握手を求めようと手を伸ばす。
その時。
空気が凍りついたような気がした。
ナトとグリーゼの背中に悪寒が走る。
まるで、いつの間にか足元が沼に沈んでいたような。もしくは、深い奈落の瀬戸際にいるような――。
汗が吹き出す。
得体の知れない何かに、一方的に見られている気がする。
――この感覚、知っている。
無垢な殺意が肌に刺さる、この感覚。
足を向けていた、その先。
暗闇の向こう。
何か、いる。
人のような呻き声だった。
次に、粘着質な音と共に現れたそれは、糸を引く粘液に覆われた、大きな巻き貝だ。
黒い棘の生えたそれは、大人二人がすっぽりと覆われるほど大きい。
その巻き貝の口から、結晶に照らされて黒光りする節足が四対生えていた。
並んで駆動するそれらの後ろには、腐り落ちたような肉塊が、
ヌメりながらナメクジの尾のように続いていた。
そして、それらを内蔵している貝の中から。
まるで、魂を抜かれた人のような呻き声が、低く響いている。
ナトの頭の中に、一つの単語が浮かび上がる。
「『棘粘貝 』……!」
「マイク」を引くオーハンスとアメリオは、その女性の後ろに付いていく。
花畑の事を話すと、少し離れた場所で見たとの事で、案内してもらっていた。
「私はチェットと申します。
まさか、こんな場所にこちら側の方が居るなんて思いませんでした」
「それはお互い様だ。……ああ、それと俺はオーハンスだ」
「アメリオ・クレンツよ」
村を出て、光る灰が降る道をうねりながら進む。
次第に、アメリオとオーハンスの耳に水が押し寄せるような、大きな音が届く。
体の芯から震わすようなその音は、進む度に次第に大きくなっていく。
「実は、仲間と一緒に来たんですけど、今は別れてるんです。
彼らは近くの遺跡に用事があって、私は分隊としてこの村の方に挨拶に来ました」
柔らかい雰囲気でそう話す女性――チェットは、そう言って二人に微笑んだ。
アメリオはニコニコと話を聞いているが、対してオーハンスは警戒の色を浮かべていた。
「なあ、そういや街でもお前たちと同じ格好をしたのを見たんだ。
お前たちは何でこんなところを旅してるんだ?」
出発のあの日、門の前で見た、門前の衛兵団と話していた、リ・エディナとかいう宗教団体。
それを思い浮かべ、オーハンスはチェットの回答を待つ。
「私達はリ・エディナ教の所有する探検隊です。
崇高なお方である『ルトス』様のご意思を尊重し、この母なる大地を取り戻す事を目的としています」
「ルトス?」
「この母なる大地を作り上げた、偉大なる王です」
はあ、とルトスは半ば呆れながらその話を聞いていた。
彼にとって、宗教はほぼ無縁な存在だったからだ。
故に、心酔した者の表情をするチェットを理解することはできなかった。
「その名前、お父様も言っていたわ」
「……お父上、ですか? …………もしかして、あなたも?」
その時、オーハンスは違和感を感じた。
何か、おかしい。
その正体を探ろうとして――背筋の毛が反り立った。
一瞬、チェットの青色の瞳。
その奥に、無機質な何かを感じた。
しかし、瞬きをしたその後。
目の前には何ら違和感のない彼女の姿があった。
途端、汗が吹き出た。
胸が早鐘を打っている。
今、見たのは何だ。
あの瞬間、彼女は、一体何を考えて――。
「そう言えば、あなた、どこかで見たことがあるような……失礼ですが、お父上の名前は?」
「えっと、ジャ――」
その時だった。
木々の隙間から、光が差し込む。
ずっと暗い場所にいたせいか、やたらと眩しいその光に目を細める二人。
鼻孔をくすぐる甘い匂い。
色とりどりのその芳香は、二人に軽い混乱すらもたらす。
目の当たりを押さえていた腕を、慣れてきてからそっと降ろす。
そして、そこに現れたのは、
「こんな場所が……」
オーハンスが惚けたようにそう言った。
崖に囲まれていた。
その、所々から滝が音を立てて落ちている。
崖に囲まれた平野の中、点々と伸びる高い木々。その葉の隙間から、今まで夜中であったにも関わらず、この場所だけは太陽が顔を出している。
そして、その緑色の冠が影を落とすその地には、一面、色とりどりの花が咲き誇っていた。
「まさか、この入り組んだ道を、僕を追って……!?」
青年が、信じられない、というように目を見開く。
それもそのはず、道幅は狭く、目の前の怪物の巨体では通るのも一苦労だと思っていた。
そんな青年の動揺はつゆ知らず、目の前の怪物は、ナトとグリーゼ、そして青年をはっきりと確認したように、背中の貝殻を持ち上げた。
一瞬の動揺の後に、態勢を整えた青年は動く。
大地を蹴り、その一歩で地面の水晶を踏み砕いて。
目標に接近しながら、腰に手を伸ばした。
軌跡を残して抜き放たれたそれは、単純な作りながらも、金色に輝く美しい剣だった。
青年はそれを腰だめに構え、怪物へと突っ込んでいく。
薄暗い中、剣が閃く。
返した手首から放たれる切り上げは、怪物の体の、さらけ出された下部を狙う。
しかし、怪物が体を引っ込めたことにより、鋭い刃が硬い貝殻を叩き、甲高い音と共に火花が散った。
青年は、勢いを失った剣を体勢を立て直せずに戻せないでいると、
突然その柄から、剣が引っ張られていることを感じる。
よく見れば、怪物は節足の他に、何かもう二つの腕を持っているようだった。
そして――目を疑った。
結晶の光に照らされたそれは、人の持つ五本指の腕の形をしていた。
黒く爛(ただ)れて腐ったようなそれは、青年の剣をしっかりと両脇から掴んでいて、それなりに強い力で放そうとはしない。
力比べの硬直状態が続く。
そして、少年の方へ、怪物が一歩前へと進んだ。
その時。
怪物が仰け反るように、後ろに跳ね上がり、青年の剣が自由になる。
見れば、後ろからグリーゼが掌底で怪物の巨大な殻を殴り飛ばしていた。
次に、ナトが銅色の剣を突き出して、怪物の下部を穿つ。
力強く放たれたその一撃は、怪物の腹に深く飲み込まれた。
掌から、ハリのない肉の感触を覚えた。
引き抜き、剣の刃を見やる。
そこには、黒々としたヘドロのようなものがこびり付いていた。
「っ! ナト、離れて!」
後ろに飛んだグリーゼが叫ぶ。
ナトが顔を上げると、そこには覆いかぶさるように影を落とす、
ナメクジのような尾を支えに、節足を広げて立ち上がった怪物がいた。
節足が生えた胴体に見える、深い刺し傷から黒い液体を零し、怪物はナトへと倒れ込んだ。
砕けて光を失った水晶の破片が飛び散る。
石のタイルが敷かれた地面も凹むように砕け散り、
その中を、少年の影が勢いよく転がって脱出する、
飛び知った石や水晶の破片が擦れたのか、ナトの肌の所々に傷があるが、
気にしている余裕は無いとでも言うように、正面を睨む。
そんな中、怪物に異変が起きた。
巨大な体が、小刻みに震えている。
そして、甲高い悲鳴のような鳴き声を、遺構の中に響かせた。
「今度は、何だ……?」
怪物は、体を持ち上げては、暴れるように何度も地面に叩きつけ始めた。
激しい振動が三人を襲う。
そして。
破壊の音。
石のタイルの床が、抜ける。
「っ!?」
「くぅっ!」
そして、崩落に巻き込まれたのは、青年とナトだった。
「私の手を掴んで――」
足を宙に浮かせた。二人に向かって手を伸ばすグリーゼ。
しかし、それが握られる事は無く、二人と怪物は穴の中に落ちていった。
崩れるタイルたちは、大きく口を開けた穴の暗闇に落ちていった。
地面に叩きつけられて砕ける石の音が鳴り止んだ時、グリーゼの前には通路を塞ぐように空いた大穴だけが残っていた。
その中は、一連の騒動で破壊された水晶が照らすことは無くなった今、確認することは困難だった。
「なんてこと――」
グリーゼは穴の縁に立ってそう呟いた。
しかし。
穴の中から、何かが這い上がってくる。
グリーゼは注視するように穴の中を覗き込んだ。
そして――弾かれたように後ろへ大きく飛び退いた。
数秒後、そこに現れたのは、
棘の生えた黒い貝殻を背負った怪物だった。
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追記:誤字を訂正しました(6/16)
緊張したように、足音を忍ばせて警戒を怠らない。
辺りには、何年前のものだかもわからない縮れたカーペットに、所々崩れた外壁の朽ちた石のレンガが散乱している。
薄暗い中でそれらを照らすのは、グリーゼが手に持つランプだけだった。
広い内部はランプでは照らしきれず、闇に隠れた奥側は階段や扉で隔たれており、複雑な構造をしていることしかわからない。
その時、ふとナトの頭の中に情報が浮かんできた。
「『星見の宮殿』……大昔、会議場だった場所か」
「ナトさん、覚えていますか?」
グリーゼの問いに、ナトは頷いて返した。
「『乾いた鱗』……ここ奥にいる怪物が持つ素材、ですよね」
「ええ。――何度も言いますが、あくまで必要なのは素材です。討つ必要はありません」
「はい」
ナトが肯定を示した、その時だった。
遺跡の奥――そのどこかから、複数人の悲鳴のようなものが聞こえた。
断末魔とも聞き取れるそれと共に、何度か、大きな破壊音が遺跡の中に響く。
「……何でしょう」
「他にこの遺跡に入った者が居たとは聞いていません。恐らく、村の外の人間でしょう」
構えながら様子を伺う。
何度もその騒ぎは続き、最後にひときわ大きな音がした後、辺りに静寂が戻った。
それは、何かが事を終えた後のような、静けさだった。
「……彼らの心配をしている暇はありません。できれば、助けたくもありますが……。
ここの危険性は私達でも計り知れません。先を急ぎましょう」
「何とかなるんじゃ、ないのかよ……」
衰弱しきった少女を前に、少年は項垂れていた。
ここまで一緒に来た仲間が、今までにないほど命の危機に陥っている。
「くそっ……」
何もできない自分が悔しかった。
少女のような顔を歪ませて、オーハンスは唇を噛みしめる。
そんな彼の目の前では、アメリオがヨルカの手を握って様子を伺っている。
部屋の中では、薬師や看護婦が慌ただしく駆け回っている。
ヨルカが意識を手放して、
しかし、回復の
その時、薬師がオーハンスの肩を叩いた。
「イ・オル、サルマ」
何事かを話しながら、紙に欠かれた絵を差し出してきた。
そこには、儚げに佇む一輪の花が書かれていた。
次に、この村の絵、そしてその矢印の向こうに、小さな花畑が書かれている。
どういう意味だろう、と思案する。
一刻を争うこの状況に焦り、糸が絡み合うように考えがまとまらない。
そんな中、アメリオが口を開いた。
「難しく考えすぎよ。採ってきてほしい、ってことじゃないかしら」
「……ああ、わかった」
オーハンスは立ち上がった。
軽く手足を伸ばして、最低限の荷物を拾う。
そして、アメリオと共に扉から出ていく間際に、ヨルカを見る。
「ナト……無茶は、するなよ」
そう言って、外へと足を踏み出した。
くくりつけた荷物をグリーゼの家に預け、馬のような生物――「マイク」に二人で跨る。
大木に建てられた木製の足場を進んで、村の外を目指す。
空が覆われていても、光る灰により辺りは明るく、遠くまで見渡すことができる。
この先にあるという花畑を探して、村の中を見渡す。
「オルフ、あの人って」
アメリオが村の入り口近くを指した。
そこには、地面に立ってキョロキョロと辺りを伺っている、
白い体に赤い目をした鳥の刺繍がされたローブの女性がいた。
「確か、ここに来る前、墓場の近くでも見たよな」
「仲間の人たちはどうしたのかしら」
「どうする?」
「迂回してもいいけど、一人だし大丈夫じゃないかしら」
警戒しながら進んでいると、その女性の視線が、二人に向いた。
黒い髪に青色の瞳を持つ、外見が青年の様であるナトと同程度の女性だ。
すると、二人に向かって軽く手を振る少女。
オーハンスは、しょうがない、と馬を進ませる。
「ユリィ・アルマーサ!」
顔を合わせる範囲まで近づくと、女性はこちらに来てから何度も聞いた言葉で何事かを話しかけてきた。
しかし二人にわかるはずもない。
「マリー、ほら、気持ちがあれば伝わるんだろ」
「聞き取れるとは言ってないわ」
アメリオが澄ました顔でそう言った。
すると、それを察したように、女性が言葉を重ねるのをやめた。
そして、
「あら。もしかして、あなた方も?」
二人にわかる言語が、女性の口から発せられた。
暗い遺構を進むナトたちを、地面や壁に生えた結晶のようなものが照らす。
それらはまるで、森の中に顔を出す低木のように、そこら中にその存在を主張している。
淡い光を放つ宝石は、遺構を進むにつれて、その数を増やしていく。
――
暗闇で育つ結晶のような茸。
見つめていると、そんな情報が頭の中に浮かんできた。
「これ、ランプの代わりにすると便利そうですね」
「残念ですが、壊すと光を失ってしまうので、携帯することはできませんよ」
まあそう上手くは行かないか、と、ナトは足を止める事無く進む。
狭く暗いその通路は、物音一つすることは無く、薄暗さの中に静まり返っている。
ところどころに部屋があるものの、基本的に一本道の廊下が続く。
「それにしても、こんな命の危険を犯してまで、どうして僕たちのことを助けてくれるんですか?」
ナトは表情を緩めないまま、グリーゼにそんなことを聞いた。
「僕たちに、返すことのできるものはありません」
「別に、見返りを求めているわけではありませんよ」
「じゃあ、どうして……」
ナトが怪訝げにそう言うと、ずっと正面を警戒していた黒い仮面が、ふと、彼の方を向いた。
見える事のないその中と、目が合ったような気がした。
その仮面の奥からは、優しげな雰囲気を感じる。
「大人が子供を助けるのは、普通のことでしょう?」
呆けるナトは、しばらくその言葉を反芻するように黙り込む。
「僕は、両親が他界してしまったので、そういうのはあまりわかりません。
それからは、ずっと他のことを考えていたので……」
「……そうですか。ですが、私も大人です。
子供が危ない場所に踏み込む必要があるのであれば、それを護るのが役目。
疑っても構いません。ですが、どうか守らせてください」
ナトは何も言わずに、前に向き直した。
それを見て、グリーゼも口を閉じた。
暗闇は、結晶たちが放つ淡い光さえ吸い込むように、そこに佇んでいる。
先の見えないその道を、一歩一歩確認するように歩んでいく。
彼は鎧と共に歩き続けた。
その表情に、恐れを孕んだ陰りは見えない。
――ナトは、気が付かなかった。
表面ではない。もっと、体の奥の方。
そこに鳴るその鼓動が、決して乱れていないことに。
感情の弦の内の一つが、一切震えることがないことに。
――そしてそれが、彼の身に起きている異常の断片であることに。
淡い水晶の海原を、恐怖に塗られた暗闇と進む。
深い海底のようなその場所で、突然ナトとグリーゼはピタリと足を止めた。
「聞こえました?」
「ええ」
コツン、コツンと、小さな音が狭い遺構の内部を反響して、警戒するナトたちの耳に届く。
光も通さぬ暗闇の中。
その先の何かは、次第にその気配を近寄らせてくる。
――淡い結晶が、その姿が照らし出す。
「はぁ、はぁ……」
消え入りそうな呼吸。
埃で汚れ、所々血の染みが残る白いマントローブ。
その背中には、白い体に赤い目を持った鳥の装飾が付けられている。
橙色の髪に隠れて見える、その鋭い目が二人を捉えた。
背の高さはナトと同じほど。
俯瞰すると、少し気の強そうに見える青年だ。
「……大丈夫ですか?」
グリーゼがその青年に問いかける。
「君たちは、誰だ」
弱々しく、振り絞るように青年はそう呟いた。
そして、間もなくその場に膝から崩れ落ちた。
「っ! しっかりしてください、何があったんですか?」
鎧が青年を支える。
補助を受けてゆっくりと壁を背に座り込んだ青年は、それでも眼力を保った瞳で二人を見つめる。
「……襲われた。この遺跡の、魔物に」
途切れ途切れにそう言うと、一度息を整えるように大きく吸うと、それを吐き出した。
そして、腰から水筒のようなものを取り出すと、栓を抜いてそれを仰いだ。
その喉仏が何度か上下した後、鼻から息を吐きだして、再び水筒に栓をする。
「私達はこの遺跡の近くにある村から来ました。ここには、あなた一人ですか?」
「村の人間? なんだ、言葉がわかる者もいるんだな。……僕の他にも、仲間はいたさ。ただ、みんなあいつにやられたんだ」
「良い奴らだったんだが」と呟いて、再び青年は立ち上がった。
「無理はしないほうが良い。怪我が酷いようなら、この近くの村に寄りなさい。
『憲兵グリーゼ』の名前を出せば快く受け入れてくれるでしょう」
「……それはできない」
青年の表情に陰りが浮かぶ。
それを見て、グリーゼが「どうしてです」と問いかけた。
「僕には、絶対に果たさなければならない目的がある。
ようやく、見つけたんだ。ここで逃がすわけには……」
そう言って、二人を見据えた。
「助けてくれてありがとう。
この先に進むなら、注意したほうがいい。――奴は、とても目が良いから」
「それじゃあ」と言って、元来た道を振り返り、再び歩き出そうとする彼を、グリーゼは肩を掴んで引き止める。
怪訝げな顔をして振り返る青年に、グリーゼは首を振ってみせる。
「私達も付いていきましょう。一人で行くなんて、死ぬ気ですか」
――その言葉に、ナトは何か自分の心に引っかかるものを覚えた。
青年は、何でもないようにその黒鎧を見上げる。
「しかし、迷惑をかける訳にはいかない」
「構いません。私達もこの先に用があるんです。
だとしたら、行動を共にしたほうが良いと思いませんか」
その言葉に思案するような素振りを見せると、次に青年は頷いてみせた。
「わかった。じゃあ、それまでは同行させてもらう」
「はい。お願いします」
鎧が握手を求めようと手を伸ばす。
その時。
空気が凍りついたような気がした。
ナトとグリーゼの背中に悪寒が走る。
まるで、いつの間にか足元が沼に沈んでいたような。もしくは、深い奈落の瀬戸際にいるような――。
汗が吹き出す。
得体の知れない何かに、一方的に見られている気がする。
――この感覚、知っている。
無垢な殺意が肌に刺さる、この感覚。
足を向けていた、その先。
暗闇の向こう。
何か、いる。
人のような呻き声だった。
次に、粘着質な音と共に現れたそれは、糸を引く粘液に覆われた、大きな巻き貝だ。
黒い棘の生えたそれは、大人二人がすっぽりと覆われるほど大きい。
その巻き貝の口から、結晶に照らされて黒光りする節足が四対生えていた。
並んで駆動するそれらの後ろには、腐り落ちたような肉塊が、
ヌメりながらナメクジの尾のように続いていた。
そして、それらを内蔵している貝の中から。
まるで、魂を抜かれた人のような呻き声が、低く響いている。
ナトの頭の中に、一つの単語が浮かび上がる。
「『
「マイク」を引くオーハンスとアメリオは、その女性の後ろに付いていく。
花畑の事を話すと、少し離れた場所で見たとの事で、案内してもらっていた。
「私はチェットと申します。
まさか、こんな場所にこちら側の方が居るなんて思いませんでした」
「それはお互い様だ。……ああ、それと俺はオーハンスだ」
「アメリオ・クレンツよ」
村を出て、光る灰が降る道をうねりながら進む。
次第に、アメリオとオーハンスの耳に水が押し寄せるような、大きな音が届く。
体の芯から震わすようなその音は、進む度に次第に大きくなっていく。
「実は、仲間と一緒に来たんですけど、今は別れてるんです。
彼らは近くの遺跡に用事があって、私は分隊としてこの村の方に挨拶に来ました」
柔らかい雰囲気でそう話す女性――チェットは、そう言って二人に微笑んだ。
アメリオはニコニコと話を聞いているが、対してオーハンスは警戒の色を浮かべていた。
「なあ、そういや街でもお前たちと同じ格好をしたのを見たんだ。
お前たちは何でこんなところを旅してるんだ?」
出発のあの日、門の前で見た、門前の衛兵団と話していた、リ・エディナとかいう宗教団体。
それを思い浮かべ、オーハンスはチェットの回答を待つ。
「私達はリ・エディナ教の所有する探検隊です。
崇高なお方である『ルトス』様のご意思を尊重し、この母なる大地を取り戻す事を目的としています」
「ルトス?」
「この母なる大地を作り上げた、偉大なる王です」
はあ、とルトスは半ば呆れながらその話を聞いていた。
彼にとって、宗教はほぼ無縁な存在だったからだ。
故に、心酔した者の表情をするチェットを理解することはできなかった。
「その名前、お父様も言っていたわ」
「……お父上、ですか? …………もしかして、あなたも?」
その時、オーハンスは違和感を感じた。
何か、おかしい。
その正体を探ろうとして――背筋の毛が反り立った。
一瞬、チェットの青色の瞳。
その奥に、無機質な何かを感じた。
しかし、瞬きをしたその後。
目の前には何ら違和感のない彼女の姿があった。
途端、汗が吹き出た。
胸が早鐘を打っている。
今、見たのは何だ。
あの瞬間、彼女は、一体何を考えて――。
「そう言えば、あなた、どこかで見たことがあるような……失礼ですが、お父上の名前は?」
「えっと、ジャ――」
その時だった。
木々の隙間から、光が差し込む。
ずっと暗い場所にいたせいか、やたらと眩しいその光に目を細める二人。
鼻孔をくすぐる甘い匂い。
色とりどりのその芳香は、二人に軽い混乱すらもたらす。
目の当たりを押さえていた腕を、慣れてきてからそっと降ろす。
そして、そこに現れたのは、
「こんな場所が……」
オーハンスが惚けたようにそう言った。
崖に囲まれていた。
その、所々から滝が音を立てて落ちている。
崖に囲まれた平野の中、点々と伸びる高い木々。その葉の隙間から、今まで夜中であったにも関わらず、この場所だけは太陽が顔を出している。
そして、その緑色の冠が影を落とすその地には、一面、色とりどりの花が咲き誇っていた。
「まさか、この入り組んだ道を、僕を追って……!?」
青年が、信じられない、というように目を見開く。
それもそのはず、道幅は狭く、目の前の怪物の巨体では通るのも一苦労だと思っていた。
そんな青年の動揺はつゆ知らず、目の前の怪物は、ナトとグリーゼ、そして青年をはっきりと確認したように、背中の貝殻を持ち上げた。
一瞬の動揺の後に、態勢を整えた青年は動く。
大地を蹴り、その一歩で地面の水晶を踏み砕いて。
目標に接近しながら、腰に手を伸ばした。
軌跡を残して抜き放たれたそれは、単純な作りながらも、金色に輝く美しい剣だった。
青年はそれを腰だめに構え、怪物へと突っ込んでいく。
薄暗い中、剣が閃く。
返した手首から放たれる切り上げは、怪物の体の、さらけ出された下部を狙う。
しかし、怪物が体を引っ込めたことにより、鋭い刃が硬い貝殻を叩き、甲高い音と共に火花が散った。
青年は、勢いを失った剣を体勢を立て直せずに戻せないでいると、
突然その柄から、剣が引っ張られていることを感じる。
よく見れば、怪物は節足の他に、何かもう二つの腕を持っているようだった。
そして――目を疑った。
結晶の光に照らされたそれは、人の持つ五本指の腕の形をしていた。
黒く爛(ただ)れて腐ったようなそれは、青年の剣をしっかりと両脇から掴んでいて、それなりに強い力で放そうとはしない。
力比べの硬直状態が続く。
そして、少年の方へ、怪物が一歩前へと進んだ。
その時。
怪物が仰け反るように、後ろに跳ね上がり、青年の剣が自由になる。
見れば、後ろからグリーゼが掌底で怪物の巨大な殻を殴り飛ばしていた。
次に、ナトが銅色の剣を突き出して、怪物の下部を穿つ。
力強く放たれたその一撃は、怪物の腹に深く飲み込まれた。
掌から、ハリのない肉の感触を覚えた。
引き抜き、剣の刃を見やる。
そこには、黒々としたヘドロのようなものがこびり付いていた。
「っ! ナト、離れて!」
後ろに飛んだグリーゼが叫ぶ。
ナトが顔を上げると、そこには覆いかぶさるように影を落とす、
ナメクジのような尾を支えに、節足を広げて立ち上がった怪物がいた。
節足が生えた胴体に見える、深い刺し傷から黒い液体を零し、怪物はナトへと倒れ込んだ。
砕けて光を失った水晶の破片が飛び散る。
石のタイルが敷かれた地面も凹むように砕け散り、
その中を、少年の影が勢いよく転がって脱出する、
飛び知った石や水晶の破片が擦れたのか、ナトの肌の所々に傷があるが、
気にしている余裕は無いとでも言うように、正面を睨む。
そんな中、怪物に異変が起きた。
巨大な体が、小刻みに震えている。
そして、甲高い悲鳴のような鳴き声を、遺構の中に響かせた。
「今度は、何だ……?」
怪物は、体を持ち上げては、暴れるように何度も地面に叩きつけ始めた。
激しい振動が三人を襲う。
そして。
破壊の音。
石のタイルの床が、抜ける。
「っ!?」
「くぅっ!」
そして、崩落に巻き込まれたのは、青年とナトだった。
「私の手を掴んで――」
足を宙に浮かせた。二人に向かって手を伸ばすグリーゼ。
しかし、それが握られる事は無く、二人と怪物は穴の中に落ちていった。
崩れるタイルたちは、大きく口を開けた穴の暗闇に落ちていった。
地面に叩きつけられて砕ける石の音が鳴り止んだ時、グリーゼの前には通路を塞ぐように空いた大穴だけが残っていた。
その中は、一連の騒動で破壊された水晶が照らすことは無くなった今、確認することは困難だった。
「なんてこと――」
グリーゼは穴の縁に立ってそう呟いた。
しかし。
穴の中から、何かが這い上がってくる。
グリーゼは注視するように穴の中を覗き込んだ。
そして――弾かれたように後ろへ大きく飛び退いた。
数秒後、そこに現れたのは、
棘の生えた黒い貝殻を背負った怪物だった。
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追記:誤字を訂正しました(6/16)