第39話 「失って 上」

文字数 5,030文字

 頬に当たる布の感触の下に、ひんやりとした地面の感触。
 瞼越しに感じる、薄い太陽の光。
 目を開けると、そこは薄暗いどこか部屋のような場所――いや、ここは。

 薄目をあけて、その向こうに生活の気配を感じて、ナトは体を起こした。
 同時に、マントが落ちた事に気が付き、それを拾い上げて状況を把握しようと首を回した。
 まず見上げると、そこには朽ちたボロボロの木の中身が見え、さらに周りが木肌で囲まれていることに気がつく。
 察するに、相当広い木の(うろ)にいるらしい。

「おっ、ナト、気がついたか」

 覚醒した意識で、ナトは彼を見た。
 ずいぶんと数の減った道具を地面に並べて点検をしていた彼は、
 少女のような相好を崩して近寄ってきた。

 オーハンスはナトの眼の前に膝をついて彼の体を撫でた。
 肌が触れ合う感覚に、少年は今、自分の上半身がはだけられていることに気がつく。

「――やっぱり傷は無いみたいだし、この前の遺跡での怪我も開いてないみたいだ。どうしたんだよ、いきなり倒れたりして」
「いきなり、倒れた……?」

 そう言われて、最後の記憶を呼び起こす。
 そういえば、確か――ああ、そうだ、思い出した。

「怪我をしたマリーを運んで、近くの木の根本に潜り込んだんだった」
「ああ、そしたら、急にお前が倒れてさ。体調はもう大丈夫なのか?」

 なんで倒れたんだっけ。
 少年は首を捻るが、答えは渇ききった布巾のように何も絞り出されることはなかった。
 覚えているのは、突然、綿毛が風にでも吹かれるかのごとく、意識が飛んでいった、ただそれだけだった。

「それより、マリーは?」
「ああ、あいつなら――」
「大丈夫ですよ」

 そう答えたのは、グリーゼだった。

「本当? ……よかった」

 見れば、彼女の側に横たわった赤い髪の少女は、マントのかけられた胸を緩やかに上下させていた。
 ナトが安堵に胸を撫で下ろすと、「ただ」と言葉が続く。

「傷の方はまだ塞がっていません。それに、目を覚ます気配もないので、油断はできない状況です。
 ただ不幸中の幸いか、ただの怪我のようです。あの時の怪物とは違って」

 思い起こされるのは、硬い木の実の頭を持った怪物。
 あの「呪い」のような未知の状態異常にかかれば、次にどうにかなる保証はない。
 しかしその可能性は無いことがわかり、心の底からの安堵に詰まりそうだった息が漏れ出た。

 さて、これからどうするかと、ナトが頭を巡らせていると、近づいてきた一人の少女と目があった。
 ヨルカは革紐と破れた荷物袋を手に、おずおずとナトを上目遣いに見ていた。

「ヨルカ、どうしたの?」
「あ、あの……」

 そう言うと、彼女は荷物袋を逆さに掲げ、

「実は中身が、もう殆ど残っていなくて……」






「それでまさか、こんなことになるとはな」
「仕方がないよ。誰のせいでもないし、それに、こういうのも少し新鮮じゃない?」
「安心できればそうかもしれないですけど……」

 マイクを置いて来たオーハンスと革紐で補修された荷物袋を背負うナト、そしてポーチの中身を確認するヨルカは森の中を歩いていた。
 理由は食料その他の調達。
 黒い芋虫の怪物に荷物袋を噛みちぎられた時、ほとんどの生活用の資材と食料を紛失してしまったからだ。

 あたりの植物は揃って背が高い――どころではなく、道端に揺れていそうな細長い雑草でさえ、ナトの身長をゆうゆうと越えるほどの背丈だ。
 まるで一行が縮んでしまったようだった。
 緑の光を浴びながら、三人は食料と他に役立ちそうな物を求めて探索していた。

 ――そこに光る灰は降り注いでいない。
 そこは、庭園の許した安全地帯ではなかった。

「マリーにはグリーゼが看病に付いていてくれるけど、居ないと少し心もとないね」
「ああ、色んな意味でな」

 お前の死にたがり病を止められない、とは言わなかった。
 そんなオーハンスの少女のような童顔の、困った表情を見て、ナトは首をかしげていた。

「……なあ、ヨルカ。そういや、その袋の中って何入ってるんだ?」
「へぇっ!? な、なんですか、急に……」

 オーハンスがヨルカの腰のポーチを指す。

「いや確か、村を出る前は持ってなかったよな?」
「と、特にやましいものは……」
「誰もやましいものが入ってるとは思ってないと思うけど」

 ヨルカが気まずそうに視線を逸らすと、何かを見つけたように目を丸くする。

「あっ、見てください!」

 ヨルカがはしゃいだような声をだした。
 二人がそちらへ目を向けると――言葉を失った。
 それは、巨大なキノコだった。
 真っ赤な傘を大きく広げて、緑の苔が生える地面に影を作り出している。

「なんか、小人にでもなった気分だ」
「うん、食べ物には困らなそうだね」
「何が『うん』なのかは知らないけど、そうだな。認識の食い違いにはもう突っ込まねえぞ」

 腹のあたりを擦る友人を見て、そんなに美味しそうに見えるだろうかと、自分の腹の虫に問いかけた。
 どうやら眠っているようだった。

「見てください! こっちにも!」

 いつもはあんなに怯えているヨルカが、はしゃいでいる。
 兎の目のように赤く拳ほどの大きな果実に飛びつくヨルカを見て、ナトの中の悩みが一つ払拭された。
 この世界に怯える彼女を慰めることができずにいた事は、彼にとっても小さなしこりとなっていた。
 
 それとも、少し、変わったのだろうか。
 ……いや、元々、彼女にも強いところはあったようにも見える。

 どちらにせよ、良い傾向ではあった。

「なあ、ナト、あれ食べられるのか?」
「うん、あれはね」

 頭の中に自然と浮かんできた言葉を、そのまま口に出す。

赤果実(ホドキツツミ)だね。引っ張りすぎると――」

 プチン、と音がして、その果実は枝から離れた。
 その瞬間。

 強烈な破裂音がして、辺りに白い果肉が飛び散った。
 果実の大きさに似合わない、あまりにも広い被害領域。
 飛沫が辺りを濡らすと、甘ったるい匂いが漂い始める。

「……種子を飛ばそうと破裂するから、気をつけて」
「遅えわ言うのが」






 まだ少し漂う芳醇さを濃縮したような匂いを気にしないようにして、ナトは近くを適当に散策している。
 彼は一人、オーハンスたちが大きな花に溜まった露で体を(すす)ぐのを待っていた。

 しかし、とナトは森を見上げた。
 木々の背丈は森の村の木々に匹敵するほどに高く、周りの草花もこちらを威圧するように見下ろしている。
 オーハンスが言った通り、本当に小人にでもなった気分だ。

 興味深げに見回していた、その時だった。
 ふと、ある一本の巨木の、人の頭が入りそうな程度の(うろ)に目が止まった。
 その中身が、やけに森の中で目立っている。
 目を凝らすと、その空洞の中が緑色に輝いているのが見えた。

 なんだろう。そう思い、近付いてその中を覗き込む。
 その正体は、苔だった。
 水に濡れたように艶のある苔が、奥に広がるその穴いっぱいに群生し、まるで宝石のように輝いている。

「……食べられるかな」

 以前、沼の村を出た後に、芋に飽きたヨルカとアメリオの賛成により、途中で拾った苔を食べてみたことがあった。
 ナトとアメリオは何でもなく食べたが、オーハンスとヨルカが間も無く「青臭い」吐き出し、以後拒否されていたのだ。

 これなら綺麗だし、食べる許可が貰えるのでは。
 そう思い、穴の中へと手を伸ばす。

 すると。

「おわっ!?」

 穴の中から、勢いよく何かの群れが飛び出して来た。
 鐘鳴り時の鳩のように飛び出したそれは、蝶のような羽を持った、奇妙な生物の群れだった。

 大きさも蝶程度であるにもかかわらず、その姿は人に似ている。
 しかし、人に似ているとはいえ、指の有無、体型、鼻や目などの器官において人間の物とは異なるようで、注視して輪郭以外を見ればそれが人とは遠い生物だということがわかる。

 渦を巻くようにあたりを飛び交うその生物たちは、ナトの頭上を高く舞う。
 気がつけば、他の木からも同じような群れが飛び出していた。
 威嚇をするように、それらは枯れ葉がこすれあうような音をせわしなく立てている。

揺葉虫(ユウグレナキ)……知能の高い有翼の生物。毒を持ち、自分と自分の持ち物を外敵から守る……っ!」

 ナトが脳裏に浮上したその言葉に身構えると、一匹のその生物がナトに近寄って来た。
 他の個体よりも一回り大きく、ナトを見つめて観察しているように見える。

 猛毒。
 ナトは一人戦慄する。
 墓場の怪物の「呪い」は効なかった。
 しかし、「毒」は?

 相手を刺激しないように、息を呑んで硬直する。
 その一匹はナトの周りを飛び回り、しばらくすると、すぐに興味を失ったように巣穴に戻っていった。
 すると、その生物の群れも、続くようにすぐにその穴の中へと消えていき、
 後には静寂とナトだけが残った。

 ぽかんと、気が抜けてしまい、口を開けて何もない淡緑の冠を見つめる。
 なんだったんだ、今の。
 ふとそんな疑問が湧き、また木肌に空いた穴へと視線が映るも、再び覗いてみようという気にはなれなかった。

 苔食への道は険しそうだった。





 合流した三人は、散策を続けた。

「とりあえず、何から集めますか?」
「まず食べ物、それと水だね。この二つはどうにかなりそうだね」
「ああ。それと水はさっき葉っぱとか花の上に溜まってた露から貰ってきた」

 オーハンスが皮の袋を持ち上げて軽く振ると、中からぽちゃりと音がした。

「うん、いいね。それじゃあ、後は……」
「あっ、これなんか使えそうじゃないですか?」

 ヨルカがある一本の毛色の異なる木――その外皮を指し示した。
 あまり群生していない様子の木で、傷ついた樹皮に白い固体がこびり付いている。

「……これは、樹液?」
「ヤニです。薬にも、良質な発火材にもなるんです」
「へえ、よく知ってたな」

 温室育ちだと思っていたと、少し驚いたようにオーハンスが言った。

「本当に、少しかじった程度なんですけど……」
「いやいや、助かるよ。こうも湿気が多いと火も着きにくいし。非常用に幾らか取っていこう」

 その木からナイフで削り取ったヤニを、ナトはズボンのポケットに入れ、一行はさらに奥へと進む。

「他には何かありそうですか?」
「うーん、今まではほとんど持ってきたものか村から頂戴してきた物を使ってたから、よくわからないね」
「……お、あれなんかどうだ?」

 オーハンスが指を指した方向には、長い茎の先に赤く熟した果実を持つ植物があった。
 その茎には反り立つ鱗のように尖った葉が茎の表面を覆うように幾つも伸びており、
 近寄って触れれば、尖ったところに肌が引っかかるだけで、皮をいくらか持っていかれそうなほど鋭く硬い。
 茎を手折ろうと試みるも、その幹は刺突剣の刃先のように柔軟かつ強靭だ。

針纏実(シラミツツミ)だね。随分と頑丈そうだ」
「へえ……周りにもいくつかあるし、採ってこうぜ」
「果実の方も食べられそうだ」

 手を硬い葉で切らないように注意して、ナトはナイフで茎を切断していく。
 ふと、オーハンスは傍にいた少女が居なくなっていることに気がつく。
 辺りを見回し――いた。何やら手の届く程度の木の枝を、ポキポキと手折っている。

「ヨルカ、何してんだよ」
「これ、どうでしょう」

 ヨルカが手を広げて手頃な長さに折られた、木の枝の束を見せる。
 すると、そこから甘い森の香りが漂ってきた。

「なんだこれ」
「美味しいんじゃないかなと思いまして」
「食うのか? 木の枝を? 平民(おれら)でも食わないぞ」

 ナトはさておき、とオーハンスは心の中で呟いた。

「そんなの思ってませんって」

 ヨルカがそう言って笑った。

 オーハンスは思う。
 もしかして貴族には枝をくわえる趣味があるのか。マリーならしてそうだけど。
 上級階層の趣味ってのは、いつも奇特だ。
 
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