第58話 「灰色の都市」

文字数 4,332文字

 それから四人は、暗さが増す中で光の漏れる窓のある建物を目指しながら、街の中を練り歩いた。
 しかし、一度も人影を確認することは無かった。
 建物の中をのぞき見ても、空虚な暗い石造りの部屋がいくつもあるだけで、中には誰も居ない。

「もぬけの殻ですね」
「こんな大都市で、どうして一人も人が居ないのかしら」
「……場所や物を持て余すのは贅沢の証拠だ。きっと、この都市に住んでいる人は大金持ちかお偉い様だろう」

 ナトは、家族を失った後に引き取られた先の家を思い出した。
 思えば、ブルジョワのあの家は、いつも夕ご飯を残していた。
 そのたびに彼が残飯を処理していたのだ。

 おかげで腹は膨れたが、それが現在の彼たらしめる事になろうとは、当時は思いすらしなかった。

「芸術は持て余すからこそ生まれるのよ!」
「この殺風景が芸術というのは、なんとも言い得て妙ですね」
「芸術、かぁ……私、絵画の授業を受けていたんです。でも、全く理解できませんでした……。お母さんにはいつもため息をつかれていましたよ」

 ヨルカは懐かしい家を思い出すように、その建物を眺めた。
 その無骨さは、やはり彼女には理解されなかった。

「な、ナトさんは絵とか興味ないんですか?」
「俺は『絵画』と呼ばれる(たぐい)の絵は大して見たことがないからな」

 第三身分の彼にとっては、芸術なんて雲の上の概念だった。

 それにしても。
 こんなに巨大な街、わざわざ放棄するにしたって、利用方法はいくらでもあるはずだ。
 どこかに潜んでいるのか、それとも、離れなければならない理由があったのか。
 もしくは――何か事件があったとか。

 人気のない、雨音ばかりの街を四人は歩く。
 横に広い道は首を傾げた街灯で飾られているが、雨雲で薄暗くなっているにも関わらず、一つも明かりは付いていない。
 しかし、すぐそこにある大きな水路から察するに、少なくとも街の外れでは無いことが伺える。
 中央を進んでいれば、いずれは人に会えるだろうか。
 そんな希望も、もし本当にここが廃墟であれば簡単に(つい)えてしまうわけだが。

「あっ」
「マリー、どうしました?」

 突然声を上げたアメリオは、建物に挟まれた水路を指しながら何かを見ていた。

「誰か居たわ!」

 そちらを見ると、確かに、誰かいた。
 雨除けのフードコートをかぶった人物が、狭い水路の端に座り、バケツと並んで流れる水に釣り針を落としている。

「話を聞いてみましょう」
「言葉……大丈夫なのか」
「ええ、試してみましょう。……ああ、試すといえば」

 そういうと、黒い籠手はそっとヨルカの背中を押した。

「えっ?」
「やってみなさい、ヨルカ」
「で、でも……」
「大丈夫、こういったことは経験の積み重ねです」

 金髪の少女は、彼女に促されるままに、戸惑いながらも歩みをすすめようとした。
 そこへ、ナトが止めにかかる。

「ヨルカを一人で行かせる気か。それに、何故彼女なんだ」

 その顔はいつになく険しく、グリーゼを問い詰めている。

「……それもそうですね。ではナト、ヨルカの付添をお願いできますか」
「何を企んでる」
「大丈夫です。……それと、あなたが思っているほど、彼女は弱くありませんよ」

 沈黙の後、ナトは黙ったまま、ヨルカの隣に立った。
 水路の流れる狭い路地を、足を滑らせないように慎重に進む。
 やがて、フードコートをかぶった人物もこちらに気がついたようで、釣り糸を垂らしながら顔を上げた。

 赤茶色の髪をした美青年だった。
 人を引きつける爽やかな印象の与える面立ち。
 優しそうな目元がフードの影から(あらわ)になった時、
 ヨルカはそれだけで少し心を許してしまったのに、後から気がついて慌てて気を引き締めた。

「ウィ・ユル・オゥペイド?」

 聞き覚えのない言語。
 驚くべきことに、その言葉が出てきたのはヨルカの口からだった。

「スフゥム。オゥスリィス?」

 柔らかい口調で、異国の言葉を話す青年。

「エイ・リィズ・ノゥル。……えっと、コンペイド・ゴゥト・ギルツ」

 それに対してヨルカがそう返すと、
 男は立ち上がりその優しそうな顔に喜色を浮かべ、手を広げた。

「イスリィズミィ! エイドペイドゥム・エウィデンツ、イペイドゥキンディ・クゥルタキシィス!」

 上ずった声で何かを話し始める男。
 突然のことに、ナトは咄嗟に腰の剣の留め金を外して構えた。

「ナトさん、大丈夫、大丈夫ですから! ――イ・ミペイド・ノゥ、コンペイ・タキシィ・ユル」

 ヨルカが落ち着いた声で話すも、男は呆けたような顔をして、ナトたちを見た。
 二人を見て、そして、合点がいったように手を打った。

「……君たち、アタラシアの人だったのか!」






「僕はマルギリ・ベン。普通にマルギリでいいよ」
「グリーゼです。彼らは――」

 各々が名前を名乗る中、こっそりとナトはヨルカに耳打ちした。

「ヨルカ、さっきの会話、なんて言ってた」
「は、はいっ! ええと……その、丁度家が空いているので、泊めてくださるそうで……」

 そんな事を話している間にも、「ついておいで!」と、釣り道具をまとめて先陣を切って歩き出すマルギリ。
 肩を揺らし、街道の真ん中を占領して歩いている。
 少しだけ距離を空けて、四人もそれに追随する。

「私がナトたちと出会ったときも、このような感じだったのですね」
「グリーゼの方が緊張したな」
「私も、うなされていたとはいえ、少し怖かったです。あんな暗い森に黒い鎧ですから、おばけかと思いました」

 心なしか沈んだ様子のグリーゼを先頭に、殿(しんがり)にナトを置いて少女二人は並んで歩く。

「それにしても、驚いたわ! ヨルカがこっちの言葉を喋れるなんて、思わなかったもの!」
「い、いえ、それほどでも……」

 少女は照れたように顔を赤くして俯く。
 垂れた金髪がすぐに彼女の表情を隠した。

「いつの間に覚えたの? 沼の村では誰もわからなかったのに」
「……もしかして、暗い森の村か?」

 記憶に残る、どこかよそよそしいヨルカの姿。
 紙を手に持ち、インクで手を汚した、あの姿。

「はい……グリーゼさんに、教わって」
「すごいじゃない! こんなに短い間に覚えるなんて!」
「いえ、ここの言葉は、意外と簡単だったので……文法もある程度自由の効きますし、汎用性の高い単語が多く、固有名詞もほとんどが簡単な単語の組み合わせだったりするので、やったことといえばほぼ暗記ですし、後は旅の途中でちょこちょこ話す練習をしていただけですし……あ、あと、同じ派生系だったのか、アタラシアの言葉ととても似ているんです! ですから、案外苦労もしていないのですが、あえて言えば、抽象的な表現を多くて、聞き取るのが大変なんです! あ、でも、話せるといってもまだ流暢ではなくて、単語同士の馴染みがアタラシア語とは方式が異なるので、まだ完璧には話せているとは言えないんですが……」
「……よくわからないけど、すごいわ!」

 雄弁に語るヨルカは、どこか嬉しそうに顔を上気させていた。
 そんな彼女を見て、ナトはどこか懐かしい風景を思い出した。

 小さな少女と二人で囲んだ食卓、炎が弾ける暖炉。
 踊る銀髪、鈴のような声――。
 そんなナトの空想を遮るように、青年が声を上げた。

「さあ、着いたよ」

 その時、マルギリがある建物の前で立ち止まった。
 石造りの塔が付随した、石の大きな館。
 その三階の端の部屋に、光が灯っている。

「さあさあ、中に入って。風邪を引いてしまうよ」
「では、お言葉に甘えて」

 グリーゼに続き、一行がマルギリに続いて入り口をくぐり抜ける。
 そこは、石の柱が数本立ち並んで建物を支えているだけの、だだっ広い空間だった。

「なんて贅沢なスペースの使い方なのかしら。やっぱり芸術ね!」
「芸術? ……ああ、違う違う。たまに水路の水が溢れて浸水してしまうから、一階には何も置かないだけさ」

 おいで、と添えつけられた階段に足をかけたマルギリは一行を手招きする。
 二階に上がると、そこは長い廊下が突き当りまで続き、左右には幾つものドアが並んでいた。
 宿泊するためだけに作られたような構造だった。

「芸術ね!」
「ここまで来ると、ある意味そうですね」
「さあ、もう一階分上がって。そこが僕たちの目指す場所だよ」

 三階は、先程までとは打って変わってすっきりとした作りだった。
 壁際の吹き抜けた部屋はキッチンのようで、様々な調理器具や様々な素材で作られた部屋の作りをしている。
 また、ある場所には大扉が開いており、中を覗き見ればそれが巨大な食堂であることが伺える。

 他にも、水場や浴場――目的のはっきりとした部屋が幾つも存在しており、
 二階の気でも狂ったかのようなドアのみの廊下とは大違いだった。

「充実していますね」
「あはは、僕たちが作ったものではないけどね、利用させてもらっているんだ。
 ……とりあえず、あの部屋に入ってほしい。紹介しておかないといけない人がいるんだ」

 ひときわ豪奢な装飾のされた、青銅の扉だった。
 環状の取っ手を引いくと、音を立てて扉が重苦しく開く。

「さあ、入って。先生もきっと、既にお気付きになられているよ」

 誰か居た。
 マルギリが「先生」と呼んだ人物は、部屋の中央に置かれた小さな椅子に座っていた。

 大人にしては小柄で、顔中に巻いた包帯の上から班入(ふい)りで鼻も目も口もない仮面を被っていた。
 ボロボロのズタ袋のような服に身を包んでおり、体型はわからない。
 いや、体型どころか、その性別も、ほんとうに生きた人間であるのかすらわからない。

 ただ、無言で小さな椅子に座り、手足をだらしなく放り出していた。
 その姿は廃材で作った人形のようだ。

 しかし、マルギリが部屋の中に踏み入ると、ピクリと体が動き、その首が持ち上がった。
 斑入りの仮面が青年を見た後、後ろで警戒した様子の四人を確認した。

 そして、小さくうなずくと、
 突然、金属の板を引っ掻いたような音が響いた。

 突然鳴り響いたその音に四人は耳を塞いだ。
 しかし、頭に残ったその響きが、徐々に形を成して音として再認識されていく。

『コサセられた、あるきダスひとドモ』

 耳鳴りと共に、そんな風の言葉が聞こえた。
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