第57話 「濁流の果て」

文字数 4,655文字


「グリーゼ、橋の先には何があるの?」
「村が点々としているようです。下流に行き着けば流れも緩やかになるでしょう」
「それまでは、耐えるしかないって事……ですか?」
「ええ、そうですヨルカ。振り落とされないように掴まっていてください」

 グリーゼは必死でオールを操作するも、荒れた川に対しては焼け石に水だった。
 意識のないナトを必死に抱きかかえるヨルカを補助しながら、アメリオは行先を見た。
 そして、気がついた。

「ねえ、分岐してるわ」

 見れば、圧倒的に幅のある右と、より狭い左の二手に分かれている。

「地図には無かった……と言うことは、水位が上がったことが原因で現れたのでしょうか。新しい発見ですね」
「感心してる場合じゃないですよ! この舟、このままじゃ……!」

 そう。
 四人の乗る舟は、激流により今まさに分岐した川の方へとにより進められていた。

「進路から外れることはできないんですか?」
「無理です、操作が効きません」
「どこに出るかもわからないのよね、面白そうじゃない!」

 ――本気で言ってるならどうかしてる。
 遠くを走るオーハンスならそう言うだろうと、ヨルカは勝手に想像した。

「わっ」
「揺れが……っ!」

 雨と船べりを乗り越えて入ってくる水により、舟のバランスは失われていく。
 グリーゼでさえ、身を低くして落下を防ぐことしか出来ないでいた。

「駄目っ、そっちは……!」

 すんでのところで、やはり流れには逆らえず、
 どうしようもなく舟は逸れた脈へと流れていく。

「おい、お前ら!」

 その時だった。
 岸辺を見ると、オーハンスがこちらに合わせて並走していた。
 激流に揉まれる舟を追うのに、彼も駆けるマイクも息が荒い。

「どっちに行ってるんだ! 脇にそれてるぞ!?」
「舟の制御が効かなくて……きゃっ!?」

 彼らの頭上を、小さなサイズのかけ橋がよぎった。
 この速度で当たれば、硬い木の実だろうが弾け飛ぶだろう。

「あれ、この辺り……整備、されてません?」

 そこで気がつく。
 いつの間にか、川は人に手を施されたのか、石で側面を固められている物へと変わっていた。

「そういえば、この辺りは障害物が少なくて走りやすいな……ということは、この先はまさか」

 オーハンスが言いかけた、その時だった。
 舟の勢いは増し、オーハンスを引き離して先に行ってしまった。

「オーハンスさん!!」
「くそっ……マイク、飛ばせ!」

 拍車をかける――が、その直後、マイクは足元のバランスを崩し、減速した。
 雨で地面がぬかるみ、彼の進行の邪魔をしていた。
 こうしている間にも、みるみるうちに舟は見えなくなっていってしまう。

 ヨルカたちも為す術なく流されていた。
 辺りは既に整備されており、川幅は狭いが岸の段は高くなり、船底から乗り上げる事は不可能である。

 そんな混乱の中、視界の先が急に開けた。

「な、なんでしょう……」
「広いわね、湖かしら」

 雨の靄の中から現れたのは、大きな水たまりだった。
 川はそこで途絶え、水はその湖の中央に渦巻いていた。

「いえ、違うようです」

 気がついた。
 それは、ただの広い湖ではない。

 深い水底(みなぞこ)
 辺りは石造りの塀に囲まれ、完全に整備されている。
 よく見れば彼女たちが出てきた他にも、いくつもの箇所から水が流れて来ている。

 そして、何よりも、

「なんですか、あれ……」

 水流の、その先。
 渦巻いて水が流れ行く、深い穴。
 それがぽっかりと、渦の中央に口を開けていた。

「この舟、もしかして……」
「あの穴に向かっていますね」

 ヨルカの呟きに、グリーゼは淡々と答えた。

「あそこに落ちたらどうなるのかしら」
「恐らくこの施設は貯水池でしょう。だとしたら、あれは設けられた排水口による渦です。その先にあるのは……」

 そう言っている間にも、舟は徐々にその渦に弧を描いて近づいていく。
 近づくにつれ、唸り声のような水の音が内蔵を揺さぶりはじめる。
 穴のすぐ横に近づき、舟は徐々に傾いていき、
 そして、ついに。

「わ、わ、わ」
「きゃあぁぁぁぁっ!?」
「落ち着いて! 荷物とナトを抱えなさい!!」

 水と共に落ちていく。
 暗闇と凄まじい水音が四人を包んでいく。
 風圧と水飛沫で目も開けられず、ただムワッとした水の臭いだけは強く感じる中で、
 金色の髪をはためかせる少女は、一心不乱に懸想(けそう)を抱いている少年を強く抱きしめた。





 ――悲鳴が響く人造湖の傍らで、その少女のような顔を驚愕に染めて、少年はその眼下に広がる光景を見ていた。
 湖の石の塀の、崖となっているその先。

 山と壁に囲まれた、彼らの故郷に匹敵するほどの面積。
 そこに存在する、石で出来た家々が立ち並んだ、無機質な灰色。

「うそ、だろ……」

 光る灰の降らないその場所が、
 人が栄えることができないはずのその場所が、

 ありえないほど巨大な都市を、彼の瞳に見せつけていた。





 悲鳴が反響していた。
 何かにもみくちゃにされているように、上下左右が滅茶苦茶だ。
 しかし――そんな中で、温かくて柔らかい何かが、力強く自分を包み込んでいた。

 動かなければ。
 覚悟はしたはずだ。
 大丈夫、動ける、できるはずだ――。

「っ! ナトさ――うわっ」

 腕の中の存在がもぞりと動いたことに反応したヨルカは、開けた口ですぐに水を飲み込んでしまい、むせた。
 ナトはゆっくりと目を開け――しかし暗闇であることに変わらないことに疑問を抱き、
 しかしすぐにヨルカを抱き返すと、体制を整えて流されながらも安定させた。

「げほっ、げほっ……ナトさん、もうだいじょう――ぶわっ!?」
「喋らないで」

 ヨルカの口元を自身の胸に抱き寄せ、水が入り込むのを防いだ。
 くぐもった咳を上げながら、ヨルカは顔を赤く染めたが、暗闇のおかげで少年には見えなかった。

 そして、しばらく流された後、二人は濁流に飲まれてどこかの水路へと放り出された。
 水の底は深く、大人の身長でも足がつかないほどもあった。
 当然、ナトとヨルカでは太刀打ちできず、勢いのある流れに揉まれ続けるしか無い。

「くっ」

 丸石を積み立てられた水路の壁を片手で掴み、ナトはヨルカを抱えながら重い服を引きずって水路をよじ登った。

「げほっ……はぁ、はぁ」
「えほっ、えほっ……あの、ナトさん、ありがとうございます。ふぅ、大丈夫……ですか?」

 石レンガが綺麗に並べられた、雨に濡れる地面に横たわり全身に雨を受けるナト。
 顔をひっきりなしに叩く大きな雨粒。
 更にその不快感を奪い去る、恐ろしく強い睡魔。

「駄目だ、やっぱり眠くて……意識が今にも途切れそうだ」
「あ、あの、申し訳ないんですけど、もうちょっと持ちこたえてください!」

 流石にここで気を失われたら困る。
 雨に打たれながらの介抱はできない。

 それに加えて、今は三人ともはぐれてしまっている。
 ただでさえ混迷を極めたこの状況で、彼が意識を失うのは最悪の事態だ。

「ああ……大丈夫だ、寝ない。寝れないさ」

 そう言って、ナトは起き上がった。
 青い剣の反動が未だ続き、強烈な睡魔が目つきを悪くさせている。

「ごめんなさい……とりあえず、皆さんを」

 そこで、ヨルカの言葉が途切れた。
 ナトは不思議に思い、向き直って様子を伺うと、
 彼女は目を丸くして、口をぽかんと開けて見上げていた。

 少年も気が付き、その景色に言葉を失った。
 自分たちを見下ろし所狭しと立ち並ぶ、巨大な石で建てられた、窓だけが幾つもあるような無骨な建造物。
 見たことも想像したこともない、異色な文明だ。

「この建物、一つにどれくらい住めるんでしょう」
「数十? ……いや、百は入れる」

 そんな建物が、視界いっぱいに並んでいる。
 どうやって作ったのだろう。
 そんな疑問が湧いたのは、圧巻を通り越した、その後だった。

「……いや、まずはグリーゼとマリーだ」
「オーハンスさんは?」
「あいつとは必ず会える」
「何か考えがあるんですか?」
「無い」

 肩透かしを食らったように、枝に留まる小鳥のように目をパチクリとさせるヨルカ。

「ど、どうするんですか?」
「こう言ったらマリーみたいだけど――絶対、どうにかなる。昔からそうだった」

 つまり、根拠が無いということだろうか。
 彼にしては珍しい答えだった。

「それで、二人は?」
「えっと……」

 彼の言い回しを不思議に思いながら、ヨルカは何があったのかを話した。
 川の分岐に入ったこと、渦に巻き込まれてこの街の水路にたどり着いたこと、その過程ではぐれてしまったこと。

 そして、それが話し終える頃に、聞き覚えのある足音が聞こえた。
 一つは水が飛び散って弾ける音と、もう一つは鉄の踵が石を叩く音だ。
 二人がその音に振り向くと、そこには二つの人影が。

「――ナト、それにヨルカ! こんなところにいたのですね!」
「二人とも、見つかってよかったわ!」

 水路の下流から、びしょ濡れの荷物を背負うグリーゼと、水たまりを無遠慮に踏みつけて遊ぶアメリオがやってきた。
 怪我もなく無事な様子の二人をみて、ヨルカは思わず息を漏らした。

「ねえ見てすごいわ! 見たことのない建物の家よ!」

 アメリオがそびえ立つ石造りの摩天楼を指さして、興奮気味にそう言った。

「私も、こんなに高い建物を見たのは初めてです……」

 アメリオとヨルカ、貴族の二人から見ても、この建物群はとてつもない巨大さだった。
 しかも、それが目につく全てであるから、その驚愕は尚更のことだった。

「もしかして私達、王族の都とか、とんでもない場所にいるのでは……」
「グリーゼ、ここを知ってる?」
「地図にもありませんでした。この辺りは高い山と崖に遮られていて、情報に限界があった可能性もありますが……」

 グリーゼが水濡れの地図を広げる。
 確かに、街の表記はどこにもない。

「そんなことより、まず人だ」
「見当たらないわね。雨だから家の中にいるのかしら」
「どこの窓からも人影は見えませんが……あ」

 と、ヨルカの視線が一点に止まる。

「あれ見てください! あれ!」

 ヨルカが示す先をナトたちが見上げると、ある建物の最上階の窓の一つに、明かりが付いていた。
 漂う人の気配。
 雨で冷たくなっていた空気が、遠巻きに見えるその光で和らいだ気がした。

「明かりよ! きっと誰かいるわ、行きましょう!」
「……そうだな。光る灰も降っていないし、なんにせよ建物の中には入りたい」

 降り続く雨は、今も遠慮なく四人を濡らしていた。
 雨は強くなる一方で、森の冠を抜けてからと言うものの、若干呼吸が邪魔されるほどの量となっている。

 その時だった。
 庭園の鐘が鳴る。夕暮れの鐘だ。
 同時に、四人の誰かの腹が鳴った。

「……美味しいスープもあると良いわね!」
「逆にスープにされたりしませんよね?」
「住民がマリーみたいなのじゃない事を祈ろう」
「どう言う意味?」
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