第45話 「囚われた狂気」
文字数 3,631文字
拘束を解かれたオーハンスは、ナトの拾い上げたフードコードを渡されると、それをすぐに体にまとった。
「大丈夫?」
「……すまん」
顔に影を落としてそう呟くように言った彼は、遺跡の床に落ちた自分の衣服を搔き集め始めた。
心配そうに彼を見るナトだったが、もう一人、拘束を受けている少女へと駆け寄った。
「今、解 くから」
「あ、あの……ありがとうございます」
手足を縛る縄を剣で断ち切ると、ヨルカはその僅かな膨らみを隠しながら、同じくはだけられた服を胸に掻き抱いた。
「その怪我……」
「い、いえ、ナトさんほどでは……」
額から流れ出た血の跡を見るナト。
しかし、豪速の小石をいくつもぶつけられ、彼自身も体の所々から血を滲ませていた。
「……っ」
「ナトさんっ!」
不意によろけるナトに、衣服を着直したヨルカが駆け寄る。
「やっぱり、無理して……」
「……いや、怪我じゃない」
一気に押し寄せる疲労感。
アメリオと共に襲われた怪物の時や、遺跡の黒く爛れた怪物の時にも感じたこの感じ。
青い剣の反動。
やはり、ただの疲労ではないらしい。
「……ナトさん、どうしました?」
「何が」
ヨルカに目を向けると、こちらを向く瞳が動揺したように揺れたのがわかった。
「いえ、その……」
「……他にも仲間がいるかもしれない。さっさとここを出よう」
それでもしっかりと足で地面を噛み、ナトは仕切りの外へと向かう。
心配そうなヨルカと、暗い表情のオーハンスがそれに続く。
破壊された遺跡の柱により剥がれ落ちた仕切りを跨いで外に出る。
その時だった。
遺跡の壁にナイフで貼り付けにされた隻眼の男が呻く。
「覚えてろ……頭 はお前ですら敵わない。あの人が来れば、きっと……」
ナトが剣の腹で男の顎先を叩く。
鈍い音の後に、男は気を失って壁にもたれかかった。
「ちょっと、ナトさん……!」
「何」
睨めつけるヨルカにナトは視線を向けた。
「そんな、人を痛めつけるような事しないでくださいって、いったじゃないですか」
「殺さないでくれとは言われた」
「……もしかして、命を奪わなければ良いって、そういう意味だと思ってたんですか?」
黙りこくるナト。
「それじゃ、この人たちと変わらないじゃないですか!」
「それは違う」
「私達は殺し合いをしに来てるんじゃないんです! ナトさんだって――」
「そんなの、わかってる」
ヨルカは、気がついた。
ナトの瞳が、強い感情に揺れている。
「最初から、わかってた。法がないこの世界に酔ってるわけじゃない」
ナトがヨルカを見下ろす。
「不思議なんだ。……躊躇、できないんだ。
シアを失って、俺の世界からあの銀色が消えてから、ずっと――だから」
ナトがヨルカの肩を掴んだ。
思いの外強く込められた力に、びくりと体が震える。
「君たちを、失うくらいなら――」
その最後の言葉を待たずに、ヨルカは突き飛ばされた。
「えっ――」
あまりに唐突な行動に、言葉が出ないでいると、
腐葉土を強く踏んだ音と共に、ナトの剣が唸りを上げた。
そして、気がつく。
覆い被さる、大きな影。
像の足踏みのような地面の揺れ。
金属同士の衝突音と、飛び散る火花。
ナトの剣が迎え撃ったそれは、大型の手斧。
「おや……これは驚いたなぁ」
大男が降ってきた。
汚らしい服にボサボサの髭。
散り散りの頭髪も擦り切れた箒のようだ。
その顔に湛える表情は、笑っているのか、それとも無表情なのか判別つきにくい。
ただ、背の高いナトを更に上から見つめるその瞳は、泥沼のような読み取りづらい雰囲気を持っていた。
その視線が、遺跡の中で倒れる男たちに向く。
「へぇ……君たちがやったのかい?」
男が間延びした口調でナトに問うが、言葉が終わる頃には、男の目の前は跳ねた土くれしかなかった。
「ふっ!」
男の斧を持たない左側へと回り込んだナトは、踏み込みに続いて雷のように切っ先を撃ち出した。
しかし、
「早いねぇ」
「ぐぅっ!?」
大岩のような拳が、ナトの腹を抉る。
容易 く飛ばされたナトの体は、背後の大木の幹に打ち付けられた。
「ナトさん!!」
「後は――」
その大男が視線を二人に向ける。
怯えたようにローブのフードを握りしめるオーハンスと、青い顔で唾を飲み込み――それでも男を睨むヨルカ。
「美味しそうなのが揃ってるじゃ」
「黙れ」
突如弾ける火花。
予備動作も無いその一閃を、男はまるで予知でもしていたかのように簡単に受ける。
刃と刃が噛み合い、不快な音を立てる。
「君は人間かい……?」
「……お前は人じゃないな」
剣の角度を落として斧を往 なすと、懐に潜り込んで粘土の刃を突き上げた。
ほぼ密着状態で、一瞬の出来事だった。
しかし――手斧で牽制していた標的が消えて体勢を崩していたはずの男は、まるで最初からわかっていたかのようにその一撃をかわした。
まるでその巨体に似合わないその俊敏な仕草に、ヨルカとオーハンスは戦慄する。
実際、二人の目には一度の瞬きの内に二人の位置が入れ替わったようにしか見えなかった。
「まあ……そうだね、僕はもう人じゃないかなぁ。こんなにもおかしな力を手に入れたからねぇ」
「違う」
「ん……? どう言う意味だい?」
その無機質な目がナトを捉える。
「その目……前に会ったことがある。そいつと、同じだ。人としての『それ』を捨てた目だ」
脳裏に浮かぶのは、沼の村。
目の前で少女を弄ぶ、豚のような男の姿。
「ああ……そう言う事」
男がふと、口角を上げたような気がした。
しかし、よくよく見るほど、やはりそれは気のせいだったと思ってしまうほど、その顔は無表情を保っていた。
人としては異質だ。まるで何かを悟ったような、諦めているような、言い表し難い表情。
「でもさ」
口を開く。
「君だって、同じ目をしているよ」
ナトの体の中で、何かが湧き上がるような、そんな感覚。
それは怒りか――それとも焦りか。
気が付けば、足が地面を蹴り、右手は硬く剣の柄を握っていた。
「おおっと、ビンゴかな」
荒れ狂う暴風の様なその突撃は、長く伸びてその大男を狙う。
それを断ち切らんと、大した重みも感じない様に持ち上げられた手斧。
描かれた直線の真ん中に、その切っ先が振り下ろされる。
僅かに右斜めに逸れるナト。
蹴った土や小石が吹き飛び、また新たな土煙を置き去りにする。
ナトの方向転換と重なる様に斧が落ちる。
――ナトにはそれが軽い衝撃に感じられた。
肩を滑るその感触に、その妙な抵抗感の無さに、違和感を感じる。
血が飛んだ。
どうやら左肩を一部切り取られたらしい。
だが――。
「はああああああ!!」
止まらない――――!!
右手を肩の上で弓のように引き絞る。
そして放たれる、一本の矢のような鋭い一撃。
空気すらも穿ちながら、男の首を一直線に狙う。
大男の左手がからくりでも仕掛けられているかのように、それに合わせて動いた。
まるで汚い泥を被った大葉のようなそれは、ナトの渾身の一撃を正面から受けるつもりだった。
だが。
「おや――」
手のひらの分厚い皮を物ともせず、骨の抵抗を感じさせないように、反対側から、男の首をまっすぐ狙った切っ先が突き出てきた。
それが、減速も無しに伸びてくる。
そして、遂に男の首にその先端が当たった、その時だった。
突然、ナトの動きが止まった。
見れば、剣先が頼りなく揺れている。
「おい、ナトっ!?」
青い剣の代償が、無情にも彼を襲っていた。
いや、ずっとそれは続いていた。
それでも懸命に体をひっぱたいて動いていた彼でも、流石に糸が切れてはどうしようもないようだった。
「もう終わりかい?」
「……っ」
「そうかい、それは残念だなぁ」
男は左手を貫かれたまま、深く刺さった剣の根元を掴み、持ち上げた。
しかし、それでも剣を離そうとしないナトは、高く空中に持ち上げられてしまう。
「じゃあね――それいけ」
そのまま、大振りに投げる男。
剣は大男の左手から逃れて、それと同時に血が飛び散った。
投げられた剣と共に地面を転がるナトは、地面に倒れ伏した後、遂に動けなくなったようで、顔だけを辛うじて男に向けている状態だった。
今更になって血が流れ始める肩は、止血すらできずに止めどなく赤い泉を作っていく。
ここまで粘った少年の戦闘の終わりにしては、あまりに呆気ない結末だった。
「大丈夫?」
「……すまん」
顔に影を落としてそう呟くように言った彼は、遺跡の床に落ちた自分の衣服を搔き集め始めた。
心配そうに彼を見るナトだったが、もう一人、拘束を受けている少女へと駆け寄った。
「今、
「あ、あの……ありがとうございます」
手足を縛る縄を剣で断ち切ると、ヨルカはその僅かな膨らみを隠しながら、同じくはだけられた服を胸に掻き抱いた。
「その怪我……」
「い、いえ、ナトさんほどでは……」
額から流れ出た血の跡を見るナト。
しかし、豪速の小石をいくつもぶつけられ、彼自身も体の所々から血を滲ませていた。
「……っ」
「ナトさんっ!」
不意によろけるナトに、衣服を着直したヨルカが駆け寄る。
「やっぱり、無理して……」
「……いや、怪我じゃない」
一気に押し寄せる疲労感。
アメリオと共に襲われた怪物の時や、遺跡の黒く爛れた怪物の時にも感じたこの感じ。
青い剣の反動。
やはり、ただの疲労ではないらしい。
「……ナトさん、どうしました?」
「何が」
ヨルカに目を向けると、こちらを向く瞳が動揺したように揺れたのがわかった。
「いえ、その……」
「……他にも仲間がいるかもしれない。さっさとここを出よう」
それでもしっかりと足で地面を噛み、ナトは仕切りの外へと向かう。
心配そうなヨルカと、暗い表情のオーハンスがそれに続く。
破壊された遺跡の柱により剥がれ落ちた仕切りを跨いで外に出る。
その時だった。
遺跡の壁にナイフで貼り付けにされた隻眼の男が呻く。
「覚えてろ……
ナトが剣の腹で男の顎先を叩く。
鈍い音の後に、男は気を失って壁にもたれかかった。
「ちょっと、ナトさん……!」
「何」
睨めつけるヨルカにナトは視線を向けた。
「そんな、人を痛めつけるような事しないでくださいって、いったじゃないですか」
「殺さないでくれとは言われた」
「……もしかして、命を奪わなければ良いって、そういう意味だと思ってたんですか?」
黙りこくるナト。
「それじゃ、この人たちと変わらないじゃないですか!」
「それは違う」
「私達は殺し合いをしに来てるんじゃないんです! ナトさんだって――」
「そんなの、わかってる」
ヨルカは、気がついた。
ナトの瞳が、強い感情に揺れている。
「最初から、わかってた。法がないこの世界に酔ってるわけじゃない」
ナトがヨルカを見下ろす。
「不思議なんだ。……躊躇、できないんだ。
シアを失って、俺の世界からあの銀色が消えてから、ずっと――だから」
ナトがヨルカの肩を掴んだ。
思いの外強く込められた力に、びくりと体が震える。
「君たちを、失うくらいなら――」
その最後の言葉を待たずに、ヨルカは突き飛ばされた。
「えっ――」
あまりに唐突な行動に、言葉が出ないでいると、
腐葉土を強く踏んだ音と共に、ナトの剣が唸りを上げた。
そして、気がつく。
覆い被さる、大きな影。
像の足踏みのような地面の揺れ。
金属同士の衝突音と、飛び散る火花。
ナトの剣が迎え撃ったそれは、大型の手斧。
「おや……これは驚いたなぁ」
大男が降ってきた。
汚らしい服にボサボサの髭。
散り散りの頭髪も擦り切れた箒のようだ。
その顔に湛える表情は、笑っているのか、それとも無表情なのか判別つきにくい。
ただ、背の高いナトを更に上から見つめるその瞳は、泥沼のような読み取りづらい雰囲気を持っていた。
その視線が、遺跡の中で倒れる男たちに向く。
「へぇ……君たちがやったのかい?」
男が間延びした口調でナトに問うが、言葉が終わる頃には、男の目の前は跳ねた土くれしかなかった。
「ふっ!」
男の斧を持たない左側へと回り込んだナトは、踏み込みに続いて雷のように切っ先を撃ち出した。
しかし、
「早いねぇ」
「ぐぅっ!?」
大岩のような拳が、ナトの腹を抉る。
「ナトさん!!」
「後は――」
その大男が視線を二人に向ける。
怯えたようにローブのフードを握りしめるオーハンスと、青い顔で唾を飲み込み――それでも男を睨むヨルカ。
「美味しそうなのが揃ってるじゃ」
「黙れ」
突如弾ける火花。
予備動作も無いその一閃を、男はまるで予知でもしていたかのように簡単に受ける。
刃と刃が噛み合い、不快な音を立てる。
「君は人間かい……?」
「……お前は人じゃないな」
剣の角度を落として斧を
ほぼ密着状態で、一瞬の出来事だった。
しかし――手斧で牽制していた標的が消えて体勢を崩していたはずの男は、まるで最初からわかっていたかのようにその一撃をかわした。
まるでその巨体に似合わないその俊敏な仕草に、ヨルカとオーハンスは戦慄する。
実際、二人の目には一度の瞬きの内に二人の位置が入れ替わったようにしか見えなかった。
「まあ……そうだね、僕はもう人じゃないかなぁ。こんなにもおかしな力を手に入れたからねぇ」
「違う」
「ん……? どう言う意味だい?」
その無機質な目がナトを捉える。
「その目……前に会ったことがある。そいつと、同じだ。人としての『それ』を捨てた目だ」
脳裏に浮かぶのは、沼の村。
目の前で少女を弄ぶ、豚のような男の姿。
「ああ……そう言う事」
男がふと、口角を上げたような気がした。
しかし、よくよく見るほど、やはりそれは気のせいだったと思ってしまうほど、その顔は無表情を保っていた。
人としては異質だ。まるで何かを悟ったような、諦めているような、言い表し難い表情。
「でもさ」
口を開く。
「君だって、同じ目をしているよ」
ナトの体の中で、何かが湧き上がるような、そんな感覚。
それは怒りか――それとも焦りか。
気が付けば、足が地面を蹴り、右手は硬く剣の柄を握っていた。
「おおっと、ビンゴかな」
荒れ狂う暴風の様なその突撃は、長く伸びてその大男を狙う。
それを断ち切らんと、大した重みも感じない様に持ち上げられた手斧。
描かれた直線の真ん中に、その切っ先が振り下ろされる。
僅かに右斜めに逸れるナト。
蹴った土や小石が吹き飛び、また新たな土煙を置き去りにする。
ナトの方向転換と重なる様に斧が落ちる。
――ナトにはそれが軽い衝撃に感じられた。
肩を滑るその感触に、その妙な抵抗感の無さに、違和感を感じる。
血が飛んだ。
どうやら左肩を一部切り取られたらしい。
だが――。
「はああああああ!!」
止まらない――――!!
右手を肩の上で弓のように引き絞る。
そして放たれる、一本の矢のような鋭い一撃。
空気すらも穿ちながら、男の首を一直線に狙う。
大男の左手がからくりでも仕掛けられているかのように、それに合わせて動いた。
まるで汚い泥を被った大葉のようなそれは、ナトの渾身の一撃を正面から受けるつもりだった。
だが。
「おや――」
手のひらの分厚い皮を物ともせず、骨の抵抗を感じさせないように、反対側から、男の首をまっすぐ狙った切っ先が突き出てきた。
それが、減速も無しに伸びてくる。
そして、遂に男の首にその先端が当たった、その時だった。
突然、ナトの動きが止まった。
見れば、剣先が頼りなく揺れている。
「おい、ナトっ!?」
青い剣の代償が、無情にも彼を襲っていた。
いや、ずっとそれは続いていた。
それでも懸命に体をひっぱたいて動いていた彼でも、流石に糸が切れてはどうしようもないようだった。
「もう終わりかい?」
「……っ」
「そうかい、それは残念だなぁ」
男は左手を貫かれたまま、深く刺さった剣の根元を掴み、持ち上げた。
しかし、それでも剣を離そうとしないナトは、高く空中に持ち上げられてしまう。
「じゃあね――それいけ」
そのまま、大振りに投げる男。
剣は大男の左手から逃れて、それと同時に血が飛び散った。
投げられた剣と共に地面を転がるナトは、地面に倒れ伏した後、遂に動けなくなったようで、顔だけを辛うじて男に向けている状態だった。
今更になって血が流れ始める肩は、止血すらできずに止めどなく赤い泉を作っていく。
ここまで粘った少年の戦闘の終わりにしては、あまりに呆気ない結末だった。