第27話 「仲間 下」
文字数 3,733文字
「と、言うわけで、何かわからないかな、と」
「そうですね……」
表紙を見つめるグリーゼ。
「表紙には、『ルトス、我々の誓文』と書いてあります」
ナトは首を傾げる。
「ルトス」。どこかで聞き覚えのある……いや、どうだったか。
昔の偉い人だろうか。
「しかし……過去の遺産、ですか。どの時代の物かは分かりかねます、私も元は、本国の人間なので……」
「そういえば、元々はあの国で生まれた女の子なんでしたっけ」
「今も乙女のつもりです」
パラパラとページを捲って、ふむ、と声を漏らす。
「随分と崩れていますし、今の言葉とも少し異なりますが、読めないことはないでしょう」
「ほんとですか」
「それで、何を知りたいのですか?」
それから、いくつか質問を投げかけた。
結果から言うと、殆ど「わからない」だった。
絵の通り、王は民を見守るだとか、革命により大いなる文明の飛躍が起こっただとか、そんな事しか書いてなかったらしい。
わからない。
そりゃそうか。
彼女だって今を生きる人だ。
女の子だったのも昔の話だ。
ただ、一つだけハッキリしたことがある。
「あの、これは……?」
とあるページを開く。
たまたま見つけて、驚いたものだ。
それは、剣と炎の印だった。
そう、ヨルカ曰く「魔道具」と呼ばれる物に必ず付いている印だ。
「……『我らが王の創造の力となり、世界を復権へと導く男の印』と書かれています」
「よくわからないですね」
「時代の隔たりが人を変えたことがよくわかります」
おや、と、グリーゼが黄ばんだページの下部に目を付ける。
「その下に、名前も書かれています。それは――」
より一層崩れたそのサインに目を通し、グリーゼは言った。
「ノエル・ヨンド」
「グリーゼさんはご存知ですか?」
「聞いたことのない名前です。……しかし、本に名前が載る程なのですから、当時はとても人気者だったのでしょう。
降り積もった埃に埋もれて、言伝にすらされないとは……隔たりとは怖いものです」
そして、本を閉じた。
簡素な音が部屋に響く。
「まあこれらはきっと、当時の絵本か、それとも風刺的な作品でしょう。それにしても――」
本を見つめたまま、続ける。
「なぜ、外を蔓延る怪物や、光る灰の事が書かれていないのでしょう」
アメリオを探しに出たナトとオーハンスは、木々の根本の広場で発見した。
彼女は、大いにその休息を満喫していた。
「なんか、思っていた以上だな」
「うん」
何十人という子供たちに囲まれて、木々の見守る中、彼らと緑色の地面を駆け回る彼女の姿を見つけ、
二人はその短い言葉で、自分の認識を擦り合わせるようにそう言った。
子供たちと無邪気にじゃれ合う姿は、まるで彼らのお姉さんであり、
実は言葉も通じない余所者だと言って、誰が信じられるだろう。
もう別に、ここに置いていってもいいんじゃないだろうか。
そうオーハンスは思った。ナトも少し思った。
「おい、マリー」
「……あら、二人共、久しぶりね!」
「全くだ」
呆れたようにため息をつくオーハンス。
彼女が駆け寄ってきて、彼らの前で立ち止まると、フワリと何かいい香りがした。
「あれ? なんか貴族の馬車が通った後みたいな香りがする」
「嫌かしら」
「ううん、いい匂いだけど……」
ナトがそう言うと、ふふんと自慢げに首にかけていた装飾品を服の中から引っ張り出した。
皮の紐に丸や、角の取れた四角に削られた木を繋いだ首飾りで、服から取り出すと雨の森のような香りが仄かに漂ってくる。
「この村の伝統なんですって。木片を香油に浸して加工したものらしいわ。旅に出た人が故郷を思い出せるようにって意味があるのよ」
「へぇ、意外と体臭とか気にするんだとか思ったけど、そう言うことだったのか」
「それもあるけど」
「あるのかよ」
その装飾品を服の中に仕舞い、「それで」とアメリオが続ける。
「どうしたの? もう出発?」
「ああ、いや、もう少しここに居ようと思うんだ」
ナトは微笑みながら引き継ぐ。
「ヨルカがまだかかりそうで、俺も……怪我がまだ、ね」
いくら傷口に応急手当として結晶を張り付かせたところで、大怪我は大怪我だ。
なにせ、怪物の歯が刺し貫いている。
「どれくらいかかりそうなの?」
「うーん、わからないけど……何故か今、俺の体は治るのが早いんだ」
わずか数日で治癒した細かい怪我には、医者も本人も驚いたことは言うまでもない。
「だから、思っているよりも早くどうにかなると思う」
「そう、よかったわ!」
「てか、今日ここに来たのはお前の様子を見に来たんだよ」
「私?」
不思議そうに首を傾げる。
「私は元気よ。村の人達に良くしてもらってるわ。
……あ、紹介したほうがいいのかしら。あの子たちはこの村の子供達よ!」
「見りゃわかるわ。何日も家を出たっきり、何してたんだよ」
「オルフだって沼の村で散々変な生き物とじゃれついて、挙句の果てに牧場に泊まり込んでたじゃない」
ナトは、見た目相応に相好を崩した友人の姿を思い出した。
確かに人のことを言えた義理ではない。
「いや……子供の数倍可愛いからな」
「どっちも可愛いわ!」
「お前、何が言いたいんだよ」
「それで」と、ため息混じりに、オーハンスが続ける。
「お前、どうするんだよ」
「もちろん、いつかはここを出るわ。いつまでも居る訳にはいかないもの」
「……何故?」
オーハンスが問う。
反対側にアメリオの首が傾く。
「あのな、予め言っておくともう付いてくるなとか、そういうことを言ってるんじゃないんだ。
お前この旅を、どうするんだよ」
出会ってから、一度も聞いていなかった。
彼女が、どうしたいのか。
何故、危険な道を後ろから付いてくるのか。
アメリオの体の動きが止まる。
それに対して、少女のような少年は片手で頭を掻きながら、ナトをちらりと仰ぎ見た。
「……マリー。本当は、沼の村で言おうと思ったんだ。
あの時はお互いによく知らなかったし――うん、今だから聞くよ。マリーは、どうしたいの?」
赤い髪が舞う。
少女は、じっと賑やかに遊ぶ子供たちを見た。
「私は行くわ」
桃色の唇が動く。
「大切な執事に、そうしろって、言われたのよ」
ゆっくりと、しかし鮮明に続ける。
「私の執事が、そう言ったのよ。いつも真摯だった、彼が。
振り返らずに進み続けなさい、絶対に大丈夫だから……って」
向けられた赤い瞳に、ナトは自然と吸い寄せられた。
深く、しかし日に照らされた水たまりのように透き通っている。
「――そして、立ち止まってはいけない、って」
アメリオは区切って、一つ息を軽く吸った。
「だから、私は進むわ。あなた達に付いていく。
どこかへ行く目的は無いけど。でも」
そう言って、アメリオは笑った。
いつものように、どこから湧き出すのかよくわからない自信を漲 らせて。
「仲間でしょ?」
図々しい――とは、少し違う。
こっちがそう思っていることを、信じて疑ってない。その上で、そう言っているのだ。
「うん、そうだね」
ナトはそう言って、微笑んだ。
微笑んでいた。
その晩、ヨルカは現れた。
と言うのも、ナトとオーハンスが部屋に戻ってきた時のことだった。
「戻りました……あ」
「あっ」
ナトがドアを開けると、そこには本と紙を抱え、手先を黒く汚した金髪の少女がいた。
彼女はドアを開け放って立つ二人の少年を順繰りに見て、すぐに顔を赤くした。
「何してんだよ」
「あ、あの……そのっ」
瞳を震わし、口をもつれさせるそのいたいけな少女を見て、疑問符を浮かべる二人。
ナトが部屋に足を踏み入れると、
「ごめんなさいっ!」
パタパタと慌ただしく部屋の奥――ナトたちの開けたことのない扉に入って行ってしまった。
「どうしました……おや」
グリーゼが現れた。
ナトたちを見て、それからヨルカの入って行った方向の扉を見て。
兜に包まれたこめかみに指を当てて、考え込むように黙り込んだ。
ナトは、彼女の籠手が本を数冊掴んでいるのを見つけた。
そして、今しがた逃げて行った少女のことを脳裏に浮かべる。
問いかけようと肺から息を持ち上げて、思い出した。
――大丈夫ですよ、彼女なら。
だから、口を噤んだ。
これを聞くのは、きっと野暮だろう。
それに。
「なんでもありません」
「ナト……」
背の高い少年は、今見たことを忘れることにした。
そして、心の中でそっと呟いた。
――仲間。
噛み合わない歯車を必死に回しているような、その言葉。
普通に使っていたはずなのに、どうして。
でも。
それでも、彼女は仲間なのだから。
守らねばならないのだ。
「そうですね……」
表紙を見つめるグリーゼ。
「表紙には、『ルトス、我々の誓文』と書いてあります」
ナトは首を傾げる。
「ルトス」。どこかで聞き覚えのある……いや、どうだったか。
昔の偉い人だろうか。
「しかし……過去の遺産、ですか。どの時代の物かは分かりかねます、私も元は、本国の人間なので……」
「そういえば、元々はあの国で生まれた女の子なんでしたっけ」
「今も乙女のつもりです」
パラパラとページを捲って、ふむ、と声を漏らす。
「随分と崩れていますし、今の言葉とも少し異なりますが、読めないことはないでしょう」
「ほんとですか」
「それで、何を知りたいのですか?」
それから、いくつか質問を投げかけた。
結果から言うと、殆ど「わからない」だった。
絵の通り、王は民を見守るだとか、革命により大いなる文明の飛躍が起こっただとか、そんな事しか書いてなかったらしい。
わからない。
そりゃそうか。
彼女だって今を生きる人だ。
女の子だったのも昔の話だ。
ただ、一つだけハッキリしたことがある。
「あの、これは……?」
とあるページを開く。
たまたま見つけて、驚いたものだ。
それは、剣と炎の印だった。
そう、ヨルカ曰く「魔道具」と呼ばれる物に必ず付いている印だ。
「……『我らが王の創造の力となり、世界を復権へと導く男の印』と書かれています」
「よくわからないですね」
「時代の隔たりが人を変えたことがよくわかります」
おや、と、グリーゼが黄ばんだページの下部に目を付ける。
「その下に、名前も書かれています。それは――」
より一層崩れたそのサインに目を通し、グリーゼは言った。
「ノエル・ヨンド」
「グリーゼさんはご存知ですか?」
「聞いたことのない名前です。……しかし、本に名前が載る程なのですから、当時はとても人気者だったのでしょう。
降り積もった埃に埋もれて、言伝にすらされないとは……隔たりとは怖いものです」
そして、本を閉じた。
簡素な音が部屋に響く。
「まあこれらはきっと、当時の絵本か、それとも風刺的な作品でしょう。それにしても――」
本を見つめたまま、続ける。
「なぜ、外を蔓延る怪物や、光る灰の事が書かれていないのでしょう」
アメリオを探しに出たナトとオーハンスは、木々の根本の広場で発見した。
彼女は、大いにその休息を満喫していた。
「なんか、思っていた以上だな」
「うん」
何十人という子供たちに囲まれて、木々の見守る中、彼らと緑色の地面を駆け回る彼女の姿を見つけ、
二人はその短い言葉で、自分の認識を擦り合わせるようにそう言った。
子供たちと無邪気にじゃれ合う姿は、まるで彼らのお姉さんであり、
実は言葉も通じない余所者だと言って、誰が信じられるだろう。
もう別に、ここに置いていってもいいんじゃないだろうか。
そうオーハンスは思った。ナトも少し思った。
「おい、マリー」
「……あら、二人共、久しぶりね!」
「全くだ」
呆れたようにため息をつくオーハンス。
彼女が駆け寄ってきて、彼らの前で立ち止まると、フワリと何かいい香りがした。
「あれ? なんか貴族の馬車が通った後みたいな香りがする」
「嫌かしら」
「ううん、いい匂いだけど……」
ナトがそう言うと、ふふんと自慢げに首にかけていた装飾品を服の中から引っ張り出した。
皮の紐に丸や、角の取れた四角に削られた木を繋いだ首飾りで、服から取り出すと雨の森のような香りが仄かに漂ってくる。
「この村の伝統なんですって。木片を香油に浸して加工したものらしいわ。旅に出た人が故郷を思い出せるようにって意味があるのよ」
「へぇ、意外と体臭とか気にするんだとか思ったけど、そう言うことだったのか」
「それもあるけど」
「あるのかよ」
その装飾品を服の中に仕舞い、「それで」とアメリオが続ける。
「どうしたの? もう出発?」
「ああ、いや、もう少しここに居ようと思うんだ」
ナトは微笑みながら引き継ぐ。
「ヨルカがまだかかりそうで、俺も……怪我がまだ、ね」
いくら傷口に応急手当として結晶を張り付かせたところで、大怪我は大怪我だ。
なにせ、怪物の歯が刺し貫いている。
「どれくらいかかりそうなの?」
「うーん、わからないけど……何故か今、俺の体は治るのが早いんだ」
わずか数日で治癒した細かい怪我には、医者も本人も驚いたことは言うまでもない。
「だから、思っているよりも早くどうにかなると思う」
「そう、よかったわ!」
「てか、今日ここに来たのはお前の様子を見に来たんだよ」
「私?」
不思議そうに首を傾げる。
「私は元気よ。村の人達に良くしてもらってるわ。
……あ、紹介したほうがいいのかしら。あの子たちはこの村の子供達よ!」
「見りゃわかるわ。何日も家を出たっきり、何してたんだよ」
「オルフだって沼の村で散々変な生き物とじゃれついて、挙句の果てに牧場に泊まり込んでたじゃない」
ナトは、見た目相応に相好を崩した友人の姿を思い出した。
確かに人のことを言えた義理ではない。
「いや……子供の数倍可愛いからな」
「どっちも可愛いわ!」
「お前、何が言いたいんだよ」
「それで」と、ため息混じりに、オーハンスが続ける。
「お前、どうするんだよ」
「もちろん、いつかはここを出るわ。いつまでも居る訳にはいかないもの」
「……何故?」
オーハンスが問う。
反対側にアメリオの首が傾く。
「あのな、予め言っておくともう付いてくるなとか、そういうことを言ってるんじゃないんだ。
お前この旅を、どうするんだよ」
出会ってから、一度も聞いていなかった。
彼女が、どうしたいのか。
何故、危険な道を後ろから付いてくるのか。
アメリオの体の動きが止まる。
それに対して、少女のような少年は片手で頭を掻きながら、ナトをちらりと仰ぎ見た。
「……マリー。本当は、沼の村で言おうと思ったんだ。
あの時はお互いによく知らなかったし――うん、今だから聞くよ。マリーは、どうしたいの?」
赤い髪が舞う。
少女は、じっと賑やかに遊ぶ子供たちを見た。
「私は行くわ」
桃色の唇が動く。
「大切な執事に、そうしろって、言われたのよ」
ゆっくりと、しかし鮮明に続ける。
「私の執事が、そう言ったのよ。いつも真摯だった、彼が。
振り返らずに進み続けなさい、絶対に大丈夫だから……って」
向けられた赤い瞳に、ナトは自然と吸い寄せられた。
深く、しかし日に照らされた水たまりのように透き通っている。
「――そして、立ち止まってはいけない、って」
アメリオは区切って、一つ息を軽く吸った。
「だから、私は進むわ。あなた達に付いていく。
どこかへ行く目的は無いけど。でも」
そう言って、アメリオは笑った。
いつものように、どこから湧き出すのかよくわからない自信を
「仲間でしょ?」
図々しい――とは、少し違う。
こっちがそう思っていることを、信じて疑ってない。その上で、そう言っているのだ。
「うん、そうだね」
ナトはそう言って、微笑んだ。
微笑んでいた。
その晩、ヨルカは現れた。
と言うのも、ナトとオーハンスが部屋に戻ってきた時のことだった。
「戻りました……あ」
「あっ」
ナトがドアを開けると、そこには本と紙を抱え、手先を黒く汚した金髪の少女がいた。
彼女はドアを開け放って立つ二人の少年を順繰りに見て、すぐに顔を赤くした。
「何してんだよ」
「あ、あの……そのっ」
瞳を震わし、口をもつれさせるそのいたいけな少女を見て、疑問符を浮かべる二人。
ナトが部屋に足を踏み入れると、
「ごめんなさいっ!」
パタパタと慌ただしく部屋の奥――ナトたちの開けたことのない扉に入って行ってしまった。
「どうしました……おや」
グリーゼが現れた。
ナトたちを見て、それからヨルカの入って行った方向の扉を見て。
兜に包まれたこめかみに指を当てて、考え込むように黙り込んだ。
ナトは、彼女の籠手が本を数冊掴んでいるのを見つけた。
そして、今しがた逃げて行った少女のことを脳裏に浮かべる。
問いかけようと肺から息を持ち上げて、思い出した。
――大丈夫ですよ、彼女なら。
だから、口を噤んだ。
これを聞くのは、きっと野暮だろう。
それに。
「なんでもありません」
「ナト……」
背の高い少年は、今見たことを忘れることにした。
そして、心の中でそっと呟いた。
――仲間。
噛み合わない歯車を必死に回しているような、その言葉。
普通に使っていたはずなのに、どうして。
でも。
それでも、彼女は仲間なのだから。
守らねばならないのだ。