第8話 「拉致」

文字数 4,546文字

「――というわけで、とてもよかったよ」
「とんでもないわね」

 屋敷――もとい村宿の食堂で、ヨルカとアメリオ、そして嬉しそうに昼間の少女とのお出かけことを語るナトがいた。
 店でのことは話さなかった。
 無意識に、関わりたくないと思ってしまったのかもしれない。

 外で鐘が鳴った。今日で朝から数えて三回目。
 明るさが変わらないため本人たちにとってもわかりにくいが、丁度夕方頃のはずだ。

「ところで、オーハンスさんはどうしたんですか?」
「ああ……帰りに迎えに行ったんだけど、あの動物たちに首ったけで、俺たちのことは眼中になかったよ」

 脳裏に親友の姿がよぎる。
 あのまま少女として人生を送ったほうが、彼のためになるような気がした。

「イス・リィス・ユルノゥフ!」
「おっ、ありがとう」

 恐らく夕ご飯であるところの、芋のような物の蒸し焼きが運ばれてきた。
 同じく盆に載せて、三人それぞれの場所に置かれる。
 食べるための補助に使うであろう食器を手に取り、ナトが食べようとした、その時。

 膝に、軽く柔らかい感触。
 ふわりと、少女が飛び乗ってきた。

「駄目だよ、これじゃあご飯が……」
「イ・ペイウォン・フゥ!」
「あはは、しょうがないなぁ」

 少女の腰に手を回し、優しく抱きしめる。
 吸い付くような肌の感触と子供の熱い体温がナトに伝わる。
 そうして頭を撫でくり回される少女は、ぐりぐりとナトの胸に頭を擦り付けた。

「……とんでもないわ」
「な、ナトさん、そろそろ食べません?」

 結局、少女に食べ物をねだられて少しづつ食べさせていたナトは、
 ヨルカやアメリオと比べ、三倍近く食べ終わるのが遅かった。
 それまで、ナトと少女の様子を二人は呆れながら見ていた。

 就寝時間になってもオーハンスは帰ってこなかった。
 どうやら、本当に向こうで寝泊まりするらしいと、老人がやってきてナト達に伝えた。
 ナトはヨルカやアメリオたちと部屋の前で別れ、涙目の少女を数分間抱きしめた後、
 相も変わらず夕暮れ時の空を見て、一人きりでベッドに潜った。





 ――来ちゃったの?

 霧が立ち込める中、ひどく懐かしい声が聞こえた。
 銀色の髪がはらりと舞う。

 それを見て、胸が苦しくなった。
 ひどく空虚な感覚が胸の内で暴れまわる。

 ――それでも、私は信じてるから。

 霧が濃くなる。
 足りない。
 なにかが足りない。

 自分の胸を抱きしめる
 虚しさが増す。
 何だ、何だ。

 霧の中で、その暗闇に落ちるような感覚がした。
 暗い常闇の奥深く、ゆっくりと、ゆっくりと――。

 鐘の音が鳴る。
 意識が歪む。銀色の髪が舞う。





 気が付けば、そこは見知らぬ天井だった。
 いや、違う。ここは鐘の庭園。沼の村。
 頬を生ぬるい何かが伝う。
 なめると、妙にそれはしょっぱかった。

 ナトは体を起こした。
 外の景色は変わらないが、今はどれ位の時間だろうか。
 久しぶりに安心して眠った気がする。

 上体を起こし、体を伸ばしていると、下半身に違和感を感じた。
 熱を感じる。
 そっと、掛け布団をめくる。

 少女が体を丸めて眠っていた。
 微かな声を上げる。
 そして、少女は眠そうに微かに目を開けた。
 しばらくぼーっとした後に、ナトの服をギュッと掴んで二度寝した。

 ナトは、それを抱きしめるようにベッドに落ちた。
 目を瞑り、その存在を確かめるように、少しだけ抱きしめる腕に力を込めて。





 その後、アメリオがやってきてナトと少女を布団から引きずり落とした。
 何度目だろうか。呆れたようにため息をつかれた。

 用意された朝食を食べた後、やはり少女に袖を引かれる。
 今日も外を案内してくれるらしい。

 アメリオとヨルカに聞けば、まだ疲れが取れきってないし、出発は幾らでも待つという返答が帰ってきた。
 オルフについては聞く必要もないだろう、とナトは勝手に納得して、少女の母親に見送られて宿を出た。

 楽しそうに歩く少女と手をつなぎ、時折目があって互いに微笑んだ。

「ハァ・ユル・ペイカァム? アントゥ――エイド・ハァペイダイ・アヌ!」

 少女の話している事はなんとなく理解できるようになった。
 彼女もナトが理解を示していることを感じ取り、とても嬉しそうに破顔する。

 そんな時だった。
 村の中に一人異質な人物をナトは見かけた。
 悪趣味な黒いローブのようなものを羽織り、その背中には赤い目を持つ白い鳥の刺繍がされている。

 その人物は村の中心で何事かを叫んでいた。
 村人たちはそれを心配そうに見つめていた。
 知らんぷりをして通り過ぎよう。
 少女を引いて、村人たちの影を縫うように抜けようとすると、

「ウラゥ! アルバイル・ウヴァイ!!」

 明らかに自分たちへ向けて何事かを叫ばれる。
 仕方なくそちらへ向き直ると、その人物はナトたちのところまでやってくる。
 周囲の村人は何故か、ナトたちから遠ざかる。

 ナトが不審に思っていると、その人物は目の前で何事かを喚き散らし始めた。
 どうしようかと悩んでいると、突然その人物は少女の小さな手を乱暴に掴んだ。

「……っ!?」

 ナトはその手を振り払い、少女を体の後ろに隠した。
 その時。
 村人たちがどよめき出す。

 ナトが身構えていると、目の前の男は何の躊躇もなく突然、こめかみの辺りを剣先で強く小突いてきた。

「いっ!?」

 一瞬視界が途切れる。
 そして、回復した頃に、脳みそを突き抜けるような痛みに悶える。

 その間に、剣が振り下ろされる。
 鉄でできたそれは、ナトの腕を強く打った。

「ぐぅっ!?」

 幸いなまくらだ。しかし、それでも鈍い痛みが走る。
 患部を押さえて蹲る。
 その間に、改めて少女のことを連れ去ろうとするローブの人物。

「やめ、るんだっ!!」

 ローブに掴みかかるナト。

「ツヴァ! アレィン!」

 ローブの人物は腰から鋭いナイフを取り出し、それを振りかぶる。
 痛みを堪えて、ナトは動く。
 ナイフを持った手首に掴みかかり、そのまま地面に押し倒す。

 しかし、次の瞬間何者かに背後から羽交い締めにされた。
 焦って振り向くと、そこには初日に宿に案内した男がいた。

「……オーゾ・ヴァ?」

 そこへ、老人も現れる。

「ユルアル、ノズレボ」
「アレィン! ハクサ・ヴァ!!」

 老人がローブの人物に話しかけると、ローブの人物は憤慨した様子で立ち上がり、
 怖がる少女の手を引っ掴んで歩き去る。

「待つんだ! ……待て、おい!!」
「オグ! ヘク、マーレ!」

 少女が何事かをナトに叫んでいる。
 大きな瞳から、とめどなく涙が溢れ出している。

 しかし、男が強く叩くと、すぐに大人しくなった。
 それでも、濡れた瞳を震えさせ、大粒の涙は流れ続ける。
 それを見て、ナトは頭に血が登るような感覚を覚えた。
 拘束から逃れようと、必死に体を暴れさせる。

「なんで! なんで止めるんですか!!」

 ナトが叫ぶ。
 老人は、静かに、目を伏せて呟いた。

「言っただろう。あの者たちには、逆らうな、と」






 宿に戻り、老人が少女の母親に何事かを話した。
 彼女は泣き出した。中年の女性に慰められている。
 その鳴き声は、アメリオとヨルカに心配されながら男に看病されているナトの、虚ろな心に響いた。

「あの子は、どうなるんです」

 腕と頭に薬草を塗りたくられ、ボロ布を巻かれたナトは、老人に問う。

「貢物にされるだろう。ここを取り仕切る『アンディア』の連中への」

 その瞬間、体が固まったように動かなくなった。
 血の気が引いていく。

「あそこの頭は物好きで有名でね、気分次第で村のこどもを攫ってしまうんだ」
「じゃあっ……! それがわかってて、なんでっ!」
「私達も、彼らが怖いんだよ」

 安静にして、今日は寝なさい。
 そう言って、老人と看病を終えた男は去っていった。
 宿には、女性がすすり泣く声だけが響いていた。

「だ、大丈夫でしたか、ナトさん……」

 ヨルカが心配して声をかけてくれるも、それに答える事ができない。
 何を答えたら良いのか、わからない。
 泣き叫んで自分を呼ぶ少女の顔が脳裏をちらつく。

「ナト、何か、変なこと考えてない?」
「マリー、何も考えてないよ。大丈夫」

 アメリオへの答えに、覇気がないのは自覚できる。
 それだけではない。
 胸の中で渦巻く、大きな洞窟のような空虚さと、黒い何かも、焦がされるように感じていた。

 鐘が鳴る。
 その音を飲み込むほど、その渦は大きくなっていく。

「大丈夫、だから」

 拳から、何かが地面に滴り落ちた。





 その夜のベッドは、ひたすらに寒かった。
 寒さを凌ぐために、自らの胸を抱き、蹲った。
 それなのに、余計に寒くなる。

 伸ばした手が、届かない。
 代わりに、霜のような何かに、纏わりつかれる。
 それでいて、ただひたすら、霧の中を迷っているように。
 意識は無限の暗闇に囚われる。

 体を起こして、靴を履いて窓際へ寄った、
 そこから外を見やる。
 相変わらず夕焼けの空。
 その彼方に、うっすらと建物の影が見える。
 尖った塔がいくつも連なったような建物で、見方によってはお城にも見える。

 その瞬間、燃え上がるように何かが内側からせり上がってきた。
 なにもかもをかき回すように、体の中で暴れまわる。
 目の前を塗りつぶすように、黒い色に染まっていった。

 いつも、この手は届かない。
 壁を隔てられてるように、大切なのに触れることができない
 嫌がらせみたいに、触れられない。

 あの子は、どう思っただろう。
 あの柔らかい手を掴んで、安心させてやる事すら出来なかった俺を、どう思っただろう。

 心の中の何かが混濁するように蠢いた。
 暗闇の中に、一人だけ立っているような感覚。
 渦に囚われて、離されない。

 その時だった。

 部屋の扉が、無断で開け放たれる。
 意識に色が戻ったように、ナトが現実に引き戻される。
 振り向くと、そこには、老人と男、その他数名の若者たちがいた。

「すまない」

 老人がそう零す。
 そうして集団の中から現れたのは、昼間のローブの人物だった。

「ハクサ・ヴァ! ユル・ヴェシエン・アレーク」

 それを号令に、男や若者の集団は、突然ナトを拘束した。
 両手両足をキツく縛り上げられ、その上から袋を被せられる。
 口にも猿轡をされ、完全に抵抗力を失われる。

「本当に、すまない。我が同胞よ」

 目を伏せた老人の脇を通り、ナトは彼らに担ぎ上げられて外に連れ出された。
 そして、縛られたまま馬車のようなものに、雑に載せられた。
 牧場の生物が運転するそれに揺られ、彼は激しく回る車輪の音と共に連れて行かれた。
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