第4話 「そして深みへ」

文字数 5,756文字

 血塗れの少年は、立ち上がろうと足に力を入れる。

「いっ!?」

 悲鳴を上げるように、身体中が痛んだ。
 皮の中身が、すべてミンチになっているのではないか――少年が、割と真面目にそう考えるほどには。

「ナトさん、大丈夫ですかっ!?」

 ずっと顔を青くしているヨルカが、倒れているアメリオの介抱をしながら、ナトを気遣う。
 彼は「ちょっと痛い」と言って、苦笑をしながら腕を回してみせた。

 ナトは、崩れ落ちている少年を見る。
 眼の前の血溜まりに沈む愛馬に、ひたすら涙を流しているその少年は、ナトを見ると、「……なあ」と呟く。

「カイロスが、死んじまった。死んじまったんだよ、ナト」
「……ああ」

 涙に濡れた顔を歪め、汚れるのも構わず紅く染まった毛を撫でる。

「子供の頃からずっと一緒に、一緒にいたんだ。どんな時でも、ずっと一緒に。
 それがさ。こんなに、あっさりとさ。
 ……でも、それは仕方がないのかもしれない。
 そういう場所だって知ってたし、こういう事もわかってて連れてきたんだ」

 「なあ、ナト」とオーハンスは続ける。

「あいつ、どう思っただろうな。
 俺の勝手で連れてこられて、
 俺のせいで死んで……」

 撫でていた手が止まる。
 そして、亡骸の首に腕を回し、抱きしめる。

「カイロス、カイロス……」

 小さな肩が震える。
 小さな嗚咽が洞窟に響く。
 ナトは、彼の側に膝を折り、瞳に力を無くした軍馬を、そっと優しく撫でた。

「オルフ。確かにカイロスは死んでしまった」
「……ああ」
「でもさ。彼は君に必要とされたんだよ。
 彼は君の友人なんだろ? なら、友人から必要とされて、それで命を落としたなら、それは本望だったと思う」

 少女のようなその顔が、ナトを見上げる。
 ナトは優しく笑って、その髪を撫でた。

「……ああ、そうかもしれ――」

 その時だった。
 倒れていた軍馬の亡骸に、青白い炎が上がる。

「カイロス……?」

 突如発火した軍馬に、オーハンスが手を伸ばすと、

「待つんだ!」

 その手を引いて、後ずさりするナト。
 次の瞬間、
 鳴き声を上げて、その馬が飛び上がった。

「な、なんだよ、生きて……」

 オーハンスは相好を崩す。
 しかし、とナトは思う。
 奇妙だった。

 飛び上がった軍馬は火の粉を散らしながら頭を振り回し、まるで狂ったように暴れまわっていた。
 その動き方もどこかぎこちなく、まるで、「ただ動かしているだけ」のようだ。

 流石に、オーハンスもおかしいと思ったらしい。
 心配そうに、死んだと思っていた友人に近寄ろうとして、
 突然、その後ろ足がオーハンスに襲いかかる。

「……え」
 
 迫りくる蹄。
 それが面前まで――。

 気が付けば、ナトに引かれて、抱きとめられていた。
 特に傷もなく、間一髪で避けることができたらしい。

「どうしたんだよ、なあ、カイロス!!」

 そんな言葉は聞こえていないように、ひたすらに身体を暴れさせる。
 何度も壁に打ち付け、身体がボロボロになっていく。
 しばらくして徐々に青い炎の勢いも弱くなっていき、
 それが消えたと同時に、再びその体は糸が切れたように地面に倒れ伏した。

「な、何が……」

 ヨルカが怯えたようにそう呟いた、次の瞬間。
 倒れて大きな血溜まりを作り出していた怪物の死体から、僅かに青白い炎が上がる。

 ――まずい、こんな巨体に暴れられたら。

 咄嗟に、ナトは死体に刺さった剣を引き抜いた。
 そして、怪物の筋肉質な足の付け根に突き刺す。
 何度も突き刺し、それが千切れればもう片方の足へ。
 次は頭、尾、胴体と、その巨大な身体を解体していく。

 すると、燃え上がりかけた青白い炎は、その勢いを弱め、何事もなく消えていった。
 そうして、辺りに静けさが戻る。

 何だったんだ、一体。
 作業を終えてその様子を俯瞰するナトは、背中に薄ら寒い物を感じた。





 奥にある怪物の子供とそれを生み出した怪物の死骸は、暴れだすことはなかった。
 暴れられないほど、細切れにしたからか。

 死体が暴れだす。
 そういう、『庭園の常識』なのかもしれない。
 そう結論づけて、四人は自然素材で天幕を張った洞窟の中で夜明けを待った。

 今度こそは、油断しない。
 そう決意し、早めに仮眠を取っていたナトは一人バリケードの前で暗闇を睨んでいた。
 すると突然、ナトの体が軋むような悲鳴をあげた。

「いっ!?」

 声を上げかけたが、寝ている三人を見て、慌てて口元を押さえた。
 体の奥底が、焦げるようだった。
 まるで、種火を喉から無理やり突っ込まれたかのようだ。

 それは、怪我の痛みではなかった。
 もっと何か、異質な物だ。

 感じるのは、痛みだけではなかった。
 出どころのわからない力が湧いてくる。
 しかし、それを確かめる余裕はなかった。

「うっ、ぐぅ……」

 体が内側から破裂してしまうのではないかと言うほどの痛みに耐えるように、ナトは蹲った。
 洞窟の床の冷たさに、気を紛らわすように強く頰を擦り付けた。





 出口の側で座り込んでいた、疲れた様子のナトの瞳が照らされるのと、ほぼ同時だった。
 大地を震わすその音に、ナトは洞窟から顔を出す。
 荘厳な鐘の音が、夜明けを告げていた。

 ナトにとって、霧に包まれた未開の地での初の朝は、とても爽快なものではなかった。
 相変わらず痛む身体の節々。
 全身にこびり付いて乾き固まった血糊。
 匂いも「都市の下水道のように臭い」と、オーハンスはナトに苦言を呈していた。

 そういったことがあり、彼は川の生ぬるい水で、身体や服についた汚れを洗い流していた。
 川のせせらぎを聞きながら、ふと思う。
 夜中のアレはなんだったのだろう。
 変な病気にでもかかったのだろうか。

 しかし、今感じるのは、怪我からくる痛みのみ。
 あの奇妙な感じは、溶けて消えたかのように体に残っていなかった。
 川から上がり、三人の元へ戻ると、

「……やっぱり美味しいわ!」
「あ、あはは、それは何よりです……」

 アメリオが目を覚ましたようで、洞窟の出口に座って『ヒトクチ』を頬張っていた。

「意識が戻ったんですね」
「迷惑かけたわね」

 そう言うと、再び茶色の携帯食料を頬張る。
 呆れたようにヨルカとオーハンスがため息をつく中、ナトはアメリオから目線を外さない。

「……教えていただけませんか?」
「何を?」
「僕たちが襲われた時に、何をしたかです」

 そういって思い出すのは、ナトが怪物の子供と対峙したときの事。
 衝撃波のようなものが、少女から発せられたのをナトは見ていた。
 アメリオは残りの食料をひょいと口に入れてしまうと、それを飲み下す。

「『魔法』よ」

 魔法。
 その響きに、ナトは首をかしげる。

「そんな顔しないでよ。ちゃんと目の前で見せたじゃない」

 何らかの比喩か。
 それとも、そういう冗談なのか。
 ナトは何とも信じがたいという風に首を傾げる。

「見た後で言うのもなんだが、おとぎ話――よりも物騒だけどさ、そんな力をどうやって手に入れたんだ?」
「気が付いた時には使えたわ」

 ナトとオーハンスは顔を見合わせる。
 そんな彼らを差し置いて、

「魔法……すごいです!」

 と、ヨルカが声を上げた。

「お父さんが持ち帰った『魔導具』のお陰で、今の私がいるんです。だから、私は魔法も信じます!」
「言っちゃなんだが、『魔道士公』の話だって大抵の人にとっては作り話で――」
「嬉しいわ! 今までわかってくれたのは私の側使えとお父様だけなの!」

 ヨルカの手を握って顔を更に明るくするアメリオ。
 驚いたように目を見開きながらも、ヨルカの顔もどこか浮ついている。

 オーハンスがナトの裾をひっぱる。
 彼は背の低い少年を見やると、少しの間を開けて頷く。

「それはそうと」

 ナトが盛り上がる二人に話を切り出す。

「アメリオさんは、これからどうされるんですか?」

 突然話を振られて、キョトンとするアメリオ。

「私は――」

 そう言いかけて、口をつむぐ。
 その様子に、「どうしました?」とナトは催促するが、
 なんでもない、と言うふうに頭(かぶり)を振る。

「何も決まってないわ」
「……じゃあ、なんでこんな危険しかないような場所に来たんだよ」

 オーハンスが訝しげにそう問いかける。

「……側使えに、言われたのよ」

 どんな側使えだ、と思った。虎の親か。
 そして、そう考えた後で、実は自分と同じ境遇を受けていたのではないかと。
 オーハンスは一人で納得して、頷いた。

「これも何かの縁です。一緒に来ませんか? こんな世界を一人で歩くのは危険でしょう」

 ナトの提案に、アメリオは少し逡巡した後、

「そうね。それがいいわ」

 と言って頷いた。

「……そっか、わかった。じゃあ改めて」

 ちらり、と、今度はナトがオーハンスに視線を送る。

「……オーハンスだ。ナトに付いてきた。よろしく」
「あっ、わ、私はヨルカです。ヨルカ・ヨーデルヒ。父を探す為にやってきました」

 そして、背の高い少年は、その紅い髪の少女に手を差し出した。

「俺はナト。魔王に会う為に『ベルガーデン』にやってきたんだ。よろしく、アメリオ」

 アメリオはその手を握り返し、

「改めて、アメリオ・クレンツよ。よろしく。マリーって呼んでくれて構わないわ」

そう言って、笑った。






「じゃあまず、荷物を捨てるところから始めよう」

 馬にくくりつけていた荷物袋を、洞窟を出た草の絨毯の上に置く。

「カイロスが居なくなった。つまり、俺たちはこれから、自分たちで荷物を持たなきゃならない。そうすると必然的に、荷物量が少なくなってしまう。
 だから、可能な限り減らすんだ」

 そういうと、ナトは袋を漁り始めた。
 そして、鍋やら大ぶりな鉈などの生活用品などを傍らに仕分け、
 ある程度の食料やナイフなどを小さめの袋に詰めていく。

「あれ、食べ物も取り分けちゃうんですか?」
「勿体無いけど、流石に全部は持っていけないからね」

 そう言って、どさりと『ヒトクチ』が詰まった袋を置く。

「じゃあ、残りは食べていいの?」

 ヨルカが袋を見て青くなる傍らで、アメリオが目を輝かせる。
 「もちろん」とナトは頷いた。

「最高の贅沢ね!」
「じゃあ、食べてしまおうか。……あれ? オルフとヨルカは要らないの?」

 慌てて首を振る二人。
 早速手を付け始めた二人を見て、思わず腹の虫が引っ込んだオーハンスとヨルカだった。

 作業は順調に進み、片手で持てる程度の荷物をまとめ終える。
 残った物は大きな袋にまとめ、洞窟の中に放置した。
 もし誰か、自分たちの後に来ることがあれば、その時助けになれば良いと、祈りつつ。

 それぞれ、最低限の装備を身につけている。
 ナトは虫の入った瓶と一振りのナイフ、そして錆びついた剣を腰に差して、確認するように手で撫でた。

「出発しよう」

 ナトの号令に三人は腰を上げる。
 それぞれ、緊張した面持ちの中、アメリオは一人陰りなく意気揚々としていた。

「楽しそうだな、お前」

 オーハンスがアメリオを見て、呆れたようにそういった。

「笑ってたほうが楽しいじゃない」
「実は頭のネジ飛んでんじゃねーのお前」

 そんな掛け合いの中、誰からともなく歩き始める。
 その足取りは、一歩、また一歩と何かを確かめるように以前より慎重だ。
 ――そうして、陰を落とす鬱蒼とした森が、四人を迎え入れる。





 いくら歩けど、森の様相は変わることはなく。
 むしろ、光を吸い込むような緑が、尚も濃くなる一方だった。
 足元の感触も、踏む度に靴裏が地面に埋まるようで、
 改めてここがめったに人踏み入ることのない世界だと言うことがわかる。

「そういえば」

 薄暗い森の中、土を踏む音の中で、ナトが後ろをあるく少女に声を掛ける。
 それに反応して、赤い髪が舞った。

「アメリオ――ああいや、マリーって、その……『魔法』は、何が使えるの?」

 火を起こせたり、木を生やしたり、人を石に変えたり、
 もしかして、噂に聞く魔女のように、そんな感じのことができるのだろうか。
 ナトはそんな事を思いながら、そう問いかけた。

「アレだけよ。あの、どーん、っていうの」

 両手を突き出す動作をするアメリオ。

「しかも、二回使うと気を失っちゃうのよ。お腹が空いて」
「お腹が空くんだ」
「そりゃもう。とんでもなく」

 魔法というのも、奇妙なものである。

「ところで、森も相当深くなってきたな」

 辺りを見渡してオーハンスがそう言った。
 陽の光が濃い色の葉を持つ巨大な木々に遮られ、全体に暗いカーテンが掛かっている。

 いつまで続くんだろう。
 あてもなく、『魔王』の手がかりを探るために歩いているナトにとっては、この状況は不安の一因に他ならない。

「いつか抜けるわ。きっとそうよ」
「何を根拠にそう言うんだ?」

 オーハンスがアメリオに問いかける。

「明けない夜は無いって言うじゃない」
「使い所としてはどうなんだそれ」

 歩く、歩く。
 森は彼らをじっと見つめているように、音すら立てることはない。
 言いようのない恐怖と緊張が四人を襲う。
 沈黙と暗闇に閉ざされたその中で、ふと、亀裂のように薄明かりが見える。

「ねえ、あれって……」
「出口、ですか?」

 木々の影から白い手を伸ばしているかのようなそれに、四人は縋った。
 文字通り希望の光は、彼らを暖かく迎え入れ――。




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追記:6/9題名を「休息、そして深みへ」から「そして深みへ」へと変更しました。
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