第26話 「仲間 上」

文字数 3,961文字

 木々が立ち並ぶ幅広い道を歩く。
 後ろ姿に背の高低が目立つ二人は、ちらちらと降りかかる光る灰の照らす煉瓦造りの道を踏んで歩く。
 朽ちた石造りの手すりが道の向こうには、幹が太く背の高い木々と、薄暗い森。
 村とは異なる雰囲気のその場所は、どうやら亡き文化の遺品であるらしかった。

 地面に埋め込まれた煉瓦は黒く汚れており、
 左右に面した背の高い木々も、何本かは半端に折れ、途中から新芽が伸びていったような形跡がある。
 そして、その根本の年老いた木肌は、生きながらえてきた年月を感じさせていた。

「お前さ」

 オーハンスが呟いた。
 ナトは黙って歩幅をあわせる。

「なんか、死に急いでないか」
「え?」

 呆けた声を出す。
 目を瞬かせ、言葉を反芻する。
 全く予想のしていない言葉だった。

「えっと、どうしてそう思うの?」
「……ここに来た最初に日、お前が洞窟で、あの化物と戦ったときだ」

 少年の童顔が微かに陰りを見せる。

「あの時……俺には、お前が下水道を歩いてる干からびた(じじい)と同じ目をしてるように見えた。政府に使い潰されて手足が潰れたあの放浪者たちだ。一緒に見ただろ? 生きる希望を持たない……あの大人たちだ。
 その日だけじゃない。沼の村であの男を前にしたときもそうだ。それで、今回も」

 オーハンスはナトに目を向ける。
 困惑したような表情で、ナトは彼を見下ろしていた。

「俺はお前が不気味でしかたないよ」
「何が……」
「なんで、怖くないんだ」

 口を紡ぐ。
 ……ざわざわと、胸の内で何かが騒ぐ。
 脳裏に、柔らかい銀色がちらつく。

「……やめてくれよ」

 絞り出すように、オーハンスは言った。

「わかんねぇよ。なんでお前がそんななのか。
 お前、言ってたろ。誰も死なせたくないって。
 同じだよ。俺も……俺たちも、お前を死なせたくないんだよ」

 区切って、再び口を開く。

「仲間じゃないのかよ、俺たち」
「オルフ……」

 可愛らしいまつ毛の瞳が、問いかけてくる。
 死に急ぐ、そんなこと……。

「タルクスにだけにはなってくれるな」
「それって……」

 どこかで聞いたことわざだった。意味は忘れたが。
 オーハンスはそれだけ言うと、視線を切って、

「……もういい。それだけだ」

 くだらない話に付き合わせて悪かったな、と言って、オーハンスは踵を返した。
 その後も、ナトはしばらくその場に立ち尽くしていた。
 朝にかかるような靄が、頭の中で立ち込めていた。





 一面の濃霧。
 白い霧があたり視界を奪う。

 彼女は、今日もそこにいた。
 白い粒子を隔ててこちらを見つめて、嬉しいような、悲しいような顔をしていた。

 ――なんで。

 脳裏に、懐かしい声音が響く。
 会いたかった、そう話しかけようとして、言い淀んだ。
 霞みがかった彼女の顔が、涙を流しているような気がした。

 ――お願い。

 銀色がふわりと広がり、翻った。

 ――あなたの無事だけを、祈ってる。





 あれから、数日が過ぎた。

 左手の包帯を解く。この村にくる前に、怪物に傷つけられた物だ。
 ナトは、この世界に来てから、多少皮の硬くなった傷跡の残る手のひらの皮膚を見ながら、

「マリーが、帰ってこない」

 オーハンスと二人で席に座り、ポツリとそう零した。
 そう、あれから一度もアメリオが帰ってきていない。
 相変わらずグリーゼの家に世話になっている四人だが、何故かアメリオはいつまで経っても帰ってこなかった。

「あいつ、毎日子供達と遊んではそいつらの家に厄介になってるらしいぜ」
「言葉とかどうしてるんだろう」

 (おのの)きながら、ナトは言った。

「ヨルカは一度も顔出さねーし、もうほんとどうするんだよ」
「いっそのこと、ここに住んじゃおうか」
「何言ってんだよ」

 どちらとも無く、溜息を吐いた。
 手持ち無沙汰だった。
 村の人たちは二人を完全にお客様対応だし、何か仕事を手伝おうにも遠慮されてしまう。

 それ故に、オーハンスは馬のような生物――マイクと話をする毎日を送り、
 ナトはと言えば、暇つぶしに以前に廃墟から持ち出した本を眺めるだけの毎日だった。

 そう、本当に何もしていないのだ。

 旅立つにも、まだいろいろと準備が整っていない手前、この森に降る光る灰の下から出ることもできず、
 つい少し前までは慌ただしかったあの瞬間が嘘のように、良くも悪くもこの村を満喫していた。

「そういや、『魔王』について何か手がかりは掴めたのか?」
「なんにも。この村のご老人なら知ってると思って、グリーゼさんに通訳を頼んで聞いてみたんだけど」

 料理をご馳走されただけだった、と溜息混じりに言った。
 それから、しばらく無言の間が続いた。
 虫食いの目立つ古ぼけた本のページがめくれる音と、少女のような指先が木のコップをいじる音が、しじまの中によく響く。
 ここ最近、ずっとこんな調子だった。

「ナトさん――ああ、いらっしゃいましたか」

 グリーゼがドアを開けて、外から帰ってきた。

「グリーゼさん、お帰りなさい。どちらに行かれてたんですか?」
「以前お預かりさせていただいた、ナトさんの剣ですが……」

 そういえば、とナトは思い出す。
 怪物の体液が固まって(なまくら)となった剣を見かねたグリーゼが、預からせてくれと言ってきたのは数日前だ。

「結局、どうなりました?」
「この村の鍛冶ができる人に頼んで、こびり付いた物をどうにかできないか交渉してきました」
「そうでしたか。すみません、わざわざ」
「いえ、ただ……」

 グリーゼが、布に包んだ棒状の物を差し出してくる。
 受け取り、丁寧の解くと――。

 沼の村で譲ってもらった粘土の剣『響』。
 形はそのまま、しかし柄より先が未だに薄く虹色に輝く透明な結晶で覆われていた。

 しかし、それでも以前とは変わって、結晶部分には新たに刃が付いていた。
 先端も鋭く尖り、ほんの少しの厚みが出たものの、重みは以前の殆ど変わらない。
 側から見れば、今までに比べて艶と色彩が付いたようにしか見えない。

 指の腹で撫でると、滑らかな感触が伝わる。
 指先で弾けば、相変わらず楽器のような音色を奏でた。

「表面を削ることはできました。しかし、癒着した部分に近づくにつれ、どうしようもなく硬くなっていて削る事が難しく取りきれませんでした。
 せめて、と刃を付けたらしいです。合わせて鞘の方も削って広げています」
「そこまで……いえ、十分です。ありがとうございます」

 別個で鞘を受け取り、戻ってきた粘土の剣をその中に収めた。
 するりと滑り込み、留め金がカチッと鳴った。

「あの、と言うことは、これは……」

 ズボンと服の裾を持ち上げる。
 そして、左の肩口から胸にかけて、そして左足の脛に付着した薄い虹色の結晶を見せた。

「今のところ、どうしようもありませんね。
 その剣を研ぐにも、相当大掛かりな作業だったそうですし、怪我の危険性もあります」
「……そう、ですか」

 コリコリと気にするように、付着した結晶の縁を触るナト。

「なあ、グリーゼ。ヨルカは大丈夫なのか?」
「ヨルカさんですか?」

 グリーゼは少し間を開けた。
 何と言えばいいか、と考えているように見えた。

「大丈夫ですよ。彼女なら」

 妙なニュアンスを漂わせた言葉に、二人は顔を見合わせた。

「……きっと」






 古びた皮表紙。
 所々が虫に食べられているが、それでもまだ読める部分はあった。
 ――と言っても、字なんて全くわからないので、絵を適当に流して見ていただけだけど。
 ナトはこころの中でそう零した。

 この世界の文化はわからない。
 魔王が統治下に置いている――故郷では、そう聞いていた。
 しかし、この国の人たちの反応を見る限り、そんな様子はない。

 例えば、沼の村で老人は「魔王」について知らなかった。
 強いて言うなら、村を封建的――身分制度を用いて管理していた、あのよくわからない黒いローブの団体――「アンディア」なら、何らかの情報くらいは知っていたのだろうか。
 そういえば、あの遺跡――『星見の宮殿』の中にも、それらしき死体があった。
 帰り際、チェットに声をかけられたあの部屋に散らばっていたのは、間違いなくあの黒いローブだった。

 魔王の圧政による文化形成……此処(ベルガーデン)に改めて来る前は、そう思っていたけど。
 実際は、滅び文明の跡地で、細々と人々が生きる場所といった印象だった。

 ナトは手元の本に目を落とした。
 日に焼けた紙の表面にはよくわからない文字が踊っており、
 所々に情景を表すような絵が載せられていた。

 絵には巨人が冠を被って民に崇められている姿だとか、
 絵本に出てくるような魔女が都市を滅ぼすような絵だとか、そういったものばかりだった。

 ロマンス思考、もしくは、当時における児童向けの絵本か。
 捻くれるなら、何らかの風刺のようにも思える。

 ところで、活版印刷の進んだ時代だったのだろうか、所々同じ形の文字が精細に並んでいる。
 しかし、奇妙なことに、どのページにも円形の謎の図形が、端の方で静かにその存在を主張していた。
 どう言う意味の物だろうか。
 そういったものが俗の需要とされていたのだろうか。

「かつての人のみぞ知る、ね」

 ……ふむ。
 いや、もしかしたら、分かるかもしれない。
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