第63話 「技師と呼ばれた男」

文字数 2,665文字

『突然の呼び出し、すまない。さあ、話をしよう』
「随分と流暢になったな。……何があった」

 ズタ袋の様な男と再び対峙するナトは、頭の中に響くその音の聞き取りやすさに驚いていた。
 先日のやりとりと比べるなら、それはまるで紙切りナイフと包丁の差だ。

『学んだ。君たちの言葉からだ』

 そうだとしたら、驚異的な学習速度だ。
 慄きを隠しながら、ナトは目の前の計り知れない男に慎重に口を開いた。

「それで、話とは」
『ノエル・ヨンドについてだ。君はまだ物足りなさそうな顔をしている』
「お前は自分の名前しか名乗っていないだろう。何物なんだ」

 その言葉を聞いて、ノエル・ヨンドはぎこちなくその身を乗り出し気味にして答えた。

『仕える者は、自ら己を語らない』
「仕える? 誰に」
『ルトス様だ。それ故に、遥か昔に私たちは個人を捨てた』

 やはり脈略が掴めない。

「……もう少し噛み砕いてくれないか」
『ノエル・ヨンドは、ルトス様に仕えし繋ぐ者の名』
「繋ぐ者?」
『私たちは繋ぐのだ。君たちと、精霊を』

 そう言って、取り出したのは炎と剣の刻印が施された、中に茶葉を閉じた水晶だった。

「……魔道具」
『私達はこれを作る。それ故、民は私たちを技師と呼ぶ』
「さっきからその口ぶり、お前――お前たちは、今何人いるんだ」

 目の前の人物の、まるで何人もいる様な言葉から疑問を漏らす。

『今は……少なくとも、この街には……私一人』
「昔はもっと居たのか」
『そう』
「なぜ居なくなった」

 その言葉に、ノエル・ヨンドは黙りこんだ。

『言えない』
「知らないのか?」
『語ることを縛られている。言えない』

 何らかの制約でもあるのだろうか。

「じゃあ、他の住民はどうした。それも無理なのか」
『それは、語ることができる』

 そう言って、目の前の人物はぎこちなく腰を上げて、窓の外から雨の降る街並みを見た。
 その姿には、どこか哀愁が漂っている気がした。

『あれは、よく雨が降る日だった』
「今と同じくらい?」
『……もっと。もっと降っていた。空が青く染まるほどだ。
 いつになく降り続く雨に、地は水に侵されはじめた。だから、民たちは避難した』
「それで?」
『この街には、私一人が残った。技師ノエル・ヨンドとして、水位を制御し、冠水を防ぐため。しかし……予想に反してなおも雨は降り続いた』

 少し強めに風が吹き、雨水が部屋の中に飛び込んできた。

『この街には、地下がある。そこは以前、この街が水浸しにならないよう建てた排水施設だった。しかし、今は地下墳墓となっている』
「機能しなくなったのか」
『今でもその機能は健在だ』

 その仮面は、どこか遠くを見つめているような気がした。
 今ではない、もっと――遠い何時かを。

『昔……あの場所で、多くの者が死んだ。大雨の日だった。雨が降り注ぎ、街が水に満たされる前に、皆地下へと避難したのだ。
 だが、雨は降り止まなかった。排水施設の水かさは増し、避難したはずの全ての民は溺れ死んだ。
 皮肉なことに、生き残ったのは、地上で尖塔に登っていた私一人だけだった』
「すると、今この街の住民はお前達だけなのか」
『そう。私たち――いいや、今はもう私だけ』

 身を挺して街の住民を救おうとして、一人だけが残ったなんてなんとも皮肉な話だ。

「……まて、それはいつの話なんだ」
『――九百年ほど、だろうか』

 ……なんと?

「聞き間違いか? 九百年と聞こえたんだが」
『およそだ。九百年ぽっきりではない』

 違う、そうじゃない。

「お前の寿命は?」
『私は悠久を生きる呪いをかけられた。――あの、運命の日に』
「運命の日ってなんだ」
『言えない。主の意思に反する』

 どうにも頑なだ。
 彼を縛っているのは、彼の主――ルトス、という人物なのだろうか。

「お前のご主人さまのルトスって人は、もうずっと、九百年も昔の人なんだろう。もう死んでいると思うが」
『そうかもしれない。でも、そうだとしても、私は生きる限り縛られ続ける。それがノエル・ヨンド』
「わかった、じゃあもうそれ以上は聞かない。ただ、まだ疑問に思うことはある」

 ジロリと、目の前の男を睨む。

「なぜ俺に教えたがる。会話をするだけなら、世間話でも何でもいいだろう。何が目的なんだ」

 不思議なところだった。
 どうにも、彼は自分がずっと隠し持ってきた秘密を、ナトに託そうとしているようにしか見えないのだ。

『私は、もうすぐここを去るから』

 男は仮面の奥で口を開いた。

「出ていくのか?」
『まあ、そうだ。その前に、健やかなる羽を備えた君たちに、私の悲願を託したい』

 悲願?
 ナトがその言葉の続きを促す前に、重々しくノエル・ヨンドは言い放った。

『我らがルトス様を、お救いしてほしい』
「……その、恐らく死んだであろうルトスさんを、どう助けろと?」
『言えない。縛られている』

 またそれか。

『しかし』

 敬虔なる下僕を思わせる声音で、彼は言った。

『きっと、導いてくださっている』

 その言葉の真意を探ろうと、じっとノエル・ヨンドの顔を見つめる。
 が、仮面が表情を変えるはずもなく、はぁ、とナトはため息をついた。

「他に旅人は居なかったのか。マルギリにでも託せばいいだろう」
『あの男には託せない。その他にも以前五人の旅団を見つけだが、すぐに離れていってしまったのだ』
「五人の旅団?」

 もしかして、大昔にベルガーデンを踏破して帰ったという、伝説の英雄たちの事だろうか。
 だとしたら、ノエル・ヨンドという人物は本当に長生きをしているのだろう。

「わかった。じゃあ最後に一つだけ質問させてくれ」
『これが最後でいいのか? 遠慮せず、なんでも聞いてくれ』
「お前は『魔王』を知っているか」

 その言葉に、元技師の男はピクリと動いた。

『魔王、だと?』

 少し怒気を孕んだ口調で、そう呟いた。

「なんだ、なんでも聞いていいんじゃなかったのか」
『……この世界の王は一人だけ。ルトス様ただお一人が、真の王。決して、魔王などではない』

 そういう意味で言ったんじゃない。
 そう言おうとした直後、『出ていけ』を一層強い口調の言葉が頭の中で響いて、ナトは何も言わずに部屋から出ていった。

 なんだったんだ。
 真相は煙に巻かれてしまったようだった。
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