第1話 「霧の呼び声」

文字数 8,778文字

 ――その日、世界は銀色を失った。

「やめろっ……やめてくれっ!!」

 太陽の光もロクに届かない深い霧の中で、少年は手を伸ばした。
 長い体毛を持つ何かが、霧の中を影となって蠢く。
 その向こうには、崩れ落ちた少女の姿。

「あ、あ……」

 頭の中を激風が凪いだ。
 感情の渦が少年を捕らえる。

 その影が、こちらを向いた気がした。
 そして、次の瞬間には。

「シ……ア……」

 衝撃と激痛、そして混乱の濁流に、少年の意識が流れていく。
 最後に、嫌がらせのように一部晴れた霧の隙間。
 光を失った少女の瞳と、目が合った。

 暗闇の中、鐘の音がどよめく。





 昼下がり、石畳の広い道。
 多くの人々が行き交うその公道に、商人や貴族が列をなしている。
 その中に、とある二人組が馬を引いていた。

 一人は子供にしては背が高く、もう一人は子供にしては背が低い。
 そしてどちらも、目深に茶色のフードコートをかぶっている。
 それらの姿は、まるで貧乏な旅人のようだ。

 しかし、貧乏に見える彼らだが、その傍らの存在は、多くの商人の目を引いていた。
 背の低い彼が手綱を握る、毛並みの良い茶色の軍馬。
 多くの荷物を括り付けられているにも関わらず、凛とした佇まいで灰色の地面を踏んでいる。
 目ざといものであれば、この馬が王室にも劣らない良馬であることに気がつくだろう。

「いよいよだね」
「ああ」

 多少見下ろすようにしてそうつぶやく彼に、背の低い人物は目を合わせて深くうなずく。
 彼が虫に針を刺すような面持ちで居るのに対し、高身長の方は息を乱さず、湖のほとりのように静謐な瞳が前を睨む。
 それは、この列が目指すところの、城壁門の隙間を射すくめていた。

「あ、あの」

 そんな彼らに、話しかける者がいた。
 彼らは、二人揃ってそちらに振り向く。

 肩口まで伸びた、靡(なび)く金色の髪。
 陶器のように白い肌。

 彼らに近づいてきたのは、一人の少女だった。
 服装は旅装束のマントに身を包んでいるが、彼ら二人のものと比べると、明らかに良質なものである。

「どうされました?」

 背の高い人物が彼女に問う。
 彼女は、躊躇うように視線を左右に泳がせると、こちらを伺うように目線を上げた。

「もしかして、旅のお方ですか? これから出国を?」
「……ええ、そのようなものです」

 その少女の言葉を受け、背の高い人物が頷いた。
 少女が、やはり躊躇いながらも口を開く。

「……私を、外に連れていってくれませんか?」






 橙色のランプの光が満ちた、埃舞う薄暗い地下の部屋。
 木製のカウンターが一つ、その周りは多くのテーブルと椅子が置かれており、辺りはそれ以上の人数でごった返している。
 筋骨隆々とした者や、死人のような顔をして痩せ細った者など、客層は様々であるが、唯一の共通点は手持ちの少なさそうな身なりだった。

 そんな中に、異彩を放つ三人組がいる。
 端の方のテーブルをとり、フードをかぶった二人と小綺麗な少女が腰を落ち着かせている。

「あの……ここは」
「貴族の方には馴染みが無いかもしれませんが、ただの酒場ですよ」

 背の高い人物がフードを外しながら、「第三身分専用の、ですが」と付け加え、そう答えた。
 露出した明るい茶髪の髪。
 その顔は大人と言うにはかなり若く、シワのなく皮の薄い、かつハリのある肌をしていて、
 改めてその容姿は、少し背の高い少年、といったイメージをわき立てる。

 少年の言葉に、少女はあたりを興味深げに見回している。
 しかし、傍で騒ぐ連中に視線が向くと、その眉は暗い岩窟を覗くかのようにひそめられた。

「んで、話を聞こうか」

 背の低い人物は、フードを目深にかぶったまま少女に話しかけた。
 すると、なにかを思い出したようにハッとして、少女は姿勢を改める。

「私、ヨルカ・ヨーデルヒっていいます」

 目線を向けながら、対面に座る二人にヨルカは語る。

「お願いします、門の外まで私を連れて行ってください!」
「外に出たいんですか?」

 その懇願に、背の高い人物が疑問で返す。
 少女は俯き加減に、しかし、喧騒の中にもみ消されない程度の声で話す。

「私の家、ヨーデルヒは、実は成り上がりの貴族家なんです」

 すると、背の低い人物が、何かに気が付いたように目を見開いた。

「もしかして、『魔道士公』の娘か」
「あ、はい、世間からはそう呼ばれることもあります」

 少女の様相は少しだけ明かりを灯したが、すぐにその表情に影が落ちる。

「ご存知かもしれませんが、成り上がった経緯というのが、私の父が東地開拓の遠征の帰りに持ち帰った、不思議な『道具』があったからなんです」
「確か、貴族の間で流行した病を鎮めたんだっけか」

 背の低い人物の言葉に、少女は頷いて答える。

「それで、父は国王様から褒美として爵位を授かり、私の家は貴族家となったのですが……。
 父は、その後もう一度東地へと派遣されました。五年前のことです。
 最後の手紙には、じき帰ると書かれていました。しかし、それから二年が経って……」

 その時、酒場の喧騒が一層増した。
 客同志が喧嘩を始めていて、誰かが歌を歌い、その様子を周りでギャラリーが騒ぎ立てていた。
 
「つまり、その父親を探しに、東地まで?」

 背の高い少年は、少女に問いかける。
 多少ぎこちなく、しかしはっきりと少女はうなずいた。
 
 彼は、少し考えるように腕を組んだ。
 背の低い人物は何も言わず、少女と共に彼の様子を伺っている。

 無言の間が三人を包む。
 それぞれ、背の高い少年の反応を待っているように見える。
 そんな彼らの元に、一人の大人が近づいてきた。

「おや、少年たち。今日出発ではなかったのかい?」

 顔にほうれい線を刻んだ、いい年の男だ。
 男の服装は整っていて、どう見ても平民のそれではない。
 それにその雰囲気は、少年らと比べると、どちらかと言えば貴族である少女に近いものを纏っている。

「この子も、東のあの場所に用事があるそうで、話を聞いていました」
「ほう! 君たちの前で言うのもなんだが、こんな華奢な子がかい?」

 その目に覗き込まれ、少し縮こまるような素振りを見せるヨルカ。

「君はあそこがどんな場所か知っているのかい?」
「霧がよく出る未開拓の地域って……」
「ちがぁぁう!!」

 突如、目を見開き叫びだした。
 その様子に椅子を鳴らしたのは少女一人だけで、
 フードコートを着た二人や他の客は、「ああなんだ、またか」と言った様子で気にしていない。

「私は、教会の中でもそれなりの地位にいたものだ。だからこそ知っている……あそこは只の大地などではない!」

 男は、息を整えると、声を潜め、テーブルの上に乗り出した。

「あそこは、魔王の膝下……上の人間は『ベルガーデン』と呼んでいる」
「ま、魔王……?」

 更に、もう一歩身を乗り出す男。
 一歩引いて後ろにのけぞる少女。

「あの場所は、万年霧に包まれている。通称『還らずの霧』。
 一度入れば戻ってこられない霧で、魔王が己の領土を護るために発生させたもの……だと言う。
 そこは魔王の(しもべ)どもが巣食っていて、時に超常的な現象まで起きると聞く。
 その庭土の上には、不思議な魔法の道具や、多くの危険を孕んでいる……そういう場所だ!」

 今や少女の人形のような顔の、一寸先まで近くなっていた男の顔。
 見開いた瞼から充血した目玉が見える。
 その様子をみた他の客の一人が「おい」と、男の肩を掴んだ。

「小さな子供を脅すのはやめろって、この前も言っただろ」
「たわけ! 何も知らない無垢な子供達をたぶらかす教会を、私は許せないのだ!」
「はいはい、飲み過ぎの酔っぱらいは、(しか)るべき場所で暴れてくれ」
「うがぁぁぁ!」

 そして、整った服装の男は喧嘩の渦中に放り込まれる。
 炎に薪を焼べたように、喧騒が大きくなる。
 厄介払いをしたような顔で、止めに入った男性客が戻ってくる。

「わりぃな。あのおじさん、数十年前のことで頭がおかしくなってるんだ」

 そういうと、客の男は離れていった。

「えっと……面白い方……ですね?」

 少女の言葉に、会話を黙って聞いていたフードコートの二人は答えない。
 ――その表情は、笑い話をしていたのような雰囲気は一抹も感じられない物だった。

「わかりました。一緒に行きましょう」

 その沈黙を破るように、背の高い少年がそう言った。

「本当ですか!」
「ええ。仰った通り、実は僕たちも、その東地が目的なんです」

 背の高い少年は、背の低い人物に目配せする。
 背の低い人物が小さくうなずいたのを見た彼は、「改めて」と、佇まいを直す。

「僕はナト。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします!」

 雨を被った新芽のように目を輝かせるヨルカを見ながら、
 背の低い少年は、目深にかぶったフードを少しだけ上げる。

「俺はオーハンス。貴族に雇われて馬を育てていた。よろしく」
「よろしくおね……」

 と、そこでヨルカが肝を抜かれたように目を見開いた。
 背の低い少年――そのフードに包まれている顔は、色白の童顔で、くりっとした澄んだ瞳を持っていた。
 低身長も相まって、さながらその容貌は箱入り娘のようだ。

「男の子だと思っていました……」
「よく言われる。でもそれで合ってる、俺は男だ。
 それと、『男の子』っていうのやめてくれ。こう見えて、コイツと同い年なんだ」

 傍らに座る少年を指して、オーハンスはそう言った。
 どう見てもそんな風には見えないと、明らかに少女の表情は語っていた。

「それでは、これから……」

 その瞬間。

 簡素な破壊音。
 薄い木製のドアが蹴破られ、礼装をした三人の男たちが現れた。
 彼らはこの街の自警団だった。もっと言えば、ここに移住してきた王都の人間である。

「動くな! 酒場の営業の容疑でここを取り押さえる」

 一瞬の静寂。
 しかし、次の瞬間には。
 羽虫の群れに石を投げ込んだが如く、怒声が飛び始める。
 その中を男たちは進み、カウンターに佇む一人の中年男性――怯えきったここの店主の前に、一枚の羊皮紙を突きつける。

「……みんな、静かにしてくれ!」

 店主のその声に、多くの者があげた手をそのままに、静止する。
 再び静寂が訪れる。

「さあこい。ここにいる貴様らもだ。開発地区での酒場の運営は禁止されている」
「ま、待ってくれ!
 開発地区っつったって、ゴミ溜めみたいな居住区と、石ころが転がるだけの墓場しかないじゃないか!
 このままじゃ、こいつらは潰れちまう!
 唾壺(だこ)くらいあったっていいじゃないか!」

 店主の訴えに、そうだそうだと、周りにも賛同の声が上がる。

「アタラシアから勝手に上がり込んできた分際で威張ってんじゃねぇ!」
「とっとと帰りやがれ便所虫どもが!」

 客たちの怒りが再燃する。
 しかし、それは次の瞬間に響いた鈍い打撃音の直後、湖に放り込んだ松明のように静まった。
 店主が頬を押さえて蹲る。

「これ以上の抵抗は反乱とみなす。貴様らは家族ごと奴隷落ちだ。
 それで良ければ勝手に喚くが良い」

 その言葉に、客たちは怒りに顔を赤くするが、以降声が上がることはなかった。

 手枷を嵌められ、二人に連行される店主。
 残りの自警団に促され、列となって扉から出ていく客たち。

「オルフ、頼んだ」

 戸惑う少女を無視して、ナトは子供のようなその容姿に声を掛けた。
 「あいよ」という背中越しの少年の声を聞き、自然な流れで三人の中の最後尾に並ぶ。

 すると、軽く肩を叩かれる。
 ナトが振り向く。
 そこには、ボロボロになった先ほどの身なりの良かった男がいた。

「最後に、聞いてくれないか」

 三人は、振り返る。
 震える瞳で、男は子供達に言った。

「どうにか、生きてくれよ。私も、あの地で姉を亡くしたんだ」






 促され、オーハンスが扉から出た。次いで、ヨルカも。
 そしてナトが扉の外に足を踏み出そうとしたところで、

「ううっ!! 頭が痛い!! かち割れそうだ!!」

 腹を抱えながらうずくまる、ナトたちの後ろに居た男。
 列を促していた団員が、「おいどうした」と近づいてくる。
 その瞬間。

「『カイロス』!!」

 外に出ていたオーハンスが列を離れ、そう叫んだ。

「っ! おい、勝手なことをするな! 大人しく列へ戻れ!」

 団員の一人がオーハンスを捕らえようと動き出したその時、
 その顔の前に、足が突き出されていた。

「ふぎゅっ!?」
「すいませんっ……と」

 顔を押さえる団員。
 体勢を整えて駆け出すナト。

「こっ、このガキ!!」

 ナトは外へと抜け出した。
 その時、一匹の軍馬がオーハンスとヨルカを騎乗させており、
 またがるオーハンスがナトに手を伸ばしていた。
 その手を取り、ヨルカの後ろにギリギリ乗り込む。

「行けっ! カイロス!!」

 茶毛の軍馬は走り出す。
 子供三人を乗せてなお颯爽と走り去る馬の背に、吐き捨てられた「くそったれ」は届かなかった。





 蹄が石を叩く音は、次第に間隔を緩めていった。
 やがて往来に合流すると、三人は下馬してその流れに馴染んでいく。

「ふう……上手くまけましたね!」
「はい。オルフもカイロスもお疲れ」

 一人と一匹は、朝飯前だとでも言うように、鼻から息を吐き出した。

 街の中央通り。
 働く人々の流れに沿って歩いていく中で、ふと、ヨルカが上を見上げる。

「あれはなんですか?」

 ヨルカの指し示した先には、道の両脇に立つ無骨な二体の銅像があった。
 一つは何世紀か昔の芸人の衣装を纏った詩人で、
 もう一つは重苦しい分厚い衣装に身を包み、片手に重厚な本を抱えている。

「あれは昔の偉人の銅像です。
 『吟遊詩人バジル』と『魔道士オーンクロック・メイズウォーカー』って、僕たちの間では結構有名な話ですけど……」
「えっと……」

 聞き慣れない言葉に、少女は首を傾げた。
 苦笑いをしてナトは語る。

「まず、この地区が本国により植民地化された経緯ってご存知ですか?」

 暫(しば)しのあいだ思案する動作を取り、実が弾けたように顔を上げる。

「東地の開拓……ですか?」
「そうです。彼ら五人は、その開拓に尽力された方々だそうですよ」
「五人? 二人ではないんですか?」
「この二人は、その時の生還者だそうです。
 残りの三人は、過酷な旅の末に亡くなったんだとか」

 へえ、と、感心したようにその銅像を見上げるヨルカ。
 そんな少女に、ナトはふと真顔に戻る。

「本当にいいんですか?」
「えっ?」

 ナトの問いに、ヨルカは聞き返した。

「もしかしたら、本当に危険な場所で、帰ってこられないかもしれませんよ」

 ナトが少女の無垢な瞳に問いかける。
 キョトンとするヨルカ。
 一瞬の間が開く。
 しかし、次には宝石のようなそれは揺れることはなく、

「大丈夫です」

 そう言い放った。
 その言葉に、ナトは顔を背けて、

「そうですか」

 とだけ、答えた。
 暫くして、ふと、ナトが顔をあげる。

「……ちょっと待っててください」
「あ、はい」

 ナトは二人から離れると、小さな露店に向かっていった。
 雑貨屋のようで、ナトは店主と何かを話している。

「……あ、あの」

 ヨルカは、おずおずとオーハンスに話しかける。
 軍馬を撫でていたオーハンスは、その少女に視線を向けた。

「なんだよ」
「……迷惑、でしたか?」

 俯き加減に、ヨルカは続ける。

「自分から声をかけておいて、こんなことを言うのもおかしいとは思ってます。でも……」

 そういうと、ヨルカは上目遣いにオーハンスを見た。
 彼はしばらく黙って、友人が店で何か交渉をしているのを見つめながら、ふと、口を開いた。

「迷惑だ、っていったら、やめるのかよ」
「い、いえ……その……」

 その様子を見て、少女のような顔の少年は、ふん、と、鼻から息を吐き出した。

「旅は全て自己責任。俺たちはあくまで同行するだけだ。
 お前は、お前のしたいようにすればいい」

 そう言うと、オーハンスは馬を宥めるように優しく手で撫でた。

 それから少し経ってから、ナトは帰ってきた。
 両手には、膨らんだ安い麻袋が抱えられていた。

「あの、ナトさん、それは……」

 ヨルカはそう言うと、ナトは麻袋を持ち上げるように見せた。

「大事な食料です。少し心配になったので、買い足しておこうと思って」






 門前は相変わらず馬車や人で混雑していた。
 列の整理を行う衛兵に対する愚痴や罵倒が飛び交うその中に、三人は足を踏み入れていた。

「何かあったんでしょうか」
「さあな。いつもはこんなに混んでないんだが。
 それにしても……ナト、どうする?」

 門の前に立つ衛兵たちを見て、オルフが問いかける。

「思った以上に多いね」

 ナトが同じ点を見つめてそう返す。
 そんな二人を見て、ヨルカが不思議そうな顔をする。

「普通に出ればいいじゃないですか」

 そんな少女に、オーハンスが苦々しい顔をする。

「無茶言うなって。子供が自由に出入りできるわけないだろ」
「ええっ!? じゃあ、どうやって出るつもりだったんですか?」
「強行突破」

 その一言に、ヨルカは絶句する。
 数秒後、立ち直ったように首を振る。

「そ、そんなのダメですよ!」
「多少手を汚すことも考えろよ、出たいなら。……っと。ナト、あれ」

 背伸びをしたオーハンスが、ナトに視線を送る。
 彼らが視線を上げて正面を見ると、
 何やら門番代わりの衛兵たちが、どこからかやってきた修道服を着た団体と話をしていた。
 その修道服には純白の身体に紅の瞳を持つ鳥が縫い付けられている。

「最近良く見るよな」
「うん。何の宗教だろう」

 ヨルカも同じ方向を見て、ハッと息を詰まらせる。

「リ・エディナ教……」
「なんだそりゃ」
「発祥不明で、アタラシアでは昔からあった宗教なんですけど、最近ここらへんでの活動が目立ってきてるって、貴族の間じゃ噂なんです。アタラシアの国教とはまた違うものですが……」
「へぇ」

 オーハンスが適当に相槌を打っていると、門前の衛兵たちが血相を変えて飛び出していく。
 教徒たちもそれに付いていったため、門の警備は一人も居なくなった。

「おい、ナト……」
「ああ、今しかない。ヨルカさん、乗ってください」
「えっ……? ちょっと!?」

 オーハンスがフードコートを翻して乗り、
 後に続いてナトと、彼の手助けで戸惑うヨルカが乗り込む。
 地面を蹴り出す四脚。

「どいたどいたぁっ!!」
「きゃあああああああ!?」

 列から飛び出した軍馬は、商人や貴族を追い抜いて門へと走っていった。
 飛び交っていた愚痴は悲鳴――一部はヨルカの物ではあるが――へと変わり、それらを置き去りにして三人は進む。

 そして、その姿は混乱を残して門の外へと消えていった。




 草原が広がる大地。
 東へ向かうその先に、進路を横切るように川が流れていた。
 その対岸へと続く悪趣味な装飾の施された石橋の上を、三人と手綱を引かれる一匹は渡っていた。

 一人は息を飲み、一人は馬に寄り添い、一人は静かに前を見つめていた。
 ひどい湿気のせいか、はたまた緊張の汗なのか。それぞれの髪は肌に軽く張り付いている。

「……詩人バジルは、この橋についてこう書きました。
 『遠くかかる石橋ついては注意されよ。そこは既に未開拓領域、かつての人々の遺物の一端なのだから』」

 ナトの言葉に、ヨルカは足元を凝視した。
 橋を渡り終える頃――辺りが突然、薄暗くなる。
 そして、対岸に広がる草原のその先に、空高く伸びる壁のように立ち込める霧が現れた。

「魔王の、膝下……」

 酒場での男の言葉を思い出し、ヨルカは鼓動が高鳴るのを感じた。
 まさか。そんな非現実的なこと。
 そうは言うも、収まる気配を見せないそれは、警鐘を鳴らすように早まっていく。

「改めて」

 そんな中、ナトが一人口を開く。

「俺はナト。……これから仲間として、よろしく、ヨルカ」

 少女に手を差し出す。
 一瞬の後、嬉しそうに手をとって握る。

「はい! よろしくお願いします!」

 そんな彼ら――おもにナトを見て、オーハンスは何かじっと考えて、それから前へと向き直る。

「いこう」

 ナトの一言に、一歩、また一歩と霧の中へと足を踏み込む。
 すると、先程まで照らしつけていた太陽は直視できる程度にぼやけ、
 辺りは一層、薄闇に包まれていく。

 鼻孔をくすぐる雨の日の匂いを感じながら、
 奥へ、奥へと進んでいく。

「シア……」

 絞り出したようなナトのその声は、暗い霧に吸い込まれた。

 子供達は、先の見えない暗闇を歩いていく。
 ――その先に、何があるかも知らずに。
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