第30話 「エピローグ2:しじまの森に別れを」

文字数 2,610文字

 銀色が舞う。
 その微笑みが、根底からの安心感を与えてくれる。
 しかし――今回のそれは、少し不穏な感情をはらんでいた。

 ――駄目。

 響き渡る鈴のような声は、少し震えていた。
 頭のいい彼女が、言葉にそのような感情を孕ませることは珍しく思えた。

 ――今すぐ、帰って。この場所から、出ていってほしいの。

 少女は言った。
 どこか必死さが漂っていた。

 ――でも、無理よね。どちらにしろ、ここからは、今のあなたじゃ出られない。

 どういう意味だろう。
 聞き返したい。
 しかし、濃霧の中を漂う形のない俺は、言葉を発することができない。

 ここは、彼女の、彼女だけの空間。
 部外者は、口を出せない。

 ――お願い。

 泣きそうな声で、彼女は言った。

 ――もう無茶は、しないで。





 ナトが目を覚ます。
 木の天井――グリーゼの、木の上の家。

 居間が賑やかだ。
 どうやら、客人が来ているらしい。

 ベッドを降りて、適当に身なりを整えたナトは、リビングに向かった。

「あれ」

 橙色の髪の青年と黒髪の少女が、テーブルに並んで腰掛けていた。
 ハルトマンとチェットだった。後ろには遺構で見た三人の従者が控えている。
 二人は赤目の鳥の刺繍が入った白ローブを羽織り、ハルトマンは金色の剣を()いていた。

 アメリオとオーハンス、グリーゼはその場に同席しており、二人と何やら話している。
 ヨルカの姿は見えない。
 昨日、あの後逃げられてしまったきりだ。

「ハルトマン、どうしたの?」
「ナト……」

 ちらりと、流し目でナトの姿を確認すると、その青年は立ち上がった。

「これから、僕たちは出発しようと思う。それを伝えに来た」
「そうなんだ」

 思い返せば、彼らも旅人だった。
 もう、会えないのだろうか。

「お別れだ、ナト」
「うん、そうだね」
「その節は……その、世話になった」

 軽くハルトマンは会釈をして、そしてローブを翻した。

「いくぞ」
「ハルト、もういいの?」
「……いくぞ」

 ハルトマンがドアの扉を開いた。
 外の空気が入り込むと同時に、淡く光る灰が降る夜の森の景色が現れる。
 ブーツで木の板を鳴らし、外に踏み出す。

 ふと、刺繍をあしらった背中が立ち止まり、従者の一人が鼻をぶつけた。

「ふぎゅっ!? な、なにするんですかぁ」

 従者の抗議にハルトマンは答えなかった。
 静かに、前を見ながら、ポツリと呟いた。

「――またな」

 今度こそ、歩きだした。
 それに続いて、チェットと、鼻をさする従者と、同じく従者である二人が出ていった。

 それから家はすっかり静かになった。

「やっと厄介なのが消えたぜ」
「私、結構楽しかったわ! また会いたいわね!」
「とんでもない、二度とかまってくれるなよと言いたいところだ」

 なぜかうなじを擦るオーハンスとアメリオが何事かを話し始め、グリーゼは黙ってそれに耳を傾けていた。
 ナトは一人、彼との出会いと別れを思い出し、最後の言葉を反芻した。

 そうだ。ここは異世界「ベルガーデン」
 とても危険なだけど、僕たちは同じ場所を旅している。
 きっといつか会える。

「……うん、また」

 ポツリとしたその言葉に呼応するように、庭園の鐘が鳴った。







「私も、あなた方に同行させてほしいのです」
「グリーゼさんも、ですか?」

 そう言われたのは、突然だった。
 ハルトマンが村から旅立ち、少し経った後だった。

「あなたにはこの家があるじゃない」

 アメリオが言った。
 痛い所を突かれたとばかりに、グリーゼは後頭部を擦る。

「私はもともと、この村の住民ではありません。それに、貸家ですので……」
「では、どうして?」

 アメリオを継いだナトの問いに、グリーゼは答えた。

「この体を、治すためです」
「……どういうことですか」
「私がこの村に滞在している訳は、実は薬でこの体を治せるのではないかと思ってのことでした。知っての通り、この村は呪いに対する療法の宝庫ですので。
 ですが、いくら研究が進もうとも私の体のことは何もわからず、今に至ります。
 そろそろキリを付けて、別の場所で手がかりを探そうと思うのです」
「……それで、僕らと?」
「ええ。これも何かの縁かと思いまして」

 ナトは少しの間考えた。
 と言っても、特に懸念が見つかるわけがなく。

「ええ、もちろ……」
「歓迎するわ! 一緒に行きましょう!」

 それよりも早く、アメリオが嬉しそうにそう言った。

「何いってんだ。お前はここでお留守番だろ。いつの間にかしれっと帰ってきやがって」
「あの子たちはもう私が居なくても生きていけるわ!」

 お前はあの子達のなんなんだ、とオーハンスのぼやきを聞き流し、ナトはグリーゼに向き直った。

「では、これからよろしくお願いします」
「ええ。こちらこそ」

 差し出された黒い籠手を握ると、硬い感触の奥から暖かさが伝わってきた。
 これからは仲間だ。

「改めて。僕――いや、俺はナト」
「私はグリーゼ。よろしくお願いします、ナト」
「よろしく、グリーゼ」





 鐘は鳴る。
 どこか、遠い彼方より響くその音色は、その大地に潜んだ危険と財宝を目覚めさせる。

 魔王の目下にあるとされるその幻の世界は、すべてを包み込み、混ぜ合わせる。
 箱庭に迷い込んだ者、そして箱庭に生きるものを、(おびや)かし、そして魅せる。
 暗闇の降りる未知の世界は、今日も胎動をやめることはない。

 迷える旅人を見下ろして。
 大きく手を広げて、(いざな)いながら、
 今日も今日とて、静かに笑っている。

 霧が揺らめく。
 その中に渦巻くのは、光か、闇か。

 誰も知らない。
 誰も知れない。
 その権利を持つことが許されるのは、足を踏み入れた者のみ。

 しかし、一度足を踏み入れれば、もう戻ることは出来ない。
 声も届かないし、振り返ることも許されない。
 その上で、大地は彼らに権利を許す。

 少年たちは今、権利を得た。
 故に最果てのその大地より、彼らに褒美が(もたら)される。

 鐘は鳴る。
 生ける大地は今、最果ての場所で彼らを呼んでいる。
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