第16話 「園の番人」

文字数 5,889文字

「よし、ここなら……」

 ナトと青年は痛む体に鞭を打ち、遺構の中の小さな小部屋に逃げ込んだ。
 それぞれ、落下の衝撃や細かい傷など、目立ったところは見当たらないが、確かな消耗はあった。

 不幸中の幸いか、あの化物は共に落ちてくることは無かった。
 しかし、孤立したグリーゼに襲いかかっているとなれば、話は別だ。
 すぐにでも合流しなければ。

「あの怪物はすぐに僕たちも追いかけてくる」

 ナトがそう思い立った直後、青年がそう言葉を発した。

「あれはきっと、どこまでも追いかけてくる。
 あの息の根が止まらない限りは」
「……そうですね、油断しないようにしましょう」

 ナトの頭の中にあの怪物の名前以上の物は浮かんでこなかった。
 だから、詳細はわからない。
 しかし、感じ取っていた。
 拭えない恐怖心。少しも湧いてこない安堵感。
 そして、今もどこからか見られているという、そんな錯覚。

「……そう言えば、こんな時だが、紹介がまだだった。
 僕はハルトマン。ハルトマン・オールドコインだ」
「ナトです。ここの外から来ました。……って、こちらの言葉を話せるってことは、あなたもですか?」

 しかし、その問いに答えは返ってこない。
 ナトが青年――ハルトマンの方を伺うと、その顔には明らかな嫌悪の表情が浮かんでいた。

「……名字は?」
「名字は……ありません。平民の出なので」

 そう言うと、ハルトマンの表情に明らかな嫌悪の色が浮かんだ。
 その様子に、ナトは困惑する。

「あの……」
「話しかけるな。近寄るな、接触も禁止だ」

 黙って腰を上げ、どこかへ歩き去ろうとする青年。
 それを見て、引き留めようとその肩に手を置く。
 ――パチンと音がして、気が付けば手が払いのけられていた。

「待ってください。一人で歩くのは危険です」
「平民と行動を共にすることはできない。ここからは単独行動だ。
 何があっても責任を取る必要はないし、取られる筋もない」

 そう言うと、さっさと歩き始めるハルトマン。
 追いかけるようにナトがその後を続く。

「……来るんじゃない」
「何故ですか?」
「僕はあの怪物に用があるんだ。アレを仕留めれば大人しく下がろう。
 だから、付いてくるな」
「聞いていることに答えてください」

 ハルトマンの足が止まる。
 そして、振り返ると――その顔は、侮蔑の色に歪んでいた。

「僕は平民なんていう下劣な奴らを傍らに置かない。
 関わったこと自体にも後悔している。
 だから、これ以上僕に近寄らないでくれ」

 それは、完全な拒絶だった。

 彼の瞳の奥には知性の光が宿っている。
 ちゃんとこの状況も加味している。
 それを踏まえての、拒絶だった。

 だから、ナトは何も言えなかった。
 かと言って、一人になるわけにもいかないし、させるわけにもいかない。
 結果として、少しだけ距離を離して、その後ろに付いていくことになった。

 それに関して、ハルトマンは何も言わなかった。 
 ただ、黙々と歩を進めるだけだ。
 それに少しだけ安心しながら、ナトはあることを思い出していた。

 ヨルカの治療に使う薬品の材料である『乾いた鱗』。
 それを入手するために、ナトとグリーゼはここまで来た。

 『乾いた鱗』は、この遺構の中に住まう怪物の部位から採れる素材であるらしい。
 しかし、先程の怪物には鱗らしき物は見当たらなかった。
 つまり、目的とする怪物はアレの他にもう一匹居るということだ。

 だとしたら、今後はそれを念頭に置いて、かつ先程襲われた怪物の事を気にかけながら行動しなければならない。
 かつて無いほどの緊張感が、ナトの掌に汗を滲ませた。

 突然、前を歩くハルトマンが懐から出した何かを見て、立ち止まった。
 そして、両手で握りこぶしを作り、胸の前で交差した。
 その直後。

 鐘が鳴る。
 ベルガーデンに来て、何度も聞いた鐘の音。
 確か、今日は二回目だったか。

 ――まだ。
 彼は「ある感情」を覚え忘れていることに、まだ、気が付かない。






「あったか?」
「ないわ」

 マイクを側に待機させて、
 木漏れ日の花畑の中を、屈んで創作する二人。
 しかし、いくら探しても紙に書かれた花は見つからない。

 丁度鐘の音が鳴った。
 本日二度目の鐘の音だ。
 これで昼になるということか。空の色が変わらないから、感覚が狂ってきているのかもしれない。

 オーハンスがそんな事を考えていると、アメリオがポツリと漏らした。

「場所が違ったのかしら」
「いや、確かに此処と似た景色が書かれてる。だから、ある筈……」

 花をかき分けながら、慎重に絵と見比べながら探すオーハンス。
 そして、気がつく。
 太陽の光に透けて、紙の裏に、何かが書いてあることに気がつく。

「……なんだ?」

 紙を持ち上げて、木の隙間から出ている太陽にかざして確認する。
 それは――花の形をした、巨躯の異形のような、

 その時だった。
 ふいに、後ろから木材で地面を叩いたような、鈍い音が響く。

 顔を上げれば、そこには焦った表情で右手を突き出すアメリオがいて、
 後方から舞い散る花弁に、ゆっくり振り返れば、
 そこにいたのは、紙に書かれた物と似た姿を持つ、花の怪物。
 衝撃に怯んだように、襲いかかろうとしていた勢いは感じられないが、

 ――肌を撫でる、不穏な気配。

「うああっ!?」

 慌てて後ずさり、
 側にマイクがいるのに気が付いて、その手綱を取るオーハンス。

 数え切れない根っこを支えに立ち上がり、その根がつながる先は、
 花畑に大きな影を落とすほど高く持ち上がった、色とりどりの花々。
 まるで、花畑そのものが生きているような、そんな姿をしていた。

 根っこからは、琥珀色の蜜のような物が流れていて、粘質なそれは根の元に溜まり、
 まるで、持ち上げるには太さの足りない根、そのバランスの補強をしているように見える。
 そして、特に際立って目立つのが、花々の下部から伸びる萎びた腕だ。
 器用に指先を動かし、まるで本物の人間の物のように動いている。

「もう一度!」

 アメリオの右の掌に、大気が収束していく。
 やがて、可視化できるほど空気を歪ませる透明の球が現れ、それは前方に勢いよく射出された。
 彼女が『魔法』と呼ぶそれは、勢いをつけて怪物目掛けて飛んでいく。

 ――根っこに衝突、激しい爆風が起こる。
 その風圧に花びらが舞い散った。
 オーハンスは思わず目を覆い、そして、ゆっくりと正面を確認すると――、

 怪物は、魔法が当たった箇所を垂れ流している樹液で守っており、傷一つ付いた様子はない。
 ほぼ無傷であった。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 汗で赤色の髪を額に貼り付けながら、アメリオは激しい息切れと共に腕を降ろした。
 その足は震えていたが、しっかりと地面を噛み締めていた。
 その時だった。

「させません」

 燃え盛る炎が、正面を走った。
 視界が緋色に染め上がり、怪物と二人を遮る。
 二人が声の方を見やると、そこには、「蝋燭の無い燭台」を掲げるチェットがいた。

「一体何を……」

 チェットは、次に腰から(つぼみ)の付いた木の枝のような物を取り出し、それを振るった。
 炎が静まり、晴れた視界の先に現れた、焦げ付いた根が垂れさがった怪物の、その真上。
 いつの間にか氷の槍が出来上がっており、地面に引っ張られて落下していく。
 それは、いとも容易く怪物を穿った。

 音の無い悲鳴。
 浮き上がらせた花畑の上に、氷の柱を生やす怪物。
 貫通して根っこと共に下に伸びたつららを引き抜こうと、怪物の萎びた手がそれを掴んだ。

 チェットは既に、次の行動に移っていた。
 今度は白いローブの下から折れた(くわ)の先端を取り出すと、それを地面に勢いよく差し込んだ。
 すると、辺りの花が一斉に背が高くなり、そのまま怪物に巻き付いていく。

「最後です」

 次に取り出したのは、透明なレンズだった。
 それを高く持ち上げると、途端に怪物の周囲が眩くなる。
 白く発光するそれは、熱すら感じさせるほどで、
 惚けているオーハンスの肌は、じんわりと汗ばんでくる。

 やがて、その輝きは失せていく。
 目が慣れた頃に二人の視界に飛び込んできたのは、焼け焦げた後が残る焦土だった。
 焦げて炭となった怪物だったそれは、やがて崩れ落ち、後にはむき出しの地面が残る。

「なんなんだよ、お前……」

 オーハンスは何度か瞬きを繰り返した後、チェットの方を見た。
 彼女は、ローブの中に道具を仕舞うと、オーハンスの視線に気が付き、

「魔法の道具の使い手です」

 ニッコリと微笑んだ。





 少し離れた二つの足音が、まばらに遺構の中に響く。
 行けども行けども水晶の淡い光と、それが照らし出す石の壁と床しかない。
 変化と言えば、余計に光が届かない程下まで落ちた事が関係してるのか、所々が黄緑色に苔むしているくらい。

 辺りは、音が闇に吸われているように静かで、自分が現実を歩いているのか不安になる程だ。
 ナトは見回しながらその中を進むが、ふと、隣につながる通路が開いていることに気がついた。
 そこを覗き込み――目を見開いた。

「……ハルトマンさん」

 前を進む青年に声をかける。
 しかし、止まる気配はない彼に、ナトは続ける。

「何か、います」

 ピタリと、青年の足が止まった。
 足音を消して、そっと戻ってくる。
 ナトには目も合わせず、黙って中を覗いた。

 暗闇の中、部屋の外の水晶に照らされたそれは、はっきりとは見えない。
 しかし、微かな呼吸音と共に、何かがそこで丸まっていた。

 上の階にいたのが降りて来たのか。
 そう考えもしたが、いや、と首を振る。
 違う。ハルトマンを追って来たというあの怪物が、こんな所で足を止めているはずがない
 そういった根拠もあるが、
 それ以前に、結晶に僅かに照らし出されているそれは、紛れもない鱗だった。
 あの怪物は持ち得ない、鱗だ。

「……僕に関わる気はない。アレに用はない。無視させてもらおう」

 小声でそういうと、ハルトマンは踵を返して歩いていってしまった。
 しかし、ナトの足は動こうとしない。

 ――ヨルカを救うのは、この怪物の鱗かもしれない。

 動かなかったその足が、薄暗い部屋の中に、一歩踏み出された。
 次第に姿を表したのは、大人三人分を優に超える巨体を持つトカゲのような生物だった。
 その鱗は薄茶色の乾いた色をしていて、角ばっている。
 
 音を立てないように、慎重さを伺わせながら、彼は歩みを進めて、
 その距離は、残り子供一人分のみ。

 静かに見下ろす。
 怪物の鱗に覆われた背中が、ゆっくりと上下を繰り返している。
 そして、隙間に吹く風のような音も、微かに聞こえていた。

 寝ている。
 そう確信して、ナトは腰から銅色の刃を持つ剣を、音を立てずに抜いた。
 そして、逆手に持ってゆっくりとその鱗に近づける。

 刺々しい鱗の一枚、その端に触れた。
 ゆっくりと様子を見やると――まだ、変わらず寝息を立てていた。
 安堵して、徐々にその手に力を込めていく。

 ゆっくりと、鱗が逆剥けていく。
 これで、助かる。
 いつになく緊張が増すが、気にしないように頭(かぶり)を振り、手元に集中する。

 差し込まれている、刃の先端。
 やがて、反りを見せ始めた、その時。

 違和感。
 何か、何かがおかしい。

 そして、ナトは気がついた。
 息遣いが、自分の立てているものだけだという事に。

「――っ!!」

 音を立てるのも(いとわ)ず、その場から飛び退いた。
 しかし、遅かった。
 踊り子が舞うように、それは華麗に身を翻し、トカゲには無い鋭い牙をナトに向け、
 そして一瞬のうちに、ナトの膝当てをした左足に突き立った。

「ぐっ……」

 背中から地面に落ちる。
 顔を持ち上げれば、その先には食らいついて離れない怪物の顔。

 痛みに歯を食いしばり、そして、手に持った剣を、己の足に食らいつくトカゲの頭に突き立てようと振り上げる。
 しかし、突き出された剣先は床の石タイルを叩た。
 気がつけば、それはナトから離れた場所に舞い降りていた。

 ナトの足から鮮血が滴る。
 足に、穴が空いている。
 力が入らないほどの痛みに顔を歪め、それでも声を出さないように口をつぐむ。

 正面を睨んだ。
 全長は大人三人分を超える体躯を誇る、巨大なトカゲ。
 発達した四脚が地面を噛み締め、そこからは鋭い爪が見えていた。

 咆哮。
 虎か、もしくは象か。
 どの獣にも当てはまらない、猟奇的な叫び。

 しかし。
 空気を震わすほどの鳴き声の中、ナトは感じ取っていた。
 今まで遭遇してきた怪物と同じ。
 こちらを殺そうとする者の、無垢な殺意。

 辺りが明るくなる。
 水晶が、その怪物と共鳴しているかのように、光を増した。
 しかし、それだけではなかった。
 怪物の乾いた色の鱗が、黄金に輝き始める。

 一気に明るくなった部屋の中、ナトは改めて、この怪物と対峙させられているという実感を得た。
 明らかになった部屋の全貌。
 そこは、輝く水晶と、高くまで伸びる苔むした壁と、天井の屋根のみの部屋だった。

 この部屋に、二人の邪魔をする物など何もない。
 それは同時に、退路がないことを示していた。

 その時、ナトの頭の中に一つの単語が浮かんだ。
 脂汗を浮かべ、ナトはその名を呼ぶ。

輝洞龍(ヒカリカレハ)……!」






 彼――ハルトマンは一人、埃臭い古い通路を歩いていた。
 背後から獣とも人ともつかない、大きな叫声が聞こえてくる。
 しかし、足は止まることなく、進んでいく。

 関係がない。
 あれは汚らわしい第三身分。
 どうしようと、どうなろうと、関係がない。

 過去の記憶が彼の心を焦がす。
 それは、火傷のように張り付いて、剥がれない。

 そういう世界だって、知ってるんだ。

 彼は進む。
 ただ一人、薄暗いその中を。
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