第28話 「光る灰の見守る森で 上」

文字数 4,666文字

 風化した墓場――暗がりの森に、ナトはやってきた。
 そこは、ヨルカを傷つけた怪物が蔓延る危険な場所だった。

「それにしても、何故ですか?」

 同伴しているのは、グリーゼだ。
 もう一度あの森で試したい事があるというナトの、付いてきてほしいと言う要望に応えての行動だった。

「もしも、何かあった時のために」
「……まさか」

 仮面の奥の目がナトを見る。
 それを受けながら、ナトは口を開いた。

「最近、傷の治りの早さや、頑丈さ、身体能力が異常に上がった気がするんです」
「……どう言うことですか?」

 訝しげにグリーゼは問う。

「初めは、ここより前の村に立ち寄る途中でした。二度怪物に襲われ、運良く救われたその後です。体から妙な力が湧き上がるような気がしたんです。不思議な、体の奥底で何かが燃えるような、そんな感覚です。
 そして、次はこの森でグリーゼさんに救って頂いた時です。その時も同様に、多少ですがそんな気がしたんです。
 最後は――あの遺構で、怪物と対峙した時。今までにないくらい、強い高揚感を感じました。気持ちは冷静でいるのに、動機が早くなって、手足が先から熱くなりました」

 軽く手を握りこむナト。
 甲にいくつかのくっきりと筋が浮かぶ。

「今の自分が本当に強くなっているのか、確かめたいんです」
「……だからと言って、何故わざわざ危険に晒されるような真似を?」

 咎めるように、グリーゼが言った。

「僕は、皆を守らなくちゃいけないんです。何としても、絶対に」

 視線を上げる。
 表情のわからない黒兜が、こちらを向いている。

「……だって、仲間なんです。僕たちは」

 グリーゼは何も言わなかった。
 何も言わずに――ナトから視線を外した。

 それに気がついて、ナトも振り返る。

 木々の影に、漂っていた。
 顔の形がくり抜かれた木の実が浮き、その下には、それから垂れるように、薄く白い布のようなものが(なび)いている。

化頭影(オバケトモシビ)……!」

 ごとりと、落ちていた太めの木の枝がひとりでに持ち上がる。
 大きな(くさび)の様なそれは、尖った先端を二人に向けた。
 それを見て、ナトは咄嗟に腰の柄に手を伸ばした。

 同時だった。
 火花が散り、刹那、暗い森の影を照らす。
 空気を引き裂いて飛来した荒い木肌の槍と、抜き放たれた薄く虹色に輝く粘土の剣は、
 それぞれ、打撲音と金楽器の様な金属音を奏でながら互いにぶつかり合う。

 細やかな振動を残して振り抜かれる銅色の刃。
 軌道の逸れた大槍は、傍の地面に深く矛先を沈めた。

「はぁぁぁ……っ!」

 大きく息を吐く。
 そして、ナトが駆け出そうと足を踏み出した、その時。

「待ってください!」

 グリーゼがその腕を掴んだ。

「あの攻撃が肌を掠めただけで、貴方は呪いを受けてしまいます。それに、それだけでは済まない事だって……。
 もしそうなれば、それこそ、貴方の仲間が悲しむのではないですか」

 それに対して、ナトは視線を背後の鎧兜に向けた。
 グリーゼはその目を見て――息を呑んだ。

「大丈夫です。多分、あの『呪い』は僕には効きません」

 あの怪物と、初めて邂逅した時。
 素手であの槍を掴んで止め、手のひらの皮膚は破かれたが、呪いはかからなかった。

「それに……」

 いたっていつも通りの声音で、

「アレをどうにかできないようなら、僕はまた誰かを殺してしまいます」

 思わず、グリーゼの握る力が緩んだ。
 その隙に、ナトは彼女の腕を振り切って、怪物へ向けて駆け出した。
 ――彼女は、思わずたじろいだ。

「……私を見ていなかった」

 ポツリと、そう呟く。
 それはまるで、迷いの洞窟に足を踏み入れたような、得体の知れない気配。
 少年が瞳に宿していいものではない、そんな何か。

「ぁあああああッ!!」

 少年は血が(たぎ)る感覚の中、幾つもの糸を編み込むように、思考を巡らせていた。
 怪物の持つ無数の武器。
 それらに対処するために、最適かつ最短の動きは。

 自分へ向けていくつもの枝が飛来する。
 何重にも重なる風切り音。
 そして――虚空を走る銅色の軌跡と、ぶつかり合う金属の音。

 見える。
 以前よりも、鮮明に。
 まるで、世界をコマ送りにしているかのように。

 重なる剣戟とは裏腹に、ナトの頭は思いのほか冷静であった。
 己へ目掛けて飛んでくる木の枝を、一本一本丁寧に、確実に剣の棟(むね)で弾く。

 鼓動が早くなっているのが感じられる。
 音は聞こえているはずなのに、まるで無音の空間にいるように静かだ。

 意識が、空間を支配している。
 まるで、そんな感覚――。

「――――ァッ!!」

 土の音を立てて、踵が地面を噛む。
 その瞬間、腰だめの構えから、木の実で出来た間抜けな顔に向けて、勢いを乗せた剣先を繰り出した。

 強く握る柄から、骨まで響く固い感触が返ってくる。
 しかしその切っ先は、確かに怪物の頭を穿っていた。

「っ!?」

 咄嗟に、ナトは飛び退いた。
 地面から起き上がった木の枝が、ナトを目掛けて飛んできたのだ。

 まだ、死んでいない。
 ナトは剣を握り直す。
 目の前の怪物は、ゆらゆらと揺蕩いながら、割れた頭でこちらを見つめている。
 刃の侵入を許し、開いた穴からは暗い色の煙が漏れ出ている。

 グリーゼは後ろで見守っていた。
 微かに構えている姿勢から、どうやら危ないところで助けに入る魂胆だろう。
 申し訳ない反面、頼もしい。

 コウモリが飛んでいるかのように、暗い夜の空にいくつもの影が浮かぶ。
 それが、風の音を鳴らしてナトに降り注ぐ。

 少年は、弾くように腕を凪いだ。
 強い衝撃を感じながら、切り、叩き落とし、受け流す。
 辺りに花弁が咲くように、いくつもの木槍が生えていく。

 その中で、タイミングを見計らって、少年は体を捻って抜け出した。
 背後で、土を巻き上げいくつもの枝が針山のように刺さっていくのを尻目に、地面を蹴った。

 再び頭上から影が落ちる。
 その瞬間、

「っりゃぁっ!!」

 飛び出した。
 矢のように鋭く、怪物へ向けて。
 後ろの爆ぜる土の音が、急速に遠ざかる。

 もっと速く。
 この程度では、守れない。
 走れ。
 走れ――!

 剣を上段から、更に背中側に大きく引く。
 風が全身を打ち、耳に風圧を受けながら、
 動作の全てを剣先に乗せて、右腕を鞭のようにしならせて、振り下ろす。

 ――一撃を、重く!

 太い木の幹が折れるような、強烈な破壊音。
 剣先が硬い表面を叩いた瞬間、指で熟れた果実を指で刺したようにめり込み、
 一瞬の後に怪物の顔の半分が礫となって前方に飛んでいった。

 ナトは反動を抑えきれず、地面に転がった。
 荒い息遣いで片手をついて立ち上がり、後方を確認する。
 そこには、呆気ない姿の怪物の死体が転がっていた。

「はぁっ、はぁっ」

 胸を上下させて、剣を見るナト。
 結晶で包まれているはずなのに、なぜか「しなり」がいい。
 普通あんな無茶な使い方をしたら、折れてしまう筈なのに。

 じっと刃先を見つめる。
 刃こぼれも、ない。
 案外悪くないかもしれない。

 しかし、そのせいですぐに気がつかなかった。
 感づいたのは、鼓膜がそれを訴えた瞬間だった。

「っ!」

 反射的に、体を仰け反らせる。
 それが功を制し、彼の体のすぐ脇の影に、その槍は穴を開けていった。
 更に。

「かっ……は!?」
「ナトさん!!」

 間髪入れず、胸の辺りに大きな衝撃。
 跳ね飛ばされるように、ナトは地面を転がった。

 油断した。
 胸が苦しい。
 痛い。

 ――でも、寝転がっていては駄目だ!!

 剣を地面に突き立てて、無理やり体勢を立て直し、即座に、衝撃のあった部分を確認する。
 破けた布の下、そこには、幸いにも穴は空いていなかった。

 代わりに見えていたのは、張り付いて取れなかった薄虹色の結晶。
 どうやら、皮肉な事にこれに命を救われたらしい。しかも傷ひとつ付いていない。

「ナトさん、引いてください!」

 グリーゼが叫ぶ。
 顔を上げると――そこには先程と似たような怪物の影が二体浮かんでいた。

「げほっ、げほっ……そうだ、一匹とは、限らない……」

 ゆっくりと立ち上がり、ナトはそう呟いた。
 そして――剣を向けて、構え直した。

「何をしているのですか!? 引きなさい! これ以上は危険です!!」
「駄目です」
「何故ですか!?」

 振り向かす、ナトは呟いた。

「僕は……」

 続けようとして、

 ――死に急いでないか?
 ――やめてくれよ。

 聞き慣れた、親友の声。
 体の中の黒い渦に、取り込まれるように、流れていく。

「そんな事は、ないよ」

 そう言って、再び向かって行った。
 倍の数の木枝の槍の嵐が、少年を迎え入れる。

 守るんだろ、皆を。

 壮絶な音が響く。
 その中で、少年は踊り続けた。
 腕が千切れそうになる中、それでも飛来し続ける槍を、切る、切る、切る。

 ナトはその内の一体に向けて跳躍した。
 そして、靡く布のような体を掴むと、抵抗する怪物を地面に引き倒そうとする。

 強い抵抗はあったが、普段の倍以上の力を、今のナトは持ち合わせていた。

「はぁっ!」

 ついに地面に落ちた怪物。
 組み伏せた怪物のその抵抗を抑え、ナトは耳をそばだてる。
 微かな風切り音が鼓膜を揺らした、その瞬間に飛び退いた。

 落ちてきた槍が、怪物の顔を貫く。もう一体の怪物が操作していた物だった。
 立て続けに降り注ぐ槍をその木の実で出来た顔で受け止めて、止んだ頃には、既にその間抜けな顔は原型を保っていなかった。

「次……っ!」

 その怪物が動かなくなった後、最後の一体に向けて、力の限り剣を投げた。
 飛来する槍と交差して飛翔する剣は、その切っ先に怪物を捉えて離さない。

 木の実を突き抜けて刺さる剣。
 その瞬間、ナトは風を切る木の枝を屈んで避けて、地面を蹴った。

 飛び出したナトは、怪物の頭に生えるその柄に飛びつき、
 銅色の刃を引き抜いた直後に、続けて剣先を叩きつける。

 ――徹底的に。

 一体目の時より容易く破壊される。
 木の実の破片が散らばり、怪物を支えていた浮力が失われ、地面に落ちていく。
 そして、その怪物は動くことをやめた。

「そんな……嘘、でしょう……」

 凄惨な光景だった。
 流れ弾に当たってほとんどの墓石は壊されており、砕け散った木の実の残骸の中、少年が一人、佇んでいた。

「げほっ、はぁっ、はぁ……」

 手足が震える。
 身体中が疲労を訴えている。

 剣を杖代わりに、縋り付いて崩れ落ちる。
 何も考えられなかった。力が入らない。指先まで、何もかもが動くことを拒否していた。
 目を瞑れば、簡単に意識を手放すことができそうだ。

「……ナトさん、あなたは」

 グリーゼが、その少年に向かって呟く。

「あなたは、人を守る前に、自分を大切にするべきだ」

 すっかり静かになった墓場の暗闇に、その言葉は吸い込まれていった。
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