第42話 「息づく気配」

文字数 4,234文字

「それにしても、今日は湿気がすごいね」
「ここのところ、ちょくちょくこんな感じだな」
「雨でも降るのかも。川が近くに無いといいけど……」

 肌を湿らすぬるい湿気にうんざりとしながら、再び探索に出た彼らは言った。
 ところで、アメリオとグリーゼは留守番である。
 それは怪我をした直後のアメリオを気遣ってのことだった。

 湿った地面には三人分の足跡が残り、そのつま先の向く先はやはり森の中だ。
 しかし、先日と違う点で言えば、異なる分岐路を通っている事だろう。

「ナト、今日の目的はなんだ?」
「食べ物、かな。……うん、とにかく食べ物だね。そろそろ落ち着いたし、出発しようと思うんだ」
「じゃあ、なるべく保存が効く物ですね!」
「そうだね、木の実なんかは乾燥させれば、かなり保つし」

 乾燥した果物の重要性は、貴族側でも平民側でも理解、需要のあるものだった。
 貴族たちは干した果物を茶菓子にするし、平民たちは凶作の年などに供えて蓄えている。
 三人が一様に息を巻いているのは、そういった身分を超えた理解の一致の上でのことだった。

「あとは……肉かな。思えば旅の中でもほとんど食べてないし」
「芋ばっかりだったもんな」
「あれはあれでいいんだけど」

 旅の中、足を動かす方が忙しくて、今まで動物を捌くという事が頭から抜けていた。
 しかし、こうした状況で、そして幾らか旅にも慣れた今、肉を食べたいと思える程度の余裕が生まれ始める。

「昨日のは、あんまり量は無かったけど……あれは本当に美味しかった」

 遠い目をしているナトを見て、オーハンスが彼の中に只ならぬ欲望が渦巻いているのを感じ取った。
 多分、次にこいつに見つかった毛のある動物に未来はないだろう。

「ほどほどにな……あ、先に言っとくけど、マイクは食料じゃねぇからな」
「……もちろん、わかってるよ?」

 言葉の前の一瞬の間に、基地に置いてきた相棒への不安を募らせる。

「まあ、余裕が無かった他に、今までは意図的に避けてたって所もあったからね」
「やっぱり、動物を殺すのは躊躇われます?」
「そうじゃないんだけど……ほら、この世界にいる生き物って、死ぬと炎を出して暴れるよね?」

 それはこの世界に生まれた、という意味ではなく、この世界に足を踏み入れた、という意味だった。
 かつてオーハンスの愛馬「カイロス」は、洞窟の中で死んだ後に暴れ馬となってナト達を襲った。
 暗い森の遺跡でかつて出会った青年――ハルトマンの証言もある。
 理屈はわからない。あえていうなら、その場所が鐘の庭園であったという事だけだ。

「だから、食べられないと思ってたんだけど、普通に細切れにしちゃえば、動くことはなさそうだね」

 切って並べられた肉がビチビチと跳ね出したら、流石に食べる気も無くす。
 ヨルカは想像して、そのあまりの絵面に身震いした。

「とは言え、この世界の生き物を食べるのは少し怖いけどな」

 往々に、土地勘の無い場所の食材という物は、手を伸ばしづらいものだ。

「……あの、あれってなんでしょう」

 割って入るようにヨルカが呟いた。
 その視線の先を二人が追う。

 一本の細長い草だった。
 ナトの頭上まで伸びるほど長い茎を持ち、その先に何かがうごめいていた。
 よく見ればそれは何かの生物の塊で、一匹一匹に羽が生えている。
 それは、ナトが昨日見た生物だった。

揺葉虫(ユウグレナキ)の群れ……? 何をしているんだろう」

 羽を震わせて葉の先の何かにたかっている。
 ナトたちが近づくと、それに驚いたのか、散り散りに逃げていってしまった。

「一体何に……ん?」

 高く伸びた葉の先。
 そこに蔓を編んだ縄がくくりつけられいた。
 その縄の先に、何かが捕らえられている。

 小さく蝶のような羽を持つ、人に煮た形をしたシルエット。
 それは、先程集っていたのと同じ種類の生物だった。
 腹にあたる部位を縄で締め付けられていて、体の中から輝く緑色をした体液が滴り落ちては、地面に染み込んでいく。

「おい、ナト、これって……」
「うん……これは、罠だね」

 罠。
 動物を捉えるために、古来より人が利用している狩猟方法。
 こんなものは自然にできない。
 ということは。

「どこかに、人がいるのかな」

 ナトが辺りを見回すと、ちらほらと草木に紛れて、作動前の物と思しき罠がいくつか見受けられた。
 間違いない。
 辺りに人が住んでいる。

「どうしよう、グリーゼを呼んでこようか」

 もし現地の人間であれば、翻訳してもらう必要がある。
 であれば、出会って余計な面倒を起こさないうちに、グリーゼを連れてきて一緒に行動してもらうのが適切だろう。

「マリーの看病は後で考えるとして、今は一旦引いたほうが良さそうだね」

 実際、彼女の怪我の回復は傷跡一つ見当たらないほど進んでいる。
 むしろ、傷があったと言われたほうが違和感を覚えるほど。

「……二人共?」

 返事がない。
 どうしたのだろうか。
 ナトが、怪訝げに後ろを振り向く。

 風が凪いで、巨大な草木が揺れる。
 その時、ナトは体が冷たくなったような感覚に陥った。
 明るいように感じていた森の中が、急に陰影を深め始める。

 そこに、二人の姿はなかった。

「え……?」

 一瞬、呼吸を忘れた。
 そして、布巾が水を吸い上げるように、その現実を頭が理解し始める。

 心臓の音がうるさい。
 視界から消えた。
 守らなきゃいけない二人が、音もなく、自分の視界から。

 手足の先からとめどなく流れ出す体熱が気持ち悪い。
 何かが喉元からこみ上げてくる。

 一歩、彼等が居た方へと足を踏み出す。
 世界が頼りなく揺れて、安定しない地面は体から平衡感覚を奪う。

 しかし。
 それでも。
 異常に強化され、薔薇の棘の先より研ぎ澄まされた彼の聴覚は、それをはっきりと拾い上げた。

 一瞬だった。
 足が地面を噛み、腰が大木を打つ風のように(うね)る。
 美麗な音と共に、銅色の閃光が虚空を穿った。

「っ!? ぎゃあああああっ!?」

 ドスンと、騒音を出す何かが地面に転がる。
 それとは別に、ナイフを握る汚れた人の腕が落ちてくるのを見て、
 剣を下ろした姿勢のナトは、改めて自分が肩を刺し穿ち、腕を弾き飛ばしたその相手をみた。

 雑巾のような男だった。
 髪はカビた鳥の巣のようで、伸ばしっぱなしのそれには白いなにかゴミのようなものが沢山ついている。
 ヨダレを撒き散らす口は食べかすのついた顎髭で覆われており、垣間見える黄ばんだ歯は不揃いだ。

「ひぃっ、ひぃっ!」
「……誰だ」

 ナトが剣先を向ける。
 すると、怯えたように尻もちを付きながら後ずさる。

「やめっ、いの、ちだけは、どうかっ、たのむっ!」
「……こっちの言葉を話せるのか」

 喉元に剣を突きつけながら、ナトは再び問う。

「誰だ」
「お、俺はっ! ここらにっ! ひぃっ、す、住んでるもんだ!」
「手短に言え。俺の連れをどこに寄越した」
「そ、そりゃっ、お、おお俺らのアジトさ! なんなら案内してやってもいい! だから……」

 そう言うと、ナトは鞘に再び剣を戻した。
 それを見て、「へ、へへっ」と、息を継ぐように男は笑った。

「い、いやぁ、しかしお隣さんがいるなんて! とんだ無礼を――ひっ!?」

 ナトが再び腰の鞘に手をのばすと、男は口を(つぐ)んだ。

「今度は頭だ」

 そう言うと、男は「痛え、痛えよ……」と呟きながら歩き始めた。
 抑えた腕からは、心臓の鼓動に合わせて血が吹き出ている。
 ナトがそれに続いた、その瞬間だった。

「っは! このガキャァ!!」

 苦しさを押し殺した笑みで男が振り返る。
 その距離はさほど遠く無い。
 すぐに迫られ、間の隙間を埋められる。
 ――男のもう片方の手には、別のナイフが。

 しかし。
 少年はそれを見切っていた。
 そのうえ、彼の今の身体能力であれば、瞬きをしたって躱すことができる。

 彼は迷わず一瞬で引き抜くと、剣を顔の横に構え、突きの姿勢を作り、その切っ先を頭部に向ける。
 ――だが。
 脳裏をよぎる、沼の村での金髪の少女の叫び。
 それが、少年の狙いを幾らか逸らした。

「――っ!」

 その切っ先が刺さったのは、残った腕の手のひらだった。

「いだぁぁぁぁっ! いやだっ、いやだぁぁぁ!! 殺さないでくれぇぇぇ!!」

 男は泣きわめく。
 ナトは地面に仰向けに倒れ伏した男を見て、手のひらに刺さった剣を下に向けてより深く突き刺す。
 傷口を広げて、刃は柔らかい森の地面に潜り込む。

「ああああぁぁああぁあぁああっ!?」

 だが男は、地面を赤く染める血液に目もくれず、ナトを見て無様に泣き叫ぶ。
 防衛本能だけはしっかりしているようだ。

「いやっ、来るなっ! 来るなぁぁぁぁっ! ……あっ!?」

 ナトが踵で顎を踏み砕くと、男は気を失って後頭部を地面に打ち付けた。
 殺すつもりは、もう無かった。
 しかしこのままではいずれ死ぬだろう。

 剣を引き抜き、蝶の羽を持つ生物を捕らえた罠を壊す。
 地面に落ちた緑色の体液に(まみ)れる生物の死体に、同種の生物が集まりだすが、
 それを気にせず罠を解体して、蔓を編み込んで作られた縄を取り出す。

 人の頭の大きさの石を拾うと、ナトはそれを倒れた男の切り落とされた腕の脇に挟んで、腕と体ごと縄でキツめに括り付けた。
 国に住んでいた頃、自警団に反発して腕を取られたという男が同じ処置をしていた。
 多分これで止血は済んだはずだ。そう長くは生きられないとは思うが。

「……探さないと」

 そう言って、ナトは剣に付いた血糊を手頃な葉で拭くと、ふと、視界の隅に入った物に目を向けた。
 まだいくつか罠がある。この男――もしくはその仲間が仕掛けたものだろう。正直、あまりいい気はしない。

 ナトが森の奥へと歩き去った後、そこには罠の残骸か散乱していた。
 ――そして蝶のような羽を持つ生物たちが、その人の物とは少し異なる瞳で、その後姿(うしろすがた)を事をじっと見つめていた。
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