第50話 「銀色の髪」

文字数 4,061文字

 眼の前に燃える炎を、オーハンスは見つめ続けた。
 生命の輝きが火の粉となってそらに舞い上がっていく。
 あっけないものだった。

 揺れるこの灯火は、既に悲鳴を上げることはなくなった。
 ――倒木と四人の盗賊の魂を薪として燃え盛るこの炎は、流石に彼女らには見せられない。

 ナトが倒した隻眼の男を含む三人も、目を覚ますと頭である大男に続いて燃やしてほしいと懇願してきた。
 ヨルカは渋ったが、結果的に彼らの意思を汲むことにしたのだった。
 どういう気持ちで冥界(モルキア)に帰ったのだろう。
 炎を見つめながら、オーハンスは一人物思いにふけていた。
 何にせよ、もうこんなのはごめんだった。

 尻目に、二人の容態を確認する。
 満身創痍で倒れるナトと、首から上を失ったグリーゼ。
 この大地に足を踏み入れてから、こんなことばかりだ、とオーハンスは火の粉を払いながら思った。

「ナト……なんで、だよ」

 彼が自分たちを大事に思ってくれているのはわかる。
 でも、なぜ自分の体まで投げ出そうとするのか。

「お前ならどうにかなっていいとか、そういうことじゃないだろ……」

 傷は塞がったばかりとはいえ、彼は目を覚ましてから数日しか経っていない。
 それなのに、まただ。
 しかも、以前は青い剣の反動だけで済んだものの、今回はそれだけではなく身体的疲労も大きい。

 そんな彼の視界の隅に、ちらりと何かが写った。
 緑色の、光のような――。

「お、おいおい、なんだよ、これ」

 一面に広がる、緑の輝き。
 よく見ると、その一つ一つが生き物だということがわかる。
 小さな人に似た容姿、蝶のような緑に輝く羽。
 炎とオーハンス、そして倒れる二人を取り囲むように、辺りを飛び交っている。

 そのうちの一匹が、ナトの右の手の甲に止まった。
 白い四肢がひしと彼の肌を掴み、しげしげと人に似た顔がナトの瞳を覗き込む。
 そして突然、彼の右の手の甲に噛み付いた。

「あっ、こらっ!」

 噛み付いたその場所から、緑色の紋が浮かび上がる。
 木の根が這うような、そんな形の紋だ。
 慌ててオーハンスがその一匹を追い払い、少し血の流れ出ている手の甲をオーハンス自身の服の裾で拭ったが、緑色の痣は取れない。

「オルフ、それどうしたのよ」

 気がつけば、アメリオとヨルカが遺跡から荷物を抱えて出てきていた。
 こちらを見て目を丸めている。

「わからない、ナトがあの生き物に(たか)られて……」

 空を飛ぶ緑色の存在を指して、オーハンスは言った。

「何かされたの?」
「ああ、噛まれた」
「とんでもないわね……とりあえずここを抜けましょう」

 オーハンスはナトを担いでマイクに乗せた。
 後ろにヨルカが乗り、アメリオとグリーゼを残した。
 二度の分割で運ぶ作戦だ。

 緑色に輝くその生物の視線を背後に受けながら、オーハンスは出発した。





 ここは……どこだろう。
 明るく燃える火……暖炉? その側に人影も見える。

「あ、お兄ちゃん、起きた?」

 綺麗な銀髪が揺れる。
 妙に懐かしい景色。
 愛らしい少女が、こちらを見下ろす――シア、お前はいつも俺の見下ろしているね。
 背も何も、俺のほうが高いはずなのに。

「どうしたの? ぼおっとして」
「ん? ……ああ、まだ眠たくて」
「まだ寝てていいよ? 私もゆっくりしてたいし」

 木の椅子から腰を上げ、軽く伸びる。
 木組みの中に設けられた窓の外の町並みは、黒を伸ばして紅に染まっていく。
 そうだ、夕食の手伝いをしなきゃ。

「……なあに?」
「ああ、いや、なんでもない」

 なんだろう、今日は無償に目が惹きつけられる。
 少しでも目に焼き付けて置かなければ――そんな強迫観念が頭の何処かにあるようだ。

「行こ、お兄ちゃん」
「あ、ああ……」

 まあ、いいか。





 彼女は天才だった。
 世に稀に見る、平民上がりの秀才。
 蝶よ花よと育てられ、俺たち第三身分からは希望の星だと大切に扱われてきた。
 それが俺の妹、シアだ。

 生まれて間もない頃からの父の英才教育により、僅か四歳にして古代アタラシア語を操れるようになった。
 俺はほぼ教養のない身ではあるけど、それがとんでもない才能を示唆するものであるということだけはわかった。

 そして彼女はアタラシアの名門学院に編入した。
 噂によれば、院内でも人気者であるらしい。
 誇らしくはあった。けれど、兄としては悪い虫がつかないか少し心配だった。

 眼の前でシチューをお行儀よく啜る彼女を見て、様々な感情が入り交じる。
 たまにこうして、学院が休みの日に寮を抜け出して帰ってきてくれることがある。
 ――これは彼女の悪い冗談だろうけど、俺に会いに来てくれているらしい。
 なんでも、心配なんだとか。妹に心配されるだなんて、少し情けなく思う。
 でもそれ以上に、シアに会えるのはとても嬉しい行事だった。

 仕事で帰りが遅い父といつも忙しそうにしている母は、滅多に俺たちに構うことはない。
 決して愛のない家庭という訳ではない。年々強くなる本国貴族からの圧迫が、こうした団欒の時間さえも奪い去っているのだ。
 だから、たとえシアが学院から戻っても、食事の場には俺と彼女の二人しか居なかった。

「シア、明日にはまた学院に戻るの?」
「ううん、三日間お休み。だから明後日には出発かな」

 シアは例え父や母の顔が見えなくとも、こうして笑顔を振りまいてくれる。
 俺も、(たま)の帰りを心の何処かで求めているのを、最近になって自覚してきた。

 あんな場所なんて行かずに、ずっとここで暮らしてくれればいい。
 そうは思うが、口には出さなかった。
 学院へ通わせたのは父だが、決定したのはシアだったからだ。

「イ・ルプトス・イルァ・ユル」
「ん?」
「古代ケルオ語だよ。アタラシア黎明期に紛れ込んできた言語の一つで、今の言葉にもすごく影響してるんだ」
「へぇ……シアは物知りだな」
「でも、知ってるだけじゃ何もできないよ。何かしたいなら、まず行動しなくちゃ!」

 彼女は俺よりも遥かにいろいろなことを知っていた。
 加えて、とても眩しかった。
 水路からの臭気で霞んでしまった俺の瞳には、彼女がそんな風に写った。
 寡黙な父ではあるが、もしかしたら……シアをこんな場所に置いておきたくなくて、学院に寄越したのかもしれない。

「ちなみに、どういう意味なんだ?」

 ふと気になって、問いかけた。
 知ったとしても、俺には何の役にも立たないが。

「私のお兄ちゃんに対する気持ちだよ」
「親愛とか?」
「そんな感じ!」

 少し適当なところも、お茶目さがあって愛らしかった。

 外はもう真っ暗だった。
 街頭すら無い街の中で、月明かりだけを頼りに、ツルハシを振るう労働奴隷の喘ぎが聞こえてくる。
 その度にシアは悲しそうな顔をするのだ。……多分今夜も、俺のベッドに潜り込んでくるだろう。

 置かれている環境は決して良いとは言えない。
 だけど。
 ずっと、この時間が続けばいいのに。
 ――俺はこの時、本気でそう思っていた。





 空が白んで来た頃、傍らにうずくまる銀髪を軽く撫でてから、俺は仕事にでかけた。
 こんな場所ではあるけれど、だからこそ子供にも仕事はある。
 少し体格の良かった俺の場合は、水路建設の最前線だった。

 奴隷たちに怒声を飛ばすリーダーの視線を掻い潜るように、石を運ぶ作業を繰り返す。
 そんな仕事がひたすら続き――もうそろそろ日が落ちる。
 最近になってようやく成立したあってないような労働基準法が、運良く今日は俺たち子供を他の従業者よりも早めに帰してくれる。

「じゃあ、後はお願いします」
「おうナト! お疲れさん!」

 熊のような体格に薄布を纏った先輩が、愛想よく手を降ってくれた。
 すると、なにかに気がついたように先輩が、俺の顔を覗き込んできた。

「なんでぇ、今日はやけに気分がいいと思ったら、もしかして愛しのシアちゃんが帰ってきたのか?」
「ええ。三日も休みだとかで、久しぶりに色々な話をできそうです」
「そうかい! じゃあこれも持っていきな、弁当のあまりもんだけどよ、今朝採れたてなんだ!」

 そう言って、先輩は籠の中から小さな赤い実を付けた房をいくつか手渡してくれた。
 ここの特産の果物で、隣国であるアタラシアへの、ほぼ唯一の貿易品だ。

 シアの好物でもあった。実はあいつ、これを目的に帰ってきてるのではないだろうか。

「……ありがとうございます」
「じゃあな! 廃水路の腐れ爺に引き込まれないように気をつけな!」

 俗に言われる腐れ爺というのは、水路に住み着く失職者のことである。
 そんな言葉を聞き届け、俺は荷物を(ひっさ)げて水路を後にした。

 家に帰るも、シアの迎えは無かった。
 ……と言うより、彼女は家に居なかった。
 どうやら、どこかに出かけているようだった。

 この辺りにはシアを知らないものは居ない。
 ここでも彼女は人気者だ。
 きっと、誰かに会いに行っているのだろう。

 いつ頃、帰ってくるだろう。
 そんなことを思いながら、俺は寝かせていた生地を取り出し、彼女の大好きな赤い木の実のパイを作り始めた。





 俺は座っていた椅子から立ち上がった。
 窓の外を見る。日が登り、朝日が臭気の霞を顕にする。
 すっかり冷めたパイをそのままに、外套も羽織らずに俺は飛び出した。
 肌を撫でる朝の街の空気は、いつも以上にひんやりとしていた。

 やけに大きな心臓の音は、走っているからではなかった。
 警鐘が鳴って止まない。焦燥から冷や汗が服の内側を濡らす

 シアは、未だ帰ってこない。
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