第68話 「技師ノエル・ヨンド」

文字数 5,320文字

 巨大な骨の腕の薙ぎ払いを、間一髪のところで避ける。
 いくら骨であっても、その質量は当たれば即死である。
 さらにそれだけではなく、弾き飛ばされた石レンガが弾丸となってナトを掠めていく。一つ一つが命がけである。

「こっちだ、さあこい」

 ナトは怪物を誘導するように走り回り、骨の怪物はそれを追いかけて叩き潰そうと腕を振り下ろす。
 弾け飛ぶレンガを避けながら、少年は耳をそばだてていた。

「どこだ、どこにいるんだ……!」

 途切れ途切れのその音に集中していたからか、ナトはそれに気が付かなかった。

「――ぐっ!?」

 薙ぎ払いを返した、手の甲での薙ぎ払い。
 避けそこねたナトは、土くれもろとも遠くまで弾き飛ばされた。
 全身に痛みが走る。打撲なんてものじゃない、文字通り呼吸が一瞬止まりかけた。

 地面に這いつくばったナトは、体を起こそうとして――地面に付けていた耳から、それを感じ取った。

「ふっ」

 やってきた追撃を飛び退いて躱すと同時に――ナトが居た場所が、まるで火山が噴火でもするかのように不自然に膨れ上がった。
 そして、その場所を叩いた骸の腕は――爆音と共に、地面から飛び出した巨大な光により弾き飛ばされた。

「グリーゼ……」
「ガシャアアアアアアアッ!!」

 その光の直後に飛び出したのは、獣と化したグリーゼだった。

「せっかく出てきてくれた所だけど……うまくいったようだ」

 地面には光線による大穴が開いていた。
 そしてそれは、怪物の足元であった。
 下は空洞、当然――怪物の重さに耐えきれなくなった地面は、崩落を始めた。

 ガラガラと音を立てて奈落の穴を広げていく地面。
 顔をのぞかせたのは、真っ暗な暗闇とその中に星のように光り揺蕩う灰。

『マダ……オドリタリナイ……ジュリー……オドロウ、オワラナイ、オワラナイ……』

 崩落を始める地面に飲み込まれていく怪物。
 その手は必死にあがくかのように、地面を引っ掻いていた。

『エイエン……エイエンノギョクザ……マダ、マダ……!』

 広がっていく穴に滑り込んでいく怪物は落下し始める。
 ナトはそこへ飛び込んだ。右手に掴まれたままのヨルカを救出するためだ。

「ヨルカ、目を覚ませ!!」
「う、ううん……」

 辛うじて地上部に残っている怪物の腕になんとかしてたどり着く事ができたナトは、銅剣「響」で力の限り骨を破壊する。
 が、徐々に本体ごと腕は地面に引き込まれつつあり、ナトの足元にまで奈落への崩落が始まっていた。

「くそっ……絶対に、出してやる……!」

 何度目か。
 力いっぱい振り下ろされた銅色の刃は、ついにその腕の破壊に成功した。
 巨大な手のひらの中でうずくまっているヨルカを救い出したところで、ついに崩壊の縁がナトたちを捕らえた。

「まずいっ……!」

 剣を収め、落下していく骸の腕を蹴って飛ぶ。
 しかし――縁に辿り着くその少し前に、崩落はナトたちを置き去りにした。
 空中に放り投げられたその刹那に、一本の紐がナトの元へ放り出された。

「ナト! 捕まれえええええ!!」

 オーハンスが放った、マイクの手綱だった。
 落ちるか落ちないかの瀬戸際で、オーハンスがその手綱をナトに向かって投げていた。
 ナトがどうにかそれを掴むと、少年は次にとんでもない力で体を引っ張られた。

 なんとマイクは、少年少女二人を乗せているにも関わらず、空中に放り出されたナトとヨルカの二人を引っ張りながら崩落から逃げ始めたのだ。
 馬とは比べ物にならないほどの馬力に驚きを隠せずにいながらも、ナトは離されないようしっかりとヨルカと手綱を握る。

 ふと、背後を見た。
 落下していく怪物が、地下に揺蕩う光る灰に飲まれていくのが見えた。
 灰に触れると、その怪物は端から崩れていって、その体は回りと同じく灰となり空気に溶けて、やけに呆気なく消えていった。





 彼らが無事逃げ切った頃、その街の大部分が崩落していた。
 グリーゼは離れた場所でむくりと起き上がっていた。彼女も四人に気が付き、合流したあとお互いの無事を喜びあった。
 心身の疲労を押し殺し、一行はナトの誘導の元、街の崩落していない部分を縫って歩き、とある場所を目指していた。

「多分、ここだ」

 街で一番高い塔だった。
 浸水により水浸しの木のドアを開けると、既に彼らを出迎えてくれた人物がいた。
 ガラクタのような()で立ちのそれはノエル・ヨンドだった。

『よく来てくれたね。さあ、入ってくれ』
「おい、こいつこんなに流暢だったか?」
「俺たちの言葉を盗み聞きして覚えたらしい」

 ノエル・ヨンドに案内されて塔の中を登る四人。
 到達した部屋は意外と広く、待機所のような場所のようだった。

「よくここにいるってわかったな」
「半分は勘だ。あとは彼が以前話してくれたことを思い出したんだ」

 ノエル・ヨンドが過去に街の水没を食い止めようとした話だった。
 そこに出てきた尖塔に、ナトは目星をつけていた。
 そして、この増水に対応するためにそこ登っているのではないかとナトは踏んでいたのだ。

「お前が水門を操作してくれた。そうだろ?」

 ナトがそう言うと、仮面の奥でノエル・ヨンドはうなずいた。

『ああ、その通りだ。君……名前をオルフ君といったか、君が叫んでくれたおかげで大まかの事情を把握することができた、とても助かったよ』
「オーハンスだ。それはいいんだが……結構遠くから叫んだと思うんだが、本当に聞こえてたのか?」
『私は耳が良いんだ。君たちの会話もこの街に立ち入ったときから全て聞こえていた。オーハンスというのか、君たちが愛称で呼び合っていたからこっちが本名かと。ではナト君はナーシュベッツ・トルバドゥールなんて名前なのかい』
「俺は普通にナトだ」
『ただのジョークだよ』

 その言葉に若干引き気味に顔をしかめるオーハンス。その冗談も対して面白くは無かった。
 しかし、救ってくれたことには変わらないと思い、邪険にしないようその少女のような顔を引き締めた。

『とにかく座り給え。そこの二人は気絶しているみたいだから、そこの長椅子に寝かせてあげなさい』

 その言葉に甘えて、ナトとグリーゼが少女ふたりを長椅子に並べて寝かせると、椅子に座り改めてノエル・ヨンドに向き合った。

『ナト君、恐らく君は私の昔話を聞いて、水が溢れようとしていたから私がここで水門の調整をしているのだろうと、そう推理したわけだね? 大正解だ、よくわかったね』
「ああ。……それより聞きたい事がある。あの怪物はなんだ、ここには怪物が居ないんじゃないのか」
『その、怪物と言っているのは「魔物」のことかい? まあ、どう呼ぶかは勝手だがね』

 ノエル・ヨンドは首をかしげる。顔を覆う斑入りの仮面が斜めにこちらを見ている。

『私も知らないよ。なんせマルギリ君が持ってきたのは「一人の女の子」だけだったから』
「一人の女の子? そんなの今まで見なかったけど」
『きれいな銀髪の女の子だ。どこに行ったのだろうね、私も君たちが来てから一度も見ていないんだ。無口で何も話さない子だったから、見守ってやることもできなかった。
 とにかく、なにもないところから、あの怪物は突然現れた。途中の猿人型の魔物以外はね。でもきっと――あの骸型の魔物の正体の目星はついている』
「正体? あの喋る怪物の正体か?」
『あれの元は恐らくマルギリ君だ』

 ……どういうことだ?

「お、おいちょっと待てよ、そのマルギリって奴は人間なんだろ? ナトから聞いてはいるけど……人が怪物に変わるなんて、そんなことあるのか?」

 オーハンスがそうまくしたてると、ノエル・ヨンドはそっと仮面に手をかけた。
 そして、仮面を外し――、

「っ」
「なっ……!」
「それは……」

 ナトとオーハンスとグリーゼは、それぞれ驚いたような、しかめたような顔をした。
 仮面の中から現れたのは、黒くただれた皮膚に、怪物のような牙と空洞の瞳、そしてところどろこに生えた魚のような鱗と鳥のような羽を生やした顔だった。
 とても、人間のそれではない。

 ノエル・ヨンドは再び仮面をつけると、淡々と言った。

『アァ……三者三様の反応をどうもありがとう。話に戻ろう。
 私は「審判の日」にこうなった。詳しい話は誓約の為に言えないけど……こうなった原理なら言える。時間がないんだ、一気に言うから聞いてくれ』

 それからノエル・ヨンドは、何かに迫られるように話し出した。

 この世界には、目に見えない因子がそこら中に漂っていてね。
 私達は知らずのうちにそれを取り込み、内に溜め込んでいるんだ。
 しかしそれにも限界はあって、許容量を超えるとこうして『魔物』となってしまう。私は、運良く人としての人格を保てているがね。

 ん? ああ、心配いらないよ。普通に生活している分には、そうした事態にはならない。呼吸なんかで取り入れる因子はごくごくわずか、百年経とうと何も起きない。
 ただ、何かしらの要因で因子を大量に浴びてしまう事があるみたいだ。それが何かはわからない……恐らく、マルギリ君たちの団体はそれを掴んでいるだろう。
 ……何を強張った顔をしている? なるほど、自分たちもこうならないかと危惧しているのか。大丈夫、因子を受け止める『器』の大きさは人によって違う。
 私は小さかった。ナト君と、そこの寝ているアメリオ君はとても大きな器をしているね。他の君たちはそもそも器がないから心配いらないよ。何故わかるのかって? 「見える」んだよ。この体はそういう風にできているんだ。

『……ゥウ』
「大丈夫ですか?」
『この体になってから頭の回転は早くなったけど、どうも時々耐えられなくなってね。大丈夫、もう案ずる必要もないのだから』

 頭を抱えるようにしていたノエル・ヨンドは、再び姿勢を正して椅子に座り直した。
 しばらく沈黙すると、ぽろりとこぼすようにナトに言った。

『すぐに街から出ていったほうがいい』
「……言われなくてもそうするつもりだ。でも、なぜ急かす?」
『長年街と共に生きた私にはわかる。先の戦いで流石の寿命も尽きたようだ』

 そう言われて、グリーゼの光線により崩れた地面を思い出した。
 地下は空洞。いずれ崩落が始まる。

『ここにいてはいけない。去るがいい』
「お、おいおい……じゃあお前はどうするんだよ! ここにいたら……」

 オーハンスの問いに、目の前の長老は答えなかった。
 ナトにはなぜか、仮面の奥に悲しげな笑みが見えた。

『地図をあげよう。湿気のせいでカビの生えた年季物だが、あの日から代わり映えのしない街だ、通路もしっかり残っているだろう。
 ほら、ここだ。ここから出てここを進むといい。行けばわかるさ、君たちならね』

 渡された地図を受け取ったナトは、蜂蜜色の瞳を目の前の長老に向けた。

「最初、あなたを疑ってばかりいてすまなかった。どうか許してくれ」

 ナトがそう言うと、再びノエル・ヨンドは少し驚いたような態度を取った。
 彼がそんな反応をしたのは、これが初めてだった。

『……少し、ナト君と二人で話をさせてくれないか』

 彼がそう言うと、オーハンスとグリーゼは黙って部屋を出て、階段を降りていった。
 そしてその場にはナトとノエル・ヨンドの二人だけが残った。
 止まない雨の音が一段と大きく聞こえる中、長老は口を開く。

『君は、本当に優しい』

 ノエル・ヨンドは、祖父が孫に話しかけるように、とても優しげな声音で話しかけた。
 それは頭の中に響く音でありながら、確かな温もりをナトに感じさせた。

「俺は、そんなんじゃ……」
『だがしかし――君は今、全てを恐れている』

 その言葉に、ナトは詰まる。
 何も返せなかった。

『恐れ、怯えている。だけど、それじゃあいけない。いけないんだよ、ナト君。
 この体になった私ならわかってやれる。深い悲しみを抱えているね』
「……だからなんだ」
『ナト君。いいかい。恐れて全てを振り切るんじゃない。それはいけないよ。
 立ちはだかる危機には、勇気を持って立ち向かわなければいけない』
「っ!」

 まるで、今までの全てが見通されているかのように、
 ノエル・ヨンドという人物は、ナトの根幹を蝕むものを揺さぶる。

『勇気を持って、そして、守るべきものを守りなさい』
「守るべきもの……」
『迷いがあっても大丈夫、ルトス様はいつでも導いてくださる。安心して進みなさい』

 ナトはその言葉を受けて、頭の中で反芻していた。
 それを見ていたノエル・ヨンドは、満足げに頷くと、手紙のようなものを差し出してきた。

「これは……?」
『君たちがこの街を出たら読みなさい。この灰色の都市から背を向けた後に――』
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