第44話 「血塗れの憤り」

文字数 3,915文字

 ナトは、改めてその遺跡の中を見た。
 薄暗い中に、二人の男が倒れている。
 仲間の少女は服を剥ぎ取られて屈辱に頬を染め、親友は怯えむせび泣いている。
 そして、唯一立っている――隻眼の男。

「おうおう、威勢がいいじゃ――」

 言い終えるよりも先に、ナトが地面を蹴った。
 腰だめに構えられた剣が、音を鳴らして空気を穿つ。

「くっ!?」

 気圧され、足をくじいて体勢を崩す隻眼の男。
 そのすぐ脇を、硬い粘土の剣が貫いた。

「くっ、くそっ!」

 男は何かを腰から取り出すと、それをナトに向けて振り回した。
 ナトの琥珀色の瞳はその飛来物を捉えた。
 それは、片手で容易に扱える程度の果物ナイフに見えた。

 弾き飛ばそうと剣を振るう。
 ナイフと交差する銅色の刃。
 しかし、その瞬間。

「っ!」

 ナトの体は急な衝撃を受け、後方へと吹き飛んだ。
 それと同時に、ナトの手を離れて「響」は弾けるように飛ばされてしまう。

 ナトは仕切りの外へと飛ばされ、「響」も太い根が這い回る地面のどこかに落ちてしまった。
 彼は根の上に落ちる瞬間に転げて体勢を直し、遺跡の方を睨んだ。
 遺跡の仕切りをくぐって出てきた隻眼の男は、両手の空いたナトを見て勝ち誇った笑みを見せた。

「わかるぜぇ……そうだよな、ただのナイフだと思うよなぁ」

 ナトは男が再び拾い上げたナイフをじっくりと観察した。
 すると、頭の中に言葉が浮き上がるように現れる。

「『巨人の軟骨』、『全てを跳ね除けて進む力を宿す』……魔道具か」
「あ? ……あぁ、そうさ、これは魔法のナイフ……商人達から奪った、この大地に眠る宝だ!」

 魔道具――人智を超えた力を秘める道具。
 かつて沼の村を支配していた男――コリンも、メイス型の物を使っていた。

「この刃に触れたものはなんだろうと吹き飛ばされる……こんなのも、なっ!!」

 そう言って、男はナイフの小さな刃で遺跡の柱を切りつけた。
 すると、その石の柱は付け根から外れ、勢いをつけてナトの方へと飛んできた。
 ナトが地面を蹴った、その直後。
 雷が落ちたような音を立てて、石の柱が木の根を抉って地面に突き刺さった。

「こんなこともっ!!」

 遺跡から飛び出して木の根の上に立つと、木の幹のように太いそれにナイフを突き立てて、ナトの方へ向けて切りつけた。
 すると、波のようにうねり、固く地面を掴んでいた根が持ち上がり、それがナトの方へと伝わっていく。
 足場に伝わる波により、高い場所まで跳ね上げられた。

「おらぁっ!!」

 隻眼の男は地面を切りつけて、土を跳ね上げた。
 正面から大量の土砂を浴びるナト。
 巻き起こる強風の中に混じった小石が、ヤスリのように肌を傷つけていく。

 男は、目の前に広がる土煙に向けてナイフを構えた。
 流石に理解できていた。
 あの程度でどうこうできる相手ではない。

 あの眼光が煙の中から現れるのを、今かと待つ。
 やがて、視界は晴れていき――、

「――っ」

 いない。
 あの少年は、どこへ。

 辺りを見渡す。
 すると、視界の端でそれを捉え、その方向へと振り向いた。
 木の根で構成されてうねった地面を、男の背後に回り込むように走っていた。

「そこだぁっ!」

 男が息を吐きながら、その湿った吐息に向かってナイフを横薙ぎに斬りつける。
 走っているナトはその行動を怪訝げに思いながら、辺りを見回す。
 しかし、

「っ!」

 ふいに、右の頬に違和感を感じた。
 木の根の隙間に転がり込み、手の甲で拭うと、真っ赤な跡がそこについた。
 一体、何が――。

「ははっ! 怖気づいちまったかぁ?」

 男の煽る声が聞こえてくると同時に、ナトの隠れている背後の木の根に、木くずと共に突然二本の切り傷が付いた。
 何をしているのかは大まかに検討は付くが、何にせよいつまでもこうしていられない。

 勢いよく飛び出したナト。
 目では隻眼の男を捉えながら、木の根を飛び越え、回り込むように辺りを走る。

「はぁぁぁぁっ、ふっ!」

 再び息を吐き出すと、男はナイフを振るう。
 すると、今度はナトの眼の前に切り傷が生まれ、間を置かずに彼の靴がそこを蹴った。
 どうやら、風を鋭い刃として飛ばしているらしい。
 形のないものでも、魔道具の効果の対象であるようだ。

 対してナトは、どこか既視感を覚えていた。
 自分の中の勘が、戦い方を教えてくれているようだ。
 思い出される記憶、あれは確か――そう、沼の村での戦いだ。

「ふぅううううう」

 再び男が深く息を吐いた。
 それを見て、足を止めたナトは、目を閉じて神経を耳に集中させた。
 聴け。些細な音も聞き逃すな。

 呼吸を鎮めると、森のざわめきや鳥のさえずり、どこかで流れる川の音が聞こえてくる。
 違う、これじゃない。
 自然じゃない、人為的な――。

 瞼に覆われた暗闇の中、その音たちが背景に消えていく。
 ピンと張られた弦のように研ぎ澄まされた音の世界で、その「何か」を探る。

 彼の身に与えられた、人を越えた聴力と反射神経。
 その二つが、電撃を与えるように、その瞬間を彼に知らせる。

 蚊が鳴くよりも小さな音だった。
 木くずが枯れ葉に落ちたような、そんな音。
 その瞬間――ナトは身を捩った。

「――っ」

 横腹を透明な何かが飛んでいって、背後の木の幹に傷を付けた。
 浅く腹の皮膚が裂け、血がにじむ。
 しかし、避けることが出来た。

「な、ぁ……!?」
「もう音は覚えた。次はない」

 ナトのその言葉に、男は片方しか無い目を見開いて、冷や汗をかいた。

「おま、え……ナニモンだよ……本当に人間かよ!?」

 男はそう言うと、焦りを垣間見える表情で次々と地面を走る太い根を切りつけた。
 次々と跳ね上がる木の根を前に、ナトは再び走り始める。

「ちょこまかとしやがって……!」

 ナトは跳ね上がる木の根を避け、舞い上がり襲いかかる土砂に耐え、その天変地異のよな状況を前に、何かを探すようにあたりを見回していた。
 そして、吹き付ける土で霞む視界の中――それを見つけた。

「はぁ、はぁ……ちとやりすぎたな」

 眼の前の凄惨な光景に、肩で息をする男が呟く。
 砂埃が舞う悪い視界には、地面に突き立つ幾つもの石の柱や、ボロボロに弾け飛んだ木の根が転がっていた。
 しかし、先程まで相手取っていた少年の姿は、見えない。

「どっかで潰れてんのか……?」

 その時だった。
 何か、金属が震えるような、楽器のような旋律が響く。

「なんだ……?」

 男が緊張に身を固めていると、霞の奥、音がする方から青い光が生まれる。

「っ……!」

 得体の知れない恐怖に、その隻眼を歪める。
 なんだ。なんなんだ。
 今自分が殺し合いをしている相手は、本当に人間なのか。

 まさか同じ魔法の道具か?
 だとしたら尚悪い。
 こちらの有利が無くなって――。

「……ははっ、まだ手札は切れてないだろ」

 男は遺跡の中へ急ぐと、地面に倒れ伏して泣いている傷跡だらけの裸の少年の首根っこを掴んだ。

「いやだぁぁっ!!」
「オーハンスさん!!」
「いいから来い!」

 泣き叫ぶオーハンスとそれを止めようとするヨルカ。
 男は無理やり連れ出すと、まだ晴れきってない視界の向こうにいる少年の人影に向かって叫んだ。

「こっちには人質がいる! お前の大事な仲間だろ? 何かあればこいつを殺す!」

 そう叫ぶと、その青い光は砂埃の奥へと消えていった。
 それを見て、男は口角を上げた。

「へへっ、ちゃんと人間じゃねぇか、なあ?」

 泣きじゃくるオーハンスを見て、男がその隻眼を細める。
 見定めをするようなその目を見て、オーハンスはビクリと肩をはねさせた。

「お、ねがい……もう、やめて……」
「ああ、あとでゆっくり、な。落ち着いたら相手して――」

 男が言葉を発せたのはそこまでだった。
 首根っこを掴まれたオーハンスが、地面に落ちる。
 見れば、彼を掴んでいた手の甲に、見覚えのないナイフが突き刺さっていた。

「いってぇ……くそっ、おいなんだこれ!」

 突き抜けたナイフの先端から赤い雫が落ちて、地面に跡を付けた、それと同時。
 物凄い勢いで近寄ってくるその青い光に、男の隻眼が気がついた。

「まさか――っ!?」

 汗でにじむ手でナイフを構える男。
 大丈夫、これがあれば適当に切りつけさえすりゃこっちのものだ。

「ははっ、さあ来い!」

 モヤの中から現れた、青く光る剣を振りかざす少年。
 餓狼が如く疾走し、男に急速に迫る。

 再び剣がナイフの刃と交差する。
 だが――。

「なっ!?」

 ナトの青い光に包まれた剣は、吹き飛ばされる気配を微塵も見せず、その刃ごと切断した。
 折れて地面に落ちた刃を他所に、ナトはその男の手に刺さった自分のナイフの柄を掴み、そのまま遺跡の柱に無理やり突き立てた
 一瞬で青い光に包まれたナイフは、難なく石の素材に差し込まれた。

 こうして、男は身動きが取れなくなった。
 手を突き破る刃の痛みに震える男を尻目に、ナトは傷ついたオーハンスの元へ寄った。

「くそっ、バケモンが!!」
「俺は」

 オーハンスを抱き上げて自身のマントを被せながら、ナトは口を開いた。

「俺は、仲間を守れるなら――化物でも構わない」
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