第47話 「変態 上」

文字数 4,010文字

 貼り付けていた「外側」が剥がれていく。
 箔の内側に隠された、強く光る玉が身を焦がすように燃え始めた。

「君は……一体どうしたんだい」

 大男に迫りくる幾つもの刃。
 さしもの彼であっても、追いきれないほどの攻撃。
 徐々に赤く細い線が増えていく。

 男は笑っていた。
 それでも尚――ナトを味見するように。

 そして、男は動いた。
 傷を負いながら、確実なタイミングを狙い――打つ。
 少年の体に、杭で打たれるような一撃が入った。

「――ッ」

 ナトはひるまなかった。
 それどころか、小さく咳き込むと、
 何事も無かったかのようにその拳に剣を突き立て、体を捻って無理やり男の手首をねじ切った。

 綱が切れたような音の後、大量の血を吹いて男の手首から下が飾りとなった。
 皮一枚を残してかろうじて繋がっているそれを、巨漢は驚いたように見つめていた。

「へぇ……でも、次はないよ」

 飢えた獣の眼力でこちらを睨む少年を見て、男は呟いた。
 実際、その通りだった。
 男は一歩を踏み出すと、次の瞬間には姿を晦ました。

 ――異常な反応速度で振り向いたナトですら、その攻撃を完全に避けることは難かった。
 体を衝撃が突き抜ける。
 振り下ろされた拳が、咄嗟に構えた剣を穿って重い一撃を伝えていた。

 そう、その言葉はハッタリではなく、本心からのものだった。

 一方、ナトの方もわかっていた。
 絶え間なく襲う眠気。
 体を蝕む疲労、倦怠感。
 そして体を突き動かすと同時に、食らうように蝕んでいく燃え盛る「何か」
 このままでは、果てるのはナトの方だった。

 現状、ナトの体は彼の意思ではない何かが動かしていた。
 正体のわからないそれに任せて、頭の方はただ男をどう仕留めるかに傾倒していた。
 男を捉え続ける傍ら、忙しなく動く眼球が手がかりとなるものを拾い集めている。

「どうしたんだい……僕たちを阻むものなんて、何もないさ」

 まるで風に溶けたかのように消え、そして影に滑り込むように現れる。
 いくら強大な力を得たナトであっても、その動きを前にしてついていくのがやっとだった。
 振り上げられた拳が、投石機を離れた丸石の如く降り注ぐ。

 魂が乖離するかのような強烈な衝撃。
 往なすと同時に、聞いたことのない音を鳴らす彼の剣が、折れずに真っ直ぐでいるが不思議なくらいだった。
 
「ぐっ……」

 ナトの視界は明滅を始めていた。
 活動を続けるには、圧倒的に血が足りなかった。
 身体能力や回復力、胆力も以前と比べ物にならない程向上している彼ではあるが、負傷した肩から流れ出た血は戻ってこない。

 覚束(おぼつか)ない足取りで地面を踏みしめるのがやっとの彼を――分厚い手のひらが襲う。

「がっ、あああ……!!」
「ようやく……捕まえた」

 手のひらが、まるで万力のようにナトの頭を握りつぶさんと締め付ける。
 どうしようもなく手足を振って暴れるも、開放される気配はない。
 握力が強まり、頭の中に嫌な軋みが響く。

「ナト、さん……!」

 体を引きずり、拘束を受けるナトに手を伸ばすヨルカ。
 そんな彼女の瞳に突然、茂みを掻き分けて飛び出したそれが写った。

「んぐぉっ……」

 勢いに乗った漆黒の籠手が薙ぎ、大男の顎を強く打つ。
 思わぬ攻撃に片膝をつく男と、地面に落ちるナト。
 痛みの余韻に頭を押さえながら、体を起こして、飛び出した影のその主を仰ぎ見た。

「ナト、大丈夫ですか?」
「……グリーゼ」

 女性にしては野太い声に、鎧にしては細身の体。
 森の木漏れ日に黒く光る仮面が、ナトを尻目に大男を睨む。

「さて、詳しくは聞き及んでいませんが……あなたがこの子たちを?」
「ああ、そうさ……食おうとした」

 その言葉に、黒鎧は仮面の奥で顔をしかめた気がした。

「近所に住む食人族(トリス・テリクス)にしては、随分とアタラシア語が流暢なようですが」
「なんだいそれ。そんなのがいるなんて初めて知ったよ。残念ながら……僕たちは馬車のはぐれものさぁ」

 おどけたように肩を上げる男。
 それに対してグリーゼは、何かが引っかかったように顔を上げた。

「はぐれもの? まさか、あなたも」

 緊張と敵対の中に、僅かに喜色を帯びた声。
 ナトは彼女の経歴を思い出す。
 彼女は「たった一人の生き残り」であった。

「君はあの馬車に乗っていた貴族の一人かい? まあ、僕たちは見ての通り賊だったから……あの金貨と化粧臭い馬車に隠れて乗り込んだだけ、だけどねぇ」
「隠れられる図体には思えませんが」
「あの頃は……まだ人間だったからねぇ」

 その言葉を最後に、男は消えた。
 次の瞬間、グリーゼの体が宙に浮いた。

「今は、この通りさ」

 嫌な音がした。
 刹那に回り込まれたグリーゼは、彼女の体重に勝る程の一撃を腹から脊髄に叩き込まれていた。
 しかし。

「お互い、随分と変わったようですね」

 何事もなかったかのようにそこに立つグリーゼ。
 呆気に取られている男の腹に、鋭く重い蹴りが入る。

「むぐ……なるほど、君もかぁ」

 かかとがめり込んだ鳩尾から、軽く血が流れる。
 少し顔を歪めた男も、次には薄い笑みを貼り付け直した。

「しかし、馬車は転落して私を含めた生き残りは全て逃げ出したはずです。あなた方はどこにいたのですか?」
「……ああ、理解したよ。きっと、僕たちの乗っていた馬車は、君たちのとは別のものだねぇ……あの連中も、悪趣味なことをするもんだ」

 グリーゼは衝撃を受け、固まった。
 自分がこの大地に来る時に乗っていた馬車だけじゃない。
 何台も、何人も運ばれてきていたのだ!

 しかし、聞くことはまだある。思わぬ収穫を逃してはいけない。
 同士がきっと、まだどこかにいる可能性が出てきた。

「……それで、他の生き残りは? 今どこかにいるのですか?」
「ああ……彼らなら」

 男は一層増して笑みを作った。
 その朝の隣人に向けるような笑みで、

「殺したよ」

 そう言った。
 その言葉を聞いて、グリーゼはしばらく口をつぐんだ。
 つぐんで、そして――震える声で聞き返した。

「殺した、のですか」
「うん……殺した。全員。その後に、僕らが全て奪った」

 グリーゼは何か言ってやりたい衝動に駆られた。
 だが、彼女の理性が沸き立つ感情をなんとか(いさ)め、頭の冷静な部分が話の続きを促すように支持を出した。

「『僕ら』? 仲間がいるのですか?」
「たくさんいたよ。今は居ないけどねぇ……あの中に三人、それともう一人を除いてね。たぶん、ほとんど駄目だろうけど。彼に……やられたんだぁ」

 そう言って、無機質な目をナトに向けた。

「それはそうと、なぜ、そんな、馬車を襲うなんて……」
「あの馬車の噂を聞きつけたのさ。あんなに金臭い馬車が通れば、そりゃあ目につくさ。それで、計画通り、壊して、奪って、殺して……そして僕らは宴を開いた。その時はまだ宴が開ける人数だったんだ。
 だけど、次第に数は減っていった。道に迷ってはぐれたわけでも、反乱分子として牙を剥いたわけでもない。
 ……殺されたんだ。僕らがしたよりも、無残に、残虐に」
「この世界の生物が恐ろしい事をもっと早めに知るべきでしたね」
「ん? ああ、あの怪物どもじゃない……それもそうだけど、違うんだ」
「違う? 他に何があるんですか」

 グリーゼのその言葉に、男は大きく手を広げて笑う。

「世界さぁ。――この世界に、殺されたんだ」
「……何を言っているのですか」

 男は続ける。

「彼は見ているんだ。ずっと……僕らを。飽きることなく……飴玉を見つめるような目でねぇ。
 一人は怪物の血まみれの爪で、一人は崖からの転落で、一人は鉄砲水に押し流されて。
 ……不幸な事故なんかじゃない。僕らは試されるでもなく、ただ『世界』に削除され続けたんだ。求められていないんだよ、元からねぇ。
 君たちもいずれわかるよ……この世界の残酷さが。扉絵に書かれない、内側の真っ黒な焦げ目、深く昏い虫食いの跡が。
 そして――それを知って尚、逃れられない。
 呼ばれない限り! 選ばれない限り!!」

 男が初めて声を荒げてそう言った。
 ナトもヨルカも、その言葉を理解することができなかった。
 困惑した様子のグリーゼが口をはさむ。

「落ち着いてください。混乱で言葉を失っていますよ」
「落ち着いているよ……君が今、僕を愚者と見なしていることを、理解できるくらいにはねぇ」

 男は拳を握りしめる。

「僕は……もう、いやなんだ」

 一瞬で、グリーゼの眼の前へと近づく。

「だから、期待してしまう」

 振られた裏拳を仮面に受けるグリーゼ。
 しかし、怯むことはなく、お返しとばかりに鉤爪のように丸められた両手の指が男を襲う。
 同時に大男の千切れかけていない片方の腕が、一瞬のうちに彼女の二本の腕を往なす。

 グリーゼは(おのの)いた。
 人外となった彼女ですら追いつけない速度。
 その巨体のどこから出ているのか。
 
 慌てて体制を整えようとしたその時――鎧を貫通する、重い一突き。
 いや、貫通どころではなかった。
 大きく凹んだ腹部に対して、衝撃を受け止めきれずに背中側から赤い飛沫が弾け飛ぶ。

「ぐ、ぅ……」

 痛みへの耐性はあったグリーゼだったが、流石に堪えきれずに声が漏れる。
 グリーゼの戦慄は止まらない。
 それは彼女の鎧の体を貫いたことというより、全て腕一本で行われたということに対してであった。

「硬いなぁ……胃袋に砂でも詰めているのかい?」
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