第59話 「警戒」

文字数 4,512文字

 辺りを見渡す。
 その場には、マルギリと、目の前のズタ袋のような男しかいない。

『わたしなカンゲイ、アマンジたあなたラ』

 もう一度、頭の中にそんな音が響いた。

「何をしているんだい」
「いえ、あの、変な音が頭の中に……」

 辺りを不安げに見渡すヨルカを、面白そうに見つめるマルギリ。
 それを見つけたヨルカが、「あ、あの……」と説明を求めるように視線を向けた。

「……ああ、ごめんね。その『声』は先生――あの人さ」

 マルギリがそう言うと、そのボロ布に身を包む男は、人形の頭が落ちるようにコクリとうなずいた。

「で、でも、耳元で……」
『わたしにハナセズ、くちなしヒトのモノ』
「ひゃっ!?」

 またしても響いた謎の音に、今度こそ怖がって耳を塞ぐヨルカ。
 グリーゼはそんな彼女を抱きしめて、責めるようにマルギリを見た。

「あー、つまり……先生は言葉が話せないんだ。だから、こうして語りかけてくる」
「どういう事ですか?」
「さあ、僕にも教えてくれないんだ。……ナトさん、だったね。さあ、前に出てきて先生とお話してくれないか」

 指名を受けて、ナトは慎重に一歩を踏み出した。
 そのまま近づくと、不意に先生と呼ばれた男は、その右手を前に出した。

『さがルため』

 そんな音を響かせ、何か小さな物を下に落とした。
 ナトの視力がそれを捉えた時――それは、植物の種のように見えた。

 地面に落ちたその種に、男が水瓶をどこからか取り出すと、
 栓を抜いて中の得体の知れない液体を振りかけた。
 すると種は芽吹き、浅紫色の植物が床のタイルを持ち上げた。

「――ッ!?」

 反射的にナトの指が剣の留め金を外し、美しい旋律と共に銅色の剣が閃いた。
 その直後、頭の中に言葉が浮かび上がる。
 ――『改造した大茎菜(ジヒラキ)の種』。

 一歩引いて剣を構えるナト。
 しかし。

「……なんだ、これは」

 それは、まるで手頃な机のような物だった。
 紫色の植物の太い茎に支えられ、
 持ち上げられた石のタイルがそのまま、平行な板の役割を果たしている。

「驚かせたね、先生は少し配慮が足りないところがあって。
 でも大丈夫、敵意はないんだ。さあ、これに腰をかけてくれ」

 マルギリがどこからか小さな椅子を持ってきて、目の前の造形物の前に置いた。
 ナトは怪しみながらも、剣を再び鞘の中に落とし、
 ズタ袋の男が座っている物と同じその椅子に腰掛けた。

『マルギリ、ワレごかいされしものヲ』
「ははは。先生、その言葉じゃ僕でも何を言ってるのか理解できないよ」

 得体のしれないその存在と和やかに話す青年に、ナトは不審に思う心を隠そうともせずに鞘にそっと手を添える。

『さア、はなしをタノム。こしょうヲなのれ』
「……名前を教えろ、と言うことか」
『ソウ』

 心なしか、言葉のように聞こえるその音が、流暢になってきているように感じた。
 ――男が頷いたのを見て、探るように思考を巡らせながら、ゆっくりと口を開いた。

「ナトだ」
『いえのナは?』
「無い。俺は第三身分だったから」
「ダイサン……ミブンとハ?」
「それは……」

 そんな調子で、多少歯車の切れが悪いような会話は続いた。
 どこから来たか、仲間の名前は何か、芋は好きか。
 全ての問に答えた後、マルギリにより運ばれてきた芋を胃に流し込むナトに、男は再び話しかけた。

『ワタシのナをなのっていなかった』
「……そういえばそうだな」

 ズタ袋の男はそう言うと、椅子からふわりと立ち上がった。
 改めて見るとその姿は小さく、飢えた乞食といっても差し支えなかった。

『ワタシのナは――ノエル・ヨンド』

 ノエル・ヨンド。
 はて、どこかで聞いた名前だった。

「……ナトさん、これ」

 傍から、いち早く気がついたグリーゼが雑嚢から取り出した古びた表紙の本を差し出した。
 それを見て思い出した。
 暗い森の村で彼女に翻訳してもらった内容に、そのような名前が載っていた。

『ナツカしきヨミモノだ』
「この中にあなたの名前が載っています。これは貴方が書いたものですか?」

 グリーゼはそう言うも、内心信じてはいなかった。
 なにせ、相当昔のものだ。
 おそらく彼女が生まれる前より、もっと昔。
 遥か太古の遺物であろう。

『イカにもワタシ、シカシそうではナイ』
「どう言う意味です?」

 グリーゼが続けると、ノエル・ヨンドを名乗る男は黙ってしまった。
 そして、暫しの沈黙を挟んだ後、

『エイペイドブリィズ・オムズ』
「エズ」

 マルギリに、言いつけるように何かを言った。
 すると青年は部屋の端のドアを開け、

「部屋に案内しましょう。皆さん、こちらへ」

 若干戸惑いを残しながらも、互いの反応を見ながら開け放たれた扉へと足を向ける一行。
 ナトも明日から立ち上がろうと腰を上げるも、

『トドマれ』

 ノエル・ヨンドはそう言ってナトを引き止めた。

『あなたはワタシとハナすギムがアる』
「俺だけここに残れと言うことか」
『ソウ』

 おかしな話だった。
 何故、彼一人なのか。
 警戒するナトに、グリーゼが横から声を掛ける。

「ナト、私達は大丈夫です。貴方も、何かあれば直ぐに私たちを呼びなさい」
「……わかった」

 上げかけた腰をゆっくりと下ろすと、目の前の男は満足そうに首を縦に振った。

 マルギリを含めた四人は退室し、後にはナトとノエル・ヨンドのみが残った。
 そして、また変な音が頭の中で響いた。

『モウシワケなかった。オオニンズウはききとりヅライ』
「それで……何の話を続ける気だ?」
『タンジュン。サッキのツヅキ』

 ノエル・ヨンドは懐からまた何かを取り出した。
 それは、紐にくくりつけられた、親指の先程度のガラス玉のようなものだった。
 ただ少し説明を加えれば、中には炒ったような葉が閉じ込められており、表面には記憶に新しい炎と剣の印が彫られていることだった。

『器もソナエている』

 そう言うと、次に取り出したのは大きな茶の容器だった。
 その上に紐から下げたガラス玉をかざすと――どこからか赤茶けた水が湧き出し、ガラス玉を伝ってカップに落ちていった。

「これは……」
『カリュウのヒトミとイウ……』

 同時に、ナトの頭の中にも言葉が浮かび上がった。
 それは、『火竜の瞳』という全く同じようなものだった。

 暫くすると、なみなみと注がれたカップからは湯気が立ち上り始めた。

『ヨロシければノメ』

 本国で道行く馬車が、駆け抜けた後の残り香と同じ。
 口を付ければ、深い味わいが鼻を通り抜ける。
 ナトには理解できなかったが――それが上等な茶であると言う証であった。

『ハナシのツヅキをキイテほしい』
「……ああ、そうだった」
『ワタシはノエル・ヨンド……タイコよりアルジにツカエしギシであル』
「主? 誰の事を言っている。マルギリか?」
『チガウ。あのオカタ……ルトスさまノコト』

 ルトス。
 そういえば、あの本の中にもそんな名前が載っていた気がする。

「太古ってどれくらい昔の事なんだ」
『モリがミタビはえカワル程度』

 抽象的すぎて把握がつかない。

「具体的に教えてくれ」
『ワタシはスガタをウシナッタ――ソレホド、ムカシ』
「どういう意味だ」
『シンパンにヒトリノコッタ……それがマチガイだったノダ』
「審判? 何を言って……」
『モウ……オウのオサメタこのダイチを……オガムことスラできナイ……』

 『アア……アア……』と、仮面を引っ掻いて嘆き始めるノエル・ヨンド。
 その姿はまるで、救いが訪れないことを悟った巡礼者のようだった。

『……ヒキトメテすまナイ。キョウはもうシマイだ』
「終い? まだ聞きたいことは――」
『アタマのナカをせいりシタイ。シバシ……ヒトバンほどアケテくれ。ヒキトメてスマナい。ミジカイながらも、ユウイギなジカンでアッタ――』

 そう言うと、ノエル・ヨンドは懐から別の水瓶に入った液体を取り出し、
 謎の植物で出来た机にふりかけた。
 石タイルを持ち上げていた植物は途端に萎え、床は元通りとなった。
 茶用のカップは床に落ちて呆気なく割れてしまった。





 その後入室してきたマルギリに案内されたのは、二階の部屋の内の一つだった。
 質素なベッドと机に普通のサイズの椅子、掘り抜かれただけの窓。
 豪華とは程遠い――だが、親族に引き取られた後のナトの生活ぶりからすれば、だいぶマシな部屋だった。

 それぞれに一つずつ与えられたようで、ナトはその青年と部屋で二人きりだった。

「それじゃ、ごゆっくり。ご飯ができたら、後で呼ぶから」
「待て。夕飯の準備までしてもらってありがたいが――お前にも、聞きたいことがある」

 部屋から出ていこうとするマルギリを引き止めると、ナトは十分に警戒した様子で、マルギリを睨む。

「何故ここまでの親切をするんだ。見返りは?」
「そんなもの、求めてないさ。先生のご意思は窺い知れないけどね」
「……そもそもお前たちは何者だ。何故こんな場所に住んでいる。外の化物を知らないのか?」

 そう。
 彼らは、あまりにも呑気に見えた。
 光る灰の加護が無い――その過酷さを体験してきたナトだからこそ、
 この油断しか無いような態度が不自然に思えて仕方がない。

「先生は元からここに住んでいたんだ。僕は後から流れ着いた居候の旅人さ。君たちと同じように、ね」
「だったら尚更、あの怪物たちの驚異は知っているはずだ。
 なのに、何故……こんな光る灰も降らないような場所で腰を落ち着かせられるんだ」
「あれを見てごらん」

 マルギリが立てた指の先には、雨で霧がかかった街の端――高い崖があった。

「この辺りは容易に超えられない山や崖で囲われているんだ。その上、この都市には僕たちを脅かすような怪物は居ない――つまり、そう言うことさ」

 灰が降らずとも安全であると、そうマルギリは主張した。
 しかし、ナトは未だに納得ができないのか顔をしかめている。

「それじゃあね。自由に使っていいから、旅の疲れを癒してくれ」
「……ああ、ありがとう」

 そう言ってマルギリは部屋を出ていった。
 少し間を置いて、ナトは千鳥足でベッドへ向かうと、すぐにそこへ倒れ込んだ。

 疲れた。
 もう、意識を保っていられそうもなかった。

 剣の反動を抑えるのも、限界のようだった。
 もしもあの時マルギリが敵対的で、戦闘に陥りでもすれば、まともに動くこともできずに倒れていただろう。
 血の気が引いていく中で、顔色を抑えるのもやっとだったのだ。

 痺れる手足。
 襲いかかる猛烈な眠気に身を委ねる。

 薄れゆく意識の中、ナトは仰向けに窓の外を眺めた。
 切り立つ山々が、じっと彼を見下ろしていた。
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