第55話 「ざわめく森」

文字数 4,288文字

 Eris mi-uru-ostle Eri othy.
 "我らの母なる大地は天命により失われてしまった。"

 Anole eru ha-naky-ruy Ijei mi-uru-odo Mytal ant Mend othy, Coxtra mi-alt-uru-morg Goxdeor othy.
 "かつて宝石の流れた川は血と泥で汚れ、緑の地上は悍ましい悪魔が食べつくしてしまった。"

 Ei noc-pade-moxy athy gout Atrer. At ris wontle Elcry-Kery.
 "我らは取り戻し、再び繁栄を築かなければならない。それは使命であり、運命である。"

 I ru-pade-kindy Keruo-no-Dentrojot ow-Rutos ewy-Toco-no-Kein.
 "ケルオの民の誇りを、我らが永遠の主、ルトス様に誓う。"

 Anky Noel-yund
 "ノエル・ヨンド"






 古びた表紙の本――忘れ去られた暗い森の小屋で拾った遺品。
 見たことのない文字の羅列に、グリーゼに訳してもらった内容を当てはめてなんとなく眺めていたナトだったが、

「お待たせしました……本当に、何もできなくて、申し訳ありません」
「もう良いのか」
「ええ、おかげさまで」

 痺れの回復した様子の彼女を見て、腰を上げた。
 ヨルカと話はした。
 ただ、どこかぎこちなく、なんとなく意思確認をした程度で済ませてしまっている。

 ナトが、初めて人を殺めてしまった。
 その出来事に立ち会った事は、彼女の心にとても深い傷を残していた。
 ナトが男の死体を解体するのを見ていた彼女の心中は、未だナトには把握しきれてなかった。
 
 さて、そんな彼はただ本を読んで怠惰を謳歌していたわけではない。
 森のなかで何があったのかをアメリオとオーハンスの二人に話しながら、
 太陽が頂点を目指す中で進めていた作業により、舟の修理は済ませることができていた。

 実際に乗ってみることとなった。
 結果、オーハンスを除いた四人が乗っても、安定して舟は浮いていた。
 荷物の積み込みその他諸々を終え、ようやく舟は出発した。

 川の中央をゆったりと進む。
 遠くの岸辺に見えるオーハンスはこちらの進行に合わせて進んでくれているようだった。

 前の席でナトとグリーゼが板を張り合わせたような簡易的なオールを持ち、
 アメリオとヨルカは二人と後方の荷物に挟まれる形ですっぽりと収まっていた。

 しかし思ったよりも舟は狭い。
 ナトの脇で縮こまるヨルカの顔は、心なしか赤かった。
 アメリオは不思議そうに、うつむき加減の彼女を見て首を傾げた。

「しかしよかったですね、歩いてばかりでしたから」

 舟はあまり揺れず、穏やかに進んでいく。
 オールを使う必要もあまりないため、今までの森の中を抜けてきた旅とは比べ物にならないほど楽だった。

 ぽちゃんぽちゃんと川の水が呑気に船べりを叩き、
 生まれた白いあぶくを、アメリオが指で救って遊んでいる。

「のどかなものです。……モルキア川を見つけた旅人は、皆感激するそうですよ。入り組んだ森中の唯一の(しるべ)ですから」
「ねえ、そういえば、そのモルキアっていうの、
 どうにもあの世って意味の死界(モルキア)と似てるわね。偶然かしら」

 それは以前、オーハンスも口にしていたことだった。
 アメリオのその疑問に、グリーゼも首を傾げる。

「さあ。私も語学には乏しいもので……ですが、暗い森の村にあった書物の中には、モルキア川についての記述がありました。
 昔、死者をこの川に流す風習があったそうです。
 なんでも、戦争が起きた時に二つの勢力が川を挟んで対立したそうで、
 戦死者が川へと流れていったことからそういった風習ができたとか」
「それで……死界(モルキア )、ですか?」
「関係はありそうね!」

 そんな雑談を耳に入れながら、ナトが川辺を進むオーハンスを見ていると、「あの、ナトさん」とヨルカから声がかかった。

「ここに来る前に言ってた、何でしたっけ……二人の銅像? のお話には、このモルキア川は出てこなかったのですか?」
「英雄……詩人バジルと魔道士オーンクロック・メイズウォーカーの話?」
「そうだったと思います」

 ナトは記憶を遡るように顎に手を当てた後、ゆっくりと口を開いた。

「彼らの話は『バジルの詩』という形で体系化されているんだ。……確か、その中に川がどうこうと言った話があった気がする」
「どんな内容なの?」
「モルキアという名前は出てきて無かったかもしれない。でも、確か――」

 『大蛇の跡は地を縦に割りける。その幅はかの絶望の淵よりも広く、我々の侵入を拒み続ける。
  灯火が涙した日には注意されよ、渡らんとすれば、屍の山へと押し流されるだろう』。
 ナトがそんな言葉を口ずさみ、

「――そんなニュアンスの話だった」
「ずいぶん、抽象的なんですね」
「ヨルカたち貴族には、『バジルの詩』は伝わってないのか」
「そんな話聞いたこともないわ!」

 しかし、ナトとてきちんとした出処から得た話ではなかった。
 酒場で聞き込みをしている内に、自然と誰かが歌っていたのを耳が覚えてしまっただけである。

「おっ……とと」

 その時だった。
 一瞬、舟がぐらついたような気がした。
 船べりに掴まり、落ち着いたところでアメリオが川底を覗き込む。

「やけに揺れるな」
「岩にでもぶつかったかしら」
「浸水は……してません、よね」

 それは杞憂に終わった。
 目を凝らしても、修復した箇所の再破損は見当たらなかった。
 一安心したところで、アメリアが再び口を開いた。

「話を戻して、ねえ、もっと無いの? その詩の他に」
「……覚えている限りなら話せる」
「聞きたいわ!」
「どこからがいい?」

 アメリオの好奇心に当てられ、ヨルカとグリーゼが聞く姿勢をとっているのを見て、
 ナトはこっそりとため息を付きながら、そう聞いた。

「なんで英雄なのかしら。何か偉業を成し遂げたの?」
「彼らはアタラシアから東地――ベルガーデンに派遣された、最初の五人探検隊だった。そして、最初にして最後の帰還者らしい。まあ、実際にはヨルカのお父さんとか、何人か例外はいるみたいだけど」

 これはヨルカがこの土地に向かう前に聞いた話だった。

「そういえば、他の三人は、どんな方なんですか?」
「まずは最初の犠牲者――弓兵アルゼル、そして裏切り者の猟兵アラン。
 最後に、彼らをまとめていた英雄、シン」

 犠牲者に、裏切り者に、英雄。
 なんとも仰々しい肩書が揃っていた。

「その、アランって人は、裏切ったんですか?」
「ああ。詩の中では、彼が裏切ったことで仲間たちを失うことになったと聞いた。
 得た財宝を独り占めしようとして、アルゼルを殺したらしい。止めようとしたシンは刺し違えて死んだ。
 残った二人――バジルとメイズウォーカーはどうにか霧を抜けて帰ってきたそうだ」
「探検隊……だったんですよね? 東地の開拓が目的じゃなかったんでしょうか」
「その財宝がそれほど価値のあるものだったんだろう。……詳しくは知らないけど」

 といっても、殆どがおとぎ話だろう。
 ナトはそう思っていた。
 所詮、語り継がれてきただけの話だ。憶測や妄想が尾びれとなって付いているに違いなかった。

「うわっ!?」
「どうした?」

 一瞬、心なしか警戒色を強めたナトを見て、慌てて「い、いえ」と手を振るヨルカ。

「また顔に何かが当たって……そんなに虫、多いんでしょうか」
「そういえば、私もさっきから……こう、ぽつぽつと」

 アメリオが頬を拭いながら、そんな事を言った。
 ナトは怪訝げに眉をひそめる。

「『ぽつぽつ』?」

 そういえば。
 先程から、木々がやたらを葉を鳴らしている。
 川の水も、腹でも壊したかのように荒波を立てていた。

「これ……雨ですよ、皆さん」

 若干声を震わせ、ヨルカが言った。
 先程から彼女の頬を打っていたのは、時々森の冠を突き破って落ちてきた雫だったのだ。

 そして、ナトも気がついた。
 現在、自分たちが置かれている立場に。

「いつから降り始めていた……?」
「わかりません、でも……」

 ナトは必死に辺りを見回した。
 そして、それが彼の目に止まった。

「あ、あの……」
「……ああ、俺も今気がついた。不味いな」

 いつの間にか騒ぎ立てていた環境音のせいで、気がつけなかった。
 こちらと並走して走るオーハンスが、迫真の表情で何かを伝えようとしている。
 ――早まる川の流れに乗った船は、怪しく揺れ始めていた。

 一同も理解した。
 この川は、氾濫し始めている!

「ナト、岸辺に戻りましょう。流れに捕らわれる前に!」

 そう言って二人はオールを掴み、必死で漕ぐも――流れに乗った舟は、制御しきれない。

「しまった、遅すぎた……!」
「私なら地上まで引っ張れるのでは――」
「無理です、多分グリーゼさんでも、この川底に足は届きません!」

 そう――四人は既に、川の流れの中に居た。
 抜け出す道は、無い。

 次第に、落ちてくる雫は量を増す。
 分厚い木々の葉をすり抜けてもこの量……実際には、豪雨と言って差し支えないほど降っているだろう。
 だとしたら、この川は今後、より勢いを増していくに違いない。

 そこまで思い至ったナトは、どうしようもないこの状況に唇を噛んだ。

 ――守るって決めたはずだ。

「どうにか、しないと」

 立ち上がり、再び見回した。
 こちらを見据え、並走するオーハンス。
 ざあざあと警告を発する草木。

 そして――舟の後方に目を向けた時、ふと、その何かに目が止まった。
 その、水位が増して荒れる波の中に――、

「何か、いる」
「え?」

 ナトのつぶやきに、間の抜けた声をヨルカが発した、その時だった。
 その飛沫の中から、水をかぶった何かが姿を現した。
 灰色の毛皮のような背中が、流れに乗ってこちらを追いかけてきている。

「怪物!? こんな時に!?」
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